残暑と写真と哀れな者達。

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4

 一週間後。
 夜の闇の中、名前も無い暗く鬱蒼とした場所で、まるで葬列を模したかのような集まりが開かれていた。
 そこに集っているのは希望を無くした者達であり、そして決して諦めない者達だった。彼等の目的は一つであり、それは周囲の静けさとは裏腹に、目に見えぬ熱を持って蠢いているようにも思える。
 彼等は待っている。名も知らぬ、ある人物が現れる事を。
 それは分の悪い賭けだった。この場を監視している者が居る可能性は高く、求めている人物が現れれば、取り返しのつかない事態が起こるのはほぼ確実。だが、それでも、彼等はその人物を待つ。この場に留まり続けるのは危険だという事を承知で、彼等は静かに息を潜め続ける。
 彼等は希望を無くした者。そして決して諦めない者。哀れな哀れな愚者達、なのだ。

 彼等を見守る月は、何も語らず、真円を描いて輝き続ける。
  
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 彼女達を見守る月は、何も語らず、真円を描いて輝き続ける。
 
 写真を持っていた者達は何処でそれを手に入れたのか、という疑問に関して、写真を持っていた者達は頑として口を割ろうとはしなかった。まるでそこに何か強い絆でもあるかのように。更に、写真を購入していたのは人間が大半だった為に――天狗のように一族全てから疎まれ恨まれるという事が無かった為に、そうやって口を閉ざす事が出来たのだろう。
 だが、しかし。しかしだ。
 その絆が強固なものであればある程、その絆を取り巻く歴史は色濃く世界に刻まれる。上白沢・慧音にとって、その歴史を紐解くのは簡単な事だった。
「……全く、嘆かわしい」
 満月の下、慧音が溜め息と共に呟きを漏らす。そのすぐ隣に立ちながら、魂魄・妖夢は遠目に見える集まりに嫌悪とも恐怖とも付かない感情を感じ、小さく体を震わせた。
 妖夢が慧音へと協力を申し込んだのは、三日前の事。魔理沙や文と共にあれこれ考えてはみたが、黒幕に通じる糸口が掴めず、完全に袋小路へと迷い込んでしまった。そんな時、ふと、歴史を知る事が出来る彼女ならば、と思い付いたのだ。
 その姿形、人数すら解らない黒幕の歴史は流石に把握出来なかったが、写真を買っていた者達の動きは把握する事が出来た。そして今日、ハクタクの姿となった慧音は紐解いた歴史を再確認し――こうして、愚者達の集りを発見する事が出来たのである。
 用心の為、妖夢と自身の歴史を慧音が喰らい、その存在を隠してはいるが……一心に何かを待ち続けている彼等が妖夢達に気付く事は、恐らく在り得ないだろう。
 奇妙な程静かな空気の中、時間だけがゆっくりと過ぎていく。
 
……

 前触れは、無かった。
 突然、求めていた光を見付け出したかのように、愚者達を包む空気が一変した。その明らかな変化に妖夢達が目を見開く先で、ある一人の人物が現れた。
 夜に紛れるような黒い衣装に、顔全体を包み込む道化師のような仮面。そして妙に縦長なシルクハット。ふらふらと動くその背は高く、仮面の向こうから響く声は奇妙に高く空気を振るわせる。もしこの場に十六夜・咲夜が居れば、それがヘリウムガスを吸った時のような声に良く似ていたと気付いただろう。しかし、生憎彼女は主であるレミリアの給仕に追われ、この場にやって来ていなかった。
 何も知らない妖夢達はその妙に甲高い声に軽い恐怖を感じながら、その人物を捕らえる為の機会を窺い、息を殺す。
 だが。
 不意に、仮面の人物が虚空へと顔を上げた。そして何か聞き耳を立てるようにし――次の瞬間、妖夢へと向けて視線を向けた。
 いや、それはただの偶然だったのかもしれない。しかし、生まれた可能性を無視する事は出来ない。イニシアチブを取れなければ、また振り出しへと戻る可能性があるのだから。
 剣士は一瞬だけ固まった体を瞬時に動かし、剣の柄へと手を伸ばしながら、加速の為に意識を集中させ――張り巡らされた緊張の糸に何かが触れた瞬間、妖夢の体は無意識に動いていた。
 抜刀された刀身が、何かを切り裂く。それが真横から放たれた弾幕だと気付いた瞬間、慧音が驚きと焦りの入り混じった声を上げた。
「気付かれた?!」
 だが、集った者達に動きは無い。仮面の人物も再び愚者達へと視線を戻している。では、この弾幕は一体――と、思考が疑問に染まり始めた瞬間、周囲の空間から一斉に弾幕が放たれた。それは横殴りの雨のように、容赦なく妖夢達を包み込む!
 それでも、それでも剣士は黒幕へと視線を固定し、弾幕の雨に全身を曝す事すら厭わずに、一直線に加速する事を選択した。
 一歩を、踏み出す。
 風を超え、他者には目視する事すら敵わぬその速度の中、一瞬にして仮面の人物へと肉薄し、冥界の剣士は剣を振るう。だが、確実に相手を捕らえた筈の剣から返って来たのは、まるで空を斬ったかのような感覚。妖夢は慌てて足を止め、斬り伏せた筈の相手へと視線を向けた。しかし、そこにあったのは両断された黒い衣装だけ。
 一体どういう事なのだろうか。まさか、黒幕はこの人物を魔法か何かで動かしていたのだろうか。そうだとしたら、妖夢達はまんまと騙された事になる。もしこの仮面がこちらを見なければ――って、仮面?
 そういえば、仮面は何処へ消えたのだろう。そう思い、背後で固まる愚者達を人睨みして牽制してから、妖夢は周囲を見回し……少し離れた場所で、何かが倒れているのに気が付いた。それは、シルクハット被った仮面。まるでそれが本体であるかのように、仮面は奇妙な立体感を持っていた。
 剣士は無言のまま近付いていくと、突然の攻撃に警戒しながら――その奇妙な仮面を取り払った。
 
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 取り払った仮面を投げ捨てると、薄暗い自室の中、少女は深く深く息を吐いた。
 危なかった。本当に危なかった。用心の為に影武者を用意しておいて良かった。もし捕まっていたらどんな目に合わされるか、想像するだけでも恐ろしい。スケープゴートに仕立て上げた妖精には可哀相な事をしたが……こちらに騙されたのが悪いのだ。まぁ、薬のお蔭で何も覚えていないだろうから、深く問い詰められる事も無いだろう。
 そう思いながら、少女は照明を点し――直後、部屋の中に誰かが居る事に気付き、叫び声を上げた。
「ひッ?!」
 心臓が跳ね上がり、異常な事態に対する恐怖に全身が包まれ動けない。そんな彼女の様子に気付いているのかいないのか、息を殺して潜んでいた相手は、まるで普段の調子で、
「漸くお帰りか。結構待ったんだぜ?」
 笑う。笑ってみせる。
 その相手は――真黒の衣装に身を包み、同じ色の帽子を目深に下ろした霧雨・魔理沙は、顔に笑みを張り付かせたまま、手に持った写真を少女へと向けて放り投げた。
 それは厳重に厳重を重ねて仕舞いこんでいた筈の、商品。盗撮、写真。
 笑みを消した魔理沙は、低い声と共に、告げる。
「まさかお前が犯人だったとはな」
 嗚呼……嗚呼。
 どうしようもない絶望に、足元の床が崩れていくような錯覚を覚えながら……少女、因幡・てゐは力なく崩れ落ちた。

5

 切っ掛けは些細な事だった。普段使っている集金箱が壊れて、新しい物を買い直す事にした。そこで『作り直す』という選択肢を取れば良かったのかもしれないが、人間達が作り出すそれの完成度を知っていたてゐは、『買い直す』という選択を迷わず選んでしまった。そして意気揚々と人里へ向かい、折角だからと良い物を選んだ結果、なんとお金が足りない。一度良い物を、と決めてしまった以上、ランクを下げるのは何か悔しくて……店主に取り置きを頼み、その場は帰る事にした。
 道すがら、何か金を儲ける方法はないかと考えていると――不意に、強い風が吹き抜けた。突然のそれにスカートが捲れ上がり、そのタイミングを狙ったかのように何か異音が聞こえた。それは写真機が世界を切り取った音。大多数の者が気付かないだろうその音を、大きな耳を持つ兎である彼女は聞き逃さなかった。そしてその瞬間、てゐはある事を思い付いた。
 急いで永遠亭に引き返すと、仲間の兎達を使って盗撮をしているだろう天狗を探し出させ、その目星を付けた。そして、永琳が気紛れに作った声が変わるという薬を飲み、『お前の写真を買い取ろう』と告げたのである。
 月人と共に生活しているてゐにとって、写真というものは馴染みのあるものだった。何故ならば月の道具に地上のそれ以上の性能を持つ写真機があったからだ。写した写真をその場で確認出来るそれは、一時期兎達の遊び道具になり、てゐも散々弄り回した。同時に、月の都などを写した大量の写真を見る機会もあり、写真に対する眼は持ち合わせていた。
 だから対価と共に写真を評価した。人間も妖怪も、自身の作り出したものを褒められたり、しっかりとした評価を受ければ気分が良い物だ。時には悪くなる事もあるだろうが、的を射た意見ならば糧になる。
 そうして写真という商品を得たてゐは、風景画では無く盗撮写真を用意するように指示を出し、そしてそれを売り物へと昇華させるべく評価を続けた。春画と同じように売り捌けば売れるに違いない――そう、読みを利かせて。
 結果、彼女の読み通り、愚者達は写真を買い求めた。元々天狗が少しずつ流通させていた事もあり、その販売は何の問題も無く軌道になり、いつしかリピーターすら生まれるようになった。
 今にして思えば、規模が大きくなる前に……新しい集金箱が買える程度に収入を得た頃にでも、関わるのを止めれば良かったのだ。けれど、時間の経過と共に、いつしか金儲けはどこかに消え去り――写真を見て評価し、売る事で更なる淘汰を得、支持を出すという――まるで、最高の一枚へと向かう道を、天狗やリピーター達との二人三脚で歩んで行っているような、『皆で良い写真を創り上げる』という目的が生まれていた。欲望が絡んでいる分リピーター達の批判は鋭く、天狗の写真の腕は目に見えて上達していった。その事も、その目的が生まれた事に一役買っていたに違いな――
「って、盗撮の腕を上達させたって意味が無い気がするんだが」
「……それは言わないお約束」
「それもそうか。……ああ、そういえば、天狗が置いていった写真はどうやって回収してたんだ?」
「あれは、妖精達を言い包めてパシ――手伝ってもらってただけ。妖精ならどこにでも居るし、怪しまれないと思ったから」
 そうして写真は回収され、それを求める者達へと売られていった。
 写真の売買は満月と新月の夜にのみ行われ、今日は盗撮問題が公になってから、初めて迎えた満月の夜だった。危険が多いのは承知していたが、それでもてゐは会場へと向かった。いざと言う時にはリピーター達が何も知らないと言い逃れが出来るよう、無関係な妖精を影武者に仕立てて。
 妖夢達に気付けたのは全くの偶然だった。まだ愚者達が集り始める前、周囲の見回りをしていたてゐは、会場から少し離れた場所で姿を消す妖夢と慧音を見付けたのである。そしてタイミングを見計らって弾幕を放ち――追い掛けて来る慧音を何とかまいて逃げた。逃げたのだが……結局、逃げ切る事は出来なかったようだ。
「でも、どうして私が犯人だと解ったの?」
 語り終え、そして生まれた疑問を問い掛ける。すると、魔理沙は放り投げた写真へと視線を向け、
「この部屋に隠されたその写真の束と、写真に対する評価が書かれたメモを見るまで、お前が犯人だって言う確証は無かった。でも、私はある事が引っ掛かっていたんだ」
 この部屋にあった五十枚以上の写真と、更には押収した五百枚以上の写真の全てに目を通した魔理沙は、告げる。
「……この写真達の中には、永遠亭の兎や鈴仙達の写真が一枚も無かった。それがどうしても、気になっていたんだ」
 見間違いかもしれないと思いながらも、魔理沙は何度も確認を繰り返した。しかしどれを見ても、兎達が着る柔らかなワンピースも、鈴仙のミニスカートも、永琳や輝夜の特徴的な衣服も、一枚も写真に収められてはいなかった。
「偶然かと思ったが、流石に一枚も無いのはおかしい。だからこっそり忍び込んでみたんだが……結果はこの通り、だ」
「……私とした事が、詰めが甘かったみたいね」
 思わず、苦笑が漏れる。
 嗚呼、本当に、本当につまらないミスだ。でも、それはどうにもならないミスだった。
 そう、例えどんな写真だったとしても、他人が写っている物は商品として取り扱う事が出来た。しかし、永遠亭の……家族の写真だけは、どうしても商品として見る事が出来ず、売りには出せなかったのだ。そしていつしか撮影する事すら禁じ、手元にあった写真は全て処分した。そうすれば、自身への疑いが強まる事ぐらい、理解していた筈なのに。
「……あーあ。結構充実した日々だったのにな」
 力無く、呟く。
 その言葉に嘘は無く、後悔は無い。しかし、己が犯した事への罪の意識は強く感じていて――だからこそ、てゐはもう逃げる事すら考えなかった。
 ただ、共に切磋琢磨した者達が不幸にならなければ良いと、そんな、自分勝手で都合の良い事を願った。

 
6

 数日が経った。
 魔理沙によって黒幕が判明し、保管してあった写真も含め、盗撮写真は全て焼却された。犯人である天狗とてゐ、そして写真を買っていた愚者達の事はすぐに記事にされ、次の日には号外として幻想郷中にばら撒かれた。その結果彼等がどんな扱いを受ける事になったのかは、冥界に暮らす妖夢には解らない。だが、暫くはお天道様の下を歩けないのは確実だろう。七十五日で消える程、簡単な話題ではなかったのだから。
 とはいえ、被害者である以上何かしてやろうかとは考えた。しかし、魂魄・妖夢は剣士であり、その剣は本来主を護る為に振るうもの。私欲の為に振るうものでは無い。それに、魔理沙や咲夜が妖夢の気持ちを代弁してくれるに違いないので、止めておく事にした。
 それでも上手く晴れてくれない気持ちを持ちながら、その日も妖夢は広大な庭に生える木々の剪定を行っていた。
 と、不意に背後に気配が生まれた。妖艶で怪しいその気配の持ち主は、振り向いた妖夢へと笑みを向け、
「おはよう、妖夢」
 もう太陽が傾き始める時間なのだが、笑みを浮かべる女性――八雲・紫にとっては違うのだろう。そんな事を思いながら、妖夢は挨拶を返そうとし、紫の手に何やら銀色に光る四角い箱が握られている事に気が付いた。だが、見たところ何の用途に使うものなのか良く解らない。そんな疑問が顔に出てしまったのか、紫はそれを胸元に持ち上げると、
「ちょっと面白いものを拾ったから、幽々子と遊ぼうと思って」
 デジカメって言うのよ? そう言って八雲・紫は楽しげに笑う。遊ぶという事は、玩具か何かなのだろうか。しかしデジカメ。亀? ……良く解らない。詳しく問おうと思った時には、既に紫は白玉楼へと向けて歩き出そうとしていた。
 取り敢えず、お茶の準備をしよう。そう思いながら剣を鞘に納めると、切り落とした枝葉を集める為に木々へと視線を戻し――不意に、何か奇妙な音ともに、かしゃん、という何かが切られるような音を聞いた。
 強く嫌な予感と共に振り返ると、そこには白玉楼へと歩いていく紫の姿しかない。
 ……気のせい、だろうか。それにしては、やけに鮮明に音が聞こえたような気がする。けれど、その発生源が解らない。
 新たに生まれた不安に嫌な気分になりながらも、庭師は手際良く枝葉を片付けていく。
 彼女は気付かない。歩いていく八雲・紫の手の中にあるデジタル・カメラの背面、そこにあるディスプレイに、後ろを向いた自分の姿がしっかりと映し出されている事に。
 
 
 魂魄・妖夢の苦難は、まだ終わらない。






 end



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