三度目の出逢い。

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 まるで夢を見ていた時のように、ここではないどこかの記憶が頭にある状態で、俺は目を覚ました。
 どうして眠っていたのだろうか。そんな事を思いながら、俺は次第に鮮明になっていく視界の中で体を起こし、部屋の中を何気なく見回す。するとそこには、見知った顔が四つあった。
 それは半年前から姿を見掛けなくなった先生と友人達。四者四様の表情を浮かべる彼等の顔を順々に見……ふと、腕の中に誰かが居る事に気が付いた。
 視線を落とすと、腕の中の相手もこちらへと視線を向けていた。
 そこにあるのは蒼と、そしてそれに重なる黒い瞳。
「――」

 ――全てを、理解する。

 俺は、万感の想いと共に腕の中の少女を強く抱き締め、
「――ッ!」
 言葉にならない、というのを強く強く実感する。溢れ出した想いは爆発を起こしたかのように体を満たし、しかしそれでも止まらない。
 あの時とは違い、ここには敵は居ない。その上俺は無傷だ。誰にも邪魔を受けないという安心感が体から力を奪い、同時に目尻に熱が生まれるのを感じた。
 そんな俺の腕の中、彼女はもぞもぞと動きながら手を抜き出すと、こちらの体を強く抱き返し、
「やっと逢えた……!」
 心から安堵するその声が、その存在が何よりも愛しい。抱き締める腕に力を籠めながら、俺は強く頷いた。
 そのまま、彼女の髪へと顔を埋め……
「お前ら、いちゃつき禁止」
 と、俺達の抱擁を邪魔するかのような声が聞こえて来た。俺はその声に顔を上げ、声の主――懐かしい友人の顔を笑みで睨み、
「うっせ。邪魔すんな」
「バカップルが何を言う」
「久々なんだよ。解ったなら黙ってろ」
「はいはい、解ったよ」
 やれやれ、といった風に友人が苦笑する。その姿にこちらも苦笑しながら、俺は半年前、友人が突然姿を消した事を思い出していた。
 そう、思い出せる。
 友人と笑いあった学校生活を。先生と過ごした日々を。夜城達と買い物に行った日常を。そして――腕の中、物売りをしていた彼女と出逢った事も、転校生としてやってきた彼女と出逢った事も。そして彼女と行ってきた様々な事を。
 思い出す切っ掛けを作ってくれたのだろう友人は、苦笑から作り物めいた笑みに表情を戻すと、呆然と立ち尽くす魔法使い――先生達へと体を向け、
「それじゃ、彼等への質問タイムと行こうか」
 友人の言葉と共に、三人分の視線がこちらへと向き……一番最初に口を開いたのは、黒い髪を持つ少女だった。彼女は隣に立つ夜城に目配せをしてから、
「取り敢えず、私達の事は思い出した?」
 少女の問い掛けに、俺は頷き返し、
「すまん、やっと思い出せた。今更だけど、半年振りだな」
「そうね。……全く、その言葉を聞くまでにこんな苦労をするとは思わなかったわ」
 苦笑と共に少女が言う。もし俺達の記憶が残っていたままなら、今頃彼女達は何事も無く『向こう側』での生活を再開していた筈なのだ。本当に、余計な迷惑を掛けてしまった。
 そう思う俺の視線の先で、少女はすぐに表情を真剣なものにし、一度先生に視線を送ってから、
「で、記憶の方は何とも無いの?」
「まぁ、今のところは」
 こうやって会話をしている限りでは、違和感というものは全く無い。
 しかし、それに対する問いは腕の中から来た。視線を落とせば、見上げてくる彼女は不安げな色を持ち、
「……自分の名前、言える?」
「名前?」
 言われ、答えようとして、
「……あれ?」
 口から言葉が出ない。
 頭の中には二つの名前があり、それは二つとも自分の名前だ。だが、何故かそれを区別して発音する事が出来なかった。例えるなら、『あ』と『い』を同時に発音しようとする感じだ。
「何でだ?」
 思わず呟き、そしてそれに答えるように声が聞こえて来た。
「……それが、二つの記憶が混在する事の影響なのよ」
 声に顔を上げれば、そこには眉を寄せた先生の姿。その顔は強い後悔に満ちていて、
「もしそのままの状態で居れば、記憶の混在は進み、他者とのコミュニケーションに支障をきたしてしまう可能性があるわ。そしてそれは、どんどんと悪化し続けていく。だから……」
 少しだけ、視線を逸らし、
「だから私は、貴方達の記憶を封じた。やっと出逢えた二人に、そんな苦労をさせたくなかったから。それに、貴女達の記憶を安定させる方法が無かった以上、そうするしか方法が無かったの。……言い訳に聞こえるかもしれないけどね」
 自嘲気味な呟きに、返す言葉が見つからない。同時に、部屋の空気が重くなっている事を今更ながらに感じていると、腕の中から動きが来た。
「ごめんね。勝手に決めちゃって……」
 小さく呟く彼女に、大丈夫だ、と答えながら考える。
 確かに、自分の名前がすんなりと口に出せないような状態なら、今までに知り合ってきた人々の名前や、蓄えてきた知識なども混ざり合ってしまって、生活に支障が出るのは確実なのだろう。 
 だがそれでも、
「……このままじゃ駄目なんですか?」
 不安げな彼女を抱く力を少し強めながら、俺は先生に問い掛けていた。対し、先生は心配げに、
「駄目だなんて言える訳がないわ。でも、そのままじゃ記憶が……」
 その言葉に、俺は首を横に振り、
「その気持ちは嬉しいですが……こうして記憶が戻った以上、もう彼女と離れるつもりは無いんです」
 何故なら、
「半年探しても記憶を安定させる方法は見つからなかった。そして、これから先にも可能性があるとは限らない。なら、俺はこのまま生きる事を選びます」
「で、でも……!」
「こうして出逢えた。俺達には、それだけで十分なんです」
 そんな俺に続くように、腕の中から声が響いた。
「……ごめんなさい先生。私もこのままが良いです。もう、我慢はしたくありません」
 それに、
「また二人で過ごしていける未来の方が、私達にはずっと大切なんです。……辛い事が多かった過去なんかよりも、ずっと、ずっと」
 俺達は再び出逢い、そして思い出す事が出来た。そしてまた共に生きていく事が出来るのならば、過去の記憶が混乱する程度の障害など乗り越えてみせる。
「過去とは失ったもの。そして未来とは、これから二人で得ていくものですから」
 そう想いを告げる俺達に先生が言葉を失い、しかし迷うようにしながら、
「下手をしたら、過去に掛けた呪いを解く事が出来なくなるのよ?」
「私は構いません。私達がこうやって出逢えたのも、先生が掛けてくれた呪いのお陰なんですから」
 答えた彼女に、対する先生は首を振り、
「違うの。あの呪いは不完全なものだった。私が考えていた以上に、貴女達が出逢える可能性は低かったのよ。だから私は貴女達を見つけ出し、その呪いを解こうとしていたの」
 何故なら、
「もうこれ以上、貴女達二人を呪いに振り回させる訳にはいかないもの!」
 強く深い想いの籠った声が、静かな部屋に木霊する。けれど、彼女はそんな先生に微笑むと、
「私達を探す為に、先生が様々な場所へ赴き、努力していた事は私が一番良く理解しています。だからこそ、大丈夫です。先生の気持ちは、私達に届いていますから」
「それでも、私は……」
 引き下がる事無く、先生が言う。長い長い時間を俺達を探す為に使い、そして今も俺達の事を心配してくれるその気持ちはとても嬉しい。
 でも、俺は彼女の手を握り、
「その呪いのお陰で、俺達は今、ここに居るんです。いつかこの記憶が消えてしまうとしても、その時までは出逢い続ける事が出来る。だから、俺達はこのままが良いんです」
「長かった先生の旅も、これで終わりです」
 そう答える俺達に、先生はこちらの顔を交互に見ながら、
「本当に……本当にそれで良いの?」
『はい』
 先生に安心して貰えるように、俺達はしっかりと頷き返したのだった。

■  

 その後、気付けば友人の姿は消えており、アイツが何の目的で現れたのかは不明のままとなった。
 まぁ、『友人』として俺に言葉を掛けてきた辺り、アイツなりに心配だったのかもしれない。半年前の美術室での時も、俺達の記憶を戻したのはアイツだったのだから。
 そして――先生は夜城達を連れて部屋を出て行った。なんでも、数日の間滞在するだろう夜城達の事をメイドさん達に紹介してくるらしい。気を使って貰ったんだろうな、と思いつつ、俺は彼女のベッドに横になった。
 肩の力を抜きながら、一つ息を吐き、
「なんだか、久々に二人きりになった気がするな」
「そうだね」
 俺と同じように横になり、こちらへと微笑みながら彼女が言う。
 本来ならばそんな事は無い。先生達が帰って来るまで、俺はこの部屋で彼女と話をしていたのだから。
 それでも、それは錯覚と言えぬほどの感覚だった。何より、彼女が敬語を止めているのが一番の変化とも言えるだろう。そう思いながら、俺は彼女に視線を向け、
「でも、本当にこのままで良かったのか?」
「うん。私は……」
 と、そこで彼女が一旦言葉を止め、
「その前に、名前、どっちで呼んだら良い? 一応決めておかないと、みんなが居るところだと混乱させちゃうし」
「確かにそうだな」
 頷きつつ考える。
 まず、自分の名前で思い浮かぶのは二つ。頭の中に存在するそれを答える事は出来ないが、しかし目の前に居る少女の名前は二つとも区別出来ている。その為、相手の名前を呼ぶ事は出来るのだ。
 今の俺達は過去の俺達でもある為、どちらの名前で呼び呼ばれようと関係ないのだが、過去の俺達を知らない者達からすれば混乱の種になるだけだろう。なので、
「一応、今の体の名前で統一させるか」
「解った。……でもさ、その前に一度お互いの名前を呼び合ってみない?」
 そうだな、と頷いて、俺は隣に居る彼女を抱き寄せながら、
「レアリィ・コースト」
「真鳥・五月」
 それは今の体の名前。そして、
「鶫・早苗(つぐみ・さなえ)」
 彼女の名を呼び、
「神馬・一(しんめ・はじめ)」
 俺の名前を呼んでもらう。
 それは今や、たった三人しか知らない名前。遠い遠い過去にあった名前だ。
 何か、淋しさに似た感覚を感じながら居ると、彼女――レアリィが少し頬を染め、
「えっと、さっきの続き。……私は一を愛しているし、五月の事を好きでいる。だから、私はこのままが一番幸せなの」
 えへへ、と笑うレアリィに顔が熱くなるのを感じながら、
「俺も同じだ。俺も早苗を愛してるし、レアリィが好きでいる。だから、このままで居る事を望んだんだ」
 答えながら、レアリィを抱く腕に少しだけ力を籠める。
 早苗には何度も告げ、今も感じている『愛している』も、しかしレアリィには告げていない言葉だ。お互いの事を深く知っているのに、お互いの事を何も知らないのが何かくすぐったく感じて、妙に気恥ずかしい。
 同時に、今はまだ過去の記憶を大まかながらにも区別して思い出せる事に気付く。しかし、これが次第に曖昧になっていくのだろう。
 だがそれでも、どちらかといえば今の俺――五月の記憶の方が思い出しやすい。現在の体の持ち主が五月である為、多少は優位に働いているのだろう。
 それは彼女も同じらしい。だが、俺と違うのは、
「昔も今もこの世界で暮らしてきているから、特に違和感らしい違和感はないかな」
 商人の娘と魔法使いの記憶だ。双方知りえない記憶が混ざる為に、その混乱も少ないのだろう。
 しかし、俺の場合は別世界同士の記憶だ。剣の使い方などは体が覚えているにしても、パソコンや携帯電話など――いわゆる科学技術に対するものの使い方を忘れてしまう事態に陥る可能性は高そうだった。
 その代わりに、勉強を始めたこの世界の歴史などが、古いものだが記憶にあった。元の世界の歴史と混ざってしまう事もあるだろうが、それは少しずつ勉強していく事で修復していけば良いだろう。
 新しい事は、一から覚えていけば良いのだから。
 そう。俺はこの世界で、彼女と共に生きていく。その為には、
「俺、正式に魔王候補として頑張ろうと思う。まだ先生に話をしていないから、実際になれるかどうかは解らないけどさ」
「決めてくれたんだ」
「ああ。俺はレアリィの側を離れるつもりはないし……だったら、魔王候補としてこの一年を過ごした方が良いと思ってさ。まぁ、魔王候補になったところで、魔王になれる可能性は殆ど無いだろうけどな」
「そんな事ないよ! 私がちゃんと補佐していくから、二人で一緒に頑張ろうね」
 と、強い意志を持って言うレアリィに頷き返す。その笑顔に全力で答えなくては、と思いつつ、
「けど、もし魔王になれなくても、俺はこの世界に残ろうと思う」
「うん。……でも、ご両親に連絡をしなくても良いの?」
 少し不安げに、レアリィが聞いてくる。
 当然、親に心配を掛けたくないという気持ちはあった。一人暮らしをしているからといっても、約束の一週間を過ぎれば学校から親の方に連絡が行く筈だからだ。けれど、
「息子に前世の記憶がありました、なんて電波な事を俺の両親は絶対に信じないだろうからな。……正直、自分がそうじゃなければ俺も信じていないだろうし」
「まぁ、証明したくても出来る事じゃないもんね……」
「だから大丈夫。親不孝だとは思うけどさ」
 今まで育ててくれた恩を忘れ、最低な事をしようとしているのは解る。しかし、仕事の都合などで今までもずっと離れて暮らしてきたのだ。一年連絡を取らないなんて事は普通にあったし、どこか旅にでも出たと思ってくれるだろう。……いや、それは昔の両親の方だったか。
 もう記憶の混在が始まっているのだろう。断言出来ない思い出の中、俺は記憶の中の両親に頭を下げた。





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