そんな過去。2

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 とある山間に小さな集落があった。
 その少女は村の新しい家族として、皆に祝福されながら生まれた。金色の髪に蒼い目を持った彼女は、両親の愛を受けて幸せに育っていった。
 だが、成長し歳を重ねていくにつれ、少女は自分の中にある力の――魔力の存在に気付き始めた。
 その不可思議な力の感覚の事を周りの子供らに聞いても、皆一様に解らないと答えた。
 不安になった少女は、思い切って両親に相談する事にした。 
「ねぇお母さん。なんか、体の中に変なものが居るみたいなの」
 だが、両親にも少女の言う感覚は解らなかった。何かの病気かと医者に診て貰うも結果は同じ。少女が住む村の誰もが、少女の感じる感覚を理解する事が出来なかった。
 しかし、それも仕方の無い事だったのかもしれない。
 少女の住む村では、もう長い間魔法使いという存在を迫害し続けてきていた。
 魔法という技術を禁忌と呪い、村の中へと持ち込ませようとしなかった。それと同時に、魔法使いとの子供を作る事すらも禁じていた。
 盲目的なまでの純血信仰。遥か昔から当然のように行われて来た行為は、今や村人が魔法という技術を全く知らないという状況を生み出していた。
 だからそう、村に住む誰もが、魔力の存在を知らなかったのだ。
 そんな中で少女が魔力を得たのは、先祖返りによるものだった。
 魔法使いを迫害し続けたとは言え、過去から現在に至るまで一切の係わり合いが無かった訳ではない。魔法使いという身の上を完全に隠し、この村の一員となった者も過去には存在する。結果、現代に産まれた少女の体に高い魔力が発現したのだ。
 だが、普通なら使い方の解らない力は使われないまま風化する。始めから力の出し方すら解らないのだから。
 しかし、少女には才能があったらしい。教わる事が無くても、無意識に魔力の使い方が解ってしまったのだ。例えそれが正確な方法でないとしても。
 そして他人には無い力を使う事が出来た少女は、驚きと興奮、そして同等の不安と恐怖を得た……得たのだが、それでも少女は子供だった。彼女はその不安を押しのけ、近所の友人や子供達に魔法を披露し始めた。
 始めて見る魔法というものに友人や子供達は驚き、驚喜した。そして、特異な力を持つ少女に憧れの視線を送るようになった。その事が更に少女から不安を消し去り――ある日、少女は両親にもその事を自慢しようと思いつく。

 ただ単純に『凄いね』と驚き、褒めて欲しくて。 

■ 

 とある夜。
 八畳ほどのリビングの真ん中に立つと、少女は目の前に座る両親に魔法を披露する事にした。
 腕をすっと伸ばすと、微笑みながら座る両親へと手の平を向ける。
 いつも友人や子供達に見せているように、少女は手の平から小さな風の渦を生みだそうと意識を集中し始める。それに呼応するように、少女の小さな体内から腕を通り、外へと魔力が放出されていった。
 手の平に集まった魔力は風を呼び、渦を生み出していく。
 他の村人と同じように魔法というものを知らずに育った両親は、少女の行った行為にとても驚いた。
 そんな両親の顔を見て、少女は喜びを感じ、もっと驚かせようと考えた。
 意識を集中し、渦巻く風を更に大きくしていく。
 あとちょっと……。そう思った瞬間、何かが砕けるような小さな音が少女の耳に届いた。見れば、左手の人差し指――少女が大切にしていた玩具の指輪が壊れていた。
 次の瞬間。
 轟、と渦を巻き、風が啼いた。



 魔力というのは、純粋な力の塊である。
 長い歴史の中、その変化し易い性質が故に様々な魔術や魔法が生み出されてきた。しかし、力の塊である魔力が体内からそのまま放出されれば、その力の反動が術者に襲い掛かってくる事になる。
 つまり、何も無い状況で魔法を使うのは、自分の体を傷つける行為にしかならないのだ。
 魔法使いが杖やそれに順ずる物を必ず手に持つのは、それが魔力を放出する時の抵抗やリミッターの役割をするからだ。そして、魔法使いはいざという時の為にアクセサリーを身に纏う。例えば指輪の一つでもあれば、例え効力が弱くとも、それが抵抗の役割を果たしてくれるからだ。
 当然の事ながら、強い威力の魔法を発動させようと思えば、抵抗となるものに掛かる負荷も大きくなる。それが正当な手段を踏んでいない魔法の発動となれば尚更だった。
 そして、魔法を扱う際には呪文と呼ばれる単語の詠唱を行う。
 特定の単語を口にする事により自らに暗示を掛け、体内にある魔力を放出し安くするのだ。その為、呪文の詠唱は人により異なる。単調な単語の羅列だけの者も居れば、歌の一小節のように朗々と謡い上げる者も居る。テンプレートの決まった魔法も存在するものの、大概は術者のオリジナルとなっていた。
 何故ならば、呪文には放出する魔力をコントロールする働きがあるのだ。そうして自身の言葉でその出力を調整し、魔法使いは安全に正確に魔法を発動させるのである。
 だがしかし、少女はその呪文を唱えずに魔力を放出し――そして、魔力を放出する事は出来ても、止める方法を知らなかった。
 更に不幸な事に、少女の指に嵌められていた指輪は魔力の放出による負荷に耐え続け、最早限界に来ていた。
 結果、両親を驚かす為に少女がいつも以上に強い負荷を与えた時、ついに砕け散ってしまった。
 普通なら、その時点で魔法を止めるだろう。
 しかし、少女にはその方法が解らなかった。
 いつもなら、風は自然に消えていたのだから。 
 


 轟々と巻き上がる風を前に、少女はどうしようもなく立ち尽くしていた。
 視線を下げると、延ばしていた腕は切り裂かれ、いたる所から出血していた。
 だが、その事が幸いしたのか、痛みにより魔力を放出する事は強制的に中断させられていた。
 しかし、発動した魔法はもう止まらない。
 風は風を呼び、どんどんと膨れ上がる。 
 荒れ狂う風は床を剥がし、天井を貫き、家具を壊していく。
 不意に、少女の名前が呼ばれた。
 視線を上げる。
 もはや竜巻となった風の中。
 何か、
 赤い、
 ものが――
「――ッ!」
 両親だったものが、人の体を残さぬ姿で、渦巻く風の中を回っていた。
 その衝撃に、少女は声にならない叫びを上げ――そのまま意識を失った。しかし、風は更に強さを増していく。
 巻き起こった風は今や竜巻となり、少女の家だけではなく、近隣の家までも薙ぎ倒していく。人々は突然現れた竜巻に恐怖し、自然にその竜巻が消えるまで逃げ惑うしかなかった。

 そして数時間後。竜巻が完全に消え去った後、人々は壊れた家屋の撤去、怪我人の捜索を行った。
 沢山の怪我人が出る中、一番破損の激しい住宅から、一人の少女が助け出された。彼女は、両腕を負傷している以外、どこにも怪我を負っていなかった。 
 まるで何かに守られていたかのように。
 だがその事により、少女は疑念の目を――恨みを、向けられる事となる。
 竜巻に巻き込まれた村人の中に、無傷だった者は誰一人も居なかったからだ。

■  

 気を失っていた少女が目を覚ましたのは、竜巻が巻き起こってから半日ほど過ぎた夜更けの事だった。はっきりとしない意識の先、少女の視線に映るのは、村長を初めとする村の男達の姿。
 何事だろう、と思う間もなく、村長が口を開く。
「お前は何をしたんだね」
 解りません。
 少女はぼんやりと答える。自分が喋っているのかどうか、それすらもはっきりしないままで。
「村人の殆どは解らなかったようだが、あれは魔法と呼ばれる悪魔の力だ」
 知りませんでした。
「そうだろう。我々がずっと否定し続けている力だからな」
 ……。
「お前が近所の子供らに魔法を使って見せていた事は話に聞いている。悪魔の力を持つお前を我々は野放しにする事は出来ない。正式な判断はまだな為、お前はこの部屋に居てもらう」
 判断ってなんですか?
「お前のこれからを決める判断だ」
 私の……?
 少女の疑問に答える事無く、話を終えたらしい村長達はすぐに部屋から出て行った。
 何が何やら解らないまま、少女はその部屋を見回す。
 六畳ほどの部屋の中、家具らしい家具はベッド程度。白い壁に付けられた窓には格子があった。
 と、村長達が出て行った扉の向こう側から、何やら物音がした。何か重い物同士が擦れ、押し込められていくような音だ。
 その音を聞きながら、少女はとりあえずベッドから立ち上がる事にする。
 上半身を起こす時、体を支えるためについた手が脈打つように痛んだ。それも一箇所では無く、腕全体が。その痛みに耐えながら半身をずらし、ベッドから降りる。足元がふらつき、上手く歩く事が出来なかった。
 それでも、少女は痛みを堪えながら、村長達が出て行った扉へと近付いていく。
 扉の正面へ立つ頃には、もう外からの音は聞こえなくなっていた。
 確か、村長達は扉を押し開いていた。ならばと、少女も扉へと手を伸ばす。しかし、痛みにより腕を自由に動かす事すらままならない。
 仕方なく、少女は扉へと背を向け、背中から扉へと体重を掛けた。
「……っ」
 開かない。
 どんなに力を込めても、何度試しても、扉は開こうとしない。
「……んっ、んんっ!」
 背中や尻から体当たりするように、何度も体を打ち付ける。それでも、扉は開く事無く、軋んだ音を上げるばかり。
「……っ!」
 腕の痛みも忘れ、思い切り背中から当たっていく。
 自分が閉じ込められているという事実を認めたくないかのように。
 自分が行った行為を、認めたくないかのように。
 声にならない嗚咽を上げながら、少女はドアを開けようと、背中を扉へと打ち付けていく。
    
■  

 どれ程の時間が経っただろうか。部屋の中は薄暗く、光源は窓から入る月明かりだけ。体力と気力を使い果たした少女は、痛む腕で不器用に足を抱きながら扉に身を預けていた。
 だが、嗚咽は止まらない。
 止まる事を忘れたかのように、涙が溢れ続けていた。
 そんな時だ。扉の向こうから声が聞こえてきたのは。
「扉と戦うのはもうお終いかしら」
 それは、若い女の声。
 狭い村だ。普段の少女なら、その声が村人の物で無かった事に気付けただろう。しかし、今の少女にはそんな余裕は無かった。
「お願い、ここから出して……! もう家に帰りたいよ……!」
 枯れてしまった声を振り絞るようにして、少女が言う。相手の返事など待てなかった。
 よろよろと立ち上がると、
「お願い、お願い……」
 扉に向かい、少女は呟き始めたのだった。
 しかし、扉の向こうから響く声は、少々の困惑と共に、
「お願いって言われてもね……。部外者の私が――って、貴女、自分が何をしたのか解ってる?」
「え……?」
「自分が何をして、何故こんな場所に閉じ込められているか、解ってる?」
「それ、は……」
 月光に照らされ、青白く染まる扉。そして自分の腕を交互に見ながら、少女は思考する。自分が何をし、その結果何が起こったのかを。
 不意に、少女は腕に包帯が巻かれていた事に気づいた。そんな事にすら気付けないほど少女は焦っていたのだ。
 見つめる包帯には、うっすらと赤い染みがある。
 何故こんな怪我をしているのか。
 思考は加速を初め、記憶が鮮明になっていく。
 涙は、もう止まっていた。
「覚えてないかしら? まぁ、それでも良いけれど。今は混乱していても、時間が経てば嫌でも思い出してしまうでしょうから」
 女性の真意は解らないままだ。少女は質問に答えず、女性の言った言葉に質問を返した。
「……それって、どういう事ですか」
「別にそのままの意味よ。人間の記憶なんて、そう簡単に失われるものじゃないのよ。一端冷静になってしまえば、記憶の引き出しは開いてしまう」
「……」
「それがどんなに忘れたい事でも、ね。それに私は部外者だから、何か知ってそうな貴女に話を聞きたいと思ってここに来たの」
 その言葉に、少女はようやく、響いてくる声に聞き覚えが無い事に気付き、
「貴女は、誰ですか」
「旅人、かしら。ちょっと調べ物があってこの村に来てみたら、何やら問題が起こってる。それで、その騒ぎが収まったあと、助け出されたのにも関わらず、何故か軟禁されてしまった貴女に話を聞こうと思ったのよ」
「……そうですか」
 少女の声は小さい。鮮明になりだした記憶が、自分の行った行為を再現し始めていたからだ。 
 映像として頭に浮かぶのは、目の前にある扉では無く、巻き上がる風。
 風に舞う、赤いもの。
 風が全てを巻き込んでいく。
「おかあさん……おとう、さん……」
「……そうだ。貴女、年は幾つ?」
 再び絶望の中へ落ちつつある少女を引き戻すかのように、扉の向こうから質問が飛び出した。また流れ出そうとする涙をどうにか拭いながら、少女は答える。
「十歳、です……」
「まだ十歳か。私が十歳の頃は何してたっけ……」
 そう言いながら、扉の向こうで声の主が動いた気配が感じられた。扉の前に座ったのだろうか。
 頭の上から聞こえてきた声の位置が、一気に下へと下がってきていた。倣うように、少女も床に腰を落とす。
「確か、毎日のように遊んでいたわね、多分。私の住んでた所は海に近くてね。結構頻繁に泳ぎに行ってたわ」
 一体何のつもりなのか。聞いてもいないのに、扉の向こうからは昔話が紡がれ続けていった。
「……」
 それに相槌を打つ事も無く、少女は顔を伏せる。
 しかし、耳に入ってくる物語はとても優しく、心に染み込んで来るようだった。
「それでね……って、もう聞いてないかしら?」
「……聞いてます。だから、続けてください」
「はいはい」
 続いていく昔話。
 それは少女が眠りに落ちても尚、終わる事は無かった。
  


「起きろ」
 夢も見ずに眠っていた少女を起こしたのは、一人の男――村長の息子だった。
 ベッドではなく、壁に寄りかかるようにして眠る少女に疑問を感じながらも、男は少女を起こしにかかる。
 二、三回声をかけると、少女は目を覚ました。
 目を擦ろうとして、動かした腕の痛みに顔をしかめる。しかし、そんな事には構う事無く、男は乱暴に少女の腕を掴んだ。
「ッあ……!」
 痛みに少女が声を上げる。それでも男は表情一つ変えなかった。それどころか、
「黙れ! お前のような奴に触る事すら俺は嫌なんだ! おら、早く立て!」
 そう、怒鳴りつけてきたのだった。
 少女には訳が解らなかった。だが、捕まれた腕の痛みは増すばかりだ。それに、男は掴む腕に籠める力を増してきていた。心に浮かんだ疑問を発する事も出来ぬまま、少女は必死で立ち上がった。
「早くしろ!」
 苦痛の声を上げそうになるのを必死で堪えながら少女は歩いていく。
 部屋の出入り口――昨晩あれだけ押しても開かなかった扉は、男の手で簡単に開かれた。部屋を出る瞬間、開かれた扉の外側を見る。そこには、大きな閂が三つほど取り付けられているのが見えた。
 昨日は訳が解らなかった。しかし、自分が閉じ込められていたと言う現実を改めて直視し、少女は思わず立ち止まる。
「早くしろと言っているだろう!」
 小さく震えだした体を、男が強引に引っ張っていく。

 痛みとは違う涙が、少女の頬を伝っていった。





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