そんな事実。

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 どんな事があろうとも、必ず朝はやって来る。
 憎たらしいほど正確に、毎日必ず日は昇る。
 誰の元にも、平等に。




 ベッドに仰向けに横になりながら、俺は窓から入り込む朝日を睨み付けた。外の風が強いのか、小さく窓が音を上げた。
 結局、一晩考えても何も答えは見付からなかった。
 レアリィの事、先生の事、昨日の女性の事。何か繋がりがありそうなのに、その繋がりが何なのか全く解らない。
「なんなんだよ……」
 重い溜め息を吐きながら、俺は意味も無く目を閉じた。
 その数分後、場違いも甚だしい玄関チャイムの軽い音が部屋に響いた。気分が乗らないが、お客様が来たのだ。居留守を使うのは失礼、だなんて考えてしまう頭を振りながら、俺はのっそりと玄関へ向かった。
「……はい?」
 寝不足の上、昨晩から思考が定まらず、色んな事が腹の中に渦巻いていた為か、自分でも解るほどに不機嫌な声が出ていた。相手に悪いな、と頭の片隅では思いながらも、不機嫌な声は止まらない。
「どちら様?」
「……」
 返事無し、か。
「……糞が」
 吐き捨てるように言い捨てながらドアの鍵を開ける。悪戯だとするなら、すぐに追い掛ければ追い付けるだろう。そう思いながら、俺は動き易いスニーカーを履き、勢い良くドアを開ける。すると、チャイムを鳴らした犯人はまだ玄関の前に居た。
 突然開いたドアに驚いた顔をしているその犯人は、
「れ、レアリィ?」
 思考の大半を支配する異国の少女だった。
「えっと、あー……どうしたの?」
 突然の事に怒りは何処かへ吹き飛び、同時に思考が止まってしまう。
 対する少女も、驚きからすぐに顔を伏せると何も言わずに俯いてしまった。
「えーっと……」
 昨日の別れ方は気まずいものだった。だからこそ、何を言って良いやら、聞いて良いやら。彼女に対する憤りは無いのだから普通に接すれば良いのだろうけれど、どうしてもそれが上手くいかない。
 とはいえ、レアリィに質問したい事は多い。でも、俯いてしまった彼女にあれこれ聞けるような無神経さは持ち合わせていなかった。
 叱られた子供のようなその姿に、思わず頭を撫でてあげたくなるが……今は我慢。取り敢えず、
「外じゃ寒いし、部屋に上がって。昨日の事とか、無理して聞こうとは思ってないからさ」
 ドアを大きく開きながら言う。暫くしたあと、小さく頷くと、レアリィは部屋へと入って来た。
 靴を脱ぎ、レアリィを背に部屋へと戻りながらリビングへ。机の上に置きっぱなしだった雑誌を片付け、俺はレアリィへと向き合った。
「適当に座ってて。今何か飲み物持ってくるから」
「……はい」
 小さく答える彼女を残し、キッチンへと向かう。珈琲を入れようと思い付き、封が開いていたインスタントでは無く、買い置きの豆を開ける事にした。
 コーヒーメーカーのコンセントを刺し、豆と水を入れ、スイッチを入れる。回転する刃に豆が砕かれる音を聞きながら、レアリィの方に視線を送る。見れば、彼女は玄関に居た時と同じように突っ立ったままだった。
 と、刃が回転を止める。お湯が段々と豆を通り、ゆっくりと溜まっていくのを眺めながら、カップや砂糖を用意する。
 更に、買い置きのチョコを皿に幾つか並べ、クッキーなんかも置いていく。紅茶の付け合せっぽいけれど、別に良いだろう。そんな事を考えつつ、先にレアリィの元へと付け合せの皿を持っていくと、俺は机の上に皿を置きながら、
「ほら、立ってないで座って」
 小さく頷いて、彼女がストンと落ちるように椅子へ座った。その無造作な動きに、彼女の持っていた手荷物が床へと落ちて硬い音を立てる。一瞬見えた顔は、何かを思い詰めているような表情をしていた。
 その事に――レアリィをそんな表情にさせる事に少し怒りを感じながら、キッチンへと戻る。
 淹れ終わった珈琲をカップへと注ぎ、ソーサーとスプーン、角砂糖が入ったカップを盆に載せリビングへ。未だ俯きがちなレアリィの前へカップを置くと、自分の分のカップを手に取った。そのまま対面するように机を挟んで腰掛ける。
 先に口をつけるのもアレかな……とも思いつつ、いつものようにブラックで一口。仄かな苦味が口に広がる。そのままゆっくりとコーヒーを飲みながら、レアリィが話し始めるのを待った。
 BGMは、微かに聞こえる風の音と時計の音。
 止まらない音だけが、部屋へと満ちていく。



 レアリィがその口を開いたのは、珈琲がすっかり冷えてしまった頃の事だった。
 俯いたまま、小さく言葉を紡いでいく。
「……お話しなきゃいけない事が、あるんです」
「……うん」
「沢山、あるんです……」
 彼女が辛そうに顔を上げた。その表情に胸が痛むのを感じながら、俺はその言葉に耳を傾ける。
「驚かないで聞いてください。まず……昨日、私の部屋に女の人が居ましたよね。あの人は、ついこの間まで私達の学校で美術教師をしていた人です。前に図書室で私に聞きましたよね。採点作業をした時に、一緒に居たのは女の先生だったか、って。ごめんなさい、あの時は嘘を吐いていました。実際にはその通りなんです。今学校で美術教師をしている橋本先生は、本当の美術の先生です。でも、あの女の人はある方法を使って、自分が美術教師だと学校に居る人々全てに思い込ませていたんです」
 先生とあの女性が同一人物である。その事実に俺は衝撃を受ける。
 けれど、辛そうなレアリィにそんな表情を見せる訳にはいかず、顔に動揺が出ないようにしながら、俺は心に浮かんだ疑問を問い掛けた。
「レアリィの部屋にあの女の人が居たって事は、二人は知り合いなのか?」
「はい、そうです」
「なら、レアリィが嘘を吐いたのにも何か理由があるんだろうし、追求しないよ。それに、こうやってちゃんと話をしてくれたしさ」
「ありがとうございます……」
 その言葉に安心したのか、レアリィがほっと胸を撫で下ろす。
 だがしかし、気になる事はまだあった。
「でもさ、俺には先生とあの女の人が同一人物だっていうのが信じられない。頭の中で結びつかないんだよ。それと、先生が使ったある方法ってのはどんなものなんだ?」
 レアリィの話を疑う訳ではないけれど、信じようにも信じられない話ばかりだ。レアリィには悪いが、ちゃんと答えて貰うまでは一応の納得も出来ない。
「……その方法を、今から説明しようと思います。あの、その前に一つ質問を」
 言って、レアリィが俺の目をしっかりと捉える。その蒼い瞳には、強い意志があった。
「私がこの部屋に来るに当たって、何か疑問に思う事はありませんか?」
「疑問?」
 何かあっただろうか。同じマンションに住んでいるのはレアリィも知っているし、疑問になるようなものなんて……と、そう考えていって、ある事に気付いた。しかもそれは、解らなければここへと至れないもの。
「……そうだ。俺の部屋の場所、レアリィに教えた事無かったよな。でも、レアリィは今ここに居る。疑問ってのはその事?」
 流石に階数は教えてある。けれど、この部屋の玄関には、両親の意向で表札を付けていないのだ。管理人に聞こうにも、身内でもない限り防犯上の理由で教えてもらえない。ついでに言えば、クラスメイトの誰にも教えた記憶が無い。あの友人にもだ。
 では何故、彼女は俺の部屋が解ったのだろうか。
 レアリィは俺の言葉に頷くと、
「はい、その事です。私は、ある方法を使って部屋の場所を調べました。そしてその方法を使って、先程の話を信じてもらおうと思います」
 そう言うと、レアリィは持参した鞄から一本の棒を取り出した。
 大きさは五十センチ程。木材で作られた物のようで、各所に装飾が施されていた。
「それは……?」
「杖です。体を支える物ではなく、魔法用の。そして、今からその魔法を使います」
「ま、魔法?」
 一体何を言い出すのか。
 そう思う俺の前で、レアリィはゆっくりと目を閉じる。そして、聞いた事の無い異国の言葉を紡ぎ始めた。
「……存在無き風よ。存在出来ぬ風よ。その力を得、今ここに具現せよ」
 詩のようなレアリィの言葉が終わると同時、部屋の中に風が吹き込んできた。どこか窓が開いてたかもしれない――と、そんな風に思った瞬間、半分ほどに減った珈琲が渦巻き始めた。
 それに視線を向けると、そこへと向けて風が流れて行っているのが解った。
 そう、見えないが感じる。俺のコーヒーカップの上辺りに、風が渦巻き、停滞しているのが。
「マジックではありません。この世界には存在しない技術……魔法という技術です」
 と、レアリィが手元にある角砂糖を手に取った。
 それを、風へ乗せる。
「……マジかよ」
 コーヒーカップの上で、中に浮いた角砂糖がくるくると廻っていた。それはまるで、ミニチュアの竜巻が起こっているかのようだ。
 目の前の現実。
 正直、すんなりと受け入れるには異常過ぎた。




 魔法を披露し、この世界に存在しないものを理解してもらう。
 レアリィが散々悩んだ末に辿り着いたのは、百聞は一見に如かずを実行する事だった。その後、魔法というものを理解して貰った上で、彼に掛けられた魅了を解こうと考えたのだ。
 とはいえ、彼がはっきりと『自分は魔法に掛けられていた』という事実を理解していないと、完全に魅了を解けない可能性があった。もし理解が薄かった場合、混乱だけが深まってしまう事になる。それだけは絶対に避けたかった。
 頑張らないと。そう自分自身に言い聞かせ、レアリィは目の前に座る彼へと口を開く。
「信じられないかもしれないですけど、信じてください」
「いや、ごめん。いきなり過ぎてちょっと……いやマジで、なんだこれ?」
 目の前で舞う角砂糖を前に、彼は確実に混乱していた。そんな彼を落ち着かせるように、
「落ち着いてください。あとそれ、一旦消しますね」
「あ、ああ……」
「――散れ」
 瞬間、回転していた角砂糖は風から開放され、重力に逆らう事無く落ちた。……呆けたように座る彼のコーヒーカップへと。
「さっきの風を使って、この部屋を見付け出しました。……質問とか、ありますよね?」
「取り敢えず、今の、何?」
「魔法、という技術です」
 レアリィの言葉に、彼は困惑の表情を浮かべ、
「魔法って。ゲームやマンガじゃあるまいし、そんなもんが現実に……」
「現実、なんです」
 言って、レアリィは杖を机の上へと置いた。そして、混乱する彼の頬へと手を伸ばし、
「痛い、ですよね?」
 ほんの少し、抓った。
 そんなレアリィの行動は予測してなかったのか、頬を抓られたまま、彼が苦笑する。
「痛い」
 彼の返事と共に手を離す。
 すると、彼はおもむろに自分のカップを掴み、残っていた珈琲を一気に飲んだ。融け残っていたのだろう角砂糖を噛み砕く音が聞こえて、飲み込んだのと同時にカップがソーサーに戻される。そして、彼はしっかりとした目でレアリィを見つめてきた。
 少しどころじゃなく、どきりとする。
 それをどうにか押さえつけて、レアリィは彼の言葉を聞いていく。
「これが現実なんだとしたら、なんで魔法なんてものが存在するんだ? 今まで聞いた事も見た事も無かったんだが……」
「この世界ではない場所の技術だから、です」
 もし自分がこの世界の住人だったら信じられないな……そう思いながらも、レアリィは言葉を重ねる。
「考えた事はありませんか? もし、この世界とは違う世界が存在しているとしたら、って」
「そりゃ、ガキの頃に考えたりした事はあるけど……」
「私は、その違う世界からやって来た人間なんです」
「……何だって?」
 一瞬、空気が止まったような感覚がする。自分がおかしな事を言っていると――この世界の『常識』から外れた発言をしていると、そう自覚する。
 けれどレアリィは魔法世界の住人だから、その事実を彼に伝える為、真っ直ぐな言葉を紡いでいくしかなかった。
「変な事を言っているのは十分理解しています。でも、信じて欲しいんです。魔法や、そして他世界というものが存在する事を」




 信じろと言われてすぐに信じられる話ではなかった。けれど、今見た風といい、実際にこの眼で見たものは信じるしかない。
 それに目の前の少女が、こんな嘘を吐くような性格ではないと信じたがっている自分も居た。
 だから、俺は質問を続ける。
「つまり、先生もレアリィもその世界の住人だと?」
「はい」
「じゃあ、何の為にこの世界に? それと、俺や学校の奴らの記憶を弄ったのはどういう理由からなんだ?」
「それは……」
 一瞬レアリィが迷いを見せる。しかし、すぐに表情を改めると、
「あの女の人には……先生には、ある探しものがあるんです。そして、この広い世界での活動拠点として、あの学校周辺の地域を選びました。記憶を操作した事については、その方が行動し易いからだと聞いています」
「探しものっていうのは?」
「ある男女の生まれ変わり、です。つまり、転生した先の人物を探しているんです。本来人は生まれ変わってしまうと、生前の記憶が全て消えてしまうのですが、その人達は先生の魔法によって過去の記憶が残っているらしいんです。それを頼りに、先生は当ても無い人探しをしていて……私は、そんな先生の手伝いをする為にこの世界へとやってきたんです」
 一気に言うレアリィ。でも、転生とか、生まれ変わりとか、
「ごめん、何だか宗教みたいだな」
「……確かにそうですね」
 そう言って肩を落すレアリィに謝りつつ、この前にも同じような事があったと、そうおも……って?
「って、この前もそんなような話をどっかで聞いた気がするんだけど」
「私も、聞いた気がします」
 言って、レアリィが不思議そうな顔をする。そうだ、確か昨日、そんな話を聞いた気が……
「うーん……」
 首を捻るも、全く思い出せなかった。
「確かに聞いた気がしたんだけど……」
「そう、ですね……」
 なんとも言えない気持ち悪さを感じる。
 でも、それでは話が進まないので、俺は質問を続ける事にした。
「まぁ、思い出せない事は置いておいて……あの女の人が先生だった、ってのは一応納得する事にする。でも、気になる事があるんだ。何でクラスの奴らと同じように記憶を弄られていた筈の俺が、先生の記憶を失わなかったんだ?」
 質問に、レアリィが眉を寄せ困ったように言葉を返す。
「それが……何故だか解らないんです」
「解らないって、何で?」
「この世界には魔法が存在しません。ですので、人々は魔法というものを体で感じた事が無いですから、記憶操作などを行う魔法――通称『魅了』というのですが――に簡単に掛かってしまうんです。そして同時に、魅了の魔法は一度掛けられてしまうと、自分から解く事は殆ど出来ません」
 言って、レアリィは少し表情を曇らせ、
「学校で火事があったあの日、先生はとある事情により学校から姿を消す事を選びました。そして、自分が居なくなっても違和感が起きないようにする為に、魅了の魔法を保険として発動させていったんです。つまりあの日から、学校関係者全員に魅了が発動した事になります。にも関わらず記憶が残ってしまっているのは、本来ならあり得ない事なんです」
「つまり、そのあり得ない事が俺に起こってると」
「そうです。そして、その理由として考えられるのは――」




 告げる。自分が一番望んでいない可能性を。
「――貴方が、先生の探している探し人であるかもしれない、という可能性です」
 レアリィの言葉に、彼が固まった。
 宗教の勧誘のような話をしたあとで、貴方が当事者かもしれない、と告げられたのだ。もはやこれは完全に勧誘と言えるかもしれない。
 大きな壷を持ち、『更にこれを買えば運命の人と出逢えます!』などと言っている自分を想像し、レアリィは心の中で自虐的に笑う。それを表に出さないようにしつつ、更に説明を続けた。
「魅了という魔法は、その範囲が広がるにつれ効果が薄れてしまう性質を持っています。その上、この世界では大々的に魔法が使えないのもありまして、その威力はかなり弱いんです。ですが、この世界の人達は魔法に対する抵抗が全く無い為に、今もその魅了に掛かり続けています。そんな中で、完璧ではないにしろ魅了に掛からなかった貴方は、その記憶の中に魅了に対する知識が――私達の世界の知識がある可能性が高い。その事から、貴方が探し人かもしれない、という結論に至ったんです」
 喋りながら、レアリィは段々と俯きがちになっていく。ちらりと見た彼の顔は思案顔で……もう彼の顔を見て話す事が出来なくなっていた。
 しかし、返って来た質問は、レアリィの予想に反するものだった。
「その話は、嘘じゃないんだよな?」
「はい。嘘は吐いていません」
「なら、聞きたいんだけど……この世界で魔法を使えないのは、この世界の『常識』に縛られるからなのか?」
 何かを確認するような彼の声色に、レアリィは頷きながら答える。
「そうです。この世界には、『魔法という技術が存在しない』という常識が存在していますので。それでも、先程のように威力の弱い魔法なら扱う事が出来ます」
「解った。じゃあ次の質問。レアリィの世界に科学は存在するのか?」
「いえ、存在しません」
「なら、もしレアリィの世界へ携帯を持って行ったらどうなる?」
 少し身を乗り出すように彼が聞いてくる。何を確認しようとしているのか解らなったが、それでもレアリィは答えていく。
「使えなくなると思います。電池を充電しようにもコンセントがありませんし、そもそも電波が無いですから」
「解った……」
 そのまま黙り込むと、彼は目を瞑り何かを考えだした。
 訪れる沈黙が、重い。
 レアリィは俯きながら、彼が言葉を発するのを待った。
 そして、
「あのさ、もう一回さっきの魔法、見せてもらえる?」
「あ、はい」
 言われ、慌てて杖を手に取る。そして、先程と同じ順序で呪文を紡いでいき、
「――今ここに具現せよ」
 そして、風が生まれる。
 この部屋を見付ける為に、アリィはこの風を彼の住む階へと飛ばした。そして、部屋のドアや窓などの隙間から風を入り込ませ、中に住む人物を調べていったのだ。とはいっても、効果が思ったより出なかった為、一部屋一部屋づつ扉の前に立って試す事になったのだが。
 その事を思い出しながら、先程と同じように彼のカップの上へと風を集める。
「触っても平気?」
「大丈夫です」
 偵察などを行う時に使う魔法だ。触った所で怪我をする事はない。一瞬過去の記憶がフラッシュバックするものの、それでも大丈夫なのだと自分自身に言い聞かせた。
 そうして、魔法の使用者であるレアリィに対して、彼の手の感覚が流れ込んでくる。少し冷たい手は、始めはゆっくりと、しかし大胆に風へと触れてきた。
「……なんか、扇風機の風に当たってるみたいだ」
 そういって彼が指先を動かす。確かに一定に風が吹き続けているようなものだから、扇風機という例えは言い得て妙だった。
「ありがとう」
 と、そう言って彼は風から手を離した。
「もう良いですか?」
「ああ」
 杖に魔力を籠め、風を消す。同時に彼から質問が来た。
「この世界で魔法を使い続けると、何か弊害が出たりってのはあるの?」
「あります。というのも、魔法には魔力と呼ばれるものを使うんですが、この世界に居るとその魔力が回復し難いんです。今みたいに魔力を殆ど使わない魔法なら別ですが、もっと魔力を消費する魔法を無理矢理使い続ければ、いつか魔力が枯れ果てて、二度と魔法が使えなくなってしまうかもしれません」
「それは、レアリィの居た世界なら……『向こう側』なら起こらない事なのか?」
「はい。私の世界では大気にも魔力が溢れていますので。いわば、酸素や二酸化酸素と同じようなものですね。呼吸をすると同時に体の中に取り込まれて、外に出て、そして世界中を循環しているんです」
「そう、か」
 言って、彼が立ち上がる。
「座ってて。ちょっと調べたい事が出来た」




 立ち上がり、レアリィの脇を抜けて隣の和室へ。そこにあるパソコンの電源を入れると、俺は座椅子へと腰掛けた。そして、友人が言っていたゲームのサイトへと向かう。
 レアリィの話を聞いていて、途中から何か既視感を感じていた。彼女の話は、ネットの海で見付けた知識と酷似していたのだ。
 だから、その類似性を確認しようとし……
「ページが見付かりません、だ……?」
 いくら検索しても、公式ページおろか、攻略ページすら出てこない。初めに見に行った攻略サイトに行ってみても、目的のゲームの項目、そして掲示板の書き込みすらも消えていた。けれど、キーボードの脇に置いてあるメモ帳には、友人から頼まれた検索要綱が書き込んである。
 夢ではない。
 試しに履歴から辿ってみても、全て404エラーが返って来る。
 何か、妙な寒気と不安が背筋に走る。
 その後、単語を変え何度も検索を試みたけれど、一昨日見ていた筈のサイトは全て存在を消していた。まるで始めから存在しなかったかのように。だから、俺は確認と共にレアリィへ問い掛ける。
「あのさ、世界と世界を渡る為の魔法陣の名前って、通称『門』であってる?」
「は、はい。でも、何でその事を……?」
 驚いた様子で言うレアリィの声が聞こえる。だが、それ以上に混乱しているであろう頭を持って、俺はレアリィと向き合った。
「この前、友人からある話を聞いててさ。それを調べた時にそんな記述があったんだ。でもそれはゲームのサイトで――だけど、見せてもらったレアリィの魔法は本物だ。なら、調べた時の記述は何だったのか気になってさ。だから、またそのサイトを見に行ったんだけど……見付からないんだ。確かに調べた筈の情報が、全部ネット上から消えてるんだよ」
 思った事がそのまま口に出ていく。もうレアリィの事は疑っていない。というより、見て触った現実を疑っても仕方がない。だが、記憶にあるものとの既視感だけはどうにもならなかった。
 だからその確認の為に調べてみれば、あった筈のサイトが消えているのだ。嫌でも混乱は止まらなくなっていた。
「そのゲームの話は誰から聞いたんです? サイトに関しては解りませんが、その人はもしかしたら私の世界の――この世界から言う所の、『向こう側』の住人なのかもしれません。この世界では小説やゲームの中で魔法というものが沢山出てきますから、自分の世界の事を題材にしたとすれば、記述が合っていてもおかしくはないですし」
「そ、そっか、その可能性もあるのか」そう言いながら、誰の事か説明していない事に気付き、「えっとさ、教室でいつも俺と話をしてたヤツが居るだろ? ちょっと髪が長くて、いつも楽しげに笑ってる――」
「えっと……。……ごめんなさい、解らないです」
 少し考えたあと、申し訳無さそうにレアリィが言う。その表情は嘘を吐いているようには見えない。だからこそ、俺の焦りは一気に加速していく。
「じょ、冗談だろ? ほら、身長は俺より少し低くて、中肉中背で、名前は――名前は、」
 言って、気付く。
「名前……」
「どうしたんです?」
「アイツの、名前――?!」
 頭に浮かんだ想像を払拭するように、俺は机の上で充電していた携帯電話を手に取った。
 焦りながら、メモリーを見ていく。けれど、
「……嘘、だろ?」 
 そこには、友人の名前も、メールアドレスも、電話番号も、その履歴すらも無い。
 そしてそれ以上に、
「名前……」

 俺は、友人の名前を知らなかった。





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