赤い鎖

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 校長室、と銘打たれた部屋の中。
 年季の入った机の上に幾枚かの紙を広げながら、その内容に目を通している男が居る。彼は部屋に響いたノックの音に、その顔を上げた。
 掛けていた眼鏡を外し、目の付け根を揉み解しながら、
「入りたまえ」
「失礼いたします」
 声と共に現れたのは、焦りの色を持った一人の女性。
 彼女は、魔法で作られた洞窟が、常に安定した状態で存在しているかを監視する役目を持った教師の一人だった。
 何事かと思う校長の視線を受けながら、女性は校長室の扉を後ろ手に閉め、
「問題が発生しました。何者かが、洞窟内に侵入した模様です」
「侵入者だと?」
「はい。先程、その形跡を発見しました」
「そうか……」
 女性教諭の言葉に頷き、校長が部屋に置かれた時計へと視線を向ければ、その針は九時半を指している。
 試験開始からもう五十分近く。もし何か問題が起こっていたとしても、洞窟の中から外へと連絡する手段は無い。
「よし、何名かの教員を調査に回してくれ。同時に生徒の避難を。問題が発生した以上、今回の試験は中止とする」
「解りました」
 答え、部屋を出て行こうとする女性教諭に、しかし校長は声を掛けた。
「その形跡を見付けたのは、いつ頃だ?」
「五分程前です。体育をしていた一年生の一人が、校庭の隅に残る魔力の残滓を感じ取りまして。恐らく、試験開始前後にはもう洞窟の中に侵入を果たしていたものと考えられます」
「そう、か」
 門を開くには膨大な魔力が必要になり、結果、その場所にはその魔力の残滓が残る。
 校庭の隅で、という事は、侵入した形跡を発見されないようにと考えての事なのだろう。
「解った。では、すぐに教員達に連絡を」
「はい」
 強く頷き、部屋を後にした女性教諭の姿を見送り、校長は考える。
 門の事を知り、更にそれを開いて侵入した者とは、一体どんな人物なのか。
「……危険人物ではなければ良いが……」
 呟き、そしてその腰を上げると、校長は教師達に指示を出す為に体育館へと向かう事にした。
 洞窟内に居る者達が、全員無事である事を願いながら。




「立ち話もなんだから」
 という事で、私が調べていた水飲み場まで移動すると、私達はそこで詳しい事情を説明する事となった。
 一人で調べた時には手を出さなかったけれど、この水は飲めるものらしく、紅露先輩が美味しそうに飲んでいた。
 このような水飲み場は洞窟の中に数箇所あり、どれも休憩所として設置されているものなのだという。その事を説明をしたあと、しーちゃん先輩は私達を交互に見てから、
「まずは自己紹介をしておきましょうか。その方がお互い会話しやすいですからね。私は山神・白(やまがみ・しろ)と申します。そして彼女が……」
「七風・紅露(ななかぜ・くろ)だよー」
 ぺこり、と頭を下げる紅露先輩に、私は思わず頭を下げ返し、
「っと、私は朱依・空と言います」
「藍貴 夜城です」
「空に、藍貴くんね」
 その名前を覚えるように何度か頷いた後、白先輩は上目使いにこちらを見つつ、少しだけ首を傾げ、
「……もしかして貴女達、恋人同士?」
「「ち、違いますっ!」」
 予想もしていなかった事を聞いて来た。……うわ、しかもハモった……。
 でも、空気が気まずくなる前に私は反論に出た。
「藍貴とは、その……協力関係です!」
「いきなりなにを言い出すんですか!」
 二人交互に叫ぶ。
 何をこんなに必死に否定しているのだろうか、と思いながらも、言葉は止まらない。
 対する白先輩は楽しげに微笑み、
「そんなに叫ばなくても良いわ。ただの冗談なのに、過剰反応し過ぎよ?」
「「ぅ……」」
 言葉に詰まる私達に、「ねぇ?」と白先輩は紅露先輩と頷き合い、
「でも、驚いたわ……。いくらなんでも、A科とB科の子が手を組んでるとは思わなかったもの。この試験でそういう二人が居たって話は、今までに聞いた事が無かったから」
「そうなんですか?」
 それは初耳だった。ずっと昔から、方法も内容も変わらずに行われている試験なのだ。他にも居るものだと無意識に思っていた。
 けれど、現実は違うものらしく、
「ええ、そうよ。それほどまでに、二つの学科の溝は深いから」
 さも当然のように白先輩は言う。
 でもそれは、とても残念な事のように私は感じた。現に、こうして夜城と仲良くなれたし。
 そんな事を思いながら、私は白先輩の声を聞いてく。
「それで貴方達、どうして協力関係になったの?」
「えっとですね……」
 思っていた事を隅に追い遣りつつ、私は説明を始める。
 夜城が黒い外套を身に纏った仮面の人物と戦っていた事。私がそれを助け、協力関係を結んだ事。
 その一つ一つを説明し、
「とまぁ、こんな感じなんですけど」
 その説明に、白先輩は驚きの色を浮かべて頷き、
「となると……それは貴女達にとっては長所になるわね」
「どういう事ですか?」
「貴女達が協力しているという事を、他の先生達や我々卒業生は知らないわ。つまり、高確率で奇襲を仕掛けられる、という事ね」
 ね、と紅露先輩と頷き合い、白先輩は話を続ける。
「私達のように、自分の卒業した科の子を贔屓にする卒業生は結構多いから……そこを狙えば、殆ど無傷で湖に到達出来るかもしれないわ」
 それに、と白先輩は言い、
「この広場に私達が来た時、空が藍貴くんに立ち向かって行っているように見えたのよ。実際には、合流しようとしていたみたいだけどね」
 なるほど。確かに、二つの科の不仲を皆が知っているからこそ、私が夜城に走り寄った姿は、いざ私が夜城へと向かって攻撃を仕掛けようとしているようにも見える。
 つまり、私がこの洞窟に入る前に考えていた目論見通り、上手くすれば漁夫の利を狙う事が出来るという事だ。
 でも……さっきみたいに、例え演技でも裏切られるのは嫌だった。そんな風に思い、気持ちが沈むのを感じながら、
「ねぇ、藍貴はどう思う?」
 視線を向けた先には、白先輩へと警戒を見せる夜城の姿があった。
「どうしたの?」
 と、声をかけるよりも早く、白先輩の声が響く。
「どうかしましたか、藍貴くん? 私は、二人が協力しているというアドバンテージをフルに活用して欲しいだけなのですけど」
 夜城を見返す白先輩の目は少し冷たい。
 何故だろう、と思う私を置いてきぼりにして、二人の間に緊張が広がっていく。
 そして、夜城が白先輩へと視線を逸らさずに、
「いえ、先輩の提案は素晴らしいと思いますし、そういう方法を提示してもらったのも感謝します。ですが、その方法には欠点あります」
「それは、どんな?」
「先輩を疑う訳じゃないですが……いえ、Bの俺がこんな事を言うのは、逆に失礼ですね」言って、夜城は表情を更に厳しくし、「俺は、先輩を疑っています。この先、先輩達が他の教師達に俺達の事を喋ってしまえば、その瞬間から奇襲なんて出来なくなる。――違いますか?」
 冷たい緊張。
「それは――」
「それは大丈夫だよー」
 その問い掛けに白先輩が答えるのよりも早く、紅露先輩が答えを提示した。
「あたし達はもう帰るんだ。だからキミ達の事がみんなに知られる事は無いよ。ねぇ、しーちゃん?」
 ええ、と白先輩は頷き、
「紅露の言う通り、私達はもうこの洞窟から出ようと思っているんです。今回はスタートダッシュが激しかったので、もうある程度の戦闘は行いましたからね」
「そうだよー。あたし達、頑張ったんだから」
 微笑んで言う紅露先輩のお陰だろうか。広がっていた緊張が少しだけ霧散する。
 でも、夜城はまだ納得がいかないのか、
「……先輩達が外に出れば、それを補う為に人員の補給が行われる筈です。つまり、今の時点で洞窟の中に居る教師達が俺達の事を知らなくても、新しく洞窟の中に入ってくる教師達がその事を知っていたら意味が無いじゃないですか」
「その心配は無用です。何故なら、外からの人員の補充はありませんから」
「馬鹿を言わないでください。俺達を妨害する為に教師達が居るのに、その人数を減らしたのでは試験の意味が無い」
 しかし、夜城の言葉を受ける白先輩は微笑み、
「ですから、そんな心配をしなくても大丈夫です」
 断言し、
「この試験の目的は、三年間の成果を発揮しながら湖へと辿り着き、その水を汲み戻ってくる事。私達はただの妨害に過ぎず、もし誰とも出逢わずに戻って来たとしても、試験に合格になります。藍貴くんの心配は当然の事ですが……でも、私達がこの洞窟の中に何人居ようと、生徒が湖にまで辿り着けなければ意味が無い」
「だから、増員も無い、と?」
「そうです。A科の卒業生である私の言葉じゃ、信じて貰えないかもしれませんけどね」
「それは、その……」
 言い淀む夜城に、白先輩は微笑みを強くし、
「貴方みたいな人が、B科にも居るのね。……ともかく、無理矢理にでも試験に落とそうとする学校なんて無いわ。それは解って欲しいの」
 それに、と白先輩は付け加え、
「試験開始からもう結構時間が経っていますし、相対的に洞窟の中に居る生徒の数も減っていきますからね。下手に補充をすると、生徒と私達のバランスが崩れてしまうの」
「そう、でしたか」
 白先輩の説明に夜城は頷き、そしてその表情を改め、
「……疑ってすみませんでした。俺は先輩の話を信じようと思います」
 言って、彼は頭を下げた。
 律儀なんだな、と思う私の正面、B科の夜城がA科の先輩に頭を下げる事に驚いたのか、白先輩は目を見開いて少し固まったあと、
「いいえ、頭を下げるような事じゃないわ。解ってくれたならそれでいいの」
 そう、柔らかく微笑んだ。
 そうして、妙な緊張感も完全に霧散し、私は一人安堵する。同時に、夜城がA科の事を他のB科の生徒と同じように信用している訳ではないと知り、少し悲しくなる。
『彼も』では無く、『彼が』という事実が、心の奥に居座るイメージ。
 別に気にする事では無いのだけれど、どうしても気になった。
 と、不意に白先輩が胸の前で小さく手を叩き、良い事を思い付いた、という顔で、
「私達の疑いが晴れた記念に、二人に良い事を教えてあげましょう」
「良い事、ですか?」
 白先輩の言葉に、夜城が聞き返す。彼女は楽しそうに微笑み、
「この洞窟の深さと、湖までの大まかな場所を教えてあげます」
「い、良いんですか?」
 夜城が驚きの声を上げる。釣られるように、私も下がっていた視線を白先輩へと向け、
「ぜひ、教えてください!」
 心の奥にあるものを無視するように言う。
 聞けるなら聞こうと思っていた事なのだ。白先輩の方から教えてくれるというのなら、変に悩んでも居られない。
 でも、
「しーちゃん良いのー? 先生にバレたら怒られちゃうよー?」
 と、紅露先輩からの静止の声が掛かった。しかし、白先輩は動じる事無く、
「平気よ。だって、空達が喋らなければ良いんですもの」
 そう、私達を見て微笑んだ。
「なら良いけどねー」
 紅露先輩はそれで納得の様子。
 その様子に微笑みを強め、白先輩は言う。
「――という事で、今から教える事は私達だけの秘密。良い?」
「「はい」」
 夜城と二人で返事を返す。白先輩はそれに満足そうに頷き、
「まず――」



 その後、夜城が紅露先輩の魔法で服を乾かして貰ったり、お互いの事を話したり、湖の先にある指輪の事を話したり、更には、
「「絶対に指輪を持ち帰ります!」」
 と、夜城と二人で約束をしたりしながら雑談をし、
「それじゃあ、私達はそろそろ行きますね」
 私達は先輩達と別れる事となった。
 立ち上がった二人の先輩と同じように立ち上がりながら、私は夜城と共に頭を下げる。
「「色々とありがとうございました」」
「いえいえ。私達も貴女達に逢えて良かったわ」
「うん!」
 そして先輩達は、私達が来た道へと体を向け、
「では、また機会があったらお逢いしましょう。当然、藍貴くんも一緒にね」
「ばいばーい」
 微笑みと共に、寄り添うように並んで歩いて行った。
 白先輩達の話では、私が洞窟に入った時にあった袋小路は、数多在る洞窟の出口の一つだったらしい。
 湖の水を持つ者か、教師達や先輩達がそこに立てば自然に出口が開く仕組みになっているのだという。更に、もし湖の水を持っていない場合でも、壁自体に物理的な攻撃をするか、或いは魔法での攻撃をある程度行えば開く仕組みになっていたのだそうだ。
 本来なら、湖の水を汲み終わったあとか、リタイアを宣言した生徒に教えられる事らしいのだけれど、
「秘密よ?」
 と、人差し指を口元に立てて白先輩が教えてくれたのだった。あとはもう、湖へと向かって突き進むのみだ。
 私は先輩達が来た道へとその体を向け、
「この先も頑張ろうね。先輩達の期待を裏切らないように」
「ああ」
 力強く頷く夜城に頷き返し、
「それじゃ、行こっか」
 薄暗く延びる通路、そしてその先にある階段へと向けて、私達は歩き出した。




 出口までもうそろそろだろうか。
 薄暗い通路を歩きながら、私はそんな事を思う。
 数歩前には紅露の姿。鼻歌を歌いながら歩く彼女を微笑んで眺める。その姿は嬉しそうで、見ているこっちも幸せな気分になってくる。そんな紅露の少し後ろを歩きながら、私は先程別れた後輩達の事を思い出していた。 
 不思議な二人組みだった。
 金銭での繋がりでもない。実験を目的としたものでもない。肉欲の対象でも無い。自分自身の為でも無い。ただ、相手の為に相手を護る。そんな理由で、A科とB科の生徒が在学中に協力関係になる事など有り得ないと思っていた。 
 そう、彼女達はお互いをパートナーとして見ていたのだ。
 私には考えられないその事も、あの二人なら可能なのだろう。お互いを敵視する事を考えない、あの二人なら。
 紅露の後ろを歩きつつ、そんな事を思う。
 と、前を歩いていた彼女から声を掛けられた。
「どーしたの? 考え事ー?」
 見ると、少し紅露と距離が離れていた。あの二人の事を考えていたら、歩くペースが遅くなっていたらしい。
「うん。さっきの二人の事を考えてたの」
 そう言って、止まって待ってくれている紅露の元へ歩み寄る。
「素敵な二人だったよねー」
「ええ、本当に。だから……そうね、今度逢う時は、もっとしっかり藍貴くんと話がしてみたいわ。彼みたいな子が居たって解っただけでも、今回の試験に参加した意味があったと思うから」
「ガッコの歴史、変わるかなー?」
「そこまでは解らないわ。でも、あの二人は何かの切っ掛けにはなると思う」
「そうだねー」
 と、そう言ったところで、紅露が私の後ろへと視線をずらし、
「って、しーちゃんの後ろに誰か――」
 瞬間。
 紅露の言葉を遮るように、存在せぬ風の音が聞こえた。
「ぁ」
 ここは魔力で作られた洞窟の中。だから風が吹く事は無い。
 そうだよね、紅露?
 そう、彼女に問い掛ければ、
『そうだよー。ヘンだねぇー』
 いつもの調子で、彼女は答えてくれるのだ。
 だから、
「――――」
 だから、彼女の首から赤い水が吹き出ているのは間違いで――
 だから、今のは風ではなく人が通り過ぎたものだなんて事は間違いで――
 だから、その人のナイフが紅露の首を撫でたのも間違いで――
「ぁ」
 きらきらきらきら。
 まるで一瞬の水芸のように。
 赤い水が流れてく。 
 きらきらきらきら。
 赤い紅い朱い血が。
 きらきらきらきら。
 命の赤が流れてく。
 あかいアカイあかい血が。
 血が。
 血が。血が! 血が!!
「――、――?」
 紅露が倒れる。
 そんな彼女を、私は咄嗟に支えようとして――向かい風が、
「え?」
 次の瞬間、私は軽く背中を押されていた。
 何、と何気なく視線を落とせば、お腹から赤い血に塗れた剣が顔を覗かせ、て、
「う、そ」
 声を漏らすと同時、剣が捻られ、強い力で引き抜かれた。
 直後、風穴の開いた体から、蛇口の壊れた水道のように、
「あ、ぁ……」
 紅露と同じ赤い血が、流れ出していく。
「い、たい……痛いよ、紅露……」
 抵抗など出来ない。
 だから最後は、彼女の顔を見て逝こう。
 私はそのまま紅露を抱きしめるようにして倒れると、噴出す彼女の血を抑えるように、首筋に強く手を当てた。
 そして、朧になっていく視界の中、
「おや、すみ……」
 驚きのままで固まってしまっている紅露の瞳を閉じてあげる。
 そして、最後の瞬間、
「貴方、なにもの……?」
 私は、黒い外套を纏い、表情を持たぬ仮面を付けた人物に問い掛けていた。
 そして、返って来た答えは、
「さぁな。俺にも解らん」


 そうして、彼女達は死んだ。




「ん?」 
 一瞬、胸騒ぎがした。
 その不安を打ち消すように、私は隣を歩く夜城へと問い掛けた。
「また、先輩達と逢えるかな?」
「逢えるさ。試験が終われば、先輩達も体育館に集まるだろうし……その時に、今度は俺達から見つければ良い。周りからは驚かれるだろうが、それもまた一興って奴だろ」
 そう告げる夜城はとても楽しげだ。A科にも話の解る人が居ると解って、嬉しくて堪らないという感じをしていた。
 だから私は、胸の中の不安を払拭するように、
「そう、だよね。また逢えるよね」
 先輩達が去って行った方へと視線を向けながら、そう呟いた。




 結局のところ、空と夜城は何も知らなかった。この洞窟がどういう状況にあるのかを。そして、空達がどういう状況に居るのかも。
 まず、洞窟内部には避難命令が出され、今回の試験は中止になるという旨が伝えられていた。
 敵の側である教師達と卒業生達は、各自区域に分けられた持ち場が決められていた為、その連絡は比較的スムーズに行われた。
 だが、生徒達はそうはいかない。広い洞窟内に散らばって居る為、探し出すのに時間が掛かるからだ。
 その為、緊急という事で各教師達と卒業生達は持ち場を離れ、発見した生徒から順に洞窟の外へと避難させていっていた。
 けれど、物事には何かしらのミスや例外が生じるもの。この避難命令にも、それが発生してしまった。
 まず例外となったのは、空達が洞窟の最果てに送られた事だ。更にその区域には比較的教師達や卒業生達の配置が少なかった。
 そして、ここでミスが生じる。ある程度の戦闘を終えた白と紅露が、避難命令の出る前に出口に向かってしまったのだ。
 更に、そこでもう一つのミスが起こる。白達に避難命令の事を伝えに来た教師は、彼女達がもう避難命令の事を知り、生徒達に伝えに行ったものだと勘違いをしてしまった。
 その結果、空達は白達と戦う事になったのである。
 
 そして今、生徒達の捜索は一階から二階へと移っていた。
 空達は何も知る事無く、階段を探して一階に居る。




 先輩達と別れてから、三十分以上。
「こんなに歩いてるのに、階段が見付からないのはどういう事なの……」
 一向に現れようとしない階段を恨めしく思いながら、私は足の疲れを誤魔化すように呟いていた。
 この三十分の間、分かれ道で迷ったり、落とし穴という古典的過ぎる罠が張ってあるのに気付いたり、それをジャンプして回避したら、その先にあった落とし穴に落ちてキレてみたりと……色々あった。
「でも、未だ先生や先輩との遭遇は無し……」
 そう、白先輩と紅露先輩以外、誰とも遭遇してないのだ。これはもう異常な気がするのだけれど、
「良いんじゃないか? 戦わなくて済むならそれにこした事はないからな。それに、白先輩が言ってたように、何割かの教師達はもう洞窟の外に出てるのかもしれない。なら、ラッキーって事で」
 なんて、夜城は楽天的な事を言う。
 確かにこの状況はラッキーなのだけれど、逆に不安も感じてしまうのだ、私は。
 そうして歩く事、更に十分ほど。
 何十回目かの曲がり角を越えた先で、私達はようやく階段を見付けたのだった。
 壁をくり貫くように造られたその階段は、深い闇を孕みながらその大きな口を空けていた。その先に光は無く、まるで奈落に繋がる落とし穴のようにも見える。
「やっと見付かったな」
「うん……」
 階段の闇を睨みながら、先輩に聞いた話を思い出す。
 白先輩が言うには、
『まず、この洞窟は二階までしかないの。深さがない分、広さでそれを補っていると考えて良いでしょう。そして、設置されている階段は計十個。そのどれを使っても、湖までの道のりは変わらないようになっているの。肝心となる湖の場所は、この洞窟の中心にあります。二階は一階に比べて道が複雑はなないから、そうそう迷わないと思うわ。だけど、その分一階以上に先生や卒業生が沢山配置されているから、気を抜かないようにね』
 との事。
 その十個の内の一つを、私達はついに見付けたのだった。
「――行くか」
「う、うん」
 会話が続かない。私も夜城も、先の見えない闇に畏怖を抱いていた。人間、暗い闇と訳の解らないものには恐怖を感じてしまうのだ。
 でも、ここで立ち止まっている訳にもいかない。前に進もうとしない足を無理矢理動かして、私達は階段を降り始めた。
 一歩一歩、深い闇の中へと下りて行く。
 そうして、二十段ぐらい降りた時、とても薄い膜を被ったような感覚に襲われた。でも、それは一瞬の事。次の瞬間には、その膜を破るような感覚があった。
 それはシャボン玉の中から外に出たようなイメージ。触れただけで割れてしまう。
 今のは何だったんだろう。そう思った瞬間、暗闇に支配されていた視界が急に開けた。目の前にあった闇が消え、見覚えのあるランプの明かりがそこにはあった。
 もしかして、結界が張ってあった? そう判断すると同時に、私達は一瞬にしてむせ返るような血の匂いに包まれた。
「な、何?!」
 訳が解らない。シャボン玉のような結界を越えただけとはいえ、その空気が違い過ぎる。
「ねぇ、これってどういう事?!」
 気持ち悪さを抑えつつ、私は夜城に縋り付きながら問い掛ける。見れば、彼も私と同じように顔を歪ませていた。
「俺にも解んねぇよ……! でも、この先に何かがある事は確かだろうな……」
 そう言って、階段の下を睨み付ける。
 長い長い階段の下。

 赤い色を、見た気がした。


□   

 空達は知らなかった。
 それが、侵入者を二階へと降りさせないようにする為の結界だった事を。
 しかし、それは空達が階段に辿り着く前に、その侵入者の手によって壊されていた。

 ――そして空達は、侵入者と同じルートで湖へと向かっていた。





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