数ヶ月早い『始まり』

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 そうして、あっさりと二ヶ月が過ぎた。
 魔王選定試験が前倒しに行われるという事で、城でも上位に位置する人々が日々慌ただしく動き回り、しかし肝心の候補である俺達にはこれといった指示は無い。俺はいつも通りの日々を暮らしながら今後の事を考え、他の候補達との仲を深めていた。
 その中で解ったのは、誰もが『魔王は大臣の傀儡である』という事実を知らない、という事だった。まぁ、それは当たり前の事であり、しかしどうやらテオは薄々感付いているようで、何かあればすぐにアリアを護るという事をこっそり教えて貰った。
 同時に知ったのは、彼等が『三つの願い』という口説き文句を聞かされているという事だった。というか、詳しく話した訳ではないが、恐らくミールトはそれを完全に信じ込んでいるらしく、何度かそれを公言している事があった。
 とはいえ、俺はその三つの願いに関しての話は聞いていない。いや、もしかしたら聞いていたのかもしれないが、今の俺にとって過去の記憶というのは少々曖昧なものだ。故に、パートナーであるレアリィに直接話を聞き――その結果、一冊の本を手渡され、
「『三つの願い』というのは、魔王様が持っていたとされる奇跡の力の事なの。具体的にどんなものだったのか、というのは多分試験でも問われるかもしれないから、これを」
「『始まりのモノガタリ』?」
「それは、初代魔王様が生まれるまでの経緯を絵本にしたもので、国民の誰もが読む代表的な歴史書でもあるの」
 絵本が歴史書、という事に一瞬疑問を感じたものの、しかしその中身を読んでみれば納得出来るものだった。
 それはただの英雄譚ではなく、このディーシア建国までの話だったからだ。



 昔々、魔法使いとそうではない者達が争っていた時代の事です。

 何十年という間、戦争が続いていました。
 人々は悲しみ、苦しみましたが、しかし争いを止める事はしませんでした。出来ませんでした。
 どちらも、もう後に引く事が出来なくなっていたのです。

 そんな時でした。
 争いの耐えないこの世界に、ある一人の男が現れたのです。

 その人は言いました。
「愚かな争いは止めて、皆で仲良く暮らしましょう」
 しかし、人々はそれを聞き入れようとはしませんでした。

 戦いを止めない人々に悲しんだその人は、手にした杖を掲げました。彼は魔法使いだったのです。
「ならば私と戦いなさい。争いを続けたいのなら、せめて力を合わせなさい」
 そう人々に言いました。

 その人の言葉に人々は戸惑いました。
 ですが、力や魔力に自信のある戦士達が、その人に立ち向かって行ったのです。

 戦いが始まりました。
 けれど、剣士の攻撃も、魔法使いの放つ魔法も、全てその人の魔法に防がれました。
 どんな強者が立ち向かっても、どんなに大量の軍隊が立ち向かっても、その人を倒す事は出来ませんでした。
 
 そうして、いつしか剣士と魔法使いはその人を倒す為に力を合わせ始めました。
 互いを疑いつつも、しかし作戦を立てる為に話し合い、共に戦場に立つ……。

 いつの間にか、お互いを隔てていた壁は無くなっていました。
 その事に気付いた人々は争う事を止め、その人へと攻撃ではなく、感謝をしに行きました。
 こうして、長い間続いていた戦争が終わりを告げたのです。

 その後、その人は戦争を止めた英雄としてある国の王様になりました。
 魔法によって争いを鎮めた王……魔王として。

 魔王様はとても素晴らしい魔法使いというだけではなく、三つの願いを叶える力も持っていました。
 本当ならその力を使って魔王様は争いを無くそうとしていたのですが、魔王様は人々の心を信じたのでした。

 そして、魔王様は三つの願いを国の為に使われました。
 一つは、国の平和を。
 一つは、国に豊作を。
 そうして願いが最後の一つとなった時、国民は願いました。

 魔王様に永遠の命を。

 こうしてディーシア国は繁栄し、魔王様は人々を導き続け……私達は今もこうして、幸せに暮らす事が出来るのです。



「めでたしめでたし、と。……しかし、魔王にはそんな力があったのか」
 というか、この国の王が魔王と呼ばれている理由が、『魔法によって争いを鎮めた王』だったからだとは思わなかった。そんな俺に対し、レアリィは「少し解り難いよね」と苦笑しつつ、
「その絵本にあるように、過去に魔法使いとそうではない人達が戦争をしていた時代は存在しているの。でも、当の魔王様の件が本当かどうかは今となっては解らなくて……唯一確実なのは、魔王様は永遠の命を得られなかった、という事だけ。もしそれが本当だったら、五月がこうして『こちら側』に来る事も無かった訳だから」
「確かにそれもそうだな。……という事は、この『三つの願い』ってのはただの嘘なのか?」
「残念だけどね。『三つの願い』は、魔王候補を選ぶ為に使われ出した口説き文句らしいの。だけど、実際に魔王になれば、その存在が公にならない程度の我が儘なら何でも叶えて貰えるみたいだから、一概に嘘とは言い切れない感じかな。……でも、もし本当にその力が存在していたとしたら、五月は何を望む?」
「俺は……そうだな。レアリィ達とこうしてのんびり過ごす日常が続いてくれれば、他に何もいらないな」
 だって、
「俺は今、幸せだから」
 レアリィの手を取りながら告げた言葉に、彼女が少し顔を赤くしつつ微笑みを浮かべた。俺はその体をこちらに引き寄せ、そして――

 ――と、そんな事があった翌日。
 俺は今、レアリィから借りていた本を返す為に資料室へと向かっていた(因みに、肝心のレアリィは魔王選出者だけの会議に出席中だ)。
 歩いていく廊下は既に見慣れたもので、もう広い城内で迷う事も無い。しかし俺はあまり資料室へと足を運ばないので、その道程は少しだけ新鮮なものがあった。
 そうして歩く事数分。階段を降り、曲がり角を曲がったところで、和装姿の草薙さんとエンカウントした。
「ちわっス、草薙さん」
「今日は、真鳥君」そう草薙さんは笑みで良い、しかし俺の周囲をちらりと見てから、「君が一人というのは珍しいな」
 以前にも似たような事を言われた事があったな、と俺は思いつつ、
「レアリィは選出者だけの会議に出席してまして――って、草薙さんはそれに出なくても良いんスか?」
「ああ、自分は大丈夫だ。今日の会議は魔法に……っと、すまない。一応機密なのでな」
 それでも、草薙さんが進むだろう方向には会議室がある。恐らく、今回の会議に全く参加しない訳ではないのだろうな、と思いながら、
「解りました。んじゃ、俺はこれで。また明日、模擬戦をお願いします」
「解った。では、また」
 そう言って草薙さんが歩いて行き、俺は無意識にその背を見送ってから歩き出す。
 侍気質で少々気難しいところもある人だが、しかしそこまで固い訳ではない。とはいえ、最初は何を話して良いのか解らず……ある日、イフナの計らいで彼と模擬戦を行う事になったのだ。
 結果は、俺の全敗。それはこちらの自信を完膚なきまでに打ち崩すほどの惨敗だった。けれどそれが切っ掛けで話をするようになり、今では俺の剣の師匠になってくれた人でもある。
 そして、そんな草薙さんの選んだ魔王候補・虎落の爺さんは、向かった先にある資料室で古い本を読み進めていた。
「あれ、爺さん」
「おお、若いの。お主がここに来るのは珍しいのぅ」
「ちょっと本を返しにさ。で、爺さんは一体何を読んでるんだ?」
 問い掛けに、爺さんは「千里眼に関するものじゃよ」と言って魔道書の表紙を見せてくれた。そこには『千里眼能力者の能力。その研究と解明』というタイトルがあった。俺はそれに「千里眼ね」と小さく呟きながら、草薙さんと同様にこの二ヶ月の間で親交を深めた爺さんへと視線を上げ、
「千里眼って、遠くの出来事なんかを見通す事が出来る能力の事だよな」
「そうじゃよ。しかし、この本に書いてある事は殆ど嘘っぱちじゃった。実際の千里眼は出来事を見通すだけではなく、予言をもするものじゃからな」
「詳しいんだな」
「当たり前じゃ。なんせ五十年以上になる連れ合いがそれじゃからのぅ」
「連れ合いって……爺さん結婚してたのか?!」
 驚きと共に問い掛けると、爺さんは苦笑と共に、
「おいおい若いの、私にどんな偏見持ってたんじゃ。因みに子供は三人、孫は七人おるぞい」
「普通に大家族だな」
「いつかお主にも紹介しよう。ウチのは別嬪じゃからな」
 そう楽しげに言う爺さんに「楽しみにしてるぜ」と笑みを返し、俺は本を返却する為に資料室の奥へと進んで行く。すると、書架の間に腰掛けて本を読むテオと、
「……アリア?」
「むにゃむにゃ」
「寝てるのか」
「寝てるんだ。退屈させてしまったのかと思って一度起こしたんだが、ただ単純に眠かっただけらしい。まぁ、昨日は寝るのが遅かったからな」
 あっさりと告げるテオに、俺は笑みを浮かべつつ、
「きのうは おたのしみでしたね」
「それは君もだろう」
「聞こえてたのか?!」
「冗談だが」
「うわ、墓穴掘った――!」
 と、こうして馬鹿を言い合える程度に彼等との仲も深まった。というか、意外にテオはノリが良いのだ。
 そんな彼等と別れて目的の本棚を探し、持ってきた絵本をそこに収めると、俺は最奥にある別の出口から資料室を後にし、そのまま部屋へ戻っていく。
 途中、階段を上がる手前で通り掛かった食道で、ガツガツと食事を取っているミールトの姿を見付けた。正直言って、その食べ方は綺麗とは言い難い。しかも昼間から酒を飲んでいるのか、その顔は赤くなっていた。
「……アイツ、喰ってるか怒鳴ってるかしかねぇな」
 正直仲良くなりたくないし、向こうからも嫌われ続けている。逆に、そのパートナーであるゲイルには何故か気に入られていて、先月、本気で迫られた事があった。
 風呂場で、ハダカで、何故か向こうの胸には谷間があった。そこまでは覚えているが、他の事はあまり良く覚えていない。なまじ外見は美人なだけにその魅力は凄まじく、しかしレアリィの事を考え続けて必死に逃げ出した。……もしかしたらあの瞬間、風呂場には魅了の魔法でも掛けられていたのかもしれない。
 ともあれ、それ以降一層ゲイルからの視線が強くなり……まるで蛇の体に絡め取られ、ゆっくりと絞め殺されていく最中のようにも感じられる。『向こう側』の神話にラミアという下半身蛇の存在がいたが、彼女――いや、彼からはそんな感じがするのだ。クーさんからゲイルに対して『警戒した方が良い』という話を聞いていたから、それは尚更だった。
 そう、あれは先月の終わりだっただろうか。食事を終えてレアリィ、カイナと共に部屋へ戻ろうとしたところで、クーさんから声を掛けられたのだ。
 以前とは逆と言えるその状況の中、いつものような気軽さでやってきたクーさんは、しかし俺と二人切りになるとその表情を冷たいものへと変化させ、
「ねぇお兄ちゃん、ゲイルに襲われたって本当?」
「は、はい」
「そっか。私ね、その話をさっき教えて貰ったんだけど……」そこで、珍しく表情を暗くし、「ごめんね、忠告しておけば良かった」
「どういう事です?」
 意味が解らない。そんな俺に、クーさんは壁に寄り掛かりながら、
「アイツはね、前から悪い噂が多いのよ。どうにも出世欲が高くて、隙あらば大臣や兵士団長達を誘惑してるほどでね」
「ま、マジですか」
「本当。だから真面目に警告してるの。それにアイツ、私と同じように殺しも躊躇わないようなタイプだから、下手に怒りを買うと二重の意味で襲われる可能性があるのよ」
 あと、
「今回魔王候補選出者に選ばれた事で、更に何か別の事を企んでいる可能性が高いわ。実際、ちーちゃんも警戒を始めてるの」
「だけど、一応は同じ城に勤める仲間……ですよね?」
 窺うような問い掛けに、クーさんは苦笑を浮かべ、
「どうかしらねー。こうして働いていると、どうしても派閥染みたものが出来てくるから、『仲間』っていう認識もどこからどこにまで持てば良いのか解らないのよね。ともあれ、何かあってからじゃ遅いし、お兄ちゃんも気を付けるように。解った?」
「解りました」
 よろしい、と一つ微笑んでクーさんが歩いていき……それから今日まで、ゲイルからの視線は感じるものの、直接何かされてはいない。とはいえ、聞けばその間にテオや虎落の爺さんも誘惑を受けていたらしく、魔王候補に関係する男性は全員ゲイルに狙われているのかもしれない、という事が解った。一体何を企んでいるのかは解らないものの、これからも警戒しておいた方が良いだろう。色々な意味で。
 そう思いながら部屋へと続く階段を上り始めたところで、不意に名前を呼ばれ――振り向くと、そこには夜城達が歩いてきていた。
「今日はどうしたんだ?」
 上り掛けた階段を降りながらの問い掛けに、夜城の隣に立つ少女が微笑みを浮かべ、
「ここの資料室を使っても良いって許可を貰ったから、少し調べ物に来たの」
「俺達の住んでる国にも図書館はあるが、ここの蔵書量には敵わないからな」
 そう答える夜城達は、俺達がルビドから帰ってきた頃に『向こう側』から戻ってきたようで、それからは結構な頻度で城に顔を出すようになっていた。
 しかし、彼等が『向こう側』に向かう要因である『殺人鬼』は未だ見付かっておらず、恐らく今日はその殺人鬼が残した形跡を探る為、資料室に残された新聞などを閲覧していくのかもしれない……と、そうやって二人の行動を予想出来るほどに俺達の仲は深まっている。彼等には色々と恩もあるし――それに俺は、彼等からある秘密を打ち明けられてもいた。
 それは、二人が不老不死である、という事だ。
 しかもそれは俺の友人――彼等がいうには死神――から与えられたものであり、同時に二人は俺とレアリィの出逢いにも何か裏があるのでは無いか、と少し疑っているようだった。だが俺は、そんな二人に笑みを返し、
「こうして出会えた幸せに比べたら、アイツの悪巧みなんて問題にもならないさ」
 それが俺の本心だった。そんな俺に対し、二人は一瞬顔を見合わせ、しかし同時に笑みを持つと、
「ま、確かにそうね」
「俺達も、お前と同じように思うだろうからな」
 そうして手を繋ぎ合う二人の姿に、俺は強さを感じ……そして今も二人は仲良く手を繋いでいる。その自己主張は俺とレアリィ、そしてアリア達よりも強く、深く、更にはうさぎの耳も揺れていて……って、
「……そういえば、どうして兎の耳飾なんて付けてるんだ?」
「ああ、これ?」
 俺の問い掛けに、彼女は頭の上で揺れるウサミミに軽く触れながら、
「うさぎさん装備ーってね。実はこれ、カイナが作ってくれたの」
「カイナが? っていうか、いつの間にあの子とそんな親密になってたんだ?」
 あの子は――俺と追いかけっこを繰り広げ、アリア達と触れ合い、そしてラスニチカと出逢ったカイナは、以前と比べてかなり外交的になってきた。それはレアリィも驚いている変化で、だからこうして二人とカイナが触れ合っていてもおかしくない。それでも、カイナはまだまだ他人を苦手としていて……と、そう思う俺に対し、彼女はウサミミを揺らしながら、
「二週間ぐらい前だったかな。あの子が持ってる兎のぬいぐるみにほつれがあるのに気付いて、それを教えてあげたのよ。そしたら、凄く悲しそうな顔しちゃって……思わず『直して上げようか』って言ったら、『出来るの?』って聞かれてね」
 それに出来ると答えると、カイナはおずおずとぬいぐるみを彼女に差し出したのだという。
「一緒に裁縫道具も借りて、彼女の部屋でほつれを直してあげたの。ついでに中の綿を洗ったり、取れかかってた目を留め直したりもしてね。そしたら、次に逢った時にこれをくれたのよ」
 あのぬいぐるみは、カイナがレアリィと一緒に作った手作りの一品だと聞いている。だからその思い入れも深く、喜びも大きかったのだろう。
「あの子、笑うと凄く可愛いのね。びっくりしちゃった」
 そう言って微笑む彼女と共に、ウサミミが揺れる。どうやら気に入ってくれているらしく、以前よりもその表情が明るく見えた。
 そうして俺達は他愛のない話を続け……しかし、食堂からミールトが出て来ようとしているのに気付いたところで話を切り上げた。どうせ奴はこちらに絡んでくるのだろうし、ならば面倒を回避した方がマシというものだ。俺は二人と別れて階段を上り、廊下を進み――そこで、自室へと戻ろうとしているカイナと出くわした。
 ラスニチカを背後に立たせた彼女の表情は少し眠たげだ。会議は朝から行われていたから、疲れが出てしまっているのだろう。
 俺はそんなカイナの頭を軽く撫で、
「お疲れさん、カイナ」
「……うん」
 小さく頷き、微笑みを浮かべてくれた。少し前までは俯いたままの事が多かったから、俺はその変化が嬉しく――しかし、無い筈のラスニチカの視線が痛い。
 カイナ曰く、ラスニチカは彼女を神様として見ていたらしい。だが、こうしてディーシア城で暮らすようになり、俺達と触れ合ったり、資料室で様々な知識を得たりと、『勇者』として人々を救っていた頃には知り得なかっただろう多種多様な知識を学び出した結果、彼はカイナを神として扱わなくなり、今では彼女を大事な一人娘であるかのように扱ってくれているとの事だった。
 変化してきたカイナと共に、ラスニチカも変わってきている。それはただ人を護るだけだった勇者が『家族』を知ろうとしているという事で……俺やレアリィには、それは決して悪い変化では無いと思えた。
 結果、最近ではこうしてカイナを撫でていると無言のプレッシャーを感じるようになって来た。お父さんには俺の存在が少々お気に召さないらしい。なので俺はラスニチカに少し強張った笑みを向けつつ、カイナから一歩離れると、
「部屋に居るから、何かあったら言ってくれ」
「……解った」
 そう微笑む彼女に笑みを返し、自室に戻っていくカイナを見送り……その扉が閉ざされてから部屋に戻ると、案の定疲れた顔をしたレアリィがベッドに横になっていた。
「あ、おかえり五月」
 その言葉と共に起き上がろうとする彼女を止めて、ベッドに腰掛け、
「お疲れ、レアリィ」
 微笑んで告げると、そのまま俺もベッドに横になる。
 静かで暖かな、この幸せを噛み締めるように。



 そうした日常の中で、魔王選定試験の準備は進んでいき――その月の末日、遂に試験が開始される事となった。

 魔王が決まるまでのプロセスは以下の通りだ。
 まず第一試験として筆記試験と面接が行われ、その一週間後、第一試験の結果を受けた各魔王候補別の第二試験が行われる。そしてその結果から魔王候補が二人に絞られ、最終試験と二回目の面接を経て魔王が決定する。
 とはいえ、この試験は極秘裏に行われるものである為、事情を知らない城の兵士達は大規模演習と称した訓練の為にその大半が国外へと出ており、同様にメイドさん達にも休みが与えられている(魔王候補が集まってから、実際に試験が行われるまでに時間があったのは、このスケジュールの調整の為だったらしい)。
 そうして人払いの行われた城の中で始まる第一試験。その最初の関門である筆記試験は、この国の歴史や礼儀作法などを確かめるもので、計二十問。既に俺達は会議室に用意された椅子に着いており、机の上には裏返された試験用紙が配付されていた。
 そして、この後に行われる面接で何を聞かれるのか、それが先に先生の口から発表された。
「『魔王になった時、貴方は何がしたいのか』。それを答えて貰いますので、各自考えを纏めておいて下さい」
 まさか面接で聞かれる内容が先に提示されるとは思っていなかった為、俺は少し驚き、しかし同時に答え難い質問だな、とも感じた。
 それが『何をしていくのか』という質問なら、誰もが良い顔をする為に『この国を良くしたい』などと答える筈だ。だが『何がしたいのか』と具体的な答えを問われると、その答え方も変わってくる……筈だ。
 駄目だ、正直緊張のせいか自分の考えが正解なのか不正解なのか良く解らなくなってきた。なんか良い感じにテンパってるな、俺。
 だが、試験は待ってくれない。
「――では、筆記試験を始めます」
 凛とした先生の声が響き、そして魔王候補達が配られた試験用紙へと視線を落としていく。
『こちら側』に来てからレアリィ達に教わった事、そして過去の記憶と共に思い出した事を十分に活用しながら、一問一問問題を解いていく。だが、学校の試験などとは違う為、その内容は簡単で……だからこそ、これで何を判断するのかが気になってしまう。
 魔王は傀儡として扱われる。ならばこの筆記で点数を取った方が有利になるのか、或いはこういった問題すらも解らない愚鈍の方が扱い易いと判断されるのか、良く解らない。
 それでも俺は、真剣に問題を解いていく。 



 筆記試験終了後、十五分の休憩を挟んでから面接が行われる事となった。その順番は以前の自己紹介とは逆で、ミールト、虎落の爺さん、ラスニチカ、アリア、俺の順番で行われていく。
「って、ラスニチカはカイナを介さないと会話が成り立たないような」
 思わず呟いた疑問に、筆記試験の最中は席を外していたレアリィが、面接へと向かっていくラスニチカを見ながら、
「筆談を行うみたいですよ。カイナが言ってました」
「あ、その手があったか」
 というか、何故今までその方法に気付かなかったのだろうか。こうして筆記試験を平然と受けているという事は、ラスニチカは識字能力を持っているという事になるのだし。
 あとで彼とじっくり話をしてみるのも良いかもしれない。そんな風に思っている間にも、面接試験は順調に進んでいき……そうして、すぐに俺の番となった。
 既に試験を終えたミールトや爺さん、それにラスニチカは試験会場となっている会議室から姿を消していて、今もアリアとクーさんが部屋を出ようとしているところだった。その二人に「頑張って」と小さくも力強い声援を受け、そしてレアリィの「頑張ってね、五月」という声に頷きを返し、俺は大臣達の待つ部屋の扉をノックした。
「失礼します」
「どうぞ」
 その言葉に頷くように扉を開き、部屋の中へ。八畳ほどの部屋には三人の大臣が椅子に腰掛けており、彼等の前には横に長い机が一つ置かれている。そしてそこから少し離れたところに椅子が一つあり……就職時の面接も確かこんな感じなんだよな、と頭の隅で思いながら、俺は椅子の隣に立った。そして大臣達を真っ直ぐに見つめ、
「まどり、さつきです。宜しくお願いします」
 言って頭を下げ、そして促されるままに椅子へ腰掛ける。すると、すぐに言葉が来た。
「さて、真鳥君。面接は君で最後になる。……そう緊張せず、リラックスして答えてくれれば良い」
「は、はい」
「では早速だが、魔王候補である君に質問をしよう」
 三人の内の正面。俺達を毎回君付けで呼ぶ、恐らくこの中で一番立場が上なのだろう男が問い掛けて来た。
 それは、
「――もし魔王になれなかった時、君はどうしていこうと思っているのか。その予定を聞かせて欲しい」
「――」
 し、質問が違う! そう思った瞬間頭の中が真っ白になり、しかし「はい、」と咄嗟に呟いて一瞬の間を作り出す。そして大臣の顔を見つめながら、俺は一つ息を吸い、必死に動揺を抑え、
「こ、この国で、暮らして行きたいと考えています。幸いにも私は、兵士見習いから兵士となる事が出来そうですので」
 それはイフナから直接教えられた事だ。このまま鍛練を続けていけば、来月にも見習いが取れると。それは大臣達も知るところなのか、彼等は一つ頷き、
「だが、どうやら君はこちらの事情を少々知り過ぎているようにも思える。それについての落とし前はどうつけるつもりかね」
 やっぱりバレてる――?! 途端、押さえ込んだ筈の動揺が改めて顔を出し、緊張に頭が真っ白になる。正直逃げ出したい。だが逃げられない。
 俺は逸らしそうになる視線を必死に維持したまま、どうにか言葉を返した。 
「……は、はい、ですがその、事情と言われましても、私には何の事だか解りません」
 嘘だが。とはいえそれを突き通すしかない。だが、どうやったら言い逃れが出来る? 考えろ考えろ考えろ。……ダメだ、何も思いつかない。ええい、自棄だ。こっちの事情を話して納得させるしかない!
「……じ、実は私は、この世界の住民ではありません。しかし、三ヶ月前に前世の記憶を取り戻し、この世界に順応する事が出来るようになりました」
 ああ、普通に聞いたら正気を疑われるような話だ。だが、俺は言葉を続けるしかなかった。
「それは、皆さんが魔女と呼ぶ女性に聞いて下されば、と思います」
「もしや、君が彼女の探し人だったのか?」
「そうです」
 どうやら他の二人の大臣は先生の『探し人』については知らなかったらしく、首を傾げている。しかし俺の事を君付けで呼ぶ大臣は詳しい事情を知っているのか、こちらを真っ直ぐに見つめながら、
「そうか、ならばこちらの勘違いだったようだ。すまないな、真鳥君」
「いえ、別に」
 誤魔化せた……のか? 解らない。何せ大臣の表情は殆ど変化していないのだ。そんな俺に畳み掛けるように、大臣は質問を続けた。
「では、改めて問おう。――君は、魔王になった時に何がしたいのかね」
「はい。私は――」
 この世界で生きると決めた時から、ずっと考えていた事だ。俺は、それを大臣達に話していく。 
「私は、正直に言うと、自分が魔王になれるような器であるとは思っていません。学も無いですし、剣もようやく一人前になってきたくらいですので。それでも、もし魔王になれたならば、」
 告げる。
「このディーシアが、昨日と同じ平穏の続く国であり続けられるよう、尽力したいと思っています。この国には恋人が、友が、恩師がいます。ですから私は、彼女達の幸せを守れる王になりたいのです」
 対する大臣は俺の言葉に頷き、そしてこちらを試すように、
「……それが夢物語だとしても? 物事は一筋縄ではいかず、否定したい選択を迫られる事もあるだろう。それでも君は、この国の平穏を願えるのかね?」
 それは大臣達の傀儡になっても自分の意思を貫くのか、という事なのだろう。
 だから俺は肯定する。
「願えます。その選択が、この国の平穏に繋がるのならば」
 というよりも、
「この国の平穏を現実にする為に、こうして魔王を選んでいるのではないのですか?」
 魔王は大臣達の傀儡であるらしい。だがそれはルビドのように大臣達が自らの利益を求めた結果のものではなく、この国を、『魔王』という存在を存続していく為に取った手段の筈だ。
 そう思う俺の問いに大臣達が少し驚き、そして笑みを浮かべると、
「そうだな、確かにその通りだ。……ありがとう真鳥君。面接はこれで終了だ」
「有り難う御座いました」
 その場で深く頭を下げ、立ち上がり、俺は粗相の無いように部屋を出て……不安そうにしながら待っていてくれていたレアリィの姿が視界に入った瞬間、ようやく緊張が抜けてくれた。
 俺はそのまま苦笑を浮かべつつ、
「ようやく終わったよ」
「お疲れさま、五月。でも、アリア達よりも時間が掛かってたけど、何かあったの?」
「実はさ……」
 俺はレアリィの手を無意識に取り、部屋を出ながら面接の内容を話していく。
 そうして廊下を歩いていくと、後方から足音が一つ。曲がり角を曲がる時にそれとなく相手を確認すると、ゲイルが会議室へと入っていくところだった。もう試験は終了したというのに、一体何の用なのだろうか。
 一瞬疑問を感じつつ、しかし聞き耳を立てた日にはナニをされるか解ったものではない。後で先生に報告しておこうと決めて、俺はレアリィと共に部屋へと戻った。



 一週間後。
 第一試験の結果が出るその日、俺は嫌になるほどの緊張と共に会議室へと向かっていた。
 隣を歩くレアリィは「この結果で魔王が決まる訳じゃないから」とフォローをしてくれているが、しかしここである程度の順位が決められてしまっているのも確かだろう。例え個別の試験で巻き返せるとしても、スタートで追い抜かれてしまっていては追い掛けるのも大変になる。
 何より、『試験の結果が出る』という事実がどうしても緊張を加速させるのだ。どうやら俺はそういう『未来が決まるかもしれない結果』の発表が凄まじく苦手らしい。昨日は殆ど眠れなかったし。
 なので俺達は少し早く部屋を出てしまっていて……案の定、会議室には誰もやって来ていなかった。
「誰もいないね」
「ごめん、流石に早かったみたいだ」
 レアリィと共に椅子へ腰掛けながら、少し早起きをさせてしまった彼女に謝る。しかしレアリィはそれに小さく首を振り、
「五月ほどじゃないけど私も緊張してるし、お互い様だよ」
「そうなのか? あんまり緊張してるようには見えないけど」
「内心の動揺を見せないようにって先生に良く言われてて、それを隠せるように努力もしてるから。……まぁ、全然だけどね」
 そう言って苦笑するレアリィは、確かにすぐに感情が表情に表れる。それでもこうした城での仕事には慣れがあるのか、いつもよりはその内心を隠せているようだった。
 そうして二人で取り留めのない話をしながら時間を潰していると、会議室の扉が開き、
「おはよう、二人とも」
「おはよう、真鳥君、コースト君。君達が一番乗りだったようだね」
 先生と、大臣達三人がやってきた。それに返事を返すと、大臣は俺達の――いや、俺の緊張する様子に小さく苦笑し、
「発表までまだ少し時間がある。真鳥君もそう硬くならず、リラックスして待っていて欲しい」
「は、はい」
 俺の答えに頷き、大臣達が会議室奥にある小部屋へと入っていく。その様子をレアリィ、そして先生と見送り、
「……でも、やっぱ緊張するな……」
「意外ね。こういう時は平然としていると思ってたけど」
 椅子に腰掛けながら言う先生に、俺は苦笑を返し、
「自分でも意外ですよ。まさかこんなにも緊張に弱いなんて――」
 と、その瞬間、大臣達の入っていった部屋から大きな破砕音が響いた。
「――って、今のは?!」
「ッ!」
 俺の叫びと同時に先生が立ち上がり、慌てた様子で部屋へと駆けていく。それに続くように俺達も立ち上がり、用意された机や椅子の間を縫って部屋へと入り――
「な、なんだよこれ!」
 部屋の壁に大きな穴が開き、その破壊による埃で内部が見渡せない状況となっていた。それでも先生は部屋の奥へと入っていき、不意に何かに気付くと、
「大丈夫ですか?!」
 焦りを含んだその声に慌てて駆け寄ると、大臣が床に倒れていた。先生に抱き上げられたその人は、俺の事を君付けで読んでいた男性で……剣で斬られたのか、その胸元は鮮血に染まっていた。
「賊だ……。魔女よ、すぐに奴等を追ってくれ……」
「ですが、」
「斬られたのは私だけだ……。他の二人は、恐らく人質として使われる筈だ……。魔女よ、問題が大きくなる前に、早く……」
 その言葉に先生が逡巡を見せ、しかし強く頷くと、
「解りました。――レアリィ、傷の治癒をお願い!」
「は、はい!」
 そうして先生は床にそっと大臣を寝かせると、杖を手に穴の向こうへと駆けて行く。それと同時にレアリィが詠唱を始め、俺も先生の後を追う為に駆け出そうとし、
「……真鳥、君」
「は、はい!」
 弱々しく、しかしはっきりと告げられた声に思わず動きを止める。大臣は苦しげな表情を浮かべつつ俺を見、そしてレアリィを見ると、
「……コースト君、私の手当ては、良い……。どの道、もう助からんよ……」
「で、ですが!」
「それよりも、真鳥君に聞いて欲しい事が、ある……」
 そして大臣は深く息を吐くと、苦しげに、だが俺をしっかりと見ながら、
「……実はな、君が全ての事実を知っていた事は、魔女から聞いていたんだよ。故に我々は、君をすぐに排除しようとした……。だが、どうだろうか。当の君は、純粋にこの国を想っているように感じられた……」
 苦しげに、荒れた息を吐きながら、
「ならば、君のような若者を魔王にするのも、良いのではないかと、思えたのだ……。駄目ならばすぐに次を用意すれば良し、もし大丈夫ならば……我々は、魔王と共にこの国の歴史を支えていけるかもしれなかった……」
 彼等はずっと歴史の裏舞台から魔王を操ってきた。しかし実際には、
「我々は、過去の『魔王』に縋っていただけだったのかもしれない……。だから偽者を用意し続け、自分達を騙し続けた。……君のような若者が魔王候補に選ばれる事は、今までにも何度かあっただろうにな……」
 だが、彼等はそれを切り捨ててきた。それがこの国の歴史を潰してしまうかもしれないと恐れて。
 それでも、大臣は可能性を捨て切れなかったのだ。
「だから、我々は……」
「も、もう喋らないで下さい!」
「……真鳥君。君は、この国を、この国の未来を……」
 幸せに、してくれるだろうか。
 その言葉と共に、大臣の体から力が失われ――そのまま、言葉を紡ぐ事は無くなった。
「……」
 なんだ、これ。
 何なんだ、これは。
 今日は試験の結果を聞いて、それに一喜一憂しながら過ごす日ではなかったのか?
 どうせ俺は悪い結果で、それをレアリィに慰められて、それでも明日からの試験を頑張っていこうと、そうやって終わるような平凡な一日じゃなかったのか?
 待てよ。
 待ってくれよ。
 昨日までこんな状況になる切っ掛けは無かっただろ?
 それなのに、どうして――
「――」
 不意に、クーさんからの忠告を思い出す。
 シャルク・ゲイルが何かを企んでいるかもしれないというその話は、しかし彼からの干渉を避け続けてきた俺にはその実体を掴めないものだった。
 いや、逆なのか。クーさんの忠告があったから、俺はその本性を知らずに済んでいたのかもしれない。
 そう思う俺の耳に、会議室側からこの部屋へと入ってくる足音が響き――高いヒールの付いたブーツで床を鳴らしながら現れたのは、顔に笑みを貼り付けたシャルク・ゲイルだった。
 彼は平然とした様子で癖のある髪を掻き揚げ、レアリィに支えられた大臣の遺体へと視線を落とし、
「ソレ、もう死んじゃったかしら? 出来ればあたしが止めを刺したかったんだけど……まぁ、五月ちゃん達が居たんじゃしょうがないか」
「どういう、事ですか」
 強張ったレアリィの問い掛けに、ゲイルは笑みを強め、
「あら、そのままの意味よ。ソイツを殺したかったなぁってだけ」
 色気のある、この場には全く相応しくない笑みを浮かべる彼は、しかし何か気付いたように、
「ああ、もしかして、あたしがソイツを殺そうと思った理由を聞いてるの? だったらもっと簡単よぉ」
 だって、
「あたしが一番になれない試験なんて、無効に決まってるじゃない。だからソイツを殺す事にしたの。出来れば五月ちゃん達をあたしの仲間にしておきたかったけど、それも上手く行かなかったしねぇ」
 意味が解らない。そんな俺達を前に、ゲイルは楽しげな笑みを浮かべ、
「だからやり直す事にしたの。自分に不都合な現実なんて、壊しちゃえば良いんだから」
「そんな理由で、賊を仕向けたのか? 大臣を殺したのか?!」
 掴み掛からん勢いでの問いに、しかしゲイルは動揺した素振りも無いまま、ステキナエガオで頷いてみせた。
「ええ、その通りよ」
「お前――!」
 叫びと共に立ち上がり、飄々とした態度を崩さないゲイルへ殴り掛かる。だが、それを軽く回避され、
「うふふ、五月ちゃんは怒った顔もステキねぇ。お姉さんゾクゾクしちゃう。だから五月ちゃんは――」
 後方に一歩下がると同時に、ゲイルが腰に差した剣の柄へと手を伸ばし――口角を上に釣り上げたアルカイックスマイルを浮かべ、
「――せめて苦しまずに殺してやるよ!」
「ッ!」
 恐らくはそれが素なのだろう男の声でそう叫び、振るわれた一刀を寸でのところで回避する。同時にレアリィが詠唱を始め、その時間を稼ぐ為に俺は丸腰のままゲイルと相対する。
 結果を聞くのも試験の内だろうと判断し、今日は帯剣してこなかったのだ。こんな事ならナイフを一本懐に忍ばせておけば良かった。そう思ったところで何もかも遅く、怖気すらも感じられる笑みを浮かべるゲイルの一撃を再度回避し――その刹那、追撃の為に返された相手の剣に、床から伸びた何かが絡み付いた。
 途端、ゲイルが舌打ちと共に、
「紫藤か!」
「その通りです、シャルク・ゲイル」
 響く声は床下から。それに思わず視線を向けた所で、床に広がったゲイルの影がぐにゃりと歪み、そこから紫藤さんが現れた。
「し、紫藤さん?!」
「説明は後です。真鳥様はコースト様と共にここから御避難を!」
「させるかよ!」
 叫びと共にゲイルが剣を引き抜き、現れた紫藤さんを両断するように剣を横に振るう。対する紫藤さんはその刃へ右手をかざし、そこに黒色の盾を生み出した。彼女は光を透過しないその不可思議な盾でゲイルの剣を防ぎ、更に床に広がる自身の影から弾丸のように影を撃ち出していく。
 だが、ゲイルはそんな紫藤さんとの戦い方を熟知しているのか、怯む事無く剣を振るい、影――黒色の弾丸を撃ち落す。その刹那、会議室側から駆けて来る新たな姿があった。
「クーさん!」
 俺の声に答える事無く、彼女は氷のように冷たい瞳でゲイルを睨み、杖先に生み出した刃で容赦なく斬り掛かる。同時に紫藤さんが踊るように後方へ下がり、クーさんを援護するように黒色の弾丸を放ちながら、
「後はお任せします!」
 その言葉と共に俺の手を掴むと、紫藤さんはクーさんを護るように魔法を発動させていたレアリィの手も掴み――その瞬間、床が柔らかくなったかのような感覚と共に、体が一気に沈み込み、
「な、なんだ?!」
 困惑と共に叫び上げた途端、視界が黒一色に塗り潰され……不意にそれが消え失せたかと思った時、俺は会議室ではなく見慣れた自室に立っていた。
 空間転移? そう思う俺の手をそっと放し、紫藤さんがこちらの視界に入ると、深く頭を下げ、
「これが私の能力です。今まで隠しておりました御無礼を、ここに御詫び致します」
 そんな彼女を補足するように、レアリィが掲げ続けていた杖を下ろし、
「姉さ――ミナの能力は、影を操る事が出来るという、この世界で唯一のものなんです。今のは、その力を応用した転移だと思ってください」
 光あるところに生まれる影。それを自由自在に操る事の出来るその力は、他人の影に隠れて移動を行ったり、影そのものを操り武器とする事も可能とする力であるらしい。
 思い返してみれば、初めてクーさんと出逢った時、城に居る筈の紫藤さんが突然現れ、そして先生はそんな彼女を『影』だと言っていた。それはこの能力によるものだったのか。
 そう納得する俺に、紫藤さんは自身の影から黒色の短剣を取り出しながら、
「現在、城には複数の賊が入り込んでいます。私はこれよりそれの迎撃に向かいますが……真鳥様はコースト様と共に御逃げ下さい」
「いえ、俺も戦います!」
「お言葉ですが――」と、そう紫藤さんが言葉を重ねようとした瞬間、窓の向こうから轟音が響き渡った。巨大な破砕音と共に響いたそれに、思わず窓へと駆け寄ると、そこには信じられない光景が広がっていた。
「城壁が……!」
 城と城下街とを隔てる石の壁が、城門を巻き込みながら破壊され始めていた。大規模な魔法を打ち込まれたのか、崩れた城壁の向こうには多数の魔法陣が存在しており――更にそれを上塗りするように魔法陣が生み出され、同時に大量の剣士達が城の敷地内へと雪崩れ込んで来ていた。
 その服装、動きに統一感は見られない。だが、彼等が街の方角から現れた以上、国民を人質に取られている可能性が――いや、それよりも、
「いつの間にあんな大部隊を用意していたんだ?」
 恐らく指揮官はゲイルなのだろうが、彼がこの城に戻ってきてから、城下街で怪しい動きは生まれていなかった筈だ。そう思う俺に、紫藤さんが剣士達を睨みながら、
「恐らく、シャルク・ゲイルが裏から糸を引き、少しずつディーシアへ部下を集めていたのでしょう。もしかすると、私どもとも顔馴染みの者も存在するかもしれません」
 それは、新しく現れた隣人が、この国に反逆をもたらす敵であったかもしれない、という可能性だ。悪人が悪人の顔をして現れる事は無い、とは解っていても、俺はその事実に動揺し、同時に何もかも信じられなくなるかのような薄ら寒さを感じた。
 紫藤さんはそんな俺に視線を向けると、
「先ほど、真鳥様は御自分も戦われると仰られました。ですが、御無礼を承知で申し上げます。……真鳥様の実力は、まだこの国の一般兵に届いておりません。それでは死にに行くようなものです」
「ッ!」
 自分の実力は自分が一番良く理解している。だからこそ紫藤さんの言葉が悔しく、何も出来ない自分が情けない。そんな俺に対し、紫藤さんは言い諭すように、
「逃走は愚かな事ではありません。むしろ戦場で最も愚かなのは、」
「――無謀である事。それは俺にも解ってます」
「ならば、今は御逃げ下さい」
 その言葉と共に深く頭を下げると、紫藤さんの体がずぶりと影に沈んでいく。その刹那、彼女はレアリィを見上げ、
「――気を付けて、レアリィ」
 途端、レアリィが驚きを浮かべ、しかしすぐに頷くと、
「姉さんも気を付けて!」
 響いた言葉に紫藤さんが頷き返し、そして影ごと彼女の存在が部屋から消え失せた。恐らく紫藤さんは先生のところへと向かい、捕らえられた大臣達を助ける為にその力を発揮するのだろう。
 だが、俺には何も出来ない。
「……」
 レアリィと二人きりになった途端、何を言って良いのか解らなくなった。今の俺には、愛する彼女を護り切る力すら無いのだから。
 しかし、レアリィはそんな俺の手を取ると、
「大丈夫だよ、五月。貴方が私を護ってくれるように、私も貴方を護るから」
「レアリィ……」
 途端、自分の自惚れに気付く。
 過去のあの時とは違い、今はレアリィも戦う事が出来る。それを忘れて『自分が彼女を護らなくては』と思うのはただの傲慢だ。それは『彼女を戦わせたくない』という気持ちから生まれるものだが……しかしレアリィは、俺を護ると、そう言ってくれたのだ。ならばそれに答えるべきだろう。
 俺は真っ直ぐにこちらを見つめるその蒼い瞳に頷き返し、自身の剣と鎧に手を伸ばす。

 そうしている間にも破砕音は続き、城は平穏から程遠い戦いの空気に包まれていく――





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