そんな準備。

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 先生の部屋からの帰り道。隣を歩くレアリィが「あ」と小さく呟いた。
「一緒に居られるって安心してたから、いきなり不安に襲われた事を先生に相談するの忘れてた……」
「俺も忘れてたよ……。どうする、今から戻る?」
 最近は落ち着いてきているけれど、いつまた不安に襲われるかは解らないのだ。
 しかし、対するレアリィの答えはポジティブなものだった。
「……多分、大丈夫。大切な人が側に居るんだって事が、今ははっきりと解ってる。だから、耐える事だって出来ると思うから」
「でも、無茶はするなよ?」
「うん。辛くなったらすぐに言うね」
 微笑みながらレアリィが言う。けれど、この世界に居続ける事が出来るかもしれない以上、このまま学校を休み続ける訳にはいかない。俺達は構わなくても、世間様はそれを許してくれないのだ。レアリィには頑張って貰わないといけないだろう。
 とはいえ、彼女に無理をさせる気はさらさらない。ある程度元の精神状態に戻るまでは出来るだけ一緒に居ようと、そう心に決める。ただそれだけで彼女の不安が安らぐというのならば、いくらでも側に居てあげようと。
 今の俺には、彼女を護る為に剣を振るう事は出来ないのだから。
「って、剣……?」
 突然浮んだ単語に首を傾げる。
 何故か最近、頭の中に突拍子も無い単語が浮かぶ事があった。その多くはレアリィの事を想っている時に出てくるのだけれど……大概が理解出来ない言葉だった。思考に割り込むかのように、いきなり単語が浮ぶのだから。
 と、小さく首を傾げていると、
「どうしたの?」
 問い掛けて来る彼女を心配させぬように首を振り、なんでもない、とそう答える。
 自分は正常だと、そう自分自身に言い聞かせるように。
 そうして二人で歩いて行き、マンション前の道路で信号待ちをしていると、不意にどこからか声を掛けられた。
 声の方向に視線を向けると、国道の向こうに夜城達が立っていた。丁度青になっている信号を渡り、夜城達の元へと向かと、彼等の手には大きな紙袋が提げられていた。
「どうしたんだ、こんな所で?」
「ちょっと図書館まで」
 そう答える少女の持つ紙袋の中身を少し覗かせてもらう。中にはコピーされたと思われる新聞紙が詰まっていた。
「新聞紙?」
「そう。実は私達もちょっと人を探してて。その人に繋がるかもしれない記事を探しているの」
「そうだったのか。でも、二人は一体どんな人を探してるんだ?」
「それは……」
 何かあるのだろうか。眉を寄せて答えると、少女は夜城へと目配せし……次にレアリィにも視線を送った。
 と、レアリィがその視線に答えるように小さく頷く。どうやら俺に教えて良いものか否かを判断しているらしい。
「いや、別に無理に聞こうって訳じゃないから、教えてくれなくても大丈夫」
 考える少女をフォローするように言った言葉のレスポンスは、
「……でも、一応聞いてくれ」
 少女からではなく夜城から来た。
「良いのか?」
「ああ。この世界の住人なら、俺達の知りたい情報の糸口を知っているかもしれないからな」
「確かに」
「あと、先に断っておくが……何で俺達がソイツを追ってるかは聞かないでくれ」
「解った。余計な詮索はしない」
「頼む」
 真剣な表情の夜城に、俺はしっかりと頷き返す。
 無理に聞き出そうとするほど俺も野暮ではない。聞かれても答えたくないほどの理由がそこにはあるのだろうから。
 そして口を開いた夜城の表情は、酷く冷たいものに感じた。
「――今から九年前、この世界で大量殺人を犯し、その後俺達の世界にやって来た一人の殺人鬼がいたんだ。俺達はソイツを探してる」
「殺人鬼、だって?」
「ああ。そしてつい一年前、そいつはまたこの世界に戻ってるんだ。それ以外に俺達が知っているのはソイツの名前だけ。だから、事件の起こった地域からソイツが住んでいた場所を特定しようと思ったんだ」
「だから図書館に、か」
「ああ。殺人ともなれば確実に記事になる筈だからな。詳しい時期は解らんが、取り敢えず関係がありそうな新聞のコピーを取ってきたんだ」
「そうだったのか……」
 殺人鬼を探しているという事は、その理由は友好的なものではないのだろう。しかも世界を渡ってまで探そうというのだから、夜城達の想いは相当強い筈だ。
「その殺人鬼は明神・刀都(みょうじん・とうと)っていう名前なの。まぁ、偽名かもしれないんだけど……聞き覚えない?」
 そう問い掛けて来る少女の表情は、夜城と同じように感情の色が消えていた。以前レアリィが「初めて逢った時はもっと冷たい感じがした」と言っていたけれど、恐らくこの世界に来た当初、彼女達はこんな風に酷く冷たい表情をしていたのだろう。
 そう思いながら、俺は記憶の引き出しを引っ繰り返し……そして、一つ質問をする事にした。
「あのさ、答えられたらで良いんだけど……その殺人鬼がこの世界で犯した殺人は、どんなものだったんだ?」
「ごめん、それは私達にも解らないの。でも、年齢的には私達と同じぐらいの時にその殺人を犯している筈よ」
「つまり、二十歳前後?」
「そうみたい。それから九年経っているから、その殺人鬼はもう三十近い筈ね」
「そうか……」
 さて思い出す。今から九年前といえば、俺はまだ小学生だ。ニュースにてんで興味が無かった頃だけれど、大学生か、下手をすれば高校生が犯した殺人ともなれば大々的に報道されていた筈だ。それを何気なく眼にしていてもおかしくはないだろう。
「んー……」
 暫く考え――ふと、刑の執行中に受刑者が失踪した事件があったのを思い出した。何故記憶に残っているかといえば、少し前にネットで見た事件だったからだ。
 そしてその罪状は、
「確か殺人……」
「え?」
「いや、少し前にネットで見た事件なんだけど……昔殺人で捕まった大学生が居たんだ。裁判の結果極刑が言い渡されて、異例の早さで刑が執行された。でも、その時に事故があって、犯人は逃げ出したらしいんだよ」
 その事故が切っ掛けで、記憶消去、という刑罰は行われなくなった。その後、様々な団体からバッシングが起こり、一気に『その刑罰が行われていた』という事実が隠蔽され始めて――今ではネットですらその情報を眼にする事が少なくなった。……って、そうだ、この話は友人から聞いたんだっけな。
 アイツは何を考えて俺にこの話をしたんだろう。そう思う俺に、少女から質問が来た。
「犯人はそのあとどうなったの?」
「確か……未だに見付かってない」
 俺の答えに、少女は小さく唸った。
「タイミング的に、私達の世界に来たって考えられるけど……夜城はどう思う?」
「見付かってないって時点で、候補に入れておいて良いだろうな」
「じゃあ、帰ったらその事件の事について調べよっか。大学生の犯行って記事、結構あった気がするし」
 どうやら方針が決まったらしい夜城達を見ながら、俺はどうやってその犯人が『向こう側』へと渡ったのかが気になった。
 だから、紙袋の中身へと視線を落としていた夜城に問い掛ける。
「ちょっと良いか?」
「ん?」
「その殺人鬼は、どうやって夜城達の世界へと渡ったんだ?」
「それは――解らない」
「まぁ、なんらかの方法を使ったんでしょうね」
 フォローするように答える少女の視線に、一瞬だけ殺意を感じる。……いや、過剰な表現かもしれないが、確かにそう思えるほどに強い感情の込められた眼で睨まれたのだった。
「そ、そうなのか……。ともかく、俺の記憶にあるのはそのくらいかな」
 内心の動揺を隠しつつ答えると、少女は先ほどの表情が嘘だったかのように微笑み、
「情報ありがとう。『彼』を探し出す足掛かりが出来たわ」
「いやいや。でも、早く見付かると良いな」
「ええ。何としても見付け出してみせるわ」
 強い意志の籠った少女達の眼を見ながら、本気なんだと再確認する。同時に、不幸な結果にはなって欲しくないと、そう強く思った。
 と、少女が紙袋を持ち直し、
「それじゃ、私達はそろそろ行くわね」
 笑顔で言い、彼女は夜城と共にアパートへの道を進んでいった。
 その姿が横断歩道を越えた頃、俺は無意識に呟いていた。
「殺人鬼か……」




「殺人鬼か……」
 彼の呟きを聞きながら、レアリィは初めて夜城達と逢った夜の事を思い返していた。
 あの時、少女は殺人鬼の事を命の恩人だと言っていた。けれど、命の恩人という話は事実ではないのかもしれない。少ない手掛かりしか無い中、二人だけで殺人鬼を探そうとしていたのだ。他者を信用せず、嘘を吐いている可能性も否定出来なかった。
 かくいうレアリィ自身も、当ての無い人探しの中、先生と共に何度も嘘を吐いてきた。いや、そもそも、こうして彼と共にいる事が――過去に数多くの幸せを、未来を奪った自分が幸せになろうとしている事が、何よりも救いがたい嘘であり、罪なのだろう。
 求めるものは違っても、やっているのは同じなのかもしれない……。遠ざかっていく夜城達の姿を見ながら、レアリィはそんな事を思った。
 と、そんな彼女の手を彼が握り直し、
「さて、俺達も帰ろう」
「うん」
 彼に促されるようにして、二人一緒に歩き出す。
 彼が呟いた『殺人鬼』という単語には何も答えようとは思わなかった。それは、理由は問うなと言っていた夜城達に失礼だからだ。
 それに、
「もう、係わり合いになる事もないだろうし……」
「ん、何か言った?」
「ううん、何でもない」
 小さく首を振り、レアリィは誤魔化すように言葉を続けた。
「ついでって言い方もアレだけど……夜城さん達が帰る日取りを聞いておけばよかったね」
「確かに。まぁ、明日か明後日って先生は言ってたけど、あの調子じゃ伸びるかもしれないな」
 そうやって話をしながら、マンションへと向けて歩いていく。
 夜城達の予定がどうなろうと、自分は好きな人と一緒に居られる……その幸せを噛み締めながら。




 次の日。
 レアリィと共に朝食を食べつつ、学校に行くかどうかを話し合っていると……彼女の携帯電話に着信が入った。
「誰から?」
 俺は麦茶を一口飲みながら問い掛ける。対する、彼女は携帯電話を開き、
「っと……先生から。ちょっとごめんね」
「ん」
 目玉焼きに箸を伸ばし、黄身を割らないように食べながら考える。
 レアリィを無理に学校へ向かわせる事は出来ない。しかしこれからを考えると、このまま無断欠席を続ける訳にはいかない(そろそろ出席率も不味くなってくるだろうし)。
 同じ教室に居るから平気、とは思うが、体育などは男女別になる。その一時間の間ぐらいなら大丈夫かと思うが、一週間前は教室という空間ですら遠いと言っていたのだ。軽く判断する事は出来ないだろう。
 と、不意に頭の中に『依存』という言葉が浮んだ。だからそう、この過依存気味な状態から脱するには、少しぐらい突き放した方がレアリィの為になるのではないか。そんな考えも浮ぶ。
 しかし、そんな事は絶対に出来ない、しない。と断言する自分が居た。
「つまり、俺も同じようにレアリィに依存してるのかもな……」
 小さく呟く。
 実際、レアリィが居なくなった生活など考えられない。
 少しでも突き放すような事をしてしまえば、その瞬間から俺は自責の念と後悔に押し潰され、完全にミンチと化すだろう。
 最早原型を留めない自分を想像しつつ居ると、レアリィが携帯電話から耳を離した。
「今日の予定って、何もないよね?」
「無いよ」
「解った。……えっと、無いです。はい、それでは」
 気持ち悪い想像を捨て去りつつ、携帯電話を閉じるレアリィに問い掛ける。
「なんだって?」
「夜城さん達が帰る日取りが決まったって」
「決まったのか。で、いつ頃なんだ?」
「今日、みたい」
「そうか……って今日?! そりゃ今日か明日って言ってたけど、ホントに今日になるとは。昨日の事があったから伸びるかと思ってたのに……」
 俺の言葉に、レアリィも「そうだよね」と頷き、
「でも、新聞の記事は『向こう側』でもチェック出来るから、今回は帰る事を優先したみたい」
「コピーの束、結構な量があったもんな。それで、時間は?」
「夕方五時ぐらいだって。場所は学校の美術室」
「美術室?」
 この前の火事の結果、美術室は完全に使い物にならなくなってしまった。とはいえ、あの火事から既に二週間以上経過している。もう復旧工事が始まっている可能性があるだろう。そんな人気がありそうな場所で大丈夫なのだろうか。
 疑問が顔に出たのだろう。微笑みながらレアリィが教えてくれた。
「私達が事情聴取を受けた夜、その偽装工作の為に先生があの部屋に魔法を掛けたらしいの。だから、人払いも簡単だったんだと思う」
「そんな事をしてたのか……」
 呟きつつ、事情聴取を受けた夜の事を思い出す。あの時は、友人に家宅捜索があるかもしれないと脅されたのだ。しかしそんな事は一切無く……そう考えてみると、一度疑われたにしても音沙汰が無さ過ぎた。
 それはそれで問題は無かったけれど、その背景には先生の魔法があったのだ。
「それで俺達に疑いの目が向けられなくなってたのか。先生に感謝しなきゃだな」
 そう何気なく呟くと、しかし、
「そうだけど……でも、先生がもっと早く行動してくれてれば、事情聴取なんて受けなくて済んだんだよ? だから感謝なんかしなくていいの」
 少し頬を膨らまして言うレアリィに苦笑する。
「まぁ、一応な」
 それでも不服そうなレアリィの気持ちを変える為、俺は別の話題を出した。
「五時となるとまだ時間あるし……ちょっと買い物にでも行って時間を潰そうか」
「……解った。でも、学校は良いの?」
「まずはレアリィが元気になるのが最優先だから」
「ありがと……」
 柔らかく微笑むレアリィに俺も微笑み返す。

 出席率については、もう考えない事にした。




 美術室。
 久しぶりにそこへとやって来た女性は、電気が来ているかどうかを確かめる為、証明のスイッチを入れた。
「良かった、点くわね」
 スイッチが入ると同時、薄暗かった美術室が蛍光灯の光に包まれた(火事の被害により蛍光灯の数が半分以下になっているけれど、それでも点けないよりはマシだった)。
 均等に並べられていた机や椅子、作品だったものは全て片付けられ、今はがらんどうとしている。
「魅了の方も大丈夫、っと」
 四方の角に置いた鉱石の状態を確かめ、魔法が解けていない事を確認する。もしもの事を考えて確認に来た女性だったが、それは杞憂に終わったようだった。
 最後に美術室の中をぐるりと見回すと、女性は準備室へと歩きだし……その途中、暖房器具(だったもの)の上に何か乗っているのが見えた。
 近付いて確認してみると、
「小刀……?」
 それは授業で使う小刀だった。数は三本。焼け焦げた机などを片付けた際に、紛失していた物が出てきたのだろう。
 小さく溜め息を吐きつつ、三本全てを手に取り準備室へと向かう。そして『小刀』と書かれたやや大きめの箱を開け、その中に小刀を仕舞った。
「これで良し、と」
 一人頷き、女性はいつも使っていた机へと。愛用していたペンやノートなど、必要な私物を全て纏めていく。
 再び『こちら側』に戻ってくるのは解っていても、その時に再び教師をするかは解らない。その間、他人に自分の私物を使われるのは嫌だった。
「これも潔癖症っていうのかしらね」
 レスポンスの無い呟きを漏らしつつ、持ってきていた大き目のトートバッグに荷物を入れる。
 女性は片付けが苦手だから、この美術準備室には余計な私物を極力運び込まないようにしていた。それでも、トートバッグはすぐに一杯になる。
 またレアリィに怒られちゃうわね。そう思いながら、女性は全ての荷物を纏め終えると、忘れ物はないか確認。そうして準備室の出口へと向かうと、ドアに手を掛けながら、誰も居ない部屋へと振り返り、
「今までありがとう」
 小さく別れを告げ、女性は準備室から出て行った。




 女性が準備室を出てから数分後、電気が消されぬままだった美術室に一人の男が入ってきた。彼は楽しげな様子で、
「節電節電」
 と小さく呟きつつ、美術室の電気を消した。
 そして一瞬にして暗くなった美術室を横断し、そのまま準備室へ。そこで『小刀』と書かれた箱を見付けると、箱を開け、中に小刀が詰まっているのを確認し……箱の蓋は空けたまま、一抱えほどあるそれを持ち上げた。
「ちょっと重いな……」
 そう文句を言いつつ、準備室から再び美術室へ。
 解り易そうな場所として、黒板の真下へと箱を下ろした。
「これで良し、と」
 楽しげな笑みと共に呟き、しかしやるべき事は終わったのか、男は出口へと歩き出した。




 そして、五時。
 俺達は美術室へと集まった。





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