カイナの旅立ち。

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 アリア達が城にやって来てから一ヶ月ほど経った頃。
 俺とレアリィ、それにアリアとテオは、旅荷物を持って城の正面玄関に集まっていた。
「あとはカイナと先生だけか」
「もうそろそろ来る頃だと思うんですが……あ、来ましたよ」
 見れば、そこには俺達と同じように旅荷物を持った先生と、普段の黒いドレス姿にぬいぐるみを抱え、空いた手に大きな鞄を持ったカイナの姿があった。俺はそんなカイナの姿に少々驚きつつ、
「その格好で大丈夫なのか?」
「……大丈夫」
 小さく答える顔には不安と、しかし決意の色がある。俺はそれに解った、と頷きつつ――この団体旅行、もといカイナの旅立ちへと至った経緯を思い出していた。

 俺とレアリィに記憶が戻った事や、アリア達が城に現れた事などで少々の時間が取られてしまったものの、その間もカイナは一人で旅立ちに必要な準備を整えていたらしい。俺達はそれに感心しつつも、彼女に同行する為に旅の準備を始め――そんなある日、レアリィがカイナに問い掛けた。
「前は秘密になっていましたが、改めて聞きますね。カイナはどの地方へ向かおうとしているんです?」
「……南の方。人形がいっぱい、らしいから」
 小さく告げられた言葉に、レアリィが納得したように頷き返す。どういう事かと聞いてみると、この大陸の南方にあるルビドと呼ばれる国では、人形作りが盛んに行われているのだという。
 それはぬいぐるみのような可愛らしいものから、本物と見紛うばかりに精巧なものまで多種多様で……このディーシアの城下街でもルビド特産の人形が売られているらしい。そしてカイナの持つ人形の中にもルビドで作られたものがあり、彼女はその国の職人を説得し、魔王候補としようとしているらしかった。
「極端な話ですが……一度魔王になってしまえば、あとは成算も何も考えずずっと人形作りに没頭する事も可能ですからね。ある意味これ以上無い好条件になるのかもしれません。それに……」
 と、そうやってレアリィの説明を聞いていると、部屋に先生がやってきた。
 先生もカイナの行き先が気になっていたようで、彼女から南だと聞くと、レアリィと同じように納得し――しかし、不意に何かを思い出したのか、
「なら、私も一緒に行くわ。最近、あの地方には悪い噂があるから」
「……噂?」
「そうよ。あの辺りには三つの国家があるのだけれど、その内の二つ、ルビドとエルドの国交が断絶状態に陥っているらしいの。そしてその切っ掛けに、『黒騎士』と呼ばれる存在が絡んでいると言われているわ」
 それは南方では有名な存在らしい。漆黒のプレートアーマーを着込んだその騎士は、争いのある場所や、凶暴なモンスターが暴れた時などに姿を現し、圧倒的な力で人々を救うのだという。
 人々にとっては畏怖の象徴であると同時に、勇者と同系視されるような存在でもある、との事だった。
「でもね、最近になって、その騎士が二つの国家の王族を狙うような事件を起こしたらしくて……双方の国は、黒騎士を『自国を潰す為に相手の国が仕向けた刺客』だと決めつけ、そのまま国交を断ってしまったらしいのよ」
 でも、と先生は少々困り顔で、
「実際のところはどうなっているのか、私にも解らないの。情報を外部に漏らさないようにしているみたいで、詳しい内情が殆ど入ってこないのよ」
「だから噂なんスね」
「そういう事。だから、もしもの為に私も同行させてもらうわ。これでも、一国相手に戦えるぐらいの力はあるし。……どうかしら、カイナ」
「……」
 膝を折り、カイナと同じ目線になって問い掛ける先生に、対する彼女は少しだけ迷いを見せつつも、その小さな頭をこくりと縦に振った。先生はそれに「ありがとう」と笑みを浮かべると、
「それじゃあ、ちょっと上の人間を黙らせて――」
「先生」
「――許可を、取ってくるわね」
 静かなレアリィの呟きに、先生は苦笑と共にそう告げて立ち上がり……それと同時に、扉の向こうからアリアとテオが現れた。どうやら彼女達はカイナと交友を深めるのに成功しているらしく、カイナも逃げる素振りを見せなかった。
 ともあれ、アリア達もカイナの行き先が気になっていたらしく、先生と同じようにカイナから話を聞き、そして悪い噂の話を聞くと、アリアは一度テオを見てから、
「ねぇカイナ。出来たらわたし達も一緒に付いて行っても良いかな」
「……アリアも?」
「うん。カイナと一緒に資料室で本を読んでいたら、わたしも人形の街に興味が出てきたっていうのもあるし……そこが噂通りのところなら、味方は多い方が良いかと思って」
 だが、カイナの旅には俺達も同行する。城の中ならばともかく、お偉いさん方の目の届かない城外で、俺達魔王候補とその選出者達が馴れ合って良いものなのだろうか。そんな風に思いながら先生を見ると、そこには上機嫌そうな微笑みがあって、
「良いんじゃないかしら。折角だから、みんなでわいわい行きましょう。大丈夫、上の人間は私が黙らせて――」
「先生」
「――許可、取ってくるから」
 そうして苦笑と共に先生が部屋を出て行き……その日の夜には、アリア達の外出許可が下りたのだった。
 というより、そもそもカイナの旅への同行が認められていたのはレアリィだけだったようで……先生は俺の同行を『記憶が戻った記念の旅行』という事にし、アリア達は『折角地方から出てきたので観光に行く』という事で許可を取り、そして先生の同行はそのガイドという事で無理矢理押し切ったらしい。
 夕食後、その事を説明してくれる先生のところへ紫藤さんが現れ、
「……マスター。具体的に何がどうとは申しませんが、宜しいのですか?」
「良いの良いの。魔王の選定って言っても、そこで殺し合いをしたりする訳ではないんだから。だったら、こうして時間のある内に仲良くなっておくのも一興でしょう?」

 とまぁ、そんなこんなで、先生の微笑みに頷くような形で俺達は一緒に出掛ける事になったのだ。……因みに、クーさんは本来の仕事が重なっていて出掛けたくても出掛けられない状況な為、断念したらしい(『しかも裏じゃなくて表の仕事だから退屈なのよー』と不満げに言っていた)。レアリィ達はそれを残念がっていたが、俺にとっては正直有り難い事で――
「――何を考えているのかな、お兄ちゃん?」
「ッ?!」
 いつの間に現れたのか、クーさんが俺の顔を覗き込んでいた。一気に跳ね上がった鼓動をどうにか抑えつつ、俺は「い、いえ何も」と答えて視線を逸らす。対するクーさんは俺を暫くジト目で見上げてから、
「ま、良いけどねー」
 そう言ってくるりと踵を返すと、彼女はカイナの正面へと歩いて行き、そのままその細い身体をそっと抱き締めた。
「気を付けてね、カイナ」
「……うん」
 小さく、しかしはっきりとカイナが答える。その様子を無言で見守っていると、不意にレアリィから声が来た。
「どうしたの?」
 その声に、俺はクーさんに聞こえぬよう小声になりながら、
「や、その、カイナがああして抱かれるなんて、レアリィと先生以外に有り得ないと思ってたんだ」
 そう言った途端、耳聡く聞いていたのだろうクーさんが俺に視線を向け、
「お兄ちゃんたら、まだ私達が仲良しさんだって信じてなかったの?」
「や、決してそう言う訳では無くてですね?」
「全くもう、困ったもんだわ。ねぇ、カイナ?」
「……うん」
 そう小さくカイナが微笑みを浮かべて、俺は尚更に驚かされた。心を許している人が回りに沢山いるから、彼女も少しテンションが上がっているのかもしれない。
 それを嬉しく思っていると、クーさんがカイナから離れ、
「それじゃあ、みんな行ってらっしゃい。留守の間は私がしっかり護っておくから。――お土産、忘れずに買ってきてね」



「……とはいえ、まさか船に乗る事になるとは」
 潮風を受けて進む客船の甲板に立ちながら、俺はぼんやりと呟きを漏らす。
 視界の大半は空の青と海の蒼に支配されていて、しかし進行方向右手には俺達が住む大陸の姿が見え続けている。つまりそう、俺達は大陸の南へ向かう為に船を使用しているのだ。正直レアリィからその話を聞いた時には信じられなかったが、しかし色々と事情があるのだった。
 俺は、港町ダイナモへと向かう馬車の中で聞いた説明を思い出す。
『今頃先生がアリア達に同じ説明をしている頃だと思うけど……つまりね、私達の住むこの大陸の南方には、三千メートルを越える巨大な連峰がそびえているの。五月の世界のように旅客機でもあれば別なんだろうけど、この世界にそういった便利な物は無いし、かといって徒歩や馬車で山を越えるのは不可能。だから私達は一度船に乗って、海に出て大陸の最南端へと向かい、そこからルビド国に入る事になるの』
 でも、
『先生の話してくれた噂通りの状態になっているなら、すんなり入国出来るか解らない。もしかしたら、数日はルビドの港で宿を取る事になるかもしれないわ』
 そう言ってレアリィは行く先の状況を危惧していたものの、しかしこうして船は定期的に出ているようで、俺達が思っているよりも南方の国々の情勢は悪くなっていないようだった。
 だが、船に乗る前に船長から『これからどうなるかは解らない』という注意は受けている。暢気に観光してみたい気持ちもあったが、目的を果たしたらすぐにディーシアへと戻るのが賢明なのだろう。
 そんな事を思いながら海を眺め、俺はレアリィとカイナを待つ。これからの移動は全て徒歩で、すんなりルビドへと入国出来た場合には、一度国内を歩き回り、魔王候補に相応しそうな人物の当たりを付ける必要がある。なので、カイナにはもっと動きやすい服装に着替えて貰う事にしたのだ。
「お待たせ、五月」
 と、聞こえて来た声に視線を向ければ、そこには長い金髪を頭の上で団子に纏めたレアリィと、濡れ羽のような黒髪を左右にくくり、白地花柄のワンピースに黒のレギンスを穿き、胸元に兎の人形を抱えたカイナの姿があった。
 普段は黒い服装しかしていないカイナだが、明るい色の服も似合うものだと純粋に思う。……だが、旅の服装かと問われると首を傾げる気がするんだがどうだろうか。そう思いながらレアリィを見ると、彼女は少し苦笑しながら、
「本当は別の洋服もあったんですが、可愛くないから嫌らしくて」
「……」レアリィの言葉にカイナは少しだけ視線を下げ、しかしすぐに俺を見上げると、「……迷惑は、掛けないから」
 その言葉に、俺は一瞬何を言ってやれば良いのか解らなくなった。
 気にするな、と笑えば良いのか。馬鹿を言うな、と責めれば良いのか。
 ……いや、その二つとも違うだろう。何せ俺はこの世界にやって来た当日に、カイナと盛大な追いかけっこを繰り広げているのだ。
 混濁しつつある記憶の向こうにあるそれを思い出しつつ、俺はカイナの頭をそっと撫でながら、
「あの動き難そうなドレス姿の時から、俺はカイナが走り回れる事を知ってるんだ。だから迷惑になるなんて思わない。それにあの時は、結局追い付けなかったしな」
「……」
「あとな、もう少し顔を上げた方が良いんじゃないか? カイナは可愛いんだから、もっと自分に自信を持って良いんだ」
「――ッ」
 その瞬間、カイナの顔が赤く染まり、そのまま俺の手から逃げるようにレアリィの背後へと隠れてしまった。その素早い動きに一瞬驚き、しかしすぐに苦笑する。そして俺はレアリィに視線を戻すと、
「それじゃ、食道に行くか。いい加減腹も減ったし」
「ですね」
 頷きと共にレアリィがカイナの手を取った。俺はそんな二人を先導するように甲板を降りると、食堂に続く廊下を歩いていく。
 揺れのある船の中、一歩進む毎に食道からの騒音が聞こえて来る。俺達が向かうルビド港には他大陸へと向かう大型客船も出ている(そして停泊する)らしく、恐らくはそれに乗るのだろう異国の民や旅行客などが多く船に乗っているのだ。
 そうして見えてきた広い食堂の奥、席を取ってくれていたのだろう先生とアリア、テオの姿が見えて――と、こちらに気付いたアリアが大きく手を振った。俺はそれに答えるように軽く手を上げ……不意に、食道の入り口付近に座っていた数人の男達が立ち上がった。
 部屋に戻るのだろうか? そう思いながらレアリィ達と共に食道に入ると、男達は何故かアリア達に近付いていき、
「よぉお嬢ちゃん。アンタ今、俺達に手を振っただろう」
「え……?」
「惚けてんじゃねぇよ。俺達の話を聞いて手を上げたんだろ?」
 絡むようなその声にアリアが萎縮し、そんな彼女を護るように先生が男達を睨み、
「違うわ。彼女は貴方達に手を振った訳じゃない」
「なんだ姉さん、アンタも混ざりてぇってのか? こりゃあ良い! 今夜は上物が楽しめそうだ!」
 制止する先生の声すらもまともに聞こえていない様子である男達の手には、酒の瓶が握られていた。見れば元々座っていたテーブルにも大量の酒瓶が散乱しており、恐らく出航当初から飲み続け、今では完全に出来上がっているのだろう。
 下卑た笑い声が大きく響く中、楽しげな空気に包まれていた食道の空気が嫌なものに変わっていく。俺はレアリィに一度目配せをしてから、男達を止める為に歩き出し――その瞬間、酷く冷たいテオの声を聞いた。
「――下衆が」
 刹那、まるで喜劇のワンシーンかのように男の一人が吹き飛び、壁に当たって潰れた蛙のような声を上げた。突然のそれに、俺を含め食堂に居合わせた全員の視線が吹き飛んだ男へと向かい、
「水よ」
 小さく響いた先生の声を聞いた刹那、机を囲んでいた男達全員が、何かに殴られたかのように大きく後ろによろけた。しかしそれで彼等の怒りに火が付いたのか、酒によって判断能力を失っているのだろう男達が先生達に向かって怒号を上げた。
 流石に不味い。慌てて「待て!」と叫び、こちらに注意を引かせようとした瞬間、足元に何かか通り抜けて行く感触が走った。突然のそれに、俺は思わず視線を床に向け、
「ぬいぐるみ?」
 それはカイナが抱き締めていた筈の、少々不気味な兎のぬいぐるみ。長い手足、そして耳を持つそれは、まるで人間のように駆けながら男達に一瞬で接近し、跳躍。前方へと生まれたベクトルを回転へと変化させ、長く伸びた耳を男達の後頭部へとぶつけ――その瞬間、綿の入ったぬいぐるみの耳とは思えない音が響くと同時に、打撃を受けた男が床へと叩き付けられた。
 予期せぬ方向からの音と、仲間が更に倒されたという事実に男達の動きが止まり、しかし兎の動きは止まらない。軽やかに着地すると同時に、兎は困惑している男の股の間へと入り込み、
「――うわ」
 思わず声が出てしまうほどに容赦のない一撃が急所へと叩き込まれ、残された男二人が驚愕に目を見開いた。とはいえ流石に不味いと判断したのか、彼等は先生達から一歩離れ――しかしその背後、いつの間にか席を立っていたテオが男達の背中を軽く押し、刹那、まるで糸の切れた人形のように男達が床に崩れ落ちた。
 何が起きたのか解らず、周囲の乗客達と共に突っ立っていると、汚れを払うように手を叩いていたテオが俺に気付き、
「ちょっとした魔法だ。一応殺してはいない」
 その言葉と共に掲げてみせた掌の上には、小さな魔法陣が浮かび上がっていた。テオはそれを一瞬で消し去ると、周囲の視線も床に伸びる男達も気にせぬ様子でアリアのところに戻り、不安げに彼を見上げるその体を抱き締めてしまった。
 それと同時に先生が立ち上がり、俺達を見ると、
「船員を呼んで来るわ。……ちょっとやり過ぎたかもしれないから」
 そう苦笑し、奥にある出口へと向かってしまった。騒動に全く動じていないその姿を、俺は何も言えないままに見送り……その結果、乗客達の視線が自然に俺達へと向いた。
 嗚呼、説明を求める人々の視線が痛い。
「……逃げましたね、あれは」
 というレアリィの声を背後から聞きながら、『あれ、俺が一番の戦闘要員じゃなかったっけ?』と思いつつ、俺はただ乾いた笑いを浮かべるしかなかった。
 ……取り敢えず、男達が本当に生きているのかどとうか、確認しておこう。



 数分後、先生と共にやって来た副船長が男達の顔を確認し、
「……ああ、またお客様方でしたか」
 と、半ば諦めの入り交じった声を上げた。
 どうやらこの男達は酒に酔っては悪さを繰り返す荒くれ共で、船員達も手を焼いていたらしい。しかし今日は暴れる気配も無く、放置気味だったのだが――結局彼等は暴れ出し、手痛いしっぺ返しを受けてしまったのだった。
 幸い男達に大きな外傷はなく、アリアが彼等に絡まれる瞬間は他の乗客達も目撃していた為、テオ達はお咎めを受ける事無く開放となった。
 そうして客室へと戻る道すがら、結局昼飯を食いそびれてしまったな、と頭の隅で考えつつ、俺はアリアの手を取りながら歩くテオへと振り返り、
「テオは強いんだな」
 嫌味でも何でもなく、ただ純粋にそう思っての言葉に、対する彼は表情を変えぬまま、
「惚れた女を護れる程度にはな。――サツキ、君もそうなのだろう?」
「ああ。俺もそうありたいと思ってる」
 言って、数歩先を歩くレアリィへと視線を向ける。カイナの手を引いて歩く彼女は、先頭を行く先生に何か話し掛けていて――と、不意にレアリィがこちらに振り向き、微笑みを一つ。それに笑みを返したところで、宛がわれた客室に辿り着いた。
 部屋は三つ取ってあり、横並びに俺とレアリィ、先生とカイナ、アリアとテオが使用する事になっている。なので、部屋の前で立ち止まった俺達の脇をアリア達が進んで行き、しかし部屋の前で足を止めると、
「あの、有り難う御座いました。わたしが原因で騒ぎを起こしてしまったのに、ああして助けて貰って……」
「俺も少し反応が大人気なかった。無駄に騒ぎを大きくしてしまったしな。……すまなかった」
 そう言って頭を下げる二人に、俺は「謝る必要は無いさ」と笑みを向け、
「正当防衛だったんだから、そう気にしないでくれ。もし立場が逆だったなら、俺も同じように暴れていただろうし」
「むしろ、すぐに助けに入れなかった私達が謝りたいぐらいです」
「……何も出来なかったしな」
「ええ……」
 ちょっと凹む。
 ともあれ、フォローになっていないかもしれないが、しかしこちらは気にしていないのだから問題は無い。それを解って貰えたのか、アリア達の表情に安堵が浮かび……と、アリアがテオから離れ、そしてカイナの前で膝を折ると、
「助けてくれてありがとう、カイナ」
「……」
 その言葉にカイナが何か言おうとして、しかし恥ずかしげに顔を赤く染めてレアリィの後ろに隠れてしまった。それにアリアが微笑み、立ち上がると、
「それでも、ほとぼりが冷めるまでわたし達は部屋に居ますので、五月君達は気にせず食事を取ってきて下さい」
 先生が居る手前なのか、普段よりも少し畏まった口調でそう言って、アリア達が部屋へと戻って行く。それを見送っていると、レアリィがこちらへ振り返り、
「では、少し時間を置いたら食堂へ戻りましょうか」
「そうだな」
 何か後ろ暗い事がある訳ではないが、しかし他者からの好奇の目を受けて平然としていられるほど神経は太くない。あと三十分もすれば食堂に居る客も入れ替わるだろうし、昼を取るのはそれからにしよう。
 そうして先生と別れると、俺達も部屋に戻った。
 二人部屋である客室は、狭いながらも奥に長く――その内装は二段ベッドが一つと、床に固定されたテーブルセット、衣装棚があるだけの質素なものだ。俺はベッドに腰掛けるレアリィ達を見つつ部屋の鍵を閉めると、椅子に腰掛け、
「しかし、テオは本当に強かったな」
 まじまじと告げる。ただの好青年だとばかり思っていたから、あそこまでの力を持っているとは想像もしていなかった。それはレアリィも同じだったようで、
「ちょっとした魔法だ、と言っていましたが……一瞬だけ見えた魔法陣は、私の全く知らないものでした。……やっぱり、クレアさんが連れてきただけはありますね」
「となると、アリアにも何か秘密があると思ってた方が良いのかもな。……って、カイナ、そんな顔をしないでくれ。俺やレアリィはアリア達の事を疑ってる訳じゃない。ただ、驚いただけなんだ」
 不安げに俺を見上げるカイナに、慌てて言葉を返す。……とはいえ俺の場合、『咄嗟に動く事すら出来なかった』という負い目から、驚き以上に自分自身に対する情けなさがあったりするのだが。
 それはともかく、
「強さっていえば、カイナのぬいぐるみも凄いんだな。……ちょっと触ってみても良いか?」
「……うん」
 少し躊躇いながらも、しかし頷きと共にそっと差し出されたそれに触れてみる。……柔らかい。当然耳もへなりと柔らかいままで――と、見ている目の前でぬいぐるみが顔を上げた。同時にその耳が意思を持ち、『触んじゃねぇよ』と言わんばかりにぺしぺしと俺の手を叩いてきた……って、
「これがカイナの魔法なのか?」
 問い掛けにぬいぐるみが一つ頷き、そのままカイナの手を離れて床へと降りた。そしてその長いうさみみを揺らしながら俺の周囲を歩き回り……不意にこちらの背中に上ってくると、頭の上で華麗に跳躍。空中でくるりと一回転し、見事カイナの膝の上へと着地してみせた。
「凄いな」
 純粋な驚きと共に告げると、カイナは恥ずかしげに俯き、再び人形を抱き締めて黙り込んでしまった。その様子に、レアリィが彼女の黒い髪をそっと撫で、
「人形操術と言うんですが……カイナはこうして人形を動かすと同時に、その体を強化する事が出来るんです」
「だからあの男達を昏倒させる事が出来たのか」
 そう関心と共に呟きながら、俺はレアリィの隣に腰掛ける。すると、彼女は俺に少し不安げな表情を向け、
「……驚きましたか?」
「驚いた。でも、それ以上に感心してるよ。あの時、カイナは俺達よりも的確に状況を見ていた訳だしさ」
 本来なら、カイナよりも先に俺が動かなければならなかったのだ。本当に、自分の判断力の無さを嘆くばかりだ。
 そんな俺に対し、レアリィがほっとした笑みを浮かべた。どうやらカイナの魔法に対し、俺が嫌悪感などを抱かないかどうか不安だったらしい。
 というか、以前から気になっていた事だが、レアリィは少々カイナの事を気に掛け過ぎている気がする。と、それが顔に出てしまったのか、レアリィは少しだけ視線を下げ、
「カイナは高い技量を持っていますが、それには少々込み入った事情があるんです。……私が過保護気味になってしまっているのも、それが原因で」
「……お姉ちゃん」
 小さく響くカイナの声に、レアリィは少し影のある微笑みを返し――そして、俺を真っ直ぐに見つめ、
「今はまだ詳しい話は出来ませんが……いつか、全てを五月にお話します。カイナの過去と――」
 そして、
「――私の、過去を」




 船が港に到着したのは、出航してから五時間後の事だった。
 だが、何か様子がおかしい。和やかなムードで船を下りる乗客達とは裏腹に、港の人々の表情が一様に晴れないのだ。何かあったのだろうか、と思っていると、役人と思われる男性が船の甲板に上がり、船長と話を始めた。
 それを遠目に眺めていると、船長の表情が見る見る内に曇っていくのが解った。それと同時に、宿を押さえる為に一足早く船を下りていた先生が戻って来た。だが、その表情は暗く沈んでおり、
「……最悪の状況になったわ」
 そうして告げられたこの国の状況は、俺達の予想を大きく越えるものだった。





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