アリアとテオ。

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 翌日。
 遠く窓の外で繰り広げられている兵士達の訓練を、アリアはテオと共に眺めていた。彼女達が目覚める前から行われているその訓練、その中には昨日出逢った真鳥・五月という青年の姿もあり、しかしその動きは他の兵士と比べて明らかに劣っている。それは、ただの魔法使いであるアリアの目から見ても明らかだった。
 しかし訓練が始まってからこちら、五月はそれでも部隊の皆に必死に追い付こうと走り、剣を振るい、盾をかざし、魔法使いと共に模擬戦闘を繰り返している。その熱心な姿は元より、『魔法使いが剣士と共に訓練を行っている』という事実に、アリアは強い衝撃を受けていた。
「……国も違うと、戦い方も違うんだね」
 何気なく呟いた声に、すぐ隣に立つテオは興味深げな視線を五月達に向けながら、
「そうらしいな。まぁ、流石に俺も兵法には通じていないから、具体的にどこが違うのかは解らないが」
「んとね、そもそもああやって魔法使いと剣士が一緒に戦っているっていうのが、わたしにとっては凄く驚きなの」
 アリアの生まれ育った大陸北部の領土では、未だ魔法使いが強い権力を持っている。剣士にも相応の地位が与えられているものの、彼等の役目は戦う事であり、魔法使いは常に防御を行う。
 役割分担が明確に成されているといえば聞こえは良いが、基本的に魔法使いは剣士を護らない。その防御は街や城、そして自身に対して行われるものであり、第一線で戦う兵士のものではない。そんな考えが今もまかり通っているのだ。
 しかし、目の前の模擬戦ではそれが臨機応変に行われ、魔法使いと剣士が同じ戦場で一緒に戦っているのだ。衝撃的以外の何者でもなかった。
「本当、凄い国……」
 純粋な感動を覚えながら、アリアは自然と呟きを漏らす。クレアに『魔王候補になってほしい』と持ち掛けられた時には戸惑いが多かったが、それを受け入れて良かったと心から思えた。
 と、隣のテオが笑みと共にアリアの頭を軽く撫で、
「言っただろう、社会勉強になる筈だと」
「あ、別にテオの言葉を疑ってた訳じゃないよ? ただ、わたしは少し怖かったの。街の外になんて、今まで一度も出た事が無かったから」
「なら、これからもっと色々な世界を見て回ろう。俺もこの世界には興味が尽きないからな」
「うん!」
 満点の笑みで彼に頷き、再び訓練の様子に視線を戻したアリアは、しかしある事を思い付いて窓際から離れた。
 そして常に持ち歩いている自前の杖を手に取ると、
「ねぇテオ、ちょっと五月君に挨拶に行こうよ。ライバルだって言っても、仲良くしちゃいけないって決まりはない筈だもの」
 解った、と頷くテオを隣に、アリアは自室の二倍以上はあるだろう部屋を出ると、紅い絨毯が敷き詰められた長い廊下を歩いていく。
 アリアの住んでいた国にも城はあり、しかしそれはこの魔王城とは比べ物にならないほど小さいものだった。故に、彼女には見るもの全てが珍しく、同時にその価値観の違いに驚きを得る。だがそれは決して否定的な感情を生むものではなかった。
 それをテオに告げると、彼は自然にアリアの手を取り、
「こう言っては何だが、アリアは箱入り娘のようなものだったのだろう。小さな街で全てが完結していたから、大きな世界を知る事が出来なかった。そこに俺と、あの馬鹿姉やクレアが現れ――アリアは世界があの小さな街だけでは無いと知った。ならば、その驚きを今以上に好意的に受け入れるのが一番だろう。百聞は一見に如かずという言葉があるように、まずは何事も見て、感じる事が肝心だからな」
 そしてテオはアリアの手を握る力を少しだけ強めながら、
「とはいえ、時には理解出来ないような現実に出くわす事があるだろう。だが、何も心配する事は無い。アリアには俺が付いている」
「ありがとう、テオ」
 気恥ずかしさと嬉しさが入り交じった笑みで頷き返し、アリアはテオと共に城の外へと出た。
 そして五月達が訓練を行っていた筈の場所に向かってみると、既に一通りのプログラムが終了したのか、隊長と思われる人を前に五月達が話を聞いていた。
 距離が離れている為にその声は良く聞こえないが……隊長だろう男性から威圧感は感じられない。アリアのイメージする『隊長』というのはとても厳しい氷のような存在だったのだが、この国では優しい隊長も存在しているらしい。
 優しいといえば、城のメイド達もそうだ。魔王候補として選ばれて来たとはいえ、地方領地からやって来た田舎者の自分を来賓客として扱ってくれている。そこに差別は感じられず――思わず自国のプライドが高い小さな王様の事を思い出し、アリアは自分が井の中の蛙だと――いや、箱入り娘だったのだと改めて痛感させられるのだった。
 そうして訓練が終了し、さてどうやって五月に話し掛けようかと思っていると、彼の方がこちらに気付いたようだった。彼は部隊の仲間達と笑みで挨拶を交わしながらこちらにやって来ると、
「一体どうしたんだ? ……もしかして、俺がああやって訓練に混ざってるのが気になった、とか?」
「違うの、そうじゃなくて……ただ、凄いなぁって思って」
 一緒に夕飯を食べて色々と話をしたからか、五月に対する警戒は低い。だが、対する彼はアリアから少々距離を取っており……彼に対して返事を返しながらも、どうしてもそれが気になってしまう。と、テオも同じ疑問を感じたのか、少々首を傾げながら、
「しかしサツキ、どうして君は俺達からそう距離を取っているんだ。友人と呼び合うにはまだ速いかもしれないが、お互いの警戒は取れたものだと判断していたんだが」
「ごめん、別に他意はないんだ」
 そう言って彼は苦笑し、顔に浮かぶ汗をタオルで拭いながら、
「ほら、俺は今まで動き回ってたからさ。汗臭いのは不快だろうと思って」
「なんだ、そんな事か。なら俺は――っと、アリアはそうではないか」
「あ、わたしも気にしないから!」
 五月の行為が、まさか体臭を気にしているものだったとは思わず、アリアはそんな彼を疑ってしまった自分を恥ながら、少々慌てて胸の前で手を振った。しかし対する五月は「いや、俺が気になるんだよ」と苦笑し、
「そういえば、昨日言い忘れてた事があったんだ。だから今日は俺の方からアリア達を訪ねようと思ってたんだよ」
「言い忘れてた事?」
「ああ。昨日アリアがそう言ってくれたように、俺もレアリィも魔王候補同士でギスギスする必要は無いと思ってる。というか、実際の選定が始まるまであと一年近くあるんだ。改めて宜しく頼むって、そう伝えに行こうとしてたんだ」
 そう笑みで言う五月に対し、アリアは嬉しさを感じながら、
「それはわたしもだよ。魔法候補だからって、他の候補を敵だとか思うのは辛いし……仲良く出来るなら、それが一番だと思うから」
 きっとクレアはそんな自分を「理想だけじゃやってげないよー?」とからかうのだろう。しかしアリアは誰かと争うのが苦手だった。だからテオの言葉通り、価値観の違いをもっと好意的に受け入れて、他国の人々とも仲良くなっていきたいと思うのだ。
 
 そうして部隊の仲間達と共に五月が兵舎の方へと戻っていき……それを見送ったあと、アリア達は再び城の中へと戻っていく。
 とはいえ、この巨大な城にどのような施設があるのか、二人はまだ把握し切れてはいなかった。
「えーっと……東側に私達の部屋とかがあって、西側は偉い人達用の区域になってるんだよね」
「クレアはそう言っていたな。まぁ、いずれは全てを把握すべき時が来るのだろうが、そう焦って憶えようとしなくても大丈夫だろう」
「今日からここで暮らしていく訳だしね」
 とはいえ、一般的な生活を送ってきたアリアにしてみれば、この巨大な城で生活していけるというのは夢のようでもあった。それは豪奢な生活に一度は憧れる庶民の感覚で、故にアリアは自分がおのぼりさんになっていないか気になって仕方が無い。テオは「普通にしていれば良い。言い方は悪いが、人は他人の事をそこまで気にしていないからな」とあっさり言ってのけ、今も堂々とした足取りで廊下を進んでおり――その彼に手を引かれているアリアも縮こまって歩いてはいられない。時間の経過と共に廊下にメイドや兵士の数が増えてきたから、それは尚更だった。
「しかし広い城だ。俺も普通に生活出来そうだな」
「ちょっと改造が必要になりそうだけどね。……って、あ、クレアさんだ」
 住居区へと伸びる廊下の先で、見知った少女が部屋から出てくるのが見えた。
 確かここは五月君達の部屋の近くだったかな。そう思いながらクレアの元へ歩いて行くと、異国の肌を持った魔女は夏の太陽のような笑みを浮かべ、
「おっはよう、二人とも!」
「はい、おはようございます」「おはよう。だが、今朝は妙にテンションが高いな。一体どうしたんだ?」
「どうしたも何も、久しぶりの我が家だもの。ゆっくり眠って、クーちゃんのテンションは絶好調なのよー!」
 手に持った杖を楽しげに振り回すその姿は子供のそれで、時折見せる大人びた姿が嘘のようだ……と、そんな風に思っていると、テオが「それは上々だな」と頷き、クレアと視線を合わせるように膝を折り、
「そんな折に悪いんだが、今日もこの城の案内を頼めないだろうか。俺達が勝手に歩き回るには、まだ時期尚早だろうからな」
「そう気にしなくても大丈夫。私もそのつもりだったからね」
 でもその前に、
「朝ごはん、一緒に食べましょ?」



 テンションの高いクレアと共に少々賑やかな朝食を終えた後、アリア達は城の一階奥にある資料室へと足を運んでいた。
 そもそもこの魔王城は左右対称の造りとなっており、東側にある施設は大抵西側にも同じものが存在している。しかしながら東から西へと移る際にその重要度が大きく変化する為、いくら魔王候補であるアリア達でも西側の資料室への立ち入りは認められないとの事だった。
「機密ってのがあるから仕方ないのよねー。まぁ、私はどこでも入り放題なんだけど」
 そう笑顔で言うクレアに連れられて入った資料室は、兵士やメイドも自由に使用する事が出来る場所であり――そして、まるでどこまでも続く迷宮のような場所だった。
「……凄い」
 そう呆然と呟くアリアは、この資料室の大きさを、学校にあるような図書室程度のものだと想像していた。しかしそこに存在していたのは、魔法によって部屋の大きさを何十倍にまで拡張した巨大なスペース。そこには無数の書架が並び、無限にも思えるほどの書物が並べられていた。
「ここには市販されてる書物だけじゃなく、城に住まう魔法使いが記した魔道書なんかも突っ込んであるの。だからこんなにも広くなっちゃってるんだけど……その分見ごたえはある筈よ。特にテオ、貴方には堪らないんじゃない?」
「ああ、溜まらない。向こうに居ると、結界に阻まれてこちらの上質な書物が全く入ってこないからな」
 そう少々興奮した様子でテオが呟き、そしてアリアの手を取ると、
「すまんアリア。お前を退屈にさせてしまうかもしれないが、今日はここに居させてくれ」
 真剣な様子で言う彼の様子は、まるでずっと欲しかった玩具を手に入れた子供のよう。アリアはテオの新たな一面を知る事が出来た喜びを感じながら、
「私に気にせず、じっくり本を読んで良いよ」
「ありがとう、アリア」
 アリアの言葉に嬉しそうに頷くと、テオはこちらの手を引いて資料室の奥へと歩いていく。その姿を微笑ましく思っていると、背後から少し呆れの色を持った声が来た。
「許可を取っても、アリアちゃんの手は放さないのね」
「当たり前だろう。俺はアリアの側を離れてまで知識を得ようとは思わないからな」
「全く、テオは変人だわ」
 クレアがそう苦笑し、しかしそこにテオを貶めるような色は無い。それがアリアにも感じ取れたから、彼女は微笑みを返事としてクレアに背を向けると、テオの隣に並ぶようにして資料室の奥へと進んでいった。



「……素晴らしい」
 もう十回以上は聞いた気がする言葉を呟くテオに苦笑しながら、アリアも何か自分にも読めそうな本を探していると、書架の奥から小柄な少女が現れた。
 漆黒のドレスを纏った幼い少女だ。ぬいぐるみを胸に抱き、足元に雪のように白い猫を引き連れた彼女は、こちらの姿に気付くと一瞬動きを止め――そのまま逃げるように踵を返し、
「――カイナ、逃げちゃ駄目」
 クレアの一言に、カイナと呼ばれた少女が足を止め、そして恐る恐るといった風にこちらへ視線を向けた。対するクレアはカイナの元へと歩いて行くと、殆ど身長の変わらない彼女へ言い諭すように、
「レアリィからも言われてるでしょう? 辛いのは解るけど、少しは他人に慣れないと駄目よ?」
「……」
 その言葉に頷くように、無言のままカイナが下げていた視線をこちらに向けた。それはとても不安げで、ともすれば恐怖を感じているようにも見える。だからアリアは少々慌てつつ、
「大丈夫だよクレアさん。その子が誰かのかは気になるけど、無理に仲良くなろうとしてもお互い楽しくないもの」
 その言葉を引き継ぐように、テオが本から顔を上げ、
「アリアの言う通りだ。嫌な状況から逃げ続けているのは問題があるが、ただ立ち向かえば良いと言う訳では無いからな」
 その言葉にカイナがテオを見上げ、次にアリアを見た。
 そうして改めてカイナと視線を合わせると、色白の彼女はまるで人形のようにとても可愛らしいのだと気付いた。そう思うと同時にカイナが正面に立つクレアから一歩離れ、
「……」
 ぬいぐるみを抱く力を少し強めつつ、無言のまま床へと視線を落とし、しかしその場から逃げ出さずに立ち止まった。そして元々の予定を実行するように、本棚へと控えめに視線を向けていく。
 その様子にクレアが微笑みを浮かべ、カイナの頭を優しく撫でる。そんな二人の姿に、アリアはほっと息を吐いた。同じようにテオが一つ頷き、そのまま読書へと戻っていく。
 そしてこちらへと嬉しげな様子で戻って来たクレアへ、アリアは胸に浮かんだ疑問を問い掛けた。
「クレアさん、あの女の子は誰かの娘さんなんですか?」
 今、この城は外部からの立ち入りを制限している。それを考えると、彼女のように幼い子供は城内に入る事すら出来ない筈だ。そう思っての問い掛けに、クレアは「違うわ」と微笑み、
「彼女はカイナ・カイラ・コースト。レアリィの義妹(いもうと)で、わたしと同程度の技量を持つ魔法使いよ」
「……クレアさんと、同程度?」
 言われた言葉を上手く理解出来ず、アリアは思わず鸚鵡返しに問い返していた。
 まだアリアが狭い世界しか知らなかった頃、何度か自分を助けてくれたクレアの力は凄まじいものがあった。その精度も魔力も自分とは比べられないほどに強く、国の上位魔法使いよりも強いのではないかと思ったほどなのだ。
 そんなクレアも幼い外見をしているが、それが偽りの姿なのだという事をアリアは知っている。だからその魔力にも納得出来たものの……しかし目の前のカイナは長い年月を生きてきた魔法使いであるようには思えない。
 そんなアリアに対し、クレアは嘘の無い普段通りの笑みで、
「嘘じゃないわ。というか、アリアちゃんに嘘を吐く理由が無いし」
「た、確かにそうなんですけど……」
「まぁ、信じられないのも解るけどねー。……あとユキ、黙ってないでアンタも何か喋りなさい。気持ち悪いから」
 ユキ? そう思うアリアの目の前で、カイナの足元に居た白猫がこちらを見上げ、
「……なによ、人が空気を読んで黙っていれば気持ち悪いって」
「あ、やっぱ喋んないで。気持ち悪い」
「むきー!」
 叫びと共にユキと呼ばれた白猫がクレアに飛び掛り、そのまま彼女を巻き込んでゴロゴロと転がっていく。その様子に目を白黒させていると、テオが感心した風に、
「あれはこの世界の猫では無いな。恐らくは他世界の、元々人語を解する者なんだろう。アリアの国にも何匹か居たのだし、そう驚くものでは無いさ」
「そ、それは解ってるんだけど、突然だったからちょっとね……」
 アリアの知っている喋る猫というのは、一般的な猫とは違い、当たり前のように二足で歩行し、中には洋服まで着込むような者達だった。つまりアリアの中では、ああした普通の猫は喋らないと、無意識の思い込みが働いていたのだろう。
 知らない事、そして知るべき事が多いなぁ。そう思いながらカイナの様子を見ると、しかし彼女はクレアとユキのじゃれ合いを気にしていないようだった。もしかすると、これは日常茶飯事なのかもしれない。
「全くもう、化け猫の癖に!」
「全くもう、老婆の癖に!」
 と、互いを罵りながらクレア達が戻って来た。そしてクレアがアリアの隣で書架に背中を預け、ユキが再びカイナのところへと向かおうとし……不意にこちらへと視線を向けると、その場で腰を下ろし、
「みっともないところを見られちゃったわね。私はユキ。カイナの使い魔みたいなものよ」
「あ、えっと、アリア・フェイスタです。よろしくお願いします」
「テオだ。苗字はまだ無い」
「二人とも、カイナ共々よろしくね」
 そう言って、特に何の説明も無くユキがカイナのところへ戻って行く。その様子に何か問い掛けようかと思ったものの、上手く考えが纏まらない。そんなアリアの隣で、テオがぱたん、と本を閉じ、
「今更のようだが、俺は解らない事を放置しておくのを是としない性質でな。……クレアに一つ質問がある」
「ん、何?」
「カイナがお前と同程度の力を持っているというのは本当なのか? こう言っては何だが、彼女からはお前のような強い魔力は感じられない」
「そりゃそうよ、カイナはそこまで高い魔力を持っていないもの。私が言ったのは同程度の『技量』。魔力値の事じゃ無いわ」
 つまりそれは、少ない魔力で多大な威力の魔法を発動させる事が出来るという事だ。そしてそれは、膨大な魔力を手に入れるよりも難しい事であり、
「あんな小さな子が、どうしてそんな技量を?」
「それは彼女が――」
 と、クレアが説明を行おうとした瞬間、
「……駄目」
 小さく、だがしっかりとした拒絶の声が響いた。それはユキのものでも、ましてやテオのものでもない。アリアが声の主へと視線を向けると、カイナは本に視線を落としたまま、
「……言っちゃ、駄目」
 その言葉にクレアが言葉を失い、そして済まなそうに、
「ごめん、カイナ。少し出しゃばり過ぎたわ」
 そして彼女は、眉を下げた笑みでこちらを見上げ、
「アリアちゃんもごめんね。私からは説明出来ないけど……いつかあの子が教えてくれると思うから」
「解りました……」
「それと、カイナを嫌わないであげてね。他人とのコミュニケーションが苦手な子だから、城でも少し浮き気味なんだけど……でも、決して悪い子じゃないから」
 そうしてクレアが書架から離れ、手にしている杖をくるりと回し、
「ともあれ、カイナが高い技量を持ってるのは事実よ。まぁ、信じられないのは解るけど、この城にはカイナ以外にも曲者が多く揃ってるの。アリアちゃんもテオも常識人だから受け入れ難いかもしれないけど、柔軟に受け止めてくれると助かるわ」
 彼女は微笑みと共に言い、カイナのところへと歩いて行く。
 その様子を眺めながら、アリアは改めて自分が箱入り娘だったと自覚し――尚更に、頑張っていこうと思ったのだった。
 


 資料室を出たのは、それから二時間ほど経ってからの事だった。
 貸し出しを許可された小説を持って部屋に戻ったアリアは、鍵を閉めるテオの姿を視界の端に捉えながらベッドに横になり、
「――ちょっと、劣等感」
 詳しい話を聞けなかったものの、しかしながらカイナがクレアと同程度の技量を持っているのは確実なのだろう。それはきっと、天才と呼ばれるような才能を持っているという事で――いくら勉強し、努力しても魔法の成績が中の下止まりだったアリアにしてみると、正直凹まざるを得ない状況だった。
 そんな彼女の頭を、テオが優しく撫で、
「大丈夫だ。アリアは誰にも負けていない」
 断言するようなその言葉に、アリアは「でも、」と小さく呟きながら、ベッドに両手を付いて体を起こした。そんな彼女の頬にそっと手を添えながら、テオは真っ直ぐに言う。
「俺がここに居るのがその証拠だ。違うか?」
「……違わない」
「なら、もっと自信を持て」
 その言葉と共に、唇に触れる熱い感触。短くも幸せな口付けを貰うと、凹んでいた気分が自然と消えていく。我ながら単純だなぁ、と思いながら、しかしアリアの表情には笑みが戻っていた。
「ありがと、テオ」
「なに、気にするな」そう言ってテオは微笑むと、しかしベッドには腰掛けず、「……だが、すまん。ニ、三時間ほど向こうに戻る。姉に俺達の状況を説明しておくのを忘れていたからな」
「ん、解った。お姉さん……お義姉さんに、宜しくね」
 少しだけイントネーションを変えて伝えると、それが彼にも伝わったのか、テオは少し気恥ずかしげに頷き、
「ああ、解っているさ。それじゃ、少し行ってくる」
 軽く手を上げながら告げると同時、テオの正面に、この世界の人間が造り上げる魔法陣とは全く異なる、文様も術式も存在しない酷くシンプルな魔法陣が現れた。
 アリアは詳しく知らないが、それは『門』と呼ばれる魔法と同様のもの。しかしテオはそれを呼吸と同程度の労力で展開させると、こちらに軽く手を振り……そのまま、この世界から消え失せた。
 そうして笑顔でテオを見送ると、アリアは再びベッドに転がった。
「……」
 テオはこの世界の住民ではない。
 彼は、この世界の人間には決して辿り着く事が出来ない筈の、結界に阻まれた向こう側にある世界に住んでいる。
 それがアリア達が抱える、そして誰にも教えるつもりの無い秘密だった。
 だが、もしその事実を知られ、テオの力を利用しようと考える者が現れたとしても、それは無駄だと断言出来た。
 何故なら、
「……テオは私だけの味方だもんね」
 アリアが望まぬ限り、彼はその力を振るおうとはしないのだ。
 そうして、最愛の恋人を思い、だらしなく緩んだ笑みを浮かべながら、アリア・フェイスタは誰にとも無く惚気てみせると……そのまま静かに眠りに就いた。





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