そんな始まり。

――――――――――――――――――――――――――――



 ホームルーム十分前。
 朝の喧騒の中、いつも通り教室へと入った俺に浴びせられた第一声は、
「朝、通学途中。遅刻しない為に走りながら急いで曲がり角を曲がると、女の子と正面衝突! 色々見えたりしつつも、遅刻は出来ないからと学校へと走る! そして学校に辿り着きホームルームが始まると、なんとそこには朝ぶつかった女の子が転校生としてやって来ていたのだった! 当然二人は驚くものの、それを切っ掛けに急速に惹かれあっていく――」
 そんな事をのたまう友人の言葉だった。
「――と、こんな感じの王道をやってみたいんだが、お前はどうよ?」
 その笑顔は気だるい朝とは思えない程に輝いていて、正直殴りたい。それ以上に呆れて返す言葉も無いのだけれど、俺は友人へとツッコミを入れていた。
「妄想ならあっちでやれ」
「えー、んな事言うなよう」
 酷い、と言わんばかりの顔をする友人に溜め息を吐きながら、俺は机に鞄を置いた。そのまま椅子に座りつつ、
「大体、何でいきなりそんな事を言い出すんだ?」
 馬鹿かお前、という問い掛けに、友人は勝手に前の席に座りつつ、楽しげな様子のまま、
「いやな、今日から転校生が来るって話なんだよ。しかもなんとうちのクラスに」
「……あのなぁ、もう十二月だぞ、十二月。ゲームじゃあるまいし、こんな時期に転校生は来ないだろ」
 だが、俺の答えに友人は笑みを作り、
「いやいや、朝練やってた野球部の奴が担任から聞いたらしいのよ。ほら、うちの担任野球部の顧問だから。で、このクラスに、ってのもその時に聞いたらしいんだ。しかも女子らしいぜ!」
「あー、だからさっき変な事を言ってた訳だ」
 だがしかし、いきなりあれはないだろう、あれは。そう友人に言おうと口を開きかけ……しかし、脳裏にある重要な疑問が浮かんだ。
「……で、可愛いのか?」
 俺の問いに、友人は待ってましたと笑みを浮かべ、
「それがまだ解らん訳よ。だから、みんなその転校生の話題で持ちきりなのさ」
 そう言われて耳を澄ますと、なるほど、聞こえて来る会話の殆どが転校生の容姿を推理するものだった。同時に体を捻り、窓側の一番後ろに昨日までは無かった机が一つ増えている事を確認しつつ、俺はクラスメイトの声を聞いていく。
「――さっき日直が職員室行ったら、超可愛い女の子が先生と話してたらしいよ」「なんでも、何処かのお嬢様とか」「えー、ホントに?」「俺が見たのは金髪のコだったぜ」「金髪ゥ?」「あぁ、なんでもハーフとか」「お前それ誰に聞いたんだよ」「担任からだよ」「あー、そういやオマエ野球部だもんな――」
「……」
 無言で姿勢を戻すと、友人も俺と同じように耳を傾けていた。
 俺は単純に推測される『超可愛いハーフで金髪のお嬢様』というのを頭に置きつつ、
「……なぁ」
「ん、なんだ?」
「この噂通りなら、俺が曲がり角でぶつかっておきゃ良かったよ」
 ちょっと真剣な顔で言ってみる。実際問題、噂が本当ならお近付きになりたいのは確実だ。
 俺の言葉に友人は少し呆れたように苦笑し、
「お前なー、妄想とか言っておいてもうそれかよ。でもまぁ、実際に噂通りかは解らんぜ?」
「そん時はすっぱり諦めるさ。と、ちょっと飲み物買ってくる」
「んー。……って、もうチャイム鳴るぞ?」
 黒板の更に上に取り付けられている時計を見ながら友人が言う。同じように視線を向ければ、ホームルーム開始時間まであと一分程だった。
「あー、なんとかなるだろ」
 言いながら席を立つ。担任の教師はチャイムが鳴った瞬間にやって来るようなタイプではないから、急げば間に合うだろう。
 教卓側に位置するドアへと歩きながら、喧騒に包まれている教室の中へと視線を向けると、和気藹々と話すクラスメイトの顔には皆一様に期待の色があった。やはり、転校生の事が気になって仕方が無いのだろう。変化の無い日常に現れるイレギュラーは、日々の退屈を凌ぐには打って付けだろうから。
 そんな事を思いながら、過去に友人が滑って体当たりをし、そのせいで少し立て付けの悪くなっているドアを開き、廊下に出て、
「さむッ」
 一瞬にして冷気に体を包まれ、思わず声が漏れた。
 季節は冬の真っ只中だ。石油ストーブで温められた部屋の中と外との温度差に嫌になりながらも、後ろ手に扉を閉め――その瞬間、聞きなれた軽い鐘の音が廊下に響き始めた。
「ま、急げば何とかなるだろ」
 言い訳のように小さく呟いて、教師に見つからぬように急いで二階に上がり、二つの校舎の中間にある渡り廊下へと歩いていく。そこに、目的である自動販売機が並んでいるのだ。
 二つあるそれのラインナップを眺めながら、スラックスのポケットから財布を取り出し、目当ての缶珈琲を買う。電子音と共に出てきた缶は熱く、冷えた手に暖かかった。というかちょっと熱い。
 一応担任に見つからぬようにとブレザーのポケットに缶を入れると、教室へと走って戻る事にした。
 階段への道はTの字になっている。向かって正面は会議室。曲がり角を右に曲がると職員室があり、左に曲がると折り返すように階段があるのだ。俺は速度を上げながら渡り廊下を抜け、三階へと続く階段の脇を走り抜けて行く。
 と、その時だった。職員室へと続く廊下側から――階段へと意識を向けている俺には死角となるそこから――ひょっこりと人影が現れた。
 車は急に――じゃない、走っている人間は急に止まれない。突然目の前に現れたその姿に、俺は慌てて止まろうとして失敗し、足をもつれさせ、
「ッ?!」
「きゃ!!」
 廊下の影から現れた人物へと、正面から激突した。
 相手を押しのけるようになってしまった俺は、そのまま進行方向にある会議室の壁に体をぶつけた。
「い、つぅ……」
 強く打ち付けた左肩がリアルに痛い。それでも、一瞬だけ見えた相手の姿が女子だとは気付いていたから、俺は慌てて視線を巡らせ、謝ろうとして、けれど途中で言葉を失った。
「いたた……」
 そこには、見た事の無い少女が尻餅を付いていた。その上、彼女の外見は他の生徒とは完全に違っている。思わず俺はその姿を呆然と眺め――そして、ある一点を直視したい衝動を無理矢理に抑え付けて、視線を逸らしながら、
「えっと、その……大丈夫?」
「はい、何とか――って?!」
 俺の言葉に、咄嗟に自分の居住まい、というかスカートの乱れを直すと、その少女が顔を上げた。
 それを確認し、俺は彼女へと改めて視線を向け――やっぱり、言葉を失った。
 まず目に入ってくるのは、流れるような美しい金髪。俺へと向けられた瞳は吸い込まれるかのような深い蒼をしていて、整った目鼻立ちは日本人とは違う血の流れを持っている。しかし、だからといってきつい感じがあるのではなく、少女のそれは可愛らしい印象を持っていた。
 まるでモデルだ。場違いにも、そんな事を思う。外国人を見慣れていない事もあるのかもしれないけれど、それを差し引いても少女は可愛く見えた。
 と、廊下に尻を付いたまま、少女が不安げに表情を曇らせ、
「私は大丈夫ですが……貴方の方こそ、大丈夫ですか?」
「お、俺は大丈夫」正直ぶつけた左肩が痛いが無視し、「そんな事より、キミこそ大丈夫? ごめん、いきなりぶつかったりして……」
「いえ、大丈夫です」
 しかしそれでも、ごめんなさい、とお互いに謝る。明らかに悪いのは俺の方なのだが、彼女は何故か『私が悪い』という表情をしていた。
 そんな事は無いのに、と思いつつ、散乱してしまっている少女の荷物を拾い上げる。幸運にも鞄の中身は出ておらず、被害は最小限に留まっていた。
 その鞄を少女に手渡し、
「中身、平気そう?」
「えっと……」
 少女が鞄を開け、その中身を確認する。その様子を眺めながら少女のコートを拾い、埃を丁寧に叩いていると、
「お前達、何をやっているんだ?」
 視線を上げると、そこには担任教師が不思議そうな顔をして立っていた。
 タイミング悪いな……と思いつつ、俺は担任へと視線を向け、
「俺が馬鹿やってぶつかっちゃって。それで謝ってたとこなんスよ」
「怪我は無いのか?」
 心配げに聞いてくる担任に「大丈夫っス」と一言答える。そのまま視線を下げると、鞄の中身を見ていた少女も同じように「平気です」と答え、そしてその視線を俺に向け、
「大丈夫でした」
 と、小さく微笑みながら答えた。
 途端、再び何も言えなくなる。
 ……正直、俺は一目惚れというものを信じていなかった。出逢ってすぐの相手に心を奪われるなんて、そんな事は有り得ないと思っていたのだ。けれど、その瞬間、俺は彼女に心を射抜かれていた。
 だから、何か上手い事を言おうと頭を働かせるのだけれど、視界の端に担任の姿が見えてしまってどうにも上手く行かない。というか邪魔だ。そんな俺の心境に気付く事無く、担任は俺に視線を向け、
「これからは気をつけろ。それとな、お前は早く教室に戻れ。今からそこに居るコーストさんを紹介するからな」
「へーい……」と、答えながら、思い切って少女へと手を伸ばしてみる。すると、彼女は俺の手を取って立ち上がってくれた。それが凄く嬉しくて――って、担任は今、なんて言った?
「紹介っスか?」
「もうお前も知ってるだろう。今日から彼女がうちのクラスの一員になるんだ。……なんだ、知らなかったのか?」
 そう意外そうに聞いてくる担任に、
「えっと……」
 しかし返す言葉が見つからない。確かに、金髪で可愛い転校生が来るという話は聞いていた。でも、この状況は一体何だ? 駄目だ、意味がわからねぇ。今朝、友人からあんな話を聞いたせいだ!
 と、目の前の状況に妙な期待を高まらせる俺へと、少女の方から声が来た。
「えっと、レアリィ・コーストと言います。これから宜しくお願いしますね」
 俺が視線を向けると、少女――レアリィは深く頭を下げた。と、その瞬間まで、俺は彼女の手を握り続けていた事に気付かなくて、慌ててその細く小さな手を放し、
「あっと。こちらこそ、宜しく」
 少々慌てて答え、しかしその時ようやっと、俺はレアリィが流暢な日本語で喋っている事に気が付いた。
 とはいえ、頭の中はごちゃごちゃだった。
 最早都市伝説なのだろう、『曲がり角を曲がったら女の子と正面衝突』なんて事を、まさか自分がやるとは思ってもみなかったからだ。
 だから、不思議そうに見上げてくるレアリィに、俺は自分の名前を紹介する事すら出来なかった。 
 


 俺はまだ知らない。
 この出逢いが、遠い日の別れと出逢いの始まりとなる事を。
    





――――――――――――――――――――――――――――
■次

■戻る

――――――――――――――――――――――――――――
■目次

■top