そんな気持ち。

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 小さく、部屋の中に衣ずれの音が響く。
 電気の落とされた部屋の中は暗く、唯一の光源は月明かりのみ。しかしそこに居る二人は、互いの場所がどこにあるのかを確認しなくても良いほどに、互いの場所を良く知っていた。
 二人で使うには少し狭い布団の上、少女の嬌声が青年の耳に甘く響く。控えめに発せられていたそれも、少しずつ大きくなっていく。
 そして、青年が少女を求めようとした瞬間――場違いなほどに軽い電子音が部屋の中に響き渡った。
 同時に青年――夜城が溜め息を吐く。
「誰だよ……いや、マジで誰だよ……」
「タイミング悪過ぎ……」
 対する少女――空も愚痴をこぼす。しかし、そんな部屋の中の様子などお構い無しに、ドアの向こうに居るであろう人物はもう一度ドアベルを鳴らした。
 深く重く溜め息を吐くと、気だるげに夜城は立ち上がった。
「……ごめん、服着てくれ。俺が出てくる」
「うん……」
 脱がした服を空に手渡し、苛々しながらも下着とズボンを穿き直す。すると、もぞもぞと下着を身に着けている空が呟いた。
「久々だったのにね」
 残念そうなその声に夜城が腰を落す。そしてその額に軽くキスをし、
「でも、時間はたっぷりあるから。客人を追っ払ったらすぐに続きを始めれば良いさ」
 笑みで言い、夜城は再び立ち上がった。布団の脇に脱ぎ捨てたシャツを着込み、玄関へと向かうところでもう一度チャイムが鳴った。
「ったく……。ハイ?」
 気だるく返事を返しながらドアを開く。チェーンに塞がれ、少しだけ開いたドアの向こうには女性が立っていた。
 そういえばこの部屋のチャイムを鳴らすのはこの人しかいねぇな。などと思いつつも、夜城は女性に問い掛ける。
「何かあったのか? ちょっと取り込み中だったりしたんだが……」
「あ、ごめん、そうだったの? あんまり遅いとアレだと思ったんだけど……ごめんなさい」
 今は午後十一時頃。蛍光灯などという便利で明るい照明は存在しない『向こう側』での生活に慣れ親しんでいる夜城達にとって、十一時というのはもう眠る時間であり、誰にも邪魔されぬ夜の時間でもあった。
 『こちら側』での生活が長い女性は、そういった『向こう側』の生活様式が抜けつつあるのだろう。夜城はそんな事を思いながら、
「謝るくらいなら、俺達の生活スタイルを――『向こう側』の常識を覚えておいてくれ。で、何かあったのか?」
「えっと、今日はちょっと報告に来たの」
「報告?」
 言いながら、夜城はチェーンを外す。ドアが完全に開ききると、女性が夜城の問いに答えた。
「そう。この前、『一ヶ月後には一度元の世界に戻る予定だ』っていう話をしたけれど、その話が無しになったのよ」
「って事は、俺達は勝手に行動して良いと?」
「そういう事。あと、一応『向こう側』に帰る時は教えてくれるかしら。本当に世界を渡れるのか気になる所だし、もしかしたら私もご一緒させてもらうかもしれないから」
「解った。いつになるかは解らんが、日取りが決まったら連絡する」
「ありがとう。……それじゃ、おやすみなさい。それと、邪魔しちゃってごめんなさい」
 申し訳なさそうに言い、女性が帰っていく。
 何をしてたのか解ってたのか……。そう思いながら夜城は扉を閉めた。一応鍵を閉め、空のところへ戻っていく。
「今の話、聞こえてたか?」
「一応。でもどうしよっか。『彼』を探すにも時間が掛かりそうだし、まだ図書館とかの場所も聞いてないし……」
 女性の探し人と同じように、夜城達の探す人物も手掛かりが殆ど無い状況だった。それに、ここ数日は『こちら側』の世界に慣れる事に専念……というより慣れようと奮闘しており、捜索しようにも何も出来ていない状態だった。
 その上、『当ても無くこの部屋を借り続けるのは駄目だろう』と思っていた夜城達には、仕切り直す良いチャンスだともいえた。
 しかし、夜城はその事を頭の隅に追いやりつつ、
「まぁ、どの道一回は帰る事にするか。またここを借りるかどうかは別としてもな」
 言いながら、空の正面へと再び座り直す。
「――でもまぁ、今はさっきの続きをするのが優先だ」
 静かに告げると、夜城は下着とシャツしか身に着けていない空を抱き寄せる。
 今度はゆっくりと、その唇に口付けながら。




 紙の上をペンが走る。
 その音をBGMに、女性は然程大きくない机の上で書類の整理をしていた。
 部屋に戻ってからすぐに始めた作業。それは、存在しない存在を、さらに無かった事にする為のものだった。
「全く、世の中狭いわね……」
 呟きつつ手を止めると、女性は床へと置かれた一枚の紙へと目を向けた。
『重犯罪者に対する記憶消去の方法について』
 ペンを置き、その書類を手に取ると、女性は重く溜め息を吐いた。
「まさか、『彼』を『向こう側』へと送ったツケがこんな所に回ってくるなんて……」
 それは九年程前の出来事だ。
 この魔法の無い世界に一人の男が居た。
 その男は何の変哲も無い一般人だったのだが、しかし彼は、他者を殺す事に対して何の感情を抱かない殺人鬼の素質を持っていた。その素質はある事件を切っ掛けにして開花し、しかしその男は人を簡単に殺す事の出来る自分自身に対して恐怖し、警察に自首した。
 その時男に科せられた刑が、
「記憶消去……」
 記憶消去とはその名の通り、犯罪者の記憶の一部を消す刑罰の事だ。
 消された記憶は基本的に元に戻る事が無く、記憶を消された犯罪者は、その後の人生を全て労働に費やす事になる。本来ならばそこで反抗心も生まれるのだろうが、その行為に違和感が生まれないように記憶を塗り替えてから犯罪者達は働かされる。そして定期的に記憶を塗り替える事で、反乱が起こる事も予防していた。
 つまり、彼等は罪の意識に苛まれ続けながら生きていく事になる。
 当初は反対意見の多かったこの刑も、単純な労働力の増加と犯罪率の低下により容認されていった。
 そんな刑にその殺人鬼は科せられ……その刑が施行された瞬間、召喚という魔法で女性は殺人鬼を助け出した。魔法技術の発達した『向こう側』で、『彼』に働いてもらう為に。
 門を開く場合と違い、召喚を行う場合はリスクが少ない。例えるなら、門は入口と出口までが複雑な迷路のようになっており、対する召喚の魔法は入り口と出口の繋がった落とし穴になっているのだ。召喚用の門が開けさえすれば、向こうから勝手に落ちてくるのである。
 そしてその時、『向こう側』の少女を一人利用してしまったのだが……
「まさか、あの時の女の子と再会する事になるとはね」
 殺人鬼を召喚したあと、少女達は再会していないと女性は思い込んでいた。しかし、二人はどこかで再開を果たし、その結果少女は復讐を胸に抱いて『こちら側』に現れた。
 少女と殺人鬼との間に何があったのかは解らない。だが、少女にそんな人生を歩ませてしまった最初の原因は女性にあった。
 とはいえど、今更謝罪する事など出来ない。
「仕事……か」
 呟きながら思い出すのは、数年前まで指示を与えていた者達の――殺人鬼達の姿。
「……よし」
 自らの思いを再確認すると、女性は先程と同じように机に向かい始めた。
 大切な部下を、最悪の存在から守る為に。




 暗い部屋の中、俺はベッドに横になりながら携帯電話を開く。暗闇に浮ぶディスプレイは目に痛いが、気にせずに操作を続けた。
 まずは受信と送信双方のメールを確認する。その後、通話履歴、リダイヤル、アドレス帳と見て行く。しかし、数日前と同じように、そこに友人の名前は無かった。
 溜め息を一つし、俺は携帯電話を閉じる。
 暗い闇に浮んだディスプレイの幻影を見ながら考える。自分が友人と再会したいのかどうかを。
 もし友人と再会出来たなら、レアリィ達の記憶からその姿が消えている理由や、俺が友人の名前を思い出せない理由などを説明をして貰う事になる。しかし、そうすればレアリィとの別れも近付く事になる。俺の中に先生の探し人の記憶が無いとはっきりすれば、レアリィ達は再び当てのない旅に出るのだろうから。
 出来る事ならレアリィと離れ離れにはなりたくなかった。それが俺の勝手な我が儘だと解っていても、想いは止める事が出来ない。彼女の手を離さないと、そんなしてもいない約束をしたような錯覚を感じるほどに。
 暗い部屋の中、俺は重い溜め息を吐いた。




 湯船に深く浸かりながら、レアリィは今日一日の出来事を思い返していた。
「結局……」
 先生が夢を見せ、判断したとはいえ、彼に探し人の記憶は無い、と断言するところにまでは至らなかった。
 今まで先生を手伝ってきたレアリィとするならば、それは残念な結果になるのだろう。しかし、彼の事を想う気持ちが強くなっている今、その心は明らかに揺らいでいた。
 彼が白であると判断されない限り、レアリィはこの世界に留まる事が出来る。だが、その判断が下された時、どちらの結果になろうとも彼との別れが訪れるのは確実だった。
 もし探し人であったなら、彼には愛すべき人が居る事になる。例え先生がその事を黙っていても、いつかはその人と出逢ってしまうのだろう。
 もし探し人で無かったら、先生の旅が再び始まる事になる。次はどこへ向かうのか解らないけれど、そう簡単に戻ってくる事は出来なくなるだろう。
 どうにもならない状況に、レアリィは重い溜め息を吐いた。
「嫌だな……。一緒に居たいのに」
 願うように呟いた声は、風呂場の中に小さく響いて消えていく。
 我が儘だと解っていても、溢れてくる想いを止める事は出来そうになかった。
 そしてそれ以上に……部屋に戻ってから、常に誰かに見られているような、そんな言いようのない不安も心の中に生まれていた。
 それは恐怖にも似た感覚。自分しか居ない部屋の中に誰かが潜んでいるような、そんな錯覚さえもあった。
「離れたくないよ……」
 湧き上がり続ける恐怖から身を護るように、レアリィは自分の体を抱きしめた。 

 彼の事だけを、想いながら。





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