しゅき。

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4
   
 宴会はまだまだ続く。
 誰も彼も萃香が酒を飲まない事に対して疑問を抱くも、その場の空気に流され、心に浮かんだ質問を投げ掛ける事無く過ぎていく。
 萃香もその状況を受け入れ、しかし飲めないなら飲めないなりに楽しんでいこうと決めた。
 そう意識を切り替えると、不思議なもので酒が無くてもテンションは上がる。
 少しだけ気持ち悪さが残っている為に騒ぐ事は出来ないが、しかし宴会を楽しむ事は十分出来るだろう。
 そして……皆から一歩離れた位置に座る紫の隣に居て気付くのは、皆の楽しみ方がばらばらだという事だ
 会話をする者、静かに飲む者、裏方に専念する者……。
 皆『この場所で宴会をしている』というだけで、『皆で宴会をしている』訳ではない。
 それは似ているようで全く違う事だ。この場にいる全員の事を知っている萃香には、その事実が残念でならない。
 だから萃香はゆっくりと立ち上がり、皆にある事を聞いてみる事にした。
 それは紫からも聞かれた一言。まるで紫の言葉の答えを探すかのように萃香は問い掛ける。
「楽しい?」
 萃香の正面に居た、顔をほんのりと桜に染めた巫女は言う。
「ええ。この後、散り始めてきた桜の掃除をしなきゃなのが面倒だけどね」
 巫女の隣、以外にもしんみりと飲んでいる白黒は言う。
「ああ。酒は美味いし料理も美味い。文句の付けようが無いな」
 その隣でワインのコルクを人形に開けさせている金髪は言う。
「楽しいわ。このワインが家にあった最後の一本なのがネックだけど」
 その奥、木の影で日光を避けている吸血鬼は言う。
「今日はちょっと微妙ね。ここの桜は綺麗だけど、流石に連日だと少し飽きてくるから」
 その隣で食事を取り分けるメイドは言う。
「普通ね。片付けもあるから、そうそう飲んでいられないのが残念だけど」
 メイドから料理を受け取り、ピンク色のカクテルを飲みながら魔女は言う。
「楽しんでいるわ。ここには見てるだけでも面白い輩が多いから」
 ふと視線を上げた先、階段を新たな重箱を抱えながら上がってきた門番は言う。
「皆さん楽しんでいらっしゃいますね。あ、私ですか? 私はまだ仕事中なので」
 その行く先。陽光の下、空になった重箱を仕舞い、新たに並べながら剣士は言う。
「楽しいです。でも、皆さん沢山料理を召されますから、その片付けが大変ですね。それに、私はお酒に弱いので……」
 その隣、必要が無いと思われるのに沢山食べる亡霊は言う。
「楽しいわよー。料理は美味しいし、桜は綺麗だし。まぁ、冥界の桜には敵わないけれどね」
 そして振り返った先。酒を取りに一旦戻るという紫の式神は言う。
「楽しいですよ。それに何より、紫様が楽しそうですし」
 桜に寄り掛かりながら、微笑んでこちらを見る紫は言う。
「萃香はどう思う?」
 その正面に立ち、小さく溜め息を吐き、
「……聞いてるのはこっち。解らないわよ、そんなの」
 萃香は再び紫の隣へと腰を下ろした。
 そして思う。やはり皆、楽しみ方がばらばらだという事に。
 昨日までは感じる事の無かった事だが、今日は素面の為に思考がちゃんと働いているのだろう。
「……やっぱり惜しい状況だわ」
 そう小さく呟いたところで、ふと、昼間見た夢の事を思い出した。
 夢の中の自分も宴会の中に居た。楽しげに酒を飲み、皆と笑っていた。 
 朧に消えていくそれと今の宴会を重ね合わせる。
 仲間が居て、宴会を開いていて、皆が笑い合っている。この全ては過去と現在では変わらないものだ。しかし、萃香が感じる楽しさに、どこか決定的な差異がある。
 無意識にそれを考え、ふと、
「――」
 はっと息を呑み、萃香はある事に気が付いた。
 それは一度、昼間考える事を放棄した、過去と現在にある楽しさの違い。
 過去の場所と、今の幻想郷にあるものの違い。
「あー……」
 苦笑しつつ、萃香は小さく頭を掻く。
 こんな大切な事を、何故自分は今まで忘れてしまっていたのかと強く思い、そして呆れた。もしこんな状況になっていなかったら、例え気付いたところで思い出すまでには至らなかっただろう。
 昼間の時点では、過去を考えても意味が無いと結論付けた筈だった。だが、そう簡単に割り切る事が出来る程、萃香の過去は軽いものではなかったのだ。
 そして萃香は下がってしまっていた視線を上げ、
「紫」
「何かしら?」
 視線を向けた先、微笑むこの隙間妖怪は全てを見通しているのだと感じる。全く、彼女には敵わない。
 だから、
「何でもない」
 萃香は楽しげに微笑んだ。
 そして彼女は、再び宴会会場へと視線を戻した。
 ……やっと思い出せた。 
 伊吹・萃香は鬼であり、宴会に参加している少女達はそんな彼女によって萃められた。つまり萃香には、宴会の在り方、方向性を決める役割があるという事だ。霧雨・魔理沙は幹事役であり、幹事ではないのだから。
 更に仲間を失い、萃香は宴会というものから遠ざかっていた。その楽しさを再び得る事が出来た喜びと、共に酒を飲む相手が居る事の嬉しさから、今の今まで大事な事を忘れてしまっていたのだろう。
 ならば、
「私が変えていかなきゃね」
 小さく笑みで言って、萃香は再び宴会の輪の中へと加わっていった。
   
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 次の日も宴会は開かれる。
 しかし、その有様は昨日とは少しだけ違うものだった。
『宴会』というものを楽しむ為に、鬼の少女が話題や行動の中心となり、皆の気持ちの方向を変化させたのだ。
 各自が好き勝手に楽しむのではなく、今この場にいる全員が『宴会』というものを楽しめるように。
 それは、遠い昔に失った日々を取り戻すように――少女が失った百鬼夜行を再び萃め、今度は幻にしない為に。
 そして鬼の少女は今日も宴会の中心に居た。彼女は楽しげに笑いながら、皆と食べ、歌い、踊っていた。
 紫はその姿を今日も眺め……そして、少女へと声を掛けた。
「ねぇ、萃香」
「何?」
 楽しそうに笑う少女は上機嫌に答えると、しっかりとした足取りでこちらへとやって来た。 
 紫は笑顔を持って少女、伊吹・萃香に問い掛ける。
「楽しい?」
「あったりまえー!」
 それは一昨日と同じ答え。しかし違うのは、萃香が酒を一口も飲んでいないという事。
 なら良かった、と答え、紫は柔らかく微笑んだ。
 今更ながらに、紫は萃香を下戸にした事に心が痛くなっていたのだ。だが、彼女が再び楽しいと言えるようになったのならば、自分の行いは間違っていなかったのだろう。
 と、そして今度は、萃香の方がこちらに聞いてきた。
「紫は楽しい?」
「萃香はどう思う?」
 意地悪な問い掛けだ、と紫は思う。
 だが、萃香は笑みを崩さず、
「楽しんでる筈よ。その為に、私が居るんだから」
  
5
  
  
 そして宴会は続く。
 毎日毎日、しかし少しずつその形を変化させながら。
 鬼と人間と妖怪の宴会は続いていく。
    
 百鬼夜行は繋がっていく。
  
    
6
  
 数日後。
 皆がそれぞれの帰路についた夜の神社で、寄り添うように桜の下に座る二つの影があった。
 天上、雲一つない空に輝く月を眺めながら、二人の間に会話は無い。
 だが、ふと、思い出したかのように紫が萃香に問い掛けた。
「どう、お酒を飲めない気分は」
「最低ね。でも、楽しいから良いわ」
 笑みを持ち、萃香は答える。
 この数日間、彼女は酒を飲まずに……いや、飲む事が出来なくなり思い出した事があった。
 それは鬼という存在について。
 酒を楽しむだけではない。萃香達鬼は、『宴会』というもの自体を楽しんでいたのだという事を。
 酒の力では無く、皆で楽しむという気持ちが、何より素晴らしいものだったという事を。
 今まで忘れてしまっていたそれを、萃香はこの数日間で少しずつ現代に蘇らせた。この宴会ならば、仲間達も挙って参加したくなるだろう。
 その事を紫に告げ、しかし少しだけ苦笑しながら萃香は言う。
「まぁ、酒があった方が更に楽しいけどね」
「あら、まだ懲りてないの?」
 微笑んで聞いてくる紫に、萃香は苦笑を濃くした。
 元はといえば、自分が楽しむ為だけに酒を飲んでいた萃香が悪いのだ。
 ……それを気付かせてくれた紫には感謝しないと。
 そう思いつつ、
「十分懲りたよ。ただ……」
「ただ?」
「――酒は皆を幸せにする」
 だから、
「無為に飲むんじゃ勿体無いって、そんな事を思い出したよ」
「それでこそ萃香ね」
 変わらぬ……しかし優しい微笑みで紫が言う。
 そして彼女は傍らに手を伸ばすと、萃香へと小さな杯を手渡した。
 それを何気なく受け取り、しかしそれの意味するところに萃香が驚きの色を浮かべた。しかし、紫は気にする事無く徳利を取り出し、杯にその中身を注いでいく。
 月明かりの下、杯の中で揺れるそれは無色透明。
 徳利が離れ、自分の手の中にある杯と紫を交互に見、
「良いの?」
 萃香の問い掛けに、紫は何も答えない。
 ただ、その変わらぬ笑みに、
「――」
 一口。
 一瞬で口の中に拡がるそれは甘く、余韻を残して喉に落ちる。
  
   
   
 懐かしい、味がした。
  
   
  
  
  
  
  
  
  
    
end


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