そんな過去。5

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「とは言っても、このまま無闇に山道を行くのは無謀よね」
 困ったように微笑みながら女性が言う。
 荷物も何も全て風で吹き飛ばされてしまっているのだ。そんな何も無い状態で山を下りるのは自殺行為に等しかった。
「そうですね……。でも、どうするんですか?」
「まぁ、普通ならここで野宿でもするんだけど……」
 野宿、という言葉に、少女の心に痛みが走る。それを感じたのか、女性は敢えて明るく、
「仕方ない。ちょっと厳しいけど、今回は別の方法を取るわ」
「別の方法、ですか? それに厳しいって……」
「まぁ、説明はあとで。それじゃ、準備をするから少し下がっていて」
 つい先程繋いだ手を離し、女性は両手に杖を構える。そして、静かに詠唱を始めた。
 女性が紡いでいく言葉は、やはり少女には解らない。しかし、それはまるで詩のように流れていく。
「彼の地へと繋がる道よ。この地へと至る道よ。双方を繋ぎとめ、新たなる道を生み出さん」
 詠唱が続くにつれ、少女の視線の先に変化が訪れた。女性の杖の先に、青く蠢く小さな何かが現れたのだ。
 初めは小さな塊だったそれは、徐々に徐々に円を描くように広がっていく。
 そして、
「――我らの道となれ」
 女性の詠唱が終わる頃には、描かれた円は直径二メートル程の大きさになっていた。円の内部には多種多様な文字や紋様が溢れ、円の外周は波を打ち蠢いている。
 中には少女にも読める文字も存在したが……しかしそれは単語の繋がりを持たず、意味を見出す事は出来なかった。
「よし、準備完了と」
「あ、あの、これは一体?」
「本来なら禁じられている筈の魔法……ってところかしら。効果は自分で体感したほうが早いわ。それに、世界間の移動じゃないから、二人同時でも安定する……筈」
 最後の方が何か不安そうだったけれど、しかし女性は笑顔を浮かべ、再び少女の手を取ると、
「今更だけど、忘れ物とか無い?」
「大丈夫です。持っていた物は、全部壊してしまいましたから……」
「また見付ければ良いわ。今度は新しい土地でね」
「はい……」
 でも、今夜はどうするんですか? と少女がそう言いだそうとした瞬間、女性が歩き出した。目の前に浮かぶ不可思議なものへと。
「それじゃ、行くわよ」
「あの、行くってどこに?」
 慌ててあとを追いながら少女が問う。
「すぐに解るわ」
 それに答えながら、女性が不可思議なものへと進み、手を繋いだままの少女も同じように進む事となった。
 体に感じる感覚は無い。その為か、少女の混乱は更に高まった。
 ちょっと待って……! そう思った時にはもう遅かった。目の前が一瞬暗転したかと思うと、
「……あ、れ?」
 次の瞬間、少女は見た事も無い街の中に立っていた。
 目の前に広がっているのは、木では無く、石材を中心に作られた建物達。路地裏に居るのか、周囲には人影は無い。けれど視線の先にある大通りには、食材を扱う商店や、装飾品を扱う店が立ち並び、その合間を沢山の人達が歩いていた。そして遠く視線の先には、大きなお城とその城壁も見えた。
「なに、これ……?」
 突然目の前に現れた街並みに混乱し、少女が声を上げる。そんな少女を現実に引き戻したのは、繋いだ手の先に居る女性だった。
「あの村から一番近い場所にある王都よ。ちょっと場所は離れているけど、話には聞いた事があるんじゃない?」
「し、知ってます。で、でも、何で……」
 少女の記憶にある王都の場所は、住んでいた村から山をいくつか越えた先にあった筈だった。それなのに何故、自分がそんな場所に居るのかが少女には理解出来ない。
 混乱し、頭に疑問符を浮かべた少女に苦笑しながら、女性が答えをくれた。
「取りあえず落ち着いて。さっき見せた魔法はね、空間転移を行う為の物だったの。昔から禁忌扱いされていたから、扱える者は少ないんだけどね」
「空間、転移……」
「そう。簡単に言えば、遠くの場所に行く為の道のりを省いてしまう魔法ね。欠点とすれば、一度訪れたりして、その場所へのイメージが出来ないと使えないって所かしら」
 実際には無理矢理繋ぐ事も出来るのだけれど、危険が多い。
 それとは知らず、少女は感心しながら、
「そんな魔法もあるんですね……」
「ええ。いつか貴女にも教えてあげるわ。魔力の消費は激しいけど、何かと便利だから。それじゃ、行きましょうか」
 言われ、女性に手を引かれるようにして少女は路地裏を出た。そのまま、見渡す限りの人込みに圧倒されながらも歩いていく。
 街は、村などとは比較にならないほどに広いようだった。その一つ一つを確認するように、目の前に広がる景色に忙しなく動く視線は、まるで怯える小動物のようだ。
 対して、隣を歩く女性はこの人込みに慣れているのか、動じる事無く道を進んでいく。
「丁度混んでる時間にぶつかっちゃったわね……。まぁ、宿の事は心配はしなくても何とかなると思うけど」
「そうなんですか?」
「えぇ。この人ごみの過半数はこの街の人達だと思うから。服装が軽装だからね」
「あ、本当だ……」
 言われてみれば、周りを歩く人々は皆身軽な格好をしている。それはつまり、街の外などの危険な場所へ行く必要が無い事を意味する。
「この街もそうだけど、王城がある街は大概が城壁に守られているわ。その上、街を護る為の警備も配備されてる。だから、剣士だろうと魔法使いだろうと、余計な荷物を持って歩く人は少ないのよ」  
「でも、もしもの時はどうするんです? その、隣の国が攻めて来たりとか……」
 不安そうに言う少女に、女性は苦笑を作る。
「それは無いわ。農作物や特産物の流通ルートが確立されてから、多国間の争いを禁じる法律が多くの国で法定されたの。領土を増やしたいが為に侵略しても、侵略したが最後、貿易も何も出来なくってしまうのよ。その上、周りの国からは敵扱いされ、亡命すらも出来なくなる。そこまでするようになったから、最近では多国間の争いは無いに等しいわ。でもまぁ、それでも暴れる馬鹿は居るし、そもそも外交すらしてない国があるのも事実だけどね。だけど、そんなこんなの理由があるから、この国は安全なのよ。近隣の国とも友好が深いし、争いが起こるなんて在り得ないでしょうね」
 しかし、女性はその表情を厳しいものにすると、
「でも、貴女の村と同様に、ここでも魔法使いを嫌う人は多いの。というか、この辺り一帯の地域は大概がそうね」
「そ、そうなんですか?」
「えぇ。そしてその逆に、魔法を使えない人を排他的に扱う地域もある。段々とその傾向は無くなって来てはいるけれど、貴女の村のような例がある以上、根絶されるのは難しいでしょうね」
 でも、貴女を責めてる訳じゃないからね。そう付け足す女性の声を聞きながら、少女は思う。自分と同じ境遇に居る人が、この世界には多く居るのかもしれないと。同時に、力の有る無しではなく、だた望まれるか望まれないかの違いだけで排他される人が確実に存在するという現実が、少女にはとても悲しかった。
 と、少し暗い気分になった少女の視線の先に、何やら大きな看板が見えた。
「あれは……?」
「あぁ、もう見えてきたわね。あの看板のお店が、今日私達が宿泊する宿よ」
「あのお店ですか?」
「そう。この街の中では比較的最近出来た宿なの。貴女の村に向かう前に利用したのだけど、中々に良い部屋だったわ」
 そうやって会話をしている内に、看板が直ぐ真上に見える場所まで歩いてきていた。視線を下げると、大きな扉が内側へと開かれていて――その扉の奥に広がる、見た事も無いような豪華な装飾に少女は目を奪われた。
 と、少女達の姿に気付いたのか、宿の中に居た店員が視線を向ける。女性はそれに答えるように、
「ほら、行くわよ?」
 優しく手を引かれ、少女はおずおずと宿内へと入っていく。店内入って右手にあるカウンターへ向かうと、笑顔の店員に迎えられた。
「いらっしゃいませ。お客様は二名様で宜しいでしょうか」
「えぇ」
「それでは……」言いながら、店員は何かをチェックし、「本日はお二部屋お取りする事も出来ますが、如何致しますか?」
「そうね……どうしましょうか?」
「え、はい?」
 豪奢な装飾品に目を奪われていた少女が驚いたように声を上げる。その心からは先程までの暗い思いは消え、子供らしい純粋な好奇心に支配されていた。
 その様子に苦笑しながら、女性が言う。
「個別の部屋と、それとも一緒の部屋。どちらが良い? あ、お金の事は心配しなくて良いからね」
「出来れば、同じ部屋が良いです……」
「同室で宜しいですか?」
 少女の声を聞き、店員が問う。
「お願いするわ」
 少女から視線を戻すと、女性がそう答えた。

 そうして通された部屋は、宿の三階にある部屋だった。
 ドアを抜けた正面にある窓からは、引っ切り無しに行き違う人々の姿が見える。途切れるという事を知らないその光景に見とれ始めた少女に、後ろから声が掛かった。
「でも、本当に同じ部屋で良かったの?」
「はい……。まだ、一人で居るのは怖いですから……」
 振り返り、表情に暗い色を持ちながら少女が答える。
「そう……。不意に怖くなったり淋しくなったら、いつでも遠慮無く言って良いからね。私が貴女と一緒に居てあげるから」
「はい……」
 俯きながら少女が答える。そのまま会話が途切れ、静かな沈黙が部屋を満たしていく。
 と、先にその沈黙を破ったのは女性の方だった。
 軽く伸びをしながら、上着のボタンを外し、
「気分転換にお風呂でも入りましょうか。流石に温泉とは行かないけど、結構綺麗なお風呂があるのよ」
 ベットの一つに杖や着ていた上着などを置きながら少女へ提案した。だが、少女は女性の言った一言に疑問を持ち、そして問いかける。
「あの、おんせん、って何ですか?」
「温泉っていうのは、火山の溶岩に温められた地下水が地表に湧き出た物を言うの。それを浴槽に溜めて入るのよ。私が住んでいる国は火山が多いから、比例して温泉も多かったってのもあるけど……知らなかったのね」
「はい……」
「気を落とす事じゃないわ。貴女はまだまだ知らない事が沢山ある。でも、これからそれを学んで行こうって決めたんだから、そんな暗い顔しないの。新しい事を覚えられたって、そう楽観的に行けばいいのよ」
「解りました」
 そう言って顔を上げた少女の表情には、もう暗い色は付いていなかった。

  
□  

 一時間ほど経って、入浴を終えた二人は部屋へと戻ってきていた。
 部屋にあったポットで紅茶を入れようとしている少女を眺めながら、女性がふと忘れていた事を思い出した。
「……そういえばすっかり聞き忘れていたわね。貴女、名前は?」
 紅茶を淹れる手を止めると、少女が視線を上げる。お風呂に入った事で、疲れと一緒に不安も少しは洗い流せたのか、その表情には幼さが戻ってきていた。
「レアリィ・コーストといいます」
「レアリィ、ね。素敵な名前だわ」言って、女性は微笑み、「私の名前は……あー……んー……そうね。先生とでも呼んで頂戴」
 自分の名前を答える事に迷いを見せた女性に、少女は不思議そうな顔を浮かべる。
「なんで先生、なんですか?」
「今日から貴女に魔法の事を教えていくから、かしら」
 そう言って、女性は微笑む。その端に少し影を持って。
「それにね、私は結構長い間魔法使いをしてるから、名前なんてものはどこかに置いてきてしまったのよ」
「結構長い間って……その、先生は全然若いじゃないですか」
「あら、嬉しいわね。でも、人は見かけによらないのよ。特に魔法使いって生き物は色んな人間が居るから。……まぁ、自分で言う事じゃないけどね」
「そうなんですか……」
「いつか、その辺の事も教えてあげる。……さて、紅茶は淹れ終わった? それじゃ、魔法の勉強を始めましょうか」
「え、今からですか?」
 ティーカップを盆に載せ、女性の元へと運ぼうとしていた少女が驚いた風に答える。
 そんな少女に女性は苦笑し、
「そうよ。どちらかというと、今日は魔法と言うものについての勉強かしら」
「魔法というもの……」
「一番初めの初歩の初歩。この世界の『常識』。それを教えてあげるわ」



 少女に魔法の知識を教え出してどのくらいが経っただろうか。いつの間にか、街の喧騒は聞こえなくなっていた。
 何も知らない少女の為、魔力や杖、魔法にはどんな種類があるかなど、比較的解り易い所から教えていった。小難しい話は避け、まるで世間話のように軽く簡単に、魔法というものがどれだけ素敵なものか知って貰えるように。
 しかし、今日は少女にとって様々な事がありすぎた。気付けば少女は船を漕ぎ始めてしまっていて、今では部屋に置かれていた机に突っ伏して眠ってしまっている。
 それに苦笑しながら、女性は少女を抱きかかえると、ベッドへとその細く小さな体を運んだ。そして布団を掛け、その髪をそっと撫でると、
「大変な事ばかりだったけど、これからは私が護ってあげるから。だから、今はゆっくり、おやすみなさい……」
 優しく言って、女性は静かにランプの火を消す。 

 そして、音を立てないように気を付けながら、女性は部屋のドアを閉めた。




 ドアが閉まる音と共に、レアリィは目を覚ました。気付けば先生の使っているベッドに寝かされていて、しっかり布団まで掛けられている。
 少し寝てしまっていたのだろう。
 懐かしい夢を、見たような気がした。





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