帰り道にて。

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 翌日。
 戦闘の傷跡が残っているとはいえ、ある程度の活気を取り戻したルビド国を軽く観光した後、俺達は港町ダイナモへと戻る船の乗船券を買い、行きの船よりも少しだけ広い客室に乗り込んでいた(あっさりとカイナの候補が見つかった為、少し奮発する事が出来たのだ)。
 とはいえ、ラスニチカをそのまま乗船させる訳にはいかない。なので彼には再び鎧へと戻ってもらい、荷物として船に積み込む事となった。
「……それで良いのか、とか思わない事もないけどな」
 船に備え付けられた硬いベッドに腰掛けながら、半ば独り言のように呟く。すると、俺の隣に腰掛けていたカイナが、その黒いドレスの胸元にそっと手を添えながら、
「……彼はここに居るから」
「ここって……カイナの胸の中って事か?」
「うん。……わたしの魔法は、命を与えて、それを預かるものなの」
 そうして教えられたカイナの魔法は、正直俺の予想していたものとは全く違っていた。それでも自然と受け入れる事が出来たのは、操られているのではなく、まるで自我があるように動き回っていたぬいぐるみを見ていたからなのだろう(というか、実際に自我があったとは)。
「それに……今は、離れていても彼の声が聞こえるから」
 カイナが言うに、今まではラスニチカに触れていなければその声が聞こえなかったらしい。だが、こうして命を預かった事で魔法による繋がりが出来、今も彼女にはラスニチカの声が聞こえるのだという。
「って事は、そのぬいぐるみの声も聞こえるのか?」
 問い掛けに、カイナは小さく首を振り、
「……この子達は喋れないの。でも、何を想っているのかは解るから」
 その言葉と共に小さく微笑むと、カイナは抱いていたぬいぐるみを優しく抱き締め直したのだった。



 その後、特に問題無く時間は過ぎていき……喉の渇きを覚えた俺は、レアリィから空になっていた水筒を借り、食堂へと水を貰いに向かっていた。
「やっぱり混んでるな」
 昨日の時点で無理矢理出航した船が多くあったらしいが、しかしこのルビド港は多くの客船、漁船、貨物船が停泊する巨大な港だ。その封鎖が解かれた明朝から次々に船が入り、人の流れが出来上がっている。当然中には他大陸からこの南方三国へ観光に訪れ、しかし国内の状況を知って別の場所へ予定を変更した旅行客なども多く存在している筈だ。そういった人々がこの船に乗り、この大陸の北部――恐らく、俺達が帰ろうとしているディーシア辺りへと観光に向かうのだろう。
 そう思いながら食道へ辿り着くと、混雑するその中にお茶を飲むアリアとテオの姿があった。
 と、アリアが俺に気付き、手を振りかけて慌てて止める。その様子に苦笑しながら席に近付くと、アリアは少し赤い顔で、
「また勘違いさたら大変だよね」
「全くだな」
「とはいえ、何かあったら俺がアリアを護る。だから大丈夫だ。それで、サツキは一人でどうしたんだ? というか、君が一人というのも珍しいな」
「ちょっと水を貰いに来たんだ。でも……」言いながら俺は苦笑し、「ここでお茶を貰えるなら、レアリィ達を連れてきても良かったな」
 だが、ここまで混雑している中にカイナを連れてくるのは酷かもしれないな。そんな風に思いながらアリア達と別れると、俺は皿の片付けを行っている船員に声を掛け、水筒を預けた。
 そして厨房へと向かって行った船員を見送ってから、何気なく食道を見回してみる。すると、広い食堂の一角で人だかりが出来ているところがあった。
 どうやら席に付いた老紳士が何かを行っているようで、彼が何事かを言う度に、その対面に腰掛けた女性が驚いたり頷いたりしていて……その女性が席を立つと、すぐにまた若い女性が椅子に腰掛けた。
 その机にはもう一人、二十代後半だろう端整な顔立ちの男性が腰掛けており、時折老紳士に何か呟いていた。その親しげな様子を見るに、恐らく老人の関係者なのだろう。
 そんな風に思っていると、水筒を預けた船員が戻って来た。俺はそれに感謝を述べつつ、
「あれ、一体何をやってるんスかね」
「占いだそうですよ。結構当たるらしくて、ルビドに寄航するまでの間は今以上の人だかりになってましたね」
 では、良い旅を。そう言い残して仕事に戻っていく船員にもう一度感謝を告げて、俺は重さを増した水筒を手に歩き出す。
 占いに興味が無い訳ではないが、こうして他世界に渡り、過去の――前世の記憶を取り戻した今、自分の未来に確定された何かなどは存在しないように思えて、占って貰うだけ無駄に思える。
 この先が幸福ならそれで良いし、何か悪い事があるならレアリィと共に乗り越えるだけだ。幸いにも、俺には先生やカイナ、それにアリア達といった仲間も居るし……と、そんな風に思っていると、占い老人と同じ机に着いていた男性が席を立った。
 俺はその姿を無意識に目で追い、男性が腰に剣を差している事に気付いた。いや、俺も帯剣しているが、彼のそれは俺の持つものよりも細く長い。同時に、男性が着ているものが着物に似たものであると気付き――それはどこか、江戸時代の武士のようで、
「……こっちの世界の侍ってのは、あんな感じなのかもな」
 そう思いながら突っ立っていると、視界の端にこちらへとやって来る大柄な男の姿が見えて、無意識に一歩前へ。そんな俺の背後を男が通っていく。男は混雑する食道の中を我が物顔で闊歩し、自分から道を譲るという様子が全く見られなかった。
「ああいうのも居るんだな、やっぱ」
 無意識にそう呟いて、不意に一ヶ月ほど前にエンカウントしたならず者達を思い出し……そのままクーさんの起こした惨状まで思い出してしまって、流石に気分が悪くなる。やっぱりさっさと部屋に戻ろう。そう思いながら占い老人に背を向け、部屋へと歩き出したところで、
「邪魔だ、退け!」
 という怒声と、若い男性の呻き声、同時に数人の女性が上げる悲鳴が聞こえ、思わず背後に視線を向けた。すると、老人の正面の椅子に腰掛けようとしていたのだろう若い男性を押しのけ、先ほどの大柄な男が椅子にどかりと腰掛けたところだった。
 とはいえ男に対して椅子が小さいのか、木製のそれがみしりと音を上げる。それを構わずに男は机に顔を乗り出し、まるで老人を掴み上げるようにしながら、
「おい爺、俺様を占え」
 横暴な態度の男に対し、しかし老人は飄々とした様子で、
「なんじゃ、乱暴な奴じゃのう。……まぁよい、そこの若いのには悪いが、先にお主を占ってやろう」
 その言葉と共に、老人が何か小さく呪文を唱え……男と老人の間に魔法陣が生まれたと同時に、男の短い髪が風に吹かれたように小さく揺れた。どうやら老人の占いは魔法に依るものらしく、机の下から上げられた手には杖が握られていた。
「……視えたぞ」言葉と共に、灰色の髪を持った老人が男を見つめ、「お主、あまり良くない相が出ておるな。自分の行動には慎重になった方が良いじゃろう」
「あぁ? この俺様が慎重じゃねぇってのか?」
「その通りじゃよ。……ふむ、どうやらお主はそれ以外にも思慮に欠け、集中力に乏しく、激昂し易く偏屈で――」
 心から残念そうに、老人が息を吐き、
「――何より馬鹿じゃ。こう言っては何じゃが、お主は救いようが無いのぅ」
「な、嘗めた事言ってんじゃねぇぞ爺!!」
 その言葉と共に男が椅子を弾きながら立ち上がり、思い切り机に拳を振り下ろした。その瞬間、酷く歪な音が上がり……一体そこにどれほどの力が籠められていたというのか、机に大きな穴が開き、破砕されたそれがくの字に崩れていく。そして男は苛立たしげにその場から一歩離れると、椅子を思い切り蹴り飛ばし、
「何が占いだ! ボケた事ほざいてねぇでさっさと死ね、糞爺!」
 そうして、男は肩を怒らせながら食道を出て行く。
 騒がしかった食道は完全に静まり返り、そして蜘蛛の子を散らすかのようにあっという間に人々が食道から居なくなっていく。我関せず、というより、危うきに近付かず、といったところだろうか。それでも俺は占い老人のところへ駆け寄り、椅子から落ちてしまったその体を支えると、
「大丈夫ですか?」
「おお、すまんな若いの。私も年を取ったものだ」
 皺の多い顔に、更に苦笑の皺を刻みながら老人が呟き、そして再び椅子に腰掛ける。と、厨房から慌てた様子で船員が数名表れ、
「い、一体何があったんですか?!」
 困惑している彼等に事情を説明すると、船員達は顔を見合わせ、
「……あの男か」
「知ってるんですか?」
「い、いえ、実は昨晩も食道で騒ぎがありまして……。恐らく、その時の方かと」
 どうやら酒に酔うと暴れたくなる奴というのはどこにでもいるらしい。それでも、俺達が遭遇した酔っ払いより、今の大柄の男の方がかなり性質が悪そうだったが。
 そんな風に思っていると、老人が杖先を破砕した机に向け、
「取り敢えず、私が補修しておこう。まぁ、一時しのぎにか過ぎんが、このまま机を一つ潰してしまうよりましじゃろう」
「どうにかなるんですか?」
「まぁ、見ておれ」
 その言葉と共に、ゆっくりと詠唱が始まった。それと同時に杖先に白く輝く魔法陣が生まれ――そして、風が吹いた。途端、散らばっていた机の破片が一ヵ所に纏まり始め、まるでパズルピースを組み合わせていくかのように一つになっていき、
「――っと、こんな感じかのぅ」
 魔法陣が消滅した後には、中心に向かってくの字に折れて壊れていた机が元通りになっていた。それに船員と共に感嘆の声を上げると、老人は笑みと共に、
「なに、風の魔法でそれらしく固定しただけじゃよ。ダイヤモに付いたら、私が修理費を出そう」
「ですが、お客様は被害者で……」
 そう告げる船員に対し、老人は机に着き直しながら、
「良いんじゃよ。言わなくて良い事を言ってしまったこちらが悪いんじゃからな」
 そう言って笑う姿に悪びれた色は無い。もしかすると、この人にとってはああして怒鳴られるのは日常茶飯事であるのかもしれない。そんな事を思っていると、船員の代表なのだろう男性が一度机の様子を確認し、
「では、ダイナモへと寄港した際、改めてお話を窺わせて頂く事にします」
 そうして船員達が持ち場へと戻っていき……さて俺も部屋に戻るか、と思ったところで、アリア達がこちらにやって来ているのが見えた。彼女は心配げな表情で老人の元へ歩いていき、
「あの、大丈夫ですか、お爺さん」
「大丈夫じゃよ、お嬢さん。五月蝿くしてしまってすまんのぅ」
「しかし、凄まじい男だったな。まさか机を破砕するとは」
 一応は元通りになった机の様子を見ながら言うテオに、しかし老人は軽く首を振り、
「なに、あんなものはただ見せ掛けじゃよ。見たところあれは魔法の加護によるものじゃろうから、相殺魔法を放てばすぐに木偶の坊になろうて」
「……爺さん、結構辛辣なんスすね」
「いやいや、客観的な事実、と言う奴じゃよ」
 そう言って老人は笑みを深くし、しかし不意に『良い事を思い付いた』という顔をすると、
「こうして顔を合わせたのも何かの縁じゃからな。若いの、それにお嬢さん方も私が占ってやろう」
「や、俺は別に、」
「何じゃ、お主は占いを信じておらんのか? なら、今から言うのは老人の戯言じゃ。さぁ、座った座った」
「いや、戯言の方がもっとアレなんですけど……」
 だが、向こうの乗り気を無碍にするのも何だろう。俺はアリア達に苦笑しつつも椅子に腰掛け、老人と対面し――そしてその唇が詠唱を始めると同時に、目の前に魔法陣が現れた。
 そして、顔面を風が吹きぬけていき――過去にも似たようなのを感じた事があったな、と思いつつ混濁した記憶を無意識に辿っていると、老人が表情を真剣なものにし、
「ふむ、お主の未来は明るいようじゃな。しかし、影も存在しておる。それもかなり大きなものじゃ」
「影?」
「言い換えれば、『悪い気配』と言った感じじゃな。具体的にどうこうとはいえんが、お主に直接悪い事が起こる暗示じゃよ。何か重い怪我や病気をするかもしれん」
「重い怪我や、病気っスか……」
 占いを信じていないとはいえ、こうして断言するように言われてしまうと不安になる。そんな俺に対し、しかし老人は笑みを浮かべ、
「なに、そう心配するでない。それは今の時点での事なんじゃからな。ここから気を付けていけば、その影も振り払う事も可能じゃよ」
 何故なら、
「未来というものは、人が思っている以上に簡単に変わるもの。今ここで『何か悪い事が起きるかもしれない』と知らされた以上、お主は気を付けるじゃろう? じゃから大丈夫なんじゃよ」
 つまり、悪い事を警告された時点で、そこに至る選択肢は減っていくという事だ。逆に、良い事があると言われればその幸福に向けて人は動いていくから、選択肢は広がりを見せていく事になる。
 それに安堵を得ていると、老人がそれを後押しするように、
「全ては気の持ちようという事じゃな」
 とはいえ、『何か起きるかもしれない』という可能性は提示されたのだ。一応は気を付けて生活していく事にしよう。そう思いながら老人に感謝を告げ、椅子から立ち上がったところで、席を立っていた男性が戻って来たのが見えた。
 彼は人が一気に減った食堂の様子に驚きを浮かべ、少々急ぎ足でこちらに向かってくると、
「何かあったのですか?」
「おお、草薙の。すまんな、お主の忠告があったのに、少々騒ぎを起こしてしもうた」
「いえ、虎落(もがり)殿が無事ならば良いのですが……」
 そうして、やってきた男性――草薙は虎落から事情を聞き、そして顔に静かな怒りを浮かべると、
「あの男……難度か自分の方を注視している事がありましたが、まさかこちらが席を外した隙を狙うとは」
「いやぁ、それは偶然じゃなかろうかのう」
「いえ、そんな筈はありません! ここは自分が直接裁きを――」
「待て待て待て、そこまでしてくれんでも大丈夫じゃよ。私はこうして無事なんじゃから」
 そう相手を落ち着かせるように言う虎落に、草薙は「……解りました」と一つ頷き、
「それで、この方達は?」
 俺達を見つつの問いに、虎落は楽しげな笑みを浮かべ、

「歴史を変える者達、じゃよ」





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