あの人の行方。

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 ――中央大陸奥地、砂漠地帯。

 轟々と音を上げる流れを前に、空と夜城は言葉を失っていた。
 二人の目の前に広がるのは広大な川。豪雨の影響で川幅を大きく広げたのであろうそれは、禍々しい色と音を持ってそこに存在している。しかし、この先にネクロマンサーの住む村があり、そこにレアリィの師匠である女性がいるのだ。
「……最悪」
 上手く行かない現実に文句を言うように呟きながら、空はここに至るまでの状況を思い出す。
 ディーシアでレアリィ達と別れた後、空達はすぐに砂漠地帯へと入った。だが、そこで待っていたのは灼熱の太陽ではなく、季節外れの冷たい豪雨。予想外の状況に困惑しながらも二人は情報を集め……その結果辿り着いたのかこの川だった。
 街の住民に聞いた話を信じるならば、ネクロマンサーの住む村はこの川を越えた先にあるらしい。しかし川は豪雨によって氾濫寸前となっており、そしてその先には魔法で管理されているのだろう深い森がある。もし今日の天気が晴れだったとしても、目的の村へは簡単に辿り着けそうに無かった。
 嫌になる。そう思いながら隣に立つ夜城を見ると、彼も同じように暗い表情をしていて、
「……どうする、これ」
「どうしようか、これ……」
 取り敢えず川上から川下まで見てみるものの、橋らしいものは存在しておらず、かといってこの濁流を乗り越えられそうな船も存在していない。つまり、三十メートル近い川幅を前に、そこを越える手段が何一つ存在していないのだ。
 レアリィには悪いが、正直帰りたくなってきた。そう思っていると、不意に後方から声が来た。
「お前さん達、こんな所で何をしとるんだ」
 それに夜城と共に振り返ると、そこには一人の老人が立っており……彼はこちらを少々心配するような表情で、
「川を渡る事は出来んよ。悪い事は言わんから、宿に戻られると良い」
 こちらの外見から、自分達を旅人だと予想したのだろうか。そう空は思い、同時にこの川の先にいる存在の事を思い出す。
 そう、この先に居るのは死者を操る事の出来るネクロマンサーだ。恐らく過去にもこうして氾濫した川の前で立ち尽くしていた旅人がいて……その内の何人かは、無理に川へ入ってしまった事もあったのだろう。
 だから老人は――なんて事を考えて、空は目の前の現実を否定してみる。そのぐらい彼女のテンションは落ちていて、老人の存在はどうでも良くなっていた。
 そんな空の様子に気付いているのか、夜城が老人へと向き直り、
「解りました。ですが、俺達はどうにかこの川を渡りたくて……何かこう、方法はありませんか」
「……残念ながら、今は無いんだよ」
 残念げに呟いた老人は、しかし氾濫寸前の川を見つつ話を続ける。
「乾季の時は良いんだが……見ての通り、この川は雨になると激しく荒れる。昔は橋を建ててあったんだが、雨季の毎に流されてな。もう橋を作る事自体を止めてしまったんだよ」
「そうだったんですか」
「それにな、この時期にここまでの雨が降る事は今までなかった。この調子だと、この先にある村は全滅かもしれん」
「そ、それってどういう事ですか?!」
 流石に衝撃を受け、空は下げていた視線を上げつつ問い掛ける。すると、対する老人は辛そうな表情で、
「この川は上流で二本に別れていてな。一本はこの街。もう一本は森の先にある村の脇を通っておる。今が雨季の時期なら、あの村も川の氾濫を防ぐ手立てを行うが……この雨は突然の事だった。もしかすると、既に村は川に沈んでいるかもしれないんだよ。まぁ、向かいの森に浸水がないから、まだ断言は出来んがね……」
 それに、と老人は続け、
「それにこの状況だ。村の様子を確認したくても、出来ないんだよ……」
「……」
 予想外の事態の連続に、言葉に詰まる。同じように夜城も絶句し、しかし彼は問いを続けた。
「この雨はいつ頃から振り出したんですか?」
「三日ほど前だ。まさかここまで降るとは思ってもみなかった」
 女性がディーシアを発ってから既に一週間近く。彼女も『門』を開く事が出来るらしいから、いざとなったら安全な場所に避難している筈だ。……というより、既に城へ帰ってきている可能性もある。
 しかし、何らかの事情で門が開けない、或いは今もネクロマンサーのところで何かを行っていると仮定すると、このまま放置するのは女性を見捨てる事に繋がる。
 ……本当、最悪。そう思いながら、空は老人へ小さく頭を下げ、
「……解りました。私達は宿に戻りたいと思います」
 そう告げると、夜城と共に街へと続く道を歩き出し……暫く進んだところで、隣を行く彼から声が来た。 
「何か良い考えは浮かんだか?」
「全然。あるとすれば、無理矢理突破する方法ぐらいかな」
「そうか……って、無理矢理突破出来るのか?」
 驚きと共に発せられたその言葉に、空は頷きを返す。
 今も雨が降り続き、刻々と水かさを増し続けている川が相手だ。本来なら、無理矢理に突破するのも難しいだろう。
 だが、空は微笑みを持って、
「私は、その為の力を持ってるからね」



 数時間後。
 宿に置いてあった荷物を纏め、改めて川へとやって来た空は、その手に杖を握り締めていた。そんな彼女の隣に立つ夜城は、周囲に人影、そして先ほどの老人が居ない事を確認し、
「大丈夫そうだ」
「ん。――それじゃ、行くよ」
 川を睨みながら、空は杖を構えた。
 空が考え出した手段。それは川へと魔法を放ち、無理矢理に道を作り出すというものだった。
 川の水量から考えれば不可能とも思える馬鹿げたプラン。だが、朱依・空という少女ならばそれが可能な事を、夜城は知っていた。
 そして、空が口を開く。
「――定義すべきは火。求めるは炎。炎は風を生み、風は更なる風を呼ぶ。生まれし風よ、我の元へ。我は母なる風の代行者。火を生み出し炎を紡ぐ意思を持つ者。母なる風は子を宿し、生まれいずるは八岐の風王」
 詠唱と共に、構えられた空の杖先に巨大な魔法陣が生まれ、そこに火球が生成されていく。
 そしてそれはうねりながらその形を変え、巨大な火龍へと変化していき――
「その気高き体に炎を抱き、顕現せよ朱の火龍。――我に害成す全てを喰らえ!」
 刹那、生まれた火龍が大きく吼えると、勢い良く川へと喰らい付き――瞬間、轟音と共に川が爆ぜた。
 水蒸気爆発を起こした水はその破壊力を四方へと向けるも、それは全て火龍の体へと飲まれ、他に被害を及ぼす事無く消えていく。
 予想以上の展開に目を白黒させている夜城へ、空は誇らしげに微笑み、
「さ、バレる前に行きましょうか」
 轟々と流れていた川は魔法により寸断され、今や一本の道が出来上がっていた。火龍が通った後に風の壁が生まれ、それが水を止めているのだ。
 だが、増え続ける水位は止まらず、いつ風の壁を突破されるか解らない。
「早くしなきゃ。鉄砲水とかになったら大変だから」
 そう急かす空の声に夜城が頷き、二人は川に出来た道へと向かって走り出した。 

■  

 いざ森の中へと入ってみると、鬱蒼としたそこには一本の道が存在していた。それは舗装されていない、しかし人々によって踏み固められた道だ。森の中にこうした道が出来るほど、件の村へ向かう人が多いという事なのだろう。
 だが、歩き難い。
 土の道は雨によってぬかるんでおり、更には剪定されていない木々が行く手を阻むように枝葉を伸ばしているのだ。鬱陶しい事この上ない。
 だからだろうか。いつの間にか無言になっていた空は、蓄積していく疲労と苛々に、小さく呟きを漏らしていた。
「この森、焼き払ってやろうかしら……」
 と、隣を行く夜城が驚いた様子でこちらを見、
「……冗談、だよな?」
「……」
 敢えて答えない。
 とはいえ、流石に実行する気は無いものの……ある程度道の周辺を整備すれば良いのに、とは思う。そうすれば旅人の行き来も随分楽になる筈だ。まぁ、森に対する人々の考え方もそれぞれなので、ただ『不便だからこうしろ』という提案が受け入れられるとは限らないのだが。
 でも、私ならこうするけどなぁ。そんな風に思いながら歩いていると、不意に夜城が声を上げた。
「ん?」
「どしたの?」
「ほら、あの木の先。何が見えてきた」
 夜城が指差す方へと視線を向けると、確かに家々らしい影が見え始めていた。
「……水没、してないと良いんだけど」
「……そうだな」
 思わず、声が暗くなる。もしかすると、今見えている家々だけが偶然流されずに済んでいる、という可能性もあるのだから。
 それでも、先程までの事は頭の隅に追いやり、空は見えてきた家々へと向かって進んでいく。
 そして森を抜け、見えてきた家々――いや、村は、水没する事無くそこに存在していた。
 だが、存在はしているものの、全損、或いは半壊している家が多く、大半の家屋が住居として機能していないように見える。恐らく、この辺りは一度大量の水に飲まれてしまったのだろう。
 更に、
「この村の周辺だけ、雨脚が弱い……?」
 明らかに、森を越える前との雨脚に違いがあった。
 気が付かなかっただけで、雨が弱まっていたのだろうか。何か釈然としないまま村の奥へと進んでいくと、家々の影から黒い傘が出てくるのが見えた。
「声、掛けてみるか?」
 問い掛けてくる夜城の声に頷いて、二人は少々小走りで黒い傘の持ち主へと近付き、
「すみません」
「……なんでしょう?」
「この村に、ネクロマンサーが居ると聞いたんですが……」
 その言葉に顔を上げた傘の持ち主は、二十代前半と思われる青年だった。
 優しそうな雰囲気を持つその青年は、空の言葉に苦く頷き、
「確かに、この村にネクロマンサーと呼ばれる者が居ります。しかし、彼女は今床に臥せていまして……お逢いする事が出来ないのです」
 辛そうに言う青年に、空は少々慌てながら、
「あ、いえ、私達はネクロマンサーに逢いに来た訳じゃないんです」
 問いかける順番がおかしかったな、と思いつつ、ここまでやって来た理由を告げる。
「その方に、眼鏡を掛けた美人の女の人が逢いに来ませんでしたか?」



 青年に連れられて案内されたのは、ほぼ被害を受けていないように見える家屋だった。
 他の家々よりも豪華な造りであるその家は、ネクロマンサーが住んでいる住居なのだという。基本的に無償で死者の霊を呼ぶらしいが……その力に感動を得た人々が、ネクロマンサーを勝手に祭り上げてしまったのだという。
 だが、貰えないよりかは貰っておいた方が良い。苦笑しながら話す青年の表情は、そこまで困っているようには見えなかった。
「それでは他の者に確認して参りますので、この部屋でお待ちください」
 通された部屋は、簡素な椅子がずらりと並ぶ大部屋だった。普段ならばネクロマンサーへと逢う為の待合室になっているらしい。
 部屋の奥へと消えていく青年を見送りつつ、空は小さく溜め息を吐きながら、
「なんか、やっと着いたって感じだね……」
「ああ。雨さえ降っていなければ、もっと早くここに来れただろうにな……」
 同じように溜め息を吐く夜城に寄りかかりつつ、空は頷きを返し、
「でも、これであの魔法使いが居なかったら最悪だね」
 先程の青年は女性の事を解らないと答えた。ネクロマンサーを取り巻く人員がどの程度居るかは解らないが、もし見つからなかった場合の事も考えなければいけないだろう。
 そう思っていたものの……幸運な事に、その予想は杞憂となった。
「貴女達、こんなところまでどうしたの?」
 部屋の奥から聞こえてきたのは、戸惑いの色を持った声。
 夜城と共に視線を向けると、驚きと困惑のある表情を浮かべた女性が部屋に入って来たところだった。空は半年振りのその姿に胸を撫で下ろしつつ、
「貴女を探しにここまで来たの」
「私を?」
 突然の事で事態を良く飲み込めていないのであろう女性に、この村にまでやって来た事情を説明し、
「で……私達とレアリィ達の記憶が何故食い違っているのか、その理由を知る為に貴女を探しに来たって訳」
「そうだったの……」
「取り敢えず聞くけど、貴女は私達の事を覚えているのよね?」
 確認の意味を含め、俯いてしまった女性へと問い掛ける。すると、彼女は表情に暗い色を持ちながらも、
「大丈夫よ。貴女達の事は覚えているわ。そして……レアリィ達の記憶を封じたのは、私」
 その言葉に、空は内心驚いた。予想していた事とはいえど、まさか本当にそうだとは思っていなかったからだ。
「どうしてそんな事を?」
「私がある二人を探しているって、貴女達に話した事があったでしょう?」
 思い出すのは半年前、女性の隠れ家だというアパートで聞いた話だ。だが、結局その人探しがどうなったのかは聞いていなかった。
「確かに聴いたけど……それが何か関係あるの?」
 空の問い掛けに、女性は苦く頷き、
「ええ。……どんな偶然か奇跡かは解らないけれど、レアリィと彼の中に、私の探していた人達の記憶が眠っていたの」
「な、なんだって?!」
 驚きを浮かべる夜城と共に、空はレアリィ達の身に起こった出来事を聞いていく。そして空達は、自身達が門を通った後、女性達に何があったのかを知る事となった。
「そうして私は、レアリィ達の記憶を安定させる為の手段として、一時的にその記憶を弄ったのよ」
「そういう訳だったのね……」
「だが、もっと早くレアリィ達の記憶を元に戻せなかったのか?」
 夜城の問いに、女性は首を振り、
「本来なら、もっと早い時期にレアリィを彼と逢わせるつもりだったわ。でも、二人の中にある記憶を安定させる方法が見つからないまま、時間だけが過ぎてしまって……。それに、レアリィが魔王候補に彼を選ぶとは思って――いえ、今になって考えてみれば、十分に予測出来たのかもしれないわね」
 暗い表情のまま告げる女性に、しかし空は思う。
 どんなに離れていても、例え記憶を失っていても、二人は互いを求め合ったのかもしれない、と。何せ一人の中に二人分の想いが封じられているのだ。そのくらいの奇跡が起きたところでおかしくはないだろう。
「……で、その魔王候補っていうのは一体何なの?」
 レアリィには教えて貰えなかったその単語の意味を問い掛けてみると、女性は顔を上げ、
「一応機密なのだけれど……喋らない?」
「実は口が堅いのが自慢だったり」
「俺もだ」
 空達の答えに、女性は少しだけ微笑みを得ると、
「今、私の勤めている国の王は魔王と呼ばれていて……」
 あの国の成り立ち。継承者問題。そして生まれた、魔王選出方法。
「そもそもね、私が魔法候補選出の任を与えられるのはもう解っていた事だったから、魔法候補を探すという名目でレアリィと彼を逢わせておこうと考えていたの。でも、その矢先に、ネクロマンサーに逢える機会が出来てしまって……」
 そしてレアリィに魔王候補選出を任せ、自身はネクロマンサーとコンタクトを取る為にこの村にやって来たらしい。
「でも、ネクロマンサーの事より、レアリィ達の方が大事じゃない?」
 少々の怒りと共に問い掛ける。
 女性の目的は解らない。だが、何よりもレアリィ達の記憶を最優先にするならば、私情を優先する必要は無いだろう。
 しかし、女性は「違う」という風に小さく首を振り、
「……死者の魂を呼び出せるネクロマンサーの力を使えれば、レアリィ達の記憶の中から、転生を果たした二人の魂を一時的にでも別離させられるんじゃないかと考えたの。そうすれば、レアリィ達は過去の二人と対話する事も可能になるだろうと思って」
「対話させて……どうするの?」
「相手の記憶に対する認識を変化させるの。『この記憶は同一の物ではなく、過去の記憶には過去の記憶の持ち主が居る。自分の記憶とは違う物だ』ってね。そう認識出来れば、今の記憶を変化させずに保っていられるだろうから」
 でも、と女性は続ける。
「でも、ネクロマンサーの力を使っても、転生してしまっている者達の魂を呼び出すのは不可能らしくて……そして、もうその力は失われてしまった……」
「……失われた?」
 そんな話は聞いてない。そう疑問を投げかける空に、女性は辛そうな色を持って答える。
「力の使い過ぎによる反動ってところね……。寝込んでしまったから、私はその介抱をしていたの」
「じゃあ、レアリィ達の記憶はどうするつもり?」
「今はもうネクロマンサーも安定しているから……私が戻って、直接あの子達の記憶を戻すかどうかを決めるわ。記憶を安定させる方法が無い以上、事情を説明するだけになってしまう可能性もあるけれどね」
 辛そうに女性が言う。
 記憶がすぐに戻らないのは残念な事だ。とはいえ、レアリィ達の記憶が混同し、『自分の過去』をはっきりと認識出来なくなってしまう状況になるよりかはマシなのだろう。でも、愛し合う者達がいつまでも記憶を取り戻せないのは辛い筈だ。けれど――
 そうやって考えていったところで、空は女性の苦悩を知った。故に、何をどうするのが最善なのか解らず、女性の言葉に何も返せない。
 と、対する女性がその表情を改め、
「……でも、一晩だけ時間をくれないかしら」
「どうして?」
「この村が今も川の水に沈まないでいるのは、私が結界を張って応急処置をしたからなの。その強度を確かめて、補強を施しておこうと思って」
 だが、そこまでしてネクロマンサーに逢いに来たというのに、全てが無駄骨に終わったのだ。
 空は何も言う事が出来ず、「解ったわ」と小さく頷き返す事しか出来なかった。





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