そんな授業。

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 教室に一人人間が増えただけで、何か今までとは違う空気が漂っているように感じるのは気のせいなのだろうか。……まぁ、その増えた一人というのが、モデルのように可愛い女の子なんだから仕方ない。
 そんな事を思いながら、今日もホームルーム十分前に教室へと入る。だがそこには、ここ数日の内にお馴染みとなった光景が広がっていた。
 まず、教室にある二つの入り口にレアリィ目当ての野次馬が大量発生している。そのせいで教室の中に入る事が一苦労で、正直かなり煩わしい。
 そして、教室の中ではレアリィの席を取り囲む人の壁が形成中されている。当の本人はそれに紛れて姿が見えない程だ。
 けれどそれも仕方ないとも思える。何せレアリィは転校生で外国人、更に可愛く日本語が上手、という完璧な存在なのだ。俺を含めた男子の興味が彼女に向かうのは必然なのだろう。
 とはいえ、女子の興味がレアリィに向いていない、という事は無い。むしろ男子よりも積極的に彼女へとアプローチをかけているように見える。聞くところによると、女子達にとってのレアリィは、どこか物語の中に登場するお姫様のようで、純粋な憧れの対象になっているらしい。
 テンション高く群がるクラスメイトを眺めつつ、俺は自分の席へと着いた。
 俺の席は黒板に近く、レアリィの席から遠い場所にある。だから『レアリィと仲良くなりたい』と思っても、ここからでは近付く事すらままならない。それなのに、俺はまだ廊下でぶつかってしまった事の埋め合わせをしてあげていなかった。まぁ、本人からは何も言ってこないけれど(というか、二人きりになれる事すらないのだけれど)、しかしそれでは俺の気が済まなかった。
 とはいえ、レアリィから何か要望を聞こうと思っても、人垣が邪魔でリクエストを聞く事すら出来ない状態だ。
 無理矢理にでもあの中に混じるか、或いは人垣を気にせずに声を掛ければ良いのだろうけれど、生憎俺はあの人数を前に声を掛ける勇気は持ち合わせていなかった。
 つまり俺は、声を掛けたくても掛けられないという、かなり情けない状況にいた。……我ながら何をやってるんだか。
 と、そんなこんなで一人勝手に鬱になっていると、いつものように友人が前の席に勝手に座り、
「おはろーう」
「おう、おはよ」
「しっかし、今日も今日とて人気者だよなぁ」
 感心するように言う友人の視線の先には、言わずがなレアリィの姿……を取り囲む人垣があった。俺も同じようにそれを見ながら、自分の願望を口にする。
「確かにな。でも、毎日あの状況だろ? 流石に迷惑になってると思うんだが」
「さて、俺には解らんな。でもまー、見た感じ楽しそうだし別に良いんじゃねぇの? それに、みんなに好かれて悪い思いをする奴も居ないだろ」
「そんなもんか」
「そんなもんだ」
 楽しそうに言う友人に「そうか」と言葉を返す。けれど俺には、あれを『好かれている』という風に感じる事は出来なかった。
 確かに、レアリィに人気があるのは解る。けれど、彼女を取り巻いているクラスメイト達からは、レアリィと友達になろう、という空気が出ていない気がするのだ。さっきのお姫様の話じゃないけれど、一歩引いた関係というかなんというか。だからだろうか、そこにあるのが好意では無く、ただの好奇に感じてしまうのだ。
 と、そんな事を考えていると、友人から声が来た。
「そうだそうだ忘れてた。話は変わるが、今日の美術の課題終わったか?」
「へ?」
 友人の問い掛けに、思わず間の抜けた返事を返す。一瞬、何を言われたのか上手く理解出来なかった。
 そんな俺へと、友人は怪訝そうに、
「課題の提出、今日が締め切りだっただろ? 先週先生が言ってたじゃん」
「……」
「まさか、忘れてた?」
「すっかり忘れてた……!」
 答えつつ、馬鹿をやった! と頭を抱える。
 うちの学校の美術教師は作品の提出期限に五月蝿い。もし期限内に作品が仕上がらなかった場合、生徒には放課後に残ってまで作業をさせる程なのだ。まぁ、例え居残りで提出したとしても、作品を提出したならば評価は貰えるから問題は無いのだけれど……それでも、俺個人には大きな問題があった。 
 友人はそんな俺に苦笑しつつ、
「お前にしちゃ珍しいミスだな。まぁ、居残り頑張れ」
 そう言って俺の肩を叩くと、奴は笑いながら自分の席へと戻っていった。全く、人事だからって良い気なもんだ。
 とはいえ、諦めるにはまだ早い。今日行われる美術の時間を使って作品を完成させれば良いだけだ。課題の内容は水彩画であり、記憶違いでなければ、あとはもう色を塗るだけで完成するところまで進んでいた筈だ。時間的にぎりぎりだけれど、やるしかないだろう。
 ホームルームの開始を告げるチャイムが鳴り響く中、俺はそう腹を決めたのだった。



 放課後。
 俺は下駄箱へと向かうクラスメイトを尻目に、美術室へと向かって歩いていた。そう、現実はそう甘くは無く、厳しいものだった。
「頑張ったんだけどなぁ……」
 普段以上に集中したにも拘らず、無常にも俺は授業中に作品を完成させる事が出来なかったのだ。……授業終了のチャイムと同時に項垂れた俺を見て、友人が笑ったのは言うまでもない。
 しかし、予想以上に作業が進んでいなかったのには、自分の事とはいえ驚いた。多少友人達と談笑しつつも、授業中は真面目に作品作りを続けていたのに、その進行率がクラスの皆よりも遅れていたのだ。これはかなり意外だった。
「まぁ、今日中に終わりそうだから良いけどさ」
 溜め息と共に呟きつつ、俺は辿り着いた美術室のドアへと手を掛けた。もしかしたら、俺の他にも誰か居るかな、とそんな事を思いながらドアを開け、
「……って、無人かよ」
 ものの見事に誰も居ない。どうやら、授業中に作品を提出出来なかったのは俺だけだったようだ。畜生、と思いつつ、美術室の中に入る。しかも今日に限って美術部の連中も居やしない。
 外の喧騒が遠く響く美術室で、俺は一人淋しく作業を始める事にした。



 どのくらいの時間が経っただろうか。ふと窓に視線を移すと、外はもう夜に塗り潰されていた。遠く響いていた運動部の声もいつの間にか止んでいて、自分がずっと集中していたのだと気付かされた。
 そのまま美術室にある時計に視線を向けると、五時が半分を過ぎていた。どうりで真っ暗な訳だ。
「ま、完成したから問題は無いけどな――っと」
 言いながら、固まってしまった体を大きく伸ばす。そのまま首を廻して、次に肩をぐるぐるやり出したところで、不意に美術室の扉が開いた。
 誰だろう、と何気なく視線を向けると、そこには少々驚いた顔で立ち尽くすレアリィの姿があった。想像もしていなかった人物の登場に驚き、俺は右肩を上げた状態で固まり――
「え、あ……コーストさん?」
「は、はい」
「えっと、あー……そう」焦りの中からどうにか平静さを取り戻しながら、「こんな時間に、どうしたの?」
 俺の問い掛けにレアリィは少しだけ顔を赤くすると、少々慌てながら、
「あ――えっと、いま私、部活見学をしている最中なんです。でも、今日は美術部がお休みの筈なのに、美術室に電気がついていたので……それで、来てみたんです」
 言って、しかしレアリィは「でも、ごめんなさい」と頭を下げて、
「作業の邪魔をしては悪いですし、私は戻りますね」
「ちょ、待って待って、邪魔じゃ無いから!」
 思わず椅子から腰を上げつつ、俺は慌てて声を張り上げる。
「もう全然大丈夫!」
「そ、そうなんですか?」
 少々気圧された感じで聞いてくるレアリィに、俺は頷きを返し、
「さっき終わったとこでさ、あとは提出するだけなんだ。だから、別に俺の事は気にしなくて良いよ」
「本当に、大丈夫なんですか?」
「平気平気。ほら、この通り――」笑みと共に、出来上がったばかりの作品をレアリィへと見せ、「――完成してる。だから、気にせず見学していって。……まぁ、俺は美術部じゃ無いけどさ」
「それじゃあ、お言葉に甘えさせてもらいますね」
 微笑んで言うレアリィを、心の底から可愛いと思う。そして彼女は、美術室に飾られた美術部員の作品を眺め始めた。少し引かせてしまった感じはありつつも、俺は彼女と二人きりになる事に成功したのだ。
 焦る気持ちを抑えながら、俺は作品に名札を付け、
「うし、これで終わり」
 水彩画は苦手な方なのだけれど、今回は良く出来た。それを嬉しく思いながら、勝手知ったる準備室へと向かい、机の上に重ねられた作品の一番上にへと画用紙を乗せる。取り敢えず、先生に気付かれなかったのは幸いだったな。
 そんな事を思いながら美術室に戻ると、
「お疲れさまです」
「あ、ありがとう」
 答えつつ、優しく微笑むレアリィの言葉に顔が熱くなるのを感じながら、
「まぁ、こんな時間になるまで終わらなかったのは、俺が提出期限を間違えてたせいなんだけどさ」
 苦笑と共に言う。
 とはいえ、本来ならば授業中に十分終わる作業の筈だったのだ。そうでなければ、今日の居残りが俺一人だけ、という事は有り得なかっただろう。作品の進行度合いにしろ、普段なら絶対に間違えない提出期限を勘違いしていた事にしろ、今回は確認ミスが多かった。
 けれど、今となってはその確認ミスに感謝したくなる。何故ならそのお蔭で、俺はこうしてレアリィと二人きりになる事が出来たのだ。このチャンス、確実に活かさなければ。
 そうと決めると、俺はレアリィへと改めて視線を向け、言おう言おうと思いながらも、ずっと彼女へと言えず終いだった言葉を告げた。
「そういえば、さ。この前ぶつかった事、本当にごめん。あの時は大丈夫だって言ってくれたけど、あとで何か埋め合わせするから」
「そんな、良いですよ。私の不注意でもありますし……」
「いや、走ってたのは俺の方だし、何もしないでいるのも気が済まないんでさ。要望があったら何でも聞くよ」 
 そして、これを切っ掛けに仲良くなってやるぜ! という気持ちを抑えつつ告げる。すると、レアリィは少々迷ってから、
「解りました。じゃあ、何か考えておきますね」
 微笑むレアリィに、どうしようもなく心が震える。どうしよう、誰も居ない美術室に二人きり、という事実に改めて気付かされて凄い恥ずかしくなってきた。
「そ、そういえばさ――」 
 だから俺は、恐らく真っ赤になっている顔を誤魔化すように、別の会話を切り出し始める。


 そうして、真っ暗な夜に包まれた美術室の中、他愛のない話は続いていく――





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