赤い鎖

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 頼もしい協力者が出来た事で、戦闘に関する不安が拭えた。これで臆せず進む事が出来る。
 よし、どんどん先に進もう。そう思い、歩き始めようとした矢先に、
「でさ、名前は?」
 なんて事を彼が聞いてきた。
 ……自己紹介忘れてた。ああ、浮かれ過ぎだ私……。そんな自分が恥ずかしくなりつつも、私は彼へと体ごと向き直し、
「あはは……言ってなかったね、そういえば。私は朱依・空(あかい・そら)と言います」
「俺は藍貴・夜城(あおき・やしろ)。以後、よろしく」
 差し出された手をしっかりと握る。
 思ったよりもゴツゴツした手は、彼の剣の実力……その努力を物語っているようだった。
「こちらこそ。……でも、想像もしてなかったよ。よもやB科の人と協力出来るなんて」
「俺もだ。でも、朱依が良い奴で良かったよ。駄目元でも、言ってみるもんだな」
 そう、何度も言うように、A科とB科は嫌い合っている。でも、中にはそんな事に興味が無い生徒も居るのだ。例えば私みたいに。
 だって、自分に出来ない事を求めても――そして憎んでも仕方が無い。だったら出来る事を頑張るだけ。そう割り切っている。でも、その『空気』に真っ向から反逆出来るほど、私は強くない。理解出来ないとは思っても、その『空気』に流され続けてきたのだ。
 だから、
「私も、藍貴が良い奴で良かった」 
 純粋に、そう思えた。




 朱依・空か。
 玉砕覚悟で言ってみたのに、本当に協力出来るとは思わなかった。そんな事を思いながら、俺は彼女の小さな手を放した。
 そりゃあ、A科の奴と組むのなんて本当は嫌だ。アイツ等はいつでもどこでも勝ち誇ってやがるからだ。
『お前にはこんな事は出来ないだろう』『失せろ、低脳な蟲けらが』『棒切れを振るうしか出来ない馬鹿には解るまいよ』
 などなど、俺が直接言われた単語だけでも枚挙に尽きない。しかもこれらは、俺には何の非もない、向こうが勝手に売ってきた喧嘩だった(馬鹿らしいから相手すらしてないが)。
 でも、空はそういった馬鹿どもとは違ったようだ。
 まず、助けてくれた事が意外だった。
 あの時、俺は確実にやられてた。もし無事だったとしても、A科の奴なら俺をも巻き込むような魔法を平気で放つ筈だ。でなければ逃げてるだろう。
 でも、空は敵の腕だけを狙った。
 こんなのはただの偶然かもしれないけど、それでも意外だったし、嬉しかったのだ。
 だから協力を求めた。
 そう、これはそれだけの話。
 でも、それでも、この関係が長く続く事を祈っている自分が居た。




 A科の事。B科の事。好きな事嫌いな事。
 全く違う生活を送ってきていた私達は、そんな取り留めの無い事を話ながら歩いていた。
 会話というこんな簡単な事もしないで、なんでA科とB科の生徒はいがみ合っているんだろう。そんな事を思いながら。感じながら。
 それでも、曲がり角などは慎重に辺りを窺い、先生達の影が無いかを確認する。
 いくら二人で協力し合うとしても、出来るだけ戦闘は避けたい。今だ先の見えない洞窟の中、無駄な体力は使えないからだ。
「でも、階段ってどこにあるんだろうね?」
「この調子だからな……予想も出来ない」
 いつしか会話の内容は、この洞窟の事になっていた。
 事実かどうかは解らないものの、この洞窟は二階以上の階層がある、というのがもっぱらの噂だった(毎年その構造が変わっている為に、断言は出来ないのだけれど)。でも、私達は未だ分かれ道にすらぶつかってない。というか、ここまで真っ直ぐなのも変な気がした。
 取り敢えず、先生や先輩達と遭遇出来れば聞き出す事とかも出来そうだけど、未だ遭遇は無し。とはいえ、戦わなくて良いから文句は無いのだけれど。
 そうだ、戦いと言えば、
「ねぇ、さっきの仮面の人って誰だったんだろう?」
 白く表情の描かれていない仮面をしていたから、顔は解らなかった。けど、剣を使っていたからB科の関係者なのだろう。
 A科で無い理由を挙げるなら、基本的にA科の先生は剣を使わないという事がある。魔法に用いるならまだしも、実践に使う先生は居ないのだ。……まぁ、私が知らないだけで、実際には扱える人がいるのかもしれないけれど。
 でも、もし夜城が知っていれば、また遭遇した時の対策が立てられるかもしれない。それに、A科の関係者じゃないという事もはっきりするし。
 そう思って問い掛けたのだけれど、帰ってきた答えは、
「いや、俺も解らないんだよ。そもそも、双剣使いの先輩や教師なんて聞いた事がねぇし」
「そうなの?」
「ああ。簡単そうに見えてかなり技術力が要るからな。そもそも、Bじゃ双剣の扱い方とか教えてない」
「そうなんだ……」
 という意外なものだった。
 私のイメージとすると、B科は剣術ならなんでもやるものかと思っていた。
 どうやらそれはかなりの偏見だったみたいだけど、交流の無い科の情報が詳しく入ってこないのも事実。だから、夜城がA科の事を勘違いしている可能性も捨て切れなかった。……あまり確認したくないけど。
 そんな私の思考を遮るように、夜城の説明が続く。
「誰だって得手不得手があるからな。基本的に誰でも扱える長剣を使ってるんだ。で、一通り扱えるようになったら、弓とかもやったりする。まぁ、兵士として王国に勤める際の最低条件が長剣を扱える事だから、大抵の奴は……俺もそうだけど、長剣一筋になるな」
「そうなんだ。なんていうか、予想と現実は違うもんだね」
「だな。でもまぁ、教師か先輩で間違いないだろ。趣味でああ言う武器を持ってる人も居るだろうし」
 まぁ、当たり前の結論だ。そもそもこの洞窟には、私達以外には先生か先輩達しか居ないのだし。
「で、そっちはどんな事をやるんだ?」
 と、次はお前の番、とばかりに夜城が聞いてきた。
 それにコホン、とわざとらしく咳をすると、私は説明を始めた。
「ご存知の通り、魔法だね。まず、火・水・風を、私たちは三大元素と呼ぶの。で、全ての魔法使いは、この三つの元素をメインとして魔法を使う。そして、それを中心にして、氷だったり土だったりと色々と派生する、って感じかな。まぁ、生まれ付きで扱える元素が決まるから、空き放題に魔法を使える訳じゃないんだけどね」
 言って、私は苦笑し、
「だから、三大元素って言っても、その全てを扱える人は居ないんだ」
「そうなのか?」
「うん。その三つの元素同士が反発を起こすから、どうやっても不可能なんだって」
 そこで一旦言葉を区切り、私は杖を夜城に見せるようにしながら話を続ける。
「因みに私は火が得意。あと、ほんのちょっとだけ風の魔法が使えるくらいかな」
「へぇ……。魔法使いってのは、どんな魔法でも打ち放題だと思ってたけど、違うもんなんだな」
「そう言う事」
 笑いながら言う。
「それと、打ち放題でも無いよ。体の中にある魔力の量は人それぞれ一定だから、限界以上は無理なの。まぁ、例外もあるけど」
「例外?」
「そう、例外。――あ、その前に、杖の説明をするね。私達は魔法を使う時、必ず杖か、或いはそれに準ずる物を使うの。これには意味があって、体内の魔力を外に出す時の抵抗の役割をしていて……」
「……どういうことだ?」
 彼には良く解ってないご様子。知らないもの危険だし、噛み砕いて説明しましょう。
「つまり、魔力を体からそのまま外に出すのは危険って事ね。純粋な『力』の塊である魔力をそのまま出すんだから、術者に与えられる反動が凄い事になる。それを無くす為にあるのが杖って事」
「ああ、そういうことか」
「でも、その杖にも限界がある。普通は限界を超える事なんてあり得ないんだけど、もし何らかの理由で限界以上の魔力を体内から放出してしまうと、壊れてしまうわけ。で、さっき言った例外っていうのは、その限界以上の魔力の放出の事なの。これを私達は『暴走』って呼んでる。暴走が起こると、その人の意思に関係無く魔力が吹き出るって言われてるわ。肉体という風船が、限界以上の魔力でパンッと弾けてしまうようなイメージ。でも、自分の意思で暴走なんて起こせない。必要以上の魔力を、自分の意思で放出する事は難しいから。そういう事から、暴走が起こる可能性は少ないの。だから例外って言われている訳ね」
「……なんつーか、腹の中に爆弾抱えてる感じだな」
「まぁ、ね」
 的確な比喩に、私は苦笑いするしかなかった。
「でさ、魔力が吹き出るってのは具体的にはどんな感じなんだ?」
「んー、私も詳しくは知らないけど、結果的に軽く街一つを吹き飛ばせる程の威力になるんだとか。凄い人だと、山を平地に出来るみたい。まぁ、流石にそれは本当かどうか解らないけどね」
「……マジ?」
「マジ」
 その瞬間、夜城が一歩後ろに後ず去る。
「何よー。私がすぐに『暴走』するほど不安定に見える?」
 その行動に少しの怒りと悲しみを覚えながら、私は非難の言葉を吐く。
 すると、彼は下がった分を取り消すように私の前へと進み、
「冗談冗談。でも、そんな魔法使いを続けられんだから、赤依はスゲェよ」
 そう言って笑ったのだった。
「……もう」
 でも、そんな私も笑っていた。
 そして、嫌われなくて良かったと思う、私が居た。


 
 あれよこれよと話している内に、私達は大きく開けた広場に出た。
 これまで歩いてきた道とは違い、壁は『洞窟』と思わせるような岩肌で、横へと長く広くその広場は広がっていた。四方には大きな松明が点在し、広場を明るく照らしている。
 そんな長方形の広場の長い辺の方に、私達は居た。
 視線の先、向かって正面には先へと続くであろう道が。そして、右側の奥には水飲み場らしき物、左側には大きな岩が一つ鎮座していた。
 長々と続いた道から急にこの広さ。
「なんか、怪しいよね……」
 私はそう、夜城に問い掛けていた。
「だな……。こう、あからさまに怪しい物が二つあるしな。何かの仕掛けがあるかもしれないし、調べてみるか」
 そういうと、彼は岩の方に向かって歩き出す。
「朱依はあっちの水飲み場を頼む。敵らしき姿も無いし、ここでは別個で行動しよう。その方が効率も良いし、ここなら離れていてもすぐに合流できる」
「解った」
 夜城の言った通り、私達が来た通路は元より、この広場や先へと続く通路にも先生達の姿は無い。
「でも、いい加減先生方も出てこな過ぎだよねぇ……」
 そう小さく呟きながら、私は水飲み場に向かって歩き出した。
 それは正しく『水のみ場』としか形容できないものだった。無骨な壁から水が溢れ出し、その下に取り付けられた受け石に水が溜まっているのだ。受け石の高さは五十センチ程で、腰を下ろせば十分水が飲めるサイズになっている。そして水の色は無色透明。どんな構造になっているのか、水は溢れる事無く、しかしその量を一定に保っていた。
 水飲み場の正面に立った私は、ゆらゆらと揺れるその水面を眺めつつ、
「飲めるのかな……」
 見た目は問題無さそうに見える。
 でも、これが誰かの罠だったりすると結構厄介だ。もし毒が仕込んであって、何か症状が出た時に襲われたら対処しようが無い。ここは手を出さずに夜城の意見も聞いてみよう。もし飲めるものなら、良い休憩場所になるのだし。
 よし、決まり。
 そうして私は夜城の方に向き直り、声を掛けようとし――その瞬間。進行方向となる通路の奥に人影があるのに気が付いた。
 相手が誰であれ、この横に長い広場ではすぐに全体を見回せないだろう。今から動き出せば、相手へのイニシアチブを取れる。とはいえ、頼りの彼はまだ岩を見ているらしく、その影には気付いていない。
 ……敵かどうかは解らないけど、早く彼に伝えなくては。そう決めると、向こうに気付かれないよう、私は夜城の元へと走り出した。




 でん、と構えるその岩は、本当になんて事の無いただの岩だった。
 でも、何かあるような気がして、俺は周りを調べたり上に乗ってみたり、下に何か挟まれてないか確認し……やっぱり何も無い。
「……本当にただの岩かよ」脱力と共に呟き、「まぁ、そう上手く何かあるとは思わないけどさ……」
 もしくは、こうして生徒のテンションを下げるのが目的なのかもしれない。そんな事を思いながら、俺は空にこの事を伝えようと振り返る。
 と、そこにはこっちに全力で走ってくる彼女の姿があった。
「どうした?」
 そう声を上げようとした瞬間、
「あれー、こんなところに獲物はっけーん!」
 と言う、元気な声が聞こえてきた。
 驚きと共に声の方へと振り向くと、そこには二人組みの少女が居た。
 外見から見て教師ではない。杖を持っているし、A科の先輩だろうか。
 一人は短めの髪、大き目の瞳はこっちを見ている。その姿は、獲物を見付けた猫のよう。
 一人はロングの髪、知的そうな瞳は走って来ている空を見ている。その姿は、調教された犬のよう。
「キミ達にはここであたし達と戦ってもらうよー」
 片方。猫のような少女の元気な声が広場に響く。その動きに警戒しながら俺は無言で剣を抜くと、二人の少女と対峙した。
 直後、三メートル程離れた位置に空がやって来るのを見る。恐らくはこの二人が広場にやって来ているのを伝えようとしたのだろう。とはいえ、それを声に出さなかったのは良いが、走って来たんじゃどの道見つかるだろうに……。そう思いつつも、俺は二人の少女へと視線を戻した。
 そして、猫のような少女が杖を楽しげに振り、
「準備出来たみたいだねー。それじゃ、あたし達も……」
「待って、紅露(くろ)。彼女、A科じゃない?」
「ん〜?」
 犬のような少女の言葉に、紅露と呼ばれた少女が俺の隣へと視線を向けた。
 その視線は、空の頭から足先までを舐めるように、上下に移動を繰り返していく。その行為に、彼女の顔がどんどんと苦いものになっていく。 
 良い気分じゃないだろうな……。そんな風に思うものの、けれど相手の行動の理由が解らない。紅露の杖は俺に向けて構えられたままで、攻撃の意思が無くなった訳ではないようだからだ。
 と、そんな妙な空気の中で身構えていると、観察は終わったのか、紅露が犬のような少女へと視線を向け、
「ホントだ、杖持ってるねー。じゃあじゃあどうする、しーちゃん?」
「見逃してあげましょう。私達のポリシーに反しますからね」
「はーい!」
 ……なんなんだ、一体。
 勝手に進められていく話の中、完全に取り残されている感覚。見逃す、という単語が聞こえて来たが、一体どういう事なのだろうか。
 そんな混乱の中、しーちゃんと呼ばれた少女は俺を無視するように、
「ちょっと、貴女」
「あ、はい」
 その声に空が答え、次の瞬間『しまった』という顔をした。恐らくは条件反射で答えてしまったのだろう。何やってんだ、と思う俺の視線の先、しーちゃんは彼女の言葉に頷くと、 
「貴女は先に行っていいわ。私達は貴女と戦うつもりは無いから」
「……はい?」
 空が抜けた声を出す。それを聞きながら、俺も同じ思いを抱いていた。
『洞窟内で教師達や先輩達に遭遇したら、確実に戦闘になる』。その固定概念を覆す一言に、どう反応して良いか解らなくなってしまったのだ。
 予想外の事態に、ただ混乱だけが高まっていく。それは空も同じなのか、杖を構える手が下がり、困惑げに立ち尽くすのが見えた。
 だが、そんな空の様子に逆に驚いたように、しーちゃんは言葉を返す。
「何を呆けているんです? さぁ、行きなさい」
 そう言って、しーちゃんは背後にある通路へと道を開けた。
 どうやら空を逃がすというのは本気らしい。けれど、紅露の杖がこちらを標的にしている以上、俺を逃がす気は無いのだろう。
 さてどうするか。そう思いながら視線を隣へと動かすと、
「えっと……」
 小さく呟きつつ、頭に疑問符を浮かべる空の姿が見えた。まだ混乱が続いているのだろう。
 その姿を視界の端に捉えつつ、考える。
 基本的に、魔法使いというのは後方支援を主とする。呪文の詠唱という段階を踏んでからでないと攻撃に入れない為、必然的にそうなってしまうのだ。そして、相対する二人の少女は、こちらが手を組んでいる事を知らない。
 ……芝居でも打つか。そう俺は行動方針を決める。相手の実力が解らない以上、二人同時に負ける状況は作らない方が良い。
 そうと決めると、俺は剣の切先を空へと向けた。その行為に、何故、と混乱の色を濃くしてこちらを見る彼女の目を見、
「ほら、行けよ。アンタのお仲間だろ?」
「……え?」
「俺は相手が何人だろうと、魔法使いに負けるつもりは無い」
 俺の意図が伝わるだろうか。
 睨む事はせず、目で合図しながら、更に俺は言葉を続ける。
「だから早く行けよ。……アンタも巻き込むぞ?」
「……」
 これが芝居かどうかを空が判断出来たか、俺には解らない。だが、彼女は俺の事を強い視線で睨むと、
「……解りました」
 言って、視線を逸らし、
「ごめんなさい、先輩。突然だったので混乱してしまいました」
 通路側に立つ二人の少女へと明るく言うと、空はそちらへと向かって歩き出した。
 ……なにやら確実に誤解された気がする。この戦闘が終わったら、しっかり謝る事にしよう。と、そう思った次の瞬間、
「あ、そうそう先輩。アイツが倒されるまでここで見ていても良いですか? 先輩方の戦うところとか見てみたいですし」
 二人の背後に立ち、こちらへと強い視線を向けながら空が言う。その視線は射抜くように俺へと突き刺さった――っていうか、視線怖ッ!
 可愛い顔してる癖に、その眼力が凄まじい。というか、あれは完全に誤解――というよりも激怒している眼だ。もしかしたら、俺はとんでもないミスをしたのかもしれない……。そうしてたじろぎそうになる体を抑えながら、俺は再び二人の少女へと剣を構え直した。
 だが、空のその視線には驚きがあったのか、少女達……いや、しーちゃんの方が少々たじろいでいた。
 対する紅露の方は、
「良いよー。んじゃ、見てて見ててー」
 そう楽しげに声を上げ、杖を振り回した。直後、しーちゃんは何事も無かったかのようにその姿勢を正すと、俺へと視線を向け、
「……まぁ、良いわ。さぁ、哀れな少年。私達の手で眠りなさい」
 三人の視線が体に刺さる。けれど、それに負けぬようにと足を引き、俺も相手を睨み返した。
 一気に、場の空気が緊張して行く。
 それでも、
「それじゃあ、あたしから行くよー」
 と、楽しげに紅露が言って――次の瞬間、彼女の口から紡がれた言葉は、
「――風よ。集え。纏え。絡め。遊べ」
 凄まじく簡略化された呪文の詠唱。
 途端、広場内の大気が渦を巻き、紅露の体を包むように巻き上がっていく。言葉を紡ぐその声は、はしゃいでいた時とは温度すら違っていた。
 その極端過ぎる変化に怖気が走りながらも、俺は紅露へと向かって駆け出していた。
 体に突き刺さる空の視線を出来るだけ無視しながら、眼前の敵を睨む。
 空の説明を聞く以前から、俺は魔法が三種類ある事は知っていた。そして、その属性別の対処の仕方も。
 まず、火。
 火や炎を生み出すこの魔法は、対象を直接加熱したり、火球などを作り出して放つものが多い。その為、相手の目線や火球などの起動を読み、攻撃する。
 次は風。
 どんな場所にでも風を起こすこの魔法は、対象に向かって鎌鼬を起こしたり、竜巻などを発生させるものが多い。その為、もし攻撃を受けても、構わず敵に走りこむ。所詮は風。体を囚われる前に突っ切ってしまえば問題無いのだ。
 最後は水。
 水や氷を作り出すこの魔法は、相手を凍らせたり、対象を水の中に閉じ込めたりするものが多い。その為、これは火と同じように回避する事を考えて行動する。
 これが、俺達B科の生徒が授業で教わってきた魔法使いへの対処方法だった。怖ろしく単純だが、だからこそ無駄が少ない。こちらが悩む分だけ魔法使いの詠唱は進み、その魔法は協力になっていくから、迅速に対処するのが何よりも大切になってくるのだ。
 しかし、これは全て卓上のもの。簡単な模擬戦程度なら何度かやった事はあるものの、実戦でそれを試した経験はない。
 けれど、基本的に魔法は力の塊だ。基本通りに動けば回避出来る筈――!
 俺は紅露へと向かって走る速度を上げた。予想と現実は違うという事を考えずに。
 そして、 
「――飛べ」
 紅露の詠唱終了と同時、彼女の体を包み込んでいた風が俺へと向かって襲い掛かって来た。
 予想は鎌鼬。多少の傷は覚悟し、そのまま俺は走り込み、
「――ッ?!」
 轟、という音と共に、走る体を押し止める風の壁が来た。それは俺の体を一瞬で包み、次の瞬間、まるで風の中を舞う木の葉のように体が中に浮いた。
 直後、
「なぁ?!」
 俺の体は、先程まで居た岩の近くまで吹き飛ばされていた。
 だが、ただそれだけだった。俺は普通に足から着地し、しかし、体に痛む場所は皆無だ。
「どうなってんだ?」
 とはいえ、考えている暇は無い。手に剣はあるのだから。
 再び駆け出そうと俺が足に力を込めた瞬間、突然頭上から水が降って来た。それも先程の風と同様にただの水で……結果、まるでバケツで水を掛けられたかのように、俺は一瞬で濡れ鼠となっていた。
「……」  
 水気を帯び、垂れて来た前髪を無言で掻き上げる。
 何なんだ、一体。攻撃をしてくる訳でもなく、ただ吹き飛ばして水を掛けて来ただけ。まさか、遊ばれているのか? そんな、あながち外れていないような考えを頭の隅に追いやり、俺は剣を構え直した。
 そして、状況を確認する。
 自分は頭からずぶ濡れ。紅露はこちらを見て笑っており、しーちゃんは冷静にそれを突っ込み中。空の視線は今もまだ痛い。というか、今の所ダメージとなっているのはその視線だけだ。
 ……やっぱ遊ばれてるのかもな。だがそっちがその気なら、と心を決め、再度走る為の意思を足へと。
 狙うはしーちゃんの方。冷静な彼女を叩けば、紅露は判断力を無くす筈。そこを一気に攻めれば勝負は決まる。
「そうと決まればッ……!」
 走りだす。
 上体を低くし、獲物を狙う獣のような俊敏さを持って一気に二人への距離を詰める。
「?!」
 正面、しーちゃんが驚きの表情を浮かべる。咄嗟の動きだ。彼女は反応し切れていない。
 詠唱する時間すら与えねぇ! 俺は剣を振り上げ、その手に持つ杖を叩き斬ろうとして――
「間に合え!!」
 何故か、酷く焦った空の声を聞いた。
 瞬間、俺の動きを狙ったかのように、しーちゃんの杖先に小さな魔方陣が展開され――剣を袈裟に斬り下ろそうとした俺の体に、魔法が放たれた。
 それは、全てのものを凍らせる冷気を纏った吹雪。体が濡れている俺には、効果的過ぎる一撃。どうやっても、回避出来ない……!
「糞、隠し玉かよ!」
 振り下ろすベクトルさえも無効にするほどの勢いで、全身が一瞬にして凍り付き始め、
「な――?!」
 しかし次の瞬間、俺の体は赤く燃える炎に抱かれていた。突然の切り替わりに、何が起こったのか咄嗟に判断出来ず、
「藍貴!」
 だが、声が聞こえた。行け、とそう告げる声が。
 だから、
「ッ!」
 俺はその声に従い、全身を氷と炎に包まれながら剣を振り下ろした。



  
 私は怒っていた。それは夜城の裏切りに対するものではなく、何だか彼に助けて貰った気がしたからだ。
 剣を向けられたあの時、
『考えてないでさっさと行け。ここは俺が何とかするから』
 夜城の言った罵倒は、その敵対心の無い瞳は、確かにそう告げていた。
 だからこそ、怒りが湧いた。そっちがその気なら、私も一人で格好付ける藍貴を裏切ってやる。二人の先輩の元に歩きながら、私はそんな事を考えていた。
 そして、振り返り夜城を睨む。
 見てなさい。私も一緒に戦える事を証明して、あとでたっぷり文句を言ってやる! そう決めた私は、夜城の思惑を打ち砕く為に、戦闘の途中で彼を助けようと計画していた。
 けれど、夜城が仮面の男と戦っていた時の動きを見る限り、その実力は低くはないように見えた。だから、先輩達には悪いけどなんとかなるのかも、と私は少し楽観してもいたのだ。
 でも、彼がずぶ濡れにされたあたりから、その楽観は不安へと変化し、
「あははー、しーちゃんあれ見てー!」
「もう、紅露ったら笑わないの。そんな冷たい事を言ったら、彼の体は凍り付いてしまうでしょう?」
 目の前で繰り広げられる先輩達の会話に、私は何か違和感を感じた。
「そうだねー、カチコチだねー」
「ええ。それはもう、氷の彫刻のように。一度形が決まってしまったら最後、もう動けないですからね」
 ……これは。
 そして私が違和感の正体に気付いた時には、もう夜城はこちらへと駆け出していた。 
 馬鹿! そう叫びたい気持ちをどうにか抑え、同時に自分の考えも浅はかだったと気付かされた。生徒一人に倒されるような生半可な実力では、洞窟で待ち受けていたりはしないのだ。
 先程の紅露先輩の魔法は、呪文を簡略したものを更に複数詠唱して威力を高めているものだった。
 本来、魔力を体外に出す為の切っ掛けとなる呪文を簡略化するという行為は、完成した魔法そのものの威力を下げる。けれど、鍛錬を重ね、一定の単語で一定の魔力を確実に外へと出す事が出来るようになれば、呪文の詠唱は少しずつ簡略化していく事が可能になる。
 でも、実際にはそう簡単に簡略化など行えず、殆どの魔法使いはあまり多用しない。そんな簡略化呪文だけで魔法を完成させるのだから、紅露先輩の実力は底知れぬものがある。そしてそれはしーちゃん先輩にも同じ事がいえた。
 だから早く夜城を助けなければならない。彼だけでは、確実に先輩達を倒せない。
 そう私がそう思った時には、彼はもう剣を振り上げる体勢にあった。更には、しーちゃん先輩の杖に強い魔力が集まるのを感じる。
 私は先輩達に覚られぬように杖を構え、夜城を見つつ、
「定義すべきは火。求めるは炎。包み込む炎。彼の者を護る壁となれ――」
 咄嗟に、小さな声で詠唱を始め、そして、
「――間に合え!!」
 叫び、魔法を完成させる。
 直後、しーちゃん先輩の魔法により、剣を振り下ろす寸前で一気に凍結して行く夜城に私は炎をぶつけた。こうでもしなければ凍って行く彼を止められない。
 そして、再度叫ぶ。
「藍貴!」
 次の瞬間、氷と炎に抱かれた夜城がしーちゃん先輩の杖を両断した。それを見届ける間もなく、私は驚きの色を浮かべる紅露先輩へと体当たりした。
「ッ!」
「ぅあっ!」
 ただ肩から突っ込んだだけのもの。だがその小さな体には効果があったらしく、紅露先輩が倒れた。
 その拍子に紅露先輩の手から離れた杖を蹴り飛ばす。そして私はすぐにしーちゃん先輩へと向き直り、詠唱を開始しようとし、
「してやられたわ……。この戦いは私達の負けね」
 そこには両手を上げ、降伏の意を示すしーちゃん先輩の姿があった。
「……えっと、どういう事ですか?」
 突然の敗北宣言に戸惑う。
 紅露先輩は杖を失っているけれど、しーちゃん先輩はまだ、斬られたとはいえ杖がある。とっさに呪文の詠唱は出来ないにしても、何か隠し玉がある可能性があった。
 私が魔法を放つ前、しーちゃん先輩は会話の文法中に呪文を紛れ込ませ、それを詠唱として魔法を完成させていた。もし私が二人の会話を聞いていなければそれに気付けなくて……そんな高度な魔法の使い方をしてきている以上、彼女がまだ攻撃をしてきてもおかしくないのだけれど、
「どうもこうも鉄も金もありません。私達の負けと言ったんです」
 倒れた紅露先輩を抱き起こしつつ、しーちゃん先輩は断言する。
「は、はぁ……」
 その様子に、身構えて居た分だけ拍子抜けするのを私は感じる。
 と、
「良いだろ、向こうが負けを認めたんだから」
 そう、氷と炎から帰還した夜城が言う。彼はこちらへと一歩近付きながら剣を鞘に仕舞い、少しばつの悪そうな顔で、
「それは良いんだが……すまなかった。また朱依に助けられた」
 言葉と同時に、彼が頭を下げる。
 B科の生徒が頭を下げて謝ってくれている。そんな、クラスメイトが見たら狂喜乱舞しそうな状況になっても、私の腹の虫は収まってくれなかった。
 というより、忘れていた怒りが戻って来た。私はその怒りに肩を震わせながら、
「そんな事はどうでも良いわ。それより、さっきのあれは何?! 協力していくってのは嘘だった訳!?」
 怒りに任せて叫ぶ。
「すまん……」
「謝って済む問題じゃない! 理由は何なの?!」
 だんだんだん! と地面を思い切り踏み鳴らしながら夜城へと近付いていき、
「答えて!!」
 目の前で叫ぶ。
 すると、彼は本当に申し訳なさそうに、
「誤解したなら謝る。あれは本気じゃない」
 少し高い位置から、しかし夜城は私へと視線を合わせ、
「先輩達の実力が解らない以上、咄嗟に芝居を打つ事にしたんだ。二人同時に負けちゃ、互いを助ける事も出来ないから。だから、もし誤解されたらあとで謝れば良いって軽く考えてた。本当、すまない……」
「――」
 ……面と向かって言われると、その、焦る。
 言い返そうにも、何故か頭が真っ白になってしまって言葉が浮かばない。でも、私は何とか夜城の言葉に頷き、
「そ、そう。でも、二度とこんな事しないでよね」
 しかし視線は離さないで、私は夜城に告げた。対する彼は頷き、
「ああ、約束する」
「なら、ゆるしてあげる」
「――良かった……」
 安堵と共に夜城が言って……不意に気付く。
 今、私は必要以上に夜城に近付いている。だから思ったよりも彼と顔が近くて、良かった、と安心する顔が凄く嬉しそうなのが良く解って……そしてそんな藍貴を見ている私の顔が熱いのは、何故なんだろう?
 と、白く曖昧な思考でぼんやりと考え出したところで、
「さて。お話し合いは解決しましたか?」
 その思考の終止符は、しーちゃん先輩の少し呆れの混じった声によって訪れた。
「え、あ――ハイ! 終わりました!」
 焦りつつ、夜城から一歩下がりつつ私は答える。
「そう」
 その言葉に小さく頷き、しーちゃん先輩は言葉を続ける。
「なら、私達に説明して貰えるかしら。学科の違う貴方達が、どうして協力しているのかを」





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