霧雨の降る日に。
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3
数日後。
綺麗な青空が拡がったその日、里にある花屋で花を一束買ったアリスはその足で林へと向かっていた。前回は墓前で逃げ出してしまったようなものだったから、今度はちゃんと墓参りへと向かう事にしたのだ。
今日も必死に鳴き続ける蝉の声を聞きながら、一人ゆっくりと林の中を進んで行くと、前方から数人の人影が現れた。それは見たところ妖怪ではなく人間のようで――相手に気付かれる前に、アリスは木々の間に姿を隠していた。彼等の戻ってきた方向に魔理沙の母親の墓がある事を知っている今、余計な面倒を起こすのは彼女に悪いと思ったのだ。
そうして、息を潜めるアリスに気付かずに、三人の人間達――若い男が二人と、中年の男性が一人――が進んでいく。
若い男はそれぞれに武器を持ち、中年の男性を護るように進んでいく。護られている中年の男性は手に畳んだ堤燈を持ち、少し俯きながら歩いていた。
その男性の事を、アリスはどこかで見掛けた事があった。けれど、よく思い出せない。
「里で、だったかしら。……うーん」
狭い人里の中でなら、同じ人物と何度も擦れ違う事がある。恐らくそれで記憶に残っていたのだろう。
そして人間達の姿が完全に見えなくなってから、アリスは墓前へと向かった。
「……やっぱり、綺麗な場所ね」
突き抜けるような青空の下に拡がる丘はまさに別世界だ。まるでここだけ何かの結界に護られているかのような、そんな錯覚にすら陥ってしまう。
「さて、お花を――って、あら?」
どうやら先程の男性達は魔理沙の母親の知り合いだったようだ。小さく、しかし綺麗に整えられた墓には新たな花が添えられ、お供えだろう包みも二つに増えていた。
けれど、魔理沙は墓守が自分と霖之助しかいないと言っていた。それなのに、これは一体どういう事なのだろうか。墓を前に、アリスは考えを巡らせ……恐らく魔理沙の母親の親族なのだと結論付ける。きっと、絶縁状態にある魔理沙へと情報が伝わっておらず、彼女はその事実を知らないままなのだろう。……一瞬何かが気になったけれど、多分気のせいに違いない。
そうして、「自前で火や水を起こせるから魔法って便利よね」なんて事を人形へと呟きながら花瓶に水を満たし、持参した花を活けていく。そして線香に火を点けると、線香皿へとそっと置いた(先程の男性達があげていったのだろう線香は、既に半分ほど灰になっていた)。そして、改めて墓石の正面へ。
静謐な空気の中、アリスは両手を合わせ、
「……ごめんなさい」
あの時私が妙な疑いを持っていなければ、魔理沙が服を汚す事はありませんでした。ですから、汚れた格好でやってきた彼女を悪く思わないでください。悪いのは、私なのですから。
「……。……では、私はこれで」
小さく頭を下げて、両手を下ろす。
そして人形に持たせていた鞄を手に取り……ふと、数日前、魔理沙が帰り際に言っていた事を思い出した。
「前にさ、母さんの事を閻魔に聞いた事があったんだ。そうしたら酷く怒られたよ。『貴女は大切な人の成仏を祈る事も出来ないのですか?』ってな。それに、部屋の掃除や墓参りをしっかり行え、なんて説教まで受けちまった」
「そう。だったら言う通りにしなくちゃね。……見守ってくださっているお母様に笑われないように」
「全くだ」
そう言って笑った魔理沙は少し淋しげで、でも、それはいつもの彼女の笑みだった。
そしてそれは、悲しみを乗り越え、一人でもしっかりと生きている少女の姿でもあって。
「……」
思う。
もし自分が同じ状況に陥った時、果たしてああやって笑えるようになれるだろうか、と。
「……まぁ、多分私の方が先に死んでしまうんでしょうけど」
優しく微笑む『かみさま』の事を思い浮かべながら、小さく呟く。彼女の信仰が失われる事はないだろうから、魔界の住民が全て消えるまで、アリスの母は生き続けるのだろう。
多分それが神様の役目で、だからこそ、娘であるアリスにはやるせなくて。
「……帰ろう」
魔法の森にではなく、魔界に。そして、自分に出来る限りの親孝行をして、思い出を沢山増やしてあげよう。
そう思いながら、アリスは歩き出し――
不意に、風が吹いた。
思わず振り返ると、そこには広い丘と、どこまでも拡がる青空、そして小さな墓が見える。
美しく、それでいて物悲しさを感じる風景。けれど、沢山の花が――生者の想いが添えられた墓だけは、まるで団欒の中にいるかのように思えて。
だから、想像でしかない風景を幻視する。
それは、霧雨家の暖かな団欒。
そこで笑う魔理沙は、誰よりも幸せそうな笑顔を浮かべているような気がした。
end
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