五月蝿い世界の不器用な二人。

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□六章

 小屋の中へと男達が押し入ってくるよりも少し前。裏手に廻った男達からは死角となる玄関前で、リラはニアに支えられながら、一人涙を流し続けていた。 
 自分の想いを伝えた時、緊張と羞恥に震えるリラの正面に腰掛けていた青年は、酷く冷たい顔をしていた。それは、文句を言いながらもリラ達を助けてくれた彼の表情とは思えぬほどに強い拒絶を含んだもので、リラは困惑した。断られる可能性は考えていたものの、まさかこんなにも明確な拒絶の表情を向けられるとは思っていなかったのだ。
 それでもリラは彼の機嫌を取ろうとし、しかしそれを行う前に先手を打たれてしまった。
「すまないが、俺には好きな人が居るんだ。だから諦めてくれ」
 そう告げた声は普段通りだったものの、その表情にはリラの感じていた『優しさ』は欠片も無く、酷く冷たい拒絶しか残っていなかった。むしろそれ以上に辛かったのは、拒絶の中に感じる明確な殺意。冒険者としての経験が、否応無しにそれを教えてくれていた。
 想いが成就しなかった事よりも、その過剰とも思える拒絶に傷付き、リラは逃げるように小屋を飛び出し――そして、待っていてくれたニアに抱き付きながら、嗚咽を漏らしてしまっていた。
 そうして、今もその涙は止まらない。そんなリラのすぐ背後で、忌々しげな舌打ちが聞こえ、
「……どうしてあんなヤツなんか」
 小さく、けれどはっきりと届いたファイの声に、リラの体が小さく震える。パーティのリーダーであるこの少年が、自分を好きなのだという事をリラは知っていた。そして、自分を慰めてくれているニアが、幼馴染みであるファイを好きであるという事も。リラ一人がそれに気付かぬ振りをして、今日までやってきたのだ。
 こんな結果になってしまった以上、もうリラ達三人はパーティを組んでいられなくなるだろう。愛憎の歪みというのは、仲間としての絆を簡単に断ち切ってしまうほどに強く、醜いものなのだから。
 そしてそれ以上に、リラはこれからどうして良いのかが解らなくなってしまっていた。
 南の森の戦闘を経て、自分達がどれだけ愚かだったかを知ったリラには、もう冒険者としてやっていく勇気は無くなってしまっていたのだ。故に彼女は、出来る事ならあの長閑な里で暮らしていきたいと、そう考えていた。
 だが、あんな風に彼から拒絶された以上、里での暮らしにも苦痛が付き纏ってしまうだろう。ならば、一体どうしたら良いのだろう……。そう考えながら、リラは少しずつ引き始めた涙を拭い、鼻を啜り――不意に、酷く耳障りな破砕音が雨の中に響き渡った。
 その音に、ファイが視線を上げ、
「何だ、今の音。硝子でも割れたのか?」
「みたいだね。多分、音は小屋の中からだったと思うけど……」
 ファイに続くようにニアも顔を上げ、音の出所を探るように視線を巡らせ始める。そんな二人の姿を見ながら、リラは強い不安に駆られていた。
 この小屋に入った回数は少ないとはいえ、単純な構造故にその間取りは把握出来ていた。
 例えば、その窓の数。小屋には窓が少なく、リラ達の居る南側を除けば、あとは青年の寝室にしか窓は無い。そして今、南側の窓は無傷のまま暗い闇と同化している。
 ならば、導き出される答えは一つ。
「――ッ」
 殺意を向けられるほどの拒絶を受けたとはいえ、まだリラの恋心は消えていなかった。「ありがとう、ニア」という言葉と共に彼女から離れると、彼女はそのまま小屋の中へと飛び込んでいく。
「お、おい! リラ!」「リラ?!」
 慌てた声と共に、ファイ達が追い掛けて来る。それに答える代わりに、リラは青年の寝室へと続く扉を開け放ち――そこで、数日前に自分を襲った、悪魔のような男達と再び対面する事となった。
「ひッ、あ――」
 男達の姿を把握した瞬間、小屋へと飛び込んだ勢いは全て消え失せ、開いた口からは引き攣ったような悲鳴が漏れ出し、部屋の中へと進もうとしていた足は震えて動かなくなった。そのまま、リラはフラッシュバックする恐怖に無意識に後退り……その体を、遅れてやってきたファイに支えられた。
「待てよリラ。一体何が――って、テメェ等!」
 震えるリラへと声を掛けたファイがその異常に気付き、部屋の中に居る男達へと強い口調で叫ぶ。ベッドの上に土足で立つ彼等は、青年の体を窓から外へと運ぼうとしているようだった。
 突然扉が開いた事で動きを止めたのだろう男達を睨みながら、ファイが一歩部屋の中へ入り、
「ソイツをどうするつもりだ!」
「糞、邪魔が入ったか……」
 男の一人が忌々しげに呟き、青年から一歩離れると、腰に差した剣へと手を伸ばす。そしてファイ達三人の顔を順番に眺め……蒼白な顔で固まるリラに気付くと、その顔に下卑た笑みを浮かた。
「こいつは驚いた。あの時喰い損ねたガキが自分からやって来やがったぜ! 全く、俺達はツイてるな」
 その言葉に、青年の体を持ち上げたままでいる残りの男達が汚らしく笑い、
「ああ、今夜だけで売りもんが四つだ。これなら暫くは遊んで暮らせるぜ」
「ハハッ、ちげぇねぇ!」
 そして、酷く耳障りな笑い声が部屋に響く。売り物という言葉から想像するに、男達は青年を奴隷として、或いは倒錯した性癖を持つ相手に商品として売り付けようという魂胆なのだろう。そしてその中に、リラ達三人も含まれた。
 けれど、リラにはそれを冷静に考える余裕すらなかった。狭い部屋の中に響き渡る男達の笑い声が、強姦されそうになった記憶と結び付き、その心は限界を迎えようとしていたのだ。
 その細い体は恐怖で震え上がり、最早立っているのもままならない。と、そんなリラの足元を何かが勢い良く駆け抜け――その瞬間、耐え切れなくなった彼女は叫び上げていた。
「――ッ!」
 恐怖から逃避する為に発せられたそれは、明確な拒絶であるが故に酷く大きなものとなった。余裕の表情を浮かべていた男達は突然のそれに驚き、動きを止め――その刹那、ファイが部屋の中へと突っ込んでいく。
 同時に、リラの足元を駆け抜けた影――白猫が、青年から一歩離れた男の顔面へと飛び掛り、思い切り爪を立てた。それに叫び上げる男へファイが殴り掛かる。
 残った二人の男は青年を抱えていた為に咄嗟に動き出す事が出来ず、慌てた様子でその体を離した時には、ニアの魔法によって壁際へと吹き飛ばされていた。そうして呻き声を上げる男達の顔面や腕など、肌を露出している部分へと白猫が爪を振るい、それに続くようにファイが拳を振り下ろしていく。
 恐慌状態に陥っていたリラは、その状況を理解出来ないままに叫び続け……彼女が何とか正気に戻ったのは、ニアの魔法により精神的な余裕を回復させる事が出来てからだった。
 ニアに支えられつつ、リラは叫び過ぎて痛む喉に軽く咳き込みながら、改めて部屋の様子を確認する。
 既に事態は収束しており、青年はベッドに寝かされていて、そこに男達の姿は無かった。
 と、その瞬間、後ろから呻き声と打撃音が聞こえて来て、リラは思わず振り返る。そこには縛り上げられた男達と、それらに蹴りを入れているファイの姿があった。
 怒りが収まらないのか、彼は淡々とした表情で男の腹を蹴り上げ続ける。普段の姿からは想像も出来ないその静かな怒りに、リラは思わず「ファ、ファイ……?」とその名を呼んでいた。対するファイは、過剰ともいえる暴力が嘘だったかのように自然にリラへと視線を向けると、
「……大丈夫か、リラ」
「う、うん……」
 そう小さく答えながら、リラはファイに対して初めて恐怖を感じていた。彼が普段から血の上りやすいタイプだとは解っていたが、こんな風に相手を痛めつけるような性格はしていないと思っていたのだ。
 けれどそれは、リラを想うが故に見せないようにしていた、ファイ・ソフォーラという少年の本当の姿なのかもしれない。それに気付いた途端、リラは彼へどんな言葉を掛けて良いのか解らなくなってしまった。
 だが、対するファイは、自分の行いがどんな風にリラの目に映っているのかを理解しているのか、「なら良かった」と呟いたあと、リラの背後へと視線を向け、
「まだ辛いだろうけど、リラはアイツの介抱をしてやってくれ。俺は里の男達と医者を呼んで来る。――ニア。あとは任せたからな。窓も塞いどいてくれよ」
「はいはい、ボクに任せて。ファイが濡れてくる間に壊れた窓をちゃんと直して――ついでに、もう二度とこんな事が出来ないよう、その男達を痛め付けておくから」
 そう普段のように言うニアは、ファイの全てを理解しているのだろう。そしてその受け答えが、何よりもファイを救うのだとも知っている。そんな風に感じるリラの正面で、ファイはどうにか笑みを浮かべると、
「頼んだぜ」
 その言葉と共に、ファイは小屋の玄関へと歩き出し――しかし一度戻ってくると、リラとは目を合わせないまま寝室へ向かっていく。そして、横たわる青年の隣で丸くなっている白猫の頭を軽く撫で、
「ありがとな。南の森の時もそうだったけど、お前には助けられた」
「……それ、私じゃなくて彼に言った方が良いと思うんだけど」
「うるせぇな。言えねぇからお前に言うんだよ」
 そう言ってファイは苦笑し、しかしすぐに真剣な表情になると、
「それに……昨日、コイツが『モンスターと友達なんだ』って言いだして、俺に説教を始めただろ。あの時はモンスターと分かり合うなんて絶対に出来る訳がねぇって思った。でも今は、それが出来る気がするんだ」
「どうして?」
「リラやコイツを襲った糞以下の下衆野郎共より、まだお前の方が――モンスターの方が信じられる気がしたんだよ。んじゃ、ちょっと行って来る」
 そうして寝室を出て、外へと駆け出していくファイに、リラは最後まで言葉を掛ける事が出来なかった。



 里からやって来た医者の診断、そして殴打されて出来た傷の治療が終わったあとも、青年の意識は戻らなかった。
 そもそも、青年へと報復に現れた三人の男達は、リラ達が南の森から戻って来た際のどさくさに紛れて牢を抜け出したのだという。そして、青年を奴隷として売り払う為にこの小屋へ進入し……結果、再び捕らえられ、今は体の自由を完全に奪われた状態で牢に入れられている。
 故に、男達は青年の命を取るつもりではなかったらしい。にも拘らずその意識が戻らないのは、男達の用いた道具が非常に強力なものだったからだ。
 そして今、その道具はリラに手渡されていた。
「……ッ」
 強く握り締めている手の中にあるその道具は、本来ならば大型の獣やモンスターを昏倒させる為に使われる、麻酔の役割をするマジックアイテムだった。これを使用する事で、手軽に、そして確実に相手の意識を奪えると一時期多用されたらしいのだが……大規模魔術の発達により、道具に頼らなくても相手の意識を奪う事が出来るようになった為、今では殆ど使われなくなっていた。
 とはいえ、こうしたアイテムは通常手に入るものではなく、王都の魔法使いが厳重に管理している。その為、もし何らかの理由でそれが流出した場合、その危険性が伝わらず、使用者が道具の持つ効力を見誤る可能性が高いのだ。
 だからそう、恐らく男達は、都合良く相手を眠らせる事の出来る道具だと思ってこのマジックアイテムを手に入れたのだろう。だがそれは、人間相手では毒になるほどに強い効力を持っていた。
 とはいえ、魔法で擬似的に作られた麻酔である以上、呼吸は正常に行われているし、ショック症状が起こる事も無い。しかしこのマジックアイテムは、外的要因で意識を取り戻す事が出来ないという、最も厄介な特徴を持っていた。凶暴な獣やモンスターを相手にする事を前提にした道具である為、そう簡単に眠りが解けてしまっては意味が無いからだ。
 それを知った今、リラの心には強い怒りがある。それは青年を襲った男達へのものでもあり、同時に何も出来ない自分自身に対するものでもあった。それでもリラは青年の側を離れる事が出来ず、台所から持ってきた椅子に腰掛け、ベッドに横たわる青年の姿を眺め続けていた。
「……リラ」
 と、不意に名前を呼ばれ、声の主を探そうとしたところで、白猫がベッドの上へと飛び乗った。治療中は外に出されていたから、心配になって戻ってきたのだろう。彼女は前足を軽く青年の肩に乗せ、その顔を覗き込みながら、
「医者はなんて言ってたの?」
「……猶予は二日だと、仰っていました。この道具は相手を眠らせる為の物で、その効力は人間を死に至らしめるに足るもの、らしいんです。それから考えて、二日待っても意識が戻らないようなら、もう、彼の意識が戻る事は無い、って……」
 青年へと使われた事でその効力を失ったマジックアイテムを白猫へと示しながら、リラは医者から聞かされた説明を話していく。けれどその最中にも悔しさと、どうしようもない悲しみが襲い掛かってきて、耐え切れず声が震え出してしまっていた。
「魔法で覚醒を促す事が出来ても、目を覚ますには、多分足りないとも言われました……」
 そう言葉を紡ぎながら、リラの目には大粒の涙が次々に浮かんでいく。そして彼女はよろよろとした動きで椅子から立ち上がると、そのまま崩れるようにベッドへと縋り付き、
「全部、私が悪いんです……。私が、襲われたりなんか、しなければ……」
「リラ……」
「助けて、貰ったのに……。私、何も返せてない……」
 里で青年に話し掛けた時から、リラは彼に助けて貰ってばかりだった。告白は受け入れて貰えなかったけれど、そこにある想いは本物で……だからこそ、自分のせいで彼が暴漢に報復される事となってしまったのが酷く辛い。
 何よりもリラは魔法使いだ。本来ならば、この状況を打開出来るのは彼女が扱う魔法の力なのだろう。けれど、リラやニアの実力では青年を眠りから覚ます事が出来ないと、医者から判断されてしまった。それは今日まで鍛練を続けてきた自分自身を否定されたのと同じで、尚更に心が痛む。
 どんな事をしてでも彼を助けたいのに、その力が足りない。
 絶望に苛まれながら、リラはただ嗚咽を上げる事しか出来なかった。


 
 翌日。
 昨日の雨が嘘のような晴天となったその日、エリカ達が青年の様子を見にやって来た。
『奇人』として差別されていたとはいえ、リラを助け、そして南の森から一緒に戻って来た事で、青年は完全に『英雄』として評価されるようになっていた。そしてその『英雄』が倒れたという一報は、昨晩の内に里の全住民が知るところとなっていたのだ。
 代わる代わるに現れる里の人々は皆青年の事を心配し……しかしそれがリラの心を更に苦しめていく。
 そうした流れの中で、王都の医者を呼んだらどうだ、という提案があった。彼を眠らせたマジックアイテムは元々王都で作られたものであり、そこの医者ならば対処法を知っているのでは無いだろうか、という話になったのだ。
 だが、それは無理だと言えた。里から王都までどれだけ早くても一日半は掛かる。つまり、往復で三日も掛かってしまうのだ。その上、話を聞いてすぐに医者がやって来てくれるとも限らない。それでも、一縷の望みを賭けて王都の医者を呼ぶ事にはなったものの、青年を助けられる可能性は低いように思われた。
 その後も、様々な提案が為され……しかし、そのどれもが時間の関係で実現不可能なものばかりだった。結果、小屋の空気は重く沈んでいく事となり……
「……それじゃあ、明日も様子を見に来るわね」
 そう言って、とても辛そうな表情を浮かべたエリカが帰って行った頃には、既に夜の帳が下りていた。
 ようやく静けさを取り戻した部屋の中、リラの正面で眠る青年は目を覚ます気配を全く見せない。にも拘らず、猶予はあと一日しかなく――それが、精神的な余裕を失っているリラを完全に追い詰めた。
 もう、限界だった。
「どうして、こんなッ――!!」
 ベッドに強く拳を叩き付け、まるで癇癪を起こした子供のように泣き叫ぶ。理不尽過ぎる現実に対する嘆き・怒り・不安・絶望――ありとあらゆる感情が爆発し、もう彼女自身にもそのコントロールが利かなくなっていた。
 その様子に慌ててやって来たニアとファイは、泣き叫びながら我武者羅にベッドへと拳を振り下ろしているリラを半ば引きずるようにして寝室から連れ出して行く。
 それでも、寝室の外から叫び声が響き続け……小屋の中がどうにか静かになった頃、驚いた表情で固まっていた白猫の元へ、苦虫を噛み潰したような顔をしたファイがやって来た。
 彼は寝室の扉をそっと閉めると、リラの座っていた椅子に腰掛け、青年の顔を忌々しげに一瞥したあと、
「……どうにか落ち着いた。今、ニアの腕の中で眠ってる」
「そう……」
「昨日から一睡もしてなかったからな。疲れもあったんだと思う。……ったく、どうしてこんな男なんか」
 吐き捨てるように言うファイに対し、白猫は労るように、
「難儀ね、アンタも」
「ハ。猫に言われてちゃ世話ねぇぜ」
 力無くそう言って、ファイがうな垂れる。その姿は、常に青年へと食って掛かっていた元気な少年のものとは思えぬほどに、酷く疲れて大人びていた。
「……リラはさ、前からああなんだよ。何かに依存しがちなんだ」
「依存?」
「ああ。言い方を変えりゃ、心の拠りどころを求めてるって感じか。リラはずっと独りぼっちだったらしいから、『三人で一つのパーティ』っていう、その関係が崩れるのを恐れてたんだ。だから『三人一緒』って状況に固執して、それに依存しちまってた。その関係を壊さないように、自分一人は何も知らない振りまでしてな」
 同世代の男女が三人で行動している以上、友情が恋に変わる事もあるだろう。けれどリラはそれを酷く恐れ、ファイ達の気持ちに気付かない振りをし続けていたのだ。
「でも俺は――俺達はそれを止めなかった。成就しない恋よりは、ずっと好きな奴の側に居る事を望んだんだ。
 そうやって、俺達は二年以上やってきた。馬鹿な俺はニアの気持ちに気付かなくて良いし、ニアはリラの事を嫌わなくて良いし、リラも俺達との関係を崩さずに済んだ。それは酷く歪んでるけど、俺達に取っちゃ円満だ。だから、それで良いって思ってたんだ。……でも、その状況を率先して創り上げてたリラが誰かを好きになるなんて、完全に予想外だった」
 後悔の色を滲ませながら告げるファイに、白猫は少々意外そうな表情を浮かべると、
「アンタ、ただのバカじゃなかったのね」
「うるせぇ。四六時中一緒に居るんだ。俺にだってそのくらいの事は解るさ。……でもまぁ、そんなに驚いてはいねぇんだけどな。多分、どっかで覚悟してたんだと思う」
 そう俯きながら呟く。こんな歪んだ関係がいつまでも続く訳が無いと、ファイ自身も理解していたのだ。
「けど、この状況は有り得ねぇ。忌々しいぜ、全く……」
「でも、私に愚痴るよりも先にするべき事があるんじゃない?」
「あー?」言って、ファイが顔を上げる。けれど彼はすぐに視線を下に戻すと、酷くばつが悪そうに、「……解ってるよ、んな事は。ちゃんとニアとは話をするさ。でも、俺だって振られたようなもんなんだぜ? 少しぐらいは……」
 そう呟きながら、ファイは自分の心が少しだけ晴れている事に気が付いた。同時に彼は理解する。誰にも話すつもりがなかった自分達の事を白猫に語ってしまったのは、未だ納得出来ていなかった心の整理をしたかった為なのだろう、と。だから彼の考え方は、もう『三人一緒』だった頃のそれとは変わっていた。
 それに気付いたファイは、視線を後ろへ――閉ざした扉の向こうに居る幼馴染みへと向け、
「……いや、それもニアに失礼だな。今までずっと待ってて貰ってた訳だから」 
「解ってるじゃない」
「猫に言われるほど落ちぶれてねぇ。……まぁ、覚悟はあっても、まだ納得し切れてはいねぇけどな」
 頭では解っていても、そう簡単に感情までは変化出来ない。『三人一緒』では無くなったものの、自分達『三人』の関係はこれからも続いていくのだから。そんな風に思いながらファイは立ち上がり、白猫の頭を少し乱暴に撫で……その隣で眠り続ける青年へと愚痴るように、
「ったく、さっさと目ぇ覚ませってんだ。テメェが寝てっと、こっちも調子が出ねぇんだよ」
 軽くベッドに蹴りを入れて、ファイが大股で部屋を出て行く。そして扉が閉められると、途端に部屋の中に静寂が戻って来た。
「……心配なら心配だって、そう素直に言えば良いのに」
 小さく呟いて、白猫はそっと青年の布団の中へと潜り込む。少々空腹だったけれど、彼の側から離れたくないという気持ちの方が強かった。
 規則正しい彼の呼吸は普段のそれに似ているようで、けれど寝返りすら打たないその体は普通では無いと一目で解る。その姿に不安が高まるのを感じながら、白猫は頭を布団から出し、
「早く目を覚ましてよね。……死なれちゃったら、一緒に居られないんだから」
 強い不安と共にそう呟き、そして静かに目を閉じた。



 明くる朝。
 目を覚ました白猫が布団から這い出したと同時に、部屋の扉が勢い良く開かれた。それに慌てて視線を向けると、そこには強い意思の籠った目をしたリラが立っていた。
 彼女は部屋の中へと入ってくると、青年へと向けて杖を構えた。その動きに迷いは無く、だからこそ強い違和感がある。昨日までの、癇癪を起こしてしまうほどに追い詰められていたリラの姿が、そこには全く見られなかったからだ。
 その様子に白猫は不安を感じ、けれどリラはそれを否定するように、
「部屋から出ていて下さい。今から、彼の覚醒に繋がるような魔法を連続して発動させていきますので」
「リラ……」
「無駄かもしれなくても、私は諦められません。諦めたくないんです」
 その言葉に白猫が答えを返すよりも早く、リラが詠唱を始めていく。その気迫に押されるようにベッドから降り、青年の様子を気にしながら部屋を出ると、椅子に腰掛けておにぎりを頬張っているニアの姿が見えた。彼女は白猫の姿に気付くと、お茶を一口飲んでから、
「おはようございます、白猫さん」
「おはよう、ニア。……その、リラは大丈夫なの?」
 寝室へと視線を向けつつ白猫は言う。もしかしたら、昨日の今日で自棄になっているのではないだろうか。そう思う彼女に、ニアは小さく首を振り、
「大丈夫です。一晩眠ったら落ち着いたようなので、自暴自棄にはなっていません。リラは自分の意思で抗う事を決めました」
「依存を断ち切ったって事?」
 何気なく聞いてから、すぐに白猫は失言をしたと気付く。自分がその話を知っているという事は、ニアは知らない筈なのだから。
 けれど、対するニアは静かに微笑み、
「人間はそんなに簡単な生き物ではありませんよ。でも彼女は、今までずっとあやふやにしていた自分の気持ちに、正面から立ち向かって行こうとしているんです」そう言って、ニアは少し表情を暗くすると、「……ファイ、はっきりと振られてしまいましたし」
 夜明け前に目を覚ましたリラは、明け方まで様々な事を考え……そして、寝ずの番を行っていたファイを外へと呼び出し、そこで正式にその想いを断ったのだそうだ。
「ファイから明確な告白はしていないようなんですが、それでも好きだという気持ちは暗に伝えていたんです。ですが、それも失恋に終わって……」
 でも、とニアは儚く微笑み、
「ファイには悪いですが、歪だったボク達の関係も、これで正常な状態に戻って行くんだと思います」
「……ニア」
 見上げた先。微笑むニアの表情には見逃せない影がある。けれど彼女は、白猫の視線から逃げるように顔を伏せ、
「ボクの事はどうでも良いんです。一緒に居られるだけで、今は幸せですから」
 それは、まだニアとファイの関係が清算されていないという事なのだろう。リラ一人が前へと進んだだけで、『三人』の関係には未だに歪みが残っているのだ。白猫はそれに気付くも、しかしニアへとそれを問い質す事など出来なかった。だから彼女は「解ったわ」と小さく答え、
「……そういえばファイの姿が見えないけど、どこに行ったの?」
「宿へ荷物を取りに向かいました。荷物の中には魔道書も何冊かありますから、今日はそれを使って彼の目覚めを促そうと思っているんです。彼はボク達にとって命の恩人ですから、出来る事はしたいと考えています」
 けれどそれは、リラの想い人を目覚めさせる手伝いをするという事であり、ニアが想いを寄せるファイを傷付ける結果に繋がりかねなかった。つまりニアは、自分が嫌われるかもしれない可能性を無視してリラを手伝うつもりなのだろう。
 青年がニア達の恩人であるのは確かでも、その心理は複雑だろう。白猫はそれ以上ニアに何も言えず――そこで、青年の『リラ達を殺す』という言葉を思い出した。
 あの日は、目覚めたらもう一度青年を説得しようと考えていた。自分の言葉で彼の意思を変えられるかは解らなかったけれど、それでも止めなければ、という気持ちが強くあったのだ。だが、その機会は失われてしまった。
 このまま青年がどうやっても目覚めないというのなら、白猫はこの話を墓場まで持って行っただろう。けれどリラが発起し、ニアもそれに協力しようとしている今、医者の予想を覆し、彼が目覚める可能性もあるように思えた。何より、白猫は彼が目覚める事を望んでいる。
 となれば、このまま彼女達にその事を黙っている訳にはいかない。そう思い、白猫はニアへと改めて視線を向け――そこで、玄関の扉が開かれた。
「荷物、持って来たぜ」
 声に視線を向けると、そこには両手に沢山の荷物を抱えたファイの姿があった。重そうなそれを床へ下ろす彼の姿に、ニアが「お疲れさま、ファイ」という言葉と共に立ち上がる。その表情には辛そうは色はなく、だからこそ見ている白猫には悲しげに感じられた。
 対するファイは少し気まずそうではあるものの、普段通りにニアと接しているように見える。と、彼が白猫の視線に気付き、しかしすぐに目を逸らしてしまった。その様子から鑑みるに、まだニアとは話が出来ていないのだろう。
 そうして、荷物の中から数冊の魔道書を取り出したニアが、それを持って寝室へと向かって行き――リラの隣で杖を構えると、彼女を補佐するように呪文の詠唱を始めていく。
 その様子を視界の端に捉え、そして部屋から溢れ出す魔力を全身で感じながら、白猫は荷物の整理を続けているファイへと視線を向け、 
「ねぇ、古城の魔女を倒したっていうのは本当なの?」
「ああ。つっても止めまでは刺してねぇけどな。元々俺達が受けた依頼は『魔女の拘束』で、古城の魔女を捕らえて王都へと連れていく予定だったんだ。けどな、あの魔女は戦闘の途中で窓から飛び降りやがったんだよ」
 あと一歩というところで、古城の魔女は戦闘によって壊れた窓から身を投げたのだという。その窓の先は切り立った崖になっており、どう見ても助かる高さではなく、それ故に死体を探す事すらも出来なかったらしい。
「だけど、一応は魔女を倒したって事で俺達の功績になったんだ。……で、突然なんだよ。まさか、あの魔女と知り合いだった、とか言い出すんじゃねぇだろうな?」
 そう問い返してくるファイに後ろめたさなどは感じられない。それに何故か胸の奥が疼くのを感じながら、白猫はその一言を告げた。
「……彼のね、恋人だったらしいの」
「――ッ!」
 その瞬間、まるで青天の霹靂を受けたかのようにファイの動きが固まった。同時に、彼は困惑と恐怖を混ぜ合わせたかのような表情を浮かべ、
「……嘘、だろ?」
「本当よ。でも、リラからその話を聞くまで、彼はその事実を知らなかったみたい。だから、彼はその事に酷く傷付いてた」
 言いながら、白猫は寝室へと――そこで眠り続けている青年へと視線を向け、
「医者は無理だって言ってたらしいけど、リラ達が頑張ればきっと彼は目を覚ます筈。その時に何を言われるのか、何をされるのか、覚悟をしておいた方が良いわ」
 淡々と告げる白猫に、対するファイは視線を落とし……そして次に顔を上げた時、そこには警戒の色が浮かんでいた。
「……お前、どうしてそれを俺に教えたんだ」
「私も彼の事を愛しているからよ」
「あ、愛?」
 その言葉にファイが困惑する。けれど白猫はそれに構わず話を続けた。
「この事を黙っていても私には何の問題も無いわ。でも、そんなのはリラに対して全然フェアじゃない。だから私はアンタにこの事を教えたのよ」
 白猫の言い分に、ファイは困惑しつつもどうにか頷き、
「……取り敢えず、お前の言い分は解った。いや、正直に言えば全く理解出来ねぇけど、それでも何とか納得する」そう言って、彼は表情を真剣なものにし、「だが、俺がその話を聞いてリラ達を止めるとは考えねぇのか?」
「逆に聞くわ。アンタの言葉で、今のリラ達を止められるの?」
「そ、それは……」
 辛辣な白猫を前に、言い返そうにも言い返せないのだろうファイの顔に悔しさが浮かぶ。けれど、それが事実だった。
 例えリラ本人にその話をし、更には青年が『リラ達を殺す』と言っていた事を教えても、彼女は決して止まらないだろう。
 その想いは純粋で、だからこそ強く、強情なのだから。



 リラの隣にニアが並び、オリジナルの魔法、そして魔道書を参考とした魔術を発動させ始めてから数時間。
 数多の魔法の中には、眠りに落ちた者の覚醒を促すものも存在する。
 だがそれは、正常な睡眠状態からの覚醒を促すものであり、マジックアイテムによって意識を奪われた青年を目覚めさせる根本的な切っ掛けには至らない。しかし、リラ達は覚醒を促す魔法を連続で唱え続ける事でその効力を増幅させ、異常な状況下にある青年を強制的に覚醒へと導こうとしていた。
 その結果、青年は確実に覚醒へと向かい始めた。身動ぎ一つなかった体が接触に反応するようになり、寝返りを打つようにまでなったのだ(これには医者も驚いていた)。そして、昨日に続いてやって来た里の人々――取り分け魔法使い達――の助力もあり、その目覚めは更に確かなものとなったように思われた。
 だが、その後どれだけ魔法を重ねても、肝心の覚醒にまでは至らない。『相手を昏倒させる』というマジックアイテムの効力に阻まれ、あと一歩、というところに手が届かないのだ。
 そんなリラ達の努力を前に、時間は非情なほど正確に時を刻み続け――彼女達の魔力も体力も尽き果てた時には、もう二日目の夜に突入していた。
 小屋に残っているのはリラ達三人と白猫のみ。だが、その表情は一様に暗い。彼女達には、もう手が残されていないのだ。
 それでも、リラは体内に残った最後の魔力で魔法を唱え……しかし、それが何の変化も起こせずに霧散した時、その心には絶望しか残らなかった。
「一体、どうしたら良いの……?」
 小さく、震える声で呟かれたその言葉が、狭い室内の空気を更に重くする。それに耐え切れなくなったように、体力の限界が来たのだろうニアが膝を付き、ファイが慌ててそれを支えた。そして、彼はニアの体を椅子に腰掛けさせると、暫し逡巡し……それでも、言った。
「……取り敢えず、一度休もうぜ。時間が来たからってすぐに死ぬ訳じゃねぇし、医者の判断だって今となっちゃ完璧とは言えねぇんだ。このまま無理を続けるより、一度体力を回復させて、それから改めて魔法を使った方が良いだろ」
 そう言って、ファイが白猫へと視線を向ける。ずっと悩み続けていたのだろう彼の目には、決意の色があった。青年が目覚めた時、その怒りを受け止める覚悟を決めたのだろう。
 けれど、リラはファイの言葉に泣きそうな顔を向け……言葉にならないのだろうそれに答えたのは、疲労が色濃いニアだった。
「ごめんね、リラ。ボクはファイに賛成だよ。このままじゃ最後の一押しも出来ないまま、ボクらの方も倒れちゃう」
「……解っ、た」
 悔しげに苦しげに、顔を俯かせながらリラが答える。その手は杖を強く握り締め、まるで自分自身を責め立てているかのようにも見えた。
 そして、ファイがニアを支えながら立ち上がり、部屋を出て行く。残されたリラは強い躊躇いを見せながらも、それでも踵を返し――ふらりと、その体が傾いた。
「リラ!」
 咄嗟に白猫が声を上げた時には、リラの細い体は本棚へと衝突していた。その衝撃で何冊かの本が床に落ち、その上にずるずるとリラの体が沈んでいく。慌てた様子でファイが戻ってきた頃には、彼女は声を上げて泣き出していた。
 それはまるで迷子の子供のよう。癇癪を起こしていた時とは違う、その悲痛に満ちた彼女の姿に、ファイが苦しげに表情を歪める。それでもどうにかリラを立ち上がらせると、そのまま寝室から連れ出して行った。
 白猫はその様子を辛そうな表情で見送り……リラ達にここまでさせても目を覚まさない青年へ文句を言おうと、部屋の隅からベッドへと向けて歩き出す。その途中、床に散乱した本が目に入った。
 それは、青年が読み書きの勉強に使っていると言っていた絵本だった。その中の幾つかは白猫も知っているもので、同時に、何故自分がそれを知っているのか、という疑問が浮かんだ。
 そう、以前から気になっていたのだ。猫の身でありながら、白猫は人間と同等の知識を持っていた。一般常識は元より、魔法などに関する知識も頭にある。けれどそれを自ら学んだ記憶は無く……というより、数多くの知識はあれど、彼女には記憶が――過去が無いのだった。
 その事実に改めて疑問を感じながらも、白猫は散乱した絵本を何気なく眺めていき……その中で、自然とページの捲れた本があった。
 それは数日前に青年が買ってきた、白雪と呼ばれるお姫様の物語。偶然の悪戯によって開かれたそのページには、クライマックスの部分である、王子様がお姫様へとキスをするイラストが載せられていた。
「王子様の口付けによって、お姫様は眠りから覚めたのです……か」
 視線を上げれば、そこには物語の中に出てくるお姫様のように眠り続ける青年の姿。もし彼をお姫様の役に当て嵌めるとしたら、王子様はリラになるのだろうか。彼の事を心から想っている彼女がキスをする事で、青年の意識が戻るのだ。
「……馬鹿馬鹿しい」
 自分はこうして彼の側に居る事ぐらいしか出来ないけれど、それでも彼を想う気持ちならば誰にも負けない。白猫はそう心の中で断言すると、ベッドへと登り、眠り続ける青年の顔を覗き込んだ。
「……」
 本来ならば、人間とモンスターの恋愛など有り得ないのだろう。しかし白猫の中には、『自分は種族の違う相手とも恋が出来る』という強い想いが眠っている。それが過去の記憶に繋がるものなのかどうかは解らないものの……その想いに背中を押されるように、彼女は青年へと恋心を抱いたのだ。
 それは姿形などではなく、その心に惹かれたという事。故にその想いはリラよりも強く、純粋なものだった。
 そうして、白猫は青年の顔を眺め続け……ふと、彼の言葉を思い出す。それは、彼が買ったばかりの絵本を自分に見せてくれた時に言っていた言葉。
『その絵本の魔女は、目覚めの切っ掛けに『キス』を選んでいただけだろ』
 魔法の解除の方法には様々なものがある。つまり、今自分が馬鹿馬鹿しいと断言した方法で、彼の意識が戻るかもしれないのだ。
 試す価値はある筈だ。猫である自分には王子様役を勤められないかもしれないが、それでも彼の事を心の底から愛しているのだから。
 そして意を決すると、白猫は青年の胸の上へ登り、
「私はこんな体だけれど、貴方の事が本当に好きなの。……お願い、目を開けて」
 そう深い祈りと共に呟き、そっと彼へと口付け――

 ――光が、溢れた。

 その瞬間、彼女は全てを理解する。
 自分もまた、彼と同じように深い眠りの中に居たのだと。





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