開けたら価値が下がる箱。

――――――――――――――――――――――――――――

4

 太陽が山の背に沈み、月が世界を照らし始めた頃。
 紅魔館正門へと咲夜が降り立つと、紅・美鈴がこちらへとやって来た。 
「おかえりなさい、咲夜さん」
「ただいま、美鈴。……そうそう、丁度良い箱が見つかったわ」
 立ち止まり、咲夜は持参していた買い物袋の中に手を入れながら告げた。
 すると美鈴は嬉しそうに、
「本当ですか? じゃあ、これでもう調味料の瓶がバラバラにならなくて済みますね」
「ええ。それで……これが、その箱なんだけど」
 先程慧音に貰ったばかりの箱を取り出し、咲夜は美鈴へと手渡した。
「どう? ぴったりだと思うんだけど」
「確かに、ぴったりっぽいです。……でも、何か封がしてありますね。えーっと――」
 暗い中、妖怪である美鈴は灯りが無くても文字ぐらい読む事が出来る。けれど書いてあった字は少し汚れていて読み難くなっていた為、咲夜がその内容を告げようとした瞬間、
「何なにナニー?!」
 大きな声と共に、紅魔館玄関から飛び出してくる紅い影があった。
 影は凄まじい勢いで咲夜達の元へと突き進み、そして急停止。天真爛漫な表情を持ったその少女は、楽しそうに微笑んで、
「何かあったの? ていうか咲夜にめーりん、何その箱?」
 突如現れたフランドール・スカーレットに一瞬驚きつつも、咲夜は微笑みを浮かべ、
「食堂で使う調味料入れにしようと思いまして」
「咲夜さんが持って来てくれたのを、私が見ていたんです」
 そう言って美鈴がフランドールへと箱を手渡した。
 紅い悪魔第二号は興味深げにそれを眺め、
「ふーん……。でもこれ、『開けたら価値が下がる箱』って書いてあるよ?」
「本当ですか? ちょっと見せて下さい」
 そして美鈴がブランドールから箱を受け取り、もう一度視線を落とした。そして、
「えっと……確かに書いてありますね。……咲夜さん、どうするんです?」
 少し不安げに聞いてくる美鈴に、咲夜は微笑み、
「大丈夫よ。元々輝夜が持っていた物らしいし……出所が永遠亭なら、てゐの悪戯だろうから」
「そうでしたか」
「だったらコレ、開けて良いんでしょ?」
 身を乗り出して聞いてくるフランドールに咲夜は頷き、
「ええ、構いませんよ」
「やった。めーりん、貸してー!」
 美鈴から箱を受け取ると、フランドールはその小さな手をいっぱいに使って箱の蓋と底を掴み、
「おーぷーん!」
 刹那、
「ダメ」
「あー!!」
 小さな否定の言葉と共に、フランドールの手から箱が消えていた。
 そしてその声の主は、咲夜のすぐ隣へと音も無く降り立つと、
「フラン。勝手な事はしちゃダメよ」
「ぶー。咲夜が良いって言ったもん」
「それでもダメ。私が許可を出していないもの」
 そう言って、レミリア・スカーレットは咲夜へと視線を向け、
「咲夜、これの出所を正確に教えなさい」
「は、はい。先程里で慧音から貰って来たのですが……慧音が言うには、妹紅が輝夜から奪ってきたものだと」
「つまり、これは蓬莱山が持っていたのね?」
「恐らくは……」
 断言出来ないが、あの慧音が嘘を吐く事は無いだろう。
 咲夜の説明にレミリアは少し考え、
「……この箱は私が預かるわ。良いわね?」
「えー、私が開けるのー!」
 両手を上げてむきー、と主張するフランドールにレミリアは小さく首を振り、
「ダーメ。輝夜が妹紅の元に持って来たとなると、開けた瞬間何かが起こる可能性は否定出来ないもの」
「私なら平気!」
 胸を張り両手を腰に、大丈夫だと主張するフランドールにレミリアは再度首を振り、
「もしもこの中に、永琳が作った薬が入っているような事があれば、いくらフランでも危ないわ。だから、今回は諦めて」
「うー……解った……」
 妹を心配する姉の気持ちが通じたのか、珍しくフランドールが引き下がった。レミリアはそんなフランドールの頭をそっと撫で、
「取り敢えず、パチェと一緒に調べてみるわ。朝食は……その後にお願いね」
 そう告げると、レミリアはフランドールの手を取って紅魔館の中へと戻っていった。

5

 フランドールを部屋へと連れ戻した後、レミリアはパチュリー・ノーレッジの元へとやって来ていた。
「パチェ、居ない訳ないと思うけど、居る?」
 膨大な蔵書量を誇るヴアル魔法図書館の外れでそう声を上げると、
「何かしらレミィ。私はいつでもここに居るけれど」
 案外近くから返事が返って来た。
 声の方へと歩いて行くと、新しい魔道書を書いていたらしいパチュリーが机に向かって作業をしていた。
 レミリアはその正面にある椅子へと腰掛けつつ、机の上に箱を置き、
「箱なのだけれど」
 分厚い本に筆を走らせつつ、パチュリーはちらりと箱へと視線を移し、
「箱みたいね。それがどうかしたの?」
「咲夜が持ってきたのよ。何でも輝夜が妹紅と殺り合う時に持ってきた物らしいの」
「それで?」
「そこで、これがただの箱なのか、それとも輝夜が妹紅用に用意したアレなブツなのか、確かめる方法が無いかパチェに聞きに来たのよ」
「そういう事ね」
 そこで初めて筆を止めると、パチュリーはレミリアへと視線を上げ、
「取り敢えず、箱を貸してくれる?」
「ん。……まぁ、見た目はただの箱なんだけどねぇ」
 パチュリーに箱を手渡し、椅子の背もたれに体重を預けながらレミリアは呟いた。
 対するパチュリーは箱を様々な角度から注視しつつ、
「確かに、見た所はただの箱ね。……ん? 『開けたら価値が下がる箱』? 誰かの悪戯かしら。それとも本当にそうなのかしら」
「そこも謎な所ね。まぁ、輝夜の所にはあの白兎が居るし、悪戯な可能性も捨てきれないけれど」
「だけど、悪戯じゃ無い可能性もあるんだろ? そしたら迂闊に封を切らない方が良いんじゃないか?」
「そうね。でも、まずはこれの中身を知る事が重要だから、どの道封は開けないといけないわ。それに、私の魔法で封を元に戻す事は不可能じゃないし」
「でも、何か起こったら後の祭りだぜ? もしかしたら封自体に魔法が掛かってる場合もあるだろうし」
「確かに、その可能性もあったわね。……で、どうして魔理沙がここに居るのかしら?」
 何気なくそして唐突に会話に加わっていた白黒の魔法使い――霧雨・魔理沙へと視線を向けながらレミリアが問い掛ける。
 すると魔理沙は少し考え、
「あー? 今日もちゃんと玄関からやって来たぜ?」
 彼女は、私は悪い事はしてない、といった風に答えた。
 レミリアはそんな魔理沙に小さく溜め息を吐くと、
「そういう話じゃない」
「そうよ。……って、魔理沙。どうしてそんなに嬉しそうに箱を手に持っているのかしら?」
 その言葉通り、いつの間にかパチュリーの手から、魔理沙の手へと箱が移動していた。
 箱を手の中で遊ばせる魔理沙は、とてもとても嬉しそうに、
「そりゃあ……なぁ? この箱が危険な物かどうかは私でも調べられるから、かな?」
「「……」」
 猛烈に嫌な予感がする。
 その瞬間、レミリアは運命予測をするという、一番簡単で一番重要な事を行っていなかった自分自身を呪った。
 つまり、
「貰っていくぜ!!」
「ッ! 待て!!」
 一瞬で箒に跨り空へと飛んだ魔理沙を追いかけるように、レミリアは椅子を倒しながら思い切り跳躍。本棚の一つを足場にして方向転換を行い、一気にその背中を追いかける。
 だが、白黒の魔法使いは予想外の逃げ方をした。
 彼女は懐から一枚のスペルカードを取り出したと思うと、
「――ブレイジングスター」
 本来こちらへと突撃する為に使っているスペルカードを、よりにもよって前方への加速の為に使用してきたのだ。
「な……!!」
 彗星の加速を持った魔理沙はもう止まらない。紅魔館の壁に大きな穴を開け、そのまま夜の闇へとすっ飛んでいった。

6

 結局、一晩掛けても箱の中身が何なのかは解らなかった。
 だが、取り敢えず危険な物では無いだろう事は解った為、魔理沙は箱を手に香霖堂へと足を運んでいた。もしこの箱が何かのアイテムだった場合、その名称と用途だけは解る店主が居るからだ。
 古ぼけた香霖堂の扉を開き、店の奥へと進みながら、
「よう香霖。ちょっと頼みたい事が……って、今日はアリスも居たのか」
 何かを買うつもりなのか、アリス・マーガトロイドは並べられた商品を前に思案顔を浮かべていた。
 そして魔理沙に気付いた森近・霖之助が顔を上げ、
「いらっしゃい魔理沙。ちょっと待っていてくれるかい?」
 と、そう霖之助が魔理沙へと告げたところで、
「……良し決めた。この糸にするわ」
「ありがとうございます」
 なにやら決まったのか、霖之助はアリスが指差した糸を和紙で包み始めた。
 魔理沙はそれを眺めつつ、いつものように商品へと腰掛けながら、
「アリス、糸なんて買ったのか?」
「ええ、そうよ。人形に使う糸が切れてしまったから、今日はそれを買いに来たの」
 料金を払い、受け取った商品を傍らに浮かべる人形に持たせながらアリスが答える。
 魔理沙はそれに頷きつつ、
「でも、糸なら里にでも売ってないか?」
「里のでも良いんだけど、やっぱり多少なりとも曰く付きの物の方が魔力を持ちやすいのよ。そしてそういった糸で作った人形の方が、強い力を持ちやすいの」
「そういうもんなのか」
「そういうものなのよ」
 人形遣いには独自のポリシーがあるらしい。
 だからこそ魔法使いという存在は反発しやすいのだが……それはさて置き、魔理沙はスカートの中から箱を取り出し、
「……で、香霖。ちょっと頼みたい事があるんだが」
「なんだい?」
「この箱が何かのアイテムなのかどうか、確かめて欲しいんだ」
 言って、魔理沙は机の上へと箱を置いた。
 霖之助とアリスはそれを同時に眺め、
「……魔理沙。私にはただの箱に見えるんだけど」
「僕にもそう見えるね」
「二人とも奇遇だな。私もただの箱に見える。けど、これの持ち主は輝夜だったらしくて、しかも箱には封がしてあるんだよ。それと……」
 魔理沙の言葉を聞きながら箱を手に取った霖之助が、その封に施されている文字に気付き、
「『開けたら価値が下がる箱』?」
 霖之助の言葉に、魔理沙は眉を寄せながら頷き、
「そういう事だ。取り敢えず昨日一晩それを調べてみたんだが、危険な物じゃないだろう事は解った。となると後はその紙に書いてある事が本当か嘘かが問題になるんだが……もし本当に開けたら価値が下がる箱なら、開けた瞬間に箱に変化が起こる可能性がある。となると、その箱が何らかのアイテムである可能性があるかもしれないと思ってな」
「つまり、これがどんなアイテムなのかを僕に判断しろという事か」
「そういう事だ。話が早くて助かるぜ」
 笑みと共に言うと、霖之助は小さく溜め息を吐き……しかし、そっと箱を持ち直した。
 そしてその外見を確かめるように、ゆっくりと箱の全面に目を通し……
「――残念だけど、これはただの箱みたいだ。蓋を開けて物を仕舞う――それ以外の用途を持っていないよ」
「そうか……。じゃあ、今の所これは百か」
「百?」
 魔理沙の言葉に、霖之助が首を傾げた。解らないのはアリスも同じだったようで、
「一体どういう事?」
 そう聞いてくるアリスに、魔理沙は指を一本立て、
「今この箱には百の価値がある訳だ。でも、開けてしまったらゼロになる。だから、百かゼロ」
「そういう事ね。……そして、開けなければ二百になっていく可能性もある訳ね」
「そういう事だ。だけど、多分これは悪戯で確定だろうな。重さから考えるに中身が入ってるとも思えないし、この封自体も魔法で加工された訳じゃない、ただの糊付け――」
 と、魔理沙が説明を続けていた時、香霖堂に新たなお客がやって来た。
 静かに扉を開けたその人物は、丁寧に扉を閉めた後、
「あのー、居らっしゃいますでしょうか?」
 聞こえて来た声の方へ、説明を続けながら魔理沙は視線を向け……
「――だから……って、妖夢じゃないか。どうしたんだ?」
 そこに居た少女――魂魄・妖夢へと問い掛けた。
 妖夢は店内へと歩を進めつつ、
「ちょっと欲しいものがあって」
「だそうだ香霖。今日は大繁盛だな」
「魔理沙、少し黙っててくれ。……それで、今日は一体何をお探しで?」
「あのですね、少し大きめの花瓶を頂きたいのですが……」
「花瓶か……。ちょっと待っていて下さい」
 そう言うと、霖之助が店の奥へと引っ込んで行く。
 何気なくその姿を眺めていると、アリスが問い掛けてきた。
「で、その箱はどうするの?」
「んー、どうしたもんかなぁ……」
「……箱?」
 疑問符を浮かべて聞いてくる妖夢に、魔理沙は箱を手に取りながら、
「これの事だ。今、百にするかゼロにするかを悩んでたんだよ」
「百か、ゼロ?」
「……魔理沙、それじゃ伝わるものも伝わらないでしょ。……えっとね、その箱には……」
 アリスが説明を行い、それでやっと合点がいったのだろう妖夢は小さく頷き、
「そういう事ね。……じゃあ、魔理沙はその箱をどうするつもりなの?」
「まぁ、私は何でも蒐集するからな。このまま家に持ち帰る」
 だが、そんな魔理沙の言葉に、アリスは少し皮肉げに、
「でも、使わないんでしょう?」
「それを言うなよ。でも確かに……前に香霖に言った事もあったけど、私は集める事が目的だからな。使わない事は多い」
 そんな魔理沙の言葉に、妖夢は少し考えた後、
「……なら、私に貰える? 小物入れにでもして使おうと思うから」
「別に構わんが……開けたら価値が下がるぜ?」
「そんな事は無いわ。道具は使ってこそ、本当の価値が出る物だと思うから」

7 

 購入してきた花瓶に早速花を活け、和室の一つへと運び込む。今まで何か淋しかったこの部屋も、これで少しは華やかになるだろう。
 そんな事を思いながら花の位置を整えていると、部屋の中に西行寺・幽々子がやって来た。
「お帰りなさい、妖夢。これが買ってきた花瓶?」
「はい。予定していた物より少し小さいですが、十分なサイズの物があって助かりました」
「そう、それは良かったわ。……それより妖夢。その箱はどうしたの?」
 花を弄っていた手を止め、幽々子の視線を追うと、そこには置きっぱなしにしておいた箱があった。
 妖夢はそれを手に取ると、幽々子へと手渡し、
「魔理沙から貰ったんです。小物入れにでもしようかと思って」
「そうだったの。……ん〜、でもこれ、『開けたら価値が下がる箱』って書いてあるわよ?」
 箱へと視線を落としながら言う幽々子に、妖夢は苦笑し、
「多分、悪戯でしょう。その箱自体ただの箱で、中身に何か入っている様子も無いようですから」
「そうなの。でも、だからこそ、逆に封を開け難かったりするわよねぇ」
 同意を求めるように聞いてくる幽々子に、妖夢は少し首を傾げ、
「……そうですか? もしその箱が見た目よりも重たかったり、何か変なところがあったりすれば考えますが……」
 当然封の文字は変ではあるが、封事態に妙なところが無い以上、問題は無いだろう。
 そう答えた妖夢に、幽々子は少し残念げに、
「妖夢は夢が無いのねぇ。こういうのは、何より信じる心が大事なのよ」
「はぁ……」
 どうやら幽々子は箱を開けずに取っておきたいタイプの幽霊らしい。
 しかし、道具は使わなければただのゴミと一緒だ。しかも開けたら価値が下がるなどという眉唾物の話を、妖夢はそう簡単に信じる事が出来なかった。
「では幽々子様、その箱は開けずにおくのですか?」
 確認の為に問い掛けると、幽々子は小さく首を振り、
「いいえ、妖夢に返すわ。この箱は、妖夢が使おうと思って貰って来たものですもの」
「……幽々子様、心遣いはありがたいのですが……その、物凄い残念そうな顔で言われても逆に困ります……」
「いえいえ妖夢。私は心を鬼にして……」
「いや、使い方間違ってますから……」
 と、そんなやり取りを行っていると、玄関の方から声が聞こえて来た。
「御免します」
「あ、はーい」
 取り敢えず箱の事は置いておいて、玄関へと向けて声を上げる。
 同時に箱を放す気配の無い幽々子も置いといて、妖夢は玄関へと向かった。
 するとそこには一人の女性がやって来ており、
「こんにちわ、妖夢」
「これは藍さん。いらっしゃいませ」
 言いながら軽く頭を下げた妖夢に、八雲・藍は微笑んで、
「今日は、マヨイガで取れた柿を持ってきたんだ。幽々子様と一緒に食べてくれ」
「ありがとうございます。どうぞ、お上がりください」
 籠いっぱいに載せられた柿を受け取りつつ、藍を屋敷の中へと招き入れる。
 だが、彼女は小さく首を振ると、
「いや、これから紫様を起こさねばならないから、私はすぐに行く事にするよ」
「でも、お茶の一杯ぐらいでも……」
「そうよ〜。折角こんなに柿を頂いたんだもの。こちらからもお持て成しをさせて頂戴」
 いつの間にかやって来ていた幽々子の言葉に、藍は少しだけ考え……
「では、ご馳走になります」
「一名様ご案内〜」
「あの……幽々子様、案内は私が行いますから……」
「……妖夢はノリが悪いわ……」
 なよなよと崩れながら、しかしちゃっかり妖夢の手元から柿を数個奪いつつ幽々子が言う。
 藍はその姿に少し苦笑しつつ、
「……ん? 幽々子様、その箱は一体?」
「ああ、これ? これは……って、妖夢。良い事を思いついたわ」
 妙に凛々しい表情で幽々子が言う。対する妖夢は突然の言葉に疑問符を浮かべつつ、
「? なんですか?」
「この箱の封を開けずに中を調べる方法よ」
「そ、そんな事が出来るんですか?」
 透視でも出来ない限り難しいと思うのだが……と、そういえばそれと似たような事が出来るだろう妖怪が一人だけ居た居た事に妖夢は気が付いた。
 妖夢の表情変化に気付いたのか、幽々子は微笑み、
「そう。紫に頼めば良いのよ」

8

 幽々子と妖夢に詳しく話を聞いた後、箱を借り受けた藍は、マヨイガにある自宅へとそれを持ち帰っていた。
「『開けたら価値が下がる箱』か……」
 正直、あまり信じていない。
 しかし、魔法や呪術が当たり前に存在するのがこの幻想郷だ。少なからず可能性はゼロでは無いのだろう。
「……まぁ兎も角、紫様を起こさねば始まらないか」
 取り敢えずテーブルの上に箱を置くと、藍は紫が寝起きしている屋敷へと向かった。
 箱をそのままにしておく事に少し不安はあったが……
「まぁ、橙なら勝手に開けるという事はしないだろう」
 そう、己の式神を信頼する事にした。

9

 藍が家から出てから数分後。
 縁側で丸くなっていた橙は、眠たげな目を擦りながら箱のある部屋へとやって来た。
「藍様ー? って、そろそろ紫様を起こしに行ったのかな……」
 最近は夜が早い為、それに合わせて藍も紫を起こす時間を少しずつ変化させているらしい。その為、少し早いと思われるこの時間から、紫を起こし行ったのだろう。
 そんな主の働きを凄いと思いながら、橙は畳の上へと寝転がり……ふと、テーブルの上に置かれた箱に気が付いた。
 ぱっと見は黒光りしており、ちょっと高級そう。もしかするとお菓子でも入っているのかもしれない。
「今朝、西行寺家に行くって言ってたもんね……」
 小さく呟きながら上体を起こすと、橙は箱を手に取った。
 取り敢えず蓋を開けて中を見てみようとして……封がされている事に気が付いた。
「ん? ……んーと、『開けたら価値が下がる箱』?」
 また妙な事が書いてある。
 しかしそんな事が書いてある箱がここにあるという事は、藍か紫の持ち物に違いない。という事はつまり、この箱は多分本当に開けたら価値が下がってしまうに違いない。
 でも、
「……中身が気になる」
 取り敢えず耳元で振ってみると、かすかに何かが擦れる音が聞こえた。
 となると、中に何かが入っており、それを含めて価値があるという事だろうか。
「……気になる」
 だから考える。
 もし本当に価値があった場合、藍ならばこうやって無造作に箱を置いておく事は無いだろう。
 つまり、こんな風にあからさまに置いてあるという事は、恐らく持ち主は紫で確定。
 しかし、もし持ち主が紫だった場合、封を開けた途端に何か怪しげな術が発動しないとも限らない。その場合、マヨイガが全滅するクラスの術が発動する可能性もゼロでは無――と、想像が恐い方向へと向かってきたので、取り敢えず橙は一度箱をテーブルの上に戻した。
「うーん……」
 ここは正直に藍の帰りを待った方が良いだろうか。
 いやしかし、こういうものは一度気になりだすと止まらないものでもある。
「んー……」
 ……と、うんうんと唸りながら考える事数分。
 不意に、外に誰かが降り立った音がした。藍かと思いながら橙が障子を開くと、そこにはきょろきょろと辺りを窺う天狗の姿があった。
「あ、天狗」
「あ、猫」
「……何の用? 今は藍様も紫様も居ないけど」
「えぇ、居ないんですか?」
「うん。藍様は兎も角、紫様はまだ寝てるんじゃないかな」
 気持ち良さそうに眠る紫の寝姿を思い出しつつ告げると、射命丸・文はしなしなと崩れ落ち、
「……最近良いネタが無いんで、いっそネタの元凶となりうる八雲・紫に突撃取材をしようと思ってたのに……」
「残念だったね」
「ええ、残念です……。仕方ないので、日を改めて……って?」
「ん?」
 残念そうに呟いた文の視線が橙の背後へと向けられた。そしてすぐにその視線が鋭くなり、
「……あの箱は何ですか?」
「え、あ……あれはダメ」
「駄目? どうしてです?」
「開けたら価値が下がる上に危険かもしれないから」
 そう言った瞬間、一瞬にして文の目の色が変わり、橙は己が思いっきり直球ど真ん中で失言を放った事に気が付いた。
 獲物を狙う眼となった文は、橙では無くその背後にある箱へと視線を向けつつ、
「……では、どんな箱なのかこの目で――」
「ダメ!」
 咄嗟に障子を閉めると同時、橙は箱を掴んで走り出した。
 その背後で力強く障子を開く音が響き、
「逃げるなんて怪しいですよ!」
「怪しくなーい!」
 地の利のある家の中を右へ左へ、上へ下へと逃げ回る。けれど自称幻想郷一の速さは尋常では無い。常に一定の距離をマークし続ける文に対して焦りを覚えながら、橙は胸元からスペルカードを取り出し、
「青鬼赤鬼ッ」
 家の外へ出ると同時に声を上げた。
 途端、出現した双鬼が文へと牙を向き―― 
「甘いですよー」
 そう軽く呟いた文が、手に持った古ぼけたカメラのファインダーを切った次の瞬間、彼女へと襲いかかろうとしていた弾幕が一瞬にして消滅した。
「ッ! それ卑怯ー!!」
「一瞬一瞬が勝負ですから!!」
 そう叫びつつ、弾幕の間をすり抜けながら文が迫る。
 それに追撃を行う余裕も無く、橙は箱を抱えて逃げ続ける。

……

「ちょっと取材するだけですからー!」
「危ないからダメー!」
 手持ちのスペルを乱発しつつ、勢い良く迫ってくる文を撒こうと走り続ける。しかし、このままでは逃げ切れずに箱を奪われる可能性が高い。
 というか取材なのだから箱を奪われたりはしないだろうが、文の場合、
「開けたら価値が下がる箱? 中身は何なんでしょうねぇ。開封してみましょー」
 とか笑顔で言いつつ開ける可能性はかなり高い……と思う。けれどその瞬間何が起こるか解らない以上、橙は逃げ続けるしかなかった。
 しかし、
「ふふふ……。私と追いかけっこをして勝てるとお思いですか?」
「ッ?!」
 一瞬の隙をつき、文が橙の正面へと回りこんだ。
 しかし、走る足は止まらない。器用に後ろへと飛ぶ文の姿を見ながら、橙は走り続ける。
「そんなに必死に逃げるという事は、やはり何かあるんですね?」
「……解らないから逃げるの」
 戸惑いながら告げる橙に、文は怪訝そうに、
「解らないから?」
「うん……。だってこの箱は……」
 走りながら説明するという事を行おうとした直後、何やら遠くから声が聞こえて来たような気がした。
 具体的に言うと、文の背後から。
 しかし橙にはその声がどこから聞こえて来ているのかが解らず、気のせいだと思いながら、
「多分紫様の持ち物だから、迂闊に変な事はさせられないの」
「八雲・紫の……そうでしたか……。ですが、大丈夫です。変な事なんてしませんよ。見たところ封がしてあるように見えますけど、あわよくば開封しようなんてこれっぽっちも――」
「あぶなーい!!」
「「……危ない?」」
 危険を知らせるその叫びに、橙と文の声がユニゾンした直後、
「いッ?!」
 破壊音を上げ、文が何かに衝突した。当然その姿を追うようにして走っていた橙は、止まる事が出来ずに文へと激突する事となった。
 そして文を押し倒すような形で倒れた橙へと、悲痛な叫び声が降ってきた。
「や、屋台がー!!」
「屋台……?」
 その声に顔を上げると、そこには目に涙を浮かべ、おろおろと動揺するミスティア・ローレライの姿があった。
 そして今橙達がぶつかったのは彼女の屋台だったのだろう。ミスティアはこちらへと視線を落としつつ、
「危ないって言ったの、聞こえなかったの?!」
「え、あ……その、私は文から逃げてたから……」
「! 射命丸さん!!」
 ミスティアの言葉に、文は橙を抱くようにして起き上がり、
「……す、すみません、前方――じゃない、後方不注意だったみたいです……」
 そう言って、文がミスティアへと頭を下げる。橙も同様に頭を下げ、文の体から離れると……
「あれ、箱が無い……」
 見ると、手に持っていた筈の箱が無くなっていた。恐らく、文とぶつかった拍子に放してしまったのだろう。
 一体どこに行ったのかと思い視線を巡らすと……遠く離れた木の根元に転がっているのが見えた。
 怒るミスティアに頭を下げる文は放っておいて、橙が箱を取りに行こうと歩き出し……
「ミスティアー、一体今のは何の音?」
 箱の近くにある木々の奥から、まるで少年のような格好をした緑髪の少女が現れた。
 そして少女――リグル・ナイトバグは事態の把握に努めようと周囲を見渡し、
「な、何か凄い事になってるね……。……ん?」
 と、リグルが箱に気付き、手に取った。そしてその箱を興味深げに眺めるリグルへと、橙はゆっくり近付きながら、
「あ、あの、それを返して欲しいんだけど……」
「ああ、これはキミのなの? じゃあ――」
 と、リグルが橙へと箱を手渡そうとした所で、
「リグル! その箱渡しちゃダメ!」
 と、背後から声が飛んできた。
 一体どうして、と橙が背後を振り向くと、そこには怒りを持ったミスティアがこちらを睨んでおり、
「屋台を直してもらうまでは、それを預かっておくから」
 そう告げられたミスティアの言葉に、橙は驚きを隠せずに、
「わ、私は何にもしてないよ?!」
「人手は多い方が良いの!」
「り、理不尽だ……」
 力無く呟き、小さく項垂れる。それでも、ミスティア達ならば奪うという事は無いだろうと諦め、仕方なく壊れた屋台の下へと歩き出そうとして……
「……『開けたら価値がさがる箱』?」
「?!」
 その声に慌てて振り向くと、再びリグルが箱を見つめていた。
 橙は思わず箱へと手を伸ばし、
「だ、ダメ!!」
「ちょ、ま、一体何を?!」
 手を伸ばした橙から、リグルは体を反らす事で箱を遠ざけた。しかし橙はリグルの体を押し倒すようにしながら、
「危ないからダメッ!」
「ッ!!」
 だが、あと少しで手が届くという所で、リグルが橙を引き剥がしながら数歩後ろへと下がった。
 橙は倒れそうになる体をなんとか持ちこたえさせ、
「その箱を返して!」
「そうそう、返してください」
「そうです……って、え?」
 続いて来た声に視線を向けると、隣には説教を受けていた筈の文が居た。
 直後、
「射命丸さん! 逃げないでください!!」
 届いてきた怒りの声から逃げるように、文はリグルにだけへと注意を向け、
「……という事で、それは返してもらいます」
 言うと同時、文が加速した。

10

 何が何だが良く解らないが、リグルは逃げていた。
 背後には二人の少女。そして更に背後からはその二人を追うミスティアが、逃げるリグルへと向かって来ているのだ。
「一体何なのよ……!」
 橙はこの箱を危険だと言っていたが、一体何が危険なのだろうか。その説明を求めようにも、もう立ち止まるに立ち止まれない状況になっていた。
 取り敢えず蟲達に指示を出し、追って来る二人に襲い掛からせつつ、リグルは一気に森を走りぬける。
 そして見えてきた湖の上空、夕日で赤く染まるそこには不自然な闇が浮いていた。
 あれは……
「ルーミア!!」
「……なーに?」
「これパス!!」
「えぇ?!」
 闇へと向かい箱を思い切り投げる。そしてそのまま踵を返すと、リグルはやって来るだろう二人へと相対するためにスペルカードを取り出した。

11

「ちょ、リグル?! って、聞いてないし……」
 箱を受け取ったルーミアは、眼下に立つリグルへと向け溜め息を吐いた。
 いきなりパスを回されても、コレがなんだか解らない以上対処しようが無い。
 取り敢えずリグルへと話を聞こうと、ゆっくりと高度を下げ……森の奥から凄まじい勢いで飛び出して来た二つの影の登場に、ルーミアはその体を止めた。
 そして現れた二人の少女へとリグルが弾幕を放ち始め……不意に、一人の少女がこちらへと気付いた。
 直後、
「箱はそこですね?!」
 叫び声と共に、文の方がこちらへと向かって一気に加速して来た。
 こちらを射抜くその眼は獲物を狙うハンターのもの。それを見た瞬間、ルーミアは迎撃するよりも逃走する事を選択した。
 だが、加速の面で天狗に敵う筈が無い。ならば、この状況から逃げ切れる唯一の手段は……
「チルノー!! パスッ!!」
 ルーミアは逃げる事にした。





――――――――――――――――――――――――――――
次へ

戻る

――――――――――――――――――――――――――――
目次

top