ぷれぜんと。

――――――――――――――――――――――――――――

■とおいきおく。

 私の中に自我が目覚めた時、過去の記憶と呼べるものはあまり無かった。そもそも私には脳みそが無いから、それは仕方が無かったのかもしれない。
 そんな記憶の中でも、特に私の中に深く刻み込まれていた記憶がある。
 それは私が置かれていた部屋での記憶。
 この幻想郷ではない、どこか遠い場所での記憶。
 ……思い出す事すら、止めていた記憶。

 その部屋の中で、私の居場所はいつも箱の中だった。その箱はとても狭くて、でも色んな種類の仲間達が押し込まれていた。
 今にして思えば、あれはただ私達を仕舞う為の玩具箱だったのだろう。私の持ち主だった少女は広い部屋を持っていたけれど、そこに私達を飾ろうとはしなかったから。
 彼女はいつも私達を乱雑に扱い、適当に玩具箱へと押し込めていた。だから私達の体はすぐにどこか壊れたり汚れたりして……そしてその度に、彼女の部屋から追い出されていった。
 けれど、仲間の数は減る事が無かった。一人の仲間が部屋から追い出されて暫くすると、新しい仲間を『お父さん』と呼ばれている男性が彼女へと持ってきていたからだ。
 そう考えると、お父さんが部屋にやって来る時は、必ず綺麗にラッピングされた箱……プレゼントを持って来ていたように思う。
 まぁ、私は玩具箱の外に出ていた時にしか部屋の様子を知る事は出来なかったから、本当の所は解らないけれど。

 そんな入れ替わりの激しい部屋の中、私は他の仲間達よりも長く部屋に居る事が出来ていた。どうやら彼女は私の事を気に入っていたらしく、どんなに汚れても私の事を部屋から追い出そうとはしなかったのだ。
 それでも扱いが丁寧だった訳ではなかったから、新しい仲間達から見れば私はみすぼらしい存在だったに違いない。
 でもだからこそ、あの日、私は消えていった仲間達がどうなるのかを知る事が出来たんだと思う。

 その日、私を相手に遊んでいた彼女へとお父さんが持ってきたプレゼントは、白い箱にピンクのリボンでラッピングされていたものだった。
 そしてお父さんが部屋から出て行ったあと、彼女は私を床へと放り投げると、引き千切るようにリボンを取り外し、荒っぽく乱暴にその箱を開けた。
 私は床に放り出された体勢のままそれを眺め、
「……なにこれ」
 興味無さそうに呟く彼女の声を聞いた。あの頃の私には言葉の意味は解らなかったけれど、多分こんな単語だったと思う。
 そして彼女が箱の中から乱暴に取り出したのは……『私』だった。
 正確に言うなら、私に良く似た人形だった。今だから解るけれど、あれは本当に私と瓜二つだった。
 そしてそれは、私がこの部屋から追い出される事を意味していた。普段とは逆のパターンとはいえ、いつも通りなら彼女は新しい仲間を部屋に残し、古い仲間を外に追い出してしまうのだから。いくら私がお気に入りになっていたとしても、私に良く似た人形がやって来てしまっては仕方が無い。
 ……でも、今回は違っていた。
「なんでこの人形なのよ……いらないって言ったのに。私は新しいクマのぬいぐるみが欲しかったのに……!」 
 そう叫ぶと、彼女は手に持った私に良く似た人形を壁へと思い切り投げつけた。
 大きな音をあげ、私に良く似た人形が壁へと衝突し、床へと落ちる。
 彼女は空になったのだろう箱を蹴飛ばすと、床に寝たままだった私を手に取った。そして壁際に転がった私に良く似た人形を拾い上げると、そのままドアを開けて外へと出た。
 彼女は怒り覚めやらぬといった足取りで廊下を進み、階段を降りると、広く開けた部屋へと入りながら声を上げた。
「お母さん、ちょっと良い?」
「はいはい……。何かしら?」
 彼女の声に答えたのは、綺麗で長い黒髪を持つ『お母さん』と呼ばれている女性だった。 
 お母さんは何かをしていた動きを止めると、彼女へと目を合わせる為にしゃがみこんだ。
 その黒い瞳が私と、彼女が持つ私に良く似た人形へと向けられ……しかしお母さんが何かを言う前に、
「これ、いらない。捨ててくれる?」
「え、でも……こっちを捨てるの? まだこっちは新しいわよね?」
「いらない」
「でも、どうしてか理由を……」
「いらないったらいらない! お母さんはこれを捨ててくれれば良いの!!」
 強く声を荒げる彼女に押されたのか、お母さんは少し怯えたように頷いて、
「わ、解ったわ……。じゃあ、貸してくれる?」
「はい」
 勢い良く突き出された私に良く似た人形をお母さんが受け取り、そして優しく胸に抱いた。
 そしてお母さんは立ち上がると、
「それじゃ、後で捨てておくから、貴女はお部屋に……」
「ダメ。今すぐ捨ててきて。お母さん、捨てるって言って捨ててない時がある事、私知ってるんだから」
「……解ったわ」
 半ば諦めたように言うと、お母さんは彼女を連れて歩き出した。

 彼女の手に掴まれたままの私がやって来たのは、家から少し離れた場所にある鉄の箱の前だった。長い煙突が伸びたそれは、確か焼却炉とかいうものだったと思う。
 お母さんは焼却炉の扉を開くと、私に良く似た人形をその中へゆっくりと入れた。
 薄暗い焼却炉の中には他にも幾つかの袋が積まれていて、私に良く似た人形は、その上にちょこんと座るような体勢でこちらを見ていた。
 そして、あの瞬間がやって来た。
 お母さんが何か小さな箱を取り出したかと思うと、更に箱の中から小さな棒を取り出した。そしてそれを箱に擦り付けると、不思議な事に棒の先から炎が生まれたのだ。
 お母さんはその炎を躊躇いがちに焼却炉の中へと入れ、
「さ、火をつけたら、もう行きましょう」
「やだ。最後まで見てる」
「でも……」
「見てるの」
 そう、彼女がお母さんへと言葉を放っていた間、焼却炉の中に変化は無かった。けれど次第に袋を舐めるように火が燃え上がり、焼却炉の中を炎が包み込んでいく。そしてその火の手は、私の良く似た人形へと及んでいった。
 まず洋服に火が点き、広がったスカートがゆっくりと燃え始め、次いで火が点いた金色の髪の毛が溶けるように無くなっていった。そのまま体へと炎は纏わり付いていき、私に良く似た白い肌が、どろどろと熱に溶かされて燃えていく。
 最後までこちらを見ていた青い瞳は、崩れていく体と共に炎と一つになり、消えた。
 まだ自我を持っていなかったあの頃の私には、部屋から追い出されたらこうなる、という事に対する感情が湧く事が無かった。
 だけど、今なら良く解る。
 あれはどうしようも無い程の恐怖の記憶。
 死の疑似体験、だったのだ。

 その後の事は、あまり覚えていない。
 いつの間にか私は、彼女の部屋では無い、沢山の仲間達が飾られた部屋で暮らしていたから。
 ……けれどその生活も、突然現れた彼女によって崩壊した。
 彼女は部屋の中に居た仲間達を床へと叩きつけ、踏みつけ、投げつけた。そして私の事を見つけると、
「こんなもの……!!」
 叫び、私を掴み上げた。
 最後に見た彼女は鈴仙と同じぐらいの女の子になっていて、目には涙が浮かんでいた。
 そして私は窓から投げ捨てられて……再び気付いた時には、鈴蘭畑に居たのだった。

■なみだのりゆう。

「……その間にも色々あったのかもしれないけれど、思い出せない。
 そして私は、スーさんの毒のお蔭でこうやって自我を持つようになれて……今、ここに居るの」
 輝夜に抱き付き、そして抱きしめられていた私は、思い出す事が出来た過去をみんなの前で告白していた。
 そしてゆっくりと輝夜から離れ、棒立ちのまま話を聞いてくれていた鈴仙へと体を向けると、
「ごめんなさい……。折角のプレゼントなのに……」
 そう言って、私は深く頭を下げた。
 恐怖に駆られてやってしまった事とはいえ、悪いのは私の方だ。嫌われても仕方が無い。そう思いながら頭をゆっくりと上げると、
「良いよ、大丈夫……。そんな事があったなんて知らなかったから、酷い事をしちゃったわ……」
 ぎゅっ、と鈴仙に抱きしめられた。
 予想していたものとは真逆の反応に慌てながら、私は顔を上げ、
「で、でも、私……」
「メディスンは何も悪い事はしてないよ。だから、謝らなくて良いから……」
「……うん……」
 そのまま鈴仙の胸に埋まるように頭を下げる。同時に過去の事を告白していた時とは違う胸の痛みが襲って来て、私は辛かったり悲しかったりする時以外にも涙が流れる事を知った。
 暫くその格好のままで居ると、鈴仙の背後から永琳の声が聞こえて来た。
「ほら、二人とももう離れなさい。みんなビックリしているわよ?」
「え、あ……ご、ごめんなさい師匠。つい……」
「……一方的な略取は、貴女も経験している事だもの。仕方ないわ。それよりも、元々これを渡す時間だった筈でしょう?」
 そう言って永琳が差し出したのは、五つの小瓶と白いドレス。
 鈴仙は私をそっと解放すると、永琳からその小瓶とドレスを受け取り、
「良かった……。安全の為に厚めの瓶を使っていたのが幸いしたみたい」
「それは……?」
 私の問い掛けに鈴仙は微笑むと、その小瓶を一つずつ私へと手渡し、
「これが、師匠と私からメディスンへの誕生日プレゼント」
「これが……?」
「そう。瓶の中身は、自然では精製されない私と師匠特製の毒セット。前に希少な花の毒を貰ったから、そのお返しも兼ねて。
 次に、このドレス」
 肩の部分を持って、鈴仙がドレスを広げてみせた。
 私はこの体に丁度良いサイズに見えるそれと鈴仙の顔を交互に見ながら、
「これも、私に?」
「うん。これは私達みんなからのプレゼント。メディスンに似合うように、鈴蘭色のドレスを選んでみたの。……でも、遊ばれてるみたいで嫌……かな?」
 微笑みから一転、不安げに聞いてくる鈴仙、そして同じように不安げな表情を向けてくるみんなへと私は大きく首を振ると、
「そんな事ない! 凄く、すっごく嬉しい……!!」
 笑顔で答え、私は貰ったプレゼントを胸に抱きしめた。
 この優しさを放さぬよう、強く、強く。
 
 嬉しい時にも涙が浮かぶ事を知りながら。

■たんじょうび。

 一騒ぎ起こしてしまった誕生日会も無事に終わって、その片づけも終わったあと、私はさっそく貰ったドレスに袖を通していた。
「ん、と……あれ? 背中が……」
 背中のボタンに上手く手が届かない。ボタンは掴んでいるのだけれど、どうも上手くいかない。
 必死になって頑張っていると、洗い物が終わったのだろう鈴仙が部屋に戻ってきた。
「やっと終わった……って、どうしたの?」
「背中のボタンが、上手く付けられなくて……」
「ちょっと待って。手伝ってあげる」
 そう言うと、鈴仙が私の背後へと回り、上手く付けられなかったボタンへと手を伸ばした。
 ドレスの胸元が少し引っ張られるのを感じながら、ふと、私はある事を思い出した。
「……ねぇ鈴仙。前に私の誕生日が二つあるって言っていたけれど、あれはどういう事なの?」
「ああ、あれ? ……あれはメディスンに失礼かもしれないけど……良い?」
 窺うように聞いてくる鈴仙に、私は頷き、
「大丈夫。だから教えてくれる?」
「解ったわ。えっとね、昔何かの本で読んだ話なんだけど……っと、出来た」
「ありがとう。お話の途中だけど……似合うかな?」
 鈴仙の手が離れた事を確認すると、私は振り返りざまに軽く一回転してみた。今まで着ていたドレスとは違う感触が、ちょっとくすぐったい。
「似合ってるわ。それに、今までが暗い色のドレスだったから、ちょっと別人みたい」
「本当?」
「うん。みんなで選んだかいがあったわ」
 そう言って優しく微笑むと、鈴仙がドレスとお揃いになっている白いリボンを手に取った。そしてそれを私の髪へと通しつつ、
「で、話の続きね。私も何かの本で読んだだけだから、詳しくは知らないんだけど……人形にも誕生日があるらしいの」
「人形にも?」
「うん。確か……その人形に名前を付けて、こんな風に初めてリボンを巻いてあげた日、だったかな」
 言葉と共に、鈴仙がリボンを結び終えた。
 そして一歩下がった彼女の顔を眺めつつ、
「名前と、リボン……」
「でも、メディスンは……」
 そう。私は捨てられた人形だ。そして持ち主だった少女は私を乱雑に扱っていて……当然、名前なんか付けて貰った事は――
『今日から貴女はメディスンよ。よろしくね』
「あ、れ?」
「どうしたの?」
 何か、記憶の奥に引っ掛かっているものがある。
 私の顔を覗き込むように腰を下ろした鈴仙の顔を眺めながら、私は記憶を手繰り寄せる。
 そして、
「……思い、出した」
「思い出した? また、辛かった事……?」
「ううん。そうじゃないの。私の、メディスンの誕生日を思い出したの」
 ああ、そうだ。私には名前がある。メディスンという名前があるじゃないか。
 そう、だから。
「私の、本当の誕生日は――」

■あのひをわすれない。

 あれは、外から響いてくる音が五月蝿かった日の事。多分あの音は、蝉の鳴き声だったと思う。
 ついに彼女の部屋から追い出される事となった私は、お母さんと共にある場所へとやって来ていた。けれどそこはあの焼却炉ではなくて、彼女の部屋ともまた違う部屋だった。
 薄暗いその部屋に光が灯ると、狭い室内にずらりと棚が並び、そこには部屋から追い出されていた筈の仲間達が飾られていた。
 お母さんはその棚の一つに私を乗せると、床に置いてあった箱から何かを取り出し、再び私を手に取った。
 そしてお母さんは汚れていた私の服をドレスへと着替えさせると、ボサボサになっていた髪を優しく櫛で梳かし……最後に、頭に赤いリボンを付け、
「これでよし、っと」
 小さく呟き、満足したように微笑むと……お母さんは腰を下ろし、私を膝の上に乗せ、
「貴女がこの家に来てもう一年……。……こんなにボロボロになって……でも、もう大丈夫だからね」
 私の髪を撫でながら、どこか悲しげにお母さんが呟く。そのまま、暫くの間私を撫で続け……
「……さてと」
 意識を切り替えるようにそう言うと、お母さんは私を抱いて立ち上がった。そして私を再び棚の上に置くと、
「今日からここが貴女のお部屋よ。これからみんなと仲良くしてね。……でも、貴女には名前が無かったのよね……」
 お母さんは口元に指を立て、んー、と少し悩んだ後、
「そうねぇ……。この前の子にはムギナって付けたから、今度はメが付く名前でいきたいわよね……。……メ、メー……メディ……メディカル……んー、あんまり可愛くないわね……。
 うーん……。メディ……メディ……あっ、メディスン! メディスンなんてどうかしら?」
 答えられる訳が無いのに、お母さんは私へと問い掛ける。
 そして一人で何度か頷くと、
「うん、それが良いわね。今日から貴女はメディスンよ。よろしくね」
 そう楽しげに微笑むと、お母さんは最後に私の髪を一撫でし、
「それじゃあみんな、行って来るわね」
 部屋に居る仲間達全員へと伝わるように言い、灯っていた光を消すと、お母さんは部屋を出て行った。
 小さく音を立てて扉が閉まると、誰も居なくなった部屋は途端に静けさを取り戻した。
 ただ外から届く蝉の音だけが、小さく部屋の中に響いては消えていく。

 そして私の視線の先には、数字の書かれた四角い箱が幾つか並んでいた。
 今なら解る。あれは万年を刻む七曜表。
 私の誕生日を示した、その数字は――




「――八月、十四日」


 その日が私の、本当の誕生日。
 メディスン・メランコリーが、生まれた日。










■おしまい。

――――――――――――――――――――――――――――
戻る

 

――――――――――――――――――――――――――――
目次

top