五月雨。

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1

 パチェが魔女らしく魔法を唱えようとしている姿を見るのは久々だ。
 そんな事を思いながら、私はテーブルを片付けて出来たスペースに立っていた。その正面にパチュリーが立ち、小悪魔が探し出してきた魔道書を広げている。彼女は深くゆっくりと呼吸を繰り返しながら魔道書へと目を通していき――そして、詠唱を始めていく。
「――人の形は偽りの形。偽りの形は人外の形。人外の形は人の形。零と無限を混合し、世界の形を読み解き記す。夢と現を配合し、目覚めの希望を叶えて示す。生と死とを融合し、現世の理(ことわり)黄泉へと還す」
 最近ではスペルカードを使う事が多いから忘れかけていたけれど、パチュリーの詠唱は少しゆっくりだ。まるで歌の旋律のように響くそれが、少しずつ七色の魔力を帯びていく様は美しいの一言に尽きる。
 そして、七色の旋律は七つの小さな魔方陣を創り上げ、それらは互いに共鳴し反響し増幅し合いながら一つに纏まり、その呪文に籠められた意味や想いを高めていく。
「――色を切り取り移し変え、その存在を組み替える。肉を切り取り移し変え、その限界を入れ替える。変化の理、断罪を断り、我求めるは可変の異なり」
 詠唱が続くにつれ、魔法の対象者である私の周囲にも少し変化が起こっていた。パチュリーが創り上げる魔方陣と同じものが背後にも現れ、その間に挟みこまれる形となっているのだ。
 そして――
「生まれ出でよ選択肢。失われたその可能性を解き放ち、新たな姿を顕現させよ!」
 ――魔法が完成する。
 紡がれた言葉がその魔道書に籠められた意味を開放し、魔力で組み上げられた法則が世界の理を組み替える。そして、前後に生まれていた魔方陣が私の体へと近付き始め――二つのそれに挟み込まれたその瞬間、全身が裏返るような奇妙な感覚と、強烈な脱力感に襲われ、私は思わず片膝を付いた。
 同時に、周囲にあった照明が消え失せてしまったかのように、急速に世界が暗さを増していく。一体何なのだろうかと思いながら軽く頭を振り、不快感を振り払いつつ立ち上がると、すぐ正面に魔道書を抱えたパチュリーがやって来ていた。
「気分はどうかしら」
「……暗い」
「え?」
「図書館が暗いわ。照明を落としてしまったの?」
 目を向けた先。まるで光量が半分以下になってしまったかのように、図書館全体が暗く沈んでいる。さっきまではその奥までしっかりと見通す事が出来たというのに。
 突然の状況に困惑する私に対し、パチュリーは少し苦笑しつつ、
「いえ、さっきのままよ」
「嘘。こんなに暗くは無かったわ」
 そう食って掛かろうとする私へと、パチュリーは先ほどまで詠唱に使用していた魔道書を指で軽く突き、
「レミィ、今の貴女は人間になっているの。夜目の利く吸血鬼と違って、人間の視界というのはとても狭いものなのよ」
「あー……そういう事、か。つまり、これが咲夜や霊夢が見ている世界なのね」
「ええ、そうよ」
 つまり照明が落とされた訳ではなく、元々この図書館はこの暗さだったという事だ。吸血鬼である私にとって、夜の暗さや闇の深さに対しての恐怖はないけれど……実際に夜目が聞かなくなってくると、これらに恐怖を感じてしまうのも解るような気がした。
「あれね、親しかった相手に突然裏切られたような気分ね」
 それに、以前ならば図書館に保管されている魔道書の数々から魔力を感じる事が出来たのに、今ではそれを感じられない。当然、目の前に立つパチュリーからも魔女らしいオーラを感じられなかった。彼女はそう、なんだか病弱そうな少女にしか見えなくて――って、これはいつもの事か。
 世界の暗さ、静けさ、気配……周囲の様々なものが興味深く見える中、取り敢えず椅子に腰掛け直して紅茶を飲むと、その美味しさは変わっていなかった。それに何か奇妙な嬉しさとくすぐったさを感じていると、不意に図書館の扉がノックされ、静かに扉が開き、
「失礼します。ケーキが焼き上がりましたのでお持ちしました」
 と、しっかりと挨拶をして、小さなバスケットを持った咲夜がやって来た。彼女はそれをテーブルへと置くと、こちらをちらりと確認し、そして疑問符を浮かべ、
「……パチュリー様、お嬢様はどこに?」
 ん? 咲夜は一体何を言っているんだろう。
「それと、この女の子は誰なのでしょうか」
「ちょっと、咲夜!」
「はい! って、あら?」
 くるりくるりと、メイド姿が周囲を見回す。私は椅子から降りると、そんな彼女の正面に立ち、
「『お嬢様の声がしたのにそのお姿が見えません』、なんていうボケは認めないわよ!」
 私の言葉に、咲夜がきょとんとした顔をした後、
「あの、貴女、どうして私の名前を……?」
 駄目だ、埒が明かない。
「パチェ、説明!」
 面白そうにくすくすと笑っていた魔女は、私の言葉に「はいはい」と答えてから、
「咲夜、彼女は……いえ、彼女がレミィよ」
「……パチュリー様、ご冗談はお止めください」
 何だって?
「確かに彼女はお嬢様にそっくりですが、お嬢様は彼女のように健康的な肌をしておりませんし、髪の毛の色は茶色ではありません。それに彼女の目は青く、長い犬歯も見られません。あと、あの禍々しい魔力も感じられませんし……」
 と、言いながら少しずつ不安になってきたのか、こちらの様子をちらちらと確認しながら咲夜が言う。しかし、最後の一言だけは断言するように告げた。
「それに、彼女には羽がありません」
「嘘」
 思わず声が出て、私は普段の調子で背中にある羽を動かそうとして――普段なら動く筈の筋肉が動かないような、気持ちの悪い感触がして、軽く血の気が引くのを感じた。
 一気に焦りが拡がるのを感じつつ、慌てて背中へと視線を向けると、そこには椅子やテーブルが見えるだけで肝心の羽が見当たらない。
 焦りは止まらず、あわあわと背中を確認する私に、「レミィ」とパチュリーの声が掛かった。
「落ち着いて。……というより、実際に見てもらった方が良いか。咲夜、手鏡はあるかしら?」
「あ、はい、ここに」
 咲夜から手鏡を受け取ると、魔女が何事かを呟き――次の瞬間、それを拡大したかのような巨大な鏡が正面に現れた。魔法って凄い。
「レミィ、貴女は今、吸血鬼としての力を全て失っている状態にあるの。つまり、ただの人間。闇を見通す眼は失われ、特徴として持っていた鋭く伸びた犬歯も、闇を切り裂く羽も、岩をも砕く腕力も、風を超える俊足も、霧化も犬化も蝙蝠化も出来ない」
「犬じゃなくて狼。でも、本当だわ」
 だってそう、私の姿が鏡に映っているのだから。
「……私、こんな顔してたんだ」
 それは感動にも似た感覚で。ぺたりぺたりと自分の顔に触れてみるその姿は、咲夜の言うように茶髪でちんちくりんな女の子だった。口の中を見てみると、犬歯も人間のそれと変わらない。紅いと言われてきた目は深い青色をしていて、睨みつけてみても迫力が無い。
 でも――吸血鬼としての姿では無いにしろ――これがレミリア・スカーレットという存在の姿。思っていた以上に可愛らしいその姿に、ちょっと安心している自分がいた。
 と、そうやって鏡と睨めっこを続けていると、珍しく困惑した表情をした咲夜が背後に立っている事に気付いた。私は鏡越しに彼女へと視線を向け(こんな事が出来る事にも感動しつつ)、
「パチェの魔法でこの姿になったのよ。ほら、雨だし、遊べないし」
「そうだったのですか……。先程は申し訳ありませんでした」
 そう言って咲夜が深く頭を下げる。けれど、まだその表情には困惑の色が残っていた。
 でも、今の自分の姿を見る限りそれも仕方ないかとは思う。血で汚れていない白いドレスを着るその姿は、どこをどう見ても普通の人間なのだから。
「でも、これで雨の中も大丈夫になったのよね?」
 改めて確認するようにパチュリーへと問い掛けると、彼女は椅子に腰掛けてから、
「ええ、大丈夫よ。雨の中だろうと日光の中だろうと、今のレミィなら自由に活動出来るわ。……だけど、一つ忠告をしておかなきゃ」
「忠告?」
「ええ。何度も言うようだけれど、今のレミィはただの人間。運命を操る力も無い、ひ弱な存在なの。まぁ、弾幕ごっこぐらいなら出来るでしょうけれど、本気の勝負は出来ないと思った方が良いわ。何せ、その体にある魔力は吸血鬼だった頃の百分の一……いえ、もっと低いのだから」
「そ、そんなに低いの?」
 いくらなんでもそれは弱くなり過ぎでは無いだろうか。そう思っての問い掛けに、しかしパチュリーはこちらを見据え、
「逆に聞くわ。吸血鬼は、人間の百倍程度の力しか持たないの?」
「そんな訳……って、そういう事か」
「そう。レミリア・スカーレットという吸血鬼の持つ力が強大だった分、今の貴女は本当に弱くなってしまっているの。だから、以前のスペルを扱う事が出来てもその威力は人間並みになってしまう」
 それはつまり、圧倒的な力で相手を捻じ伏せる、という吸血鬼らしい戦いが出来ないという事だ。
「解った、肝に銘じておくわ。まぁ、戦う事は無いでしょうけれどね。……それじゃあ咲夜、ちょっと探検に行くよ」
「畏まりました、お嬢様」
 そう答え、軽く頭を下げる咲夜を引き連れて、私は薄暗い図書館を後にした。


2

 図書館の扉が咲夜によって開かれた瞬間、まるで待ち構えていたかのように、外に充満していた空気に抱き締められた。
 強く感じる夏のにおい。そして全身に纏わり付いてくるような蒸し暑さに、私は廊下へと出ようとしていた足を思わず止め、
「……蒸し暑い」
 人間というのは温度変化に弱いのか、息苦しさを感じるほどの暑さに思える。けれど咲夜は慣れたものなのか、静かに扉を閉めながら、
「梅雨時というのはそういったものですわ。それに、今日はまだ涼しい方です」
「嘘」
「嘘ではありません。本来なら、この時期はもっと蒸していますから」
 そして梅雨が明ければ、夏という更に暑い季節がやって来る。いくら吸血鬼の体が温度変化に強いと言っても限度があるし、そりゃあ霧でも出して日光を遮りたくもなるというものだ。
「でも、まだ何か奇妙な感じが致しますね」
 何が? という言葉と共に視線を上げれば、咲夜がこちらを見てた。どうやら表面上は普段の瀟洒さを取り戻しているけれど、まだ少し疑念が残っているらしい。
「いえ、疑っている、という訳ではないのですが……やはりこう、今のお嬢様からは普段の禍々しさが感じられませんので」
「そういえば、さっきもそんな事を言っていたね」
 屋敷の裏手へと向けて歩き出しながら、図書館での会話を思い出す。私自身には自覚が無いけれど、人間である咲夜には何か感じられるものがあったのだろう。
「でも、その禍々しさが無くても私は私よ」
「はい、解っております。ですから今は、お嬢様がとても可愛らしく思えますわ」
 うわぁ、突然何を言い出すこのメイド。そう思いながら咲夜を改めて見ると、そこには年上のお姉さんぜんとした優しい微笑みがあった。恐らくこれは庇護欲に目覚めた顔だ。間違いない。
 吸血鬼――妖怪が持つ禍々しさというのは、彼等が人間を越えた存在だからこそ持つ気配やオーラのようなものだ。それは人間達に恐怖を生み出させ、恐れや畏怖を与える力となる。だからこそ妖怪は存在するだけで人々から恐れられるようになった。ビジュアル的な恐怖以上に、心の奥へと染み行って来る感覚が、人間達の弱い精神を揺さ振ってきたのだ。
 けれど、今の私からはその禍々しさが、恐怖を感じさせるような気配が出ていないのだろう。まぁ、その気配があった所で今の咲夜には通じないのだろうけれど、それでもレミリア・スカーレットとしての威厳は保てた筈だ。図書館で「あの女の子は誰なのでしょうか」なんて質問を受ける事も無かっただろう。
 咲夜からしてみれば、今の私は『小さな女の子』でしかないのだ。こうなってしまったが最後、主としての威厳が一気に下がってしまったに違いない。どうにかこれ以上彼女に甘く見られぬよう、私は胸を張ってずんずんと歩いていき――ふと、この体でも空を飛べるのだろうか、という疑問が湧いた。
 今までは羽を動かし、全身を包むように魔力を形成する事で体を浮かせていた。けれど、今の私には肝心の羽が無い。それでも魔力の全てが消えて無くなっている訳ではない以上、恐らく空を飛ぶ事は出来るだろうと思えた。
「……うーんと」
 足を止め、イメージする。
 今は羽が無いけれど、それを動かし、全身を浮遊させるイメージ。
「んー」
「……」
「ん、んー」
「……」
「……」
「……」
「……この、このっ」
「あの……お嬢様?」
「ていっ、むんっ」
「……」
 咲夜の目線で見れば、廊下の真ん中で急に立ち止まった女の子が、突然背中を丸めたり伸ばしたりしながら、一生懸命ぴょんぴょん飛び跳ねている様子が窺えるだろう。
 しかし当の私本人からしてみれば、ありもしない羽を羽ばたかせて飛ぼうと懸命になっているので、今の自分がどんな醜態を曝しているのか気付けない。
 そうして暫くの間、私は小さくぴょんこぴょんこと飛び跳ね続け……
「……やっぱり無理か……。って、あれ、咲夜?」
 後ろを振り向いてみると、背後に仕えていた筈の咲夜が居ない。一体何処に行ったのだろうかと思った瞬間、外で何か物音がした。一体何だろうかと、見えてきた窓の一つに近付いていこうとして――背後に気配。見れば、何事も無かったかのような姿で咲夜が立っていた。
「すみませんお嬢様、不埒者を排除しておりました」
「不埒者?」
「はい。烏が一羽、屋敷の中へと入り込もうとしておりまして」
 そう事も無げにいって、十六夜・咲夜は瀟洒に佇む。そのメイド服は一切雨に濡れておらず、外に出てきた事すら感じさせない。時間を止められる為か、彼女はそういった所も決して気を抜かないのだ。
 私はそんな咲夜を褒めたあと、最後にもう一度ぴょこんと飛び跳ねて――やっぱり飛べなくて。肩が落ちるのを感じながら、再び廊下を歩き始めた。



 雨の音を聞きながら、紅く伸びる長い廊下を歩いていく。交わしていく会話は普段通りの世間話で、でも眼に入る風景の違いからか、なんだか少し楽しくて。
 そうして私達は屋敷の裏手へと進んで行き……不意にある事を思い付いた私は、廊下の真ん中で再び足を止めると、
「咲夜、ちょっと空間を拡げて」
「畏まりました。広さは如何致しましょう」
「一部屋分ぐらいで良いわ。ちょっと自分の力がどんなものか気になってきたの」
 パチュリーに散々注意されたとは言えど、『流石にそこまで弱くなってはいないだろう』という思いが私の中にはあった。だからこそ、外に出る前に一度自身の状態を調べておこうと思ったのだ。
 そうして咲夜が頷いた次の瞬間には、目の前に開けた空間が一つ出来上がっていた。解りやすく説明すれば『中』という文字の形に廊下が拡がったような感じだ。
 私はその中央へと進み、「まずは、っと」進んで来た方向とは逆。玄関ホールへと続く廊下へと視線を向け――そこにある闇を射抜くように目を細め、必殺の槍を召喚する。
「――グングニル」
 広げた掌の先。呼び声に答えて現れた真紅の神槍は、まるで普段と変わらぬ姿でそこにあった。それがいつもよりも神々しく感じるのは、今の自分が人間だからだろうか。複製したものとはいえ、元々は戦神が扱っていたものだし。そんな事を思いつつ、私はその柄を掴み、
「なんだ、大丈夫じゃな――って、重ッ!!」
 瞬間、その重さに思わずグングニルを床に落としそうになった。両手を使えばどうにか持っている事は出来るものの、これを投げるのは無理がある。
「お、お嬢様、大丈夫ですか?」
「へ、平気よこのくらい。でも、グングニルはちょっと重いから無しね」
 咄嗟に支えに入った咲夜の目線から逃げるように顔を逸らしながら、普段の要領でグングニルを送還し――かなりの魔力を消費している事に気が付いた。
 例えば、普段グングニルを召喚する為に角砂糖一つ分の魔力を消費しているとしたら、今ので角砂糖十年分ほどの魔力を使ってしまったのだ。
「……自分でも良く解らない例えね」
 とはいえ、それは私にとってかなりの衝撃で――けれど咲夜が居る手前それを表情に出す事は無く、私はそのまま次のスペルに移る事にした。
 でも、このまま続けて魔力を消費すれば倒れてしまいかねない。流石にそれは恥ずかしいので、私は普段使用しているスペルカードを取り出しながら、心配げな表情で立っている咲夜へと向き直り、
「今からスペルカードを使ってみるわ。全力で行くから、全力で避けなさいね」
「畏まりました、お嬢様」
 言葉と共に咲夜が距離を取る。暗い廊下の中であまり遠くに行かれてしまうと少し心細くなって来てしまうのだけれど、自分から全力で攻撃すると言ってしまった以上引き止められない。今後はもっと廊下の照明を増やそうと心に決めながら、右手に持つカードを発動させる鍵を読み上げた。
「レッド・マジック!」
 宣言と共にカードに籠められたスペルが意味を持ち、弾幕という形を持って展開する。それはまるで世界を霧で満たすかのように、周囲を紅い弾幕で埋め尽くしていく――筈が、生まれ出た弾幕はあまりにもひ弱だった。
 それはまるで本来存在しないイージモード。見ているこっちが『ごめんね』と謝りたくなってくるぐらい簡単に回避出来る弾の霧の中を、私の威厳を失わせまいと咲夜が必死に弾の濃い部分を選んでは回避していく。
 そうして約百二十秒後、私と咲夜の間に残ったのは何とも言えない空気だけだった。嗚呼、弾幕と一緒にこんな空気も消え失せてしまえば良いのに。
「あ、あの、お嬢様、その……」
「……何も言わないで、咲夜。フォローされると逆に辛いわ」
 スペルを放った瞬間、それに振り回されるかのような、自分の力を上手く引き出せないかのような違和感があった。それは吸血鬼レミリア・スカーレットが扱う為のスペルカードを人間が扱ったからこその違和感だったのだろう。
 でも、これなら確かに吸血鬼だった頃の百分の一以下の力しかないのも頷ける。そして同時に、ここまでひ弱な存在に追い詰められ、殺されそうになってきたという事実になんとも言えない気持ちになる。
「人間って凄いわね……」
 たったこれだけの力で、自分よりも遥かに強大な存在に立ち向かえるなんて。そこにある勇気や決意といったものは、妖怪の想像を超えている。
 と、そんな事を思っていると、
「ああ、人間ってのは凄いもんだ」
 何気なく呟いた言葉に返事が返ってきた。聞き覚えのあるその声に視線を向ければ、箒に跨った霧雨・魔理沙の笑顔があった。
 彼女は振り向いた私へと視線を向けると、少し不思議そうな顔をしながら、
「――っと、すまん、レミリアだと思ってたんだが違ったようだ」
 暗くて見間違えたみたいだ。そう呟いて、魔法使いが軽やかに着地する。そこに拡がる星々の煌めきに『ああ、魔理沙の魔法は人間の目から見るとこうも綺麗なものなのか』と感心していると、不思議そうな表情した彼女の顔が目の前に迫っていた。
「しっかし、レミリアに良く似てるな。なぁ咲夜、コイツは一体誰なんだ?」
「お嬢様よ」
「へぇ、遂に紅魔館の主人が変わったか」
 冗談とも本気とも付かない様子で、魔法使いが小さく笑う。そんな彼女へと思わず蹴りを放つと、しかし彼女は軽々とそれを回避し、落ちそうになった帽子を押さえつつ、
「冗談だよ、お嬢様。魔法使いである私が、そこまで強い魔法に気が付かない訳がないだろ?」
「良く言うわ。十年そこらしか生きていない人間の癖に」
「知識は量より質だぜ」そう言って、普段は力任せの魔法しか使わない幼い魔法使いは帽子を被り直し、「でも、どうしてそんな姿になったんだ? パチュリーと喧嘩でもしたか?」
「まさか」
 少々大仰に言ってから、パチェが用意した魔法について説明していく。
「ちょっと雨の中を歩いてみたくなったのよ。でも、吸血鬼の体じゃ外に出られない」
「だから魔法で細工をした訳か。面白い事をするもんだな」
 納得と、そして少しの驚きを持って魔理沙が言う。そこにあるのは純粋な好奇心だろうか。本来強者である妖怪が、食料である人間になってみたという事への興味。
 けれどそれは、狩られる側の思考に過ぎないと私は思う。人間は妖怪が自分と同じ位置に下がってきた事に何か特別な意味を求めるのかもしれないけれど、当の妖怪からしてみれば、それはただの暇つぶしにしか過ぎないのだから。
 とはいえ、こういった状況にならなければ、そうした認識の違いに意識が向く事もなかった筈で、
「なんだか視野が拡がった気がするわ」
「そりゃあ良かった。まぁ、適度に楽しんでくれ」
 箒に跨り、そして最後に私の頭を軽く撫でてから、魔法使いが空へと浮かぶ。まるでこちらを子供扱いするかのようなその行為に、何か文句の一つでも言ってやろうかと思ったけれど、意外に不快な感じがしなかったので止めておく事にした。……あとで咲夜にもやってもらおうか。
 と、そんな事を思いながらいると、背後に仕えていた咲夜が一歩前へと出ながら、
「待ちなさい、魔理沙。暫くの間、部外者の図書館への出入りは禁止しているの」
 優しさ半分、鋭さ半分で響いたその声に、動き出そうとしていた魔理沙の動きが止まり、
「おいおい、今更何でだよ」
「『図書館は現在湿気対策中なのよ。だからその最中に本の数が減ったり、その位置が大きく動いたりすると、調整をやっている小悪魔に負荷が掛かる。そうなると私への小言も増えるから、鼠は必ず捕まえて頂戴』」
 と、図書館に籠る魔女のように少し早口で言ってから、
「――そうパチュリー様に仰せ付かっているのよ。だから、湿気対策が必要なくなるまで図書館には立ち入り禁止」
「けちー。去年までは大丈夫だったじゃないか」
「去年は去年。今年は今年よ。あとで紅茶を出してあげるから、それで我慢して」
 こうして見ていると、咲夜がお姉さんで、魔理沙が妹みたいね。そう思いながら二人の様子を眺める私の前で、悪ふざけの好きな妹がにやりと笑い、
「……でも、そう言われると行きたくなるのが人情ってもんだろう?」
 言葉と共に一気に高度を上げると、周囲に魔方陣を生み出し始めた。咲夜はその様子に「全く、困った子ね」と小さく漏らしてから、
「お嬢様、下がっていてください。魔理沙を止めてまいりますので」
 その言葉に、「私も手伝おうか?」と告げようとした瞬間、彼女の姿が忽然と消え失せていた。そしてそれを把握した時には、上空に気配が二つ。
 見れば、弾幕ごっこが始まっていた。 





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