カイナの選択。

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 黒騎士が――勇者と呼ばれ、しかし人々に牙を向いた漆黒の鎧がカイナによって倒されてから約三時間後。
 ルビド港にある宿屋の一室で、俺はアリア達と共にカイナ達の帰りを待っていた。
「しかし、サツキも城に向かわなくて良かったのか?」
「さっき説明したように、俺には過去の記憶があるが、どうしても知識は『向こう側』が基準になってるんだ。だから迂闊に喋ってボロを出すより、レアリィ達に任せた方が良いと思ってさ」
「謙虚だな」
「テオと一緒だ。自己主張するべき時はしっかりするよ」
 笑みと共にそう言って、お茶を一口。そうして他愛も無い話をしつつ時間を潰していると、
「……ただいま」「ただ今戻りました」「ただいま。ごめんね、遅くなって」
 と、三者三様の言葉と共に、カイナ達が帰ってきたのだった。
「お帰り。って、カイナ、なんだその荷物」
 見ればカイナはぬいぐるみを抱えておらず、その代わりにぬいぐるみが何やら大きな箱を持ち上げていた。そして部屋の隅に箱が置かれ、俺の問い掛けにカイナはぬいぐるみを抱き上げながら、
「……ご褒美」
 嬉しさの見える表情で言う。そんなカイナを補足するように、レアリィが彼女の頭を優しく撫でながら、
「厳密には、騎士を倒した報酬です。本来ならば宝物(ほうもつ)が送られるそうなのですが、カイナがそれを選びまして」
「中身は何なんだ?」
「……まだひみつ」
 そう言ってカイナが持参した箱の上に腰掛けた。どうやら誰にも中身を見せない魂胆らしい。そうすると尚更気になってしまうのが人情というもので、俺は中身を知っているのだろうレアリィに視線を向け、しかし返って来たのは否定の言葉だった。
「実は私も中身を知らないんです。先生は知ってるみたいなんですが……」
 その言葉と共に、レアリィの視線がベッドに腰掛けた先生へと向いた。すると、対する先生は少し困ったように微笑み、
「あとでカイナが説明してくれるわ。……というより、私も何故それを選んだのかは聞いていないのよ。だから、先に城で何があったのか説明しておくわね」
 まず、兵士の先導で城に向かう事となったカイナと先生達は、黒騎士を倒した功績を称える大臣達と謁見し、更にこの国の現状について少し話を聞いてきたらしい。
「既に彼等の意識は他の二国から離れ、空から現れたドラゴンに向かっていたわ。あの慌てぶりを見ると、相当に衝撃的だったみたいね」
 それは敵対していたエルド、漁夫の利を狙っていたサフィーアも同様のようで、戦闘行為は今のところ完全に収束したとの事だった。
「戦場で暴れ回ったらしい黒騎士がカイナによって倒され、ドラゴンという各国に共通の敵が出来た以上、そこにある緊張も少しずつ解けていく事になるでしょう」
『向こう側』と違い、『こちら側』には人間の敵となるモンスターが数多く存在している。人々はその脅威を身を持って知っているから、『人間同士で争っている場合では無い、協力しなければ』という決断を下す事が出来るのだろう。そして、
「早ければ今夜にも、ルビド港の封鎖が解かれるとの話だったわ。まぁ、そうは言っても、各国の話し合いが行われるまでエルドやサフィーアへ向かうのは難しいでしょうけど……それでも、今朝まで続いていた混乱はこれで収まる筈よ」
 微笑みと共に告げられた言葉を聞いていると、アリアと共にお茶を淹れていたレアリィが俺の隣へ腰掛けた。そして彼女はカイナへと視線を向け、
「そういった話が終わった後に、報酬の話になって……それで、カイナと先生が宝物庫へと向かったんですよね」
「あれ、レアリィも一緒じゃなかったのか」
「私はそういう『お宝』と呼ばれる物はさっぱりなので。知識のある先生について行って貰ったんです」
 その言葉に頷くように、全員の視線が自然とカイナへ、そしてその小さなお尻の下にある箱へと注がれていく。
「ねぇカイナ。一体何を貰って来たんです?」
 レアリィの問い掛けに、カイナは自分に集まった視線から逃げるように俯き……しかしぬいぐるみにお茶のカップを持たせると、ツインテールを揺らして箱から降りた。
 そして彼女は、俺達の視線に答えるようにその蓋に手を掛け、
「……ん、」
 幼いカイナには少し重いのだろうそれを動かし、出来た隙間から取り出されたのは――一抱えほどある漆黒の兜だった。そんな予想外の『ご褒美』に言葉を失う俺達の中、アリアが驚きと共に、
「も、もしかして、黒騎士の兜?」
 問い掛けにカイナが小さく頷き、それに先生が苦笑を浮かべ、
「何に使うのかは解らないけど、カイナは『それが良い』の一点張りでね。言い訳を考えるのに苦労したんだから」
「だ、だから宝物庫から戻ってくるのに時間が掛かったんですね……」
「ええ。あ、でも、貰ったのはこれだけじゃないのよ? 何せ相手は王を殺し、戦争を止めてみせた凶悪な存在だったんだもの。他にも宝石とか刀剣とか、貰えるものは殆ど貰って来たわ」そう先生は嬉しそうに笑い、「明日にもルビドの兵士が船に運んでくれる手筈になっているから、ディーシアに戻ったら山分けしましょう」
 その事実も知らなかったのだろうレアリィが何か文句を言い掛け、しかし『宝石』という単語を聞いてから動きを止めていた。それはアリアも同様で……女の子というのは、と思いながらテオを見ると、俺と同じように苦笑を浮かべてこちらを見ていた。
 そうして小さく溜め息を吐き合いながら、宝石について詳しく聞き始めたレアリィ達に苦笑を強めつつお茶を飲んでいると、カイナがそっと兜を箱に戻しているところだった。
「なぁカイナ。どうしてその鎧を望んだんだ?」
 何気ない問い掛けに、カイナの動きが一瞬止まり……ゆっくりと俺に視線を向けると、彼女は小さく、しかしはっきりとした声で、
「……彼に、魔王候補になって貰おうと思って」
 刹那、誰もが予想していなかったその一言に、騒がしくなり始めていた部屋の空気が停止した。そして改めて全員の視線を受けながら、カイナは箱の蓋に手を添え、
「……驚かないでね」
 その一言と共に蓋を完全に開け放つと、彼女は鎧の右手をそっと手に取り、
「――ラスニチカ」
 小さく響いたカイナの声に答えるように、箱の中から金属同士が触れ合うような音が響き、そして――
『――』

 ――崩れ落ちた筈の黒騎士が、箱の中からゆっくりと立ち上がった。



「……彼はラスニチカ。勇者の鎧」
 その一言から始まったカイナの説明に、しかし誰もが口を挟む事が出来なかった。
 唯一先生だけがこの状況を予想していたようで、けれど視線の先に立つ鎧――ラスニチカが王族を襲い、戦争を止めた鎧そのものであるという事実には流石に驚いているようだった。
「もしかしたら、鎧の中に人形を入れて使役するのかも、と思っていたんだけど……まさか鎧そのものが意思を持っていたなんてね」
 そしてラスニチカの持ち主である『黒の剣士』というのは、過去の俺が騎士団長から教え込まれた伝説の戦士の事でもあった。奇しくも俺は、過去の記憶によってラスニチカの存在を肯定せざるを得なくなってしまったのだ。
 それはレアリィも同様で、しかし彼女はラスニチカがカイナを神としている事に対してショックを受けているようだった。しかし、カイナはそんなレアリィを落ち着かせるように、
「……大丈夫。彼も私が『かみさま』じゃないって解ってくれてるから」
「そう、ですか」
 小さく呟き、しかしレアリィは納得出来ない、という風に、
「でも、その鎧は……ラスニチカは、王族を殺しているんでしょう? カイナには悪いけれど、私はそんな相手を……」
「……彼は殺してないって言ってる。自分は勇者だから、決して人は殺さないって」
 罪を憎んで人を憎まず、という事だろう。しかし、それでは兵士から聞いた情報と食い違ってしまう。そう思っていると、先生がカイナに問い掛けた。
「ラスニチカが嘘を吐いているかどうか、カイナには解るのよね?」
「……うん」
「なら、一つ質問するわ。ラスニチカが王を襲った時、その傷が深くて、結果的に死へと至らしめてしまった可能性はないのかしら」
 問い掛けに、カイナがラスニチカを見上げ、
「……無いって。切った事は切ったけど、それは周りの椅子とか洋服だけで、傷は与えて無いって言ってる。あと、彼は一度しか王族を襲ってないから、どうして王様が死んじゃったのか解らないみたい」
「そう……」
 そうして暫し考え込むと、先生は「嫌な予想だけど」と前置きしてから、
「もしかしたら、政権を手にしようと画策した大臣達が、ラスニチカの行為に便乗したのかもしれないわね」
「便乗、ですか?」
「そうよ。そもそもね、この国では黒騎士の、ラスニチカの存在がとても大きいの。それは一種の信仰とも呼べるレベルに至っている。つまり、彼に襲われるという事は、そのまま自分が『悪』であると断言されるようなものなのよ。その事実にルビド、エルド両国の王は脅え、恐怖し――でも、圧政を行う事で利益を得てきた大臣達はそれを良しとせず、王を殺害。そしてそれを切っ掛けに戦争を始め、覇権を握ろうと計画したんだと思うわ」
「それは……」
 それはまるで、俺達の国と――ディーシアと同じようではないかと思い、しかしアリア達が居る手前言葉にする事は出来なかった。しかし先生は俺の考えに気付いたのか、小さな頷きと共に、
「実際ね、こうして王が亡くなった後に、その側近や配下の大臣達が実権を握ろうとする事は結構多いのよ。……私の責任ね」
 最後に呟かれた言葉は小さく、恐らく先生のすぐ側に座る俺とレアリィにしか届かなかっただろう。だからこそ、何故先生がこの世界のあり方に責任を感じるのか疑問を覚え――同時に、その身が不老不死であるという事を思い出す。
 過去の俺が先生と出逢った時、その身分は王の側近とも言える位置だった。そうして歴史の表舞台に立ち、時に裏から暗躍しながら、先生は世界を変えようとしていたのかもしれない。
 一体何の理由があっての事なのかは解らないが……恐らくそこには、俺達の記憶を一瞬で元に戻して見せた、あの友人の――先生の恋人の存在があるのだろう。
 先生が――不老不死の魔女が死神と呼ぶほどの相手なのだ。何かしら歴史に対して影響力を持っていてもおかしくない。
 それにアイツは、過去に『ちゃんと説明してあげる日が来る』と言っていた事があった。その言葉を信じるならば、いつかまたアイツは俺の前に姿を現す筈だ。その時に何を問うのか、少しずつ考えを纏めておいた方が良いのかもしれない。
 と、場違いな事を考え出してしまった俺の正面で、先生はお茶を一口飲んでから、
「カイナ。ラスニチカはサフィーアの王族も襲ったのかしら」
「……襲ったって」
「となると、中立だったサフィーアが突然動き出したのも、自分達の『悪』を否定したかったからなのかもしれないわね。まぁ、詳しい事情は解らないけれど」
 そうして、先生は改めてカイナを見つめ、
「それで……カイナは本気でラスニチカを魔王候補にするつもりなのね?」
「……うん。多分彼は魔王様にはなれないと思うけど……一緒に学んでいこうって、そう決めたから」
「解ったわ。でも、『魔王候補』として国に入る以上、ラスニチカには不遇を強いる事になるかもしれない。それでも良いのね?」
 問い掛けに、物言わぬ鎧が頷いた。それに先生が頷き返し、そして俺達を見ると、
「決まりね。彼をカイナの選んだ候補として登録しましょう」
「そんな事で大丈夫なのか?」
 テオの問い掛けに、先生は軽い調子で「大丈夫」と微笑み、
「もし今回選ばれた候補が大臣の眼鏡に適わぬようなら、もう一度魔王候補を選び直すだけだから。というか、ラスニチカは人型であるだけまだマシね。以前は喋る猫を候補に選んできた選出者もいたぐらいだし」
「そ、そうだったんですか?」
 あっさりと告げられたその事実に、レアリィが驚きを持って問い掛ける。対する先生は笑みと共に頷き、
「結構良いところまで行ったんだけど、『流石に猫は不味い』って事で却下されてね。それで先代の王が選ばれたの」
「さ、流石に不味いって、初めから却下ではないんスね……」
 とはいえ、今の状況を考えても結構大概なのだ。
 俺はそもそもこの世界の住民では無いし、アリアはテオと二人組み。他の候補がどうなっているのかは解らないが……というか、
「『魔王候補には一癖ある者を選べ』とかそういう方針があったりはしないっスよね?」
「流石にそれは無いわ。でも、選出者自体が曲者揃いだから、どうしてもその傾向は強くなりやすいのかもしれないわね。むしろ、そういった癖があるから、選出者に選ばれるのかもしれないけれど」
 しかし、曲者だからといって、決して先生やカイナ、そしてクーさんが無能という訳では無い。相応の力を持っているからこそ選ばれているのであって、だからこそ彼女達が選んできた魔王候補に対して、ディーシアの大臣達は何の文句も付けずに受け入れ、試験を行うのだろう。
 だが、記憶が戻ったとはいえ俺は一般人で、恐らくアリアもそうだ。新たに選ばれたラスニチカはどこかコミュニケーションが取り難そうだし……これ以上、癖のある魔王候補は増えて欲しくない。そう思えた。
 と、俺と同じ事を思っていたのか、アリアが少し影のある笑みを浮かべていて、俺達は図らずも同じタイミングで溜め息を一つ。
 残る魔王候補はあと二人。どんな候補者と共に現れるのか不安に感じながら、俺はお茶を飲み干した。





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