幸せな時間。

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3

 明くる日。
 その変化に真っ先に気付いたのは小悪魔だった。彼女は自室で本を読んでいたパチュリーの元へとやって来ると、しかし部屋の中には入らずに口を開いた。
「……ねぇパチュリー、一つ良いかなぁ」
「何?」
「ここ、どこ?」
「……何を言っているの?」
 呆れながら言い、詠んでいた本から視線を上げると、小悪魔が数少ない窓の外へと指を指しながら硬直していた。
 そのまま問い掛けても「これは夢? 或いは幻?」といった要領を得ない答えしか返ってこず、仕方なくパチュリーは椅子から立ち上がると、小悪魔の隣へと近付いた。
 そして窓の外へと視線を向け、
「こ、これは……」
 窓の外には巨大な湖が拡がっていた。空は青く高く、その先にある森は青々と茂り、まるで別世界に飛び込んだかのよう。
 パチュリーは呆然と外を眺めながら、同じように外へと視線を向ける小悪魔へと問い掛ける、
「小悪魔、貴女何か変な魔法でも使った?」
「使ってたらこんなに驚いてませんて」
「確かにそうね……」
 当然パチュリーも身に覚えが無く、もしレミリアが魔法を使ったとしても、その発動に気付けぬ筈が無い。
「でも、一体どういう事なのかしら……。一晩で外の景色が変わっているなんて、初めての事だから見当も付かないわ」
 まるで狐に抓まれたかのようだ。しかしこのまま呆然としていた所で何の進展もない為、パチュリーは小悪魔と共に屋敷の外へと出てみる事にした。

……

 恐る恐る外へと出ると、目の前に作り物ではない広大な自然が拡がった。力強さに溢れたそこに、住宅地や背の高い建物は欠片も存在しない。
 そう、例えるならここは、
「……アヴァロンね」
 林檎の木が生えていれば完璧なのではないかと思える程、崇高な場所に足を踏み入れた感覚がある。
 だが、この世界にそんな場所が存在する筈は無い。アーサー王は架空の存在なのだ。
「……小悪魔、一度屋敷に戻りましょう」
「解りました。何がなにやらさっぱりですもんね……」
 呟く小悪魔に頷き返し、共に屋敷へと向けて歩き出し……不意に、背後から声が飛んできた。
「ちょっと待ちな!」
「「?!」」
 小悪魔と同時に振り返ると、そこには青を基調とした服に身を包んだ少女が空に浮かんでいた。人間と変わらぬ外見をした彼女は、しかしその背中に半透明の翼……いや、羽を持っていた。
 少女は魔女達へビシっと指を指し、強い意志を持った瞳で睨みつけ、
「アンタ達、何者?」
「……魔女と悪魔よ。貴女こそ、何者なの?」
 自力で空を飛んでいる事を考えると、魔法使いか何かなのだろうか? しかし相対する少女は、笑みと共にパチュリー達が想像もしていなかった言葉を口にした。
「あたいはチルノ! この辺じゃ知らないヤツは居ない妖精だよ!」
「よ、妖精……?」
 もうこの世界には存在しないとされるモノが、どうしてこんな所に? そう戸惑うパチュリーに、チルノと名乗った少女は腕を組みながら、
「アンタ達が魔女と悪魔なのは解ったわ。でも、突然あんなデッカイ建物を持ってこられちゃ、あたい達は迷惑なの。だから出てってくれない?」
「……貴女が何を言っているのか解らないけれど、貴女には仲間が居るの?」
『あたい達』というのはつまりそういう事だ。パチュリーがその言葉を告げた瞬間、チルノは「当然よ!」と頷き、
「みんな!」
 言葉と共に、一瞬にして二十近い数の少女達が現れた。彼女達は皆チルノと同じような衣装に身を包み、その背には美しい羽を生やしていた。
「……パチュリー、コレ結構不味い気がするんですけど」
「同感ね。……どうしたものかしら」
 魔法を放つのは簡単だが、彼女達の正体が気になる。妖精という言葉の意味やこの場所の事など、問い質したい事は沢山あるのだ。
 だが、チルノは待ってくれなかった。
「黙ってるなら、こっちからいくよ!」
 言葉と共にチルノが両手を正面に突き出し、次の瞬間、幾つもの氷の塊がパチュリー達へと放たれた。
「?!」
「危ない!」
 驚くパチュリーを抱きしめ、小悪魔が咄嗟に後退する。しかし魔女は目の前で起こった現象に対する驚きで一杯だった。
「今の、魔法? 違うわね。詠唱も魔力も何も感じなかった。じゃあ他の技術? それにしたって、あんな一瞬で……」
「こらパチュリー! ボケっとしない!」
「!」
 耳元で叫ぶ小悪魔の声に我に返る。見れば、他の少女達も何か弾のようなものを放ってきていた。
 それにどれだけの力があるのか、攻撃手段なのかどうかすら不明瞭。しかしチルノの言葉から考えるに、友好的な手段では無いのは確実。だから魔女は大きく深呼吸し、
「――小悪魔、少し時間を稼いで。どうにか詠唱を行うから」
「はいはい! でも、早くしてくださいよ!」
 叫ぶ小悪魔に頷き、上下左右に揺らぐ視界を遮るように目を閉じて詠唱を開始する。息が辛くならないように注意しながら、しかし出来うる最速で。
 生み出すは火神。祭火を導く神との仲介者。世界に偏在する炎の代行者。目覚めよ、世界の守護神。
「――アグニシャイン」
 周囲に業火を生み出し、少女達へと向けて一気に放つ。すると意外な事に、少女達はいともあっけなく消滅した。もしかすると、彼女達は予想以上に弱い存在なのかもしれない。
「って、消滅?!」
 怪我をするというのならまだしも、存在の消滅? いや、緊急回避的な魔法を発動させたのか? だとしても突然過ぎる!
 混乱が増し、状況把握すら思ったように行えない。そんな魔女の混乱を更に高めるかのように、チルノが声高に叫んだ。
「パーフェクトフリーズ!」
 刹那、その言葉通り、パチュリーの放った魔法が動きを停止した。
「し、信じられない……」
 魔法と思われるものの無詠唱発動。どんな原理なのかは解らないが、その力は強大過ぎる。動揺と混乱に意識が飲まれ、どうして良いのかが解らなくなった時、ふいにパチュリーの体を小悪魔が放り投げた。
「こ、小悪魔?!」
 地面に激突する前に魔法で体を停止させ、慌てて消えてしまった小悪魔を探す。すると彼女は、単身チルノへと向かい突っ込んでいた。
 彼女は停止した魔法とチルノの放つ氷弾を掻い潜り一気にその正面まで近付くと、空中で体を回転させて蹴りを放った。それは、何十年も前にパチュリーがレミリアから受けたものに酷似していた。
 小悪魔の蹴りを受けたチルノは後方へと吹き飛び、派手な水飛沫を上げて湖の中へと落下。その容赦の無い威力に驚いていると、小悪魔がこちらへと振り返った。
「パチュリー、大丈夫?」
「え、ええ。でも、今のはちょっとやり過ぎなんじゃ……」
「何甘い事言ってんだか……。殺られそうになったら殺り返す。これは常識ですよ?」
「……」
 ああ、そういえばこの子は悪魔だったわね……。そう今更ながらに思いながらパチュリーはゆっくりと地面に降り立った。そのまま湖へと視線を向けると、チルノが浮かんでくる気配は無い。どうやら彼女は死んで――
「勝手に殺すなー!!」
 生きていた。
 まだ痛むのだろう腹を押さえながら飛び出してきたチルノは、しかしその目に輝きを失わせないままにパチュリー達を睨み、
「あ、あたいはまだまだ負けちゃいないんだから!!」
 ふらふらの体で叫ぶ。しかしそれ以上に、パチュリー達はチルノの体に起きているある変化に目を奪われていた。
 彼女の体に付着している水分が、何故か少しずつ凍りついていくのだ。そしてチルノは猫のように体を震わせてそれを弾き飛ばすと、呆然とする魔女達の視線に釣られるように自分自身へと視線を向け、
「何? あたいの体に何か付いてる?」
「……」
 腹を押さえながら言うチルノへと、問い掛ける言葉が見つからない。魔法で防壁を張っているのだろうか? 或いは水に対して反応する加護を掛けているのだろうか? だとしてもどうして氷なのだろう。炎で蒸発させたり風で乾燥させるならまだしも、凍らせて落とすなど非効率にも程がある。一体どうして……。
 理解不能な状況に呆然と立ち尽くしていると、パリュリーの隣へと小悪魔が降り立った。危険が迫ればすぐ逃げられるように、その体に片手を回しながら。
 相対するチルノは何を思ったのか、パチュリー達へと苛立たしげに視線を戻すと、
「何か言いなさいよ!」
 思考は巡る。答えが出ない事は解っているのに、疑問が浮かび続けて止まらない。
「もう! やる気が無いなら無いって言いなさいよ!」
 チルノが叫ぶ。その度に周囲の温度が下がっているような錯覚に陥る。馬鹿馬鹿しい。
「……」
 やがてチルノは押し黙り、じっと魔女達を睨みつけ……しかしすぐに視線を逸らすと、
「止めよ止め! こんなにつまんない勝負は初めてだわ!」
「……勝負?」
 一方的に始まったこれが勝負? 疑問を投げ掛けたパチュリーに、ぷいと顔を逸らしたチルノは苛立たしげに、
「ふん。あたいだって何も答えないから」
 先程のお返しよ、と言わんばかりに口を噤む。その姿はまるで幼い子供のようで、ますますパチュリーは何も言えなくなる。すると、隣に立つ小悪魔が小さく口火を切った。
「……一方的に攻撃してきた卑怯者が何を言ってるんだか」
「な!」
「二人相手にあの人数? それでいて勝負? ハ、頭の弱いお子様ですね」
「何よ! アンタだってあたいに――」
「静かに。何も答えないのでしょう?」
 言って、小悪魔が自身の口元に指を添え、指先で何かを掴むようにし、
「お口にチャック」
 左から右へ、小悪魔の指が唇をなぞった。
 それは簡単な封呪の魔法。魔法使いならば確実に回避するだろうそれを、しかしチルノは回避する事が無かった。小悪魔の動きに合わせて、チルノの口が閉じていく。
「?! ッ! ッ!!」
 声が出せない事に動揺したのか、チルノが目を白黒させながらもがき始めた。小悪魔はそれを冷たい目で見ながら、
「……はぁ。こんな低レベルの魔法も防げないのに、どうしてあんな強大な魔法が使えたんでしょうねぇ」
「うーん……。何か特殊なアイテムでも使ったのかしら……」
 そう言葉を返しながら、パチュリーは小悪魔が蹴りを放った付近の大地に何かを見付けた。
「あれは……」
「ん? どうしたんです?」
 聞いて来る小悪魔と共に、パチュリーは視線に捕らえたそれへと近付き、
「……カード?」
「みたいですねぇ」
 それは一枚のカード。俗にスペルカードと呼ばれる、少女達の切り札。
 しかしまだ何も知らない魔女はカードを手に取ると、小悪魔と共に湖上でもがくチルノへと近付いた。そして、涙を浮かべてもがき続けるチルノの唇にそっと手を当て、
「落ち着きなさい。そして答えて。このカードは一体どんなもので、そしてこの世界はどんな所なのか。……それが出来るなら、その魔法を解いてあげる」
「! ッ!!」
 親に叱られた子供のように泣き腫らしたチルノは、魔女の言葉に何度も頷いた。恐らく、こういった魔法を体に受けた経験が無いのだろう。つまり彼女にとっての勝負とは、肉体の破壊や命の奪い合いといったものとは別の場所にあるもの、なのかもしれない。
 そんな風に思いながら、ゆっくりとチルノの唇に触れる。それは屋敷の中で眠る吸血鬼の肌よりも冷たく、パチュリーの中に更に疑問が浮かんでいく。
 だが、まずは話を聞いてみなければ解らない。百聞は一見に如かず。自己問答だけでは疑問を解決させる事は出来ないのだから。
 指先でチルノの唇をなぞる。
「じゃあ、答えて頂戴。貴女の知っている、この世界の知識を」
  
…… 

 こうして、パチュリー達は幻想郷へとやって来た。
 弾幕ごっこなどの勝負事についてはチルノから粗方聞き出し、突然取材に来た天狗や、周囲を通り掛かった人間や妖怪からこの世界についての話を聞き、魔女達は幻想郷という場所の知識を高めていく。
 そんな時、レミリアが宣言したのだ。
「……なら、私達がこの地にやって来たというアピールをしないといけないわね」
 何をするのかと疑問に思うパチュリーを他所に、レミリアの行動は早かった。小悪魔と共に何か魔法を生み出したかと思えば、それ――強制的な変化を促す魔法。ただし、ある無機物限定――をこの屋敷へと向けて発動させたのだ。
 それがどんな結果をもたらすのか予想も出来なかったけれど、しかしパチュリーに不満はなかった。この世界は以前居た場所よりも体の調子が良く、同じように調子が良いのだろうレミリアや小悪魔の姿を眺めているだけも幸せな気分になれたから。

 斯くして明くる日。
 パチュリーが眠りから覚めた時、彼女の屋敷は紅一色に染まっていた。


4

 そして、
「屋敷にメイドを集め出す事になった時、私はこの屋敷をレミィに譲ったの。図書館に籠っている私より、彼女の方が館主に相応しいと思ったから。
 その後暫くして美鈴がやって来て、咲夜がやって来た。それからまた暫く経ってから、レミィが霧で幻想郷を覆ったのよ」
 そう軽く過去の事を説明すると、三人の娘達はそれぞれ納得したように頷いた。
 とはいえ、過去を振り返る事など中々無い私にとって、こうやって昔話をするのは珍しい事だ。それが幻想郷に来る以前の事となると尚更に。
 だがしかし、まだ百年程しか生きていないとはいえ様々な事があったものだと強く思う。もしあの時レミィと出逢っていなければ、今も私はあの街か、或いは別の場所で、人間から隠れるように本を読んでいるに違いない。
 そういった意味でも、私は幸せだと感じる。ただただ引き籠もっているだけでは得られないものを、沢山得る事が出来たのだから。

……

 咲夜が給仕に戻り、それに続くように二人の魔法使いが図書館から消えた後、暗闇から小悪魔が現れた。私と同じように懐かしさを感じているのだろう彼女は、柔らかい微笑みを浮かべ、
「また懐かしい話をしてましたねぇ」
「えぇ。本当に懐かしい話だったわ。……貴女も混ざれば良かったのに」
「いやいや、私は長々と話をするのは不得意ですから。それに、私もパチュリーの話を聞いていたかったですし」
 言って、小悪魔が私の隣へと腰掛けた。
 思えば、彼女との付き合いが一番長い。まぁ、人生の大半を彼女と共に過ごしてきたのだから、それも当然なのだが。とはいえそこに苦痛は無く、寧ろ居て当然という安心感に似たものがある。もし彼女という存在が消えてしまったら……などという事は考えたくも無かった。
 そんな事を思っていると、懐かしそうに小悪魔が呟く。
「今更ですけど、チルノには悪い事しちゃいましたねぇ」
「確かにそうね……」
 小悪魔の蹴りはまだしも、言葉を封じるというのはスペルカードの使用を封じるのと同じ事だ。あれが殺し合いではなく勝負だった以上、知らなかったとはいえ、ルール違反をしてしまった。
 一年中元気なあの妖精はもう気にしてはいないだろうけれど、忘れても居ないだろう。彼女は馬鹿だが愚者ではない。今更になるが、折を見て無礼を詫びよう。
 だが、それとは別にして、私は過去に問い掛け忘れていた質問を小悪魔に投げ掛けた。
「そういえば、どうして貴女がレミィと同じような蹴りを放てたの?」
「あれですか? あれはパチュリーが構ってくれなかった時に、時々レミリアさんから教えて貰ってたんですよ。まぁ、模倣するだけで精一杯でしたけど」
「そういう事だったの。……って、構ってくれなかった、というのはどういう事?」
 私の言葉に、小悪魔は背もたれに体重を預けながら、
「そのままの意味ですよ? いつも私の事、こき使ってばっかりだし」
「……そう」
 言えばやってくれるから、ついつい雑用を言い付けてしまう事が多いのは確かだった。少しは戒めた方が良いのかもしれない。
 そんな風に思い、しかし対する小悪魔は少々慌てながら、
「や、でも、その、別に嫌って訳じゃないですからね? 私は嫌な事を自分から行う程、酔狂じゃないですから」
 移り気な子ねぇ、と思いつつも、「ありがとう」と言葉を返す。本当に、感謝しているわ。
 そして私は、再び書き掛けの魔道書へと視線を落とし始めた。隣に腰掛ける小悪魔は何処からか一冊の本を取り出し、ページを開いていく。
「「……」」
 言葉が消えた図書館は、すぐに静寂に満ちてしまう。それが何十年も昔から変わらない私達の空気だったという事を、今更ながらに実感する。
「……」
 ……。
 ……ああ、そうか。そうだったのか。
 私は少し勘違いをしていた。今感じているこの幸せは、彼女と共にあるこの日常があってこそのものだったのだ。もしあの時レミィと出逢わずに暮らしていたとしても、これは変わる事が無いに違いない。
 なんだ。私はどの道を歩んでも、隣に彼女が居てくれる限り、不幸になる事はないようだ。
 そんな事を思っていると、小悪魔が本から顔を上げ、
「ねぇパチュリー」
「何?」
「静寂を共有出来るって、素晴らしい事ですよね」
「ええ、そうね。私もそれを思っていたわ」
 静寂に他者の存在が混ざると、どうしてか緊張というスパイスが出来上がる事がある。それは相手と交流が深くても起こりうる事だ。逆にその静寂を苦に思わなければ、その相手と共にいて、心からリラックスする事が出来るという事になる。
 この屋敷の住人で、私が苦に感じる相手は居ない。けれど彼女との時間は、それとは別の心地よさすら感じられるのだ。
 だから、気付く。
 昔も今も、何も変わらない。ただ、過ごして行く場所が変わっただけの事。小悪魔と二人で静かに過ごす時間に、変化は何一つ起こっていなかった。
「……小悪魔。貴女が居てくれて、本当に良かった」
「どういたしまして。私も、パチュリーに召喚されて良かったです。……今更気付きましたけどね」
「私もよ。今になって、漸く気付けた」
 言って、共に笑う。
 本当に、今更な話。でも私達にとっては、初めての話。
 私はペンを置き、小悪魔は本を畳み、そして正面から向かい合う。
 告げる言葉は一つ。
 視線の先に居る相手へと、少々の気恥ずかしさと共に。


「「これからも、よろしく」」 














――――


 ……それはある日の事だ。

 ふと、本を読んでいた小悪魔が顔を上げた。
「……ねぇパチュリー。貴女、寿命が来たらどうするつもりなの?」
「そうね……」
 考えた事も無かった。恐らくこの先も本を読み続け、魔道書を書き続けるだろうが……生憎私は不死ではなかった。長命なのは確かだが、それもいつかは終わりが来るのだ。それがどれ程先の話かは解らないが、確実に訪れる未来でもあった。
 そんな終わりのある私に、終わりの無い彼女は告げる。
「そのまま魔女として死んでいく? 或いは、不老不死になる方法でも探す? それとも……私と一緒に、本の世界に堕ちる?」
「貴女と一緒に?」
「そう、私と一緒に。……あ、本の世界っていうのは――」
 それは数多ある魔界の一つなのだという。数多の人妖が生み出す創作の先にあるその世界には終わりが無く、常に新たな物語が生み出され続ける無限の地獄。堕ちたが最後、他世界から干渉を受けぬ限り表紙を開く事すら出来ない。
 しかしそこには永遠に続く文字の海があり、隣には彼女が居るのだ。
「どうしようかしらね……」
 言って、私はある方向へ視線を向けた。その方向には私の自室があり、そこに並ぶ本棚に、小悪魔を呼び出した本が眠っている。
 視線を戻して小悪魔を見る。
 いつものように笑っていて、けれど少し淋しそうで。
「……まぁ、考えておくわ」
「そう。……取り敢えず寿命が来るまで待っていてあげますから、死ぬまでには答えてくださいね」
 そして読んでいた本を手にとって立ち上がると、彼女は「次に読む本を探してきます」と告げて歩き出した。
 私はその姿をそっと視線で追いながら、遠ざかる背中へと小さく告げる。
「……その時が来たら、貴女の名前を呼んであげる。それからどうするのかは、まだ解らないけれど、ね」
 呟きは小悪魔に届かず消えていく。
 でもそれで良かった。いつか訪れる終わりの日に、彼女を驚かせる事が出来るから。
 そして私は本へと視線を戻し、文字を読み進め始める。いつか来るその日を思い描きながら。


 幸せな時間を、過ごしていく。








end



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