始まりの始まり。
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どこか遠く。
彼女に名前を呼ばれた気がした。
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どうやら眠ってしまっていたらしい。
軽く頭を振って眠気を振り払いながら、唯一の所有物となった時計に視線を移す。ゆっくりと時を刻む秒針を見ながら記憶を辿れば、眠っていたのは十分ほどだろうか。寄りかかるようにしていた柱から体を起こすと、俺は状況確認の為に辺りを見回した。
まず視線に飛び込んでくるのは、慌しく動き回る兵士達の姿。そしてその後ろに広がる夜空だ。月と星屑に彩られた空には幻想的な輝きがある。今という状況じゃなければ、呑気に月見も出来ただろうに。
そんな思いを頭の隅へと寄せ、視線を右へと移す。
そこにあるのは、視界の全てを埋め尽くしても余りある巨大な城とその城門だ。いつもなら物売りで賑わう城門前には、大勢の魔法使い達が集められていた。
様々な形状の杖を持ち、動き易い軽装やローブ等を身に纏った彼等に与えられている仕事は、城門を始めとした城全体の防衛だ。ここからでは詳しく解らないが、恐らく今は最終調整をしているところだろう。
今度は、視線を左へと向ける。
そこには、街の光を背景に即席の城壁が組み上げられていた。
過去にあった戦闘以来、この城の城壁は壊れたままだった。その為、今組み上げている物は過去に建てられていた物とは違い、石を魔力で組み上げるだけの簡単な物になってしまっている。だが、無いよりかは遥かにマシだろう。それに、城内へ避難して来ている国民も、目で見える形で防御策が取られていれば多少は恐怖も和らぐ筈だ。
そんな風に思いながらも、最悪だと、この状況に納得出来ない自分が居る。
事の発端は数日前、世界各国の権力者へと宛てて届けられた手紙から始まった。市販されている紙とインクで書かれた質素なそれは、その内容も酷く簡単だった。
『この世界を征服します』
可愛らしい女の文字で書かれたそれは、冗談としか思えない内容だった。だから誰もが、その手紙の事などその日の内に忘れてしまい――しかし翌日、中央大陸にあるいくつかの山や建築物が文字通り消滅するという事件が起こった。それが偶然なのか狙ったものなのかは解らない。けれど、その手紙を冗談だと笑った者達は一斉に顔色を変え、目に見えぬ敵に対する防衛対策を布き始めた。もし手紙が本物だった場合、次に消されるのは自分の国かもしれないからだ。
そうして俺の国も臨戦態勢へと突入した。他国と連携し、市民の非難、食料の確保、防衛網の設置、城壁の強化などを行い……しかし有能すぎる大臣達は、どの国が犯人なのかを水面下で探り合っている。
それはこの国だけに留まらず、各国が当たり前に行っている事だ。そして恐らく、この国を怪しいと睨んでいる国は多いのだろう。何せこの国は、他国には持ち得ない戦力を多数所有しているのだから。
「……上手くいかねぇもんだよな」
「何か言った?」
「や、なんでもない」
すぐ隣から聞こえて来た声に苦笑と共に答えて、繋いだままの手に少し力を籠める。
この慌ただしい状況の中、俺は愛する彼女と久々に二人きりになる事が出来ていた。互いに会議などが重なって、逢いたくても逢えない状況が続いていたのだ。それなのに転寝をしてしまっては意味が無い。その事を彼女に謝ると、
「謝るような事じゃないよ。正直に言うと、私もちょっと眠いし」
そう言って微笑む彼女を抱き上げて、部屋のベッドへお持ち帰り出来たらどれだけ良いかと考え、虚しくなって止めた。このあともまだ幾つも会議や話し合いが控えている以上、こうやって二人きりになれただけでも喜ばなければいけないのだ。
とはいえ、その時間も既に終わりが近い。そろそろ城の中へと戻らないといけないな……なんて事を思っていると、俺達の前に漆黒のメイド服を着たメイドさんが現れた。彼女は俺達の前で深く頭を下げると、
「御休憩中に失礼致します。御迎えに参りました」
「……もう少し、時間はありませんでしたっけ?」
貰った時間は三十分。残りは五分程度だけれど、確かにまだある筈だ。少しでも彼女と共に居たいと思いながらの問いに返って来たのは、予想外の言葉だった。
「それが、急遽参られた御客様からの御要望なのです。早く来い、と」
■
突然の来客を招いたのは、数多ある部屋の一つだった。城の外れにあるその部屋は、普段ならばメイドさん達の休憩室になっている場所だ。客室とは掛け離れた部屋だが、状況が状況の為仕方なかったらしい。そんな外の喧騒から外れた場所へ、俺達は歩を進めていた。
と、隣を歩く彼女が小さく口を開く。
「なんだか、妙に静かだね」
城の入り口から続くこの廊下は、城の内部を行き来する為の起点になっている。その為、普段ならばこの廊下は人と喧騒に溢れた場所となっていた。
けれど、それも今は違った。兵達は外で敵を迎え撃つ準備を進めているし、メイドさん達の殆どは大広間へと避難させてしまっている。こうして城内を歩き回っているのは俺達ぐらいのものだった。
嫌な状況だ。そう思いながら、俺は静寂を打ち壊すかのように、
「本当なら、こんな状況になってるのが異常なんだ。一日でも早く、いつもの日常を取り戻さないと」
「うん。……でも、無茶はしないでね?」
「ああ、解ってる」
そう、解っているさ。そもそも俺は無茶をするつもりは無い。そんな事をしてこの日常――彼女と過ごす生活を失ってしまっては意味が無いのだから。
そうして歩く事数分。見えてきた目的の部屋は一人の見張りによって護られていた。彼は近付いてきた俺達に気付くと、一度頭を下げてから、
「お待ちしておりました。さ、中へ」
その言葉に頷きを返し、俺達は部屋の中へと入り――そこに居た一組の男女の姿に、驚きを隠す事が出来なかった。
一人は髪の長い少女。高校生程の容姿に黒い髪。俺達に向けられた視線は赤く鋭く、しかしどこか遠くを見ているよう。その頭には白い兎の耳が揺れている。
もう一人は短髪の青年。大学生程の容姿に茶色の髪。俺達に向けられた視線は藍く冷たく、どこか気だるげだ。
そんな二人を俺達は良く知っていた。
久しぶりの対面。予告も無しに現れた事もあって、その驚きは大きかった。
そして、それ以上に懐かしい。
「久しぶりね、魔王」
突っ立つ俺達を見かねたのか、うさみみの少女が言う。何事も無かったかのようなその姿に、俺は妙な安堵を得た。
何も変わっていない。いや、彼女達は何も変わらない。その事実を痛感しながら、
「久しぶりだな、うさぎさん」
だから、少女をこの名で呼ぶ。巫山戯て呼んだら、何故か気に入られてしまったその名前で。
と、それに答えるように、うさぎさんのうさみみが揺れる。
懐かしい顔ぶれ。全員集合には人数が足らな過ぎるけれど、それでも想いは過去へと飛んでいく。
この物語の始まり。
終わってしまった始まりへと。
□
物語は始まりを求める。
終わり<ゴール>へと到る為の始まり<スタート>を。
これは始まりのお話。
いつか遠い日の昔話。
出逢う事を許された、ある青年と少女の物語。
――かくして時間は、五年前の冬へと遡る。
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