そんな過去。3

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 男に腕を引かれ、見慣れた村の景色を見るまでに、少女は閂が取り付けられた扉を五枚通る事となった。各所各所には厳重な装備に身を包んだ男達が立っており、横を通り過ぎる少女を憎むような形相で睨む。
 それは外に出ても変わらなかった。
 ……ここはどこだろう。
 痛みに耐えながら、少女の思考は徐々に止まっていく。
 同じなのは景色だけ。仲の良かったお隣さんも、笑顔が素敵だったあの人も、いつも野菜をくれた老夫婦も、毎日遊んでいた友達も――誰も彼も、皆少女の知る表情をしていなかった。
 村人達には、『少女が捕らえられたのは両親を手に掛けたから』と伝えられていた。
 村では家族殺しは大罪の一つだった。それが両親となれば尚更であり、そこにどんな理由があったとしても許される事は無かった。結果村人達は、人殺しであろう少女を穢れたものとして見ていた。
 ……ここはどこだろう。
 自分に向けられる沢山の視線に少女の思考は止まり、痛みだけが現実として存在していた。
 そんな、もう何も考えられない頭で連れてこられたのは、村の中心にある広場だった。いつもなら子供達が遊びあい、大人達の休憩場所になっている所だ。
 だが、今日はいつもとは違っていた。
 広場の中心には木で作られた囲いが敷かれ、その周りを沢山の村人が取り囲んでいた。少女が連れてこられて来た事が解ると、彼等は囲いへと道を開く。
 男に腕を引かれるまま、少女はその囲いへと近づいていった。
 その囲いは、五メートル程の正方形を描いて組まれていた。一辺一辺を担う木の高さは三十センチ程。まるで何かを切り離すかのように作られたその囲いに、少女は押し入れられた。
 四方八方から、少女に刺すような視線が向けられる。
 そこ宿るのは、冷たく、排他的な色。
 ……ここはどこだろう。
 だが、少女にはそれしか考えられなかった。
 そして、少女が連れて連れてこられてから数分後。村長が一人の男を連れて現れた。
 その男は、村一番の怪力の持ち主だった。その手には大きな斧。その全長は二メートル近くあり、刃渡りは五十センチを超えていた。刃に施された紋様は、この地方に伝わる祓いの印を模ったもの。そんな実用的とはほど遠い斧を、男は担ぎ上げていた。
 村長と男が少女の前に辿り着くと、静かな緊張が広がり――そして、村長が口を開く。
「只今より、審判を開始する。昨日、この少女の手により我らの同胞が死を迎え、神の元へと召された。……少女よ。お前が何をしたのか、ここに居る者達全員に説明するのだ。その言い分を聞き、我らはお前に公正なる処置を下す」
 沈黙を破るように響いた声も、少女の耳には虚ろに響く。
 何も答えられないままで居ると、四方から罵詈雑言が飛んできた。
「早く答えろ! 何をやっている!」
 一人、また一人と、少女を罵る発言は続く。だが、それを村長が静かに、と制した。
「皆の者、静かに。さぁ、答えるのだ。昨日、お前は何をした?」
 頭に届かない声の中、昨日、という単語が響く。
 昨日……そう、両親を驚かせようと思っていつものように力を使った。そしたら指輪が壊れて、溢れ出した力を抑えられなくなって。気が付いたら閉じ込められていて、その周りを村長達に囲まれていて――
 思い出す。
 あの時、村長が口にしていた言葉。
「魔法……」
 その単語が紡がれた瞬間、村長はおかしなほど大袈裟に驚きの表情を作り、
「魔法、魔法だと?! お前は呪われた悪魔の力を使ったというのか!!」
 そう、激昂したのだった。
 そして、皆を見渡すように視線を巡らせると、再び口を開き、
「昔から悪魔の力として忌み嫌われてきた力がある。その力は魔法というのだが――今までこの村にそのような悪魔の力を持つ者を踏み入れさせた事は無かった。しかしながら、この娘はその呪われた悪魔の力を使い、我らの同胞を死に追いやったのだ! これは許される事ではない! 今ここで、我らの神の名の元に鉄槌を与える!!」
 そう高らかに宣言したのだった。
 普段は温厚な村長の叫びに、村人達は少し圧倒される。だが、その村人達の中から声が上がった。声の主は、広場へと少女を連れてきた男だった。
「悪魔の手先に死を! 神の鉄槌を!!」
 それに答えるように別の場所からも声が上がる。声を発したのは、昨晩村長と共に少女を取り囲んでいた男達だった。
「そうだ! 鉄槌を与えろ!」
「悪魔には死を!!」
 その声は、次第に何も知らない村人達へと伝染していく。
「そ、そうだ! 呪われた力を持っている奴なんか死んでしまえばいい!!」
「そうよそうよ!!」
「鉄槌を!」
「鉄槌を!!」
 数分後には、村人全てが叫びを上げていた。
 鉄槌を。鉄槌を。
 少女に向け、ただ盲目に。
 鉄槌を。鉄槌を。
 膨れ上がった意思は止まらない。
 それをなだめたのは、静かに手を上げた村長だった。村人達がそれに注目し、自然と落ち着きを取り戻すまで暫く待つ。そして後ろに控える男に目配せをすると、村長は囲いから数歩離れた。
「皆の意見と私の意見は一致した」
 そして、少女の前に男が立つ。彼は一度切っ先を地面に突き刺すと、斧を構えなおした。
「これより、神の名の元に鉄槌を下す!」
 村長の言葉に男は頷くと、斧を高らかに持ち上げた。
 村人の視線が、斧へと移る。その口から、再び声を上ながら。
 そして、その興奮が最高潮に達した瞬間――
「やれ!」
 村長の声が響いた。



 虚ろな世界の中、興奮と切り離された少女の感覚は、まるで夢の中に居るようにスローモーションだった。
 少女の目の前には大きな男が立っていた。
 振り上げられた斧が日光を遮り、その表情は見えない。
 そのすぐ後ろで声がした。
 大きな声。
 その声に答えるように男の腕が振り下ろされる。
 斧が落ちるにつれ、男の表情を読み取る事が出来た。
 その人は、辛そうな顔をしていた。
 狂気に包まれた村の中で、少女は唯一見覚えのある人を見付けたのだった。
 途端、一気に意識が引き戻される。
 興奮に包まれた空気を裂くように落ちてくる斧に、
 少女は。


 
 男は村長の言葉に従うと、思い切り斧を振り下ろした。
「ごめん」
 そう、苦痛に満ちた顔で言いながら。
 その刃はいとも簡単に少女の頭蓋を砕き、体を潰し、真っ二つにする――筈だった。しかし、興奮状態の村人と男が見たのは、少女の目の前で止まった斧だった。それは何かの冗談のように、何も無い所でぴたりと止まっていた。
 村人達と同じように、少女にも目の前で止まった斧の切っ先が見えていた。
 振り下ろされた斧が止まるという現象に、少女自身良く解らないでいた。もし彼女が冷静な状態だったならば、自身と斧の間に、不可視の風の壁が形成されている事を感じ取れただろう。しかし、少女の心を支配しているのは死への恐怖。助けを求めようにも、誰も助けてくれそうに無いという現実。
 唯一の救いである両親は、もはやこの世に居ない。 
 だが、少女は心の中で叫ぶ。
 助けて、と。
 しかし、イメージとして浮かんだのは、優しい両親の姿ではなかった。
 大好きだった両親が自分の魔法で肉塊になっていく、その最悪の瞬間がフラッシュバックする。 
 次の瞬間、大きく目を見開き、涙を流す少女の体から、轟、と風が溢れ出した。
 それはまるで少女を守るように、そして包み込むように、どんどんとその大きさを増していく。流石に風の抵抗には耐えられないのか、斧を放し男が後ずさる。しかし、そのまま地面に落ちる筈の斧は、何故か空中に停止したまま。
 何事かと、男の脇へ村長が出た瞬間、
「――――ッ!!」
 声にならない叫びが、少女の口から溢れ出た。それに呼応するように、斧が飛ぶ。まるで喜劇のように。
 鉄の塊である斧は、広場に立ち尽くす人々を飛び越え、数十メートル先へと落下した。
 叫びは止まらない。
 だが不意に、少女を取り囲んでいた風が止まる。
 一呼吸程の間。
 しかし次の瞬間、もはや風とは呼べないほどの力を持った暴風――風の壁が、少女を取り囲む村人達へと叩き付けられた。
 それは純粋な暴力だった。いとも呆気なく村人達を吹き飛ばし、建物を薙ぎ倒し、森を破壊し、山を砕く。
 風は威力を増し続けながら、少女の体から溢れ続ける。


□  
  
 時間は少し遡る。
 少女に対する糾弾が行われる一時間ほど前。広場から離れた場所にある、村に一つだけの宿泊施設にその女性は泊まっていた。とはいっても、少女の起こした竜巻により、宿泊施設もその半分ほどが破損しており、女性は無理を言って泊まらせて貰っているような状態だった。
 歪んでしまっている扉を開いて部屋を出ると、女性は食堂へと向かう。その足取りはしっかりとしているものの、眼鏡を上げ、眠たげに目を擦っていた。昨晩少女が寝付いたのも気付かずに話を続けていたせいか、少し睡眠不足になっていたのだ。
 小さく欠伸をしながら女性が食堂に着くと、そこには数人の先客が居た。村の男達だ。その視線が、食堂の入り口に立つ女性に突き刺さる。状況が状況だからか、女性はあまり歓迎されてはいない。
 それでも、朝の挨拶を送ろうとして――先に声を掛けられた。
「起きられましたか。早速なのですが、我々の話を聞いて頂きたいのです」
 先客の内、一番年老いて見える男が口を開く。
「なんでしょう?」
「旅人様には大変失礼な事なのですが、今日は我々の指示があるまで外に出ないで頂きたいのです」
「それはまた突然な話ですね。一体何故です?」
「今日は村総出である儀式を行うのですが、それは昔から村人だけで行ってきた事なのです。このような言い方をするのは失礼なのですが、村の人間ではない旅人様をこの儀式に参加させる訳にはいかないのです」
「解りました。……因みに、どんな儀式かは教えてもらえますか?」
「すみません、それもお教えする事が出来ません。昔から続いてきた事ゆえ、御容赦を」
 そう言うと男は深々と頭を下げた。それに倣うように周りの男達も頭を下げる。それに少々困惑しながら、女性は頭を下げた男達に答えた。
「頭を上げてください。少し残念ですが、村の伝統であるのならば仕方ありませんから」
「おお、感謝いたします。昼になる頃には儀式も終わりを迎えますので、それまでの時間、しばしこの宿でお待ちください」
 男達が頭を上げる。その顔には、少し安堵の色が見えていた。
「それでは、我々はこれで。すぐに食事を用意させますので、どうかごゆっくり」
 一礼すると、男達は食堂から立ち去って行った。
「……儀式、ね」
 疑念に満ちた女性の声を聞く者は、誰も居ない。
 そうして食事が運ばれ、宿から完全に人気が消えた。女性は毒の有無を確認してから食事を始め……外から聞こえて来た声に、食事の手を止めた。
 立ち上がり、近くにある窓へと近寄る。観音開きになっているそれを開くと、音の正体が解った。
 遠く、広場になっている所に沢山の村人が集まっていた。彼らの上げる声が、離れた場所にあるこの食堂にまで響いてきていたのだ。
「儀式か……。一体何をしてるのかしら」
 耳を澄ましても、音は霞んでしまいよく聞こえない。
 仕方ないわね。そう溜め息を吐くと、開け放った窓はそのままに、女性は自分の部屋へと戻る。そして荷物の中に隠していた杖を手に取り、食堂へと引き返した。
「聞き耳を立てるのはあれだけど、あの子の事も心配だしね」
 開け放った窓の前に立ち、そう自分を納得させるように呟くと、そのまま呪文の詠唱を始めた。
 その魔法は、自身の肉体に直接働きかけ、聴力を高めるというもの。それはすぐに女性の聴覚に変化を表し始め――と、その時だ。強大な魔力が発生したのを感じ、女性は詠唱を中断した。
「一体何?!」
 少女の身に何かあったのだろうか。
 この村の中で、魔法を扱えるレベルの魔力を持っているのは彼女だけだった。つまり、魔力の発生は少女が何らかのアクションを起こした事を意味する。しかし、女性の感じる魔力は通常のものより異常に大きかった。その事に不安を感じながら、女性は窓から身を乗り出し、広場を見やる。
 そこには、何か柱のようなものが出来上がっていた。
 すると、蠢きながら伸びるそれから何かが飛び出した。数十メートルの滑空を終えると、呆気なく落ちる。それが斧だという事を女性が確認する前に、次の変化が訪れた。 
 柱のようなものが突然消滅したのだ。
 そして次の瞬間、柱が消えたと同時に膨れ上がった魔力を感じ、女性は咄嗟に乗り出していた体を引っ込め――直後、轟音と共に宿泊施設を吹き飛ばす勢いの風が来た。
「これは……恐らく暴走が始まってるのね」
 まるで地震のように建物全体が軋み、揺れる。このままではこの建物も持たないだろう。部屋にある荷物は諦め、女性は玄関へと走り出した。
 あまり広くない宿だ。すぐに玄関へと辿り着く。幸いにも玄関には鍵は付けられていなかった……のだろう。吹き飛ばされて来た何かが当たったのか、玄関の出入り口付近は完全に破壊されていた。
 壁になる物が無くなった為、室内に居るにも関わらず強風に体を揉まれる。風の威力は更に増しているようだった。
「やるしかないか」 
 口の中だけで呟くと、吹き荒れる風の壁に向かって女性は手を伸ばし、握っていた杖をしっかりと構える。
「我を守れ」
 自分なりに簡略化した呪文を詠唱し、風の壁に対抗出来る水の壁を張り、しかしその瞬間、体ごと後ろに押されるほどの衝撃が来た。
 伸ばした腕が風を抑え切れず体へと引き寄せられる。それをもう片方の手で支えながら、女性は少女の居るであろう広場を見据えた。
「やっぱり、昨日の内に助け出しておくんだったわ……」
 そう愚痴る最中にも、風はその威力を増していく。
 こんな事態になるのなら、昔話などをせずに少女を助けておけば良かった。そう思っても、最早あとの祭り。
「仕方ない、か……。
 水よ。我を守る壁と成れ。我に刃向かう全てのものを防ぐ楯と成れ。湧き上がれ!」
 ため息と共に追加詠唱された魔法は、女性を護る壁をより巨大に、強固にしていく。
「次に……!
 氷よ。吹き荒ぶ風を凍結させよ。襲い来る脅威を粉砕せよ。吹き荒れろ!」
 更に追加で詠唱を繰り返す。体に掛かる負担は大きいが、この状況では文句は言えない。吹き荒れる風を相殺するように氷の吹雪が吹き荒れる。
 しかし、二重の防御を張って尚、少女の風を完全に防ぎきる事が出来ない。それどころか、風の壁はさら厚みを増しながら女性へと襲い掛かる。
「まだまだ威力は上がる訳ね……!」
 だが、女性も負けては居なかった。更に魔力を籠め、防御壁と吹雪の威力を高めていく。
 そうしながら、女性は少女の元へと走り出す。
「間に合って……!」
 



 魔力の暴走は止まらない。
 体内から溢れ出す魔力が更に増しているのを感じながらも、少女は何の行動も起こそうとしなかった。
 止める方法は解らなかったし、止める気も無かった。
 ……もうどうなっても良い。
 そんな少女の想いに答えるように、その魔力は威力を上げていく。
 しかし、それに抵抗しながら近付いて来る影があった。その影はゆっくりと……だが確実に少女との距離を詰めて来ていた。
 少女の瞳が、その姿を捉える。
 ……だれだろう。
 視界の中に現れたのは、少女には見覚えの無い一人の女性。
 ぼんやりと眺める先に居るその女性は、少女から五メートルほど先の場所で動きを止めた。
 いや、前に進もうにも進めない。そんな風にも見える。
 すると、女性が何かを叫んでいるのが見えた。だが、風に伴う音のせいでその声は聞こえない。
 その姿を視線に捉えながら、少女は儚く曖昧な思いを巡らせる。
 自分が巻き起こしているのであろうこの風。大好きだった村を壊していく暴風。
 普段ならば、何としてでも止めようと思うのだろう。だが、今は何故かそんな思考は働かない。溢れ出す魔力に気力まで奪われてしまったかのように、少女の思考は曖昧なまま戻らない。
 まるで無気力な廃人のように。 
 そんな少女の視線の先、暴れ狂う風に耐え続ける女性の顔に焦りの色が見え始めていた。

  
□  

「叫んでも声は届かず、か……。でも、私の方も厳しいのよね……」
 その呟き通り、もう魔力が尽きそうになっていた。高い魔力を持つ女性も、暴走した少女相手では分が悪かったのだ。
 もしこの状況で魔力が尽きれば、村人達と同じように一瞬で吹き飛ばされるだろう。それどころか、回転する風により体が引き千切られる可能性もある。
 時間が無い。
「でも、この距離を詰める方法なんて……」
 五メートルほどの距離だとしても、轟々と吹き荒れる風が立ち塞がり前に進む事が出来ない。その上、少女から溢れる魔力は留まる事を知らない。
 このままの調子で行けば、少女という枷を壊し、この村周辺を文字通り吹き飛ばしてしまうだろう。女性がまだ耐えていられるのも、少女の肉体が魔力の抵抗の役目をしているからなのだ。
 それでも、女性は状況を冷静に判断する。恐らく、少女が暴走に至った原因は恐怖だ。だから、彼女を護るようにして魔法が発動している。つまりこの風は、巨大な心の壁でもあるのだ。
 そこを突破出来れば――そう思う女性の正面。
 こちらをぼんやりと眺める少女だけは、風の影響を受けていない。彼女を中心にして、風の壁は放射線状に生まれ続けているのだ。
 そして、更に風が強くなった。削られていく大地を踏みしめながら、女性はどうにかそれに耐え――不意に、何かを閃いたかのように視線を巡らせる。
 風の壁により削られ続けている大地。それを形成するのは土だ。当然、少女も土の上に座り込んでいる。
 上手く行くか解らないけど、賭けるしかない! そう決めると同時に、女性は魔力をコントロール。展開していた氷の魔法を停止させると、右手に持っていた杖を何とか左手に持ちかえる。しかし、二重にあった防御壁が一つになった為に、徐々に体を押されだしてしまっていた。
 それに必死に耐えながら、女性は口を開く。
「水よ。我が意に従え。我が意を成せ」
 詠唱と共に、杖の先に魔力を集中させる。
 そして、
「――潜れ」
 言葉と共に、魔法は完成する。
 しかし、女性を取り巻く状況に何も変化は訪れない。それどころか、更に少女から遠ざかりつつある。
 だが、次の瞬間、女性の表情から焦りが消えた。
「もう少し……よし、昇れ!」
 声と共に、同時に右腕を振り上げる。

 変化が訪れた。

  
□  

 視線の先。
 少女には女性が少しずつ押されて行くのが見えていた。そのまま押されていってしまうかと思いきや、突然女性が腕を振り上げた。
 同時に、足元から水が湧き上がってきた。それは少女を濡らしながら、まるで意思を持つかのように水の塊へと変化していく。 
 ……一体、何……?
 少女が疑問を持つと同時に、水の固まりは内側から大きく膨れ上がり――そして、弾けた。


□ 

 土は水を透過する。
 例え地面の上で暴威を振るう風でも、大地の下まではその力を及ぼす事は出来なかった。そして、魔法で発生させた水を、女性は降り上げた右腕と意思で動かしていた。
 水が少女の正面へと至ったのを確認すると、更に意思を籠め、
「ごめんね。ちょっとだけ、眠っていて」
 言いながら、高く指を鳴らす。膨れ上がっていた水の塊はそれを切っ掛けとして弾け、そこに内包していた眠りの魔法を発動させる。本来ならば霧や雨の形で発動させるその魔法を、女性は無理矢理水の塊で発動させたのだ。
 そうでもしなければ、ここまでの状況になった少女の意識を失わせる事は出来ない。
 一瞬の間の後、少女は意識を失った。
 その後、術者の意識が無くなった事により、少女を中心とした風も少しずつ規模が小さくなっていった。

 
□  

 目を覚ました少女の視界に入って来たのは、遠く広がる空と人影。体を伸ばした状態で、少女は女性に抱きかかえられていた。
「お目覚めかしら?」
「は、はい……」
 見ず知らずの女性に抱きかかえられていた事を不思議に思いながらも、少女は体を起こそうとし、
「あ、まだすぐには立ち上がれないと思うわ。暴走を起こしていたんだもの。魔力も体力も無くなっていると思うし」
 暴走、という聞きなれない言葉に首を傾げながらも、少女は女性の言う事を聞いた。
 何より、起き上がろうにも体に力が入らなかったから。 
 しかし、何故こんな状況になっているのか気になる……そんな事を思いながら視線を空から大地へ移す。そうして目に飛び込んできたのは、何もかもが吹き飛んでしまった村の惨状。
 それを目の当たりにした途端、記憶が蘇って来た。
 両親の事。扉の向こうの女性の事。狂気に染まった村人。そして、迫り来る斧。
 今やもう村だった場所を眺めながら、少女の記憶は鮮明になっていく。
「そんな……私が……」
「……貴女は悪く無いわ。悪いのは、魔力というものを受け入れなかった村人達のほうよ。その村人の一人である貴女にこんな事を言うのは失礼だけどね」
 少女の行いを弁明するように、女性は言葉を続けていく。
「貴女は何も知らなかった。そして、そんな貴女をこの村は否定したのよ。悲しい事だけどね……」
 それは、今まで過ごして来た日常を全て否定するような事実だった。
 だが、少女は何も言えない。現に、少女は命の危機に晒されたのだから。
 その事を噛み締める少女の頬を、つ、と涙が伝わっていく。

 女性に優しく抱きしめられながら、幼い少女は泣き続けた。 





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