その夏の日に。

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4
   
「それじゃ、また」
「うん、またね」
 そう笑顔でリグルと別れたフランドールは、少しずつ湧き上がってくる淋しさを紛らわせるように、蛍の光を探しながら紅魔館へと向けてふらりと空を飛んでいた。だが少女は、月の出始めた夜闇の中で、紅魔館の明かりが煌々と灯されている事に気が付いた。
 一体何事だろうか。そう思いながらゆっくりと近付いてみると、少女が紅魔館を出た時の倍以上は居るだろうメイド達が、屋敷の内外を慌ただしく動き回っていた。
 そんな彼女達の表情にあるのは、焦り。
 何事かと気になったフランドールは、
「どうしたの?」
 門番の居ない正門から、屋敷の中へと向けて何気なく声を掛けた。
 瞬間、
「――」
 張り詰めていた緊張が更に引き絞られたかのように、メイド達全員がこちらを見、動きを止めた。
 その突然の変化に首を傾げながら、
「何かあったの?」
 何が何やら全く解らない少女は、地に降り、少々ふらふらする足取りで屋敷の中へと入っていく。こんな風に慌ただしかったのは、前に魔理沙と霊夢に逢った時以来だろうか。
 そんな事を思いながら玄関ホールへと進んで行くと、固まったように動かないメイド達の間を裂くように、銀髪の少女がやって来た。彼女はフランドールの前で恭しく一礼すると、顔に微笑みを持って、
「お帰りなさいませ、フランドール様」
「うん、ただいま咲夜」
 メイド長である十六夜・咲夜の事は、フランドールも良く知っていた。だから彼女は咲夜に微笑んで、自室への道をふらりふらりと歩き出す。すると、咲夜がこちらの後に付きながら、何やら窺うように、
「どちらまで足を運ばれていらしたのですか? 突然の外出でしたので、メイド達一同お探ししました」
「ちょっと森の屋台まで。そこで初めてお酒を飲んできたの」
 楽しかったわ、と言いながら羽を広げ、咲夜に振り返りながら中に飛ぶ。そして器用に後ろ向きに進みながら、
「それにね、八目鰻を食べたの。甘辛くてちょっと苦かったけど、でもとっても美味しかった。それと、慧音さんって人から色んな事を教わったわ。今まで知らなかった事を沢山、沢山」
 そしてくるり前を向き、楽しかった時間を思い出しながら、
「あとは、歌を歌ったの。知らない歌だったけど、リグルやミスティアに教えて貰って覚えたわ。それにそれに……」
 話せば話すほど、あの時間が素晴らしいものだったと感じる事が出来る。
    
 だから、屋敷を出た時よりも自室への距離が短い事に少女は気が付かなかった。
 同時に、それがどんな意味を持つのかも。
    
 知らなかったからこそ、少女は楽しそうな笑顔で話を続ける。
 続けていく。
 そして、綺麗に修復され、こちらを迎え入れるようにその扉を開いている自室が見えてきて、
「最後に、またね、って約束もしたの! あのね、約束って言うのは――」
 言いながら、少女は再び咲夜へと向かい振り返る。
 その瞬間だった。
 顔を伏せたメイド長の背後。
 暗く長い廊下に、姉の姿が現れたのは。
「え?」
 霧化からの一瞬の具現。
 その事実を理解する前に、フランドールの細い体は、姉の強烈な一撃によって吹き飛ばされた。
 線のように流れていく景色に理解が追いつかず、受身を取る事すら出来ずに自室の壁に激突する。衝撃を緩和出来なかった事で骨が砕け肉が弾け、体の半分が潰れた。
「――」
 苦悶の声すら上げられない。上げる為の器官は、今や床に落とした西瓜のように壁に張り付いている。
 だが次の刹那、フランドールは体を完全に再生させると、その瞳に疑問と怒りを持って振り返り――
「……」
 木が軋む音と共に、部屋の扉が閉じた。
 何か嫌な予感がする。
 それを打ち払うように羽を羽ばたかせ、扉を突き破らん勢いを持って突っ込んでいく。だが、一体どうした事か、木で出来ている筈の扉は逆に少女の体を弾き飛ばした。
 その事に疑問符を浮かべながらも、少女は弾幕を放ち……しかし弾かれる。
 何度やっても、結果は同じだった。
「何で……」
 思わず呟く。これは普段フランドールの部屋に掛けられている、外に出さない、というレベルの魔法ではない。恐らくは、それを更に強化したもの。
 明確な意思を込められた、封印そのものだった。
    
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 紅魔館地下。
 そこには最低限の照明だけが点けられた薄暗い廊下がある。その突き当たりにある扉の前で、紅魔館館主である少女は重い息を吐いた。
 彼女は傍らに立つ従者に視線を向けながら、
「咲夜」
「申し訳ありません、お嬢様……。警備を手薄にしてしまっていた私のミスです」
 言い、頭を下げる従者に、しかし少女は首を横に振った。
「まぁ、今回は仕方ないわ。酔っていたせいでこの状況を予測出来なかった私も悪いし。で、被害は?」
「目立った被害は発生しておりません。フランドール様がお出掛けになられた際に壊された扉も、こうして元通りになっていますので」
「そう。……後はパチェと咲夜次第か」
「はい。パチュリー様のバックアップはお任せください」
 現在、妹の部屋は咲夜の力により空間的に隔離された場所にある。そしてその扉が閉まった事を切っ掛けとして、更に部屋を隔離する為、パチュリーが封印魔法が発動させた。
 同時に、恐らく部屋を壊してでも出ようとする妹に対し、パチュリーの封印魔法が完全にその力を発揮するまで、咲夜には常時空間を広げ続けてもらう事になる。妹の力によって破壊されていく封印魔法を、彼女には補ってもらわねばならないからだ。
 ……まぁ、このくらいしないと、あの子も解らないだろうしね。
 姉として思う。
 だが紅魔館館主としては、『ありとあらゆるものを破壊する』力を持ったフランドールを、何の枷も無く野放しにした事に対する始末を付けなければならない。例え、何の被害が出ていないとしても。
「……じゃあ、後は頼んだよ」
 言って、踵を返した時、何やら咲夜が眉を落としているのが気になった。
 気になったから、少女は足を止めて問い掛ける。
「咲夜?」
 有能なメイドは、その一言で主が何を聞きたいのかを悟ったらしい。彼女は視線を逸らすように俯きながら、
「フランドール様による被害は、この幻想郷の至る場所にも発生していませんでした。それなのに、この処置は――」
 その言葉を遮るように、紅魔館館主、レミリア・スカーレットは告げる。
「言って解らない妹を躾けるのは、姉である私の役目。歯止めの効かない破壊魔の横暴を許さないのは、紅魔館館主である私の役目。――お前に指図する権利は無いよ」
「……すみません、言葉が過ぎました」
「解ったならそれで良い。さ、行くよ」
 急かすように言い、レミリアは咲夜を置いて歩き出した。
 振り返る事も無い。
 明るい廊下へと向かい、歩き出した。
   
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 硬く硬く閉ざされた木製の扉の向こう。
 幾重にも張り巡らされた結界の向こう。
 果てしなく拡張し続ける空間の向こう。
 その少女は泣きながら、己の力の全てを使い、部屋から出ようと足掻き続けていた。
「出して! ここから出して!!」
 胸が痛い。部屋を出た時と比べ物にならない程、ずっとずっと強く。
 痛みは涙を生み、涙は悲しみを生み、悲しみは叫びを産む。
 レーヴァテインを滅茶苦茶に振り回し、扱えるスペルの全てを唱え――我武者羅に、少女は叫ぶ。
「またねって約束したのに! 約束は破っちゃいけないものなのに!!」
 その声が部屋の外には届かないと知らず、少女は叫び続ける。
   
「お姉様! お姉様……!!」
 話を聞いて、と叫び続ける。
  
  
  
……
  
  
  
 それから、どれ程の時間が経っただろうか。
   
 家具などが全て吹き飛び、しかし『部屋』としての形は完璧に残っているその場所で、
「……これが罰、なのかな……」
 開かぬ扉に寄り掛かり、膝を抱えた少女が小さく呟いた。
 罰。
 それはまだ記憶にも新しい、霧雨・魔理沙と博麗・霊夢がこの屋敷にやって来た日まで遡る。
 人間に興味を持って部屋を出たものの、雨の為に外に出る事が叶わなかった少女は、初めて人間という存在と出逢い――負けた。
 そして雨が上がり、屋敷に戻ってきた姉と、少女は一つの約束をした。
『もう勝手に外に出ようとしない事』
 それは、一言告げれば外に出る事を考慮してくれる、という事でもあった。沢山の人間や妖怪と触れ合って姉が変わっていったように、少女にも変化する可能性が提示されたのだ。
 だが今日、少女はその約束を破ってしまった。
 姉が何をやっているのか、それが気になったのならば、直接本人に尋ねれば良かったのだ。そんな簡単な事も行わず、一人勝手に思い詰め、結果的に外に出てしまった自分を呪う。折角の約束を破ってしまった以上、もう姉は話を聞い
てはくれないだろう。
 それは、五百年にも及ぶ時間を共に生きてきた少女が、一番良く解っている事だった。
「……」 
溢れ出る後悔に押し潰されながら、少女は小さく身を縮めた。
  
  
  
5
  
  
  
  
  
 暗い部屋の中、静かに響く歌声がある。
 決して上手とはいえない、しかし沢山の想いの詰まった悲しい歌。
  
  
 それは誰の耳に届く事無く、無機質な壁に響いて消えた。
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
end



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