三つの願い。

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 ――目を覚ます。
 体を起こすと、俺は学校の教室に居た。どうやら居眠りをしていたらしい。そのまま無意識にスラックスへと手を伸ばし、その左ポケットに入っている携帯電話へ視線を落とす。見ればメールの類は届いておらず、時間は昼休み終了五分前といった所だった。
 この後は美術の授業が控えているから、そろそろ美術室に向かわないと不味いだろう。俺は後方の席に座っている    の姿を探し……しかし、居ない。いつもならば誰かと一緒にお喋りを楽しんでいる筈なのだが、トイレにでも行っているのだろうか。
 ともあれメールをして先に向かっておく事にしよう。準備に遅刻して怒られるのは避けたいところだし。
 そんな風に思いながら携帯を開き、不意に目の前の席に誰かが座っていた事に気が付いた。
 見慣れたその姿は椅子の背に胸を付けるようにしていて、人の机に何か雑誌を置いている。みればその雑誌は今朝発売されたばかりのゲーム雑誌で、次に読ませて貰おうと思っていたものだ。
 予定が狂っちまったな。そう思いながら、俺は目の前に座る相手に視線を向けて、



 視線の先には、涙を流す    の姿があった。彼女はうわ言のように何かを繰り返し呟きながら、大粒の涙を流し続けている。
 周囲には賊と戦う兵士達の声が溢れ、その中には聞き慣れた声も混じっていた。しかしそれは焦りの色を帯びており、こちらが不利な状況である事を窺わせる。
 ああ、早く立ち上がってそこに加勢しなければならないのに、俺の体は鉛のように重くなったまま動かない。
 それ以上に、泣き続ける    の涙を止めてやりたいのに、その涙を拭ってやる事すら出来ないのだ。最悪の状況だと悪態を吐きたいが、しかし俺の口は仕事を放棄してしまったのか、何かを呟く事すら叶わなかった。
 そんな状況の中で、不意に影が差した。
 巨大なそれは、顔に下卑た笑みを貼り付けた男のものだ。無傷なのだろうその男は、圧倒的優位に立った自分の立場に酔っているのか、この状況に似合わぬ楽しげな表情を浮かべている。それが俺には酷く不快で、けれど何もする事が出来ない。
 絶望的な状況下の中、男が泣き続ける    へとその薄汚い手を伸ばし、



 ――暗転。
 光源の一切無い闇の中へ放り込まれ、自分が今立っているのか横になっているのか、それすらも解らなくなる。そんな闇の中に仄かな光が生まれ、それと共に一人の男が現れた。
 顔に楽しげな笑みを張り付かせたその男は、状況を把握出来ない俺に「久しぶり」と軽く告げると、
「キミの危機的状況が鍵となり、ようやく僕の出番が回ってきたんだ」そうして彼は笑みを強め、「それじゃ早速だけど、キミの願いを叶えよう」
「俺の、願い?」
「そう。キミには『三つの願い』を叶える力が与えられている。それを使って、キミはこれからの人生を自由に定める事が出来るんだ」
 その言葉と共に、男が軽く両手を上げた。
 途端、上へと向けて広げられた掌の上に、眩い光が灯り――一瞬のそれが収まると同時に、それは二つの世界を映し始めた。
 男の右手にあるのは 剣も魔法も存在しない、平穏な日常の続く世界。
 男の左手にあるのは、剣と魔法の存在する、争いの耐えない異世界。
「さぁ、キミはどちらを選ぶ? この選択で世界の『運命』は書き換わる。キミが望めば、全てをやり直す事だって出来るんだ」
「……」
 右手の世界。どこからか戻って来たのだろう    が俺へと微笑んでくれている。
 左手の世界。絶望から戻って来られないのだろう    が俺へと涙を流し続けている。
 何もかも違い、しかし二つの世界には恋人である    が存在していて……恐らく他の仲間達も何らかの形でそこに存在しているのだろう。
 つまりそう、どちらの世界を選ぼうと、俺は彼女達との人生を歩んでいく事が出来る。
 嗚呼、
 だからこそ、
「――決めたよ」
 迷うまでもない。
 掴み取る世界は一つ。
 俺は    を――レアリィを助けたいと、強く願う。
 それに男が――友人が「後悔はないのかい?」と問い掛けて来る。だが、後悔をする必要も無い。何せ右の世界の――『向こう側』の俺は、レアリィを微笑ます事が出来ているのだ。なら、その先に拡がる未来は幸福であるに違いない。
 しかし、左の世界は違う。彼女は俺のせいで涙を流している。俺は、そんな世界を認められない。俺にとっての世界の価値は、愛する恋人が微笑んでいられるか否かで決まるのだ。
 だから、俺は左の世界を選び取る。
 そんな俺の選択に、友人は満足げに頷き、
「やっぱりお前は、俺の見込んだ通りの奴だよ」
 作りものでは無い、心からの笑顔でそう言って、友人は左手の指を鳴らす。

 刹那、視界一面に光が溢れ――



「さつき、さつき……!」
 胸元に響く声に答えるように、ゆっくりと瞳を開く。そのままそっと手を伸ばすと、俺の胸に顔を押し付けて泣き続けているレアリィの髪をそっと撫でた。
 途端、彼女がびくりと震え、そして恐る恐る顔を上げ、
「さつ、き?」
 不安と恐怖と絶望と、それら全てがない交ぜになり、しかし一瞬の希望に縋ろうとしている彼女を安心させるように俺は微笑み、
「ごめん、心配掛けた」
「……生きてる、の?」
「ああ、なんとかな」
 言葉と共にレアリィの涙を拭う。するとその顔がくしゃりと歪んで、そのまま俺に抱き付いてきて――同じタイミングで、レアリィに手を伸ばしていたミールトが驚愕の声を上げた。
「い、生きてやがるだと?!」
 俺はその声を無視し、レアリィを抱き締めながらどうにか立ち上がると、手放してしまっていた剣を拾い上げる。
 見れば外に溢れ出していた臓器は全て体の中に戻っていて、傷も完璧に塞がっていた。唯一傷の痕跡を残すのは、ミールトの剣を受けて壊れた鎧だけだ。それでも俺は無意識に傷のあった場所へと手を伸ばし……同時に、友人の笑顔が頭を過ぎった。
 アイツは俺に『三つの願いを叶える力がある』と言っていた。その力が、レアリィを助けたいと望んだ俺の傷を癒したのだろう。結果、世界の『運命』が書き換えられ、俺は死なずに済んだ……という事になったに違いない。
 自分の身に起こった事とは言えど、正直信じられない。しかしこれが本当に『魔王の持つ力』なのだとしたら、俺はこれで永遠の命を手に入れてしまった、という事になるのだろうか?
「まぁ、考えるのは後で良いか」
 今は、目の前の敵を倒す事が先決だ。
 レアリィを護るように剣を構え直し、ミールトを睨み付ける。すると、彼は化け物を前にしたかのような表情で一歩下がりながら、
「なんで生きてやがるんだよぉ!?」
「強く願ったからだ」
 相手の動揺を加速させるよう、敢えて余裕があるように告げながら、しかしどうやってこの場を切り抜けるかを必死に考える。正直もう一度刺されたくはないし、かといってミールト相手では逆立ちしても勝てそうにない。どうしようかと考えながら、俺は時間稼ぎの為に言葉を続けていく。
「どうやら俺は本当に魔王の力を持っているらしい。今のがその証拠だ。――解ったなら道を明けろ」
「ふ、巫山戯た事をほざくんじゃねぇ!」
「現にこうして俺の傷は塞がった。それが全てだ」
「ぐ、ぬぅ……!」
 ミールトが更に一歩下がり、その顔に浮かぶ恐怖が強くなる。俺自身信じられないような奇跡を目の当たりにしたのだ。このまま押し切れる訳はないだろうが、それでも相手の戦意を殺ぐ事は出来るかもしれない。
 とはいえそれを楽観し過ぎず、他の逃げ道を探しながら、俺は言葉を続けた。
「――俺が願えば、すぐにでもこの状況を変えられる。それはお前にも解るだろ?」
 対するミールトは一瞬怯み、しかしそのまま逃げる事は本人のプライドが許さないのか、脅えた様子を見せながらも、
「や、やれるもんならやってみやがれ!」
「良いのか?」
 言って笑みを浮かべてみせる。だが当然ハッタリで――しかし、この状況が一変する事を強く願う。
 
 刹那、その願いを聞き入れたかのように、ミールトの背後に二つの影が現れた。

 俺はその姿に安堵を得ながら、改めてミールトに視線を向け、
「お前の負けだ」
「ッ?!」
 驚きと共にミールトが表情を歪めた刹那、俺達の間に割り込むように漆黒の影が現れた。
 こちらを護るように立つそれは、『勇者』と呼ばれた黒の騎士。
『――』
 ラスニチカが、その剣を抜いた。

■ 

 圧倒的な強さでミールトを追い詰めるラスニチカを見ながら、俺達はテオの待つ城の正面玄関へ駆け戻っていく。
 そうして思うのは自分の無力さと、仲間達への感謝だ。
 だから俺は願う。
 かつて魔王が救ったとされるこの国を、今度は俺の――俺達の手で救いたいと、そう強く願い続ける。
 そして――

 ――果たしてそれは、現実のものとなった。





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