カイナ。2

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「あの子はね、生贄のようなものなの」
 宿へと戻る道を少々急ぎ足で歩きながら、白猫が言う。
「洞窟の中で見た人形があったでしょ? あれは、この島の住民が信じている宗教が関わっているの。その考えは……」
 ……人間とは神の姿を似せて作られたものであり、そして人間が人形を作る事で神の行いを真似、その恩恵を受ける事が出来ると信じる、というものだった。
 村人達にとって、定期的に人形を作り、そして洞窟に祭る事が神への信仰の証しとされている。故に、神が人間を玩ぶ事が無いように、人形で遊ぶ事は禁忌とされた。同時に、神に生み出された人間がこうして自由に行動しているように、人形を飾り、その動きを禁じる事を封じた。
 それが、この村に人形が存在しない理由だったのだ。
「そんな島の中で、時々、無機物を自在に操る力も持つ子供が生まれる事があったらしいの」
 それは恐らく、他所からの血が交じり合って出来たものなのだろう。大陸との交流を拒絶し、孤立していたこの島でも、時折新しい血を村に入れる為に余所者を迎え入れていた筈だ。その時に交じり合った相手が、特異な力を持っており……結果、そうした子供が生まれるようになったのだろう。……魔法を拒絶し、村人の中に殆ど魔力が存在しなかっただろう村で、レアリィのような魔法使いが生まれてしまったように。
 しかし、
「本来なら魔法と同じような力なんだけど……でも、生まれてきた子供達はああして神への生贄として捧げられてきたのよ」
 魔法とは違い、その力は島では最大の禁忌とされ、しかし最も神に近いものとされた。何故ならその力があれば、人形に命を与える事が出来るからだ。
 結果、その力を持つ子供は神子とされ、あの部屋に封じ込められる事になる。偉大なる神の力を霧散させる事無く、生み出した人形達に籠められた信仰を神へと届けて貰う為に。
「言わばあの場所は神殿なのよ。でも……人形を作る事を『神と同等の行為』と考えている村人達にとって、人形を自在に扱う事が出来る存在は、そのまま人間を自在に操るとも捉える事が出来る。つまり村人達にとって、あの子は神子である上に神様でもあるの。だけど、神様に作られた人間が神様である、だなんておかしいでしょ? だからああして別の空間に隠して、その力を使えないようにしたのよ。彼女のような子供はただの神子であり、神ではないと信じる為に」
「でも、魔法を使えば人形を動かす事だって出来ます。魔法を否定している訳では無いなら、隔離する理由なんて……」
「違う、そうじゃないの。あの子は本当に、人形に命を与える事が出来るの」
「……命、を?」
 予想もしていなかった言葉に、白猫を追い掛けていた体が一瞬だけ停止する。そんなレアリィの様子に気付く事無く、白猫は言葉を続けた。
「そう。操り人形ではなく、生き物に変える事が出来るの。だから人々は尚更に恐れたのよ。神に生み出された筈の人間が、本物の神様になってしまうんだから」
 人形に命を与える事。それは村人達の宗教観で言えば、神が人間を作り出し、命を籠めた行為と同一であると見なされる。しかし、彼等の中で神とは絶対の存在であり、人間はその行いを真似る事しか出来ない『人形』であるという認識となっている。故に、村人達は神となれる子供達を神子としながらも、同時に神に成り代わるかもしれない存在として恐れ、その力を封じる為に洞窟の奥へと閉じ込めた。
 つまり、
「みんな恐くて仕方ないのよ。何も出来ない、あの小さな女の子が」
 恐怖。人間が誰しも持つそれを、レアリィは過去に信じていた村人達全員から向けられた事があり――同時に、恐怖という感情はいとも容易く正気を狂気に塗り替えるものであるという事を知っていた。
 だからレアリィは、どうにかしてあの少女を助けたいと思い……しかし、とある疑問が払拭出来ず、白猫に問いを放った。
「どうして、私をあの子のところへ案内してくれたんです?」
「理由は二つあるわ。一つは、貴女がこの島とは無関係の旅人さんだから。もう一つは……」
 言いながら、白猫がこちらを見上げ、
「……ただの直感」
 その言葉にあるのは苦笑の色で、
「貴女、昨日村人達に何かを聞いて回っていたでしょ? それを遠くから眺めていた時に、『この人なら』って思ったの」
「――凄い勘ですね」
 否定とも肯定とも取れる言葉に、しかし白猫は満足げに頷き
「でしょう? 何せ種族としての直感と、女としての勘が二重に働いているからね。外した事は、一度も無いわ」
「本当、凄いです」
 ――何せ自分は、もうあの子を助ける事だけを考えているのだから。



 それから数日。
 この島へと再び船がやって来るまでの間、レアリィは白猫と共に少女のところへと通い詰めた。
 白猫の言葉では無いが、その理由は二つ。一つは、白猫の話が事実であるかの確認。もう一つは、少女とのコミュニケーションだった。
 自分の事。先生の事。この広い世界の事。そして魔法という力の事……レアリィは少女に様々な事を話した。最初はこちらの言葉に無反応だった彼女も、二人で過ごす時間が多くなるにつれて、少しずつ反応を返してくれるようになっていた。
 それは少女の心が完全に死んでしまっていない事を意味していて――その小さな希望を消さないように、レアリィは言葉を重ねたのだ。
 同時に、白猫の事情も知る事となった。どうやら彼女の一家は少女の父方の家系と懇意にしていたらしく、数年前、病に伏せっていた少女の父親によってこの世界に召喚されたのだという。
 それから一ヶ月もしない内に亡くなってしまった少女の父親は、白猫に彼女を託し、自分の娘が幸せになる事を祈り続けていた……
「でも、この村はその想いを受け入れようとはせず……私は、この島に旅人がやって来る度に、あの子を救ってくれそうかどうか見極めていたのよ」
 そう語る白猫は、召喚主である少女の父親が亡くなってしまった事で、もう元居た世界に戻る事が出来なくなっていた。それでも、彼女は幼い少女の為に奔走し続けていたのだ。
「どうしてそこまでしてあげるんです?」
「貴女と――レアリィと一緒よ。あの子の事を助けてあげたい。自由にしてあげたいだけなの」
 それが白猫の本心で、そして彼女の言葉通り、レアリィも少女を救いたいと強く思っていた。
 そうして日々は過ぎ……船の到着が明日に迫ったその日、レアリィは少女へある問いを放っていた。
「……ねぇ。貴女は外に出たい?」
 それは非常な問い掛けだった。今日という日まで少女に希望を与え続けて、その最後の選択を彼女自身に任せようというのだから。
 けれど、レアリィはそれを問い掛けずにはいられなかった。例え断られたところで、先生に相談して無理矢理連れ出そうとしていたけれど……それでも、少女の意思を確認しておきたかったのだ。
 だから、
「……ここから、出たい」
 意識していなかったら聞き逃してしまいそうなほどの小ささで響いてきたその言葉に、レアリィは強く頷いた。
「解った。私が貴女を助けてあげる。貴女を、この村から開放してあげ――」
 と、その瞬間、背後から白猫の鳴き声が聞こえて来た。それは何かを警戒するような甲高いもので、慌ててレアリィが背後を確認した時、視線の先には一人の女性が立っていた。
「あ、貴女、ここで一体何をやってるの」
 人形を手に、警戒と恐怖と怒りが入り混じったかのような表情で女性が呟く。この島では珍しい黒髪を持った彼女の姿に、レアリィは何も言わずに女性を観察し――
「……もしかして、この子のお母さん、ですか?」
「ッ!」
 どうやら正解を引き当てたらしい。レアリィの言葉に女性は一瞬で顔を上気させると、
「それは私の子供なんかじゃないわ! そんなもの、ただの悪魔よ!」
 叫び、女性は己の中の恨み辛みを叫び始めた。
「そんなのを産んだから、私の人生は滅茶苦茶になったわ! それなのに、こんなものを毎日毎日作らされて、何が信仰よ! 何が供物よ! 反吐が出るわ!!」
 叫びと共に手に持った人形を床へ叩き付け、それを忌々しげに踏み躙りながら、
「何が神子?! 誰が神様よ!! 臭いものに蓋をしてるだけじゃない!! 私は何も関係ないのに――!!」
「――」
 その瞬間、レアリィの中で何かが凍った。それは多分、もしかしたら、という淡い想いで――だからこそ、例えこれがエゴだと解っていても、それを貫こうと決めた。
 レアリィは少女を護るように立ち上がり、杖を構え――そして告げた一言は、まるで氷のように冷たかった。
「――では、彼女が死んでも構わないのですね」
「構わないわ! むしろさっさと死んで欲しいくらいよ!」
 憤りと共に女性が言う。そこに母性や慈悲と呼ばれるものは欠片もなくて、だからこそレアリィの心は凍っていく。
 それでも少女に視線を落とすと、俯いていた彼女がこちらに気付き、顔を上げた。そこにあるのは酷く悲しげな、諦めのある表情で……少女は一瞬だけ母親である女性へ視線を向け、しかしすぐにレアリィを見上げると、決意と共に小さく頷いた。
 だから、レアリィはその一言を告げる。

「でしたら、私がこの子を殺しましょう」

「――え?」
 流石にその一言は予想外だったのか、女性が意外そうな声を上げ、同時に白猫がこちらへと駆け寄ってきた。まるで何かを訴えるかのように小さく鳴く彼女へ、レアリィはそれと解らないように頷きを返してから、
「この子が死ねば――この場所から消えてしまえば、貴女は自由になる。違いますか?」
「……」
 少女がこの場所に隔離されていたように、彼女を産んだ女性も同じように何らかの枷を与えられていたに違いない。しかし、その根源である少女さえ消えれば、女性は自由になる事が出来る。それと同時に、村人達の旅人に対する過剰な優しさも消えていく筈だ。あの優しさは、少女の存在を秘匿したいが為のものであり……彼等が村に旅人を入れていたのは、自分達が少女を恐れていないと、この村はなんの変わりの無い普通の村なのだと主張する為、といったところだろう。
 つまりそう、いつか寿命で死ぬまで、少女はこの場所に封じられ続けるのだ。
 いや、もしかすると、少女は子を孕ませられるのかもしれない。何せ過去にも彼女と似たような力を持った者が居たのだ。人形に命を与える、などという特異な力は、恐らく遺伝でもなければ受け継がれる事は無い。
 村人達は少女を恐れながらも、しかし再び神に近い神子が生まれてくるように彼女を孕ませ――しかし少女は母になる事も出来ずに殺されるのかもしれない。
 ……全て、勝手な想像だ。だが、負の感情に囚われてしまったレアリィ・コーストは止まらない。
「さぁ、答えてください」
 他の村人ならば、恐れているとはいえ、神子である少女の存在を消させようとはしないだろう。しかし、少女に対する憎しみに囚われている女性ならば話は別だ。そう思っての言葉に、女性は少しうろたえながら、
「し、死体はどうするのよ」
「私は魔法使いです。死体など残さずに処理出来ます。ですから、貴女さえ黙ってくれていればそれで良いんですよ。私は今夜、ここを出ますし」
 何も見ていない。何も知らない。それを貫き通すだけで、女性は自由になれる。
「宜しいですね?」
「わ、解ったわ。でも、どうしてそんな事をするのよ」
 何か裏でもあるのではないか。そんなニュアンスで聞いてくる女性に背を向け、レアリィは少女を安心させるように微笑み、
「――この子を助ける為です」
「は? 助けるのに殺す訳?」
 意味が解らないと言わんばかりの女性に、レアリィは再び彼女へと向き合いながら、さも当然のように、
「死は救いです。生きているのが辛いなら、殺してしまえば良い。違いますか?」
「……ま、まぁ、確かにそうね」
 そう答えて、女性が目を逸らす。それは明らかに恐れの表れ。だが、レアリィは正気を疑われようと関係なかった。
「では、時間もありませんから、少し離れていてください」
 そう告げて、杖先を少女の方へと向けた。そしてそれを護るように白猫が彼女の側へ近付いたのを見届けてから、レアリィは詠唱を開始する。
「風よ――」
 言葉は呪文という形を作り、そして呪文は魔方陣を形成していき――しかしレアリィは、更に脳裏で別の魔法をイメージする。
 それは一部の魔法使いだけが行えるという、無詠唱での魔法発動。人生を狂わせる原因になったそれを、けれど今では自分の意思でコントロール出来るようになっていた。それでも、脳裏にフラッシュバックする血と痛みの記憶だけは拭い去る事が出来ない。
 杖を握る指先に幻痛が走る。
 それを必死に堪え、狂いそうになる魔力の出力を抑えながら、レアリィは詠唱を続け、
「――我らの道となれ」
 言葉と共に魔法が完成し、生まれた魔法陣が淡い緑の光を放つ。その中に少女と白猫が完全に包まれたのを確認しながら、レアリィはイメージしていた魔法を発動させた。
 それは小規模な竜巻。規模が小さいとはいえ、巻き起こる風は周囲にあるものを巻き込み、引き千切り、後には何も残さない。
 そして激しい風と轟音が止んだ時、少女の居た場所には何も存在していなかった。レアリィはそれを確認してから、女性へと振り返り、
「終わりました」
「え……お、終わったの?」
「はい。これで貴女は自由です」
 そう告げて、杖を仕舞いながら歩き出し、女性の正面へと立つと、
「では、私がここにいた事は忘れてください。……ああ、でも、そうですね」
 呟きながら部屋の外へと出ると、扉に取り付けられている閂を指差し、
「これに細工でもしておいてください。そして何か黒い布を用意して、外の崖に引っ掛けておけば……島の人達は彼女が逃げ出し、自殺でもしたと思うでしょう」
「……そう簡単に信じるかしら」
「さぁ、それは解りません。ですが、貴女が悪魔と呼ぶような存在が消えたのですから、喜びはせど、疑いはしないでしょう」
 では、私はこれで。そう最後に呟いて、少々急ぎ足で、しかしそれと気付かれぬように歩き出す。
 一人残された女性がどんな顔をし、どんな思いを持っているのかを考えないようにしながら。



 走り出しそうになる気持ちを必死に抑えて宿の部屋に戻ると、そこには困惑した表情の先生と、そして少女と白猫の姿があった。
「……良かった、上手くいったみたい」
 部屋の扉を閉め、鍵を掛けながら思わず呟くと、先生から声が来た。
「この白猫から話は聞いたわ。……でもねレアリィ。一人でやって良い事と悪い事があるわ」
「す、すみません」
「次からはちゃんと私に相談すること。こういった状況なら、いつでも手を貸してあげるから」
 そう言って先生が微笑む。怒られるかとも思ったけれど、それは杞憂だったようだ。
 そうして少女が座るベッドへと近付くと、その膝の上にいる白猫がレアリィを見上げ、
「見付かった時はどうしようかと思ったけど……本当にありがとう、この子を助けてくれて。……でも、一体どうやって私達をこの部屋にまで移動させたの?」
「それは……その、秘密です」
 それは過去に先生から教わった、しかし今は禁呪とされている空間転移魔法。流石にこれを広めてしまうのは問題がある為、黙っている事にした。
 教えてよ、と小さく鳴く白猫に苦笑してから、レアリィは少女へと視線を合わせ、
「新しい世界に羽ばたいていく貴女に、私から名前をあげる」
「……名前?」
「そう」
 忌み子であり、神子であり、神でもあった少女は、それ故に名を与えられていなかった。彼女の母が、最後まで少女の名を呼ぶ事が無かったのがその証拠だ。
 だから、
「今日から貴女は『カイナ』よ。カイナ・カイラ・コースト。私、レアリィ・コーストの義理の妹になるの。……どうかな、この名前」
「……」
 少女は逡巡するように目を伏せ……そして、ぎこちなく、けれどとてもとても可愛らしく微笑んで、
「ありがとう……レアリィお姉ちゃん」


   
 そうして、私と先生はカイナを連れてこのディーシアへと戻ったのだ。
 カイナ・カイラという名前は、『神名(かみな)』と『神来(かみら)』という言葉からもじったものだった。人形に命を与える事が出来る彼女は、神様と同じ存在で……しかしそれを封じられる事無く、自らの名前として示していく事が出来るように、私はその言葉を選んだのだ。
「これが、私達とカイナの出逢いです。……合っているでしょうか」
「ええ、大丈夫よ。間違っているところはないわ」
「良かった……」
 安堵と共に呟いて、冷え始めてしまったお茶を飲む。
 カイナの事はしっかりと覚えていた。でも、先生と歩んで来た時間の中で、狂ってしまっている記憶があるかもしれない。
「先生。これからも、こうやって思い出の確認をさせて貰っても良いですか? 色々な事を新しく憶えていくと決めましたが、それでも、忘れたくない記憶は沢山ありますから」
「もちろんよ。私達の関係は、今までもこれからも、何一つ変わらないんだから」
 そういって先生が微笑む。それは今までに何度も見た、でも何故か改めて見るような不思議な感覚。
 でも、これだけは言える。
 先生と出逢えて、本当に良かった。
 それが私の……私達の、偽らざる本心だった。





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