ある紅い屋敷にて。

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3
  
 一晩が経ち……まだ痛みの残る足に負担を掛けない為、美鈴は真紅の廊下をゆっくりと飛びながら、自室へと戻ろうとしていた。
 数の少ない窓を見れば空は綺麗な紫で、夜明けにはまだもう少しといった所だ。
 ……少々早起きしすぎたかもしれない。
 昨日はあのまま医務室で眠ってしまった為、普段以上に早い時間に目が覚めてしまっていたのだ。久々にゆっくり取れた睡眠時間の為か眠気は無く、隣に寝る魔理沙を起こす訳にも行かないため、静かに自室へと戻る事に決めたのだった。
 と、廊下の一室から、淡い光が漏れているのに気が付いた。
 巨大な扉を持つそこは図書室で……音を立てぬよう、美鈴はそっと中を覗き込んだ。 
   
 淡い光に照らされた図書室の中、一人の魔女が机に突っ伏していた。机の上には数冊の本が置かれており、恐らくは読書中に眠ってしまったのだろう。
 音を立てぬようにドアを開くと、美鈴は図書室の中へと入った。
 静かに魔女の傍らに立ち、悪いな、と思いつつも、線の細いその肩を数度揺らす。
「パチュリー様?」
「ん……」
 魔女――パチュリーは小さく声を漏らすと、ゆっくりと体を起こした。彼女はそのまま眠たそうに目を擦り、
「眠ってたのね……」
 広げられたままの本を閉じると、小さな伸びと共に呟いた。
「ありがとう美鈴。ちょっとした調べ物のつもりが、徹夜になってしまったわ」
「一体、何をお調べになっていたんです?」
「レミィからちょっと頼まれている事があってね、それを調べていたの。で……その傷はどうしたの?」
「あー……えっとですね……」
 半日程前まで行っていた戦闘の事を、あまり大変では無かった風に話していく。しかし、そんな美鈴の話術は通用しなかったのか、パチュリーは小さく唸ると、
「まさかとは思っていたけど、あの振動は魔理沙のマスタースパークだったのね……」
「いえ、でも、そんな大事には……」
「屋敷が揺れたのは三回よ? それに貴女の怪我を見れば、戦闘が普段以上に激しかっただろう事は容易に想像が付くわ」
「う……」
 全てを見抜くようなパチュリーの言葉に、二の句が継げなくなってしまう。
「魔理沙も魔理沙だけど……美鈴、貴女も引き際を考えなさい。毎回全力なのは良い事だけれど」
「はい……」
 真剣なパチュリーの声に、返す声のトーンが下がる。
 美鈴自身、今回はやり過ぎたと思ってはいた。レミリアの命令があったから仕方ないとも言えたが、例え紅魔館への進入を許しても、まだ屋敷には咲夜達が居るのだ。全力で戦うのは当たり前としても、意固地になってまで戦い続ける必要は無かった。そしてそれ以上に、門番という役職を与えられている以上、門を守れなくなってしまっては意味が無いのだから。
 しかし、今の自分はどうだろうか。怪我をし、最低でも後三日程は全力を出す事が出来ないだろう。つまりそれは、
「門番、失格……」
 門を守れない門番に意味は無い。その事を今更ながらに強く実感し、胸が苦しくなる。
 ……私は本当に馬鹿だ……。
 そう思うと、次第に目じりが熱くなってきてしまった。慌ててそれを拭い……優しい色を持ったパチュリーの声が聞こえてきた。
「そう気を落とさないで。美鈴の事を攻めている訳ではなのだから」
「は、い……」
「……そうね」
 一体何が、そうね、なのか。涙と共に疑問視を浮かべて美鈴が顔を上げると、真剣な色を持ったパチュリーが、美鈴から見て左手方向にあるを本棚を睨んでいた。そして、
「その怪我だし……今日の仕事はお休みでしょう?」
「はい……」
「なら、新しいスペルカードでも一緒に考えましょうか」
「……え?」
 意外な提案に、一瞬思考が止まる。
 基本的にスペルカードというのは、自身で編み出したりアレンジしたり、受け継いだりして得ていくものだ。
 美鈴のスペルは彼女自身が生み出したものであり、もう長い間使い続けている。
 だが、いざ新しいスペルカードを作ろうにも、カードの作成はそう簡単にいかない物の為、今のスペルカードを使い続けているのが現状だった。
 その事は理解しているのか、視線を美鈴へと戻すと、パチュリーが続ける。
「新しく生み出すには時間が掛かるけれど、改良を重ねたりするぐらいならそこまで時間は掛からないわ。もし魔理沙に一泡吹かせられるようなものが出来れば、それが新しい切り札になりうるでしょうから」
 決まりね……そう微笑むと、パチュリーが席を立った。そのまま、突然の事に目を白黒させる美鈴に苦笑し、彼女は先程視線を送っていた本棚へと歩を進め出した。
「……」
 言葉が出ない状況の中……しかし美鈴の涙は確実に止まっていた。  
  
4
  
 結局、部屋に戻ったのは夕方を過ぎた頃だった。
 何やら難しい理論の載った本を読みながら、弾幕をどう発生させるか、どうやったら威力が上がるか、などという事をパチュリーの指導の元で学んでいった。 午後には食事を持ってきた咲夜もわり、新しく広げて作られた空間で、今出来る範囲での弾幕を飛ばしまくったりした。
 結果的にはスペルカードは完成しなかったのだが……体が本調子になったら続きをやるという約束をパチュリーと交わしていた。
「頑張ってね美鈴、かぁ……」
 パチュリー、咲夜の二人から貰った声援を思い出し、頬が緩むのを感じる。
 そして……ふと、昨日から、誰からも中国だ門番だほんみりんだと呼ばれていない事に気が付いた。
「……」
 何故かは解らないが、皆は自分の名前を本名で読んでくれていた。当然喜ぶべき事なのだが、同時に確実に怪しい事態だともいえた。一体、紅魔館の住人達に何があったというのか。
 考える。 まず思い浮かぶのはドッキリだ。だが、名前を呼ぶぐらいだし、その類では無いだろう。
「次」
 住人達が何かの魔法にでもかけられた。
「……」
 人間である咲夜はまだ解らないが、レミリアやパチュリーが魔法にかけられる事は確実に無いだろう。
「そもそも私の名前を呼ぶ魔法ってなんだよって話だし……。次」
 みんなが改心してくれた。
「……」
 ……これも無いだろう。いきなり改心するくらいなら、初めから名前で呼ばれている……筈だ。
「……次」
   
 ……と、そんな風にして美鈴は様々な可能性を考えていった。
 だが結局答えは出ず、暗くなってしまった部屋に光を灯す為、ベッドから腰を上げ、彼女は天井からぶら下がるランプに手を伸ばした。
 伸ばして……アルコールが切れている事を思い出し、一つ溜め息。今からアルコールを取りに行くのも面倒な為、美鈴はベッド脇にある棚から数本の蝋燭を取り出した。
 棚の上に蝋燭を並べ、マッチに火を付け――その瞬間、
「まさか……」
 ゆらゆらと揺れる炎を見つつ、ある事を思い付く。
「まさか、解雇……?」
 それは蝋燭が尽きる瞬間のように……美鈴が良い気持ちで辞めていけるように、皆が優しく接してくれているのではないだろうか。
 そもそも失敗続きのこの身だ。今回のレミリアの命も、最後に思い残す事なく戦う事が出来るようにとけしかけたものかもしれない。それに、お嬢様は大事な用があると言っていたのに、今の所、紅魔館に何一つ動きは無いのだから。
 それならば、レミリアの優しさにも説明が付く。傷付いた美鈴をわざわざ医務室に運んでくれたのも、恐らくは最後の仕事故、だったのだろう。
 それは咲夜も同様で、普段以上の優しさが籠ったあの治療は、美鈴の事を気遣っての事だったのだろう。
 更には、先程までのパチュリーの事も納得がいく。最後だからこそ、この紅魔館を去った後もやっていけるようにと、スペルカードの講義を行ってくれたに違いない。
「……」
 一気に身体の力が抜け、美鈴はベッドに倒れ込んだ。恐らく……認めたくはないが、今の予想で間違いないだろう。
 暗い気持ちが心を被い尽くし、暫くの間、美鈴は枕に顔を突っ伏したまま動かなかった。
 そして……ゆっくりと顔を上げ、目尻を服で拭うと、静かに深呼吸。
 ベッドから上体を起こしながら瞳を開いた顔には、悲しみは張り付いていなかった。
「皆さんが私に優しくしてくれるなら、私は最後の瞬間まで、頑張りきらないと!」
 赤い目をした少女は、そう自身を奮い立たせるように宣言した。
   
……
   
 次の日。
 自宅へと戻るという魔理沙を見送るため、美鈴は紅魔館の玄関へとやって来ていた。
 美鈴と違い、人間である魔理沙は傷の治りが遅い。しかし、彼女の場合大きな傷は右手だけだった為、空を飛ぶ事には支障は無いとの事だった。
 箒に跨りつつ、笑みを持って魔理沙が言う。
「次は負けないからな」
「次も負けないから」
 笑みで返し、背を向け、ふわりと空に浮かんだ魔法使いを見届ける。と、その背中から言葉が来た。
「なんか無理してるように見えるが……何かあるなら相談に乗るぜ?」
 一瞬、思考が停止する。
 そして思うのは、何故、だ。
 思えば、今日は魔理沙と会話する機会が多かった。見舞いに行った際につい話し込んでしまった為だ。
 常に心の中には解雇という単語が浮かび続けていたが、美鈴自身は普段通りに魔理沙に接した筈だった。だが、魔理沙には動揺を見抜かれてしまったのだろう。
 一気に膨れ上がる焦りを意思の力で押さえ込み、出来るだけ、何事も無いように答える。
「……大丈夫、だから」
「そう、か」
 美鈴の言葉に小さく頷き、また来るぜ、と言い残して魔理沙は飛んでいった。
 安易に頑張れと言わないのは、彼女の気遣いなのだろうか。
「……よし」
 心が少し暖まるのを感じながら、美鈴は紅魔館へと戻っていった。
    
 少々痛む足を庇いながら、紅い廊下を進む。
 まだ門番の仕事に復帰するには時間が掛かりそうだが、だからといって何もしない訳にも行かなかった。
「取り敢えず、咲夜さんに相談してみよう……」
 余計な手間を掛けさせてしまう事になるが、いつまでこの紅魔館で働けるか解らないのだ。どんな小さな事でも、役に立ちたいという気持ちが強かった。
「最後まで頑張るって決めたんだもの」
 俯きそうになるのを堪え、前を見据えて……美鈴は紅い廊下を進んでいく。
   
5 
   
 夜の紅魔館。
 食事を取る為に部屋を出たレミリアの視界に入って来たのは、数少ない窓を拭く美鈴の姿だった。
 怪我をした右腕はまた上手く使えないのか、左手一本で作業するその姿はどう見てもぎこちない。思いもしなかったその姿に溜め息を吐きつつ、レミリアは美鈴の背後に立った。
「何をしているの、美鈴」
「え、あ、お嬢様?!」
 レミリアの声に慌てて振り返ると、手に持った雑巾を背後に隠しながら美鈴が答えた。
 その様子に再び溜め息を吐き、
「一体貴女はここで何をしてるの? まだ怪我は治ってないだろうに」
「いや、その……ベッドに寝たままでいるのも性に合わないので……つい」
 苦笑しながら言うその姿に力が抜ける。本当に、この娘は私の思いも知らないで……そう思い出した途端、美鈴が焦りの色を持ち、
「あ、でも、この仕事は私が咲夜さんに無理を言ってやらせてもらっているものなんです。ですから、咲夜さんには何の非もありませんので」 
 言葉を無くしたレミリアが、怒っているものだと勘違いしたのだろうか。悪いのは自分だと言う美鈴の姿に、三度目の溜め息が出そうになる。
 ……全く。
 しかし、その溜め息を天井を見上げる事で抑え込み、
「解ったわ。咲夜を責めない」
 その言葉に安堵の表情を得た美鈴に向かい、でも、と続ける。
「何か仕事をするなら、無理はしないように。解ったわね?」
 今ここで美鈴を止めても、きっと何か別の仕事を探し出すだろう。何をそんなに必死になっているのかは解らなかったが……本人がやりたいと言っているのだ。やらせておいた方が計画も上手く行くだろう。
 レミリアの言葉に頷くと、失礼します、と一言告げ、美鈴は窓拭きへと戻っていった。
   
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「よし、と」
 言葉と共に、雑巾をバケツの中へと放り込む。
 外からは予想出来ない程に広い紅魔館。その窓を拭き終わった美鈴は、やり終えた達成感と共に一息ついた。
 ……次はゴミ出し、それが終わったらパチュリー様と一緒に図書館の整理、と。
 咲夜から言い付けられてある仕事を脳内で反芻する。二つとも力のいる仕事ではないが、図書館の整理は時間が掛かる。休むのは後にする事にして、美鈴はバケツを手に廊下を歩き出した。
「……」
 ふと、思う。
 この紅い廊下を初めて歩いたあの日から、もうどのくらいの時が経っただろうかと。
   
……
    
 幻想郷に住む妖怪は、人間と同じように住居を構える者が多い。その例に違わず住み処を探していた美鈴は、ある日、湖のほとりに建つ紅い屋敷を発見した。
 初めて見る外観の屋敷に、美鈴は興味本位で足を踏み入れた。今よりも確実に朽ち、狭かった屋敷だった為、誰も住んでいないと思ったのだ。
 だが、屋敷の奥には、一人の吸血鬼が居た。
 立ち向かおうという気は起きなかった。血に濡れた紅い服を着たその吸血鬼は、美鈴の事を敵として認識すらしていなかったのだ。無闇に殺されに行く程、美鈴は愚かではなかった。
 そんな美鈴を見つつ、吸血鬼――レミリアは、
『この屋敷には有能な知識人と、破壊魔が居る。出来ればメイドが欲しい所なのだけれど、ここにやって来るのは愚者ばかり』
『……』
『貴女は愚者? それともメイド?』
   
……
   
 ……そうして、美鈴は紅い屋敷、紅魔館で働くようになった。
 今では門番をやっているが、咲夜がやって来るまでは、屋敷の仕事は美鈴が行っていた。とはいっても、屋敷の空間が広がっていなかった為、そこまで大変だった訳ではないのだが。
 しかし……思い返せば、決して短くない時をこの屋敷の住人達と過ごして来た事になる。
 今まで失敗続きでも目を瞑ってきてもらっていたが、もうそれも限界が来たという事だろう。
 それに、まだ紅魔館が狭かった時とは違い、今は優秀なメイドである咲夜も居る。美鈴がこの紅魔館を去っても、問題と呼べる問題は起こらないだろう。
「だから仕方ない、よね……」
 一瞬表情に悲しみを浮かべ……しかしすぐに引っ込めて、美鈴は長い廊下を進んでいく。
     
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 食後の紅茶を飲みつつ、幼い吸血鬼が思い出すのは、この屋敷に美鈴がやって来た日の事。
 メイドは必要だとは思っていたが、実際に口に出したのは気まぐれだった。まさかメイドになるなんて答えが返って来るとは予測していなかったからだ。
 しかし今になって思えば、あの時の問い掛けは無駄ではなかったのだろう。あの問い掛けがあったから、咲夜をメイドとして雇おうという気にもなったのだ。
 だが、その後美鈴に門番の役職を与えたのは間違いだったかもしれない、と思う。
 吸血鬼であるレミリアを恐れず、主として慕うその姿は……メイドという姿の方が相応しいだろうから。
「まぁ、今更ね……」
「? 何か仰りましたか?」
 何でも無い……そう答え、レミリアは傍らに立つ従者へと視線を向けた。
「アレの準備は順調?」
「はい。予定通り今夜には。美鈴は気付いていないみたいですし、計画通り行くと思います」
「そう」
 咲夜の答えに頷き、やはり思うのは美鈴の事だ。
「そういえば、咲夜が美鈴に仕事を与えたんだって?」
「は、はい……」 
少々小さくなりつつ答える咲夜に苦笑しつつ、
「良いわ。咲夜を責めないって、美鈴との約束だから」
 その言葉に、咲夜が意外そうな色を持ち、
「なんというか……珍しいですね。今回の事もそうですが、お嬢様が美鈴の事を気に掛けるのは」 
 咲夜の言葉に、そうかもしれない、と思う。だが、せめて今日までの数日ぐらいは、美鈴の事を気に掛けてやっても良いだろうと思っていた。
 それに……今日で一区切りが付くようなものなのだ。普段よりも気に掛けてやる事ぐらい、安いものだろう。
「まぁ、それも今夜までだけどね」
 楽しげに答える。
 傍らに立つ従者は困ったように苦笑し、
「美鈴も大変ね……」
 そう、呟いた。





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