そんな夢。

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 考えが纏らない。どれが本当なのか。どれが嘘なのか。判断するものすらない。
 繰り返す問いの答えは出ない。
 集会が終わり、生徒達が図書室を出て行く音を遠くに聞きながら、俺は目の前の現実から逃げるように目を閉じた。

 窓から注がれる夕日が、閉ざされた視界を朱く染め上げ――


□ 

 それは、この世界とは違う場所。科学技術の代わりに魔法という技術が発達し、繁栄していった世界での物語。
 巨大な大陸の東に、王と呼ばれる存在を中心とした国家があった。特別な事など起こらない、平和な国だった。
 そんな国の城下街で、一組の男女が出逢った。
 男はまだ十七歳の青年。王を守る剣である王国騎士団入団の為に、城へと勤める兵士の一人だった。
 女はまだ十四歳の少女。城内へと物品を売りにくる商人の娘だった。


 
 出逢いの切っ掛けは些細な事。売り物の詰まった荷物を盛大にひっくり返した少女を、青年が手伝っただけの話。しかし、お互いの年齢が近かった事や、姿だけならお互い何度か見た事もあり、次第に二人は良く話をするようになった。
 学校にも行かず父親の手伝いをする少女に青年は驚いたし、若いながらも城内で高い評価を受けている青年に少女は驚いた。
 いつしか二人は恋に落ち、お互いを愛するようにまでなっていた。

■ 

 月日は流れる。
 二人の世界は平穏に、幸せに、一瞬で過ぎ去っていった。
 それはまるで御伽噺のように。
 不幸や悲しみなど、二人の間には存在しないかのように。

 けれど、非情なる運命の女神は、二人の幸せを祝福してはくれなかったのだ。



 それは少女が婚礼を認められる十六歳になった頃。城の城下街に、王から一つの令状が張り出された。
 その内容は、
『次期王位系統者の妃と成る者を全国民から選別する』
 との事だった。
 この報せは国中を駆け巡り、その次の日には王子への謁見の為の長者の列が出来上がっていた。
 とはいえ、ようは貴族同士の結婚である。今日も今日とて荷物を運んでいた一平民の少女には関係の無い話だったし、
「これで私も、彼と結婚出来るのよね……」
 と、青年への想いを溢れさせていた。
 それは青年とて同じ事で、仲間達と共に列の整備をしながら、
「これで俺も、アイツと一緒になれるんだよな……」
 と、少女への想いを溢れさせていた。
 そんな時だった。少女の近くを、一人の男が通り掛ったのだ。
 年齢は二十歳ほど。外で働きまわる兵士とは真逆の、日の光を浴びた事の無いような色白の顔は整った美青年。男は鼻歌を歌いながら少女の脇を通り過ぎ……何かを考えるようにして一時停止。
 演技掛かった動きで振り返ると、まるで品定めをするように少女の顔をまじまじと見始めた。

 そして、残酷な一言が告げられる。

「キミならば俺の妃として相応しい。俺と結婚してくれ」
 男――この国の王子から告げられた突然の告白は、少女の否定など無視する力を持っていた。付き合っていると言っても、二人はまだ結婚してなかったからだ。いや、もし二人が結婚していたとしても、王族の一言の前では意味を成さなかっただろう。
 どんなに拒絶しても、反抗しても、決して敵わない。怒り狂う青年は牢屋に放り込まれ、少女は城の一室に軟禁された。

 そうして、幸せに包まれていた二人の生活を呆気無くぶち壊し、婚礼の儀は進められていった。

■ 

 婚礼の儀が押し迫った王城。その外れにある牢屋に、一人の女魔法使いが現れた。
 すらりとした長身で、黒々とした美しい髪はさらりと長く、メガネを掛けたその瞳は硝子のように透き通る。
 そんな、とても美しい女性。
 薄暗く汚い牢屋には相応しくない女性の登場に青年は驚きの色を見せた。何故なら、女性は王国を代表する偉大な魔法使いの一人だったからだ。その権力は王族のそれに匹敵し、一介の兵士の前に現れる事自体が稀だった。そんな立場に居る女性は、驚いたまま固まる青年の顔を確認すると、おもむろに口を開いた。
「貴方が、今回の妃の恋人ね?」
「は、はい」
「貴方の彼女が選ばれた理由、解る?」
「いえ、解りません……」
 一体何を言い出すのだろう。そう思う青年を前に、女性は言葉を続けていく。
「初対面の相手にこんな事を言われるのはアレだろうけれど……覚悟して聞いてね。あのね、王子があの娘を選んだ理由は顔なの。つまり、顔が良ければそれで良いのよ。散々犯って子供を何人か孕ませればそれでお終い。すぐに愛人ととって変わられて、裏でお偉いさん方に輪姦されるようになるでしょうね。私も長い間この城に居るけど、妃の待遇には同情するもの」
 淡々と、だからこそ深い怒りがあるのだろう女性の言葉。それは紛れもない事実であり、確実に訪れる少女の未来でもあった。
 その事実に青年は憤怒するが、女性は動じもしなかった。それどころか怒気に溢れた青年の声を受け流し、小さく、しかしはっきりと、二人の運命を変える一言を口にしたのだ。
「つまりね、これは私の気まぐれ。国王達のやり方に文句を言いたくても言えない私の、ね。だから、貴方が頑張れるのならば、この牢から出してあげるわ。そしてあの娘を助ける為のチャンスをあげる。……さぁ、どうする?」
 それは突然であり、そして意外な一言だった。もしかしたら罠かもしれないその言葉に、青年は迷わず肯定の頷きを返していた。
「何をしたって良い。アイツを助け出せるなら」
「よろしい。それじゃ、今からさくっと王子を含めた王家の人間を殺して頂戴。事が住んだら、南にある小部屋へ。そこに貴女のお姫様を連れ出しておくから。そして、絶対に逃がしてあげる」
 そう言うと、女性はあっさりと牢の鍵を開け放ち、青年に剣や鎧を手渡した。慌てて受け取ると、それは回収された筈の青年の物だった。
 最後に手渡された兜を深くかぶると、腰に剣を携える。いつも通りの重さが心強い。
「牢番は居ないわ。安心して行ってきなさい」
 女性の言葉に頷くと、青年は走り出した。助けてくれた理由は解らないし考えない。もし騙されているのだとしても関係ない。青年はもう、檻から抜け出したのだから。 
 今はただ、少女への想いを胸に、走る。

■ 

 城内は人で溢れていた。婚礼の儀を前に、兵士もメイドも関係なく準備に駆り立てられているのだ。青年もその動きに乗じるように走る。
 そうして、幾つかの通路や扉を抜け、王子の部屋へと辿り着く。少し上がってしまった息を整える為に立ち止まり、中の様子を窺おうと扉へと近付き――意外にも、扉は開け放たれていた。
 見れば、王子を含め、王や大臣までもが衣装合わせをしていた。まるで誰かが狙ったかのように。その誰かに先程の魔法使いの顔を思い浮かべながら、青年は部屋へと入った。
「なんだ、次の衣装を持ってきてくれたのか?」
 王子がこちらに視線を向けた。だか、青年の正体には気付いていない。次の衣装を持ってくる筈のメイドか兵士だと勘違いしているのだろう。
 歩み寄りながら剣を抜く。王子との間合いは十メートル程。青年の腕ならば、十分に仕留められる距離だった。
 ――駆ける。
 声を発する事は無い。そこに籠る感情すら、全て切先に乗せた。
 そして、青年の突然の行動にうろたえ、反応出来ずに居る王子が、訳が解らないと言った風に、
「お、おい、何をしてるんだ? こんな所で剣を、」
 使い込まれた剣は王子の腹へと吸い込まれ、その切先を背中から吐き出した。それでもまだ状況を把握出来ていないのだろう王子の腹に足を掛け、青年は無理矢理に剣を引き抜いた。
 血液と贓物を吐き出し、しかし顔には驚きの表情を浮かべたまま、ゆっくりと王子が床に倒れる。青年はそれを無表情に睥睨すると、倒れた王子の体を蹴り上げた。そして仰向けに横たわらせ、足を上げると、その鳩尾辺りを踏み砕いた。そのままの勢いで顔面にも同様に足を振り下ろし――王子が生き絶えた頃には、その顔は原型を止めぬほどに破壊されていた。
「な……?!」
 自分の息子が殺されたという事実に頭が反応しきれてないのか、王が驚愕に声を上げる。その姿に、歴戦の勇者だという話は嘘っぱちだな、などと思いつつ、青年は王へと視線を向けた。
 両手に持っていた剣を右手に持ち替え、付着した血や贓物を振り払いながら、足に付いた汚れを高級そうな絨毯で拭う。そして前触れ無しに駆け出すと、青年は王の肥えた腹へと蹴りを入れ、その体勢を崩させた。
 くぐもった声を上げ、まるで懺悔をするように王が頭を下げる。青年はその隣へと移動すると、再び両手に持った剣を振り下ろした。
 ごろん、と王の頭部が落ちる。そして鮮血を上げながら崩れていくその体を眺めながら、剣の切れ味が全く落ちていない事に気付かされた。恐らくは、あの魔法使いが何かの細工をしてくれていたのだろう。見れば血の捌けも良く――と、青年の背後で物音が響いた。
 見れば、一瞬で出来上がった二つの死体に腰を抜かしたのか、それとも一つしかない出入り口に向かうには青年の横を通らなければならないからなのか、震えながらこちらを見る大臣達の姿があった。
 この部屋に集められていたという事は、彼等も害悪の一つなのだろう。だから、
「待ってろよ。すぐに行くから」
 血を振り落とし、青年は剣を構え直した。

■ 

 ――そして、青年は城の南にある小部屋へと辿り着く。
 扉の前には魔法使いが待っていた。しかしその表情には焦りがあり、彼の姿を見るやいなや、
「早く中へ! 見付かったら元も子もないわ!」
 その言葉に頷きを返し、半ば蹴破るように青年は扉を開き――部屋の中には、愛する人が待っていた。
「ッ!」
 声もなく、ただ抱きしめる。青年は全身を血に汚していたけれど、その事を少女は気にしなかった。
 今はただ、また出逢えた事が嬉しいから。
 その様子に微笑みながら、魔法使いは部屋の扉に閂を掛ける。そして表情を真剣なものへと切り替えると、静かに口を開く。
「愛する二人が再会を果たせた所で本題に入りましょう。貴方達には、無事に逃げてもらわないといけないから」
「方法はあるのか?」
「当然考えてあるわ。実はね――」
 その瞬間。
 激しい音を上げ、部屋の扉に大きな穴が開いた。犯人は大量の兵士達。そしてその音源は、彼等の手に握られた斧だった。木製の扉はいとも簡単に穴を開けられ、振り下ろされる斧は閂ごと扉を打ち壊していく。
 青年の行った王族殺しは、すでに兵士達の知る所となっていたのだ。青年は死体を隠蔽せずに放置してきていた。その事から、事件の発露も早くなってしまっていたのだ。
「ああもう! 早く逃げるわよ!」
 魔法使いの声に引っ張られるように、青年は少女の手を強く握り締める。再び掴む事が出来たその手を、離す事がないように。
 そうして、魔法使いの指示の元、二人は走り出す。

■ 

 広い城の中を逃げ回る二人に、魔法使いはある手段を提示した。それは、魔法使いが囮になり、兵士達の目を欺くという方法だった。
 城の兵数は多い。無謀だと言う青年に、
「私には魔法があるから大丈夫よ。それよりも、貴方は彼女を守る事だけを考えなさい」
 そう魔法使いは言ってのけたのだった。
 そして、囮となった魔法使いに兵士達が惹き付けられている内に、二人はどうにか城から抜けだす事に成功したのだった。
 しかし、全ての兵士を欺く事は出来ず……その代償として、青年は少女を庇って傷を負う事になった。助かる見込みの無い、深い深い傷を。
 それでも、二人は逃げ続けた。
 また一緒に暮らす為に。幸せな時間を再び取り戻す為に。
 そうして、海へと続く道を進んでいた二人の下へ、魔法使いが追い付いてきた。囮となり多くの兵士を相手にした為か、魔法使いも傷を負い負傷していた。それでも、魔法使いは二人が逃げおおせた事を祝福しようとして――しかし、彼の姿を見た瞬間、その表情は暗く曇ってしまった。その目から見ても、青年が負っていた傷は助かるものではないと判断出来たからだ。
 剣で突かれたその傷により、腹を真っ赤に染めた青年は、それでも魔法使いに笑って見せた。けれど、荒く繰り返される息が、楽観出来る状態ではない事を表していた。
 どうにかならないのか、と涙を流す少女に、魔法使いは苦しげに首を降る。
「生死に関わるほどの傷では、私にも癒す事は出来ないのよ……。もし今から街に戻って医者を探しても、その前に兵に捕まってしまう。例え隣街を目指そうにも、彼の体力が持たないわ……」
 魔法使いの告げる現実に、少女は声を上げて涙を流した。対する青年は、悲しみ嘆く彼女を力なく抱きしめる事しか出来なかった。
「……一つだけ、二人がこの先も一緒に居られるかもしれない方法があるわ」
 そう言って、魔法使いが自身の杖を取り出した。そして、涙を流しながらも顔を上げた少女と、荒れた呼吸を繰り返す青年を見やり、
「それはね、貴方達にある呪いをかける事。つまり、今ここで二人には死を選んでもらうの。現世ではもう彼は助からない。だから、また来世に逢えるように呪いをかける。そんな可能性の低い方法よ」
 魔法使いが説明する方法は、青年達には想像もし得ぬ事だった。そして、そんな事が可能なのかも二人には解らない。
 けれどこの絶望的な状況の中、『二人の幸せ』を得る事が出来る可能性を持つのは魔法使いの言葉だけだ。青年と少女は真剣な表情でその説明に聞き入った。
「生まれ変わると言う事は、全ての記憶を失ってしまうという事。でもこの呪いは、また出逢う事が出来た時、二人に今の記憶が戻るようにする為のものなの。でも、二人がいつ出逢えるかは解らない。もしかしたら、この世界ではない、どこか別の世界に生まれ変わる可能性だってある。何度も何度も転生を繰り返し、今の記憶が完全に消えてしまう事もあるかもしれない。それでも……こんな可能性の低い方法でも良いのなら、貴方達に呪いをかけるわ」
 死んだ後にまだ出逢う。それは、結果の解らない賭けでもある。
 それでも、青年は迷わなかった。少女の手を握る力を少しだけ強めながら、小さいながらもはっきりとした声で、
「俺は、また二人で過ごせるなら、どんな方法でも、構わない」
 それは魔法使いへではなく、少女へと向けられた言葉だった。彼女は彼の手をしっかりと握り返しながら、でも、と問いを放つ。もしかしたら、二度と出逢えないかもしれないんだよ? と。
 対する青年は、不安の色を見せる少女を安心させるように微笑み、
「大丈夫。例えどんな世界に生まれ変わろうとも、俺はこの手を、絶対に離さないから」
 その一言に少女は再び涙を流した。そして一頻りのあと、涙を拭うと、赤い目をしたまま笑ってみせる。私もこの手を絶対に離さないから。そう彼に告げて。それに青年も笑みで答えると、二人は女性へと向き合った。
 未だに暗い色を覗かせる女性に、二人は宣言する。

「この恋が叶わぬならば、俺達の世界が滅ぼうと構わない」
「だから、また出逢えるならば、私達は死ぬ事なんて怖くない」

 その答えに頷くと、魔法使いは二人に向かって杖を構えた。本当に大丈夫か、という確認は、二人の目を見る以上不要だと感じながら。そうして、静かに呪文が紡がれていく。
 それを聞きながら、二人は口付けを交わし――そのまま、互いの体を強く抱き締めた。
 そして――

「また逢える日まで」

 静かに響いた魔法使いの一言で、呪文が完成した事を青年は知った。彼は最後に少女の姿を目に焼き付けると、静かに目を閉じ――


□ 

 ――目を開ける。
 目の前には、レアリィが居た。彼女は不思議そうに俺の事を見つつも、すぐに微笑むと、
「さ、帰りましょう。って、どうかしたんですか?」
 席を立とうとする彼女をまじまじと見る。
 窓の外は朱く、残った生徒はまばら。その刹那、夢という一言では片付けられないような『記憶』を、見たような気がした。
「いや、なんでもない……」
 でも、思い出せない。

 もう、思い出せない。





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