そして始まる。

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 科学技術の代わりに、魔法と呼ばれる技術が発達した世界。
 その世界で東と定められた方角にある大陸に、ディーシアと呼ばれる国があった。大きく華やかに発展した城下街と、強固な城壁、そして巨大な城を持った大国である。
 国の歴史は古く、城や街並みも何処か古臭い。しかし、そこに暮らす人々には活気が溢れ、そうとは感じさせない雰囲気を持っていた。
 そんなディーシア国王城――その一室で、一人の少女がベッドに腰掛けながら本を読み進めていた。部屋の大きさは約八畳程で、大きく取られた窓から入る暖かな日光を浴びながら、彼女はゆっくりと頁を捲っていく。
 と、部屋にノックの音が響き、少女は本に向けていた顔を上げた。そして本に栞を挟んでベッドに置くと、応対の為に立ち上がる。それと同時に、扉の向こうから聞き慣れた声が来た。
「レアリィ、私よ」
「あ、ちょっと待っていてください。今開けますから」
 自分の名前を名乗らない人物は、この城で一人しか居ない。そう思いながら小さく微笑むと、少女――レアリィ・コーストは扉を開き、
「どうしたんですか、先生?」
 扉の向こうには、自分の師匠である美人の魔法使いが立っていた。だが、心なしかその表情が暗い。
「ちょっとレアリィに頼みたい事が出来ちゃって……」
 そう済まなそうに言う先生を部屋へと招き入れつつ、レアリィは問い掛ける。
「頼みたい事、ですか?」
「ええ。……実は、レアリィに魔王候補を探してきて欲しいの」
「魔王候補を?」
 ――昔から、このディーシア国の王は『魔王』と呼ばれてきた。
 その理由は遥か昔……魔法使いとそうではない者達が戦争を行っていた時代に遡る。
 些細な事から始まったその争いは、いつしか国家間の戦争となり、そのまま明確な終わりの見えぬ泥沼と化してしまった。人々はその状況に嘆きながらも、己のプライドの為、その無益な争いを止める事が出来ずにいた。
 そんな時、歴史の舞台に一人の男が現れる。彼は魔法使いであったものの、平和を謳い、差別意識を持ってはいなかった。その男の、人々を平和に導こうとせん姿と強さに民衆は動かされ、次第に争いは沈静化していき……長きに渡る戦争に終止符が打たれる事になる。
 そんな男の功績を称え、民衆は男を王とする国――ディーシアを作った。そして、男が魔法を操り全てを征した事から、ディーシアの王はただの『王』ではなく『魔王』と呼ばれ、民衆に慕われた。つまり、この国での『魔王』とは、邪なるモノを従える魔の王とは真逆の意味になっているのだ。
 ともあれ、こうしてディーシアは発展し……しかし、魔王の死後、次の魔王をどう選出するかで対立が起こった。魔王は妃を迎える事が無かった為、後継者が居なかったのだ。
 そこで考え出されたのが、国外から新たな魔王候補を見付け出し、国の政は大臣達がフォロー――というより、その実権を持つ、という方法だった。つまり、この国の象徴である『魔王』をそのまま偶像化する決断がなされたのだ。
 結果、国民はある意味で不死性を持った『魔王』という存在を支持し続け……先月、第百二十七代目の魔王が死去。現在このディーシアでは、また新たな魔王候補を探し出さなくてはならない時期が訪れていたのだった。
 それを理解しているからこそ、レアリィは表情を曇らせ、
「でも、魔王候補の選出というのは、言わば由緒ある儀式のようなものです。私みたいな能力の無い者に代理は務まらないと思うのですが……」
 魔王候補を探すという役割は、その時代にディーシアに在籍する有能な魔法使いや剣士達に与えられる。そもそも『魔王』が偶像……いや、今の時代では既に大臣の傀儡であるという事実を知っている者自体が少ない為、その中から魔王候補選出者として選ばれるのは、大臣達から『この国の未来を任せるに足る高い能力を持っている』と認められたという事でもある。
 そんな大役を任されている先生は、魔法使いとして稀有に高い力を持つ。しかし、弟子であるレアリィの実力はそれほど高くない。お願いをされても、そう簡単に頷けるような話ではないのだ。
 だが、先生は緩く微笑みながら、手をひらひらと振り、
「良いの良いの。どうせ魔王なんて形だけなんだから。その姿がちゃんとしてるなら、内情を知らない国民は騙されてくれるし」
「そ、それは、確かにそうかもしれないですけど……」
 実際のところ、魔王になったからといって内政に関与出来る訳ではない。というより、そういった考えを起こさないような『操りやすい人材』を、魔王候補選出者は選んでくる事になるのだ。
 それを理解しているのだろう先生は、小さく苦笑し、
「それにね、私はこんな茶番に付き合う気はないの」
「でも、これもお仕事なんですよ?」
「お仕事以上に大事な用事が出来てしまって、だからレアリィに頼みたいのよ」
 言って、先生が一通の手紙を手渡してきた。白い封筒に入れられたそれを一言断ってから開いてみると、中には便箋が二枚。その内容は『貴女の来訪を歓迎する』という件の文章と、どこかの集落の場所を表した地図だった。
「この地図は……」
「そこにね、私の知り得ない力を持った女の子が居るの」
 椅子に腰掛けながら、先生が答え……それと同時に、レアリィは少し前に先生が話していた事を思い出す。
「もしかして、前に言っていたネクロマンサーって人の事ですか?」
「そうよ」
 とある大陸にある砂漠地帯に、ネクロマンサーと呼ばれる、死者を操る事の出来る女性が居るのだという。
 先生の『探し人』は転生を繰り返している為、死者としての状態では無い。それなのに、何故か先生はその人物とコンタクトを取ろうとしているのだ。
 普段以上に真剣なその様子に、レアリィは詳しい事情を聞くに聞けない。そんなこちらに対し、先生は決意に満ちた表情で、
「やっと彼女の居る場所が解ってね。来週にも向かおうと思ってるの。だからこそ、魔王候補探しをレアリィに……」
「待ってください、私も一緒じゃないんですか?」
 いつもならば、レアリィは常に先生の進む先へと同行していた。というよりもそれが今までの当たり前だったのだ。なのに、今回は違うというのか。
 そう問い掛けるレアリィに先生は頷き、
「今までとは違って、今回はすぐに戻ってくる予定だけど……もしかしたら時間が掛かってしまうかもしれない。だからその間、レアリィには適当に魔王候補を探しておいて欲しいの」
「て、適当にって……」
「私の弟子である以上、いつかはその役目を担うところまで成長して貰わなくちゃなんだから。今回はそのお試しだと思って、気楽にやってくれれば良いのよ」
 簡単に言う先生に、しかしレアリィは眉を寄せながら答える。
「でも、そんな風にして選んだら、その候補の方が可哀想ですよ」
 魔王候補として選ばれるのは一人だけではない。五人の候補の中から試験をし、選別されるのだ。どのような試験が行われるのかは現時点では解らないが、適当に選ばれた候補としては惨めな思いをするだけとなってしまうだろう。
 それなら……と腕を組むと、先生は少々考え、
「レアリィの目で『この人だ』って思える人を探してきて頂戴。適当に選ぼうとしている私よりも、その方がマシでしょう?」
 どうかしら、と問いかけて来る先生に答えが詰まる。
 レアリィが先生の代わりに探さないとなれば、魔王候補の一人は適当に選ばれる事になる。それを防ぐ為には自分が頑張るしかない。半ば無理矢理な感じが否めないものの、レアリィは頷き、
「……解りました。私が頑張って探してみます」
「うん、頑張ってね」
 笑顔で言う先生に、溜め息と共にレアリィは呟く。
「全くもう。お願いしにきたのか押し付けにきたのか……」
「終わったらちゃんと埋め合わせをするから。だからそう気を落とさないで」
「そういう問題じゃないです……。あ、でも、もし私が『この人だ』っていう人を見付けられなかったらどうするんですか?」
 一応は先生が戻ってくるまでの代理だ。その間は真剣に魔王候補に相応しそうな人材を探すとはいえ、そう簡単に見付かるとは限らない。
 まぁ、その時は先生が……と、そう言い出そうとしたレアリィの先を読むかのように、先生は微笑み、
「その時は、レアリィをフォローしながら候補を探すわ。候補の捜索は一年以上の猶予があるからね」
「あくまでも、自分で探そうとはしないんですね……」
 まるでやる気のない先生に、レアリィはまたも溜め息を吐いた。

■   

 二週間後。
 先生がネクロマンサーの元へ向かってから数日経ったその日、魔王候補選出の任を任された者達が謁見の間へと集められた。
 その数はレアリィを含めて五人。年齢性別を問わず、その一人一人が高い実力を持つ者達だ。……その分癖も強いのだが。
 そんな風に思い、同時に自分がここに立っている事の場違いさを感じていると、今は亡き魔王の椅子の前に一人の男が立った。その男……政の中心に居る大臣の登場に、部屋の空気が締まる。その様子に大臣は小さく頷き、
「魔王様が亡くなれた事による損害は、君達も解っているだろう。我々は、民衆を指揮する絶対的な存在を失ったのだからな」
 実際に指揮しているのは自分達なのに、魔王様を称えるんだ。そう思いながら、レアリィは話を聞いていく。
「今日君達を集めたのは、次期魔王候補を選出して貰いたいからだ。どんな人材でも良い。我々の意思を受け入れる者ならば」
 魔王などただの飾り。初代の魔王が亡くなってから、そうしてこの国は発展してきたのだから。
「期間は最長で一年半。君達の手腕に期待している。……特にコースト君。君はあの魔女の代理なのだ。しっかりとな」
「は、はい!」
 まさか名指しで呼ばれるとは思っておらず、少々声を裏返しながらもレアリィは返事を返す。対する大臣はそれに頷くと、謁見の間から出て行き……その姿が消えた直後、気の抜けたような空気が部屋の中に生まれた。
 基本的に、魔王候補の選出は、この場に集められた魔法候補選出者の主観によって決められる。そして選出者は試験の際に選び出した候補のパートナーとなり、自らが選んだ人物のサポートをしなければならない。その為、一年半という長い期間を掛けて候補を探し出す事となっているのだ。
 だが、まだその一年半の一日目が始まったばかり。始めから気を張り続けている者は少なかった。
 少々意気込みに欠けるのかもしれないが、始めから探すのを弟子に押し付けるよりかは全然良い。そんな事をレアリィが思っていると、後ろから小さく服を引かれる感覚があった。
「ん?」
 視線を向けると、そこには幼い少女が立っていた。
 濡れ羽色の長い髪に、小柄な体。着飾った闇色のドレスは少しだけ見えるその肌の白さを際立たせる。その腕には少々歪な兎の人形が抱えられており、しかしこちらを見上げる表情は無表情で……その雰囲気は、まるでアンティークドールのよう。
 そんな少女に、レアリィは微笑み、
「どうしたの、カイナ?」
 カイナ・カイラ・コースト。義妹である少女に問い掛けると、カイナは小さな声で、
「……今日はレアリィだけ?」
「うん。先生はちょっと旅に出てしまったから、今回は始めての一人旅」
「……そう」
 カイナはいつも、言葉少なに小さな声で喋る。その雰囲気と外見、そして高い技量を持つ事から城の中でも異質な存在として見られているのだが、レアリィには関係のない事だった。
 いつも冷たいその手を握りつつ、他の選出者に続くようにして部屋を出て行く。
「でも、カイナが魔王候補の選出に出るなんて思いませんでした」
 彼女の魔力はレアリィのそれを軽く凌ぎ、そしてその扱いも相当のものだ。しかし、人付き合いが苦手なカイナが魔王候補選出者として選ばれるのは意外な事のように思えた(とはいえ、ただ実力だけで判断したとなれば、それも順当な事ではあるのだが)。
 対するカイナも、少々意外な様子で、
「……わたしも驚いた。でも、やらなきゃ」
「うん。大変だけど、頑張りましょうね」
 微笑みつつ、握った手の力を優しく強め、レアリィはカイナの小さな歩幅に合わせながらゆっくりと自室へ歩いていく。
「そういえば、カイナはどの地方へ探しに出かけるか決めてあるんですか?」
「……うん。でも、どこかは秘密」
 その言葉に少々驚きつつも、レアリィは少しだけ表情を緩めながら言うカイナに微笑みを返し、
「意地悪さんですね」
「レアリィはどうするの……?」
「私はまだ全然……」
 決めてないんです。そう言い掛け、不意にある人の顔が浮んだ。
 実の所、先生から魔王候補選出の代理を頼まれた日から今まで、どの地方に向かうか、肝心の候補をどう選ぶか、などの事をレアリィは決めかねていた。それなのに、まるで天啓ようにある人物の顔が浮んだのだ。
 それに、と思う。この世界の事を知らない彼なら、一から全てを学んでいく道を提示出来るかもしれないし……何よりも、もう一度あの人に逢いたい。
「……うん」
 一気に固まった行き先を胸に、レアリィはカイナへと視線を向け、
「いえ、決まりました。でも、私も秘密です」
「……いじわる」
 レアリィにしか見せない子供らしい表情でカイナが呟いた。それに微笑み返しつつ、
「おあいこです。お互い、城に帰ってくるまでの秘密ですね」
「うん」
「でも、気になりますね。カイナがどんな人を見つけてくるのか……っと」
 そうこう話をしている内に、二人はお互いの部屋の前に着いていた。とはいっても、カイナの部屋はレアリィの部屋のすぐ正面にある。名残惜しげに手を離すと、カイナはゆっくりと自室の扉へと向かい、そして扉の目の前で振り返ると、
「……レアリィは、すぐに出かけるの?」
「まだ解りません。でも、出来るだけ早くしようとは思ってます。でも、移動には『門』を使おうと思うので、もしかしたらカイナに声を掛けられないかもしれませんが……」
「……ん、わたしは平気。でも……」
 言い掛け、カイナが廊下の左右に視線を巡らせた。そして誰も居ない事を確認すると、
「お姉ちゃんも気を付けてね」
「はい。カイナも気を付けて」
「ん」
 小さく頷き、カイナは名残惜しそうに扉の向こうへと消えていった。
 それを見届け……カイナが久しぶりに「お姉ちゃん」と呼んでくれた事を嬉しく思いながら、レアリィは部屋の鍵を開けた。
 部屋の中へと入り、ベッドに腰掛ける。そして、二週間前に先生が言っていた事を思い出す。
「なら、レアリィの目で『この人だ』って思える人を探してきて頂戴。適当に選ぼうとしている私よりも、その方がマシでしょう?」
 魔王候補を選ぶ事に規制は無い。唯一あるとすれば、人語を理解出来る事ぐらいである。主観で決めて良い以上、猫でも犬でも、どんな候補を連れてきても問題はないのだ。あとで苦労するのは選んだ本人なのだから。
 冷静な頭で考えれば、カイナの前で思い付いた事は無謀だと言えるだろう。それに、この魔王候補選出は長年に渡り続けられて来た事だ。真剣に探さねばならないと、そう思ってもいる。
 だが、
「解ってはいるんだけどな……」
 心はある人の事を思い出し、そしてその人の事だけを思い続けていた。ただの私情で選ばれたとなれば、魔王候補として試験を受ける際に辛い思いをさせてしまう事は解っているのに。
「でも」
 心は免罪符を探していた。
 何故その人を魔王にしたいのか、という根本的な理由は無い。だが、何か心を押されるものがあった。
 高まっていく想いは焦りを生み――結果、一つの決断を生んだ。
「……決めた」
 ベッドの脇に纏めておいた荷物を手に取り、コートを羽織る。机の上に置かれた杖を持つと、レアリィは小さく深呼吸をし――そのままゆっくりと口を開いた。
「風よ――」
 静かに、呪文を詠唱していく。
 レアリィが生んだ決断。それはある世界へと門を開く事だった。門とは、本来禁忌とされている他世界移動を可能とする魔法であり……そして、その世界へは門が開き難い。そんな世界への門を一発で開く事が出来たなら、心の中に浮んだ人に魔王候補になって貰えるよう交渉しようと考えたのだ。
 強く、門が開いてくれる事を祈りつつ、レアリィは詠唱を続ける。
 そして、
「――我の道となれ」
 魔法が完成した。



   
 物語は始まりを求める。
 終わり<ゴール>へと走る為の始まり<スタート>を。
 これは始まりのお話。
 続いていく御伽噺。

 その日へと語り継がれていく、物語。
  




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■次

■前編・そんなお話へ

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■目次

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