赤い鎖

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 音を聞いた。
 吹く筈の無い風の音を。
 瞬間、私に馬乗りになっていた男が後ろに吹っ飛んだ。もう一人の方は、私の居る方の壁に叩き付けられていた。
 それが一瞬の間に放たれた短刀の柄の部分の攻撃だという事に、私は気付く事すら出来なかった。
 そして二人を一瞬で吹き飛ばしたその風は、
 黒い外套を纏い、仮面を付けたその人物は、
 仮面を外しながら私へと静かに視線を向け、

「久しぶりだな。お嬢さん」

 ――あの時と変わらない、淋しげで悲しそうな目をした『彼』が、そこに居た。



「どうして……?」
 訳が解らない。
 強制的に送還されたと聞かされていた。だからもう、『彼』はこの世界に居ないはずなのに。
 呆然と放った問い掛けに、『彼』は答えない。何かを抑えるかのように静かに目を伏せ、そして開かれた瞳は、
「……え?」
 冷たく凍った、まるで人間味を感じない視線に変わっていた。
 突然の変化に更に混乱し、何を言い出せば良いのか、と迷いだしたところで、
「……殺人鬼と話す気があるか? 無いのなら、このまま消えるが」
「ッ?!」
 殺人鬼、という言葉に、否応無しに先程の惨劇が頭に浮かぶ。
『彼』が、やったのだろうか。
 もしそうだとしたら、そう簡単に信用する事は出来ない。いくら私が召喚し、今助けてもらったと言えどだ。何より、『彼』があの惨劇の犯人だとしたら、次に殺されるのは私かもしれない――
 悪い方へと考え出した頭は、どんどんと暗い想像を膨らませて行く。
 そんな私を前に、『彼』は短剣を構え直し、
「早く決めてくれ。奴らが動き出す」
 見れば、私に馬乗りになっていた男が起きあがろうとしていた。
「わ、私は……」
 迷う。
 いや、そもそも自分が何を迷っているのかは解らない。でも、目の前に立つ男は、過去に私が出逢った『彼』とは何か違うような気がしてならないのだ。
 せめてその理由を聞こうとして――その瞬間、
「朱依!!」
 夜城の声が、広場に響いた。




「朱依!!」
 やはり叫び声は彼女のものだったらしい。床に倒れこむ彼女が見える。けれど、その服装が乱れているのは何故なのか。
 その他には、そのすぐ脇に倒れている男が一人、俺の目の前に起きあがろうとしている男が一人。隣のクラスの、柄が悪い事で有名な二人組みで――その瞬間、空の衣服の乱れと彼等の存在が一致し、殺意にも似た感情が膨れ上がる。
 そんな俺に立ちふさがるように、
「……」
 短剣を持ち、俺を見る黒い外套の男が居た。
 状況から考えれば、空を助けてくれたのは奴だろう。けれど、あの黒い外套は俺達が一番最初に戦った相手のもの。
「一体誰何だ、お前」
「さぁな。俺にも解らん」
 静かに、淡々と言葉を発する男。その手には両刃の短刀。投擲した筈の一本もその手にある。恐らく、俺へと投擲した一本を回収した時に、白先輩達は殺されたのだろう。
 怒りに奥歯を噛み締める。そんな俺を前に、男はゆっくりと歩き出し、
「だが、敢えて名乗るとするなら――」
 そのまま、彼女の隣で倒れている奴の前に立ち、短刀を順手に持ち直すと、
「……や、止めてッ!!」
 その刃で、男の首を撫でた。
「やめ……て……」
 彼女の制止など意味が無かった。
 死んで行くそいつの首から、勢い良く黒い外套に血が吹きつけられていく。
「――殺人鬼、だろうな」
 男――殺人鬼はそう言って、悲しそうに微笑む。
 それは、笑い方を忘れた人形のような、歪な微笑みだった。



 また人を殺した。
 これで九十九人目。あと一人で、俺は帰る事が出来る。
 しかし、彼女にも悪い事をした。目の前で人を殺すところだけは見せたく無かった。彼女にはもう、苦しい思いをして欲しくなかったから。
 だが、俺はあと一人、誰かを殺さないといけない。
 誰でもない、俺自身の為に。
 だから――得物を構え直す。走ってくる彼の前に立ちはだかる。
「邪魔だ」
 激しい怒りの込められた彼の声。俺には決して生み出せない、強い殺意がそこにはあった。
 彼と彼女の関係は解らない。俺にはそれを知るよしも無い。
 けれど俺は、あと一人、誰かを殺さねばならない。
「――」
 本当は、彼に最後の一人になって欲しくなかった。それは彼女の悲しみに繋がってしまうだろうから。
 俺を――殺人鬼なんかを召喚してしまった彼女には、もう苦痛を背負わせたくないのだ。
 でも、俺は――




 目の前に居た空を殺さず、倒れていた奴を狙った。俺はその事に安堵しながらも、疑問を感じる。
 もしかしたら、空を狙う意思は無いのだろうか? 
 いや、それは甘い考えだろう。今の俺にはそれを確認する方法も手段も無い。だから、早く彼女のところに行ってやらないといけない。
 あんな惨状を見て、その上目の前で人が殺されたんだ。まずは側に行って安心させてやらないと。
 そう決めると同時に走り出し――だが、それを邪魔するかのように殺人鬼が立ち塞がる。彼女まであと数メートルの所で、俺は足を止めた。
「邪魔だ」
「――」
「邪魔だ!!」
 殺人鬼は無言で短剣を構える。
 それに応えるように俺も剣を引き抜き、殺人鬼へとその切先を向けた。




 剣戟が響く。
 目の前で繰り広げられるのは殺し合い。
 人を殺した恩人と、大切な仲間が戦っていた。 
 いともあっさりと人を殺す『彼』だ。数時間前の戦いの時のように、私も加勢しないと夜城が危ないかもしれない。
 それなのに、体が動かない。
 殴られたりした顔やお腹の痛みは引いてきている。
 でもそれ以上に、すぐ傍らに死体があると言う状況に、頭が凍りついていた。
 助けに行かなきゃ、とは思う。
 でも体は動かない。
 そもそも、今思考しているこの私も、正常なのか解らない。
 剣戟が響く。
 目の前に繰り広げられるのは殺し合い。
 でも、世界は赤く紅く朱く凍りついたまま、動こうとはしなかった。




 斬り、弾き、突き、躱し、薙ぎ、攻めぎ合う。
 刃引きをしてあるとはいえ、剣は剣だ。鉄の塊と打ち合いを続けていれば、相手の刀身はぼろぼろになり、その殺傷能力は減っていく筈だった。
 けれど、殺人鬼の短剣はどんな鍛え方をしてあるのか。すらりと伸びる美しい刀身は微塵の刃こぼれも無く、俺の命を狙う。
 だが、これは勝負になっているのだろうか。
 こちらには相手を殺す手段が無く、相手にはこちらを殺すに有り余る手段がある。止めを刺そうと思えば、初めの時のように投擲でもなんでもすれば良いのだ。
 それに、俺は『空を助ける為』という解りきった目的をもって奴と対峙している。
 ならば彼女を先に殺してしまえば、俺は完全に冷静さを失うだろう。その方が俺を殺しやすい。なのに、それを行う素振りも無い。それどころか、俺と奴の立ち位置は今や逆転し、俺が彼女を庇うような形で対峙している。
 ……考えが、解らない。
 彼女を殺さない、と言うなら解る。しかし、俺を殺せるのに殺さないのは何故だ。行く手を邪魔したのは、俺を殺す為ではなかったのか。
 奴の考えが俺には解らない。
 だから俺は剣を構える。
 ただ一つ解っている事。
 彼女を守る、その為に。




 信じられなかった。
 目の前で、今まで生きていた奴があっさり殺されたのだから。
 許せなかった。
 自分らが犯罪行為を犯そうとしたのは百も承知。
 でも、殺すことは無いだろう? たかが女一人を犯そうとしただけなのに。
 目の前に広がるのは剣戟。
 あのどちらが勝とうが、俺は殺されるんだろう。
 何故かは知らんが、二人ともあの女を守って戦ってるみたいだ。
 だから剣を構える。
 なら、二人とも殺してやる。
 不意を狙えば、一人は殺せる。
 あと一人は、その瞬間に気が動転してる時にでも殺せば良い。
 そして、その死体に体を突っ込ませながら、あの女を犯してやる。
 血で体を汚しながら、その心も汚してやる。
 そうして、薄笑いを浮かべながら、彼はゆっくりと行動を開始した。




 彼の長剣を防ぎ、間合いを取るため後ろに飛ぶ。するとそこには、俺を狙い剣を構える男が居た。
 それは彼女を襲った内の一人だった。何もしてこないかと思っていたが、どうやら違っていたらしい。
 だが、これは好都合なのかもしれない。彼を殺さずに済む。最後の百人目は、この哀れな少年に担ってもらうとしよう。
 こちらが着地すると同時に、斬り付けられた。
 それを左手で受けると、俺は右の短剣を彼の腹部へと突き刺し、押し込み、無理矢理捻る。
「っが!?」
「百人目」
 そしてゆっくりと、得物を引き抜いた。




「っが!?」
 さっきまで立ち尽くしていたと思っていた男が、殺人鬼に向かって剣を振り下ろし――そしてあっさりと刺された。
「百人目」
 そう言って殺人鬼は短剣を引き抜いた。
 同時に、口から血を流しながら男が倒れる。痛みでショック死してもよさそうだったが、そこまで至らなかったのだろう。腹から臓器をはみ出させつつ蠢いていた。
「た……助け、た……」
「……」
 殺人鬼はそれを無視。刺された男はその足へと手を伸ばし――しかし、何も掴めずに落下した。絶命したのだろう。
 その様子を見ても、俺の心は動かなかった。空へと手を出したのだろう相手がどうなろうと関係ない。そう断言出来るくらいに、俺は彼女に惚れているらしい。
 そうして殺人鬼は短剣を仕舞い込むと、俺達の所まで歩いて来た。そして、とんでもない事を口にした。
「剣を仕舞ってくれないか。俺はもう、人を殺す必要が無くなったから」
「なん、だと?」
「もう戦わない、という事だ。これで俺は帰る事が出来るから」
「何言ってんだ? 帰るってどう言う事だよ!」
 激昂する俺に対し、殺人鬼は背中から一本の剣を取り出した。
 長さは殺人鬼が使っていた短剣ほど。しかし、刀身が硝子で出来ているとでもいうのだろうか。その剣の刃は、歪みながらも向こう側を見通せる透明なものだった。
「まずは移動する。説明はそれからだ」
 そう言うと、その剣を何も無い空間に構える。
 ――そして、一閃。
 普通なら空気を切り裂く筈の刀身は、『空間』を斬っていた。
「なッ?!」
 そう、まるで空中に線を引いたかのように、何もない空間に一本の線が浮かび上がっていた。
「なんなんだよ、これ?!」
「門だ。空間転移をする為の、門」
「空間転移?」
 確か、A地点からB地点を移動するのに、その間の空間を湾曲させて、一瞬でA地点とB地点を繋げてしまうというものの事だろうか。
「確かあれは、限られた上級魔法使いしか使えない禁呪じゃないのか?」
 そんな事を習った気がする。
「さぁな。俺には解らない。でも」
 そう言って殺人鬼は剣を仕舞う。
「ここのような魔法で作られた建物の中では、自在に空間を開けるものだと聞いた」
 淡々と喋る男からは、何故か淋しげで、悲しげな雰囲気を感じる。
 だが、その無表情さは変わらない。まるで、無理にそうしているかのような――
「行くぞ。門の維持時間はそう長く無い」
 そう言って、現れた線へと体を向ける。
 そして、
「――――――――――――」
 何か、呪文のようなものを紡ぎ出した。
 瞬間、線から光が漏れ出し、辺りに白く染めたかと思うと、俺達は先程とは違う部屋へと移動していた。




 目を覚ます。どうやら、私は気絶していたらしい。
「ん、起きたか?」
 隣には彼が居た。それだけで、なんか安心する。
「……うん」
 何故か顔を直視出来なくて、少し俯きながら言う。と、俯いた拍子に、自分の服が変わっている事に気づいた。破かれた服の変わりに、彼のブレザーが掛けられてい、て――
「――ッ」
 一瞬で恐怖に心を喰われた。叫び出しそうになり、しかしそれすらも叶わない。絶望で目の前が真っ黒になり――不意に、抱き締められた。突然のそれに暴れ、どうにか逃げようとして、
「落ち着け! 俺だ!」
「――ッ」
「俺が側に居る! だから大丈夫だ!」
「……あお、き?」
 どうにか焦点の合ってきた視界の先に、私の事を心配げに見つめる夜城の姿があって……そのまま、その胸元へと引き寄せられて、だから私は彼に抱き締められたのだと解った。
「……ごめん、私……」
「謝るのは俺の方だ。俺が朱依を一人にしなけりゃ……」
「……」
 苦しげにいう彼に、どんな言葉を掛けて良いのか解らない。確かに大丈夫では無かったけれど、どうにか私は助けられたのだし――って、『彼』は、一体どうなったのだろう。
 思わず周囲を見回す。すると、ここが白先輩達と話をした部屋では無い事に気付いた。
 正しく『洞窟』を思わせる風景はそのままに、巨大な湖が広がっていたからだ。 
「ねぇ、藍貴」
 脈絡の無い問い掛けだとは解っても、問わずにはいられなかった。
「どうして私達は、湖に居るの?」
「……それは俺に聞かないでくれ。俺よりも、そこにいる殺人鬼の方が詳しいだろうからな」
 苦しげに言って、夜城が視線を左手に向けた。
「殺人鬼?」
 夜城の視線を追った先――そこには、『彼』が静かに座っていた。
「目が覚めたようだな、お嬢さん」
「えっと……はい」
 と、私はつい返事を返してしまい、
「でも、何で……?」
 向こうから声を掛けられてしまった事もあり、考えが纏まらないままに、質問とも言えない問いを放っていた。
 彼はそれに答えるように、湖にへと視線を向け、
「ここはお嬢さんたちが目指していた湖だ。つまり、あの広場からここへ移動してきた。理解出来るか?」
「あ、はい……」
「まずは、どうやってここまで来たのかを説明しておく」
『彼』の説明は続く。けれど私には、恐れや恐怖などの、本来『彼』に抱くべき感情が無くなっていた。
 ただ、『何故この人はこんなにも冷たい瞳をしているのだろうか』と、そんな事を考えていた。

『彼』の話で解った事は――というよりも、彼の持つ硝子の剣について解ったのは、魔法で作られた擬似的空間なら、自分の把握している範囲ならば簡単に空間転移が出来る事。結界を壊したのもその剣の力だという事。けれど、階段の結界は強固なものだったらしく、一度壊すのが限度だったらしい、という事。
 ……つまりそれは、彼があの惨状の犯人だったと言う事。
 そして、
「この剣には、世界と世界を繋げる力がある」
「世界と、世界を?」
「そう。この剣を使えば魔法使いでなくても世界を繋ぐ事が出来る。そして、何かを召還するのも、繋げた世界へ渡るのも自由に出来るものらしい」
「そんなものが存在していたなんて……」
「だが、物事はそう上手く出来ていないのが常だ。この剣を使うには二つの条件がある」
 どうしてそこまで詳しく教えてくれるんだろう。そう思いながらも、私は曖昧に頷き返す。
「……条件」
「そうだ。まず一つは、この剣を人から貰い受ける事。この剣は持ち主を判断する装置が付いる。そして、一度持ち主を認定してしまうと、その相手にしか使えない設計になっているらしい。その判定機能が働くのが、他人へ譲渡という事だ。そして二つ目は、貰い受けた相手から一つ、課題を課せられると言う事。どんな要求でも良い。その課題をクリアした者は世界を繋ぐ資格を得る。……そして、俺がこの剣を譲り受けた時に課せられた課題は――」
『彼』は淋しげに、悲しげな眼で笑いながら、
「――一日で、百人の人間を殺す事だった」





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