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幸せな時間。

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0
 
 明け方までレミィと話し明かしていた為か、眠りから覚めた時には正午を越えていた。特に生活サイクルに気を付けて生きている訳ではないけれど、やはり吸血鬼との生活は夜型になりやすい。
 そんな事を思いながらベッドから起き出すと、私は着替えを済ませて化粧台の前へと腰掛けた。そのまま姿見へ視線を向け、長い髪に櫛を通していく。
 鏡の向こうにあるのは、もうずっと変わらない風貌。恐らくこの先も、例え死が訪れようと変化する事は無いだろう魔女の顔はまだ少し眠そうで、
「ふぁ……」
 欠伸が出た。
 浮かんだ涙を拭いながら櫛を置き、長い髪にリボンを結んでいく。そういえば、このリボンに魔力を籠めたのは何年前だっただろうか。その効力が落ちているという訳ではないけれど、そろそろ魔力を籠め直した方が良いかもしれない。
「……でも、後でも十分ね」
 幻想郷にやって来た当初なら兎も角、最近は外敵から身を護る事が少なくなった。大概の妖怪や人間は美鈴が撃退してくれるし、例え門を超えられても咲夜率いるメイド達が居る。もし彼女達を倒す事が出来たとしても、この屋敷にはレミィが居るのだ。吸血鬼という種族柄、弱点は多いけれど、その実力は折り紙付き。彼女に倒せない相手は少ししかない。私に出番が回ってくる頃には、大概の戦闘は終わってしまうだろう。
 だからこそ、私は幸せだと感じる。ただただ、屋敷に引き籠もって本を読み続ける事が出来るのだから。
 そしてリボンを結び終え、眠る前に読んでいた本を本棚に仕舞ってから自室を出ると、私は紅い廊下を図書館へと向かい飛び始めた。途中擦れ違ったメイドに珈琲を頼み、漂うように進んでいく。そして普段通りに図書館の扉を開き、普段通りに中へと入り、
「ようパチュリー。邪魔してるぜ」
「お邪魔してるわ」
 そこには二人程魔法使いが居た。
「帰って頂戴」
 溜め息と共に呟き、しかし半ば諦めながらいつものように図書館の奥へ。そこにある椅子に腰掛けると、白黒の方が口を開いた。
「今日は本を読みに来ただけだ。それなら文句は無いだろう?」
「そういう問題じゃないわ。ここは私の部屋。貴女達を招いた記憶は無い」
「そう言うなって」
 白黒――霧雨・魔理沙が笑みで言う。全く、この娘は言っても聞いた例が無い。恐らく頭の中に花が咲いているに違いない。
 その近くに立つ七色のは、まるで意に関せずといった風に本を眺めている。それでもその肩に乗っている人形が頭を下げてきたから、少なくとも悪気はあるのかもしれない。それを行動に表さないのは、魔女である私に対抗意識を燃やしているからなのかどうなのか。まぁ、心を読む魔法を知らない私には判断の付かない所だ。
 私はもう一つ溜め息を吐き、書き掛けの魔道書を開きながら、
「用事が済んだらさっさと帰りなさい」
「へーい」「はいはい」
 答え、二人の魔法使いが図書館の闇の中へと消えていく。小悪魔に何か嫌がらせでもさせようかと一瞬考えたけれど、流石に止める。そんな事をしたくらいで素直に帰る二人ではないからだ。
「……さて」
 ペンを手に取る。あの二人は放っておいて、魔道書を完成させないと。

……

 十六夜・咲夜が珈琲を持って現れたのは、それから暫くしての事だった。まぁ、カップがしっかり三人分用意されていたのに気付いた瞬間、彼女の有能さに少し疲れが増したが。
 そんな咲夜が淹れてくれた珈琲を飲みながら、ちゃっかり居座る二人の魔法使いへと視線を向ける。
 こうやって黙っていると、二人とも人形のように可愛らしい。お揃いの衣装でも着せれば絵になるに違いない。……そうね。今度咲夜に衣装を用意させて、天狗にそれを影から撮影させようかしら。新聞に掲載されれば冷やかす者が現れるだろうし、そうなればここに来る回数も減るだろうから――
 と、そんな事を思っていると、七色――アリス・マーガトロイドが口を開いた。
「……それにしても、ここは本当に大きいわね。初めて足を踏み入れた時もそう思ったけれど、改めて見ると驚異的だわ」
「確かになぁ。……なぁパチュリー。咲夜がこの屋敷に来る前は、この量の本をどうやって保管してたんだ?」
 魔理沙の問い掛けに、さて答えるべきかどうするかを考える。考えて、別に不利益になるような事では無いと気付き、私は珈琲を一口飲んでから、
「どうもこうもないわ。元々この屋敷は私のものだもの。ここに収まりきらなかった本は、他の部屋の本棚に仕舞っていたわ」
 そう答えた直後、三人娘の動きが一瞬停止した。文字で表すなら「へ?」という感じの間抜けな表情を顔に浮かべて。もしかすると、狐に抓まれた顔というのはこういう感じなのかもしれない。
 その状況から逸早く復帰した咲夜は、しかし驚きを持ったまま、
「そうだったのですか?」
「そうだったのよ。……その話をした事はなかったかしら?」
「いえ、初耳ですわ。私も、このお屋敷はお嬢様が所有していたものかと……」
 咲夜の言葉を聞いて思い出す。もう長い間一緒に過ごしているように錯覚していたけれど、咲夜がメイドとして働き始めたのはつい最近の事なのだ。この屋敷の歴史を知らないのは無理もなかった。
 だから私は、不思議そうな顔をしている三人娘へと改めて視線を向け、
「少し考えてみれば解るでしょう? 私はずっと本に囲まれて生きてきた。そんな私が、どうすればレミィと知り合えると思うの?」 
 そう。あの幼い風貌の吸血鬼は、向こうから私の所にやって来たのだ。

1

 それは今から半世紀以上前の事だ。
 魔女の暮らす屋敷はひっそりとした森の中に建っていた。日光を嫌うその外壁は白く、その内部には数え切れぬ程の本が数え切れぬ程の本棚の中に収められていた。
 何も知らずこの場所に訪れた者は、ここを幽霊屋敷のようだと感じるだろう。外観から見ただけでは、まるで生活感が感じられないのだから。
 しかし実際には、二人の住民が静かに暮らしていた。
 その住人の一人であり、屋敷の主でもある魔女――パチュリー・ノーレッジは、本に顔を向けながら虚空へと声を放った。
「小悪魔、お茶」
 その言葉に答えるように、彼女の背後に小柄な少女が現れる。空に浮かぶ彼女もまた雑誌に目を落としており、同じようにそのままの姿勢で答えた。
「えー、自分で淹れて下さいよ。面倒臭い」
「お茶」
「……はいはい。全く、人使いの荒い魔女に召喚されたもんだわ……」
 ぶつぶつと呟きつつも雑誌を畳んで机の上に置き、着地すると、小悪魔は部屋を出て台所の方へと歩いていく。その姿をちらりと見ながら、パチュリーは小さく溜め息を吐いた。
 厳密に言えば、パチュリーは彼女を召喚したつもりは無かった。曰く付きだと言われている魔道書を開いた時、向こうから勝手に現れただけなのだから。
 しかしそれでも相手は悪魔で、当初は少々扱いに苦労した。それでも今のような上下関係が出来上がり、それが消える事無く今に至っている。恐らくこの先も、この関係は続いていくのだろう。
 そんな事を思っていると、出て行ったばかりの小悪魔が部屋へと戻ってきた。同時に何故か強い魔力を感じ……引きつった顔をした小悪魔は、パチュリーへと強張った笑顔を向け、
「……ぱ、パチュリー、お客様です」
 上擦った声で告げる。玄関とは逆方向にある台所に向かった小悪魔が、どうして来客に気付けたのだろう――そう、感じた魔力にではなく、小悪魔についての疑問を挟んでしまった次の瞬間、パチュリーの読んでいた本に影が差した。
「?!」
「……また難解な本を読んでいるのね。私にはさっぱりだわ」
 呟き、突然現れたそれは退屈げに溜め息を吐いた。耳元に届いた息は驚く程に冷たく、感じる魔力は恐ろしい程に高い。無意識に背筋が凍る。判断が遅れた。緊張と焦りが一気に溢れ出し、驚きで止まりそうになっていた心臓が早鐘を打ち鳴らし始める。
 けれど魔女はそれを表情に出さず、空に浮かぶ幼い風貌の侵入者を睨みつけた。
 すると、少女の姿をしたモノが少し驚いたように目を見開いた。そして、その容姿にそぐわぬ大人びた笑みを浮かべると、
「良い度胸ね」
「……不法侵入者に立ち向かうぐらいの力は、持っているつもりだもの」
「へぇ、それは凄い。吸血鬼を恐れない人間が居るだなんてね」
 大仰に言って、羽根のように音も無く吸血鬼はパチュリーの正面へと下り立った。その顔に本気の色はなく、寧ろこちらの反応を見て楽しんでいるようにも感じられる。
 だから、
「私は人間じゃない。――魔女よ」
 パチュリーはその目の前で思考を巡らせる。恐怖や動揺は消えていないけれど、それでも明らかにこちらを嘗めている相手へと、自分の力を見せ付けてやる為に。
 しかし対する吸血鬼は動じる事無く、その細い指を一本、そっとパチュリーの唇に乗せた。
 冷たい。
 まるで言葉を発する事を――呪文の詠唱を禁じるかのような行為を行いながら、吸血鬼は魔女に告げる。
「私は戦いに来たんじゃないの。ここに魔女が居るっていうから、それを見に来ただけ。解った?」
 指の先にある吸血鬼の顔には有無を言わさぬ微笑みがあって、だからパチュリーはその指から逃れるように顔を背けつつ、
「……解ったわ」
 屈辱的だが、頷くしかない。何故ならば相手は吸血鬼。やろうと思えばその指一本で、魔女の細い首を刈り取る事が出来るのだろうから。
 と、そう自分自身に言い聞かせていると、吸血鬼はまるで教師のように頷き、
「宜しい。それに貴女みたいな小娘じゃ、私に傷一つ付けられないしね」
「……なんですって?」
 背けたばかりの顔を向ける。すると吸血鬼は嘲笑うかのように、
「魔女って言っても、所詮は人間の延長でしょう? もし違うとしても、無理な話だわ」
「――ッ」
 一瞬で頭に血が上る。魔女としての自分を一言で否定された気がして、積み重ねてきた人生の全てを哂われたような気がして、思わずパチュリーは椅子から立ち上がっていた。
 恐怖は消えた。あるのはただ、嫉妬に似た強い感情。
「……傷を付けられないかどうか、その身で判断してみなさい」
「構わないわよ?」
 あくまでも吸血鬼は余裕で、だからこそパチュリーは冷静ではいられない。常に手元に置いている魔道書を手に取り、そこに記述した呪文を一気に詠唱していく。
「さて、魔女様がどこまでやってくれるのかしら」
 吸血鬼が何か言っているが、今は無視。魔力の出し惜しみなどする事無く持ちうる最強を詠み上げる。同時に複数の魔法陣を周囲に生み出し、その一つ一つに魔力を通わせ増幅させていく。
 息が苦しい。
 しかし、ここで詠唱を止める訳にはいかなかった。
 構築するのは祖から始まる永遠の遺志。数多の者達が求めた一途な意志。奇跡を生み出す錬金の石。廻り回る五つの元素。混合し生み出すは一つの意思。
「――賢者の石」
 言葉と共に魔法が完成し、魔女を護るように周回していた魔方陣一つ一つが巨大な石塊へと変化していく。そして五つ目の魔法陣が変化を終わらせる前に魔女は動き出し、驚きを浮かべる吸血鬼へと奇跡の具現を撃ち当てた。
 吸血鬼の肉体が砕ける音よりも、屋敷の壁が吹き飛んだ音の方が大きい。そんな当たり前の事にパチュリーは驚き、しかし次の瞬間更なる驚愕を得た。 
「……ふぅん。口だけじゃないのね」
 吸血鬼の右腕が吹き飛んでいた。だが、それだけ。まるで飛んできた羽虫を追い払った程度の気楽さで、夜の眷属は呟いてみせる。右腕一本など、ダメージにならないかのように。
「そんな……」
 魔女としての自信が一気に砕けそうになる。けれど――けれど、まだ終われない。まだ終わらせる訳にはいかない!
 壊れた壁は小悪魔に修復させれば良いと判断し、魔女は浮遊する賢者の石を更に吸血鬼へと向けて加速させ、その破壊力を増させる為に追加詠唱を始め――しかし、魔女よりも先に吸血鬼は動き出す。
 彼女は右腕に紅い霧を纏わせながらパチュリーへと加速すると、軽い跳躍と共に空中で身を翻し、
「っと」
 風切り音と共に、高速で踵が迫――
「――!!」
 まるで硝子を割るような音と共に防御魔法が破砕。それを脳が理解するよりも早く、魔女の体は背後に並ぶ本棚へと激突していた。
 受身を取る事すら出来ず本棚に受け止められたパチュリーは、まるで壁に投げたパイのようにずるずると落下していく。同時に本が雪崩のように崩れ落ち、その体は本の海に沈み始めた。だが、吸血鬼はそれを許さず、
「……もう終わりなの?」
 途切れそうになる意識の中そんな声を聞き、次の瞬間、体に急激な浮遊感。ぼんやりとした思考の中、飛んでいる、という事は解っても、どうして自分が飛んでいるのかが解らない。
 一瞬で腕を修復した吸血鬼に放り投げられたのだと気付いたのは、小悪魔に抱きとめられた後だった。
「何やってんですか! 相手は吸血鬼ですよ?!」
 悲痛な声が落ちてくる。全くこの子はどうして逃げなかったのかしら。そう思いながら、力の入らない体を無理矢理起き上がらせる。
 息が苦しい。しかし、まだ終われない。
 どうやら吸血鬼は追い討ちをしてくる気は無いらしい。一度攻撃したから、今度はこちらの番という事なのだろうか? 解らない。だがこれはチャンスで、だからこそ魔女は次の一手に取り掛かる。
 全身の痛みを無視し、奇跡的に離す事が無かった魔道書に再び視線を落とす。しかし羅列する文字を追う視線が揺らぎ、小悪魔に支えられていなければ真っ直ぐ立っている事すら出来ない。
 それでも、詠唱さえ出来れば魔法を発動させる事が出来る。魔法さえ発動させる事が出来れば、パチュリー・ノーレッジは魔女足り得る。荒れた息を整え、魔女は恐らく最後になるだろう呪文の詠唱を始め―― 
「ッ」
 咳が、出た。
 咳が、吸血鬼が不思議そうな、咳が、顔をしている。小悪魔が、咳が、顔を歪ま、咳が、せている。咳が、それでも、咳が、魔女は、咳が、呪文を、咳が、咳が咳が咳咳咳咳咳咳……嗚呼、どうしてこんな時に、
 咳、が、
「ッ、っ」
 止まら、ない。
「ッ!!」
 不味い、と思った時には、最悪のタイミングで発作が始まっていた。
 詠唱が止まり、辛うじて浮遊していた賢者の石は完全に消え去り、魔女は本を抱きながらその場に倒れこんだ。
「ぱ、パチュリー?!」
 すぐ近くから小悪魔の声が聞こえる。けれど全身を砕きそうな苦しみに言葉を返す事が出来ない。
 これは殺されるな、と頭の隅で思う。しかしその思考すら、襲い来る苦しみの中に消えていった。

……

 漸く発作が治まり、涙などで汚れた顔を洗って一息付いた時、まだパチュリーの首は繋がっていた。
 どうして自分は殺されなかったのだろうか。そんな風に思いながら部屋に戻ると、瓦礫と本を片付けられた部屋に新しいテーブルと椅子が用意されており、そこで吸血鬼がお茶を飲んでいた。
 彼女はパチュリーの姿に気付くと、少し複雑そうな表情で、
「……貴女、病気なの? 魔女の癖に?」
 その言葉を聞きながら、パチュリーは吸血鬼の正面へと腰掛けた。そして自身で破壊した壁へと視線を向けつつ、
「私は喘息持ちなの。これは生まれつきで、どんな魔法でも治す事が出来なかった。だから時たま、ああやって発作が起こるのよ」
「……ふぅん」
 そのまま、吸血鬼が押し黙る。そこに殺気は無く、しかしその視線はじっとパチュリーに向けられて、居心地の悪さは凄まじいものがあった。だからパリュリーはその目に視線を絡めつつ、
「私を殺さないの?」
「……そうね。あの攻撃は少し痛かったけど……まぁ、許してあげるわ」
「そう、なら良かったわ」
 言葉とは裏腹に、緊張を解く事は出来ない。けれどそれとは別に、強い絶望を感じていた。全力で放った一撃に殆ど効果が無かったというのは、魔女としてのメンツが立たないからだ。
 そんなパチュリーの思いなど気付いていないのだろう吸血鬼は、カップに入った紅茶を飲み干すと、音も無く席を立ち、
「それじゃ、私はそろそろ帰るわね。ここに居る魔女が案外面白い奴だって解ったから」
「……そう」
「また遊びに来るわ。今度は玄関からね」
 そう微笑んで告げて、吸血鬼が霧になる。
 刹那、
「そうそう、小娘は訂正するわ。パチュリーさん」
 そう言葉を残し、消えた。
「……」
 あれ程強かった魔力が一瞬にして消え去り、パチュリーの体から一気に力が抜けた。どうやら、生き延びる事が出来たらしい。
「……助かったわね」
 思わず言葉が漏れる。そして忘れていた全身の痛みから逃げるように背もたれに体重を預けた時、ティーポットを持った小悪魔が部屋に入ってきた。
「あれ、あの吸血鬼はどうしたんですか?」
「帰ったわ。でも今度は玄関から来るらしいから、丁重に追い返して」
「無理ですよ。私なんかじゃ一瞬で消し炭にされちゃいますもの」
 普段は見せぬ真剣な顔で言って、小悪魔が紅茶を淹れる準備を始めた。それでも安堵があるのだろうその様子を眺めていると、不意に彼女が呟いた。
「もう辛くない?」
「大丈夫。薬も飲んだし、それを貰ったら今日は休む事にするわ」
「ん、解りました」
 言って、カップに紅茶が注がれていく。その香りと色を楽しめる事に感謝しながら、パチュリーは小さく呟いていた。
「……ありがとう」
「え?」
「私があの吸血鬼に一撃を受けた時、本棚周辺に何か付術したでしょう? そうでなければ、私の体は隣の部屋まで吹き飛んでいた筈よ」
 この屋敷にある本棚は街で売られていたごく一般的なものだ。そんなものが、吸血鬼の一撃を受けたパチュリーの体を受け止められる筈が無い。同時にこうして骨折の一つも無く生きて居る事が出来るのも、その魔法のお蔭だろう。
「なんだ、気付いてたんですか」
 と、自分用の紅茶を淹れながら答えた小悪魔の言葉に、パチュリーは頷き、
「確信したのは……発作が治まって、冷静になる事が出来た時だけれどね。恐らくあの吸血鬼は手加減をしていただろうけれど、それでも戦闘準備をしっかりと行っていなかった私では即死出来る攻撃だった。それを打ち身程度で終わらせる事が出来たのは、貴女の魔法があったから。……だから、ありがとう」
「はいはい。でも、次は気をつけてくださいよ? あの人、今度は私の手助けを見逃してくれないでしょうから」
「解っているわ。私も、まだ死にたくは無いもの。……でも、どうして私を助けてくれたの?」
 小悪魔から紅茶を受け取りつつ、疑問を投げ掛ける。すると彼女は、少しきょとんとした顔で、
「……何言ってんですか?」
「……どういう事?」
 問い返したパチュリーに、小悪魔は脱力しながら溜め息を吐いた後、表情を改めると、
「良いですか? 私は本を媒体に異界と現世を行き来する悪魔なんです。その媒体となる本、或いはその所有者が消滅した場合、現世に取り残される可能性があるんです」
 そういえばそうだった。彼女を召喚した本はパチュリーの自室にあり、結果それはパチュリーが所有者になっている事を意味する。
「つまり、自分自身の為?」
「そういう事です。……それに、パチュリーの事は嫌いじゃないですからね。目の前で死なれるのは気分が悪いんです」
 言って、少し恥ずかしげに小悪魔が視線を逸らす。同時に、パチュリーの胸に暖かいものが広がった。
 小悪魔がパチュリーの事を嫌いではないと言うように、パチュリーもまた、彼女の事を嫌ってはいない。だからこそこうやって向かい合い、一緒に紅茶を飲む事が出来ていて、そしてこの生活がこの先も続くと思えるのだ。
 だが今日になって突然、吸血鬼という存在が現れた。この街に吸血鬼が居るという話は聞いた事が無い為、恐らく他の街から流れて来たに違いない。
「……でも、厄介な存在が現れたものね」
「ですね。……って、その様子だと何か思う事でも?」
「えぇ、少しね」
 そしてパチュリーは紅茶を一口飲み、
「妙だとは思わない? 吸血鬼なんて存在、もう滅んでいたと思っていたのに」
 二十世紀も中盤に入ろうという今、最早吸血鬼など物語の中の存在だ。その大半は既に討伐されたと聞くし、彼らはもう幻想の存在になったと思っていた。
 すると、正面に座る小悪魔は少々意外そうに、
「や、パチュリーがそれを言っちゃ駄目でしょう」
「どうして?」
「まぁ私もそうですけど、魔女って存在も殆ど滅びたようなものじゃないですか。ほら、魔女狩りとか」
「ああ、確かにそうね」
 パチュリー・ノーレッジがこの世に生を受ける更に以前、一部地域に根付いていた魔法の文化はほぼ完全に壊滅していた。その生き残りの先に居るのがパチュリーなのだが、確かに魔女や魔法使いという存在もその数は減っている。もしかしたら、この地方にはパチュリー以外の魔女は存在していない可能性もあった。
 そして小悪魔のような悪魔も、最近では人々の闇に現れる事が少なくなっている。それは召喚される機会が減ったという事もあるが、それを行う人間すら悪魔の存在を信じていない場合が多くなっているのだ。
「そりゃ中には魔力を感じられる人もいるかもですけど……今の街には、翼と尻尾を隠した私を悪魔だと見抜ける人が居ないんですから。結構在り得ないです」
「でもだからこそ、手軽に買い物を任せられるんじゃない」
「それはそうですけど……。でも、結構淋しいものですよ? 昔だったら、もうきゃーきゃー言われてたんですから」
「……へぇ、そうなの」
 単独でこちらの世界に姿を現せられるならまだしも、本の世界に住む悪魔がどうすればきゃーきゃー言われるんだ、と思いつつも、取り敢えず頷いておく。
 兎も角、この世界での存在が希薄になりつつある魔女と悪魔の元に吸血鬼が現れたというのは、恐らく偶然ではないのだろう。パリュリーはそう考え、紅茶を飲んだ。

 だが、パチュリー気付かない。
 今日の出逢いが、自分達の運命を変えるものだった事に。






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