『かみさま』

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2

 次の日。
 この日も宴会が開かれていて、しかしそこに東風谷・早苗の姿は無かった。
 河童から注がれた酒を呑みながら、八坂・神奈子は神社を出る前に早苗から言われた一言を思い出す。
『私は宴会には行きません。今日は休ませて頂きます』
 妙にさっぱりした顔で言われてしまったから、何も言えずに外へと出てしまった。何があったのだろう。何かしてしまっただろうか。そう思って記憶を辿り――ぴたりと、酒を呑む動きが止まった。
 ……そういえば、最後に早苗と会話をしたのはいつだったかしら。
 ここ数日山の妖怪達と宴会ばかりしていた。信仰が集ってくるという事もあって、拒絶する理由も無いから、延々と宴会の席に着いていた。その間は妖怪とばかり話をしていたし、帰る頃には夜半過ぎで、いつも先に戻っている早苗は夢の中。日中は神社にやって来る天狗達の相手をする都合もあり、早苗の事は諏訪子に任せてしまっていた。
 そして今日も神社にやってきた妖怪に誘われるまま、和気藹々と会話をしながら外へ出た。当然のように早苗は付いてくるものだと思い込んでいたから、出掛けに彼女から話し掛けて来るまで言葉を交わしていなかった。
 同じ神社で住居を共にして早十年以上。生まれる前から早苗の事を見守ってきたと言うのに、何をやっているんだろう……と、思いつつもう一口酒を呑む。悪いという思いはありつつも、しかし上機嫌な気持ちを抑えきる事は出来なかった。
 元居た世界では失われつつあった信仰を、賭け同然に飛び込んだ幻想郷で再び得る事が出来たのだ。これ程喜ばしい事は無い。山の妖怪達との関係も良好だし、この状況が続いていけば、神奈子への信仰は途絶える事無く続いていく事になるだろう。
 思わず顔に笑みが浮かぶ。酒が廻っているからか、舞い上がる気持ちを抑えられない。肴をつまみ、酒を呑む。繰り返される宴会が楽しくて仕方が無い。
 嗚呼、宴会最高。
 と、麓の神社に居座る鬼が大きく頷きそうな事を神奈子が思った時、気難しい顔をした河童がやって来た。酒の席に似つかわしくないその表情に神奈子は疑問を持ちながらも、どうしたんだと問い掛ける。すると河童は、何かを捜し求めるように辺りを窺い、
「八坂様。貴女の所の巫女さんは、今日は来ていないのですかね?」
「早苗の事? あの子なら来て無いわ」
「そうですかい……」
 そう言って河童は腕を組み、何やら考え込んでしまった。一体何のだろうと思いながら杯に残った酒を飲み、元から赤い顔を更に赤くした大天狗から酒を注いでもらい、それを半分程一気に飲み干す。口の中に残る甘さと仄かな辛さに小さく息を吐き、誰かが言った下らない冗談で一笑いした所で、何やら考え続けている河童へと告げる。
「一体何を悩んでいるのよ。早苗に伝えたい事があるなら私から伝えておくから、言ってしまいなさい」
「いや、ですがねぇ……。こればっかりは、直接巫女さんへ謝罪させねぇとなんです」
「謝罪?」
「えぇ、そうです。俺のいねぇ間に、あの馬鹿が、巫女さんに無理をさせちまったんですよ」
 あの馬鹿、という言葉と共に河童が背後を振り返った。その先にはぽつんと一人、酒も飲まずに正座した若い河童の姿。それを一睨みした後、河童は怒りを抑えられぬ様子で、
「全く、あの馬鹿野郎ときたら……」
 正座させられている若い河童は酒癖が悪かった。それなのに宴会の場では誰よりも多く酒を飲み、笑い、暴れ、誰某構わず絡み、そして最後には記憶を無くしてしまう。それでもまだ笑えるレベルでの暴れ方ではあった為か、周囲の河童達も『またやってる』程度の認識しかしていなかった。まぁ、酒の席には良くある話である。
 そしてここ最近、若い河童のテンションは上がっていた。どうやら早苗の事を気に入ったらしく、神奈子達との宴会が決まった時には誰よりも大はしゃぎし、彼は積極的に早苗へと絡んだ。そして、自分が美味いと思っている度の強い酒を、早苗の意見も聞かずに無理矢理飲ませていたらしい。酒を飲めない早苗はすぐに戻してしまい――しかし次の日には、若い河童はそれを忘れてしまっていた。いや、自分に都合の悪い事だから、忘れた振りをしていただけだったのかもしれない。そうしてここ数日、若い河童は早苗に絡み続けていたのだ。しかもこの宴会は、仕事終わりの天狗や河童が入れ替わり立ち替わりに訪れる大宴会。早苗が絡まれていても、それが連日続いているものだと気付ける者は居なかった。
 そして今日になり、初めて早苗が宴会を欠席した。その時になって漸く、彼女が苦しんでいた事が話題に上ったのである。若い河童の兄貴分である彼は激怒した。
「宴会ってのはみんなが楽しむ場だ。そこに人間も妖怪もねぇんです」
 種族の垣根すら越えて、日常を忘れて一緒に楽しむ宴会――それは神奈子が望んだ信仰の形でもあった。
「でも、だからこそ、無礼は詫びなきゃなんねぇ。例えそうじゃなくとも、俺達河童と人間は盟友でしてね。このまま許しておく訳にはいかねぇんですよ。でも、巫女さんが居ねぇとなると……って、八坂様、聞いてらっしゃいますかい?」
「……」 
 ――それは、神奈子が全く感知していない出来事だった。
 これは楽しい宴会だ。誰も彼も楽しんでいて、自分も楽しんでいて、当然早苗も楽しんでいるものだと思っていた。酒が飲めないと言っていたけれど、そんなものは羞恥から来る謙遜だと勝手に解釈して取り合わなかった。でも実際には違っていて、そんな彼女にも気付かず、神奈子は浮かれ続けていたのだ。
 どうしてそんな事が出来たのか。それは、早苗が文句を言ってこなかったから――
「……違う」
 神奈子が何も聞こうとしなかったからだ。
 自分と同じ感情を、幼い少女が同じように感じているものだとすっかり勘違いしていた。さっきもそうだ。早苗が辛い思いをしていたなんて全く思っていなかったら、宴会の方に気を取られてしまった。
 宴会は――信仰は大切なものだ。それが無ければ神徳が失われ、神奈子は死を迎える。けれど、だからといって蔑ろに出来る程、早苗の存在は軽くない。
「私は馬鹿だ」
 頭から冷や水を浴びせられたかのように、一瞬で酔いが覚めた。
 今こうやって酒を呑み交わす事が出来るのは、神である神奈子が神社を幻想郷へと移動させたからだ。しかし、その神社そのものを維持してきたのは、人間である東風谷の一族に他ならない。所詮神は人を導き、時に力を与えるだけの存在。神社を直接建てたり、管理・維持したりする事は出来ないのである。
 そして、今日という日まで神奈子が神で在る事が出来たのは、東風谷の一族の信仰と、彼等による布教があったからこそ。世界から信仰がどれだけ失われようとも、彼等は神奈子を信仰し続けてくれていたのだ。
 だというのに、浮かれきった神様はそれを蔑ろにしてしまった。
 普通の人間として得られた筈の幸せを捨ててまで付いて来てくれた早苗に、酷い事をしてしまった。
「……帰ろう」
 小さな呟きと共に立ち上がると、戸惑った表情を浮かべる河童へ「後で話を付ける」と告げて、神奈子は神社への帰路を急いだ。


3

 昨日一晩ですっかり機嫌が戻った私は、諏訪子と一緒にお茶の時間と洒落込んでいた。
 ただの人間だった私は、それでも誰かの特別だった。この手が起こす奇跡は借り物だけれど、巫女である私が神様からお借りしている素晴らしい力なのだ。魔法とか、そういったものとは比べ物にならない。だから憂鬱になる必要は無くて、寧ろ胸を張って生きていかなければいけない――と、風呂から出た後も諏訪子に励まして貰って、私は漸く自信を取り戻し、胸のつっかえも取り除く事が出来ていた。当然全てが綺麗に無くなった訳ではないけれど、もう鬱々と悩む事は無いだろう。
 少しだけ開いた窓の向こうから風が流れて、金木犀の良い香りが漂ってくる。暖かなお茶で体が暖まっている為か、少し眠くなってきた。
 小さく欠伸をして、浮かんだ涙を拭っていると、何故か酷く急いだ様子で神奈子が帰って来た。おかえりなさいと告げる前に腕を引かれ、部屋の外へと引っ張り出される。その必死さに、何か失礼な事をやってしまったのかと思い、私は思わず謝ろうとして――口から出掛かっていた謝罪の言葉が、先に神奈子の口から発せられた。
「ごめんね。本当に、ごめん」
「え、ぁ……その、突然どうしたんですか?」
 まさか先に謝罪されると思っていなかったので面食らってしまう。それでも何とか問い掛けると、神奈子は心の底からすまなそうな顔を私に向け、
「私、浮かれていたみたいだわ。だから早苗が苦しんでいる事に気が付けなかった」
「……」
 諏訪子と同じように、神奈子も私の痛みを見抜いていたのだろうか。少々ドキドキしながら続く言葉を聞いてくと、紡がれる言葉は私の予想とは少し違っていた。
 それは宴会の場で受けた苦痛と、それに怒る者達の話。  
 ……言われて見れば、確かに神奈子と殆ど会話をしていなかった。とはいえ、私自身辛くてそれ所ではなかったから、それは仕方なかったのかもしれない。そんな事を思って、不意に諏訪子の言葉を思い出す。諏訪子は私の事を「私と神奈子の巫女」と言っていた。それは、神奈子も私の事を大切にしてくれているという事を知っていたからなのだろう。
 私は優しい神様に見守られていて幸せだ。そう思い、自然と顔に笑みが浮かぶの感じながら、
「そんなに心配なされなくても大丈夫ですよ。私はこの通り元気ですから」
「でも……」
「漸く信仰を集め出す事が出来たのですから、私の事よりもそちらを優先なさって下さい。それに、数日話をしなかったぐらいでどうにかなってしまうような関係でもありませんよ?」
 生まれる前から一緒にいて、今ではもう家族みたいなものなのだ。相手が忙しいのならコミュニケーションも自重するし、見守れる。
「だから、大丈夫です」
 自信過剰で、自分は凄いと勘違いをし続けていた『かみさま』の私はもう居ないのだから。
 私の言葉に一応の安堵をしたのか、「解ったわ……」と神奈子は漸く表情を和らげた。しかしすぐに思案顔になると、少し何かを考えてから、
「でも、これからは少しずつ宴会の数を減らしていくわ。浮かれたままじゃ意味が無いものね」
 神様として信仰を集めるのも大事だけれど、神徳を与えるのもまた大事な事だ。巫女として、それは良く解っている。
 諏訪子から聞いた話では、麓にある博麗神社の巫女がこの守矢の神社の分社を作ったらしく、今後は山以外の場所でも信仰を集めていく事が出来るようになるとの事だった。忙しくなるのはこれからなのだ。
 けれど……何故神奈子ではなく諏訪子が分社の事を知っていたのだろうか。というか、そもそもどうしてこの神社には、二人も神様が居るのだろうか。巫女の癖に、私はまだまだ知らない事が多いのかもしれない。今度暇を見て聞いてみよう。
 そんな事を思いつつ、私は神奈子と一緒に部屋に戻った。


4

 数日後。
 肌寒さが増し、防寒の為に締め切った部屋の中、揺れる事を忘れた風鈴へと向けて風を生み出す。
 小さく、風鈴が揺れる。
 澄んだ透明な音色が部屋の中へ響き、消えていく。
 これは私の力。風雨を操る奇跡の力。大切な大切な、神様から借り受けた力。これからも受け繋いでいく、東風谷の秘術。
 もう私達の一族は『かみさま』じゃない。でも、過去から受け継がれてきたこの奇跡だけは護り伝えていく。神様の巫女である事――それは何よりも特別な事なのだから。
「さて」
 今日は来客があるとの事なので少し早起きだ。確か河童が数人やって来ると神奈子が言っていた。何やら怒っていたけれど、その理由は聞いていなかった。まぁ、出迎えれば解るだろう。
 寝巻きから巫女服に着替えて、その上に少し厚手の上着を着込んで部屋を出る。今度麓の巫女に逢ったら、冬場の寒さ対策を教えてもらおう。他にも色々と聞きたい事、知りたい事は沢山有る。


 私の幻想郷生活は、まだ始まったばかりなのだから。












 ……最後に一つ。
 洩矢・諏訪子にとって東風谷・早苗が特別である本当の理由。私がそれを知るのはもう少し先の事になる。
 その時改めて、彼女に隠し事は出来ないなぁ、と私は思うのである。

 どっとはらい。








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