逃げ行く中で。

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 レアリィと共に廊下を駆けながら、しかし俺の心には不安があった。それでも、過去の経験からかそこに恐怖は少なく、それが唯一の救いだといえた。
 それは隣を行くレアリィも同様で、けれどその心は、部屋に居なかったカイナに対する心配で埋め尽くされてしまっているようだった。
「カイナ……」
 部屋に居なかった以上、既にカイナは会議室へと向かっている可能性がある。それは剣を交えているゲイルとクーさんのところへ向かうという事で……それでもレアリィが冷静さを保っているのは、カイナの選んだ候補であるラスニチカの存在が大きかった。
「ラスニチカは必ずカイナを護ってくれる。それは解ってるけど……」
「レアリィ……」
 レアリィの不安は理解出来る。だが、今から俺達が会議室に戻ったところで何か出来る訳ではない。下手をすれば、カイナを護ろうとするラスニチカに余計な労力を払わせる結果になりかねない。最悪、護ろうとしているカイナに護られる可能性だってある。純粋な実力で物を言えば、レアリィよりもカイナの方が上なのだから。
 それでも、愛しい相手が危険に曝されているかもしれない状況では、どうしても不安が募る。俺はそれを取り除くようにレアリィの手を取り、共に出口へと走っていく。
 こうしている俺も、カイナの事が心配だ。だが、それ以上にラスニチカを信じている。何せ彼は、本物の『勇者』なのだから。
 そうして廊下を走り抜け、階段を駆け下り、裏口方面へと抜ける隠し通路へと進もうとしたところで、正面玄関付近から聞こえる騒音がこちらへと近付いて来ていない事に気が付いた。
 俺は思わず足を止め、荒れた息を整えながらそれが錯覚では無いと確認し、
「レアリィ、周囲の部屋に敵が居ないか確認してくれるか? 少し外の様子を確かめたい」
「解った」頷きと共に杖を構えると、レアリィは小さく息を吸い、「――存在無き風よ。存在出来ぬ風よ。その力を得、今ここに具現せよ」
 小さく呪文が響き渡ると同時に魔法陣が展開し、静かに風が吹き抜ける。レアリィはそれに耳を傾けるようにしながら、ゆっくりと数歩歩き、
「大丈夫、誰も居ないみたい。でも、一体何をするつもりなの?」
「どうも外の様子が変に感じるんだ。それを確かめたくてさ」
 言いながら歩を進め、手近な部屋へと入り込む。どうやらここは普段は使用されていない部屋のようで、窓には遮光カーテンが閉められていた。当然部屋の中は暗く、俺達はカーテンの隙間から差し込んでくる光を頼りに窓へと向かい、そっと外の様子を窺った。
 そうして見えてきたのは、無残にも破壊された城壁と、その周囲に展開する統一感の無い服装をした魔法使いの一団。そしてその全面に剣士達が展開し、その進行を食い止める為にディーシアの兵士達が剣を振るい、魔法使いが魔法を放っていた。
 その中には虎落の爺さんや草薙さん、それにイフナの姿も見える。その後方にはイフナの父親である春風が指揮を行っている様子が見えた。
 しかし、味方の数が圧倒的に少ない。魔王候補選定試験が行われる関係で大半の兵士が国外に出ている為、どうしても彼我戦力に差が出てしまっているのだ。恐らくゲイルはこれも狙った上で大臣を殺すなどという強行に至ったのだろう。
「……レアリィ。ここから春風さん達に加勢出来るか?」
「ここからだと難しいけど、外に出られれば何とかなると思う。でも、五月……」
 暗い部屋の中、レアリィが不安げに見つめてくる。俺はそれを正面から受け止めながら、しかし小さく首を振り、
「俺達が選ぶべき最善が逃げる事だっていうのは解ってる。でも、このまま何もせずに逃げる選択はしたくないんだ。せめて横っ面からの一撃でもくれてやらなきゃ、気がすまない」
 だが、
「これは俺の我が儘でしかない。判断はレアリィがしてくれ」
「……私は、」
 言い掛け、暫し逡巡し――そしてレアリィは改めて俺を真っ直ぐに見やり、
「過去を思い出した私は、五月を失いたくない気持ちが大きいの。そしてそれは五月も同じだと思う。でも、でもね、」
 言いながら、彼女は俺の手を握る力を強め、
「――今の私には、五月と同じぐらい大切な人達が沢山居る。カイナ、先生、姉さん達にクレアさん……そんな沢山の人達を見捨てては逃げられない。五月と同じようにね」
「レアリィ……」
「行こう、五月。みんなを助けに」
「ああ!」
 力強く頷き合い、俺達は外へと向けて走り出す。
 その間にレアリィは詠唱を始め、俺はそんな彼女を護れるよう周囲に気を配りながら、彼女の一歩先を行く。

 だが、俺は気付いていなかった。
 外へと向かう俺達を見やる、大柄な影が存在していた事に。



 外から響いてくるのは、剣を振るい、魔法を放ち、相手を打ち倒していく戦闘の音だ。俺はそれを聞きながら、正面玄関の巨大な扉を開け放つ。
 途端、戦闘の音が嫌でも大きくなり、一瞬だけ強まった恐怖に足が止まりそうになる。けれどすぐにそれを振り払うと、俺はレアリィと共に城門へと続く長い道を進んでいく。
 視線の先には指揮を行う春風と、連続で魔法を放つ魔法使いの一団が見える。レアリィはそこへ合流するように駆け出しながら、杖先に複数の魔法陣を展開し――それを視界に収めた刹那、背後から殺意を向けられた。
 俺はそれに足を止めながら後方へ振り向き、体の捻りに合わせるように剣を引き抜く。
 視線の先――そこには、巨大な剣を持ったマスト・ミールトの姿があった。その顔には下卑た笑みが浮かび、右手にある剣にはべっとりと血が付着していた。
「……お前もゲイルの仲間だったのか」
 低い声での問い掛けに、ミールトは笑みを強め、
「当たり前じゃねぇか。俺は魔王になるか、でなけりゃこうして好き勝手に暴れて良いって条件で、こんな国にまで来てやったんだからよ。ま、弱い奴等ばかりで拍子抜けしてんだけどなぁ!」
 さも可笑しそうに笑うミールトに冷たい怒りが高まっていく。それを代弁するように切先を向けると、彼はおどけたように、
「おいおい、剣なんか抜いちまってどうするつもりだ? 怪我するぜぇ?」
「ああ、お前がな」
「ハ、この俺様がテメェなんぞにやられる訳がねぇだろうが!」言葉と共に剣を構えると、ミールトは俺を睨み、「前々からテメェの事は気に喰わなかったんだ。俺様が直々に殺してやるよ!」
「五月!」
 不安や恐れを孕んだレアリィの叫びに、しかし俺は振り返る事無く、
「気にすんな! レアリィは詠唱を続けてくれ!」
 そう叫んだと同時、
「おらぁ!」
 こちらへの加速と共に、思い切り振り下ろされた一撃を受け止める。だが、凄まじく重い。それは今まで体感した事の無いほどの重圧で、踏ん張って受け止めた剣が押されていく。そのまま押し返す事も出来ず、俺はミールトの剣を受け流して距離を取ると、痺れそうになる両手で強く柄を握り直し、一歩を踏み出すと共に下段から斬り上げた。だが、刃は鎧を着ていないその体に傷を付けるどころか、硬質な音と共に思い切り弾かれてしまった。
 俺はそれに無意識に舌打ちしながら、
「糞、魔法の加護か!」
「おいおい、なんでテメェがそれを知ってんだ? ――尚更死ね!」
 風斬り音と共に流れたミールトの剣を寸でで回避し、半身を捻ったその背中へと剣を振り下ろす。だが、刃は再び不可視の鎧に弾かれ、硬質な音を上げるのみ。どれだけ斬り掛かっても傷一つ与えられず、しかしこちらは一撃を受ければ致命傷は免れない。
 唯一の救いは相手の剣が我流であり、その動きが一本調子であるという事だろうか。しかしその一撃一撃の重さが尋常ではない為、防御に徹する事すら出来ない。
 それでも俺は加速し、剣を振るい、薙ぎ払い、容赦なく突きを入れ、その巨躯へ攻撃を繰り返していく。
 対するミールトは動き回る俺に苛立ちが増しているのか、怒号と共に剣を振るう。結果、その一撃は更に重さを増していき――
「ぐッ!」
 幾度めかの剣を受け止めた瞬間、遂に剣を握り続ける事が出来なくなり、
「五月!」
 悲痛なレアリィの叫びを背後に聞きながら、俺は痺れて握り締める事すら出来なくなった手を見つめ、しかしすぐにミールトから距離を取ろうとし、
「死ね」
 下卑た笑いと共にミールトの剣が突き入れられ――避ける事の出来ない速度のそれに瞠目した刹那、腹に強い衝撃。
 刺された、という事実を理解した瞬間、勢い良く剣が左に薙がれ、
「ッ」
 衝撃に尻餅を付き、鎧が呆気なく破壊された事を理解し、同時に内臓がでろりと体外に溢れ出す様子をまるで他人事のように眺める。不思議と痛みは無く、しかし一つだけ断言出来る事がある。
 俺は、ここで死ぬ。
 そう思った次の瞬間、止めを刺そうと一歩を踏んだのだろうミールトが吹き飛んだ。同時に巻き起こった風に煽られるように仰向けに倒れそうになったところで、ふいに後ろから抱き締められるような感覚があり、次いで悲痛な声が来た。
「五月、五月!」
「れあ、りぃ……」
 見上げる彼女の顔は涙に歪んでいて、それは過去の記憶を思い出させ、同時にそれは俺の意識を掻き乱していく。そういえば、あの時もこうして刺されたんだった。
 畜生、俺は、
「ごめん、な……。また、お前を護れなかった……」
「やだ、やだよ! 死んじゃ嫌だよ!!」
 叫び上げながら、愛する人が必死に零れた内臓を俺の中へ戻そうとする。
 でも、無駄だ。
 もうどうにもならない。
 俺は、死ぬ。
「……嗚呼、」
 最悪だ。
 折角出逢えたってのに、
 こんな形で、
 やり直しになるなん、
 て、
「――」
 
 ――そうして意識が途切れる瞬間、俺は、高く指を鳴らす音を聞いた。





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