そんな二人。2

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 静寂が広がる部屋の中、苦笑を浮かべた少女の声が響く。
「貴女達が解らないものなら、私達にはもっと解らないわ。でも、私達はそれを使ってこの世界に来た。それは事実よ」
 そうして再び静寂が満ち……次にそれを破ったのは、意を決したように顔を上げたレアリィだった。彼女は少し睨むようにして少女を視線に捕らえると、
「あの、一つ聞かせてください。この剣を、貴女は一体誰から受け取ったんですか?」
「……命の恩人からよ」
 その問いにどんな効果があったというのか。先程まであった表情が消え失せ、まるで人形のような無表情で少女が答えた。
 突然のそれに不気味さを感じながらも、レアリィは質問を続ける。
「その人が誰からこの剣を貰ったのか聞く事が出来れば、この剣の事をもっと調べられると思ったんですが……私、変な事を聞いてしまいましたか?」
 無表情のままの少女に問う。レアリィが知る限り、剣が人間を認知し、出された条件を認識するなど考えられない事だ。
 では、この剣は一体何なのか。
 そう思って問い掛けたのだけれど、しかし、少女の反応はレアリィの予想を大きく外れたものだった。とはいえ、自分の言葉が少女の気分を害してしまったなら、謝罪しないといけない……そう思うレアリィに対し、少女は冷たい声色で、
「いえ、そんな事はないわ。そもそも、私達がこの世界に来たのは、私にこの剣を譲渡した以前の持ち主を探す為だから」
 言っている事と表情がまるで噛み合っていない。しかし、本人が否定する事を根掘り葉掘り聞く訳にもいかず、レアリィは隠せぬ戸惑いを感じながら、
「その持ち主の方は、この世界に?」
「そう。私はその人にお返ししなきゃいけない事があるの。だからこの世界にやって来たのよ」
 その言葉に、先生が少し反応したように見えた。剣を見た時の表情と良い、先生は何か知っているのではないだろうか? そんな疑問がレアリィの頭に浮かぶ。
 しかし、その問いを発する間もなく、まるで何かを確認するかのように先生が口を開いていた。
「貴女にこの剣を渡した人は、どんな人だったの?」
「……普通の男の人よ。剣の腕は立っていたけど」
 まるで解っている事を聞くようだなと、レアリィは無意識に感じていた。言葉ではなく、少女へと向けられた先生の瞳がそれを物語っているように見えたからだ。
「どんな剣を使っていたの?」
「一対の短剣。まぁ、結構長さのあるものだったけど」
「服装は? 鎧とか纏っていた?」
「無地の黒い外套を身にまとっていたわ。……ていうか、なんでそんな事を聞いてくるの?」
「貴女にその剣を渡した人物を、知っているかもしれないからよ」
 その瞬間、少女は目を見開き、
「『彼』はどこにいるの?!」
 コタツを引っ繰り返さん勢いで、今までの様子が嘘だったかのような声を上げた。隣に座る青年がそれを抑え、どうにか落ち着きを取り戻す。
 その様子を見ながら、レアリィは少女へと強い違和感と、そして不信感を感じずにはいられなかった。同時に、信頼する先生がこの硝子の剣を知っていた事を確信し、その表情から何かを読み取ろうと意識を切り替える。
 そんなレアリィの様子に気付く事無く、先生は質問を続けていく。
「最後にもう一つだけ聞かせて。その人がその剣を使う為に与えられていた条件は何?」
 その問いに、少女が明らかな迷いの表情を浮かべた。彼女は青年へと助けを求めるような視線を向け、暫しの逡巡のあと、何かの決意と共に小さく頷いた。
 そうして少女から静かに告げられた言葉は、レアリィにとって、今までの問答を全て忘れさせるに事足りるほどの衝撃を持っていた。
「『一日で人を百人殺す事』、だったらしいわ。本当かどうかは解らないけどね」
 暗く、悲痛な表情で少女が言う。けれどレアリィには、別の混乱が起こっていた。
 一日で百人もの人を殺す。つまりそれは明らかな人殺しであり、この少女は殺人鬼を捜しているという事になる。しかもその相手を、先生が知っているという事だ。
 絶望的な心情のまま、それでも違って欲しいと思いながら先生を見る。けれどそこにあったのは、不安や恐怖等ではなく、何かを確信したかのような表情だった。本人はポーカーフェイスを演出出来ていると思っているのだろうけれど、レアリィと先生との付き合いはもう十年近くになる。例え少女達を騙せても、一番弟子であるレアリィを騙す事は出来ていなかった。
 だというのに、先生が少女へと答えた言葉は、
「……ごめんなさい。やっぱり人違いのようだわ。私が知っている人とは違うみたい」
 否定だった。
 それは本当なのだろうか。先程の確信の表情は、知っている人と合致したからの表情ではないのだろうか? 
 だが、レアリィにはそれを聞く事が出来なかった。もし予想通りだったとしたら、先生は殺人鬼と知り合いだという事になるのだから。
 先生の言葉に、少女は明らかな落胆の表情を浮かべ、
「そう……。まぁ良いわ。探す時間はたっぷりあるし」
 コタツの上に置かれた硝子の剣へと手を伸ばす。それを鞘へと仕舞いながら、小さな声で何かを呟いた。
 それは明確な呪詛。ここには居ない誰かへと向けられたそれにレアリィが気付く事は無かった。
 そうして硝子の剣が仕舞われたあと、先生が疑問へと表情を変え、
「でも、どうやってその剣の持ち主を探すつもりだったの?」
「なんでも、『彼』は過去にこの世界でも殺人を犯しているらしいの。だから、昔の新聞でも調べようと思っ――」
 言い掛けて、少女は一時停止。何かに気付いたか、先生とレアリィの顔を交互に見、
「……この世界にも、図書館とか、そういう施設は存在してるのよね?」
 怪訝な顔を浮かべて聞いてきた。それは『殺人鬼を探す』という目的の為にやって来た少女の言葉としてはどこか間が抜けていて、それが少女の素なのだろうかと思う。同じ事を思っているのだろう先生は、自然な微笑みを浮かべながら、
「大丈夫、『向こう側』にある施設は大概が『こちら側』でも揃っているから。でも……もしかして貴女達、そういう事すら調べずにこの世界に来たの?」
「……だ、だって、調べる方法が無かったし……」
 少女はバツが悪そうに肯定する。
 でも、それは仕方が無い、とレアリィは思う。何せレアリィ達が居た世界には、この世界に関わる資料が全く存在しないのだ。というよりも、この世界に留まらず、他世界の資料は少ない場合が多い。なのでその世界の事を調べたくても、情報が無い為に調べる事が出来ない場合が多いのだ。
 理由としては、門の開き難さの問題や、そもそも門を開ける技術を持つ者が少ない等の事が上げられる。更に、価値観や生活環境が違う多世界の知識を持ち帰っても、元居た世界に戻ってしまえば意味を成さない事もあった。その為、有益な知識や情報を得られたとしても、敢えて持ち帰らない魔法使いが大半だったと言われている。
 それは他世界の存在を自分の世界に呼び寄せる『召喚』の魔法にしても同じ事で、知識を得ようとする一部の人間ならばまだしも、大概の魔法使いは召喚した存在の世界にまで興味を抱かない場合が多い。その為、知識が資料として保存されている事が極端に少ないのだ。
 唯一の例外は、レアリィの隣に座っている先生だろうか。そんな事を思いながら、未だ不安が心に渦巻くレアリィは視線を落とし……ふと、携帯電話をブレザーのポケットに入れっ放しだった事に気が付いた。
 向こうの世界に帰っている時に携帯電話の電池が切れたら、電池を充電する事すら出来ない。そもそも、充電に必要な電気を生み出す施設が無い世界だ。こんな小さな機械で写真を取り、文章のやり取りをし、地球の裏側とまで会話が出来るなんて、人々は信じてくれないだろう。レアリィだって、最初は信じられなかったのだから。
 そんな事を思いながら、レアリィは携帯電話を鞄の中へ仕舞い直す。そうして顔を上げると、どうやら話は一つの方向へと進んでいた。
「……なら、私が図書館などの場所を纏めた地図を作ってあげるわ。その方が調べ物もはかどるでしょうし」
 微笑みを浮かべて提案する先生に、少女は少し困った風に眉を寄せた。
「でも、良いの? 親切にされても、私達に返せるものは何も無いわよ?」
 そんな少女に、大丈夫、と先生は笑う。
「良いのよ。貴女達から話を聞けただけでも、十分収穫になるから」
「収穫、ですか?」
 意外な単語に思わず聞き返すと、先生は珈琲を一口飲んでから、
「そうよ。彼女はこの世界でも魔法を扱える例外で、その上魔法を使わずにこの世界にやって来たっていう、今まで考えられなかったような事をいとも簡単にやってのけた。そんな存在がこうして普通に受け入れられているのだから、この世界での『常識』を新たに考え直す事になるかもしれないわ」 
「確かに……」
 先生の答えを聞きながら、レアリィはある事を聞き忘れていた事を思い出した。一瞬聞くか聞くまいか迷ったものの、こうして話を聞くチャンスが次もあるとは限らない。不安を出来るだけ心の隅に追いやりつつ、彼女は少女へと問い掛けた。
「あの、今更かもしれませんが、どうやってその魔力を手に入れたんですか?」
『魔法は存在しない』という常識を打ち破るほどの魔力。もしそれが手に入るのなら、レアリィ自身あやかりたい所でもあった。制限無くこの世界で魔法が使えるなら、門を開く作業ももっと簡単になるだろうからだ。
 少女はレアリィの問いに一瞬考えたあと、
「……ごめんなさい。話せるような事じゃないの」
「そ、そう、ですか」
 話せない、ではなく、話せるような事ではない、というのはどういう意味だろう。そう思いつつも、黙り込んでしまった少女にこれ以上問い掛けられず、レアリィも俯くしかなかった。
 やはり、地道な努力を行っていくしかないのだろう。奇跡のような力で、ぽんと実力や魔力が跳ね上がるようなら、誰も苦労しないのだから。
 そう思うレアリィの隣で、先生が珈琲を一口飲み……場の空気を量るようにしてから、
「 それじゃあ、質問はこの辺で終わりにしておくわ。……レアリィは、他に何か聞いておきたい事はある?」
「あ、えっと……特には無いです」
 正直、まだ聞きたい事はあった。同じように先生にも聞きたい事がある。でも、聞けなかった。
「何か聞きたい事が浮んだら、明日また質問させて貰うわ」
「まぁ、答えられる事は少ないけどね。それじゃ、私達は一旦お暇させて貰うわ」
 隣に座る青年に目配せをすると、少女がコタツから立ち上がった。と、同時に、咄嗟に出した手でも隠せぬほどに大きな欠伸を一つ。この部屋に来た時に少女の機嫌が悪そうに見えたのは、本当に眠かったかららしい。
 と、そんな少女達へ、先生は意地悪げな笑みと共に、
「あら、どこか行く当てはあるの?」
「……」
 先生の一言により、二人の体がピタリと止まる。
 無言の答えは、否定の意を示していた。





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