騒乱と血潮の中で。

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 暖かな風が吹き抜ける美しい草原を、陣形を組んで進む兵士達が戦場へと塗り替えていく。要所に赤の色を持つ鎧を着込んだ彼等は、ルビドと呼ばれる国の兵士達だ。
 彼等の顔にあるのは、敵国となった隣国、エルドを打ち倒さんとする決意と――少しばかりの疑問。
 事の発端は半年ほど前。ルビド、エルド両国の王族が何物かに襲われるという事件が起こった。その犯人は黒騎士と呼ばれる神出鬼没の剣士だと言われており……しかし実際には、以前からいがみ合っていた両国が、戦争を起こす為の切っ掛けに件の騎士を持ち出したのではないか、という噂もあり、兵士達はあまり納得の出来ぬ状況のまま――しかし命じられるがままに戦争の準備を進めていた。 
 そして昨晩、ルビド王が何物かに殺されたという一報が、王の側近であった大臣から伝えられた。その後大臣達は、王を殺害したのは黒騎士を騙る賊の仕業だと断定し、直ちにエルドへと宣戦布告。だがそれと同時に、エルド王が黒騎士に殺されたという一報が入り……直後、エルドからも宣戦布告が行われた。
 結果、兵士達は具体的な説明も無いまま、ただ『エルドを滅ぼす』という命令を遂行する為に城を出発したのだった。
 とはいえ、ルビドの兵士は思う。自国の王を殺したのがエルドの賊であり、エルド王を殺したのが黒騎士であるのなら――正義は我等にあるのだろう、と。
 黒騎士。漆黒の全身鎧に身を包んだその謎めいた人物は、この南方三国に暮らす者ならば誰もが知っている存在だ。
 弱きを助け、強きを挫く。まるで神話の時代から語り継がれる不死の勇者そのものであるかのようなその姿は、しかし今もその存在を持って人々を支えている。
 つまりそう、国民は元より、兵士達にとってしても、黒騎士は『自分達を護ってくれる勇者』であるのだ。
 そもそも、ルビド、エルドの両国は古くからの体制が残り続けており、両国の王は競い合うかのように圧政を続け、愉楽の限りを尽くしていた。結果、王が殺されたというのに、国はあまり悲観的な空気に包まれていない。国民の誰もが、心のどこかでその死を望んでいたのだ。
 何故ならば半年前、両国の王族が襲われた時、国民は革命を起こさんとしていた。長年に渡る圧政に対し、遂に反逆の烽火を上げようとしたのだ。
 しかし、王が黒騎士に襲われた事で国の情勢がある程度変化し、兵は強化されたものの、国民の暮らしに対する圧迫は減少した。王が目先の死に脅えて引き籠もった事で、過剰な搾取が減っていったのである。
 結果、国は安定を取り戻し、革命によって失われたかもしれない多くの命は救われた。とはいえ、その直後からルビドとエルドは緊張状態に入っていくのだが――しかし国民の誰もが、自分達は黒騎士に救われたのだと感じてた。
 黒騎士が剣を振るう時、悪は滅ぼされる。信仰にも似たそれは、しかし今回も実際に果たされたのだ。
 だからこそ、兵士達は思う。黒騎士の定義する『悪』とは一体何なのか、と。
「……」
 兵士達は皆黙し、しかしその答えを知っている。何故ならば、彼等もまた弱きの為に剣を振るい、強きを挫いているからだ。
 そう。黒騎士の悪は、彼等の悪でもある。力無き民を救う為、兵士達は黙したままエルドへと進んでいく。
 前へ、前へ。
 果たして見えてきたのは、要所に緑の色を持つ鎧を着込んだエルド国の兵士、約二千。数ではルビド国が一千人以上勝っているものの、敵兵の目に恐れは一切見られない。
 そうして両軍の動きが止まり――
 かくして草原は戦場へと成り果て、命を散らす合戦場となり――

 ――突撃喇叭が、高らかに高らかに鳴り響く。

 刹那、騎馬が嘶きと共に駆け出し、魔法使いの詠唱が空に数多の魔法陣を描き、歩兵が鬨の声を上げながら大地を、そして大気を振るわせていく。
『――ッ!』
 戦争が、始まった。



 馬に跨った騎士達が突撃槍を手に敵陣へと切り込み、それを追うように軽装の歩兵達が魔法による加速を得ながら戦場を駆け抜ける。
 重武装の兵士達は放たれる火球や水の槍を巨大な盾で防ぎ、後方に構える魔法使いは地形を変化させるほどの竜巻を巻き起こし、敵陣をかき乱していく。
 混戦。
 乱戦。
 しかしルビドの指揮官は、その状況にあっても戦場を俯瞰する。それは魔法でも叶えられぬ、積み重ねた経験によるものだ。
 彼は思う。押している、と。
 ここ数年、両国はおろかサフィーアを含めた三国間に目立った争いは起きていなかった。しかしその間も定期的な模擬戦は行われており……その結果指揮官が得たのは、各国の戦術。
 騎士と歩兵を先行させ、魔法による後方支援を行わせる一般的な戦術を組むルビドと違い、エルドは魔法使い主体の戦術を取る場合が多く、今も通常では考えられぬほどの速度で攻撃魔法が放たれ続けている。
 そもそも、魔法と呼ばれる技術は呪文の詠唱を必要とし、速攻が行えるとは言い難い、故に一瞬の判断を必要とされる戦場では後衛に回される事が多いのだが……しかし、鍛練を重ねれば魔法の発動に必要な詠唱は短くなり、一瞬で発動させる事も可能となる。故にエルドは技量の高い魔法使いを多く育成し、この戦場に投下してきたのだろう。
 だが、呪文が短くなると、比例するようにその威力が落ちる場合が多い。呪文とは即ち魔力を引き出す蛇口であり、それを少ししか開かぬのなら、流れ出す水は――魔法は弱くなってしまうからだ。とはいえ、乱発されればそれだけで脅威になる為、楽観は出来ない。
 それに対抗する為に指揮官が用意したのは、加速に特化した軽装兵数名と重装歩兵団だった。
 軽装兵達はその加速によって戦場を混乱させ、同時に敵魔法使いの詠唱を妨害する役目を持つ。どれほど技量の高い魔法使いでも、詠唱さえ封じてしまえば魔法を発動させる事が出来なくなるからだ。
 そして重装歩兵団は、襲い来る魔法をその盾で防御し、後衛に就く魔法使いを守護する役目を持つ。その間に生まれた時間を使い、ルビドの魔法使い達は敵国の魔法使いに打ち消せぬ大規模魔法発動用の詠唱を行うのだ。
 一度目に放った竜巻により敵兵の多くを削る事が出来た今、既に始まっている詠唱が完了すれば王手を取れる。
 勝てる。そう指揮官が確信し――と、そんな時、ルビド軍の後方から何者かが現れた。
 魔法による加速を行っている軽装兵を凌駕する速度を持ったそれは、戦場には不釣合いなほどに美しい漆黒の全身鎧。
「――まさか!」
 知らず声が出る。
 
 そう。黒騎士が、戦場に現れたのだ。


 
 加速、加速、加速――
 立ち止まらず躊躇わず、軽装兵は目に入る敵兵へ一撃を与え続ける。
 彼に与えられた役目は敵の混乱。出来るだけ致命傷を狙いつつ、敵の足を止める為だけに戦場を駆け抜ける。
 と、そんな時、不意にこちらの加速に追い付いて来る影が視界に入った。
 それは、漆黒。
 その色が意味するものに兵士が気付くよりも早く、漆黒の影は彼を追い抜き、その手にある長剣を振るい――刹那、轟、と大木を薙ぎ倒すほどの衝撃波が吹き抜けた。その一撃でエルドの魔法使いが文字通り吹き飛び、その相手をしていたルビドの騎兵も吹き飛ばされていく。
 そして追い討ちを掛けるように衝撃波――風の壁とも言えるそれとは逆方向から、吹き返しの猛風が吹き荒れた。兵士はそれに巻き込まれぬよう無理矢理に方向転換を行い、今まで一度も止める事の無かった足を止めた。
 だがその瞬間、目の前には漆黒の影があり、
「――ッ!」 
 驚愕に目を見開くと同時に、腹に重い一撃。それが相手の放った拳なのだと理解する間もなく、苦悶の声を漏らしながら、兵士は思わず体をくの字に折った。いくら軽装とはいえ、胸当てやその下に着込んでいる鎖帷子には衝撃や斬激に耐えうる加工が成されている。それを難なく越えてくる一撃を放つ相手にどうしようもない恐怖を感じながらも、しかしその場で踏ん張りを利かせ、痛みに耐えながら短剣を振るうとそれを牽制として距離を取った。
 そうして上げた視線の先、
「――黒騎士」
 勇者と謳われる剣士が、そこに居た。
 プレートアーマーと呼ばれる、全身を覆う鎧を着た彼の背は高く、しかしフルフェイスの兜で頭部を護っている為に実際の性別は解らない。ただ唯一解るのは、その右手に握られた剣が自分に向けられているという事実だけだ。
「……」
 恐怖や緊張よりも、何故、という気持ちが先に来た。
 黒騎士と自分達の定義する悪は同一のものであり――つまり、彼の敵は自分達と同じルビドではなかったのか。そんな疑問が脳裏を埋め尽くし――
「……」
 ――いや、待て。
 ルビド王を殺したのが賊ではなく、この黒騎士なのだとしたら……賊など何処にも存在せず、初めから黒騎士一人の犯行なのだとしたら。もしそうならば、自分達を取り巻く状況は大きく変わる事になる。
 誰にでも解る事だ。自国の王を殺した相手が、自分達の味方をする訳が無い!
 だがしかし、黒騎士の定義する悪は自分達と同一の筈で――
「――」
 待て。
 騎士の悪とは、なんだ?
 それは、弱き者を虐げるものだ。
 言い換えれば、民の敵とも呼べる。
 つまり、黒騎士の敵は民の敵だ。
 ならば、民を傷付ける――戦争を起こす相手は誰だ?
「……まさ、か」
 戦争を行っているのはエルドだけではない。それは彼等を倒そうとしている自分達ルビドも含まれるではないか!
 その事実に兵士が気付いた瞬間、まるでそれを待っていたかのように、黒騎士が剣を振り下ろし――



 ――風が、吹き抜ける。
 騎馬の嘶きも、兵士達の叫びも、魔法使いの詠唱も消えた中――ただ一人、漆黒の騎士が静かに剣を鞘に仕舞い、その場から立ち去った。





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