お姉ちゃん。
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■
――目を開く。
あの号外が発行されてから、早くも一ヶ月が経った。その間に様々な出来事があり、それはルナサの気分をダウナーなものへと変えてくれた。
それでも魔理沙とレミリアはそんな状況を気にしないかのように、ルナサの事を心から『お姉ちゃん』と呼んでくれて、荒んだ心に癒しを与えてくれていた(ルナサが思っていた以上に彼女達は強く、そして甲斐甲斐しい存在だったのだ)。
そんな中で、ルナサ・プリズムリバーは考える。天狗の新聞に載ったとはいえ、自分は『お姉ちゃん』と呼ばれ過ぎだ、と。
今や彼女は、どこへ行っても『お姉ちゃん』、何をしていても『お姉ちゃん』な状況だった。それを人間から呼ばれるならまだしも、明らかに自分よりも年長の大妖怪に「あら、ルナサお姉ちゃんじゃない」などと言われると、ルナサはへにゃん、となる。やる気がしぼむというか、勢いが削がれるというか、そんな感じになってしまうのだ。
だから、そう。『お姉ちゃん』という呼称がここまでの拡がりをみせた原因は、この幻想郷自体が『姉』を求めているから、なのかもしれない。
「というより、それが正解……?」
年長者の妖怪になればなるほど、他者から一目置かれる存在となり、誰かに甘えたりする事が出来なくなってしまう。そういった心の穴に、『お姉ちゃん』という存在はすっぽり埋まったのかもしれない。
当人に自覚が無くても、一千年以上の孤独は確実に心へと影響を及ぼす。六十年周期でリセットが掛かるとしても、その根底にある孤独や闇といったものまでは払拭しきれないものだ。
だからこその、『お姉ちゃん』。甘える事が出来て、けれどしっかりこちらを叱ってくれる、少し年上の存在。
最後の年齢だけは別にしろ、妖怪達がそれを求めているのは確かなのかもしれない。
「……」
が、しかし、だ。だからといってルナサに出来る事は無い。『お姉ちゃん』と呼ばれる度に微笑みを返し、時折その頭を撫でてやれるぐらいだ。本当はもっと構った方が、姉離れに繋がってくれるのかもしれないが……今のルナサには、そんな暇も無い状況だった。
何故なら、今やルナサの――プリズムリバー三姉妹の名は、幻想郷で知らぬ者が居ないほどに有名になっているのだから。
そしてこれこそが、この一ヶ月の間にあった『様々な出来事』の大半を占めていた。
「……取り敢えず、今は演奏に集中しないと」
自分へと戒めるように言って、ルナサは周囲に浮かべたヴァイオリン達に改めて意識を向けた。
以前のように、ルナサの気分で会場を変えるのは変わらないままであるものの、最近では毎日のように演奏を繰り返す日々が続いていた。正直、ルナサはこんな形で自分が目立つようになるとは全く予想していなかった。
だからそう、見方を変えれば、これは怪我の功名なのかもしれなかった。天狗の新聞によって引き起こされた『怪我』は、しかし知名度の爆発的な上昇という『功名』を得られたのだから。これにより、プリズムリバー三姉妹の、特にルナサの演奏を聞きたいという声は今までの数十倍に膨れ上がり、彼女達のスケジュールは一気に過密なものへと変化していったのだった。
……けれど、やはり、会場から聞こえて来る『お姉ちゃん』コールには心が痛んでしまう。これはもうアイドル扱いされているのと同じなのではないかと、そんな事を思い、しかし以前から似たような状況だった事を思い出す。
元々、ルナサ達は個人のファン倶楽部が存在するほどにコアな人気があったのだ。それが今回の『お姉ちゃん』騒動で爆発し、一気にアイドルのような『楽曲以上に、個人に対する興味が強い状況』へとシフトしたのだろう。
ルナサにはそれが良い事なのか悪い事なのかは解らない。けれど、彼女の胸には、木枯らしのような諦めの風が吹くのだった……
――そうして演奏が終わって、一時間ほどの休憩時間に入った。このあとは夜の部だ。
がやがやと昼の部の観客が移動していく中、ステージの裏手へと引っ込んだところで、三姉妹へと声が掛かった。
「お疲れさま」
それに視線を向けると、そこには微笑んで立つ十六夜・咲夜と、日傘を持ったレミリア・スカーレットの姿があった。彼女は満足げな表情と共に日傘をくるりと回すと、
「今日の演奏も素晴らしいものだったわ」
混じり気の無い、純粋な称賛に気恥ずかしさを感じながら、姉妹はそれぞれ返事を返す。どんなに演奏の回数を重ねようと、やはり称賛以上の報酬はなかった。それを感じながら、ルナサは能力を使って楽器達をケースに戻そうとし――力加減を間違え、普段から愛用しているヴァイオリンを床に叩き付けそうになった。
「だ、大丈夫?」
慌てた様子で聞いてくる咲夜に「大丈夫」と小さく告げて、ヴァイオリンを手に取ると、そのままそっとケースへと戻し蓋を閉めた。
ルナサ達は騒霊としての力を使って楽器を演奏する。パフォーマンスとしてヴァイオリンを自ら弾く事もあるものの、基本は能力任せだ。その力を連日のように使っている為か、自分で思っている以上に疲れが溜まっているらしい。
いや、疲れるのも当たり前なのだ。連日のように人妖から『お姉ちゃん』と呼ばれ続け、それに対して不慣れな微笑みを返し続けている。結果的にそれは精神的な疲労と自己嫌悪を生み出し、鬱症状を引き起こしていた。しかしそこから復帰する事も出来ないまま、今日も無理矢理に演奏を行っているような状況だ。
ここままでは不味い。まだ演奏自体に苦痛は伴っていないものの、どこかでガス抜きをしないと、能力すら使えないほどに潰れてしまう可能性があった。
とはいえ、一時間後には夜の部が控えている。正直帰って眠りたいのだけれど、ルナサ達にはそんな暇すらありはしない。気力で乗り切るしかない……そうルナサが思ったところで、不安げにこちらを見つめるレミリアの姿が見えた。
他人を心配する、という事に慣れていないのだろう彼女は、何か言いたげで、それでも上手く言葉が見付からない様子だった。舞台裏の日陰では必要ないのか、日傘から抜け出したその姿は普段より幼く見えて……ふと、ルナサの頭にある事が浮かんだ。
普段ならば決して思い浮かばないような事だ。けれど今の彼女は精神的にかなり参っていて、自分を上手くコントロール出来ない状況にいた。だから、
「レミリアさん、少し良いですか?」
「……」
問い掛けると、何故かレミリアは答えてくれない。ここ最近はいつもこうで、こういったところが『我が儘』と言われる由縁なのだろうな、とルナサは思いながら、
「レミリア、ちょっと良い?」
「なに、ルナサお姉ちゃん」
「こっち来て。……そう、私の前」
ルナサの様子が心配だったのもあったのか、素直にレミリアがやって来た。ルナサはそんな彼女の正面に立ち――前触れ無く、その小さな体を抱き締めた。
「お、お姉ちゃ――?!」
「……」
驚きに固まるレミリアを半ば無視するように、ぎゅうっと力を籠める。彼女の体はルナサの腕の中にすっぽり収まってしまうほどに小さくて、けれどそこに暖かさは全く無い。それなのにそこから確かな熱を感じて、だからルナサは自分の心が安らぐのを感じた。
対するレミリアは驚きながらも、決してルナサを突き飛ばすような事はせず、むしろどうしてこんな状況になっているのかと目を白黒させながら、
「ちょ、ちょっと!」
「……」
「うー……」
観念したのか、真っ赤な顔をしたまま体から力を抜いた。そしてその腕がルナサの体を抱き返す。
それに嬉しくなりながら、ルナサの中の冷静な部分が、さて自分はどうしてこんな行動に移ったのかと考え始めた。
これは恐らく、初めてレミリアに『お姉ちゃん』と呼ばれた時に感じた感覚と同じだ。ルナサの中にある『姉』としての幻想は、幼い妹の相手をした事が無かった。そんなルナサの『姉』の部分が、『幼い妹』との触れ合いを強く求めてしまったのだろう。
だからこれは、実際にはレイラがやりたかった事なのかもしれない。彼女は四姉妹の末っ子だったから、どこかに『姉』というものに対する憧れがあった筈だ。その気持ちが、ルナサという騒霊を生み出した時にフィードバックされていたとしてもおかしくなかった。
同じように、レミリアにも『姉』に対する憧れがあるのだろう。ただしそれは、本来は成り得ない妹目線での、甘えたいという方向の憧れだ。だからこの状況は、言ってしまえば利害が一致しただけの事。でも、そこには確かに『姉妹』としての感情があるような気がして……そんな風にまで考えてしまう自分に、ルナサは驚きを隠せなかった。
でも、と思う。
誰かに甘えたり、そしてそれを受け止めたいと思う気持ちに、種族や年齢など関係ない。妖怪だって人の子で、『姉』である自分がそれを受け止めるのはなんら自然の事に思えた。
そうしたら、なんだか少しだけ気分が楽になってきて。
「……」
これから自分の事を『お姉ちゃん』と呼ぶ相手と出逢った時は、もっと親身に接しよう。ルナサはそう思いながら、そっと抱擁を解いた。
「突然ごめんね、レミリア」
「べ、別に、気にしてないわ」
視線を逸らし、真っ赤な顔でレミリアが言う。その姿を可愛らしく思いながら、ルナサはこの奇妙な『姉妹』関係がこれからも続いていけば良いと願った。
と、不意に視線を感じて顔を上げると、実の妹達と目が合った。メルランは微笑ましげな眼をしていて、しかしリリカの方はどこか不安げな、淋しげな色があった。そしてその視線がルナサと合うと、彼女は少し慌てた様子で視線を逸らし、キーボードのチェックへと戻ってしまった。
一体どうしたのだろう。ルナサはそう思いながら声を掛けようとして、しかしレミリアにそれを止められてしまった。そのまま彼女と話をし、次の演奏で使う予定の楽器をチェックしている内に、休憩時間は終わりを迎えてしまっていた。
そうしてやってきた夜の部の時には、リリカは元気を取り戻していた。けれど姉であるルナサから見ると、そこには少しだけ無理をしているような空気が感じられて、けれど頑張ろうとしている彼女に対して根掘り葉掘り話を聞く事は出来なかった。
けれどこの頃から、確実に、リリカから少しずつ元気が失われ始めていた。
それでも演奏会は毎日のように行われ、日々のスケジュールはどんどんと過密になっていく。
幻想郷には娯楽が少なく、だからこそ暇を持て余した妖怪が異変を起こす。けれどこうして幻想郷中が浮かれている間は何の異変も起きない為、人間は大いにこの状況を喜び、そして妖怪も今の状況を心から楽しんでいた。
しかし、演奏する方には疲労が溜まる。生きていないとはいえ、疲れるものは疲れるのだ。
だからルナサは、リリカにも疲れが出始めているのだと思っていた。『鬱』と『躁』の音色を操る姉達を抑え、纏める役割に居るリリカは、ただ演奏に集中する以上に精神力を使っている。それを緩和する為にルナサも頑張ってはいるのだけれど、やはりメルランの音色に引っ張られてしまうのだ。
そしてその日――里で開かれた収穫祭での演奏時も、メルランのトランペットは高らかにその音色を響かせていた。
■
「さぁ、みんなもっとハッピーになろうっ!」
そんなメルランの楽しげな声が聞こえた気がした瞬間、彼女はぐるぐると周囲を廻るトランペットの一つを手に取っていた。
そして、軽快な音色が鳴り響く。
場のテンションは一気に高まり、それを抑える筈のルナサの音色も暴走し、次第に会場全体が混乱の坩堝へと落下していく。それにリリカが慌てた様子を見せ、ルナサへと口を開き掛け――不意に視線を逸らした。その様子に気付いた瞬間、ルナサは自身がメルランの音色に引っ張られていた事に気付き、どうにかその音色を抑えこんでいく。
けれど、どうしてリリカが視線を逸らしたのか解らない。もしかして、何かあったのだろうか――と、そう意識が別の部分に向いた瞬間、抑え切れなかったメルランの音色が一気に溢れ出した。
会場は強制的に躁状態へと押し上げれられ、怒濤の盛り上がりをみせていく。こうなってしまうと、もう曲調を抑えていくのは難しくなる。
それでもどうにか演奏を終えると、あとに残ったのは激しい興奮。けれどそれはメルランの力によって引き起こされた部分が多く、観客の大半は、あとになってその反動のように気分が落ち込んでしまう事になるだろう。
この楽曲で一度プリズムリバー三姉妹は休憩に入る。次の演奏は観客を全て入れ替えてから行われる予定だ。興奮冷めやらぬといった観客達に笑みを向けて舞台裏へと戻りながら、ルナサは今回の演奏を『失敗』だと判断していた。
好き勝手に演奏出来ていた頃とは違い、今は求められるレベルが高くなってしまっている(それもまた『お姉ちゃん』効果の生み出した産物なのだけれど)。だからこそメルランを暴走させる訳には行かず、彼女の音色によって観客のテンションを強制的に引き上げる訳にはいかなかった。妖怪にならまだしも、人間相手の場合、ルナサとメルランの音色はその精神に悪い影響を与えてしまう事があるからだ。しかも今回のステージは人里であり、観客の大半が人間だ。この失敗は後に上白沢・慧音あたりから文句を言われる要因になる可能性が高かった。そしてそれは、スキャンダルとして天狗に素っ破抜かれる要因にもなりかねない。いくらこの状況が大変だと言っても、やはり自分達の活動が評価されるのは純粋に嬉しく、そういったミスからの失墜はルナサ達が一番忌避するものでもあった。
だからルナサは舞台裏へと戻ると、未だに楽しそうに笑っているメルランへと声を掛けた。
「――メルラン」
思ったよりも冷たくなったその声に、浮かれ顔だった妹の表情が一瞬で凍りついた。
「練習の時なら未だしも、本番では暴走しないように抑える……そう約束したわよね」
「そ、それは、その……」
「貴女を抑えられなかった私も悪いわ。でも、自重を怠って良い理由にはならない」
「だ、だけど、たまには発散しないと! 最近は演奏する回数も多いし、姉さんだって疲れが溜まってるでしょう?! だから、私がこうして、その……その……」
「メルラン?」
「……ごめんなさい」
ルナサに気圧されたのか、或いは高まっていたテンションが下がり冷静さが戻ってきたのか、しょんぼりとした様子でメルランがうな垂れる。彼女はリリカと同じように『三姉妹の中で自分が一番である』という意識が強い。だからこそ、自分の判断で暴走し易く、結果的に失敗してしまう事も多いのだ。
それを解っているからこそ、ルナサは強く叱らない。それに、何度も言わなければ解らないほど、メルランは愚かではないのだから。
そう思うルナサの前で、メルランが顔を上げ、
「でも、」
「ん……?」
「忙しい状況だけど、姉さんはちゃんと私の事を解ってくれてるのよね。……なんだろ、疲れてるのは私の方なのかも」
言って、メルランが照れたように笑う。
途端、ルナサは何も言えなくなった。
ここ最近、三姉妹を取り巻く状況は大きく変わった。長女であるルナサが『お姉ちゃん』と呼ばれ始め、様々な人に声を掛けられるようになった。同時に、レミリアや魔理沙を抱き締めたりと、奇妙な『姉妹』関係を築いてもいた。
そして気付くのは、メルランとリリカに対して――実際の妹である二人に対して、『姉』らしい事を殆どしていなかった、という事実。
家族としての生活も、今では連日の演奏で狂いつつある。それほどまでに今のルナサ達は忙しい。娯楽の少ない幻想郷だから、一度火が付くと凄まじい事になるのだ。その為、ゆっくり屋敷で休む、という事すら少なくなっていた。
口を開けば次の演奏についての事ばかりを話し、検討していく。そんな毎日がいつの間にか当たり前になっていて、けれどルナサだけは皆の『お姉ちゃん』として存在し続けていた。
それは、妹達への裏切りには、ならないだろうか。
「……」
楽器の調子を見始めたメルランの向こう。そこに居るリリカの不安げな姿を見て、ルナサはその思いを更に強くする。
もしかしたら、リリカは淋しがっているのかもしれない。
以前まで、『ルナサお姉ちゃん』という呼称は、ライブの時にリリカだけが使う特別なものだった。それが一気に崩れ出し、誰も彼もルナサの事を『お姉ちゃん』と呼び始め――その上、ルナサはレミリア達ばかりを構い、本来行うべき姉妹のスキンシップすらも取っていない日々が続いていた。
リリカが特別にお姉ちゃん子だった訳では無い。けれど、彼女からしてみれば、ルナサは自分の姉なのだ。それを横取りするようなレミリア達に対して思うところがあってもおかしくない。むしろこれは嫌われても仕方の無いような状況だった。
けれど、そうなっていないところを考えると、リリカはまだルナサを姉として慕ってくれていて――だからこそ、そこに不安や淋しさを感じてしまっているのだろう。
そう考えたところで、ルナサの唇は自然と開いていた。
「リリカ、ちょっと良い?」
「え?」
「最近は忙しかったから、こうしてちゃんと話をする事も出来なかったでしょう。だから、何か悩んでいる事があるなら、言ってほしいの」
ルナサの言葉に、リリカは表情を驚きに染め、しかし、
「メルラン姉さんの言う通りだね……。私の事も、ルナサ姉さんには筒抜けなんだ」
諦めにも似た表情で、小さく笑う。そして彼女は表情を改めると、ルナサの正面にまでやって来た。
そして、一度深く頭を下げ、
「ごめんなさい! 私、まさかこんな状況になるなんて思ってもいなかったの。こんなにもルナサ姉さんが人気者になるなんて、考えられられなくて……」
「リリカ……」
謝るような事なんて何一つ無い。むしろ悪いのは、妹達の事を疎かにしてきた私の方なのだから……。そう思うルナサの前で、リリカは罪を告白する子供のように表情を歪めた。そして彼女は、『ルナサ姉さんを『お姉ちゃん』って呼んで良いのは私だけだったのに……!』と涙を流しはじ――
「――天狗に話をしたの、私なの!」
――そしてルナサはリリカを抱きし――って?
「――え?」
想像とは全く違う状況に、思わず伸ばしかけていた腕が止まった。そんなルナサを前に、リリカは怒られるのを恐れるような顔で、
「だ、だから、一ヵ月前の号外があったでしょ? あれ、本当は魔理沙が天狗に話したんじゃなくて、私が話をしたの。紅魔館での様子を見て、閃いたのよ。これなら私達の知名度を上げられる! ってね。……でも、まさかこんなにも忙しくなるとは思わなくて……」
「……」
「怒ってる、よね……?」
リリカが何を言っているのか、ルナサには少しの間理解出来なかった。
リリカ・プリズムリバーはお姉ちゃん子では無い。むしろルナサが想っている以上に、彼女は強かな少女だったようだ。
それでも、ルナサは妹へと問い掛ける。
「……さ、最近、元気が無かったわよね?」
「あれは、その、この事がバレるのが怖かったっていうのと……あと、実はキーボードの調子が悪くて」
ルナサ達は実際の楽器では無く、その楽器の幽霊を扱って演奏している。しかし、幽霊といえど実物の楽器のように故障を起こしたり、音が悪くなる事がある。ここ最近は演奏の回数も多く、楽器を酷使している状況だった為、それがリリカの不安の種になっていたらしい。
先ほどの演奏の時に視線を逸らしたのは、キーボードの調子が気になってしまったからなのだろう。
「でも、まだまだ大丈夫! 一休みしたら頑張れるよ!」
「……」
「……ご、ごめんなさい。やっぱり怒って……」
「そういう訳じゃないわ。……そういう訳じゃないの」
微笑んでそう言って、上目遣いでこちらを見つめるリリカの頭を軽く撫でる。それに嬉しげな、そしてほっとした表情を見せる彼女に、しかしルナサは少し悲しくなっていた。
ルナサが想像していた、リリカは淋しいのではないか、というのは全て錯覚だったのだ。それはメルランに対しても同様で、つまりそれは、ルナサが思う以上に姉妹の結束が強かった、という事でもある。
では、何故こんなにも悲しいのだろう。
それを考えながら、ルナサは「私も私もー」と寄ってきたメルランの頭を撫でて、そのまま二人の妹を一緒に抱き締めてみた。ぎゅうっと力を籠めると、二人の手が自分の背中にまわって来て、同じように強く抱き締められた。
ルナサ・プリズムリバーは、『姉』という幻想を与えられただけの、ただの騒霊だ。けれど彼女にとっては、それがアイデンティティでもある。『姉』として生きる以外の生き方を彼女は知らないし、知ろうともしなかった。何よりもレイラ・プリズムリバーという少女の為に、優しい騒霊は『姉』である事を決めたのだ。
だから三姉妹の関係は特別なものだったし、永遠に不変なものだと思っていた。
けれど、こんな状況になった。誰某構わず『お姉ちゃん』と呼ばれるようになり、奇妙な『姉妹』関係まで生まれた。そこでルナサが感じたのは『姉』という存在の包容力と、それを求める者達の淋しさ。それを知ったから、彼女は尚更『お姉ちゃん』であろうとし始めた。
しかし、実際にはもう一つの事にも気付いていたのだ。それが、妹という存在の重要性だった。
自分が『姉』である為には、妹が必要になる。そして『ルナサ・プリズムリバー』という『姉』を構成する『妹』は、レミリアや魔理沙のような幼い妹では無く、ルナサと共にレイラから幻想を与えられたメルランとリリカの二人だったのだ。
幻想郷に拡がる『お姉ちゃん』ブームを肯定的に受け入れた。レミリアや魔理沙とも暖かな関係を築けている。けれど、自分が本当は誰の『お姉ちゃん』なのか――いや、違う。レイラ・プリズムリバーに生み出された騒霊の少女は、一体誰の『お姉ちゃん』でありたいのか。それが不明瞭になっていた。
「……」
鬱の音色を奏でるルナサは、時折自分の音色に引っ張られるように暗く沈んだ感情に囚われる事がある。そんな時に思うのが、自分自身、というものについてだ。
騒霊というのは、その名前の通り騒がしい幽霊のこと。騒がしさが消えてしまえは、騒霊もまた消えてしまう。そんな存在なのにも拘らず、ルナサの奏でる音色は『騒がしさ』とは正反対の、言わば『静まる』音だ。騒がねばならないのに、静けさしか生み出せない。それはまるで、自ら消滅へと向かっているようでもあった。
そんな事を時折考えてしまう彼女を救うのが、メルランの躁の音色であり、そしてリリカの音楽だった。
特にリリカは幻想の音色を生み出す。それは騒がしさも静けさも表現出来る、本来の楽器が持つ能力の進化系。その存在は、ルナサの心にとって大きな支えになっていたのだ。
そんな彼女から与えられる『お姉ちゃん』が、ルナサはとても好きだった。メルランからの『姉さん』も同じだ。だからこそ、全ての切っ掛けとなった紅魔館でのひと時の際、二人の妹が反対する素振りを見せなかったのが、ルナサには辛かったのだ。けれど本人はそんな心の変化に気付かず、『お姉ちゃん』として振舞い続けた。
だからそう、彼女はみんなの『お姉ちゃん』であろうとしていたのではなく、『姉』として妹達に振り向いて欲しかっただけだったのだ。
ルナサはその事に気付き――そして、その事に今の今まで気付けなかった自分が情けなく、姉として失格で、だからとても悲しくて悔しい。
と、そんなルナサの頭をメルランが優しく撫で、
「……ごめんね、姉さん」
「ルナサ姉さん、淋しかったんだね」
そんな言葉と共に、リリカの手が伸びてきて――自分が泣いている事に、ルナサはそこで初めて気が付いた。そうしたら、あとはもう止まらなくなってしまって。
静かに涙を流しながら、ルナサは二人の妹に抱かれ続けた。
こんなにも涙が溢れるのは、二人が大好きで堪らないからだ。だからルナサは自然に涙が引くまで泣き続けて……そして、真っ赤になった目元を拭うと、小さくリリカへと問い掛ける。
「ねぇリリカ」
「なに、姉さん」
「これからも、私を『お姉ちゃん』って呼んでくれる?」
ルナサの言葉に、リリカは「変な事聞くね」と笑い、
「私の『お姉ちゃん』はルナサ姉さんだけだよ? ……あー、その、メルラン姉さんはなんか『お姉ちゃん』って感じじゃないんだよね」
「ちょっとリリカ、それどういう事?」
「おしとやかさが足りないって言うか、なんて言うか……」
「ひどーい! 姉さん、リリカが虐める!」
ぷりぷり怒りながらメルランが言い、リリカが隣で楽しげに笑う。
その様子がとても暖かくて、嬉しくて、ルナサは自然と微笑んでいた。
自分達は姉妹で、その関係はこれからも変わらず続いていく。いつか『お姉ちゃん』ブームが消え去ろうと、それは変わらない。
ルナサ・プリズムリバーは、二人の妹を持つ『お姉ちゃん』であり続けるのだ。
■
そうして、次の演奏の時間がやって来た。
妹達と準備を整え、ルナサは会場へと入っていく。観客から上がる声援には当然のように『お姉ちゃん』コールがあって、席にはレミリア達の姿も見えた。
そんな彼女達にルナサは微笑む。みんなの『お姉ちゃん』として――そして、プリズムリバー三姉妹の長女として。
そして、ステージの中心に立つ。このステージは、ルナサのソロから始めると三人で決めた。
空中に浮遊させず、ヴァイオリンを構えながら、右手に持った弓を引き――そこから奏でられるのは、ルナサらしい静かな音色。
けれど今日からは、自分にも騒がしく幻想的な音楽が、奏でられるような気がした。
end
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