夢を見ている。
「――さぁ、『物語』を始めよう」
 作り物のような笑顔を顔に浮かべた男が言った。
 私は今よりも髪が長くて、その隣には寄り添うように背の高い青年が立っている。そんな私達の周囲には沢山の人が居た。
 平凡そうながらも強い意思のある目をした青年に、彼に付き添う金髪の美しい女性。彼女の隣には古めかしいデザインの鎧があり、その足元には小柄な少女が立っていた。その隣には栗毛の女性が楽しげな表情を浮かべていて、彼女の背後には頼もしそうな表情をしている巨大なドラゴンが一匹。その背中に寄りかかるようにしている幼い少女はどこか嬉しげで。その背後に立つ剣士と老人は仕方なさげな、でも喜ばしいのだろう表情をしていた。
 彼等から一歩離れた場所には漆黒のドレスに身を包んだメイドさんと、彼女を護るように立つ剣士が一人。そしてその隣に、周囲とは明らかに違う結束した雰囲気を持つ四人の男女。その他にも沢山の人が居た。
 視線を隣に移すと、こちらを見ている少女――いや、少年と目が合った。彼は『仕方ないね』と言わんばかりに苦笑して、視線を後ろに。その背後にも沢山の人が居た。一般人と思われる男女から、腕に羽を持つ亜人まで様々で、けれど彼等には家族のような空気を感じた。
 さて。
 そんな彼らを率いるように立つ私達は、一体何者なんだろう。
 そう思う私をおいて、夢の中の私は――彼女は言う。 
「馬鹿ね。もうとっくに始まってるじゃない」
 見上げた空には、天使が二人。
 馬鹿馬鹿しい、と彼女は人生を笑う。
 そうして視線を下げると、いつの間にか、笑顔を浮かべる男の隣に眼鏡をかけたとても美しい女性が立っていた。
 夢だからだろうか。突然現れたその女性は男に一発ビンタを喰らわすと、そのまま彼を引っ張って行ってしまった。
 私達はみんな呆然として、でもそれがこの『物語』の結末だと知ったのだ。
 だから彼女は――長い黒髪の、うさぎの耳飾りを付けた『私』は言う。

「さぁ、『物語』を始めましょうか。誰にも邪魔されない、私達だけの『物語』を」

 夢を見ている。
 何故それが解るのか?
 だってそれは、とても素敵な世界の、とても素敵な『物語』だったからだ。




 南に大きく採られた窓から朝日が差し込んでくる。冷たく冷えた部屋が、その柔らかな光に支配されていく。
「……ん」
 降り注ぐ朝日を腕で防ぎながら、私は目を覚ました。何か夢を見ていた気がするけれど、良く思い出せない。それよりも眠い、眠過ぎる。
 昨日は緊張ですんなりと寝付く事が出来なかったからだろうか。大事な日だというのに、いつもより眠気が強かった。
「うー……」
 カーテン越しに見える空は快晴。今日も一日良い日になりそう。でも、眠い。
 あくびをしながら、私は壁に掛けられた振り子時計を見る。長針と短針が下を向き、ほぼ同じ位置に居た。
「……起きなきゃ」
 始業時間は朝八時。十分間に合う時間帯ではあるけれど、今日は少し状況が違っていた。
 何故ならそう、今日は学期毎の成績が決まる運命の分かれ道、試験(テスト)の当日だからだ。
 がばりと、寒さと眠気に負けそうになりながら勢い良くベッドから起きる。このまま眠ってしまえと手招きするベッドからの誘惑を振り切り、今にも閉じそうになる目蓋を擦りながら部屋を出た。
 ひんやりと冷たい床を爪先立ちで歩きながら、洗面所へ。
 蛇口を捻り、冬の大気に冷やされた冷水に思い切って手を突っ込む。そのままの勢いで顔を洗い、乱れた髪を整えていく。
 刺すような水の冷たさは一気に意識を覚醒させてくれる。ここに来てやっと、寝ぼけた私の頭は完璧に眼を覚ましたのだった。
「おはよう、私」
 鏡の前に立つのは小柄でちんちくりんな女の子だ。眼力があるといえば聞こえの良い、少し目尻の上がった瞳。唯一まともな小鼻と、薄い唇。どうしても毛先がハネしまう黒髪は、今日もやっぱり首元でハネていた。取り敢えず櫛を入れながら、いっそ長くするのもアリかとも思う。まぁ、手入れするのが大変そうだから、いまいち乗り気にならないんだけど。
 そうして私は一旦部屋に戻り、着替えてから台所へ。今度は朝食を作る準備を始めた。
 でも、妙な緊張感が体を支配して離さない。
「なんでこう、そわそわするかなぁ……」
 どんなに回数を重ねても、試験の当日と言うのは気分が良くないのが相場だ。とりわけ、それが卒業試験だったりした日には、いつもより緊張するってもの。だから、心も体も落ち着くために、早起きをしたのに……
「ああ、もう……!」
 ぐるぐると不安が頭を回って行く。
 そんな思いを振り切るようにブンブンと頭を振ると、朝食作りに意識を飛ばす。心の片隅に渦巻くものを無視するように、私は調理に集中する事にした。
 それでも、時間の経過と共に不安は積もっていく。あんまり食欲が湧かない中で朝食を片付け、身嗜みを整え、戸締りをし、学校へと向かう。
 春が近付いて来ているとはいえ、朝の空気は結構冷たい。
 でも、そんな冷たい空気が、沈んでいた気持ちを少しだけ引き締めてくれた。



 青く澄んだ空の下、学校へと進む。
 私の住む街は、田んぼの『田』の字のような形をしている。大きな外壁に囲まれ、その一辺から一辺に掛けて大通りが広がっているのだ。
 その外壁の一つ一つ、東西南北全てに門があり、その全てが街の大通りに面している。そしてその大通りを境に、北側と南側の地区に分けられている。
 まず、北側には住宅が多い。
 私の住む地方には階級制度は無く、昔からある家や貴族の豪邸、最近作られた家などが混在している。混沌としたその景観が私は結構好きだ。
 逆に、南側には商店が多い。
 食品や酒屋。旅人向けの宿屋など様々なお店がある。そして街の中心、丁度大通りが交わったところに私の通う学校はあった。
 三つの校舎からなり、一つは通常授業用、一つは特別授業用、一つは図書室や職員室などに使われている。
 三年制で、学科はA・Bの二つ。
 私が通うA科は魔法使いや聖職者など、己の魔力を試行する者が。対するB科は剣士や騎士など、己の肉体を使う者がそれぞれ勉強している。
 そしてA・B科には、三年間の締め括りに卒業試験がある。
 内容は、「校内にある魔法で造られた洞窟へと入り、その最深部にある湖から水を汲み戻ってくる』というもの。
 やる事自体はとても簡単なのだけど、肝心の洞窟がどの位の深さか私達生徒には解らないのだ。それに、先生や卒業生した先輩達がこちらの行き手を邪魔してくれるという最高に最悪なオマケ付き。
 手加減をしてくれるとしても、危険この上ない。
 魔法使いであり、戦闘を得意としない私の場合、どう追っ手から逃げられるかが勝負になると思えた。
 そんな風に今日の行動方針を考えながら、いつもなら友達と登校する道を一人きりで歩いていく。
 でも、初めて挑む洞窟への漠然とした不安が拭えないからだろうか。普段と変わらない朝の筈なのに、通いなれた学校への道も今朝は少し早く感じる。
 街の喧騒を遠くに聞きながら、私は教室へと辿り着く。
 みんなも緊張があるんだろう。いつもは五月蝿い教室も、今日は静かになっていた。


 
「さて、試験当日になった」
 担任の声が響く。試験前のホームルームが始まっていた。
 いつも通りに繰り広げられていく単調な行為。でも、緊張というスパイスは、何故普段と違う世界を見せるのだろうか。
 挨拶、出欠席、諸注意。
 カチカチと時間が進む度、緊張の糸は嫌でも引き絞られていく。
 まるで出口の無い迷路に嵌まったような感覚に包まれていた時、そんな状況を変えるような意外な一言が、担任の口から紡がれた。
「さて……知っての通り、今日の試験は湖の水を持って帰ってくる事が課題となってる。だがもし、その先があったらどうする?」
 クラスの全員に向けられた、突然で突拍子もない不可解な問い。
 私達生徒の中では、『試験は湖の水を汲んで帰ってくる』という事が常識となっている。突然そんなイレギュラーを提示されても、どう反応して良いものか解らなかった。……まぁ、ここで柔軟に反応出来ないのがA科の特徴なのかもしれないけど。
 それはともかく、一気に不安の色が濃くなる私達に、まるで取って置きを教える子供のような顔で担任は言う。
「聞いて驚け。実はな、湖には先がある。つまり、試験には続きがあるって事だ。その先にあるものを持って帰って来た奴は、無条件で王国付属の魔術師として働く事を許されるのだ! ……あ〜、確かBのヤツ等は王国騎士団だったな」
 王国付属の魔術師と言うのは、この街を含めた周辺の一帯では最上級のランクに入る職業の一つだった。彼等はこの地域一体を管理する王城へと勤め、王様の政に直接意見を述べる権利があったり、一個師団の指揮を執る事が出来るようになる。つまり、とっても凄い役職なのだ。
 そもそも王城で働くと言う事自体、様々な試験などをクリアしなくてはならない為、とても難しいものとなっている。その中で、さらに選別された者でしか選ばれる事がないという付属の魔術師に、それこそ学生の身分で選ばれるなんていうのは凄く名誉な上に、前代未聞な事なのだ。
 私たちの間から当然の如く波紋が広がり、『そういう重要な事は事前に言えよこの野郎っ!!』という空気になっていく。試験前の緊張感も伴って、結構マジだ。
 しかし、担任はそんな私達の反応を楽しむかのように一笑いすると、悪びれた様子も無く話を続ける。
「まぁまぁ、そう怒るなって。この話は今日にならないと発表出来ない規則なんだよ」
 それで少しは波紋も引いていく。まぁ、もっと謝罪の態度が欲しかったけど、規則ならばしょうがない。
 でも、不満げな空気は残る。
 対する担任はその空気を払拭する気など無いのか、
「ったくよー、お前等俺を虐めんなよな。そんな小憎たらしいお前達には、その洞窟の先にあるものを教えてやらん」
 そんな事を言ってのけた。
 瞬間、空気が止まる。いや、凍ったと言うべきか。
 引いていた波紋は波となり、波は津波となって、この愛すべき担任に襲い掛かろうとしていた。
「ちょ、ま、すまん! 俺が悪かった! だからお前ら、全員一斉に杖を構えるの止めてくれ! いくら俺でも死ぬ……!」
 私を含めたクラスの全員(ちなみに男女混合四十人)が、その言葉に臨戦態勢を解く。
 解ればよろしいと、殺意という名の波は引いていった。
「……全く、俺はお前等が恐ろしいわ……」そう担任は小さな声で言って、しかしすぐに元気を取り戻すと、「でだ! その先にあるものってのはな、指輪なんだ。そこに辿り着いた者なら誰でも手に入れられる、ただの指輪。しかーし、ただで辿り着けるほど甘くはないんだな、これが」
 どう言う事だよ? とクラスの男子が声を上げる。
 担任は『その言葉を待ってました』と言わんばかりに声を張り上げた。
「湖の先に向かうには、我が校を代表する先生達と戦っていかなければならないのだ! 当たり前だが、的確で強力な攻撃を行い、同時に完璧な防御の出来る先生達だ。手加減なんて無いだろう。正直俺だって戦うの躊躇うぐらいに強いぞ! ってか昨日模擬戦やって泣かされた! どうだ、驚いたか!」
 再び、空気が止まる。
 今度は怒りではなく、畏怖の感情。
 A・B科共々、高い能力を持つ教師は数多く居る。その中でも、過去に王城に勤めていたりだとか、ある特定の地方に存在する特殊な剣術を会得していたりとか、そもそものレベルの違う存在も混じっているのだ。当然、私達なんかをかるーく凌駕する技量と技術を持っている。そりゃ、普通の先生方も凄いけど、あの人達はもう次元が違っていた。
 私がマッチの灯火ならば、その教師達は山火事のようなものなのだ。滅茶苦茶にもほどがある。
「これはマジだかんなー」
 担任の声だけが木霊する。クラスは静まりかっていた。
 試験当日まで発表しないような事だ。簡単にはいかないとは思っていたけど、そこまでの難関が待ち構えているとは思わなかった。
 そんな中で、担任は能天気に言葉を紡ぐ。
「別に湖に行って帰ってくりゃあ卒業出来るんだ。無理は――いや、無謀な無茶はしないこった」
 誰も何も答えない。
 けれど、担任は笑いながら続けるのだ。
「でも、お前等は俺の期待に答えてくれるんだろう?」
 その顔は、かなり邪悪な笑みに満ちていた。
 待ち構える相手には、自分達では勝負にもならないだろう。でも私達は、そんな事で王国付属の魔術師への道を諦めたりしなかった。
 空気が変わっていく。
 そして、
『……臨むところだ』
 クラスの意思が一つに固まるまで、そう時間はかからなかった。




「洞窟は魔法で造られたものだから、入り口さえ開く事が出来れば、その入り口は校内のどこでも良い」
 二年生の頃、先生の一人がそんな事を教えてくれたのを思い出す。
 教室だろうとトイレだろうと校庭のど真ん中だろうと、『学校の敷地内』という限定下で造られた洞窟に入るのだから、入り口の場所はどこだろうと関係ないのだそうだ。
 でも、まさか体育館でやるとは思わなかった。
 そりゃ、大量に居る生徒を送り出すには、大きな空間に門を――洞窟へと続く入り口を作った方が効率が良い。でも、なんの変哲の無い体育館というのも、どうにも緊張感に欠ける気がした。
 そんな体育館には、A・B科全ての生徒が集まっていた。
 なんかもう、今にも喧嘩が始まりそうな超険悪ムードだ。
 基本的にA科とB科は仲が悪い。この街ではいつの時代も、この二つの学科はいがみ合って来たらしい。
 そもそもの理由は、自分が持ち得ないものを相手が持っているからだった。
 A科の生徒にすれば、B科のその純粋な力と行動力が。
 B科の生徒にすれば、A科のその特異な魔力と頭脳が。
 子供の時に適正別に分けられ、教育を受ける私達は、途中から進路を変更する事が出来ない。それは、成長したあとも同じ事。魔法使いは魔法使いとして死に、剣士は剣士として死んでいく。そこには例外など無い。
 それ故の憧れ。
 それ故の嫉妬なのだ。
 と、そんな空気をもろともせず、校長の話が始まろうとしていた。
 壇上に上がった初老の校長は、自身の杖を威厳と共に構え、堂々と私達の前に立った。
「さて、諸君等はもう知っていると思うが、洞窟内では職員を始めとした数多くの者達が待ち構えている。しかし、これは実戦ではない。彼等は諸君等を捕捉し次第、すぐさま襲い掛かっては来ないのだ。そう、不意打ちは無い」
 その一言に、生徒達の間から安堵の息が漏れた。しかし、校長はそんな私達に渇を入れるように話を続ける。
「だが、一度顔を合わせてしまえば、そこはもう戦場と同義だ。死なない程度に『指導』してもらえ。そして出来るのなら、彼等を打ち倒し先に進め。躊躇うな。戸惑うな。立ち止まるな。目の前に立ち塞がる敵を倒し、己を信じ突き進め」
 堂々とした声。
 集まった生徒全員に、その言葉は響いていく。
「では、門を開く。順番など関係無い。行って戻ってこい。それだけだ」
 そう言って杖を構え直すと、右手を掲げ、
「――――――――――――――――――――」
 私達の知らない言語で、厳かに呪文が紡がれる。
 そして、杖を中心に光が広がったと思うと、次の瞬間――幾つかの工程を飛ばし、まるで初めからそこに存在していたかのように、体育館のステージの上には複数の門が現れていた。
 掲げていた杖を下ろすと、校長は疲れた様子も無く、言葉を続ける。
「往け。己の力、その全てを試すが良い」

 試験が、始まった。



 始めはゆっくりと。そしてだんだんと確実に、静寂は熱を持って興奮となっていく。
 そして、誰かが動き出した瞬間、生徒達は我先にと走り出す。まるで何かのお祭りのように、体育館は一気に騒がしさと熱気に包まれた。
 だけど私は、その流れの中で敢えて止まっていた。
「おっ先ー!」「先に行くわよ?」
 クラスメイトや友達が、人の波を掻き分けて進んでいく。その何人かに声を掛けられても、
「私はゆっくりいくから」
 と答える。
 別に怖気づいた訳じゃない。そりゃ、未だに頭は不安でいっぱいだし、凄く緊張している。でも、止まっているのには理由があった。
 洞窟がどれだけ深いか解らない以上、有限である魔力を無駄には出来ない。そして、敵である先生達の数も解らない。なら、少しでも戦闘が行われ、疲弊してるであろう後半になってから洞窟に入った方が良いんじゃないか。そう考えたのだ。
 分の悪い賭けだけれど、上手く行けば漁夫の利を狙える。私には決定的な力や手段が無いから、こうして知恵を絞るしかないのだ。
 そうして、もう殆どの生徒が門へと消えた体育館の中で、私はB科の方へと視線を向けた。
 ただなんとなく、見てみただけ。
 でも、一人の生徒と目が合った。
 身長は私より高め。大体百八十センチメートルぐらいだろうか。
 茶色い髪は、耳に掛かる程度。
 気だるそうな瞳が、真っ直ぐにこっちを見ていた。
「――――――――――」
 声も無く、見つめ合う。
 別に、何がどうしたって訳じゃない。
 でも、私は確実に彼に――

 
□  

 そうして、もう殆どの生徒が門へと消えた体育館の中で、俺はA科の方へと視線を向けた。
 ただなんとなく、見てみただけ。
 でも、一人の生徒と目が合った。
 身長は俺より低め。大体百六十センチメートルぐらいだろうか。
 黒い髪は、肩に掛かる程度。
 鋭い瞳が、真っ直ぐにこっちを見ていた。
「――――――――――」
 声も無く、見つめ合う。
 別に、何がどうしたって訳じゃない。
 でも、俺は確実に彼女に――
 
 
□  

 そう、これが、この『物語』の始まり。
 

――――――――――――――――――――――――――――

赤い鎖

――――――――――――――――――――――――――――



「貴女達、どうしたの?」
 先生に声を掛けられて、現実に戻る。
 えっと、いや、なんで……今、見詰め合ったりしたんだろう?
 そう、ただ見詰め合っただけ。でも、なんか……
「試験、受けるんでしょ?」
 先生の声には少し苛立ちがある。気付けば、体育館に残っているのは私達だけになっていた。
「「あ、はい」」
 意識せず、ハモる。
 何でもない事の筈なのに、またも止まってしまう。なんか気まずいのはなんでだろう……
「では、早く行きなさい」
 苛立ちに棘が生えてきている声に急かされて、私は急いでステージに上がる。先程の彼も、同じようにステージに上って来ていた。
「……」
 会話は無い。
 そもそも、一瞬の視線の交差しか無かったのだ。話す事が浮かばない。
 でも、門を通った先は、どこへ出るのかアトランダムになっているらしいから、洞窟内で再び出逢う確率は低いだろう。そして、学科の違う私達が話をする機会は少ない。
 もしかしたら、これが最後のチャンスだったのかもしれないな……。そんな事を思いながら、私は彼と同時に門を潜った。
 そして感じるのは、不意に太陽を直視したような感覚。視界が奪われ、光で何も見えない。
 でも、それは一瞬で――その光を抜けた時、私は洞窟の中にいた。
「……こんなの、なんだ」
 思わず声が出る。洞窟内へと実際に足を踏み入れるまでは、その内部は岩肌や土が剥き出しとなった、まるで鉱石所のようなトンネルをイメージしていた。でも、予想に反して洞窟の中はアーチ場に石が積み上げてある、まるで神殿の一室のような装いだった。当然のように先は長く、白く濁る石の壁にはランプが等間隔に並び、淡い光を生み出していた。
 でも、それだけ。
 真っ直ぐに伸びた道の先は見渡せず、辺りには私一人しか居ない。コツコツと足音すらも反響する世界で、少し心細くなる。
 でも、立ち止まっている訳にもいかない。無事に卒業するためには、湖へと向かわなければいけないんだから。
 そう気持ちを奮い立たせ、私は行動を開始した。
 幸運な事に、私が出た場所は袋小路になっていた。つまり、進行方向は一つのみ。延々と伸びる道を見据えながら、一つ気合を入れる。
「よしっ」
 パチンと頬を叩くと、その先の闇を睨むようにして私は歩き出した。



 真っ直ぐに伸びる道を、しっかりと杖を握り締めながら歩く。幸か不幸か、まだ曲がり角にも先生達とも当たっていない。迷う事も疲弊する事も無く進んでいるのは良いのだけれど、いかんせんこれで良いのかとも思う。もしかしたら洞窟の構造は案外簡単なもので、急いで洞窟に入っても問題なかったのかもしれない。
 うう、失敗したのかなぁ……。そう思うと、足取りが段々と重くなってくる。
 と、そんな時だ。進路の先から、反響する剣戟の音が聞こえてきた。
「……誰か、戦ってるんだ」
 もし目の前で戦闘が行われていても、逃げる事が出来たなら私は逃げ出していただろう。正直言って、私は戦闘が苦手なのだ。でも、今まで歩いてきた道は迷う事も出来ない一本道。
 退くにも進むにも、その戦闘を見守るか、一緒に戦うかするしか方法が無かった。




 そこでは、一人の青年と、黒色の外套を纏った仮面の男が戦闘を繰り広げていた。
 青年が持つのは一振りの長剣。連続で迫る刃を紙一重で受け流しながら、相手の隙を狙い剣を振るう。
 対する仮面の男が持つのは一対の短剣。風を斬りながら振るわれるそれは精密に確実に、彼の急所を狙っていく。
 そうして剣と剣が打ち合い、不可思議なメロディが生まれていた。
 斬り上げる短刀を長剣が弾き、袈裟に落ちる長剣を短剣が受け止める。技量の方では仮面の男が上なのだろうが、それでも青年は必死に相手の剣を防いでいた。
 けれど、仮面の男は青年に対して手加減を加えるつもりは無いらしい。男は一度青年から大きく間合いを取ると、小さく何事かを呟き――
 ――男の体は、爆発的な加速を持って青年に肉薄していた。
 突如間合いを零にまで縮めた男の速度に、青年は声を出す事すら出来ず、それでも彼の中にある生存本能が剣を振るわせた。我武者羅なその動きは、しかし奇跡的にも男の短剣を受け止める事が出来ていた。
 しかし、その短剣は、まるで両刃の大剣を相手にしているかのように重さを増していたのだ。
「くぅ……!」
「――」
 思わず苦悶の声を上げる青年に対し、仮面の男は終始無言のまま。まるで相手の事になど興味がないかのよう。
 それでもその短剣の勢いは一時的なものなのか、鍔迫り合いの中、青年が少しずつ男を押し始めた。
 ――いや、違う。
 青年の剣を受け止めているのは、男の左手にある短剣のみ。残された右手は、今まさにその得物を青年へと投擲せんと、半身を引いた形で後ろに振りかぶられていた。
 そして次の瞬間、その右腕が振るわれ――




 危ない。そう思った時には、もう体が動いていた。
 私は自分でも驚くくらいの速さで魔法を完成させ、
「当たって――!」
 狙うは、仮面の男の右腕。生み出した火球は、狙い通りに当たってくれた。
「――ッ」
 それでも、振るわれた腕のベクトルは無くならない。腕が炎に包まれながらも、仮面の男は右手の短剣を投げてみせた。
 風を切り、迫る短剣を、
「っだぁ!!」
 すんでの所で身を捻り、彼はそれを回避した。そして、すぐさま崩れた体制を立て直すと、仮面の男に向かって斬りかかる。
 男はそれを左手に残った短剣で防ぐと、彼の長剣を押し弾き、距離を取り――そのまま闇へと消えていった。



「……はぁ」
 戦闘が終わったのだと解ったら、急に体から力が抜けた。
 さっきまでの戦闘は、私が見た事が無い激しさを持っていた。それでも、上手く魔法が当たってくれて良かった。もし失敗していたら、彼が大怪我をしていたかもしれなかったから。
 と、半ばぼーっとしていると、
「ありがとう」
「え?」
 不意に声をかけられた。
 顔を上げると、目の前には剣を仕舞った彼が立っていた。
「助けが無かったら確実にやられてた。だから、ありがとうって」
「えと、あ……うん」
 いきなりの事に言葉が浮かばない。『逃げられるなら逃げよう』と考えていたのもあって、感謝の言葉にどう反応して良いか解らない。
 それに、B科の人がこうもあっさりと感謝の言葉をくれるとは思わなかったのだ。『助けても感謝しないのがB』。これがA科の定説になっているからだ。
「べ、別に良いよ。私も、貴方が居なかったらやられてたし」
 そうだ。もし彼が倒されていたら、次のターゲットは私だっただろう。あの速さを持つ相手に私が対抗出来たとは思えない。
 だから、これは貸し借り無し。
 でも……もしこの先も彼と一緒だったなら、とは思ってしまう。彼みたいに強い人が居てくれれば、心強い事この上ない。だけど、A科とB科の関係を考えると、協力しようなんて提案しても、断られるに決まっている。私はそういった確執を気にしない方だけど、彼はA科の事を毛嫌いしてるかもしれないから。
 それでも、『ありがとう』って言ってくれた分、少しは望みはあるかもしれない。
「なぁ、突然だし、無理ならいいんだが……協力しないか?」
 でも、やっぱり無理かも。この前だって、学校の校舎を破壊せんと言わんばかりの大喧嘩があった。しかもその原因が、食堂の席の取合いなんていう馬鹿みたいな理由だ。彼がそうであるとは言わないけど、そんなB科の人と協力なんて――って、待て待て待て待て。
 彼は今、なんて言った?
「今なんて?」
 聞き間違いかも知れない意外な一言。
 それなのに、彼はさらっと、私の願っていた事を口にした。
「いや、協力しないか、と。俺は後方支援が居たほうが楽になるし、そっちも前戦に出てくれる奴が居れば、魔力の消費が少なくて済むだろ? どうせこの試験は順位とか関係無いしさ。良い考えだと思うんだが、どうだ?」
 驚いた……。まさか向こうから誘われるなんて思いもしなかった。
「あからさまに『驚きました』って顔すんなよ……。嫌なら嫌で良いんだけど」
「嫌なんて、そんな事ないない! ……でも、私なんかで良いの?」
 慌てて答えると、彼は頷き、
「ああ。Aの奴なのに助けてくれたし、それに、また逢ったのも何かの縁だろうしな」
 信じられない。でもそれ以上に、嬉しいと思った。
「私で良かったら協力するよ」
 微笑みながら答える。
 一人の筈の旅路は、これで二人となったのだった。





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