彼女の世界。

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 明日までには準備を整えるという事で、今日は解散となった。
 とはいえ、俺は一週間という滞在期間に着替え以外の何が必要か解らず、その準備を手伝う為にレアリィがマンションへと来る事となり……俺達は今、薄暗い夜道を並んで歩いていた。
 まだ名前を聞いていないあの二人は、アパートに泊まると言っていた。そして明日は、あの二人が泊まっている部屋で門というものを開くらしい。
 その説明を聞いている間も、俺はどこか既視感を感じていた。というより、見知らぬ二人と会話をしているのに、そこには何故か仲の良い友人同士であるかのような気軽さが存在していたのだ。
 もしかしたら、本当に記憶を弄られているのかもしれないな。そんな風に思いながら、俺はレアリィへと視線を向け、
「レアリィはさ、俺達の記憶が弄られていると思う?」
「まだ、解りません……」
 等間隔で灯る街灯の下、帰ってくる声は少し暗い。
「出来ればただの勘違いだと思いたいですが……でも、もし記憶が弄られているとしたら、何故そんな事になったのか、その原因を知りたいですね」
「原因か……。確かに、何でもなく記憶を弄られる訳がないもんな」
 とはいえ、俺達の記憶を弄ってまで隠したい原因とは何なのだろうか。……まぁ、それを考えた所で予想すら出来ない上に、そもそも考える為のキーワードすら頭に無いのだが。
「でも、なんであの二人は記憶を弄られていなかったんだろうな」
「それは多分、お二人が強い魔力を有しているからだと思います。記憶を操作する魔法は、相手より強い魔力で無理矢理記憶を弄るか、或いは同意の上で変化させるかの二つしかありませんので」
 レアリィよりもあの二人が強い力を持っている。つまりそれは、あの二人が記憶を弄った犯人であるという可能性も考えられる事になる。
 だが、だとしたら、
「向こうの世界に行くとか言いださないか……」
 レアリィに聞こえぬよう小さく呟く。
 もしあの二人が記憶を弄ったとするならば、それが発覚しないように振舞う筈だ。それをしないという事は、恐らくあの二人が犯人ではないのだろう。それに……根拠は無いが、そうやって他人を騙すのは嫌いなタイプに思えるし。
「つまり、犯人はまだ解らないって事か」
「そうですね……」と、不意にレアリィが不安そうな表情を浮かべ、「……でも、『向こう側』へ行く事、本当に宜しかったんですか?」
 俺はその問い掛けに頷き、そして繋いだ手の力を少しだけ強めながら、
「百聞は一見に如かずって言うしさ。俺が魔王候補として相応しいかは解らないけど、真剣に考えて決めたいと思ってるから」
 今日一日で様々な事があった。しかし、頼まれた事を蔑ろにする気はないのだ。
「でもさ、なんであの二人に魔王候補の事を説明しなかったんだ? やっぱり国民にも秘密になってるから?」
「そんなところです。私は先生の代理なので、独断で判断する事は出来ませんし」
 それでも俺に全ての説明をしてくれたのは、それだけレアリィが本気で俺を選んでくれたからなのだろう。俺はそれを嬉しく思いつつ、
「じゃあ、これからは迂闊にその事を口に出さない方が良いな」
「そうですね。例え城の中でも知らない人が居ますので、気を付けて貰えると助かります」
「解った……って、城?」
 意外な単語に思わず聞き返す。すると、レアリィは微笑みを持ち、
「はい。空き部屋も沢山ありますので、恐らく一週間の間は城の中で生活して貰う事になると思います」
「そ、そうだったのか……」
 イメージとしては、どこかの宿に止まって、街を歩いて……という、軽い旅行気分だった。しかし、宿泊先がお城の一室とは。
 城という建物に気圧されそうな自分を想像し、すこしだけ不安が高まる。
「一体、どんな一週間になるんだろ」
 夜に浮ぶ三日月に、俺は小さく呟いた。

■  

 翌日。纏め終わった荷物を肩に担ぎ、俺は部屋を出た。
 学校には、単身赴任で県外に居る両親が二人とも風邪になったから看病に行く、という嘘の連絡を入れておいた。もし怪しまれたら、自分にも風邪がうつってダウンしてたとでも言えば良い。
 平日の、普段は授業を受けている時間帯にこうして出歩くのは久しぶりで、何だか少し心が弾む。そうしてアパートへと歩いて行くと、階段のところにレアリィが立っていた。どうやらこちらを待っていてくれたらしい。それを嬉しく思いながら、俺は軽く手を振り、
「おはよ、レアリィ」
「おはようございます、五月さん」
 軽く頭を下げてレアリィが微笑み、「もう準備は出来ていますので、早速部屋へ向かいましょう」という言葉に連れられて一緒に階段を上っていく。そして昨日とは逆、左側にある部屋へと向かうと、レアリィがその扉を開き、
「あ、靴は履いたままで。向こうに行った時に履く物が無くなってしまいますから」
「解った」
 その言葉に頷き、廊下に敷かれた新聞の上を歩いてリビングへ。
 リビングは家具が片付けられており、そこには昨日出逢った、しかし俺達の友人らしい男女がこちらを待っていて――不意に振り返った少女と目が合い、その表情が微笑みに変わり、
「来たわね」
 そう告げる彼女の手には硝子の剣があり、レアリィの言葉通り準備は終わっているらしい。それに続くように青年が荷物を持って立ち上がり、俺に「おはよう」と言葉をくれた。
 その言葉に返事を返しつつ二人の前に立つと、少女が俺の荷物をちらりと見てから、
「一応確認しておくけど、忘れ物とかは無い?」
「大丈夫だ」
 思わず鞄を見つつそう答え、同時に一休みする暇も無く向かうという事に少々驚く。しかしそれは、少女達が一刻も早く俺達の記憶を元に戻したいと思ってくれている事に他ならないのだろう。……根拠はないが、そんな風に思えた。
 対する少女は俺の答えに満足そうに頷くと、
「じゃあ、門を開くから少し下がってて」
 解った、と頷き返すと、俺はレアリィと共に一歩少女から距離を取った。彼女はそんな俺達に一つ頷くと、こちらに背を向け――そして、目の前の空間へ硝子の剣を振り下ろし、
「約束は果たされ、今門が開く。世界よ、ここに繋がらん」
 言葉と同時に、剣の軌跡をなぞるように一本の線が浮かびあがる。それはレアリィが現れた時の門とは違い、円の色も、内部に描かれている文様も違っていた。
 俺はそれを、その変化を、どこかで見た事があるような感覚を覚えていた。しかもそれは、レアリィが美術室に現れた時以上に強い既視感を持っていて、
「何なんだよ……」
 皆に聞こえないように小さく呟く。自分でも訳が解らなかった。
 そんな俺を余所に、門はあっという間に完成していく。気付けば、暗い赤色の巨大な魔法陣が生み出されていた。
「よし、完成っと」
 言って、少女が手に持った剣を鞘へと仕舞った。そしてそれを青年の手にある鞄へ無造作に突っ込むと、俺達の方へと振り向き、
「じゃ、行きましょうか」
「はい。……行きましょう、五月さん」
 その言葉と共に、レアリィが俺の手を取った。俺はその手を握り返しながら、今更のように『今から別の世界へ行く』という事実を実感し、思わず顔に苦笑を浮かべながら、
「なんだろ、急に緊張してきた」
 冗談めかして言うと、隣に立つレアリィが微笑み、
「大丈夫ですよ。門を潜るのは一瞬ですから」
 その言葉に頷いた時には、もう門は目の前にあった。
 少女達の姿は既に門の向こうへと消えている。
 その後を追うように、俺達も進む。
 進む。
 赤く蠢く門に足先が触れた。
 鼓動が高鳴る。
 だが、止まる事は出来ない。
 更に一歩、門へと入り込むその瞬間、俺は思わず目を瞑ってしまって、
 そして、
「――ッ」
「はい、到着です。目を開けても大丈夫ですよ」
 聞こえて来たレアリィの声に頷き、けれど恐る恐る目を開くと……視線の先にはレアリィが立っていて、その背後には古めかしい石の外壁が広がっていた。
 それはまるで、崇高な絵画でも見ているかのようだった。そんな俺に対し、レアリィは優しく微笑み、
「ようこそ、私の世界へ」
 その言葉を聞いた瞬間、俺はここが異世界なのだと納得する事が出来た。それほどまでに違和感無く、レアリィがそこに存在していたからだ。
 だから、という訳では無いが、俺は改めてレアリィ・コーストという少女に心を奪われるのを感じる。風に揺れる金色の髪も、異国の血を引くその顔も、蒼い瞳も、小柄な体も何もかもが愛しく、思わず抱き締めてしまいそうになり――不意に、背後から声が来た。
「今回はちゃんと付いて来たわね」
 その言葉に、俺はレアリィへと伸ばそうとしていた手を慌てて止め、彼女と共に声の主へと視線を向けた。
 そこには寄り添って立つ少女達が居て――その背後には、視界全てを埋め尽くす街並みが拡がっていた。
「……凄いな」
 思わず声が漏れる。
 俺達が立っている場所は高台になっているようで、俯瞰する街並みは遥か遠くにまで広がっており、そしてどこか古めかしい。その中には、東洋と西洋の建築様式を混在させたような建物が多々あり、ここが異世界だという事を実感させた。
 そのまま街の様子に目を移すと、車などの移動手段は見当たらず、その代わりに馬や牛などの動物が荷台を引いており……人々が歩く大通りには街灯らしいものが点々と立っていて、しかし電線などはなく、その一つ一つが独立しているように見えた。当然人々の服装も多種多様で、しかし俺の居た世界にどこか通じるものがあるように思える。
 と、初めて目にする異世界の街並みに視線を奪われていると、少々呆れたような少女の声が聞こえてきた。
「ちょっと、話を進めたいんだけど?」
 それに慌てて視線を移すと、彼女は小さく苦笑し、
「まぁ、気持ちは解るけどね。ディーシアはこの大陸で一番大きな国だし。でも、今は私達の話に集中して貰えると助かるわ」
「ご、ごめん」
 もし声を掛けられなかったら、俺はあのまま街並みを眺め続けていただろう。それに少々気恥ずかしさを覚えながら謝罪すると、少女は小さく首を振り、
「別に誤らなくても大丈夫。ともかく、これからの予定ね」
 空気を入れ替えるようにそう言って、少女は青年の持つ鞄から杖を取り出し、
「私達は今から準備を整えて、すぐにでも砂漠地帯に向かおうと思ってるわ。……で、レアリィ達はどうする? 私達と一緒に行く?」
 問い掛けに、俺の隣に並んだレアリィが暫し悩み、
「出来ればご一緒して先生を探したいですが……お二人にお任せする事にします」
「なら、城で待ってて。一日も早くあの魔法使いを見付けて、貴女達の記憶を元に戻してあげるから」
「それじゃ、遅くても一週間後にまた逢おう」
 少女に続くように青年が言い、荷物を持ち直す。そうして歩き出す二人に、レアリィと共に『気を付けて』と言葉を送る。
 二人はそれに軽く手を振って答えると、そのまま街へと続く階段を下って行き……その姿が見えなくなったところで、俺はレアリィに問い掛けた。
「一緒にお師匠さんを探さなくて良かったのか?」
「大丈夫です。先生の事は確かに気になりますが、あのお二人ならばすぐに見つけてくれると思いますから」
 と、彼女は何故か少しだけ悲しげに言い、しかしすぐに微笑むと、
「では、私達も行きましょう。五月さんには、知って欲しい事が沢山ありますから」 
「解った。……でも、城ってのはどこにあるんだ?」
 少女達が降りていった方向――先程眺めていた方向には、城と思われる建物は無かった。というより、建築技術が違うこの世界では、俺のイメージするような城は存在しないのかもしれない。そんな風に考え、しかしレアリィがそれを否定するように視線を背後へと向け、
「後ろです。後ろ」
「後ろ?」
 言われ、視線を百八十度動かす。しかし、目の前に広がるのは大きな石の壁で、右を見ても左を見ても、壁しか広がっていないように見える。
「長い壁だけど……まさかこれが城、なのか?」
「違いますよ。これは城を守る為の城壁なんです。ディーシア城はこの壁の向こう側にあります」
「この向こう側……」
 微笑むレアリィに頷きつつ、城壁の大きさに驚愕する。
 少女が『ディーシアはこの大陸で一番大きな国だ』と言っていたが……もしかすると俺は、とんでもない国の王様候補に選ばれたのかもしれなかった。



「この城壁沿いの道は、日中はこうして開放されていますが、夜間は防衛の為に全ての階段を封鎖しているんです」
 そんな風にレアリィの説明を聞きつつ、俺は長く高い城壁に沿って歩いていく。
「侵入者対策って事か」
「そうです。更に城の中へは、許可を持った人以外入れないようになっています。一応、ですが」
「一応?」
「はい。でもその話は城門を越えたら説明しますね」
 その言葉に頷くように向けた視線の先、右手に大きな城門が見えてきた……が、
「城門の大きさも凄まじいな……」
 横幅だけでも二十メートル以上はあるだろうか。呆れるほどの大きさに面食らっていると、隣に立つレアリィが小さく秘密を打ち明けるように、
「実はですね……この城門は魔法でその重さを変化させているので、やろうと思えば私一人の力でも開くようなっているんですよ」
「ま、マジか」
「マジです。それにこの高い城壁も、その殆どが魔法によって組み上げられています。『こちら側』には重機などが存在しないので、自然とそういった魔法が進歩していったんです」
 その言葉に、改めて魔法という技術の凄さを感じていると、レアリィが俺の手を軽く引いて歩き出し、
「とはいえ、普段は外敵の侵入を防ぐ為に城門は硬く閉ざされています。ですので、私達はそこにある通用口を使って城内に入る事になっているんです」
 見れば、城門から数メートル離れた位置にさほど大きくない扉が取り付けられているのが見えた。恐らくはそこが通用口となっているのだろう……と、そう思っていると、レアリィが自身の鞄から杖を取り出し、
「それでですね、城内に入る前に、五月さんにある魔法を掛けたいと思います」
 そう言って通用口の手前で立ち止まると、レアリィは俺と向き合い、
「これは異国の言葉でも理解出来るようになる、通訳の役割を果たす魔法です。恐らく大丈夫だとは思うんですが、一応保険の為に」
 レアリィが普通に日本語を話していたから忘れていたが、ここは俺の世界の常識が通じない異世界であり、当然使われている言語も異なっている筈だ。それでも、この地方は日本語と同じか、或いは似た言語が使われているのだろう。だからレアリィは『保険』と言ったに違いない。
 とはいえ、便利な魔法もあるんだな。そう思いながら、俺はレアリィの言葉に頷きを返すと、
「解った。お願いするよ」
「では、早速」言って、レアリィが杖を構え「――風よ。無限の音色を響かせる大気よ。可変する悠久の流れよ。隔てるモノ無きその力を、今ここに具現せよ」
 刹那、杖先に緑色の魔法陣が生まれ、そこから生まれたのだろう柔らかな風が、耳の辺りをくすぐるようにして吹き抜けていく。
 だが、変化はそれだけ。俺は消えていく魔法陣からレアリィへと視線を上げ、
「今のが……?」
「はい。でも、私が側に居ないと効果が失われてしまう可能性があるので、気を付けて下さい」
「解った」
 とはいっても、右も左も解らない異世界だ。レアリィの側を離れる事も無いだろう。そう思っていると、彼女の背後にある通用口――その一部が横にスライドし、その奥から鋭い眼光が向けられた。
 突然のそれに怯む俺にレアリィが驚き、そのまま慌てた様子で背後へと振り返り、
「は、春風さん、私です、レアリィです!」
 その言葉に、隙間の奥から覗いていた瞳が和らぎ、
「おお、やっぱりレアリィだったか。ちょっと待ってろ、今開けてやるから」
 響いてきた男性の声と共に開錠の音が聞こえ、ぎ、と蝶番を軋ませながら木製の扉が開かれ……その向こうから、こんがりと日焼けした中年の男がこちらへと顔を覗かせ、レアリィの姿を見るなりすぐに破顔した。そして、恐らく軍服と思われる服を身に纏った屈強な体と共に扉から出てくると、まるで娘に接するかのような優しい口調で、
「こうして逢うのも久しぶりだなぁ。ここ暫く、こっちは城外での演習ばっかりだったからよう」
「確かにそうですね……。私も城内に引き籠もりがちでしたから、尚更だったのかもしれません」
「ウチの息子も淋しがってたぜ。最近はレアリィが構ってくれないってな」
 そう言って呵呵と笑い……そして改めてレアリィを見つめると、男は少々真剣な口調で、
「……で、だ。お前さんが外に出た記録は無かったが、ここを通らずにどこか行ってたのか?」
「はい。でも、今回も理由は話せなくて……」
「また魔女と出掛けてたのか……。まぁ、それなら仕方ねぇな」
 魔女、というのはレアリィのお師匠さんの事だろうか。というか、この男とレアリィの関係は一体何なのだろう。そう思いながら成り行きを見守っていると、不意に男の目が俺へと向き、
「それで――後ろの兄ちゃんは何者だ?」
 それは、今までレアリィに向けていたものとは違う、そして扉の向こうから向けられたものとも違う、明らかに攻撃的な視線。射抜くようなそれに動けなくなり、まるで男の体が巨大化したかのような錯覚にすら囚われた。そのまま思考が止まり、膝から震えが走り、嫌な汗が噴出し始め、
「は、春風さん、止めてください!」
「――っと」
 突然、男の目から力が無くなった。それと同時に、彼は俺に笑いかけ、
「すまねぇな兄ちゃん。怖がらせちまったか?」
「……か、かなり……」
 漫画やゲームの中に出てくる、殺気というものを初めて体感した気分だった。……いや、気分なんてものじゃない。もし俺が不審者だった場合、あの瞬間に殺されていたのだろう。
 恐怖と、同時に情けなさが全身を支配し、まだ少し震えが残る体を悲しく思う。すると、不安げな顔をしたレアリィがこちらを覗き込み、
「ごめんなさい、五月さん。大丈夫ですか?」
「なんとか……。ていうか、その人は……?」
 レアリィに向けた問い掛けは、その後ろに立つ男から返ってきた。
「俺は春風・始(はるかぜ・はじめ)という。今のを見る限り、兄ちゃんは一般人だな」
「は、はぁ……」
 一般人であると同時に、この世界の住人ですらない。というか、元の世界に居ても、あんな風に睨まれる事など一生無かっただろう。
 そう思う俺の前で、レアリィは困ったように微笑み、
「春風さんは、この城門を守備する兵士の一人なんです。でも、素性の解らない人がここへやって来たりすると……」
「ああして、一発ガンをくれてやるって訳だ」
 そう言って、春風がにやりと笑い、
「今ので動じないのは、実戦を踏んだ兵士や魔法使いぐらいだ。だからまぁ、ちょっとしたテストみないなもんだったと思ってくれ」
「テスト、ですか……」
「そうさ。俺はこう見えても――」
 言いつつ、自然な動作で春風が右腕を持ち上げた。
 何気ないその動作に一瞬気付かなかったが、彼の右腕は肘から下が存在していなかった。突然の事に驚き、しかし動揺する事なく春風の言葉を待つ。すると、彼は嬉しげな笑みを見せ、
「お、あんまり驚かねぇんだな。関心関心っと。……でだ。こう見えても俺はここから先に不審者を入れるのを阻止しなきゃなんねぇ。だから、レアリィのように皆から一目置かれてる位置にいる魔法使いの連れだろうが、罰を受けるのを覚悟でこうやってテストをするのさ」
「……大変な仕事っスね」
 思わず、呟いていた。相手に殺意を向けるという事は、そのまま相手から殺意を返される可能性もあるのだ。罰なんてレベルではなく、そのテストは命懸けであるのだろう。……いやまぁ、流石に相手の判断を行ってからなのだろうが。
 対する春風は俺の言葉に呵呵と笑い、
「まぁ、兄ちゃんみたいに外見から判断出来ねぇ時限定さ」
 という事は、俺は不審者に見られる外見をしているという事なのだろうか……。そう思いながら少し凹んでいると、レアリィが春風を問い質すように、
「でも、前に止めてくださいと話をしましたよね?」
「したな。だがまぁ、まさかレアリィが男を連れてくるとは思わなかったからなぁ。悪い虫じゃねぇのかどうか、ついつい気になっちまったのさ」
 言って、春風が大きく笑う。そんな彼の調子に慣れているのか、レアリィは呆れたように溜め息を吐いた。
 そうして一笑いしたあと、春風は俺達を招き入れるように扉を大きく開き、
「と、話が長くなっちまったな。さぁ、中に入ってくれ」
「中……?」
 オウム返しに聞き返すと、春風は扉の奥へと引っ込んでいってしまった。
「取り敢えず、扉を通れば意味が解ると思います」
 少し疲れた感じのあるレアリィに頷き、彼女と共に扉の奥へ。小部屋か何かあるのかな、と思いながら入ったその先――そこには、予想よりも広く大きい部屋があった。
「ここは、門衛の為に用意された部屋……いわゆる詰め所ですね。夜の見回りの拠点にもなる為、大きめに部屋が造られているんです」
 レアリィの説明に頷き、俺は部屋を見回す。
 部屋の大きさは学校の教室ほどあり、俺の居る場所から右へ横に広い。部屋の中心には大きな机が二つ置かれ、その周りに背もたれの無い丸椅子が無造作に置かれている。机の上には少々高く積まれた紙と、それを仕舞うのだろう棚が置かれており、更にポットが二つにカップが数個、お茶請けなのだろう菓子の入った皿が二つあった。
 そのカップを手に取りながら椅子に座った春風を含め、部屋の中に居る人数は六人。年齢も性別のばらばらで、彼等はローブを着ていたり鎧を纏ったりしていた。
 そんな彼らから向けられる窺うような目線に取り敢えず会釈を返していると、春風が左手に持ったカップを軽く振りつつ、
「どうする、お茶でも飲んでくか?」
「いえ、それはまた今度」
 小さく首を振り、レアリィが断った。そのまま彼女は他の兵士達に視線を向け、
「『魔女とのお出かけ』なので、この方の入城は機密扱いになります。よろしくお願いしますね」
 レアリィの言葉に、春風を含めた兵士達が『了解』言葉を返す。それに頷くと、彼女は俺の手を取り、
「それじゃ、行きましょうか」
 その微笑みに頷いて、春風の笑みに見送られながら詰め所を後にし――俺は、言葉を失った。



「これが、私が勤めるお城です」
 そう告げるレアリィの声を聞きながら、しかし俺は目の前にそびえ立つ豪奢な城に圧倒され、声を上げる事が出来なかった。
 日本にある城とは違い、その形は欧州にある物に似ている。白を基調として造られており、まるで物語の中に出てくるような雰囲気を持っていた。
「これは……凄いな」
 先ほど見た城下街以上に心を奪われる。むしろ感動すら覚えていると、レアリィが俺の呟きに頷き、
「城で暮らしていると忘れてしまいがちですが……本当に素晴らしいお城ですよね」
 その言葉を聞きながら、俺はディーシア城以上に目と心を奪われるレアリィへと視線を戻す。対する彼女は、優しく微笑みながら俺を見ていて、
「では、城内へ入りましょうか」
「ああ」
 歩き出すレアリィに頷き返し、俺達は大きく開かれた正面玄関へと向けて歩いていく。
 しかし、城に目を奪われていた時には気が付かなかったが、城内広場には沢山の人が存在していた。まず、城の外周を回るように集団で走っている二十人ほどの男女の姿。その背後に広がる木々の間には選定を行っている老人達が居り、中には若いメイドさんの姿も見える。と、その一人が小走りで正面玄関から城内へと入っていき……思わずそれを目で追うと、大きく開かれた玄関の奥で、数名のメイドさんが動き回っているのが見えた。
 そんな人々の姿を確認してから、俺は改めて城を見上げ、
「まさか、建物を見て感動する日が来るとは思わなかったよ」
「光栄です。でも、私も初めてこの城に来た時は、五月さんのように感動しました」
 と、何故かレアリィは少しだけ影のある微笑みを浮かべ、
「実は私、このディーシアの生まれではないんです。だから、こんな豪奢な造りの城も初めてで。ここに来た当初は毎日のように城を眺めていました」
「となると……言葉は悪いけど、他の城はもっと貧相なのか?」
「そうなりますね」言って、レアリィは苦笑し、「この国は長い歴史と共に栄えてきました。でも、他国の城は老朽化によって崩壊したり、自然災害の被害にあったりと、何らかの理由で城が失われている場合が多いんです。当然その度に城下の街は復興されますが、新たに城を建て直す資金が無い事もあり……結果、簡素な造りの城になってしまっている国は少なくないんです。それに……」
「それに?」
「私が産まれるもっと以前から、この世界では大規模な戦争は起こっていません。ですから、城というもの自体を作らず、王政を廃止し、国民から選ばれた人々が政治を行っている国もあると聞きます」
 城、そして王様が存在する為、レアリィの世界は完全に君主制なものだと思いこんでた。しかし、全てが全てそうであるとは限らないらしい。
 認識を改めつつ頷く俺に、でも、とレアリィは続ける。
「実質、この国も王政では無いんですけどね……」
 実際の政を行っているのが大臣達である以上、厳密には王政とは言い切れないのだろう。しかし、国民は王政だと信じているのだから、妙な政治形態になっているように思えた。 
 そんな事を小さく話しながら俺達は歩を進め、城の中へと入っていく。





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