授業。

――――――――――――――――――――――――――――

□   

 時間は二日程遡る。

 イフナから剣の授業を受ける事となった俺は、着慣れぬ胸当てなどの装備を身に付け、城壁内にある広場へとやって来ていた。
 見上げる空は雲一つ無い晴天。排気ガスなどで汚れていない空は青く高く、ただそれだけで感動を得られるほどだ。
 そして視線を下ろすと、だだっ広く拡がる広場が目に入る。とはいえ、今朝は訓練を行っている部隊が居ないのか、そこを走り回っている姿は見えない。
 と、笑みと共にやって来たイフナが、俺と同じように広場を見回し、
「この広場は時間によって使う部隊が決まっていてね。今週は僕の部隊がこの時間を自由に使えるんだけど、実はまだ訓練の開始時間には少し早いんだ。だからその時間を使って、五月君の身体能力を確かめようと思ってね」
 微笑みを持って言うと、イフナは持参した二本の剣の片方に手を伸ばした。そして剣の長さや鞘の厚さから、恐らく片手剣と思われるそれを左手で持ち、
「取り敢えず、この剣を持ってくれるかな?」
 微笑みを崩さず言うイフナに「解りました」と頷き返す。
 どの程度の重さがあるのかは解らないが、イフナが軽々と持っているのを見る以上、そこまでの重さはないのだろう。そう思いながら、俺は差し出された剣の柄を握り締めた。
 そしてイフナが手を離した瞬間――ずしり、と来た。
 重い、と感じる間も無く、柄を握った右手が地面へと吸い込まれるように落ちていく。
「ちょ、ま、重ッ!!」
 思わず叫ぶ。慌てて柄を両手で握り、地面に突き刺さぬように落下を止めた。そしてそれを何とか正眼に構え、
「……こ、これは、腕に来るな……」
 両手で持てば振り回せない事は無いが、片手で軽々と扱うには重過ぎる。更には正眼の構えをずっと取り続ける事も出来ず、耐え切れなくなってきた筋肉が少しずつ震え出して来た。
 そんな俺の姿にイフナは笑みを持ち、
「無理に持ってなくて良いよ」
 その言葉に従い剣を下ろす。正直なところ、これ以上持ち続けていられそうに無かった。
 こんな重い物を片手で軽々と扱っていたイフナは「頑張ったね」と一言俺を褒め、
「普通だったら、剣に魔法を掛けて軽くするんだ。というより、魔法で軽くする事を前提に作られている剣だから、一般的なそれよりも強度が高くて少し重くてね。だから僕の部隊は定期的にそのままの重さで扱っているんだ。そうでないと、もし魔法の効果が切れた時に剣を振るう事が出来なくなってしまうから」
 言って、イフナはもう一本の剣をこちらへと手渡し、
「普段の重さはこんな感じだよ」
 その剣を、今度は少し力を籠めて受け取り、しかし、
「か、軽い……」
 今度は片手で軽く持つ事が出来た。
 まるで同じ剣だとは思えないほどの軽さだ。例えるなら、少々長めの木の棒を振っているような感覚。
「……」
 この広場に来るまで、俺にもすぐに剣が扱えるものだと思っていた。それは漫画やゲームの主人公のように、軽々と剣を振るうイメージ。だが、それが完全に錯覚だった事を痛感する。
 鉄の塊である剣が軽い筈はないのだ。この手の中の軽さに慣れてしまっては、確実に後悔する日が来るだろう。
 そしてそれは鎧などの装備品にも同じ事がいえる。もし魔法の掛けられていない鎧を身に付けた日には、俺はその重さで動けなくなってしまうに違いない。
 ……駄目駄目だな。
 他世界に来た、という事で少し浮かれていたのだろう。現実を認識すると同時に、気分が沈むのを感じる。
 と、そんな俺をフォローするかのようにイフナの言葉が来た。
「初めて剣を持つ時は、みんな五月君と同じように両手で持つのが精一杯な事が多いんだ。だからそんなに気を落とさなくても大丈夫」
「……はい」
 それでも声が小さくなってしまうのを感じつつ、答える。試しにもう一度重い方の剣を持ち上げ……やはり片手では持ち上がらず、更に自分が悲しくなった。
 とはいえ……剣を持つのは初めての筈なのに、柄を握った時に妙な感覚があった。
 例えるならそれは、一度覚えた自転車の乗り方は忘れない、というのと同じように、脳の奥深く刻まれた記憶があるような感覚。俺はイフナに断ると、軽い方の剣を鞘から抜き、
「――ッ」
 無意識に任せるまま、剣を振るう。
 切り、払い、薙ぎ、突き、そして更に切り上げ……まるで一つの流れをなぞるかのように、腕と足が自然に動いていく。
 そのまま数メートル進んだところで動きを止めると、イフナから驚きの声と拍手が来た。彼はそのままこちらへと歩を進め、
「動きは荒いけど、基礎の知識はあるみたいだね。でも、剣を持ったのは今日が初めてだったんだよね?」
「そうなんですが……なんか、体が勝手に動いた感じで。変な気分です」
「そっか……」イフナが少しだけ考え込み……しかしすぐに微笑むと、「理由は気になるけど、でも、限られた時間の中でやれる事が増えたから、今は『ラッキー』って考えておこうか」
「ラッキー、ですか」
「うん。五月君が解らない事を、僕が悩んでも解決する訳が無いしね」
 そう言って、イフナが微笑みを強める。ちょっと酷い、とは思ったが、確かにそうなので何も言えなかった。
「それじゃ、次は柔軟とかをやってみようか。剣を扱う事が出来たのは意外だったけど、まだ五月君の身体能力がどのくらいなのかは解らないからね」



 数時間後。
 イフナとの訓練が終わり、レアリィの部屋へと戻った俺の最初の一言は、
「つ、疲れた……」
 という酷く情けないものだった。
 そのまま座り込む俺に、レアリィは小さく苦笑しながら、
「お疲れさまです。剣の訓練と言っていましたが、どんな事をやって来たんです?」
「身体能力を確かめる、という名目の元、延々と走ったり飛んだり剣を振るったりなんだりしてきた……。正直、自分の体力の無さに悲しくなったよ……」
 部活をやっていなかったとはいえ、少しぐらいは体力に自信があった。けれど、そんな学生の強がりなど無に等しいかのように、イフナの動きに体は付いていかなかった。
 更に、遅れてやって来た部隊のみんなとの訓練でも俺は完全に遅れを取り、かなり恥ずかしい思いをした。
 だが、みんなこちらの事を指差して笑うような者達ではなく、出された指示を上手くこなせない俺にアドバイスをくれたり、応援をくれた。
 兵士というからには厳しい者達ばかりだと思っていたけれど、全くそんな事は無く……しかし、そんな彼等と親睦を深める前に、元の世界に帰るかもしれない自分が少し嫌になったりもした。
 そんな事をレアリィに話し、
「ともかくまぁ、大変だったよ」
「改めて、お疲れさまでした。聞く話では、剣の重さを変えたりするイフナさんの部隊の訓練は、他の部隊のそれに比べて過酷なものになっているらしいです。ですから、疲れてしまうのも仕方ないかと」
「そうだったのか……。でも、明日からもなんとか頑張ってみせるよ」
「はい。でも、無茶はしないでくださいね」
 心配してくれるレアリィに「ありがとう」頷き……だが俺は表情を真剣なものにすると、
「それと、この世界と俺の世界の違いを知れた気がする」
 この世界は、俺の世界とはまた違う形で『争いが起こるかもしれない』状況にあるという。
 国家という概念が俺の世界よりも小さく、領土の線引きも完璧では無い為、小さな問題が大事に至る可能性が否定出来ないのだ。
 国と国との間で幾重にも交わされた条約により、今はその争いの種も少ないというが……『軍』という存在が日常から遠い場所にある俺にとっては、少々受け入れがたい世界ではあった。
 けれど、
「この世界に暮らす人々と、俺の世界に暮らす人々に違いがある訳じゃない。だた、状況が違うだけなんだよな」
「……嫌になったり、しませんか?」
「しないよ。何せレアリィを生んでくれた世界なんだから」
 笑みで言って、俺は腰を上げた。そして嬉しそうに表情を綻ばせたレアリィの正面、そこにある座布団に腰掛けなおすと、
「それに感謝しつつ、次の授業へ進もうか」
「はい。今度は体力では無く知識の時間になりますが、眠ったりしちゃダメですからね」
 そう、レアリィは楽しげに微笑んだ。


□  
 
「では、一回目の今日は『魔法』というものについて勉強しましょうか」
 解った、と頷く五月に微笑み、レアリィは机を挟んで対面に座る彼へと説明を開始する。
「まず、魔法というのは、魔力というものを消費して発動するものを指します。この魔力というのは、私の体の中や、大気の中、更には動植物や無機物……つまりこの世界のどこにでも存在している物質なんです」
「どこにでも?」
「はい。世界に存在する物質は、全て原子の集まりであり……魔力というのも、その原子の一つなのだと言われています。イメージ的には、酸素や二酸化炭素と同じような感じですね」
「原子の一つ、か……。でも、俺の世界にはそれが無いんだったよな」
 何気ない五月の言葉にレアリィは頷き、
「えっと……」
 呟きつつ、手元にある白紙に大きめの円を二つ描いた。そしてその一つに『五月』、もう一つに『レアリィ』と書き、
「本来、世界と世界は干渉しあう事の無い、閉ざされたものです。厳密に丸かどうかは解りませんが……閉じています」
 そして、
「互いの干渉が無い為、各々の世界は全く違った進化や変化をし、発展していく事になります」
 言いながら新たな円を描き、そこに『猫』や『ドラゴン』などと言った単語を書いていく。
「その為、私達のような人間が全く存在しない世界や、人と他の種族が共存している世界、更には半人半獣が居る世界など、様々な世界が存在します」
「だから俺の世界のように、魔力が存在しない世界もある、と」
「そういう事です。簡単に言うと、パラレルワールドですね。ですが――」
 言いながら、レアリィは『五月』と『レアリィ』の円を繋ぐ一本の線を引いた。
「この世界のように、他世界へと門を開く事を可能とする技術を持つ世界もあります。しかし、だからと言って、どんな世界とも門を繋げる事が出来る訳では無いんです」
 言いつつ、レアリィは紙の端に幾つかの線を平行に引き、
「通常、世界と世界の間隔は常に変動し、しかし決して交わる事はありません。例えるなら、上下に動く平行線のようなもの、らしいのです。その中で、世界のあり方が近い世界と世界――つまり『常識』が近い世界同士は、この平行線が近付き易く、門が開き易くなります。逆に『常識』が異なる世界では、その間隔が近付く事は殆ど無く、門を開くのがとても難しくなります。
 この『常識』というのは重要なもので……本来魔法が存在しない五月さんの世界の場合、魔法を使おうとしても『魔法が存在しない』という常識が常に世界に働いている為、魔法を完成させるのが困難になるんです」
 つまり、
「この世界と五月さんの世界は、本来なら最も遠い距離にある、という事になります。ですから、一昨日私と五月さんが逢えたのは、実は奇跡に近い確率だったと言えるんです。こちらの世界から門を開いたと言えど、『向こう側』にある世界の『常識』は覆せませんから」
「き、奇跡? でも、現にレアリィは俺の世界に来たし、俺はレアリィの世界に来られたよな?」
 驚きと共に聞いてくる五月に、しかしレアリィは真剣な顔を崩さず、
「門の説明は前にしましたよね。門は開いてみないと目的の世界に繋がったかどうかは解らない、という」
「ああ。学校でレアリィと再開した時に聞いたあれだな」
 そうです、とレアリィは頷き、
「門を開く魔法を知る魔法使いは、世界と世界の間隔が変化するタイミングを経験から知る事になります。ですがあの時、私は何も考えずに門の魔法を使っていたんです」
 ……五月さんと逢う為に。
「ですからあの時は、偶然にもこの世界と五月さんの世界の間隔が近かった……つまり運が良かっただけ、と言えるんです。先生と共に五月さんの世界に渡った時は、下準備に一ヶ月以上掛かりましたから」
 懐かしい話だ。そう思いつつ、レアリィは説明を続けていく。
「ですが、私達が『こちら側』に戻ってくる時に使用されたあの硝子の剣は、また違う方法で世界を繋げているんです」
「違う方法?」
 レアリィの言葉に五月が疑問符を浮かべ、しかしすぐに、
「……それは、魔法じゃないって事か?」
「正解です」
 答えつつ、自分が長い間行ってきた努力を一瞬で否定されたあの夜の事を思い出す。しかしレアリィはその感情を出来るだけ抑え、言葉を続ける。
「あれは……私の想像ですが、五月さんの世界に近い側にある世界で作られた物なんだと思います」
「俺の世界の、側?」
 疑問符を浮かべる五月に、妙な言い回しをしてしまった、と思いつつ、
「『側』というのは……例えばこの世界からすれば、魔法の存在する、共通点の多い世界の事を指します」
 そういう事か、と五月は頷き、
「つまり俺の世界に近い側っていうのは、科学技術の発展している世界を指すと」
「そういう事です」
 言って、レアリィは紙に再び鉛筆を走らせた。今度は描いた円の周りを黒く塗り潰し、
「この黒い部分。ここは門を開く事に失敗し、取り込まれてしまった人々が落ちる『無の空間』だと言われています」
 そしてその中に更に小さな円を幾つも描き、
「ですが、この無の空間には私達が未だ知りえない、コンタクトを取る事が出来ていない世界が沢山存在していると言われていまして……その中には私達の世界よりも発展している世界、或いはその逆の世界も存在していると考えられているんです」
 言い、レアリィは机に置いてある紅茶を一口飲み、
「それでですね、私が考えるに、あの剣は五月さんの世界よりも科学が発展した世界の産物なのではないか、と思うんです」
「でも、あの剣は普通の剣に見えたけど……」
「私も初めはそう思いました。ですが、あの剣には私の知りえない科学技術が数多く搭載されているようで……」
 と、そこで、空から聞いた説明を彼にして良いものかと考える。あの話はあの場所で完結した、他者に話してはならないもののように思えたからだ。
 けれど同時に疑問に思う事があり、そしてそれは自然と口に出ていた。
「……って、そういえば私、どうして学校の方から先生のところに向かったんでしょう」
「学校から?」
「はい。良く覚えていないのですが、何故か五月さんの学校の辺りから、先生のアパートへ向かった記憶があるんです」
「流石にそれは解らないな……。って、そうだ、レアリィはいつ頃から俺の世界に居たんだ?」
 問い掛けに、初めて『向こう側』に渡った頃の事を思い出す。
「五月さんと出逢う一年ほど前なので……今から一年半ぐらい前からでしょうか。先生と一緒に五月さんの世界の常識を勉強したり、探し人の情報を集めたりしていました。……あと、ちょっと観光したり」
 でも、
「本当なら、五月さんと出逢う前に、あの近くの高校に転入する筈だったんです」
「そうだったのか。じゃあ、もしかしたらもっと前に出逢えてたかもしれないんだ」
「ですね。それに、同じクラスになれたかもしれません」
 微笑んで答え、そして頭に浮かぶ、記憶に無い出来事を言葉にしていく。
「だから、私の初登校の日に廊下でぶつかったり」
「美術の採点を先生と一緒に頑張ったり」
「お姫様みたいに扱われたり」
「同じマンションに住んでた事を驚いてみたり」
「警察から事情聴取を受けたり」
「一緒に出かけたり」
「……キス、したり……」
「……その、色々してたかもしれない訳だよな」
 顔が熱くなるのを感じながら、五月の言葉に頷く。
 だが、だからこそ違和感が生じる。何故五月の学校に転入する事が無かったのか、その記憶が曖昧なのだ。まだ半年しか経っていないのに、こうも記憶が曖昧なのは、
「やっぱり、私達の記憶は弄られているみたいですね……」
「そうだな……。俺も思い出みたいのは浮かぶけど、それをレアリィと行った記憶だけが無いんだよ。どう考えても、誰かと一緒じゃなきゃおかしい記憶なのに……」
 互いの言葉に、少しずつ空気が重くなる。
 自分達の知らないところで、自分達の大切な思い出が改竄されていたのだ。正直言って我慢ならなかった。けれど、もし先生が犯人だったとするなら、そこに何か深い理由があるのだろう。
 だってそう。先生は悪戯にそういう事を行う人では無いと、レアリィはそう信じている。何せ八年という長い時を一緒に過ごして来たのだ。その思いには自信があった。
 だから、という風に、レアリィは出来るだけ明るい声を出し、
「……話、逸れちゃいましたね。魔法の説明に戻りましょうか」
 そうだな、と頷く五月に頷き返し、レアリィは説明を再開した。
「確か、どこにでも魔力が存在するって話の途中で、少し脱線してしまったんですよね」
 言って、硝子の剣の事は流してしまう。それでも、何か言われるかな、と思ったものの何も無かったので、レアリィはそのまま話を続けた。
「えっと……大気中にも存在する魔力は、呼吸という形で体の中に入ってきます。その為、今この世界の空気を吸っている五月さんの体の中にも、少しずつ魔力が蓄えられている事になります」
「俺の中に?」
「はい。ですが、だからといって魔法を扱える訳では無いんです」
「そうなのか……」 
 残念そうに言う五月に、レアリィは小さく苦笑しつつ、
「魔力というものは、純粋な力の塊だと言われています。とはいえ、それが体内外にただ存在している時は何の力も無く……ある一定の力を与える事によって、魔力は膨大な力に変化するんです。その方法とは、体内から体外へと向けて魔力を放出する、という行為です。具体的に言うと、呪文の詠唱がこれに当て嵌まります」
 だが、
「体の中から外に抜け、そして杖へと魔力を集めていく内に、その一部は霧散していってしまいます。それでも尚魔法を完成させる事が出来る人が、この世界の『魔法使い』『魔女』と呼ばれる人々なんです。ですので、この世界には魔法を使えない人も数多く存在していまして……」
「それが剣士や兵士になる訳か」
「そういう事です。そして、五月さんは元々魔力が存在しない世界の住人です。例え体に魔力が蓄えられていったとしても、魔法を使うまでには至らないと思います」
「そうか……」
 改めて、残念そうに五月が言う。『向こう側』には魔法が存在しないから、それに憧れる気持ちがあるのだろう。
 だが、憧れるような力ではないと、レアリィはそう思っている。何せ自分はその力によって家族を、そして住むべき場所を失ってしまったのだから。
 どうしても気分が暗くなってしまうのを自覚しつつも、しかしレアリィはどうには微笑み、
「……では次に、肝心の魔法について説明しますね。まず、魔法というのは大まかに火、水、風の三つの種類に分けられます。これは三大元素とも呼ばれ、この世界における魔法技術の基礎となっています。ですが、元素同士は反発を起こしやすい為、この三つの元素を同時に扱える人は殆ど居ません。なので、大概の魔法使いが一つの元素のみを扱う事になります」
 と、そこまで言ったところで、彼から質問が来た。
「その三つは、魔法使いが自由に選ぶ事が出来るのか?」
「いえ、それは出来ないんです」
 そう答え、しかし不意に過去の記憶がフラッシュバックした。
 吹き荒れる暴風。一瞬にして拡がる赤の色。そして五月が――
「レアリィ? どうした?」
 こちらの顔を心配げに覗き込む五月の声に、我に返る。
「え、あ……なんでもない、です」 
 深呼吸をし、頭に浮かんだイメージを忘れぬように――過去の罪を忘れぬように、胸の奥へと飲み込む。そして無理に笑みを作り、
「えっと、説明を続けますね」
「いや、大丈夫なのか?」
「……大丈夫、です」
 五月の視線を受け止めつつ、頷く。流石にこればかりは、彼に打ち明ける事は出来そうに無かった。
 そして紅茶をもう一口飲み、心をなんとか落ち着けてから、
「続けますね」
「……解った。だが、無理はしないでくれ」
 渋々ながらも頷いてくれる五月に感謝しつつ、レアリィは話を続けていく。
「それでですね……生まれ付き、どんな魔法が使えるかは決まってしまっているんです。ですので、魔法使いにはそれを選ぶ事が出来ません」
「だから三つの元素を同時には扱えない、と」
「そういう事です。そして、魔法を使うには呪文の詠唱を必要とします。これは体内から体外へと魔力を放出する為の切っ掛け、自己暗示のようなものです。この呪文というのは、門などの一部を除き、基本的に全て魔法使いのオリジナルとなっています。ですから、もし他人の呪文を真似して詠唱しても、魔法を放つ事は出来ないんです。自分自身の魔力を外に出す為の暗示なんですから、当然の事ではあるんですが」
 言って、レアリィはずっと握ったままだった杖を少し掲げ、
「次に、杖の説明をします。
 呪文の詠唱により体外へと放出された魔力は、力の塊、と言われるほどに強い力を持ちます。それが魔法使いに返ってこないよう、抵抗の役割を果たすのがこの杖なんです」
 言いながら、レアリィは五月に杖を手渡し、
「この杖や、或いはそれに準ずる物を使う事により、魔法使いは安全に魔法を発動させる事が出来るんです」
「じゃあ、もし杖が無かった場合はどうするんだ?」
「その場合、代わりとなる物を使わなければ魔法を放つ事が出来なくなります。もしそこが争いの場だった場合、最悪な状況になりますね」
 そう答えながら、視線は無意識に己の手に落ちていた。左手の人差し指。そこにある傷は、一生消える事は無い。
 ――だが、レアリィはすぐに視線を上げ、
「ですから、そうなった時の為に、魔法使いは指輪などの装飾品を持つ事が多いんです。いざという時、それを抵抗の代わりにして魔法を放つ事が出来ますから」
 言って、お茶を一口飲み、再び揺れそうになる心を抑えつつ、
「次に、各魔法について説明します」
 五月から杖を返して貰い、そして顔になんとか微笑みを浮かべてから、
「この魔法という技術ですが、実はあまり特別な事を行っていなかったりします」
「そうなのか?」
「はい。まず、私の扱う事が出来る風の魔法を例に挙げると……この魔法は、物凄く簡単に言えば、団扇で風を起こしているようなものなんです」
「う、団扇で?」
 意外だったのだろう。驚きの色を浮かべる五月にレアリィは頷き、
「そうです。団扇というのは扇ぐ事で風を生み出す事が出来ます。風の魔法というのは、その動作を魔法で行う技術の事なんです」
 風の元になる大気は常に世界に充満している。そして風というものは、どんな小さな動作でも生み出されるもの。その風に力と方向性を与えるのが風の魔法なのである。強風を生み出すのも鎌鼬を生み出すのも、その力加減次第なのだ。
 そんなレアリィの説明に、五月は目を丸くし、
「なんていうか、かなり意外だ……」
「そうかもしれません。そしてそれは火や水の魔法も同様です。極端な話、火ならばマッチで火を熾すようなもの。水ならば蛇口を捻るようなものなんです。つまり魔法というのは、その切っ掛けを魔力で生み出し、補い、完成させるものと言えるんです。この世界には大気中にも魔力がありますから、更にそれで補う事も出来ますし」
「そうなのか……って、魔力は体を通さないと力を持たないんじゃなかったのか?」
 そこに気付いたという事は、私の話をしっかり聞いてくれているんだ。そう思いながら、レアリィは自然と微笑み、
「普通は持ちません。ですが、呪文の詠唱による魔力の放出は、それだけで周囲にある魔力を変化させる力を持っています。その変化は微々たるものなのですが、多少の補助にはなってくれるんです」
 とはいえ、
「その補助だけで魔法を放つ事は出来ないので……例えば、物凄く大気中の魔力が濃い場所にやってきたとしても、五月さんが魔法を使う事は出来ないんです」
「結局は、体内の魔力が必要になる訳か」
「そういう事です」
 初日からかなり長々と話してしまったが、どうやら彼は付いてきてくれているらしい。それに安堵を感じつつ、レアリィは改めて五月を見つめ、 
「最後に、一つ。この世界には、魔法以外の力を持った人も存在します」
「魔法以外?」
「そうです。先生が探しに行ったネクロマンサーもそうですし、この城には影を操る力を持つ人が居ます。このような能力を持つ人々は、恐らく他世界からの住民か、或いはその血を引いているのではないか、と言われています」
 過去の時代。まだ門の魔法が禁忌ではなかった頃。
 その時代では、失敗を恐れず、盛んに門が開かれていたのだという。同時に召喚術なども今以上に行われ、様々な世界、種族との交流が一気に深まっていったらしい。
 しかし、それを切っ掛けにした戦争が始まり、その時代は門が禁忌となると同時に終わっていく。
 この世界にはそんな歴史がある為、今でもその生き残りや、特異な能力を持つ者が少なからず存在するのだ。
 レアリィはその事を五月に説明し、そして彼が要点を手元のノートに纏めるのを待ってから、
「それでは、今日の授業はこの辺で。……一気に説明してしまいましたが、大丈夫でしたか?」
「ああ、多分大丈夫。それより、レアリィの方は大丈夫なのか?」
「はい。……ちょっと、昔を思い出しただけですので」
 過去を説明出来ない後ろめたさ。そして彼に心配して貰える嬉しさ。その両方を感じながら、レアリィは曖昧に微笑み返す。
 そして、「紅茶を淹れ直しますね」という言葉と共に立ち上がり、心配げな五月の視線に背中を向け――それと同時に、部屋の扉がノックされ、
「紫藤です。コースト様、少々御時間を頂けますでしょうか」
 聞こえてきた声に、レアリィは扉へと歩を進め、
「はい、なんでしょう?」
 扉を開くと、いつものように黒いメイド服に身を包んだミナが立っていた。彼女はこちらに一礼してから、
「実は、この世界の歴史につきまして、イフナより真鳥様へ御説明するようにとの話を受けたのです。本日はその是非をコースト様に御伺いに参りました」
「そうでしたか」
 答えつつ、こうしたミナとの関係にも慣れたものだと、そんな事を思う。過去の記憶を一瞬でも思い出したから、それを強く感じるのかもしれない。
 ……昔はレアリィって呼んでくれたのにな。そう過去の事を思い出しながら、「別に構いませんよ」と答え掛け、しかし慌てて言葉を飲み込んだ。
 ミナは『コースト様に御伺いに』と言った。つまりそれは、授業を行うか否かをレアリィに決めて欲しい、という事で……もしかするとそれは、レアリィと五月との間に自分が割り込んで良いのかどうか、それを聞きに来たという事なのかもしれない。そうでなければ、彼女は『御二方に御伺いに参りました』と言う筈だ。
 そう思いながらミナを見上げると、彼女はほんの小さく微笑み返してくれた。つまりそう、彼女はまだこちらの事を妹と思って接してくれていて……それでも自分達の関係を壊さぬように、こうした問い掛け方をしてきてくれたのだろう。
 そんなミナの優しさに嬉しくなりながら、レアリィは考える。まだ五月とは友人程度の関係で、しかし彼に対してはそれ以上の好意を持っている(こうしてミナに見抜かれてしまうほどに)。なので、二人きりの時間を優先する為に「NO」と答えても良いのだが……しかし、こと歴史に関する知識においては、レアリィよりもミナの方が上だった。主の為に尽くす者――メイドである以上に、彼女は勤勉なのだ。
 五月とこのまま勉強を続けるというのは悪くない話だ。だが、この世界の歴史を正確に知って貰うには、ミナに説明を頼んだ方が良いだろう。
 レアリィはそうと決めると、姉と慕う彼女へ改めて視線を向け、
「お願いします。……ミナ姉さん」
 小さく告げると、彼女は嬉しげに微笑み……しかしそれを隠すように一礼すると、すぐに真面目な表情に戻り、
「畏まりました。では、御時間は如何致しましょう?」


□   

 そんなこんなで始まった俺の一週間は、午前中はイフナの部隊とのトレーニング、午後はレアリィと紫藤さんの講義、という形で進んでいった。
 その規則正しい生活は学校生活と同じようで、しかし学ぶ事は今まで知らなかったものばかり。
 一日があっという間に過ぎ去り、終わっていく。

 気付けば、二日という時間が過ぎ去っていた。





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