ある紅い屋敷にて。

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0
  
 ある昼下がりの紅魔館。
「……」
 外から聞こえて来る音に、館主である少女は紅茶を飲む手を止めた。
「どうかなさいましたか、お嬢様?」
「何でも無いわ。ただ……今日も魔理沙が来たみたいだから」
 傍らに立つ従者――十六夜・咲夜に少女が答えると同時、轟、という音と共に、紅い屋敷に衝撃が走った。
 机の上に置かれたソーサーやカップ、飾られている絵や花瓶などが小刻みに振動する。まるで地震のようなその衝撃は、しかし一瞬にして過ぎ去り……跡にはただ、何も無かったのかのような静寂だけが残された。
「地震……? 違うわね。魔理沙のヤツ、マスタースパークでも放ったのかしら……」
 そんな咲夜の呟きを耳に、少女は少しだけ位置のズレたソーサーにカップを置いた。そのまま席を立ち、
「ちょっと外の様子を見てくるわ。咲夜はアレの準備を進めて頂戴」
「あ、はい、解りました。でもお嬢様、まだ日が強いですから気をつけてくださいね」
「解ってるわ」
 心配げに言う咲夜に苦笑を漏らしつつ、少女――レミリア・スカーレットは、机の脇に置かれた傘を手に持ち部屋を出た。
   
1
  
 眼前へと迫っていた弾幕を紙一重で回避しながら、地を蹴って跳躍。
 紅髪の少女は上空に浮かぶ魔法使いを睨み付け、叫んだ。
「まだまだッ!」
 少女の叫びに、相対する白黒の魔法使い――霧雨・魔理沙は楽しげに口元を歪ませる。
 本来ならばもうとっくに終わっている筈の勝負。しかし、門番である少女――紅・美鈴は普段以上の気迫を発しながら魔理沙と対峙していた。何故ならば今日の美鈴には負けられない事情……館主からの命令があるからだ。
 だが、魔理沙がそんな事情を知る訳も無く、だからこそ彼女は楽しげに、 
「今日はしぶといんだな、とッ!」
 言葉と同時。華麗に身を翻し、その身を地面へと向けて落下させ始めた。
 上空から加速しながら、目の前を通り過ぎようとせん魔理沙。その逃避とも見える突然の行為に美鈴は内心首を傾げ、
「喰らいな! スターダストレヴァリエ!」
 魔理沙の声を聞き、しまったと思った時にはもう遅い。目の前を急降下して行く箒の穂先から大量の星屑が生まれ、一瞬にして美鈴の周りを取り囲む。生み出された星屑は弧を描き、勢いを上げながらその数を一気に増やしていく。 
「ッ?!」
 鈴の音を奏でながら、無数に迫る星屑を打ち消すようにスペルカードを発動。弾幕が生み出す気の流れに身を任せるようにして星々の間を潜り抜け――足元から、急接近する存在に気付く。
 星屑に意識、更には気の流れを惑わされ、魔理沙が目の前に迫るまで接近に気付く事が出来なかった。
 舌打ちと共に、彼女の突撃をなんとか躱そうとその動きに意識を向ける。だがそれよりも先に、星々の煌めきを背後に魔法使いが呟いた。
「――ブレイジングスター」
 直後、美鈴は自身に何が起こったかを把握する事が出来なかった。
 轟音と共に少女を襲ったのは、一条の――マスタースパークにも似た巨大な光。それは美鈴の弾幕も、魔理沙の弾幕も関係無く、ただ全てを吹き飛ばしていく。
 その光の本流に揉まれ、美鈴の体が軋んだ音を上げる。
「がッ……!」
 息が、出来ない。
 反撃を行おうにも、光に飲まれた体は指一本動かす事もままならない。
 ……また、負けか……。
 体よりも、心が痛む。
 思い出されるのは昨晩の事。
『大事な用があるから、今日から数日は普段以上に警備を厳しくして』
 深夜に呼び出された美鈴は、館主であるレミリアにそう釘を刺されていた。
 しかも、
『進入を許したらどうなるか解っているわね、美鈴?』
 久々に、自分の事を本名で呼んでまでの忠告だった。だから……これはもう絶対に侵入者を出す事は出来ないと意気込んだ美鈴は、普段以上の気合と共に紅魔館の警備に当たっていたのだ。
 だが、そんな日に限って、強敵である魔理沙がやって来た。
 門番という役職を任されている以上、美鈴の力は決して弱い訳ではない。しかし、努力家だという魔法使いは、初めて逢った頃よりも数段力を上げていた。
「……」
 途切れそうになる意識の中、悔しいと思ったその時だ。突然、襲い掛かって来ていた光が止んだ。
 状況確認の為、無意識の内に瞑ってしまっていた目を開けば、美鈴は自身が自由落下している事に気がついた。
 そして上空には、星々をバックに動きを止めた魔理沙。だが、彼女の様子がおかしい。魔理沙の視線は美鈴ではなく紅魔館の方へと向いており……釣られるように美鈴が視線を移すと、門の近くに傘を差したレミリアが居た。
 何故、こんな所にお嬢様が……心に浮かんだ問いは、レミリア本人から返ってきた。
「何をやってるの」
 落下する体に、呆れたようなレミリアの声が突き刺さる。
 恐らく、外の戦闘に気付き様子を見に来たのだろう。だが、目の前に広がるのは吹き飛ばされる門番の姿。厳重な警備を頼んだというのにコレでは、呆れられるのも仕方が無い。
 だからだろうか。レミリアの声は今まで受けて来たどの攻撃よりも痛く、苦しく……思わず美鈴はレミリアから視線を外し、
「頑張りなさい、美鈴」
「ッ!!」
 その言葉が聞こえて来た瞬間、美鈴は落下する体を止めた。
 同時に全身が激しい痛みに襲われるが、それ以上に、思いもよらなかった激励の言葉に目を白黒させ、
「何を惚けているのかしら?」
「す、すみません!」
 咄嗟に謝りながら、苦痛に眉を寄せつつ美鈴は体勢を立て直す。そのままレミリアを背に守るような位置へと飛び、何が起こったのか良く解っていなさそうな魔理沙に叫ぶ。
「今度は私の番!」
 叫びと同時に、ボロボロになったズボンからスペルカードを取り出し、
 ……負けられない!
 痛みを無視し、鈴の音を響かせ、魔理沙へと向かい加速する。
「華想夢葛!」
 アトランダムに展開する弾幕を放ち、魔理沙との距離を詰めていく。
 だが、対する魔理沙は両腕で箒を引き上げると、後方上空へと急加速。魔方陣を展開すると同時に美鈴へと向かい光を放つ。
 高速で迫る光を身を捻る事で回避しながら、更に、更に前へ。未だ残る星屑を自身の弾幕で消し去りつつ、満身創痍の身で出せる限界の速度で魔理沙の正面へと跳び、
「ハッ――!」
 全力を持って、振り上げた踵を魔理沙の肩へと向かい振り落とす。
 しかし、渾身の踵は、思い切り身を引いた魔理沙の肩に触れる事無く落ち――だが、美鈴はその勢いを止めずに振り落とした。
 振り落とされた踵は魔理沙の右手を穿ち、更に箒へとそのベクトルを向けていく。下方向へと急激な力が掛かった箒は搭乗主の意思に反して尻を上げ、
「つ、ぁ!」
 右手を穿かれた魔理沙が声を上げた時には、その体は美鈴の視線よりも上にあった。
 それを目で追いながら、
「ッ!」
 上空へと、魔理沙を突き上げる。その衝撃で箒を手放した魔法使いに追い討ちを掛けるように、
「彩光乱舞!」
 煌めく弾幕が魔理沙の体を射抜き……空を飛ぶ手段を失った魔法使いは、ただ苦悶の声を上げて落下していく。
「……」
 弾幕に揉まれながら、魔理沙が自身を守るかのように体を丸めた。
 その姿を見、決着は付いたと美鈴は判断。何とか勝利出来た事を嬉しく思いつつ、
 ……流石に、手当てをするぐらいだったらお嬢様のお許しも出るよね。
 美鈴の弾幕を受けきり、しかし変わらぬ体勢で湖へと落下する魔理沙を見ながら思う。
 美鈴自信も満身創痍なのだ。ならば、
「一人を治療するのも二人を治療するのも変わらない筈……って?」
 突然気の流れが乱れ、美鈴は首を傾げた。同時に言いようの無い不安が広がり、痛む体を引き摺るようにしてその場から移動する。
「一体何が……」
 呟いた直後、大気を振るわせる轟音が足元から響き――次の瞬間には、一拍前まで美鈴が居た空間は光の本流によって撃ち抜かれていた。
 驚きと共に足元に視線を移し、光、マスタースパークを放った魔法使いへと叫ぶ。
「まだ続ける気なの?!」
「まだまだ、やれるぜ?」
 中に浮かぶ箒に再び跨りながら、歯を見せて笑い、左手にミニ八卦炉を持った魔理沙が答えた。
 そして、
「――今度は、私の番だな」
 言葉と共に、魔理沙が一枚のスペルカードを取り出した。
 その行為に驚きを増しつつも……腹を決め、美鈴は魔理沙へと向かい意識を集中させる。
  
 勝負はまだ、終わらない。 
  
――――――――――――――――――――――――――――
  
 一進一退を繰り返す門番と魔法使いを眺めながら、レミリアは小さく溜め息を吐いた。
「全く、何をやっているのやら……」
 自分が美鈴のやる気に火を付けた事は棚に置きつつ、思う。
 最近になって、美鈴と魔理沙が争う回数は殆どゼロになっていた。結構な頻度でやってくる魔法使いに対し、皆はもう慣れて来ていたのだ。
 とはいえ、魔理沙が友人である知識人――パチュリー・ノーレッジの居る図書館の本を盗んでいく事が今でも稀にあるのだが、これといって危害を加えてくる訳でも無い為、パチェ以外からは危険視されなくなった、というのが現状だった。
 更に、門番である美鈴と魔理沙は逢う回数も多い。恐らくは仲良くなっている筈なのだが……売られた喧嘩は、例え知っている人物からでも買うのが魔理沙という人間なのだろう。
「……」
 目の前に飛んできた流れ弾を優雅に躱しつつ、更に溜め息を吐く。
 美鈴が魔理沙に喧嘩を売った理由はレミリア自身にあるのだろう。侵入者を絶対に入れるなという命令を受けた美鈴なら、どんな手を使ってでも止めに掛かるだろうし。
 しかし、魔理沙だって馬鹿では無い。レミリアの命で紅魔館へと立ち入る事が禁止されていると美鈴が告げれば、こんな泥沼な弾幕ごっこを繰り広げる前に退散しただろう。
「……」
 再び撃たれたマスタースパークを何とか回避し、弾幕を放つ美鈴を見つつ、
「……全く、主人の気も知らないで……」
 レミリアは三度目の溜め息を吐いた。
    
2
    
 結局、戦いが決着したのは日が半ば暮れ掛けた頃だった。
 草の上に倒れ込むようにして、美鈴は荒れた息を吐く。全身に受けた傷は数知れず、左足と右腕は感覚すらない。こんな深手を負ってしまっては、門番として警備をするのに支障が出るのは確実だった。
 しかしそれは魔理沙も同じ事で、美鈴の隣に横たわりながら、同じように荒れた息を吐いていた。
「全く……諦めの、悪い……」
 苦しそうに、しかし笑みへと口を歪ませながら、魔理沙が呟く。
「アンタもね……」
 痛みに眉をしかめつつも、苦笑しながら美鈴は答えた。
 と、そんな二人へ落ちてくる声があった。
「決着は付いたかしら?」
 聞きなれたその声に――咄嗟に地面に左手を付き、
「ッ……ぁ」
 痛みに呻きながらも美鈴は上体を起こした。いくら負傷しているとしても、お嬢様の前で寝転がっている訳にはいかないからだ。
「なんとか、侵入者を止める事が、出来ました……」 
「そう。良くやった……と言いたい所だけど、貴女がそんな調子では意味が無いわね」
 溜め息と共に告げられた言葉に、眉が下がる。
 館主の命を受けてからまだ一日も経っていないのにこの状況なのだ。失望されても仕方が無いと言えた。
 だが、
「でもまぁ、ご苦労様。さ、早く咲夜に手当てしてもらいなさい」
 意外な労いの言葉に視線を上げると、柔らかな苦笑を持ったレミリアの顔があった。
 問答無用で罰を下されてると思っていた美鈴はその事が意外すぎて……目を見開いたまますぐに返事を返す事が出来なかった。
「ほら、手を」
 更にレミリアは、美鈴へと向かい優しく手を差し出してきた。
 普段なら絶対に有り得ない状況に、美鈴の混乱は一気に最高値へと駆け上がった。
 ……こ、コレは夢、幻?!
 しかし、夢にしろ幻にしろ、全身に走る痛みは引いていなくて、おずおずと掴んだお嬢様の手は意外な程の冷たさを持っていた。
「立てるかしら?」
「あ、は、はい!」
 もう何がなんだか解らないが、取り敢えず返事を返して慌てて立ち上がり、
「ッ!」
 全身を貫く痛みにレミリアの手を離してしまう。更には痛みの為、無意識に目を瞑ってしまい――
「……よっと」
 耳に届いた声の意味を知る前に、足がすくわれる。このままいけば、受身を取る事無く尻から落下するだろう。
 嗚呼、やっぱりこれはイジメの一つなんですね……。
 そう美鈴が諦めかけた瞬間、両膝の下に何かが差し込まれる違和感を感じ、同時に落下する筈の体が急停止した。
 何事かと目を薄く開くと、目の前にレミリアの顔がある事に気付いた。同時に、体に感じる違和感は両膝の下と、いつの間にか背中にある。
 ……つ、つまりこれは……お、お、お姫様抱っこー!?
 もうこれは夢で良い。夢じゃないとおかしいだろう。そう脳内で勝手に結論付け始めた美鈴を他所に、
「じゃ、屋敷へと戻りましょうか」
 可憐に微笑むお嬢様。
 何か言いだそうとしても言葉が生まれず、
「は、はい……」
 顔を真っ赤に染めながら、美鈴は考えるのを止めた。
   
……
   
「ちょと美鈴、大丈夫?」
「……え、あ、ハイ!」
 突然の問い掛けに、夢の世界へと旅立っていた美鈴は慌てて意識を通常の状態へと戻した。
「って、何で私……」
 外敵の進入を許した時……主に魔理沙に負けた時に、何度か担ぎ込まれた事のある医務室の天井を見上げながら、疑問の色を持って美鈴が呟いた。
 と、その呟きに答えるように、
「良かった、大丈夫みたいね」
 声に視線を移せば、心配げな色を持った咲夜の姿があった。
「あの、咲夜さん、外に居たハズの私が、何で医務室に……?」
「お嬢様が運んでくださったのだけれど……覚えてない?」
 その言葉の意味を十秒程考え、
「……や、やっぱり本当に、お嬢様が私を……?」
「そうよ」
 微笑んで告げる咲夜に、言葉が返せない。
 言い方は悪いが、あのお嬢様がお姫様抱っこをしてくれた上に、この医務室まで運んでくれたというのだ。先程の戦闘で美鈴の体はボロボロだったし、抱きとめるだけでもお嬢様の服は汚れてしまっただろう。
 完全思考停止状態に陥ってしまっていたとはいえ、自分はなんという事をしてしまったのだろうか。
「どうしよう……」
 急に浮かんだ焦りは、抑えきれずに口に出てしまっていた。
「ん?何が?」
 手に包帯を持った咲夜に問いかけられ、青い顔を向けながら美鈴は答える。
「いや、あの……お嬢様、怒ってませんでしたか?」
「そんな事は無かったわよ」
 言いつつ、咲夜が視界から消え、足に包帯を巻かれる感触が来た。
 本来、妖怪である美鈴には人間を凌駕する回復力がある為、致死レベルの傷を負った場合以外には治療というものは必要が無い。
 だが、そうとはいっても一瞬で元に戻る訳ではなく、数日の時間を有する。その際に的確な治療を施せば、傷の治りが早くなるのもまだ事実だった。
 ただの空き部屋だったこの部屋にベッドを運び込み、医務室としたのは咲夜だった。度々怪我をし、しかしその度に手当てをしてくれる咲夜に対する感謝の気持ちは高い。
 しかし、今思うのはお嬢様の事だ。
 いくら怒っていなかったと言われても、それは咲夜の前だったからかもしれない。あの微笑みの裏には、燃え滾る怒りがあったのかも。
「……」
 想像が怖い方向へと進み、美鈴は小さく首を振った。
 何はともあれ、本人に直接聞いて確かめてみない事には埒があかない。
 面と向かって聞けるか解らないけど、でも……!
 意思を決め、無理矢理にでも起き上がる為に左手を付き……高くなった視線の先に、隣のベッドに横たわる魔理沙の姿が見えた。
 眠っているらしいその姿に一瞬動きが止まり、
「あ、今日一日はゆっくり寝てないとダメよ。無理に動いて治りが遅くなったら、それだけ仕事への復帰が遅くなるんだから」
 それに気が付いたのか、鋭い咲夜の声が足元から飛んできた。
 仕事への復帰が遅くなる……それだけは何があっても阻止しなければならない事だ。この紅魔館の顔である門を守護しているのは、誰でもない美鈴なのだから。
「はい……」
 ベッドへと再び横になり、美鈴は小さく答えた。





  

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