再会と疑問。

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 放課後の美術室。
 火事によって壁に穴が開いた日からもう半年。穴は綺麗に塞がれ、今はもう色の違いでしかその事実を確認出来なくなっていた。そんな日々の中で進級し、何だかんだで再び美術委員となった俺は、一人で道具や作品などの後片付けを行っていた。
「ったく、五・六限に美術とかありえねぇ……」
 しかも片付けるのはホームルームが終わった後だと来たもんだ。帰るのが遅くなる事に文句を垂れつつも、半年前に何故か新品が追加された小刀や造り掛けの作品を準備室へと運んでいく。……本当、なんで俺は二年連続でこんな仕事を選んだんだろうな。
 そんな風に思いながら、片付けという名の肉体労働を全て終え、小さく溜め息を吐いたところで、
「ん?」
 不意に、美術室の中に風が吹いた。
 どこか窓が開いていたのだろうか。そう思いながら、俺は窓に視線を巡らせ――その動きの中で、美術室の中心に変なものが浮んでいる事に気が付いた。
 それは支えもなく空中に漂い、更には小さく蠢いていた。そして、俺の見ている目の前でその大きさを増し、あっという間に二メートルほどの円となる。円の内部は文字のような模様で埋め尽くされており、その一つ一つが白に近い緑で輝いていた。
「なんだ、これ……」
 初めて見るものの筈なのに、何故か強い既視感を覚える。もしかしたらどこかで見た事があっただろうかと記憶を探っている内に、空に浮んでいたそれに更なる変化が訪れた。
 白に近い緑で輝いていた円の色が一瞬で純白へと塗り変わり、にゅ、と細い足が出てきたのだ。
「なぁ!?」
 突然の状況に動揺する俺を余所に、脚から胴、胴から胸、胸から腕、そして流れる金髪が姿を現し……やがて、一人の人間が美術室へと降り立った。
 それは半年前、一度だけ逢った事のある少女で、
「れ、レアリィ?!」
 突然目の前に現れた異国の少女に、俺は驚きの声を上げる。それに気付いたレアリィは、俺の姿に驚き、しかしすぐに嬉しそうな表情を浮かべると、
「良かった、また逢えた……!」
 その言葉と共にこちらへと駆け寄ってくると、彼女は未だ驚きの抜けない俺の手を取ると、
「一度で門が開いて、その先に五月さんが居るなんて! こんなに嬉しいの、私初めてです!」
 どうやらレアリィは相当に俺との再会を喜んでくれているらしい。当然俺も嬉しいのだが、しかし彼女が奇妙な方法で現れた為か、少しまだ驚きの方が勝っている。そんな俺の様子にレアリィがはっとし、そして恥ずかしげに俺の手を放すと、半歩後ろに下がって改めて俺を見つめ、
「えっと、その……私の事、憶えていますか?」
「憶えてるよ、レアリィ。だけど、今のは一体……?」
「えっと、実は――」
 俺の問いに一瞬だけ逡巡し、けれどすぐにレアリィが説明をくれた。
 それは俺の知らないもう一つの世界の話だった。その世界で発展している魔法という技術の事、この世界に渡る手段である『門』の事などを聞きつつ……しかし違和感があった。それは、どこかで聞いた事があるような、体感した事があるような、まるで忘れてしまった夢の話を聞いているかような感覚を持っていたのだ。
 対するレアリィもそれを感じているのか、話をしながら時折『これはもう話したような』という顔をしつつも、丁寧に説明を続けてくれて……
「……という訳なんですが、信じて貰えますか?」
 心配げに話を閉じたレアリィに、俺は頷きを返し、
「目の前でレアリィが出てくるところを見せられたら、信じるしかないかな。それに、何故かは解らないけど、前にもその説明を聞いた事がある気がするんだ」
 そんな事はある筈がないのに、そうだと断言出来ない記憶が頭にあるような気がしてならなかった。
「実は私も、この説明をするのは初めてじゃない気がして……」
 やはり、レアリィも俺と同じように感じていたらしい。だが、俺達が逢うのはこれが二回目で、尚且つ初めて逢った時にこんな話をした記憶は無い。どうしてだろうとお互いに首を捻りつつ、ふと疑問が浮んだ。
「ともかく、レアリィが他世界から来たのは信じる。でも、一体何の目的でこの世界に?」
「それはですね……」
 その言葉を聞きながら、俺は窓の外が真っ暗になっている事に気が付き、
「あ、ごめん、その話は長くなりそう?」
「……多分、少しは」
 少々考えつつ答えるレアリィに窓の外を指差しつつ、俺は一つの提案をした。
「なら、一旦場所を移さないか? 時間も遅いし、ここじゃ誰かがやって来る可能性もあるから」
 何より、私服のレアリィは学校の中だと目立ってしまう。前のように制服を着ているのなら話は別だったのだろうが――
「って、前?」
 何気なく浮んだ自分の思考に疑問符が浮ぶ。前もなにも、レアリィがこの学校の制服を着ているところなんて見た事がないというのに、俺は一体何を考えているのか。
「どうかしましたか?」
「や、何でもない。で、一旦移動しようかと思うけど、大丈夫?」
「はい、大丈夫です」
「んじゃ、ちょっと帰る準備をするから待っててくれ」
 言って、準備室へと放置してあった自分の鞄を取りに行く。片付けはもう終わっているから、あとは美術室の鍵を返すだけで……面倒だし、明日の朝一で職員室へ持っていけば良いだろう。最近はいつもそうしているしな。
 そう思いながら美術室へと戻ると、
「もうすっかり元通りになっているんですね……」
 レアリィが概念深げに壊れていた壁を眺めていた。俺はその隣に並びつつ、
「そこが壊れてた事を知ってたんだ」
「はい。どこで知ったのかは忘れてしまいましたけど……でも、大きく穴が開いてしまっていたのは記憶に残っています」
「そうだったのか」
 壁に穴が開いた原因は暖房器具からの出火が原因だった。何故あんなに大きな穴が開いたのかは謎だが……それでも学校という場所で起きた事件だ。一時的にはニュースや新聞でも取り上げられた。
 前回レアリィが何日ほどこの世界に居たのかは解らないが、俺と逢った時期的に、そのニュースなどを見て知ったのだろう。
「あの日、レアリィと逢ってからもう半年近く経ってるからな。そう考えると時間の流れって速いもんだよ」
「でも、また逢える事が出来て良かったです」
「俺もだ。んじゃ、そろそろ移動するか」
 微笑むレアリィの手を取りつつ、俺達は美術室を後にする。そうして、もう誰も居ない廊下を二人で歩いていき――って、
「何をやってるんだ、俺は……」
 レアリィに聞こえぬよう小さく呟いた先には、まるで恋人同士のように五指を絡めた二つの手がある。無意識の産物とはいえ、俺達はまだそんな関係ではないというのに。
 それに、まだ一度しか逢った事のない少女の名を、何故俺はもうファーストネームで呼んでいるのだろうか(まぁ、レアリィも俺の事を名前で呼んでくれているけれど)。しかも、何故かそうする事に違和感を覚えないのだ。それどころか、まるでそれが当たり前の事のようにも感じられる。視線を移せば、隣を歩くレアリィも違和感を持っているようには見えなかった。
「ま、良いか」 
 互いに不快でないのなら、答えの出ない事を考えるだけ無駄だろう。
 そうして俺達は手を繋ぎながら下駄箱へと向かい、靴に履き替え、元から靴ままのレアリィと共に校門を出る。
 その途中、ライトに照らされた葉桜が視界に入った。今は良く見えないが、まだ少しだけ桜色が残っていた筈だ。もう少し時期が早ければ、レアリィと一緒に花見が出来たかもしれない。俺はそんな事を思いながら、レアリィへと視線を向け、
「取り敢えず、どこか休める所にでも行こうか」
「そうですね。でも、私は少し荷物があるので……一旦部屋に戻っても良いでしょうか?」
「ん、解った」
 言い、自室のあるマンションの方角へと無意識に歩き出す。前に逢った時に、同じマンションに住んでいるという話をしたような気がしたからだ。だが、歩き出した手をレアリィに引かれ、俺はすぐに足を止めた。
「あ、ごめんなさい。マンションの方ではなくて、アパートの方で」
「アパート?」 
「はい。実はもうあのマンションに部屋は借りていないんです。なので、私の師匠である人のアパートに行こうとかと思います」
 微笑みながら言うレアリィに手を引かれつつ、俺達はマンションに背を向けるようにして歩き出す。学校の脇を抜け、住宅地の中を進み、少々周りに家が少なくなってきた所で、目的のアパートへと辿り着いた。
 見た所、部屋数は四つ。二階建てになっているそのアパートに電気が灯っている部屋は無く、レアリィの話では今は誰も住んでいないとの事だった。
 その中央にある階段を上がり、通路を右へと。曲がった先にある扉の前で立ち止まり、レアリィは手に持った鞄から鍵を取り出しつつ、
「この部屋です。マジックアイテムを使って魔法を維持させているので、埃は無いと思います」
 その言葉に頷くと同時、音と共に鍵が開いた。扉を開け、中へと入っていくレアリィの後を続いていく。
 だが、一度も入った事のない部屋なのにも関わらず、何故かここでも既視感を覚えた。それに首を傾げつつ、俺は差し出された座布団の上に腰を下ろす。その正面へとレアリィがもう一枚座布団を用意し、だがそれに座らず、
「荷物を置いてきますので、少し待っていてください。すぐにお茶の用意をしますので」
 微笑みなら言うレアリィに頷き返し、その姿を見送る。そして自分一人になったところで、俺は静かに部屋を見渡した。
「……」
 その間取りから家具に至るまで、過去に見た事があるような気がする。気がするのだが……しかしそれ以上の確信を得る事は出来ず、だからこそ謎が深まるのを感じる。一体何なんだろうな、と思いつつ、レアリィから全く警戒されていない現状についても考えてみた。
 何せ、出逢って二回目の男を部屋に招き入れているのだ。これだけ無警戒なのも普通ならおかしいのだろう。だが、今までの行為全てが普通だと思えるような何かがレアリィにはあった。恐らくそれは彼女も同じで……だから俺に対する警戒が低いのだろう。
 それは喜ぶべき事なのだろうが、如何せん理由が解らないのが気に掛かる。思えばレアリィと初めて逢った時には懐かしさを感じたし、その理由が関係しているのかもしれない。まぁ、その理由も解らないんだが。
 そんな事を考えていると、奥の部屋から戻って来たレアリィが微笑みを浮かべ、
「今、お茶を淹れますね」
「あ、俺も手伝うよ」
 キッチンに向かうその姿に答えつつ、俺は立ち上がった。 



「……という事で、私は魔王候補を探しにやってきたんです」
 コタツ机の上に置かれた紅茶を一口飲み、レアリィが長い説明を終えた。
 魔王という存在。政を仕切る大臣達。そして、魔王候補を探すという重要な役割。その説明を聞き、俺は驚きや関心よりも、レアリィが魔王候補を探す事になった経緯に対する呆れを感じていた。
「そうだったのか……。にしても、あの人も何を考えてるんだか。自国の王様を探すより、私用を優先させたら駄目だろうに……」
「そうですよね……」
 重く頷くレアリィと共に頷きつつ、ふと気付く。俺はレアリィの師匠を詳しく知らないというのに、何故知っているかのような口ぶりの言葉が出てきたのだろう。
 もしかして、俺の記憶に何かあったのだろうか? そんな事を考える俺の前で、レアリィが説明を続けていく。
「それでですね、今お話したように、魔王という存在は偶像であり、傀儡なんです。なので、本来ならばここまでの説明はしない決まりになっていまして……そんな話を五月さんにしたのは、頼みたい事があるからなんです」
「頼みたい事?」
 俺の言葉にレアリィは頷き、そして意を決したように姿勢を正すと、意外な一言を口にした。
「五月さん、私の世界へと来て頂けませんか?」
「レアリィの世界に? それって……」
「そうです。五月さんに、魔王候補の一人になって貰いたんです」
「……」
 突然の申し出に、すぐに言葉が出なかった。
 魔王候補になるという事は、もしかしたらレアリィの暮らすディーシア国の王様になるかもしれない、という事だ。同時にそれは、今の世界での生活を全て捨てる事でもある。
 これがゲームや小説の世界なら、主人公はヒロインの言葉に頷き、すぐに異世界へと旅立つのだろう。……まぁ、それも良いかもしれないと思っている自分も居るのだが、ここは現実だ。すぐにイエスと答えられない。
 そんな俺に対し、レアリィは少し慌てた様子で、


「その、強制している訳ではないですから。五月さんだったら良いな、っていう私の我が儘みたいなものなので」
 言いながら、彼女は顔を赤くし、
「それに、肝心の魔王選定試験までには、まだ一年半ほどあるんです」
「一年半も?」
「はい。本来ならその期間を使って魔王候補を選出する事になります。でも私は、その……五月さんの事が頭に浮かんだので、この世界に」
「そう、だったのか……」
 たった一度逢っただけの相手だと言うのに、世界を越えて逢いに来てくれた。俺はその事実に少々顔が熱くなるのを感じつつ、
「しかし、一年半も期間があるとは思わなかったよ」
 一年半も先ならば、今と状況も変わってきているだろう。それに、それだけの期間があるのなら、レアリィの世界へ行く事を前提に進路を決めるのも不可能じゃない。
 と、半ばレアリィの世界へと向かう事が前提となった人生プランを考えていると、
「あ、でも……」
 お茶のカップを掴んだレアリィが、不安げな色を持って呟き、
「先生が良しと言わなければ、もし私の世界に来て頂けるとしても意味がなくなってしまいますね……」
「確かに……」
 本来なら、レアリィの師匠が魔王候補を選出する筈なのだ。いくら適当に選ぶと言っても、何の力も知識もない俺のような人間を魔王候補に選ぶ事はないだろう。結果、俺は魔王候補として認められない可能性がある。
 どうしたものかと考えあぐねていると、不意に部屋のチャイムが鳴った。

  
□  

「誰でしょうか……。この部屋に尋ねて来る人なんて居ない筈なんですけど」
 小さく呟きながら立ち上がると、レアリィは五月に一言断ってから玄関へ。そして「どちら様ですか?」と少々の警戒を持って扉の向こうへと問い掛ける。すると、それに答えるように男の声が聞こえて来た。
「なんだ、誰も居ないかと思ったら帰ってきていたのか。……あの魔法使いが一緒に居るなら伝えといてくれ。部屋をまた借りるってな」
「え、あ、はい?」
『あの魔法使い』に突然の『部屋を借りる』宣言。もしかすると、扉の向こうにいる男は自分の事を知っているだろうか。そう思いながら自分の靴へと足を引っ掻け、扉を開けようとしたところで、再び扉の向こうから声が響いた。
「あー、レアリィだよな? 藍貴だが……解るか?」
 声の主の問い掛けに、それが半年前に出逢った青年だという事にレアリィはようやく気付いた。
「ごめんなさい、夜城さんでしたか。ちょっと待っててくださいね、今開けますので」
 藍貴・夜城が居るという事は、当然のように朱依・空も一緒だろう。そう思いながらレアリィは鍵を開け、扉を開き、
「お久しぶりです、夜城さん」
 開いた先に立っていた背の高い青年は、気だるそうな目元に笑みを浮かべ、
「久しぶり」
 半年前と全く変わっていない彼がそう告げると同時に、その背後から小柄な少女が顔を出し、
「私も居るわよ?」
「空さんもお久しぶりです」
 微笑む空に笑顔を返すと、彼女は夜城の隣に並びながら、
「半年ぶりね。貴女のお師匠さんも元気?」
「はい、元気です。とはいっても、今は『こちら側』には来ていないんですけど……」
 と、そう答えていると、不意に後ろから声が掛かった。
「レアリィ、もしかしてお客さん?」
 問い掛けるような声に慌てて振り向くと、腰を上げた五月と目が合った。一応はこちらの話は済んでいるし、彼は自分が邪魔にならないように帰ろうとしているのかもしれない。
 そう思った瞬間、まだ話足りないと強く思ったレアリィは、夜城達の事を五月に紹介しようと思い至った。何せ彼等も自分と同じ『向こう側』の住民なのだ。不要な紹介になる事はないだろう。
 と、五月の声が聞こえたのだろう空が窺うように、
「もしかして、誰か来てるの?」
「あ、はい。実は後日『向こう側』へ一緒に向かうかも知れない人なんです」言って、レアリィは五月へと視線を向け、「五月さん、ご紹介します。彼女達も私の住む『向こう側』の住民で……」
 という言葉に頷くようにやって来た五月に、しかし夜城達が意外な言葉を呟いた。
「なんだお前か。久々だな」
「久しぶりー。貴方と逢うのもなんだかんだで半年ぶりね」
 まるで旧知の仲のように、二人が五月に問い掛ける。しかし、対する彼は、
「……はい?」  
 困惑の色を浮かべていた。
 それはレアリィも同様で、彼女は五月の反応に対して不思議そうな顔をしている夜城達に視線を戻すと、
「皆さんはお知り合いなんですか?」
「何を言ってるんだ。それはレアリィも知っている事だろう?」
「いえ、私は知りませんでしたけど……」
 さも当然のように言う夜城に困惑しながら答える。対する彼等もレアリィの答えが意外だったのか、少々混乱し始めていた。それでも、夜城はこちらと五月を順に見やり、
「知らないって……俺達四人で買い物へ行ったりもしたのに、もう忘れたのか?」
「……夜城さん達こそ何を言っているんです? あの時は私達三人だけで行ったんじゃありませんか」
 半年前の事を思い出しながらそう告げると、空が困惑から一変、こちらを心配するような不安そうな表情を浮かべ、
「ちょっとレアリィ、一体何を言ってるの?」
 冗談やからかっている風でない空の言葉に、レアリィの方も不安になってくる。
 とはいえ、実際にレアリィの中には夜城達と出掛けた記憶はあるのだ。しかし、五月も一緒だったという記憶は無い。第一、彼と出逢ったのは今日が二回目なのだから。
「あー、ちょっと良いか」
 そこへ、こちらの隣に立った五月が口を挟んだ。彼は皆の視線を受け、少々居心地悪くしながらも、
「大変失礼なんだが、俺はお二人さんの事を知らない。……誰かと勘違いしているんじゃないか?」
「待て待て待て待てちょっと待て! 流石にそれは冗談だよな? 俺達は半年前、確実にお前と逢ってるぞ?!」
 夜城が珍しく声を荒げ、五月へと一歩詰め寄った。だが、対する彼は困惑した様子で、
「いや、残念ながら記憶にない。お前さん達と逢うのは今日が初めてだ」
 本当に知らない、といった顔をしている五月に、嘘があるようには見えなかった。対する夜城は動揺した表情を浮かべ、
「一体、どうなってるんだ?」
「まさか別世界に迷い込んだって事は有り得ないし……」
 空も同じように動揺のある表情で呟き、しかしすぐに顔を上げると、彼女は改めてレアリィ達へと視線を向け、
「取り敢えず、記憶の整理が先決ね。まずは、私達にある記憶を教えるわ」
「では、次は私が」
「じゃあ、ラストは俺か」
 そうして語られていった各人の記憶を纏めると、以下の通りになった。 
 まず空達には、半年前にレアリィ達と出逢った記憶があった。
 次にレアリィには、半年前に空達と出逢った記憶があるものの、五月と逢ったのは一度きりであり、彼と共に空達と逢った記憶はなかった。
 最後に五月には、半年前に空達と出逢った記憶は無く、レアリィと逢った記憶も半年前の一度きりだった。
「何故かは解りませんが、私達の記憶は完全に食い違っているみたいですね……」
 しかも空達の話を信じるならば、一度目の出逢い以前からレアリィは五月と知り合っている事になる。まさか、とは思うものの、完全に否定出来ない何かが自分の中に存在していた。どうやらそれは五月も同じようで……そこから考えられる答えは、一つしかなかった。
「もしかすると、私達の記憶は誰かによって弄られているのかもしれませんね……」
 レアリィの呟きに、所持している記憶が一番少ないと思われる五月が視線を落とし、
「ったく、半年前の俺達に何があったっていうんだよ……」
「少なくとも、私達が門を通った時点では貴方達に記憶はあったわ……って、あの魔法使いは?」
「えっと、先生の事ですか?」
「そう。あの時、あの人は私達と一緒に門を通らなかった。その時に何かあったんじゃない?」
 疑問を投げ掛けて来る空の視線を受けつつ、レアリィは記憶を辿る。
 空達が『向こう側』へと帰る時、先生と共にその場に立ち会った記憶はあった。しかし、その後どうしたのかという記憶が曖昧で、上手く思い出す事が出来ない。
 記憶というパズルがあるのなら、そのピースが無くなっている感覚。その事自体に違和感は無く、だからこそレアリィは強い違和感を覚えた。
 言いようの無い不安が心に浮んでくるのを感じながら、レアリィは小さく首を振り、
「ごめんなさい、思い出せません……。何かあったような気はするんですけど……」
 だが、何かがあった、という事を憶えている時点で、やはり記憶を弄られている可能性が高いという事になる。
 どんなに強い記憶操作を受けたとしても、当人の中にある記憶は思い出せなくなるだけで、完全に消え去る事は無い。つまり、本来なら感じる事がないだろう違和感を覚えたという事自体が、記憶を弄られているという事実を裏付ける事になるのだ。
 当然ながら勘違いという可能性もあるが、しかし、自分の中に無い記憶を持っている空達が居る以上、そうだと断言する事も出来なかった。
「一体どうしてこんな事に……」
 突然訪れた異常な事態に、四人を包む空気が重いものになっていく。
 と、その沈黙を切り裂くようにして五月が呟いた。
「……なぁ」
「何です?」
 視線を彼に向けつつそう答えると、しかし彼は「ごめん、レアリィじゃなくて……」とそう一言謝り、夜城達へと視線を向け、
「そっちのお二人さんには、レアリィのお師匠さんの記憶があるんだよな?」
「ああ。でなけりゃここに部屋を借りに来なかった」
 そう答える夜城に、五月は少々考え込むようにしながら、
「となると、レアリィのお師匠さんに記憶があるか無いかで犯人が解るんじゃないのか? 記憶があるとすれば……言いたくないがお師匠さんが怪しくなる。で、記憶が無いとなれば……」
「私達も知らない第三者の手が入っているって事になる、か」
「そういう事」
 確かに、先生に話を聞く事が出来れば謎が解明される可能性が高まるだろう。しかし、
「でも、先生は『こちら側』に来ていないんです」
 小さく呟き、そしてレアリィは空達へ事情を説明していく。
「ネクロマンサーという、死者の魂を操る事が出来る力を持った女性に逢う為に出掛けてしまっていまして……今は『向こう側』で、砂漠の中を歩いている頃だと思います」
「また妙な事を……」
 少々呆れた風に答える夜城に、レアリィは苦笑を返すしかなかった。
 と、夜城の隣で同じように呆れの色を持っていた空が小さく溜め息を吐き、
「……仕方ない。こうなったら私達が直接逢いに行くしかないか」
 そう告げる空の言葉に、夜城が少々驚いた顔をし、
「……ヤツを探さなくて良いのか?」
「本来ならそっちを最優先にしなきゃなんだけど……でも、レアリィ達を放っておく訳にはいかないから。だから、良い?」
「大丈夫だ。なら、すぐにでも向こうへと戻るとするか」
「えっと、あの、よろしいんですか……?」
 なにやら勝手に話を纏めている二人に、レアリィは少々慌てて問い掛ける。
 だが、対する空は微笑みを浮かべ、
「平気平気。私達にはこれがあるから」
 言って、手荷物の中から一本の短剣を取り出した。それに五月が疑問符を浮かべ、
「それは……?」
「世界と世界を繋ぐ事が出来る剣」言いつつ、空は苦く笑い、「この前は、貴方もこの剣を使う瞬間に立ち逢っていたんだけどね」
「そうなのか。すまないが、全く記憶に無い……」
 申し訳なさそうに答える彼の表情に嘘の色は無い。レアリィの中にも、空達が門を開いた瞬間に彼が立ち会っていたという記憶が無い為、やはり何らかの記憶操作を受けているのは確実かもしれないと思われた。
 通常、記憶操作という魔法は掛けられた当人には解く事が殆ど出来ない。何故なら、魔法により弄られた記憶が正しいものだと認識させられている為、こうして自分の記憶に対し違和感を持つ事すら出来ないのだ。
「でも、本来ならとても掛かり難い魔法なんですよね……」
 こうした相手の記憶などを操作する魔法は、その原理を理解し、更には拒否する意思があれば簡単に回避出来る。それなのに、一体どうして記憶を弄られる事になったのか、レアリィには全く見当が付かなかった。
「まぁ、いざとなったら私が記憶を戻してあげるけどね」
 重くなりだした空気を払拭するように、空が明るく言う。
 記憶操作という魔法は、一度掛かってしまうとその効果が高く、しかし魔法を掛けられた相手とある程度記憶を共有している人物が居れば、すぐに魔法を解く事が出来るものでもあった。
 つまり、空達がレアリィ達の覚えてない記憶を保持していたというのは、ある意味幸運な事だったのだ。 
 そう思うレアリィの隣で、五月が空へと視線を向け、
「なら、今すぐにも記憶を戻して貰えないのか?」
「そうしたいのは山々だけど、あの魔法使い……レアリィのお師匠さんの記憶がどうなっているか解らないからね。一応確認を取ってからじゃないと危険なの」
 考えたくはないが、もし魔法を掛けた犯人が先生だった場合、何らかの理由があってレアリィ達の記憶を操作した事になる。そうなった場合、先走った行為は更にレアリィ達の記憶を混乱へと導く可能性があった。
 その事を空から説明され、五月が「そうなのか……」と残念そうに呟く。対する彼女はそんな彼を激励するかのように微笑むと、
「でも心配しないで。私達がすぐにレアリィのお師匠さんを見付けてくるから」
 言いながら、空が剣を引き抜いた。
 久しぶりに見る硝子の刀身が、蛍光灯の光に優しく煌く。その輝きに少々目を奪われていると、
「て事で、私達は向こうに戻るけど、二人はどうする? レアリィのお師匠さんは私達で探すから、この世界に居続けてくれて平気だけど」
「そうですね……」
 意識を剣から引き戻しつつ、考える。
 記憶を操作されていると思われる以上、空達と一緒に先生を探しに出た方が良いだろう。しかし、魔王候補として五月をスカウトしに来た以上、このまま彼を放っておく事も出来ない。それに、彼と離れたくないと思う自分が居て……と、そこに五月の声が耳に届いた。
「……その剣ってのは、いつでも簡単に世界を繋ぐ事が出来るのか?」
「えぇ、その通りよ。まぁ、今は私じゃないと使えないけどね」
「なら、次の質問。レアリィのお師匠さんを探すのにはどのくらいの時間が掛かりそうなんだ?」
「んー……一週間ちょっとかな」
「え?」
 予想以上の短期間に、思わずレアリィは声を上げてしまった。それに少々気恥ずかしさを感じつつも、微笑む空へと視線を向け、
「そ、そんなに短いんですか?」
「予想だけどね。ていうか、砂漠地帯って中央大陸にあるあの砂漠でしょ? あそこなら以前にも行った事があるから、移動手段は門を開けば数秒だもの。それに砂漠で人が住める場所なんて限定されるから、そこまで探し回る必要なく足取りを掴めると思うし」
「た、確かにそうですね……」
 人探しというのは全く当ての無いもの。今までの経験からそう信じ込んでいたレアリィには、空の考えにまで至る事が出来ていなかった。先生が門を使った姿を見なかったのもあり、固定概念が働いてしまっていたのだろう。
「砂漠なんだから、国も街も少ない……すっかり忘れていました」
「自分の師匠が向かった場所の事なんだから、今度からは忘れないように」
 まるで教師のように言いながら、空が微笑みを強めた。そして、そのまま五月へと視線を向け、
「で、それがどうかしたの?」
 問い掛けに、返って来た答えは意外なものだった。
「いや、本当に一週間でレアリィの師匠さんを探せるなら、俺もレアリィ達の世界に行ってみても良いかな、と思って。その剣があるなら、すぐにこっちに戻れる訳なんだし」
 突然の提案に驚きつつも、レアリィは五月に聞き返す。
「でも、こっちでの生活は良いんですか?」
「まぁ、一週間ぐらなら。それに、現地を見て回った方が魔王候補になるか否かを決めやすいかと思ってさ」
 それはレアリィにとって何の異存もない答えだった。何よりも、五月と一緒に居られるという事実に場違いながら嬉しさすら感じてしまう。彼女はそれをどうにか表に出さないようにしつつ、空に視線を戻し、
「では、私達も一緒に『向こう側』に戻りたいと思います」
「じゃ、一緒に戻るという事で。……で、魔王候補っていうのは?」
「そ、それは、その……」
 一応は国の機密である事柄だ。魔王候補として選んだ人物ならまだしも、何の許可もないままに、何も知らないであろう空達にそう簡単に教える訳にはいかないだろうと判断する。
「……ごめんなさい。先生に許可を取ってからじゃないと答えられないんです……」
「そうなんだ。あ、でも、別に気にしないから暗い顔しないでね?」
 少々慌てて言う空に苦笑する。悪い人では無いと信じていても、答える事が出来ないのは辛かった。
「でも、後でちゃんと説明しますので」
「解った。その日を楽しみにしてる」
 微笑んで空が答え……ふと、何かに気付いたかのように、
「そうそう、私達は今すぐにでも戻る事が出来るけど、二人の準備はどのくらい掛かりそう?」





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