霧雨の降る日に。

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1
 
 魔法の森を抜け、道沿いに真っ直ぐ進めば人里へと辿り着く。そしてその中間に香霖堂と名付けられた商店があり、アリスは魔理沙達がそこに立ち寄るだろうと予測して後を付け始めた。
 しかし、どういう事か、彼女達は香霖堂を素通りしてしまった。そしてそのまま人里へと向けて歩いて行く。その様子を眺めながら、二人が何処へ向かうのか聞いておけば良かったと少し後悔する。
 人里までならまだしも、それ以外の場所に向かわれてしまうと本格的に後を付ける事になり、『偶然同じ道を歩いていたんですよ』的な言い訳が通用しなくなってしまう。もしそんな状況でこちらに気付かれでもしたら、言い逃れる為にかなりの骨を折る事になる。それだけは避けたくて、しかし足を止める事が出来ないまま、アリスは二人を追っていく。
 しかし、幻想郷の中でデートに向いた場所というのはかなり少ない。山と木々と湖、そして田畑ぐらいしかないような場所に、デートスポットと呼べるような所を求めるのが難しいのだ。……というより、妖怪が跋扈する中をのほほんとピクニックなんて事、普通は出来ない。
 それでも、人間達の集まる人里には、一応二人で楽しめそうな場所――カフェや茶屋など――があるにはある。魔理沙はあまり里に近付きたがらないけれど、流石にこういった状況では向かうだろう。そうして冷たい飲み物でも飲みながら、普段とは違う雰囲気での会話を楽しむに違いない。
 だが、そうなるとアリスに菓子を買わせた理由が解らなくなる。けれどそこはまぁ、恋する乙女の考えがあるのだろう、多分。
 そんな事を考えつつ、ゆっくりと歩を進める魔理沙の後姿を眺める。普段はスカートや帽子のボリュームに隠れてしまっているけれど、その体はとても華奢だ。解っているはずなのに、彼女が人間の少女なのだという事を嫌でも再認識させられてしまう。なんだか、二人で終わらない夜を創り上げ、あの霊夢すら倒してみせた一夜の出来事が嘘のようだ。
「印象の違いって怖いわね……」
 ただ着ている洋服が違うだけだというのに、ここまで感じ方が変わってしまうのだから。
 と、不意に魔理沙達が足を止めた。見ればいつの間にか里の近くにまでやってきていたようだ。彼女達は何か二言三言話をすると、霖之助が魔理沙へと傘を預け――そして、少々早足で里の中へと入って行ってしまった。
「……香霖堂さん、一体何を考えているのかしら」
 魔理沙を独り残して行くなんて、まさかトイレだろうか? だとしても一緒に里へ入るぐらいの事はするだろう。或いは、何か一人ではないと不味い用事でもあるのだろうか。
 色々と思案しながら魔理沙の様子を眺めていると、すぐに霖之助が戻ってきた。その手には花束と思われるものがあり、彼はそれを買いに行っていたのだろう。魔理沙はそれを受け取ると、傘を彼へと預けて再び歩き出した。
「……益々解らない」
 ただ花を買うだけだったというのなら、どうして一人で里に入ったのだだろう。いや、そもそも別の理由があって、その埋め合わせの為に花を買ってきたのだろうか? 
 判断材料が少な過ぎて、まるで答えが見えない。
 色々と思考しながら、アリスは二人の後を追う。いつの間にか、里での買い物の事などどこかへ飛んでいってしまっていた。



 二人が進んでいくのは、人間が少なく妖怪が多めに生息している林の方向だった。里から少し離れた場所にあるその林は、様々な動植物が繁殖している、幻想郷の中でも一番原始的な場所だ。特にこの時期は青々とした緑が美しく、しかしそれを台無しにするぐらいに蝉が五月蝿い。それはまるで『霧雨程度で鳴くのを止めていられるかッ!』と宣言しているかのようで、鬱陶しいながらも何か切なさが感じられるほどだ。
「……まぁ、ここに入るのは今回で三回目ぐらいなんだけど」
 幻想郷で暮らし始めて早数年。自宅の中だけで行動が完結してしまうインドア派魔法使いにとって、森から距離のあるこの場所に足を踏み入れる機会など殆どなかったのだ。
 しかし魔理沙達はそうではないのか、躊躇う事無く細い林道へと入っていく。けれどその林道はそこかしこから生え出した雑草により荒れ始めていて、スカート姿の少女が進んでいくにはかなりの重労働に思えた。それなのに魔理沙は文句をこぼしている様子も無く、むしろ霖之助よりも一歩前を歩いて進んで行く。
 一体、彼女達はどこへ何をしに向かうつもりなのだろうか。
「……」
 少し、嫌な予感がした。これが魔理沙の意思なのか、霖之助の意思なのか、或いはアリスの知らない第三者の意思なのか解らないのが引っ掛かる。
 ただのデートだというのなら、こんな場所――大きな声を上げようが、何か騒ぎを起こそうが、他者には簡単に気付かれないような場所――にやって来る事は無いだろう。
 理由はなんにせよ、これが魔理沙達の決めた事だというのなら、まだ良いだろう。けれど、もし彼女達以外の意思がそこに絡んでいた場合が恐ろしい。
 今の魔理沙は箒も八卦炉も持っておらず、同行する霖之助も何か武器になるようなものは持っていない。もしこの状況で妖怪に襲われでもしたら、相手に攻撃する事も出来ないままに喰われてしまうかもしれない。流石に防衛手段は講じているだろうけれど、それでも普段の火力の半分以下になってしまっているのは明白だ。
「……仕方ないわね」
 目の前で見知った人間が肉片に変わるのは見たくない。それに、何だかんだ言っても魔理沙達はアリスの生活に深く組み込まれているのだ。見てみぬふりなど出来る訳がなかった。
 アリスは持参していた鞄の中から人形を取り出し、先を行く魔理沙達に気付かれぬようにそれを配置出来るポイントを探し始め――

 ――何の前触れも無く、霧雨・魔理沙がすっ転んだ。   

「ッ?!」
 一瞬何が起こったのか解らず、投げようとしていた人形を手にしたまま立ち尽くす。彼女の転び方はまるで何かに滑ったかのようで、つまずいて転んだ様子ではなかった。オノマトペで表現するなら『つるーん!』といった感じか。
 とはいえ、物語のギミックとして登場する『バナナの皮』じゃあるまいし、細い林道に人間一人を滑らせる力を持つような物が落ちている訳が無い。一体何をやったのだろうかと思ったところで、どこからか笑い声が聞こえて来た。
 その子供よりも無邪気で馬鹿な笑い声は、林の様々な場所から響き出して、
「……妖精か」
 どうやらこの林道に何か仕掛けを施した妖精が居たらしい。妖精という生き物は悪戯好きだから、彼女は運悪くそれに引っ掛かってしまったのだろう。そう思うアリスの読み通りに、魔理沙達の前に数匹の妖精が現れた。
 一瞬後には魔理沙に消されてしまうだろうに、妖精達はけらけらと笑い声を上げ続ける。自分達の考えたトラップに人間が引っ掛かった事がおかしくてたまらないのだろう。
 そんな妖精達に対し、体を起こした魔理沙は魔法を放――たなかった。それどころか、俯き、汚れてしまった衣服に対して真剣に悲しんでいるようにも見える。
 流石にその反応は妖精達も予想外だったのか、次第に笑い声が消え、その表情が少しずつ心配にそうに曇って行き――一匹が耐え切れぬように逃げ出すと、他の数匹も蜘蛛の子を散らすかのように逃げていった。
 あとに残った黒い少女は、隣に立つ霖之助へとしきりに何かを訴えたかと思うと、悲しげに俯いてしまった。霖之助はそんな魔理沙を慰めるように軽く頭を撫で、そして先を促すように歩き始めた。
「……」
 その様子を眺めつつ、アリスは自分が人形を持ったまま固まっていた事に気が付いた。それほどまでに魔理沙の行動が意外で、理解出来なかったのだ。



 そうして林を抜けた先――そこには、見晴らしの良い小高い丘が広がっていた。
 いつの間にか晴れ間の覗き始めた空の下、様々な花が咲き誇り、蝉の声すら遠くに聞こえるこの場所は、まるで神聖な聖殿のように思えた。まさか林を抜けた先に、こんなにも素晴らしい風景が広がっていたとは。
 そんな風に純粋に感動を得ているアリスに気付かぬまま、魔理沙達は丘の頂上へと進んでいく。
 そして、二人の距離が、近付いて。 
「……」
 それはまるで、額に飾られた絵の中に広がる風景のようで。
 現実感の抜け落ちた、どこか遠い別世界で行われている出来事のようで。
 声を上げれば全てが崩れ落ちる筈なのに、その声はもう二人に届かなくなってしまったかのようで。
「……嗚呼、」
 遠い。
 なんて遠い場所の風景なのだろう。
 たった数メートルの距離しかないというのに、アリスは目に見える以上の距離を、疎外を、絶望を、失望を、孤独を感じて、
「……」
 そして、今更のように気が付いた。
 ここに立つ自分が、どこまでも異分子であるという事実に。
「何やってんだろう、私……」
 興味本位で二人の後を付け回して、そして見てしまったのがこんな風景か。
 視線の先、静かに寄り添い合う二人に会話は無い。そんなものが必要ないくらい、今の彼女達は通じ合っているのだ。
「……帰ろうか」
 結局投げる事のなかった人形へと小さく呟いて、魔理沙達に気付かれぬよう、静かに丘を後にする。
 彼女達に対する心配よりも、今ここに立っている自分が惨め過ぎて、もうこの場所に居続ける事が出来なかった。


2

 次の日。
 人形を使って壊れた人形を修復しながら、アリスは静かに紅茶を飲んでいた。
 自分自身の手で裁縫を行う訳ではない為、脳は常に指示を出し続け、普段の倍以上に集中していなければならない。それは傍から見ればかなり無駄のある行為のようで、しかし一度に複数の人形を操る人形遣いとしては、日々のトレーニングにもなる重要な行為だった。
 とはいえ、今のアリスからしてみれば、余計な事を考えなくて済むから、という意味合いが強かった。ただただ無心で人形を操り、修復作業を続けていく。
 そんな中、ふと、玄関の扉がノックされている事に気が付いた。
「……一体誰よ」
 カップをソーサーへと戻し、ちまりちまりと針を動かしていた人形を机の上へ。一瞬居留守を決めこもうかとも思ったけれど、流石に止めた。
 ゆっくりと立ち上がり、玄関へと歩いて行く。窓が無く薄暗いそこへ明かりを灯してから、鍵を開け、その向こうに誰も居ない事を期待しつつ扉を開き、
「よぅ、アリス」
 一番逢いたくない存在が立っていた。
「……魔理沙」
 今日の彼女は普段の霧雨・魔理沙だった。その服装は白と黒のツートンカラーで、ふわりと広がったスカートに、手には毎日のように被っている大きな帽子。そしてその顔にはいつも通りの楽しげな笑みがあった。
 昨日の魔理沙が静だとしたら、今日の魔理沙は動だ。ただ立っているだけなのに、この場が一瞬で華やかになったような錯覚さえ覚える。笑顔の似合う娘、というのは彼女のような女の子の事をいうのだろう。まぁ、その分口が悪いが。
 と、軽く現実逃避気味に思考し続けていると、彼女は抱えていた帽子の中からリボンの付いた箱を取り出し、
「昨日はすまなかったな。これ、使いっぱにしちまったお礼」
 まぁ珍しい。魔理沙が私にお返しだなんて、明日は槍でも降るわね――なんて普段なら返していただろうけれど、今日は流石にそんな言葉を返す余裕が無かった。小さく「ありがとう」と告げつつ、可愛らしくラッピングされたそれを受け取ると、魔理沙が少し心配げに、
「なんか元気が無いが……何かあったのか?」
 覗きこむようにして聞いてこられて、少々慌てて一歩後ろに下がる。そのまま「なんでもないわ」と答えようとして――足に鈍い痛みが走った。
「ッ」
 落としそうになった箱をどうにか胸に抱えながら、思わず痛みの走った足へと手を伸ばしてしまった。そんな様子を見せれば余計に魔理沙に心配されると解っているのに、咄嗟の動きは止められなかった。
「まさか、怪我でもしてるのか?」
「……まぁ、ちょっと、ね」
 昨日、あの丘から帰る途中、魔理沙の引っ掛かった妖精の悪戯にアリスも引っ掛かってしまったのだ。流石に尻餅を付く事は無かったものの、突然のそれに上手く対応する事が出来ず、足を挫いてしまっていた。
 他の妖怪達とは違い、魔法使いというのは肉体的なスペックは人間と同程度しかない。魔法で治癒力を高める事が出来たとしても、その回復能力は人間と同程度しかないのだ。その為、治り切っていない足は咄嗟の動きに痛みを訴え、反射的に手が出てしまったのである。
 さて魔理沙にどう説明しようか、と考えるよりも早く、彼女が靴を脱いで屋敷の中へと上がり込んできていた。そして「ほら、肩を貸してやるから」という言葉と共に、体を支えられてしまった。
 その真剣な表情に何も言えず、アリスは魔理沙と共に部屋へと戻った。



 少し前まで座っていた椅子に腰掛け直しながら、足の様子を聞いてくる魔理沙に大丈夫だと言葉を返す。彼女は心配そうな顔をしつつも納得はしてくれたのか、「解った」と小さく呟いて、アリスの対面にある椅子へと腰掛けた。
 そして、机の上にある修復が終わったばかりの人形を手に取り、
「お、新しい衣装に替えたのか。この服、結構可愛いな」
 などと、沈んだ感のある空気を和ませるように笑う。そうして彼女はその人形を胸に抱き、普段のように、聞いてもいないのに様々な事を語り出す。自分の事。魔法の事。本の事……そして、まるで世間話の延長であるかのように、その言葉が紡がれた。
「でな、実は昨日は――」
 それがあまりにも自然で、なんて事の無い風な切り出し方だったから、逆に辛くなってしまって。
 思わず、謝っていた。
「……ごめんなさい」
「ん? 何がだ?」
 小さく首を傾げながら言う魔理沙へと、アリスは小さく言葉を紡いでいく。
「……実はね、昨日魔理沙と別れた後、貴女達二人の後を付けてまわっていたの」
 魔理沙の様子が変だったから、とは言わなかったけれど、何か釈然としなかったという事を言葉に乗せる。
 すると彼女は驚きの表情を浮かべたあと、『仕方が無いな』と言わんばかりに笑って、
「馬鹿。そういう時はすぐに言ってくれ。アリスも一緒に来てくれて良かったんだしさ」
「魔理沙……」
「でもまぁ、言っておかなかった私も悪いな。アリスもあれを見たなら解っただろうけど……」
 悲しげに笑って、少女は言う。
「……昨日は、母さんの墓参りに行ってきたんだ。お盆だったし、その迎えも兼ねてな」
 あの時アリスが見たのは、小さなお墓の前で、寄り添いあって両手を合わせる魔理沙と霖之助の姿だった。見晴らしの良い丘の上にあったそれは、彼女の母親のものだったのだ。アリスに買わせた羊羹は、恐らくそのお供えだったのだろう。
 そんな二人に対し、下心を持って彼女達を付けまわした自分が酷く惨めになった。だからアリスは逃げるようにしてその場所を後にしたのだ。
「でも、どうしてあんな所にお墓が?」
 景観の良い場所ではあるけれど、死者を弔うにはどうしても不便が多い場所に思えた。そう思って問い掛けたアリスの正面。人形を抱いた魔法使いの少女は、自身の持つ柔らかな金髪に軽く触れ、暫し何かを考えてから、
「ちょっと長くなるけど、良いか?」
 その言葉に頷きを返すと、魔理沙は静かに語り始めた。
「……私はほら、この通り金髪だろう? でも、母さんも親父も……というより、霧雨の家系はみんな髪が黒かった。だから私が生まれてきた時、母さんは親族全員から疑いの目を向けられたんだ」
 黒髪の夫婦から金髪の娘が生まれてくれば、当然のように疑いは妻に向く。それは至極当たり前の事で、だからこそ否定する事が難しくなってしまう。
 でも、
「でもな、私の母さんは外の世界からやって来た魔法使いだったんだ。香霖が言うには、恐らく母さんの親族に金髪の人が混じっていたんじゃないかって話だった。つまり、隔世遺伝ってヤツ」
 隔世遺伝とは、先祖返りとも言われる、世代を飛ばして遺伝しているように見える遺伝現象の事だ。古くから幻想郷に暮らす霧雨の家系はまだしも、外から入って来たという母方の家系からそれが顕在してもおかしくはない。
「けどさ、一度疑われるとどうにもならなかった。母さんは毎日のように責め立てられて、私は生まれてこなかった事にさえされかけた。里で商売をやっている家だから、妙な噂が立たれるのを恐れたんだろうさ」
「……狭い人里の中じゃ、七十五日も待てないか」
 この広い幻想郷の中で、しかし人間のコミュニティというのはあまりにも狭い。そんな中で妙な噂が広まれば、尾びれ背びれどころか頭まで付くだろう。そうなってしまえば信用が地に落ちるのは目に見えているから、霧雨家の人間は躍起になったに違いない。
「でまぁ、私達は屋敷の離れに押し込められた。母さんは霧雨の家を悪く言うような人じゃなかったけど、アイツ等にしてみれば、母さんのどんな言葉も信用出来なかったんだろう。
 そうして、私は母さんと暮らしていって――まぁ、変な風に思われないように、私は無理矢理髪の色を変えさせられてはいたけど――母さんは私を愛してくれたし、時折香霖が遊びにくるから淋しくは無かった。……でも、やっぱりストレスとかがあったんだろうな。母さんは次第に痩せ細っていって、眠るように死んでいったよ」
 俯きながら、魔理沙が言う。その表情は解らないけれど、でも、声には悔しさが滲んでいるように思えた。
「それから後の事は、良く覚えてない。というか、思い出したくもない」
「……うん」
「……で、私は霧雨の家と絶縁する事になって、あの家を出た。初めは香霖を頼ろうと思ってたんだが、魅魔様が弟子入りを許してくれたんでな。魅魔様に勧められるまま、私はこの森で暮らし始めるようになったんだ。ここなら里の人間はそうそう近付いて来ないし、近所に香霖堂や神社がある。辛かったけど、どうにかはなったな。……って、私の話はどうでも良いか。
 あんな場所に墓があるのは、親父の両親が母さんの事を許さなかったからなんだ。母さんを霧雨家の墓地に入れるのに最後まで反対しててさ、結果的にあの場所が選ばれたんだ。まぁ、その話を聞いたのは母さんの葬儀が終わったあとで、誰があの場所を選んだのか、とかそういった話は解らないままなんだけどな。……でもまぁ、弔って貰えただけでも良かったとは思ってる」
 幻想郷には死肉を喰らう存在も居る。最近は減ったと聞くけれど、しかしゼロになった訳ではない。今でも里の周囲に死体を放置しておけば、朝には綺麗に無くなっているだろう。しかし魔理沙の母親はそういった惨い仕打ちを受ける事は無く、家族としての最後の世話だけはして貰えたのだ。
「これが、母さんがあの丘で眠っている理由。確かに不便な場所だけど、景色が綺麗だし、色々あった里からも離れられたから良かったんじゃないかと私は思ってる。それに、不便な場所だからって、私は母さんの墓参りだけは一度も欠かした事はないんだ。なにせ、墓守が私と香霖しか居ないからな」
 そう言って、金髪の少女が悲しげに笑う。
 対するアリスは何も答える事が出来ず、変わりに魔理沙の腕の中に居る人形を軽く動かし、その華奢な体を抱き返した。
 魔理沙はそれに軽く目を見開き、そして笑みを取り戻すと、
「だからまぁ、アリスも一緒で良かったんだ。その方が母さんも喜ぶだろうし」
「……そう、かしら」
「ああ。さっきも言ったけど、母さんは魔法使いだったからな。お前レベルの人形操術はそうそうお目に掛かれないから、きっと興味深く迎えてくれたと思うぜ」
 そう言って魔理沙は少年のように笑い、そして腕を伸ばしてアリスの飲みかけだった紅茶を手に取ると、それを一気に呷り――不意に、ぽつりと呟いた。
「……。……こんな話するの、アリスが始めてだ」
「……」
「霊夢にも言って無いんだぜ、これ」
「……そう」 
 小さく答えながら、昨日の事を思い出す。
 彼女が着ていたあの黒いワンピースは喪服代わりだったのだ。盆に戻ってくる母親に恥ずかしい格好を見せないようにと、彼女なりに考えた結果だったに違いない。でも、他者から見て自分の格好が変ではないか気になってしまった。だからあんなにも不安そうだったのだろう。
 昨日アリスを部屋に招いたのは、その不安を解消して欲しかったからなのかもしれない。衣服やメイクに付いて敏感に反応していたのも、その現れだったに違いない。 
「……」
 たかだか墓参りに大げさな、とは言えないだろう。
 魔理沙にとってみればそれはただの風習ではなく、れっきとした事実なのだから。
「……」
 仏教徒ではないアリスにはその詳しい概念は理解出来ない。でも、これだけは解る。
「……」
 昨日、あの場所に、確かに魔理沙の母親は居たのだ。
「……まぁ、アレね」
「なんだ?」
「忘れないでおくわ。例え魔理沙が死んでしまったとしても」
 アリスの言葉に魔理沙が目を丸くする。そして彼女は眉尻を上げ、
「べ、別にそういう意味で教えたんじゃない!」
「解ってるわよ、そんなの。ただ、私はその話を忘れないってだけ。そうすれば、魔理沙の想いも消えずに残り続ける。そうでしょう?」
「……まぁ、な」
 視線を逸らしながら魔理沙が言う。その姿をよくよく見れば、今日も彼女はメイクをしていて、髪には櫛が通してあって、着ている衣服も洗い立てのように綺麗だった。
 そう。今日の魔理沙も、母親に恥ずかしく思われないようにと可愛らしい格好をしていたのだ。
 それなのに、いつもの霧雨・魔理沙に戻っていた、なんて思ってしまった自分が嫌になる。でも、アリスはそれを顔に出さないようにしながら、
「……じゃあ、そのカップを返して頂戴。新しい紅茶を淹れてあげるわ」
 その言葉と共にゆっくりと立ち上がる。そのままキッチンへと向かいながら、昨日の魔理沙が感じていただろう不安を想い、今日の魔理沙が感じているだろう母への想いを想像し――
「私は馬鹿ね……」
 そう、自己嫌悪と共に小さく呟く。
 余計な詮索をして、彼女の想いを無駄にしてしまった。もし素直に問いを放っていれば、妖精の悪戯によって転んでしまった魔理沙を支える事だって出来ただろうに。
 あとで改めて謝ろう。そう思いながら棚に手を伸ばし、茶葉を取り出すと、アリスはお茶の準備を進めていった。





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