そんな教師。

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 ホームルーム十分前。
 今朝見た夢を思い出せない、という事も忘れ、俺はいつも通りに教室へと入っていた。
 今日も今日とて野次馬は居て、レアリィは人垣の中心に居る(まぁ、当人の姿は見えないけれど。)。初めの内は非日常の象徴のだったそれも、今ではもう見慣れた日常だ。毎日のように繰り広げられているから、尚更それを感じた。
 だというのに、今日の俺にはその風景への違和感があった。
 それは多分、昨日の放課後に美術室で話をしたレアリィと、クラスメイト達に囲まれてお姫様のように扱われているレアリィとが頭の中で結び付かないからだろう。
 昨日の話の中で、レアリィはみんなと普通に、友達としての関係を築きたいと願っていた。けれど、その想いとは裏腹に、クラスメイト達は彼女を必要以上に恭しく、お姫様のように扱っている。そのギャップを目にした今、俺にはこの状況が酷く居た堪れなかった。
 だから、腹を決めた。消える気配の無い人垣の中へ半ば無理矢理に入っていくと、俺は困惑した表情のまま椅子に腰掛けているレアリィの正面に立ち、 
「おはよう、レアリィ」
 彼女を名前で呼んだ。その言葉にレアリィは少し驚いて、けれどすぐに嬉しげな微笑みを浮かべ、
「おはようござ……」
 と、その言葉を聞き終える前に、周囲からの視線がグサグサと俺に突き刺さり、
「ちょっと待てお前今なんつった?」「名前で呼び捨て?」「オイオイ何様?」「いくらなんでも聞き逃せないわ」「殺るか?」「殺るか」
 次々と文句が飛び出す始末。同時に伸びてきた複数の手をどうにか掻い潜り、這う這うの体で席へと戻ると、そこには大爆笑している友人の姿があった。
「わ、笑うんじゃねぇよ……」
 言いながらちらりと背後を見ると、三十以上の瞳に睨まれた。……ちょっと早まったかもしれない。
 そんな俺の前で腹を抱えて笑っていた友人は、ひーひー言いながらも目元に浮いた涙を拭い、
「いやいや、中々に見ものだったぜ。未だクラスの全員が『おはよう、コーストさん』なのに対して、お前はいきなり『おはよう、レアリィ』だからなぁ。取り巻き共がキレるのも無理はないだろ」
 友人は俺の真似をしながら言い、更に笑う。そんな友人に力なく笑い返し、俺は自分の席へと着いた。
 そして溜め息を一つ吐き、
「……別にさ、ただの挨拶だろ?」
「普通なら、な。でも、その相手がコースト嬢だからああなるんだよ。取り巻き共からしてみたら、彼女は我等のプリンセス、だからな。言わば彼女を護る騎士気分なんだろ。だからあんな風に過剰反応されるのさ」
 そう言って友人は笑い、しかしすぐに小声になると、
「で、いつの間にそんなに親密になったんだ? 俺の聞き間違いじゃなけりゃ、向こうもお前をファーストネームで呼んでただろ」
 友人の問いに、この地獄耳め、と思いつつ、
「……昨日ちょっと、な」
 咄嗟に言葉を濁す。『あの二人だけの時間の事は、誰にも話したくない』という気持ちが高まっていた。
 それでも興味を引かれたのか、友人は机の上に軽く身を乗り出しながら、
「何かあったのか?」
 その声に無言を返し、俺は昨日の事を思い出す。
 そう、それは昨日美術室でレアリィと話をしていた時の事。
 俺は調子に乗って聞いてみたのだ。苗字では無く、名前で呼んで良いか、と。

■ 

 それは、少し会話が途切れた時の事だった。
 何か共通の話題が無いものかとあれこれ考えていた俺は、その時になってようやく、レアリィの取り巻きが誰も居ない事に気が付いた。その頃にはもうレアリィが美術室にやって来てから三十分以上経っていて、俺は自分がどれほど浮かれているのかを再確認しながら、
「そういえば、今日は一人なんだ」
 俺の問いに、レアリィは少し苦味のある微笑みで、
「はい。部活見学の時に皆さんと一緒だと、色々迷惑になってしまう事もあると思ったので、お誘いを断ったんです」
 口に出す事は無いけれど、恐らく『一人になりたい』という気持ちもあるのだろう。微笑みの中にある苦さが、それを物語っているように感じた。
 けれど俺にしてみれば、取り巻きが居ないこの状況は大きなチャンスでもある。だから俺は思い切ってレアリィに提案したのだ。
「……あのさ、コーストさん。その……レアリィって、名前で呼んでも良いかな?」
 言ってから、流石に突然過ぎると後悔する。気持ちが先走り過ぎて、その理由を説明するのを後回しにしてしまった。胸に後悔が生まれ、しかし言い訳を口にする前に、レアリィから答えが来た。
「良いですよ。その方がフレンドリーですし」
 だから、私も名前で呼ばせて貰いますね。そう、レアリィは混じりけの無い微笑みを浮かべた。その予想外の答えに、俺は治まりつつあった鼓動が一気に高鳴り出すのを感じながら、
「本当に良いの?」
「はい、本当にです。でも、どうして突然そんな事を?」
 レアリィの疑問に、あー、と少し視線を逸らしながら、
「えっと、コー……じゃない、その、レアリィ――」うわ、改めて言うとスゲェ恥ずかしい。顔がどんどんと熱くなるのを感じながら、それでも俺は言葉を続ける。「――そう、レアリィの前でこんな事を言うのもアレだけど……クラスの奴等から、友達じゃなくてお姫様みたいに扱われ続けてるのは、気分的にどうなのかなって思ってさ」
 同じクラスメイトである俺からこんな事を聞かれるとは思っていなかったのか、レアリィが一瞬驚きの表情を浮かべた。しかし、すぐに表情を改めると、んー、と悩むように小さく唸り、
「こんな事を言うのは、とても失礼なのですが……実は、ちょっとだけ困ってます。嫌だって訳ではないんですけど、でも、もっと普通に友達同士として生活したいな、とは思ってしまうので」
「そっか。なんかさ、クラスに馴染もうにも、クラスの奴等がアレじゃあ簡単に馴染めないような気がしてさ。だから、まずは俺からでも馴染んで貰おうって思って。その第一歩として名前で呼び合おうかな、と思ったんだ」
 一番の理由は『レアリィと仲良くなりたい』という単純明快にして下心満載のものなのだけれど、今まで話し掛ける機会も無かったのだ。今日の出来事は大きな前進といえよう。
「なら、今日がその第一歩目、ですね」
 柔らかくレアリィが微笑む。
 そんなこんなで、俺達は互いを苗字ではなく名前で呼び合うようになったのだった。



「――何かあったんだな?」
「お前が期待してるような事は無かったよ」
 身を乗り出して問い詰めてくる友人にそう答えながら、俺は再び背後を見やる。レアリィには『クラスに馴染めるように』と言ったけれど、実際の心境とすれば、彼女と名前で呼び合う関係はそうそう広がって欲しくなかった。
「願ってどうにかなる話でもないけどさ」
 そう小さく呟いて、未だに睨んでくる瞳から逃げるように視線を戻す。すると、そこには『納得がいかない』といった表情をした友人の顔があって、
「じゃあ、何で名前で呼び合ってたんだよ」
「偶然だよ。俺の名前って読み方が普通と違うだろ? 昨日その話をする機会があったから、だから名前で呼んでくれたんだろ」
「なら、お前は何で名前で?」
「仲良くなりたかったからな。勢いだ」
 それは嘘じゃない。そう思いながら答えた俺に、友人は興味を失ったように、
「なんだ。ネタになりそうな事は無し、か」
「残念ながらな」
 そう言った直後、一人の教師が教室に入ってきた。色々あって気付かなかったけれど、いつの間にかチャイムが鳴っていたらしい。
 視線の先、先生は何とかドアを閉めると、教卓の前に立ち、
「はい、じゃあみんな席に着いて。ホームルームを始めるわよ」
 教室の中に、綺麗な声が響き渡る。今教卓の前に立っているのは、いつもの見慣れた担任では無かった。
 すらりとした長身で、黒曜石のような美しい髪はさらりと長く、眼鏡を掛けたその瞳は、硝子のように透き通る。
 そんな、とても美しい女性。
 美術教師でもある先生は、生徒一人一人に届かせるように、
「本日は担任の中村先生が風邪でお休みです。ですので、副担任の私がホームルームを行います。今日一日は、何かあったら私のところに来てくださいね」
 そんな先生の声を聞きながら、クラスメイトが己の席へと戻っていく。男である担任の時とは違って、その動きはかなりスムーズだ。解りやすくてとても良い。
 その動きに続くように友人も席を立ち、
「んじゃ、またあとでな」
 言って、自分の席へと戻っていった。同じように生徒全員が席に着くと、先生は名簿を開きながら、
「では、出席を取ります」
 言葉共に、あいうえお順に名前が呼ばれていく。ただそれだけの行為なのに、名簿に視線を落とす先生の姿についつい視線が行ってしまう。先生を見る度、美人教師ってのは本当に居るんだな、と再確認する程なのだ。
 ついでに言えば、俺が今まで美術の課題を全て期限内に完成させていた理由はそれだった。先生が指導してくれる授業だからこそ、常に真剣に取り組んでいたのだ。
 とはいえ、そこに恋愛感情がある訳ではなかった。むしろそれよりも、憧れに似た感覚が強くある。普段ならば会話をする機会すらないだろう美人さんだから、余計にそう感じるのかもしれない。
「それじゃあ、今日も一日頑張りましょう」
 そして、担任が休みという事以外は連絡事項も無く、朝のホームルームは終わりを告げた。
  

 
 何事もなく授業は進み、気付けば六時限目開始数分前となった。
 本日、というか毎週木曜日の六時限目はロングホームルームに当てられている。ロングホームルームというのは、朝夕のホームルームでは時間の都合で決める事が出来ない懸案を話し合う時間だ。具体的には、体育祭や文化祭などの行事の係決め、学校からのアンケートの書き込み時間や進路相談などにも使われている。
 しかし、特に連絡事項などが無い時には普段よりも一時間早く帰る事が出来る日でもある。五時限目が終わったあとの休み時間に漂う『早く帰らせろ』感はかなり高かった。
 そんな中、帰宅部であり、放課後の予定の無い俺は帰りの支度を済ませて先生の登場を待っていた。これといった用事が無くても、早く帰れる事に不満など無いからだ。
 やがて時計が進み、六時限目の開始を知らせるチャイムが校舎に鳴り響く。
 そして現れた美人教師は、『早く帰れる』と期待に目を光らせる皆の思いに答えるように微笑みながら、
「今日はちょっとアンケートがあるから、みんな席に戻ってね」
 途端、出鼻を挫かれた生徒達から不満の声が上がる。
 けれど、相手がいつもの担任と違うせいか、その声にあまり勢いが無い。『仕方ないか』というテンション降下気味の空気が教室中に広がるのを感じながら、俺は机からペンケースを引っ張り出した。
 そして回ってきた藁半紙のプリントを後ろに渡し、自分のプリントに視線を落とす。そこには『あなたの健康状態に当てはまるものにチェックしてください』との見出しがあり、
「今度行う健康診断の資料に使うから、ちゃんと書いてね」
 そんな先生の言葉を聞いているのかいないのか、シャープペンの走る音だけが教室の中に響いていく。みんな、さっさと提出してさっさと帰りたいのだろう。机に向かう姿勢がいつもよりも真剣だった。
 当然、俺もそんな中の一人で、
「あ、そうそう。今日の放課後、美術委員の人には残ってもらいたいんだけど……」
 先生の声を左から右へと聞き流しつつ、チェック項目を書き込んでいく。
 ・あなたは最近大きな病気になりましたか
 NO、と。
「えっと、このクラスの美術委員は……」
 ・あなたは今、何かの病気にかかっていますか。もしくは今、通院をしていますか
 これもNO。
「……」
 ・偏頭痛や耳鳴りがありますか
 こいつもNO、と。
「……ちょっと、聞いてる?」
 調子良くアンケートに答えていると、不意に軽く肩を叩かれた。誰だ、と思い視線をアンケート用紙から上げると、机のすぐ脇に先生が立っていた。結構近い距離と視線に驚きながら、先生の眉尻が上がっている事に気付く。
「えっと、何でしょう」
 すると、先生は苦笑半分、呆れ半分に溜め息を吐き、
「今日の放課後、美術委員にはやってもらいたい事があるの。聞いてた?」
「聞いてませんでした……」
「アンケートも大事だけれど、私の話もちゃんと聞くように」
「……はい、解ってます」
 やっちまった……。そう思いながらも、俺は残りのアンケートを終わらせる。そして最後の座席から廻ってきたアンケート用紙の一番上に自分のそれを重ね、更に前の座席へ。そして全員分が集ると、ようやく帰りの挨拶と相成った。
 起立、礼、さようなら。
 普段とは違い、中々に皆の声が出ている事に妙なおかしさを感じながら、「帰り道気を付けてね」という言葉と共に教室を出て行く先生を見届けたあと、俺は鞄を持って席を立ち、
「待て待て待て、ちょっと話がある」
 声に視線を向ければ、笑みを持った友人の姿。一体何だよ、と思いながら、机の間を縫って歩いてくるその姿を眺め――不意に、友人が指を鳴らして、



「……あ、れ?」
「おいおい、何やってんだ?」
 声に意識を向ければ、そこには怪訝そうな顔をした友人が立っていた。
「美術委員の仕事、あるんだろ?」
「って、そうだった。急がないと」
 いつの間にやら、教室の中に残っているのは俺達二人だけだ。友人と話している間に、結構の時間が経って――ん?
「俺、お前と話してたよな」
「ああ。それがどうかしたのか?」
「いや、なんか、さっきの事なのに、記憶が曖昧っつーか……」
 具体的に何を話していたのか良く思い出せない。そんな俺に、友人は軽く指を鳴らし、
「気のせいだよ、気のせい」
「ま、そうだよな」
 教室の中はストーブによって暖められていて、人の減った今も心地良い温度に保たれている。恐らくは強い眠気にでも襲われて、記憶があやふやになってしまったに違いない。そう結論付けると、俺は友人に別れを告げ、美術室へと向かう為に教室を出た。
 冷たく冷えている廊下を進んで隣の校舎へと抜け、更にその先の校舎へ。急ぎ足で進んで行くと、右手にある窓から校庭の様子が――運動部の練習風景が良く見えた。特に今年のラグビー部は成績が良いらしいから、聞こえて来る野太い声も一味違う……気がする。
 例えそうで無かったとしても、こうやって汗を流す学園生活も良い思い出になるのだろう、と思う。バイトや遊ぶ時間を優先し、帰宅部を選んだ俺には、そんな事を言う権利は無いかもしれないが。
 軽く溜め息を吐きつつ、俺は校庭から視線を外し、緩んでしまっていた歩調を速めた。この廊下の一番奥が、目指す美術室だ。
 誰も居ない教室達の脇を抜け、真っ直ぐに歩いていく。そして目の前に現れた美術室の扉――では無く、すぐ脇にある準備室のドアへと視線を向けた。普段の授業なら美術室の中へ直接入るけれど、今日は美術委員としての仕事でやってきたのだ。恐らく準備室に先生は居るだろう。
 いつものようにドアを数回ノックし、
「失礼しまーす」
 と、お決まりの文句を言いながらドアを引く。すると、暖かな空気と共に声が来た。
「やっと来たわね」
 一見整理されているようで、実は無造作に物が積んであるだけの準備室の中、場違いな眼鏡美女である先生が椅子に腰掛け、こちらへと視線を向けていた。そしてもう一人、何故かレアリィまでもが同じように椅子に座り、俺の方へと視線を向けてきていた。
 意外な組み合わせにちょっと驚き、後ろ手にドアを閉めながら、
「あれ、何でレアリィまでここに?」
 呼ばれたのは美術委員だけの筈だ。そんな俺の疑問に答えたのは、微笑みを持った先生だった。
「貴方達のクラスは美術委員が一人しか居なかったでしょう? だから、今回転校してきたレアリィに美術委員になってもらう事にしたの」
「でしたか」 
 何気なく頷き、しかし何かが心に引っ掛かった。
 そう、今年に入って美術の教師が変わったのだ。しかも新しい先生は美人で。だから俺は美術委員になった。
 でも。
 俺達男子のほぼ全員が憧れているだろう先生が受け持つ美術。それなのに、何故今まで美術委員が俺一人だけだったんだろうか。
 うちの教室には美術部員は居ない。だから、美術部員ではない俺が美術委員をやっていてもおかしくはない。現に今まで一人でやって来れたし、先生とも結構仲良くなってきている。
 そう、俺一人でも変じゃない。
 けれど、『何故俺一人なのか』という明確な答えが見つからない。何か奇妙な感じがして、嫌な違和感が心の中で蠢き始め――
「どうしたんですか?」
 響いてきたレアリィの声に、我に返る。彼女の表情はとても心配げで、だから違和感があろうがなんだろうか関係ないと思えた。だってそう、憧れである先生との仕事の中に、仲良くなりたいと思っているレアリィまで加わったのだ。こんな願ってもない状況を奇妙だと思うだなんて、今日の俺はどうかしてる。こんな幸運、二度とないだろうって感じなのにさ。
 だから俺は「いや、教室に忘れ物が無かったか一瞬気になって」と当たり障りの無い嘘を吐いて、二人の元へと近付いていく。ああそうだ。ここは俺のパラダイスだ。
「何ニヤニヤしてるの?」
「や、俺は幸せ者だなぁって」
 先生の言葉に笑みを返して、提げていた鞄を机の上へ。ついでに引き出しからメモ帳とクリップ類を取り出しておく。そして引き出しを戻したところで、先生が立ち上がった。
「それじゃあ、役者が全員揃った事だし、作業を始めましょうか」
「へーい」
 美術室へと向けて歩いていく先生の声に頷き、諸道具を手にその後を追おうとして――椅子に座ったままのレアリィと目が合った。一瞬、その表情にほんの少しだけ不機嫌そうな色を感じて、けれど次の瞬間には微笑みが生まれていた。
「先生と仲が良いんですね」
「や、そんな事は無いって。普段から先生はあんな感じだし」
 多少厳しくはあるものの、冗談も解る素敵な人なのだ。だから男女共々から人気が高い。それをまだ良く知らないのだろうレアリィからしてみると、俺と先生との会話が普通以上にフランクに見えたのかもしれない。
 とはいえ、勘違いされたら嫌だな、と思う。今の俺にしてみれば、先生よりもレアリィと仲良くなりたいと思っているんだから。
「だからまぁ、レアリィも結構気さくに行って平気だと思うよ」
「それは……そう、ですね。さっきまで話していた時も変に緊張しないで済みましたから、私も気さくにいけると思います」
 そう言って微笑むレアリィが、その言葉の前に何かを言い掛けたような気がしたけれど、多分気のせいだろう。そう判断して、俺は席を立った彼女と共に準備室を出た。
 この準備室には、俺が入って来た出入り口の他にもう一つ扉がある。それを開くと、すぐ隣にある美術室へと直接向かう事が出来るのだ。そうして入った美術室もストーブの恩恵に与っていたようで、準備室ほどではないものの、冷たさを感じないほどには暖まっていた。
 それを嬉しく思いながら教卓の前に立つと、先生が口を開いた。
「さて、今日は提出して貰った作品達の採点をしようと思うの。今回見るのは、昨日提出して貰った水彩画と、その前に作成したオブジェ。それにこの前集めた防災ポスターのチェックもするわ。いつも通り――レアリィはさっき説明したように――採点や確認の終わった作品を名簿順に棚へと戻していく作業をお願いね。名前を付けてあるとはいえ、置き間違いには気を付けて」
「了解っス」「解りました」
「それじゃ、始めましょう」
 笑みで言って、先生は採点用の手帳を取り出し、生徒用の机に並べられた作品達に採点を始めていく。
 一つ一つの作品を、眼鏡の奥の瞳が厳しくチェックしていく姿を見ながら、ふとある疑問が浮かんだ。
「これっていつ並べたんですか?」
 生徒用の机の上に所狭しと並べられた作品達を指差しつつ問い掛ける。すると、先生が苦笑と共に顔を上げ、
「貴方が来る前よ。ホームルームが終わってもすぐに来なかったから、レアリィに手伝って貰いながら並べたの」
「マジっスか……。すいませんでした」
 先生とレアリィ、交互に謝る。友人なんかに付き合っていたせいで、余計な苦労を掛けてしまっていたのだ。その分の仕事を行う為にも、俺は採点の終わった作品を次々と棚に戻していく。

 少しずつ日が暮れ始め、紅く染まり出す美術室で、俺達の作業は続いていった。





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