天のいぬ。

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2

 上を下への大騒ぎ、という言葉があります。混乱しているさまを表す言葉ですが、現在私の目の前では実際にそれが起こっていました。
 それはもう描写するのが面倒な位の大騒ぎ。今なら大根が走っていても驚きませんよ、ええ。
「……全く、面倒な場所にやってきたものだわ」
 幻想郷に新しい建物が現れるのは、最近では少ないですが珍しい事ではありません。外の世界から屋敷ごと移動してくる妖怪が現に居るからです(最近では紅
魔館がそうでした)。
 そして、幻想郷に新しい神様が現れるのも珍しい事ではありません。そもそも八百万も居る上に、付喪神として普段大切に使っている道具が神となる場合もある
からです。
 しかし、我々天狗のテリトリーであるこの山に、しかもその上に突然神社ごと神様が現れたとなるとその状況は一気に変わってきます。というか大問題です。しか
もその神様がこの山を自分達の物にしようとしているとの事で、この問題は天井知らずに大きくなっていくばかり。同僚の話では天魔様まで動いているという話で、
正に天地を揺るがす大騒ぎになっているのです。
 ……とはいえ、忙しいと言っても、しがない新聞記者である私に出来る事は無く、雑務に追われているのが現状なのですが。当然仲間の天狗達も同じように慌た
だしく動き回っていて、部屋の中はかなりの五月蝿さに満ちています。なので誰にも聞かれはしないだろうと思いながら「……嗚呼、取材行きたい」なんて呟きを漏ら
していると、
「何か仰いましたか?」
 どうやら聞こえてしまったのか、隣で私の仕事を手伝ってくれている椛が顔を上げ、問い掛けてきました。彼女は本来防衛の任に就かなくてはならないのですが、
まだまだ新人という事もあり、こうして私の手伝いを命じられているのです。
 疲れの見える彼女を心配させないように、私は笑みを浮かべ、
「ちょっと独り言。このところ毎日書類整理をしたり、状況確認の為のレポート作成に明け暮れていたから、少し現実逃避したくなったの」
 ここ最近、愛用の写真機に触れる機会すら無いのです。当然取材に行く暇などあったものではなく、記者としての私は日々のストレスに圧迫されていくばかり。け
れどそれは山で暮らす天狗達全員に共通する事なので、駄々をこねる訳にはいきません。
「ただの戯言ね。気にしないで」
「解りました……」とは良いつつ、椛は書類整理を行っていた手を止めて、何かを考え、「……そういえば、文さんは将棋は嗜まれますか?」
「ええ、まぁ、それなりには」
 突然何を、とは思いつつも頷き返します。ここ百年近くは取材ばかりで将棋をのんびり指す事もありませんでしたが、決して弱くはありません。
「そうですか」
 私の言葉に彼女はそう呟き、そうしてまた何か考え込んだと思うと、不意に顔を上げ、
「でしたら、この騒ぎが一段落したあとにでも、私に――」
 その時です。
「大天狗様!」
 その声と共に、年老いた白狼天狗が部屋に飛び込んで来ました。
 警備担当が慌ててやってくる――それは、何か状況に変化が起こった事を意味します。彼の登場に部屋の中は一気に緊張に包まれ、そしてその報告を聞き逃さ
んと皆が耳を立てるのが解りました。
 かなり急いでやって来たのだろう彼は、荒れた息を整える暇も待たず、机を囲んで他の天狗達と対策を練っていた大天狗へと駆け寄ると、
「山に、侵入者が入り込んでおります!」
 ――それはまるで青天の霹靂のように、全く予期していなかった言葉で。
 その一言で部屋の混乱は更に増し、怒号にも似た声が飛び交い始めます。侵入者が現れたという事は、つまり麓から山への侵略を目論む者が現れたという事。
恐らくはこの混乱に乗じてこの山を乗っ取ろうという魂胆なのでしょう。
 ただでさえ緊迫状態にあった部屋の中は怒声の飛び交う戦場となり、変化しない状況に痺れを切らしていた者達の中からは、今すぐにでも総力戦に持ち込むべ
きだという過激な意見すら飛び出し――
「静まらんか!」
 と、物理的な衝撃を感じそうなほどの声量で、部屋の中に大天狗の喝が飛びました。それは正に言霊。一瞬で部屋の中が静けさを取り戻し、そして改めるように
大天狗が白狼天狗へと問い掛けます。
「警備状況はどうなっておるのだ」  
「そ、それが、山の上に現れた者達の動向を探るべく、戦力を山の各所に分けております故、侵入者に割く戦力がないので御座います。ですので、ご報告と共に、
ご命令の変更をと……」
 おいおい迎撃出来てないのかよ、と誰かが呟き、それを切っ掛けに再びざわめきはじめてしまった部屋の中、大天狗と白狼天狗が話を進めていきます。その会話
を盗み聞こうと思うのですが、回りの声量が大きすぎて上手く聞き取れません。嗚呼もう五月蝿い。
 とはいえ、報道機関の一員である私は見守る事しか出来ません。それはこうやって雑務を任されている状況からして明らかな通り。私の役目は戦いではなく、取
材を行う事なのです。
 しかし、私の隣で小さくなっている椛は違います。こうなってしまった以上、彼女が駆り出される可能性も――などと思っていたら、お呼びが掛かりました。
「椛」
「は、はい!」
 大天狗の言葉に椛が返事を返します。思わず大天狗の顔を睨みつけると、彼はそれを意にも介さず、駆け寄って行った彼女へと指示を与え始めました。
 それは白狼天狗と話していた時よりも大きな――部屋に居る天狗達に敢えて聞かせるような声量で、
「お主には侵入者の足止めを命じる。ある程度時間を稼いだら、深追いをせずに戻ってくるのだ」
「わ、解りました」
「そして侵入者の情報をつぶさに伝えよ。解ったな?」
「はい! ――では、犬走・椛、往って参ります!」
 そう彼女が大きく宣言し、大天狗へと深く頭を下げ――けれど周囲の天狗達の視線から逃げるように私の所へ駆け戻ってきました。勢い良く啖呵を切ったのは良
いものの、やはり緊張してしまっているようです。
 私は全身を強張らせる彼女の頭を軽く撫で、そしてその大きな目と視線を合わせながら微笑み、
「気を付けてね、椛」
「は、はい!」
 それで少しは緊張がほぐれてくれたのか、彼女の体から多少強張りが抜けました。
 そして愛用の大太刀と、巨大な盾を手に椛が部屋を出て行きます。沢山の声援を受けるその背中は小さく、ですが決して弱々しくない力強さがありました。
 こういった状況が訪れた時の為に稽古を行ってきたとはいえ、それでも怪我をせず無事に戻ってきて欲しい……そう思いながら彼女を見送ると、大天狗の視線が
私に注がれている事に気付きました。
 慌ただしさの残る部屋の中、私はその巨躯へと近付くと、
「……なんですか」
「椛が戻ったら、お主に侵入者を向かい討って貰おうと思うてな」
 両腕を組み、さも事もなさげに大天狗が言います。全くこの阿呆は脳に花でも咲いているのでしょうか。
「私は報道機関の天狗です。そういった事は、ウチの上司を通してください」
「話ならもう付けてある」
「……何ですって?」と、そう問い掛けると同時に、隣にある会議室から同僚がやってきました。そして私の姿を見付けると、少々困惑のある顔で、
「シャメ。お前に自警隊への協力命令が出たぜ」
 うわぁ、本当に話が付いてる……。
「……あー、今聞いたわ。了解しましたと伝えておいて」
「あいよー」
 言って、「お前も大変だな」と苦笑しながら同僚が上司のいる会議室へと戻って行きます。私は大きく溜め息を付きながら、呑気に煙管なんざ吸い始めた大天狗
の隣へと腰掛け、
「で、一体何を企んでいるんですかこの耄碌爺。今は私なんかが出張るような状況じゃ無いでしょう? というか、いつの間に手回しをしたんです」
「さっきの白狼に頼んでな」
 言われてみれば、先程までここに居た筈の白狼天狗の姿が見当たりません。椛に意識を取られている内に話を進められてしまったようです。不覚。
 と、大天狗が紫煙をくゆらせながら、私だけに聞こえるように、
「それにな射命丸。お前が俺を爺と言うのなら、お前だって十分婆だろうが」
「……私に断りもせず、勝手に老ける事を選んだアンタに言われたくないわ」
 昔の口調に戻りながら言う彼にイラっとしながらも、私も彼だけに聞こえるように言い放ちます。正直言いたい事はたっぷり七百年分ぐらいあるのですが、今はそ
んな事を話している場合ではありません。
「で、どうして私なんです。取材を行えというのならまだしも、迎撃は私の範疇外ですよ」
 私の言葉に、大天狗はさも困っているかのように顎鬚を撫で付けながら、
「実はな、手が空いているのがお主しかおらんのだ。上手くいけば侵入者に関する情報を全て独り占め出来る訳じゃし、悪い話ではなかろう?」
 確かに悪い話ではありません、しかし、誰かが侵入者に対する情報を独占する、などといった状況では既に無くなっているのです。それなのにも拘らずこうして私
に話を持ち掛けてきたという事は、相応の裏があるに違いありません。
「……何か釈然としませんが、まぁ良いでしょう」
「頼んだぞ。彼奴等を山に入り込ませぬようにな」
「解っていますよ」
 そう答えて、大天狗の手から煙管を奪い、軽く一口。
 書類整理以上に気が進みませんが、椛が頑張って情報を仕入れてくる筈なので、それに応えられる働きはしましょう。
 何よりも誰よりも、彼女の期待に答えられるように。

 
 とまぁ、この時の私は、この後に訪れる状況をまるで予測出来てはいませんでした。
 まさか、侵入者が博麗・霊夢と霧雨・魔理沙だとは思いもしなかったのですから。



 そうして、ピンチをチャンスに変えた私は功労賞を貰うほどに褒められ、八坂・神奈子や東風谷・早苗と戦う霊夢達の様子を的確に報告した椛は私以上の賞や褒
美を頂く事になりました。
 山に大騒動を呼んだ今回の事件はこれで終結し、私達の間にようやく平穏がやって来たのです――と思ったら、今度は神様を招いた宴会の毎日が始まりました

 朝も早くから宴会は始まり、そして次の朝まで宴会が続きます。呑んで歌って騒いで踊る。酒宴は終わる事を知らずに新たな宴会を巻き起こし、溜まりに溜まった
ストレスや疲れを発散するかのように際限なく続いてきます。
 まぁ、楽しいから良いのですが、それも毎日のように続いてくると少し飽きてくるもので。それに、お酒に強く、酔い難い体質である為か、際限なく高まっていくテンシ
ョンに段々付いていけなくなってきたというかなんというか。
 そろそろ写真機を片手に取材にでも行きたいなぁ、などと思い始めた、そんなある日、
「居た居た居ました文さんですよ! ようやく見つけましたよー!」
 結構顔が赤く、なんだかとても陽気そうな表情で椛がやってきました。そして私の目の前にすとんと座ると、手に持った一升瓶をその間にどんと置き、
「さぁ開けますので呑みましょう! らめって言っても呑んでもらいますよぉ!」
 呂律が上手く回っているようで回っていない口調で言う彼女に私は苦笑しながら、
「それは良いけど……椛、貴女結構酔ってるわよね?」
「酔ってません! 酔ってませんのですよ!」
 そう、酔っ払いなら誰でも言うような一言を口にしながら、何が楽しいのかおかしそうに笑い出してしまいました。その様子を微笑ましく眺めつつ、私はちょっと気に
なった事を問い掛けます。
「それで、さっき『ようやく見つけた』って言っていたけど、それはどういう事なの?」
「あ、それはですねぇー、わたしが文さんをようやく探し出せたという事なんですよー! えへへ」
 あれ、答えになってない。そう思う私を前に、嬉しげに椛が笑います。ああもう、こういう状況でも可愛いのねこの娘は。撫でてあげましょう。うりうり。
「やぁ、くすぐったいですよぉ」
 と、逃げようとする椛の頭を撫で回しつつ、探し出せたという言葉から、彼女の言わんとしている事は読み取れました。
 現在私達の居る宴会場は上座・下座関係なく、天狗や河童が一同に介して大宴会を行っています。それは、一度場所を動くとすぐにそのスペースが消えてしまう
ほどの混雑ぶりで、にも拘らずその総数は減らずに増え続けているという有様なのです(もし今この状況で山に攻め込まれたら、確実に我々は負けるでしょうね。
何せ哨戒に出ている筈の白狼天狗の一人が、私の腕の中で頭を撫でられているのですから)。
 そんな中で特定の一人を探し出すというのは、椛の能力を持ってしても困難だったに違いありません。しかも、彼女は今回の事件で一躍有名になってしまいまし
たから、探している最中も沢山の天狗達に声を掛けられた筈です。こうしてすっかり出来上がってしまっているのも、その先々でお酒を呑んできたからなのでしょう。
 その陽気な様子を見るに、お酒に弱いという事は無さそうですが……でも、多少は無理をしてしまった筈。私の方からも彼女の事を捜せばよかったのに、悪い事を
してしまいました。そう思いながら彼女に謝ると、しかし何故か楽しげに、
「だいりょーぶです! 友達がいっぱい出来ましたから!」
「友達?」
 どうやら、私を探している間に沢山の天狗や河童と出逢った結果、多くの友人を得る事に成功したようです。以前彼女は『昔から訓練ばかりで、実は友達が少ない
んです』とこぼしていた事がありましたから、今日の出逢いは彼女にとってプラスに働いていくに違いないでしょう。
「良かったわね」
 その言葉と共に開放してあげると、椛は少し残念そうな顔をしながらも、
「はい! では開けますから呑みましょう!」
 嬉しげに楽しげに言って、彼女が一升瓶を手に取りました。ここ暫くは椛もストレスの溜まる毎日でしたでしょうから、開放された事が、そして自分の働きが褒めら
れた事が嬉しくて堪らないのでしょう。
 そんな彼女のテンションがこちらにも伝染して来て、なんだか酔ってもいないのに楽しくなってくるのを感じながら、私は椛からお酒を注いでもらいます。そして今
度は私が彼女のコップにお酒を注ぐと、『乾杯』の一言と共にコップを打ち合わせ、そして一口。
 飲み慣れている筈なのに、舌に残る日本酒の甘さをやけに強く感じて――

 そうして、宴会の日々は過ぎていきました。





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