そして世界は秋に染まる。

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0

 ある夏の終わり頃。
 外の世界と同様に、ここ幻想郷も残暑の日々に悩まされていた。
 必要以上に高い温度と湿度は人々その他からやる気を奪い……幻想郷全体をダレた空気が包み込んでいた。
 それはある湖でも例外ではなかった。
「暑い……」
 もう数十回目となる夏の定例句を呟きながら、その妖精はふらふらと空を飛んでいた。
 氷の妖精……チルノだ。
 いつもの彼女なら、湖の近くを通るやる気の無い人間や妖怪達に悪戯をするのだが……最近の彼女はテンションが下がっていた。
 その理由はある人間の魔法使いにあった。夏の暑い中でも黒い格好をし続けているその人間に、チルノは天然のクーラーとして利用され続けていたのだ。
 始めの内は寒がる人間の姿を見て楽しんでいたチルノだったが、対する人間は時間の経過と共にリラックスしていった。その姿を見ながら、段々と自分が利用されているのではないかと考え出し……つい先日隙を見て逃げてきたのだった。
「暑い……」
 その後、予想していた人間の魔の手第二弾は無く……チルノは何をする事も無くふらふらと空を飛んでいた。

 しかし、暑い。もう熱いと言っても過言ではない程だった。いくらチルノが体から冷気を発しているとしても、この暑さの前では冷気が相殺され、過剰分の熱が体に付き刺さってくる程だった。
 見上げる太陽は高々と輝き続けていて……堪らずチルノは日陰へと向かい高度を下げた。直射日光を浴びないだけまだ少しは涼しいだろう。
 ふらふらと木々の陰に入ると、溜め息を付きつつ羽根を休める事にした。
「全く、暑いわ……」
 文句を垂らしても気温は下がらない。その上、飛んでいる時は遠くに感じていた虫の大合唱が近くから響き、羽根を休めようにも休める事が出来なかった。
 腹いせに近くの木々に氷の塊を投げつけつつ……チルノはある事を思いついた。
「そうよ! あたいがこの夏を終わらせて、秋を呼べば良いんだわ!」
 今まで考え付かなかった斬新なアイディアである。それと同時にある妖怪の顔が浮ぶが……どうせ寝てるだろうし無視した。
 そうと決めると、チルノは再び直射日光照りつける空へと飛び上がった。
 飛び上がって……
「……でも、どうすれば夏を終わらせられるのかしら?」
 計画も何も、その小さな妖精の中には存在しなかった。

1

 その日、上白沢・慧音は森の中に居た。里の外へと果物を取りに出た子供達を護る為にだ。
 だが、湿気の充満している森の中は不快度数が高い。しかも果物の腐敗も早い為……思った以上に果物集めは不調だった。
 鳴り響く虫のオーケストラが自分達をあざ笑っているかのように聴こえて来る。
「こう暑くては仕方ないか……」
 呟きつつも、慧音は辺りに視線を巡らす事は怠らない。
 この暑さで大概の妖怪は動こうとしないが、腹が減っているのなら話は別である。抵抗する力の無い子供しか居ない今、慧音はいつも以上に気を張っていた。
「ん?」
 不意に、その頬を冷たい風が撫でた。涼しい……のでは無い。明らかに冷気を含んだ風だった。 
 蒸し暑さの中で感じた不自然な風に、慧音は意識を切り替えた。風の吹いてきた先へと鋭い視線を向ける。
 見れば……木々の奥に何やら青色の存在が浮いているのが見えた。
 不安定に漂うソレの背は小さく、背には羽根……恐らくは妖精だろうと慧音は判断する。しかし、か弱い子供達には例え妖精でも脅威になる。
 視線をそのままに、慧音は最年長の少年に声を掛けた。
「一旦里に戻ろう。みんなを集めてきて」
 慧音の言葉に頷くと、少年は小さな声で子供達に指示を出し始めた。子供心に、慧音の雰囲気の違いに気付いたのだろう。
 その様子を感じつつ……慧音は視線の先に居る妖精の動きを読もうとしていた。
 他の妖怪や人間に追われている様子でもなければ、何処かへと移動しようとしているワケでもない。ただ、空に浮びながら両腕を体の正面にぴんと伸ばしていた。
 一体何をやっているのかと考えるが……相手は所詮妖精。人間の考えが及ぶモノではないだろう。
 子供達が集まったのを確認すると、妖精を含む周囲を確認しつつ……慧音達は里へと戻っていった。

 子供達を里まで送り届けると、早々とした帰宅の為か大人達に驚かれた。
 慧音は先の妖精の事を説明し、
「一応もう一度調べてきます」
 里の外へと踵を返した。そのまま里を出ようとし……その背に声が掛かった。
「慧音お姉ちゃん、気をつけてね」
 振り向けば、最年長の少年が心配そうな瞳を持って立っていた。
「大丈夫。すぐに戻るから」
 微笑んで言い、少年の頭を優しく撫でる。少しの間その黒い髪の感触を感じて……ゆっくりと手を離す。
「行ってくるね」
 見上げてくる少年を安心させるように微笑みを強くして、慧音は少年に背を向けた。
 ……行こう。
 浮んだ思いに従うように、慧音は静かに駆け出した。背中に聞こえる少年……そして里のみんなの声援を力強く感じながら。

 一直線に森の中を走り抜け、数刻前の場所へと戻りつく。
 妖精は先程と同じ場所に漂っていた。しかし、伸ばされていた腕は下ろされ、何やら肩で息をしているようにも見える。同時に、遠くからでも感じていた冷気を今は感じる事が出来なかった。 
 何をしているかが解らない為、近付く事も出来ない。息を潜めながら慧音は妖精の動きを監視し続けた。
 暫くして……慧音が額の汗を何度か拭った頃、妖精は再び両腕を正面に伸ばし冷気を発し始めた。
 汗で濡れた体が、漂ってくる冷気によって冷やされる。小さく身震いをしつつ……慧音は考える。
 あの妖精が冷気を操る事が出来るのは解った。しかし、見た所冷気によって森を凍らせているワケではない。では、一体あの妖精はこんな森の中で何を冷やしているというのか。
 見ているだけでは解らないが……もしその理由が里のみんなにとって危険なモノなら、全力を持って止めなくてはいけない。
 しかし相手は妖精である。そんな危険な事は出来ないだろうとも考えられた。
「……」
 判断しかねる状況に、慧音は妖精の様子を監視し続ける事にした。

……
 
 一晩が経ち、二日目になり、三日を迎えて四日になる。五日六日と日は流れ、七日を過ぎて……あっという間に一週間が過ぎた。
 その間、妖精にこれといった変化は無かった。慧音は朝晩決まった時間にしか監視に来る事が出来なかったが、日々変わる事無く妖精は同じ場所に留まり続けていた。
 妖精の行動にも変化は無かった。毎日同じように両腕を伸ばして冷気を発し……恐らく疲れると、腕を下ろして冷気を出すのを止める。そんな事を飽きる事無く繰り返していた。
 だが、確実に変化しているモノもあった。  
 妖精を中心とした木々達が、段々と色付き始めてきたのだ。強い日差しは元より、朝も夜も浴びせられ続ける妖精の冷気によって紅葉が異常に早まったのだろう。
 とはいえそれだけの事だ。大きく広がる森のほんの一角……その色が変わっただけの事に過ぎない。
 ……一体あの妖精は何を考えているんだろうか。
 イレギュラーな紅葉と妖精、そしていつも通りの緑を見つつ、心の中で慧音は呟いた。

2

 チルノは頑張っていた。
 
 夏を終わらせる為、チルノは子供なりに様々な事を考え……ある方法を思いついた。
 そしてそれを実行する為に森へと入り……今日も木々を凍らせない程度に冷気をコントロールしつつ、暑くなった大気を冷やしていたのだった。
 しかし、いくら冷気を操る氷の妖精だとはいえど、力を使い続けていれば疲弊する。その為、疲れてきたら休み、楽になってきたらまた力を使う……という事を一日中繰り返していた。
 その甲斐あってか、毎日少しずつ木々の色が変化していった。
 その事に調子を良くしたチルノは、今日もまた冷気を森に振りまいていた。

 いつも以上に無理をしながら。

……

 太陽が一番高くなった頃、不意にチルノの視線が揺れた。
「ん……?」
 強い風でも吹いたのかと思い、木々を見る。しかしその葉は揺れていなかった。
「あ、れ?」
 ワケが解らないと、少し抜けた声を上げる。
 ぐらぐらと世界が揺れる感覚。
 実際は自分自身が揺れているという事に気付かないまま……チルノはふらふらと地面に落下した。
 どこか遠くから誰かの声が聞こえたような気がするが、反応しようにも体が動かない。
「あれれ……?」
 情けない声を上げながら……自分がまるで主人を無くした人形のように、地面に横たわっている事にチルノは気がついた。力を使い過ぎてしまったのか、思ったように体に力が入らない。
 そんな自分に怒りがこみ上げてくるが、どうする事も出来ない。一つ溜め息を付いて、目を瞑りながらチルノは体の力を抜いた。
 と、
「どうしたんだ?」
 頭上から声が落ちてきた。
 突然の事に慌てて目を開くと、チルノの顔を覗き込むようにして女が立っていた。紫の服を着、銀色の髪を垂れないように耳の脇で押さえつつ……人間だろうその女は上からチルノに聞いてきた。
「突然倒れたから声を掛けてしまったが……一体お前は何をしていたんだ?」 
「別に、アンタには関係ないわ」
 体に力は入らないが、不機嫌な声は出せた。それに、人間が居ては休もうにも休んでいられなくなる。どうやって嫌がらせ……もとい追い払おうかと、チルノは思考を働かせ始めた。
 だが、人間は関心がないかのように、
「そうか」
 と呟き、チルノの視界から消えた。しかしそのまま姿を消すワケではなく、声はチルノから見えない位置から聞こえて来た。
「何をしているのかは解らないが、もしそれが里の人間に危害が加わるような事なら……私は容赦しないからな」
「なっ……!」
 威圧的なその言葉にチルノの怒りが高まっていく。膨れ上がった怒りをバネにするように飛び上がると、人間に向かって視線を向け……
「このッ……って、あれ?」
 居ない。
 ぐるりと見渡してみても、そこに人間の姿は見えなかった。
 予想外の事態に、怒りが空気を抜くように萎んでいく。同時に体もゆっくりと地面へと落ちていった。
 ぺたりと座り込むと、そのまま地面に背をつける。先程の人間がどこに消えたかは解らなかったが、探す気力も体力も今のチルノには残っていなかった。
「はぁ……」
 なんだか、疲れがどっと押し寄せてきた。
 五月蝿く感じていた虫の音が、今だけは何故か遠くから響いているように聞こえてくる。
 半ば無意識に目を閉じ……そのままチルノは眠りへと落ちていった。

3

 次の日。
 慧音は妖精の様子を見に森の中へと入っていた。
 昨日、妖精に近付いてみても、特別に変わったモノを冷やしているようには見えなかった。なので取り敢えず注意だけをして里へと戻った慧音だったが……肝心の理由をまだ聞いていなかった。それを確認する為に今日はやって来たのだ。
「まぁ、流石にもう居ないかもしれないが……」
 一人呟きつつ、汗を拭いながら森の奥へと進んでいく。
 そして……いつもの場所に辿り着く。そこには、昨日と少しだけ動いた場所に、昨日と同じようにして妖精が冷気を発していた。
「まだやっていたのか……」
 思わず、思いが口に出てしまっていた。
 その声に気がついたのか、妖精がこちらへと視線を向けてきた。
「何よ」
「お前の監視だ。何をやっているのかが解らない以上はな」
「別に人間に迷惑を掛けるような事なんてしてないわ!」
 拗ねたように言い放ち、妖精はまた今までと同じように両腕を伸ばして冷気を発しだした。
「全く……」
 少々呆れつつも、慧音はいつものように妖精の行動の監視を始めた。
 やはり今日も妖精の行動はいつも通りで、木々の間に飛びながら冷気を発生させ続けていた。その為、妖精の周りの温度は極端に低い。妹紅から借りてきたマフラーを一応首に巻きつつ、まるで妖精の周りだけ夏が終わってしまったかのようだと慧音は思う。もし空から森を眺めたなら、この一角だけは切り取られたかのように色が違って見えるだろう。
 だからこそ、慧音は妖精が何故こんな事をしているのかが気になった。
 人間に危害が及ばないとハッキリするのなら、妹紅や里のみんなを連れて一足早い紅葉狩りをする事だって出来るだろうからだ。
 もう一度理由を聞こうと口を開き……
「なぁ……」
「アンタには関係無いわ」
 妖精の声が飛んできた。
 だが、それを無視しつつ慧音は続ける。
「お前が答えてくれるなら、私もお前を監視するか否かを決める事が出来るんだが」
「だから、アンタには関係無い。それに、あたいは人間をどうこうしようって考えてるワケじゃないわ。解ったらさっさと帰ったら?」
「……お前の行っている事の理由が解ればすぐに帰る」
「だーかーらー、アンタには関係無い」
 まるで禅問答である。しかし、妖精の行為の理由が解らない以上、妖精の言葉を鵜呑みにする事は出来ない。
 この頑固な妖精をどうしたものかと考えながら、慧音の一日は過ぎていった。  

 妖精との禅問答はその後も暫くの間続き……ある満月の夜、唐突に終わりを告げた。

……
 
 ワーハクタクである慧音は、白沢時には幻想郷の全ての知識を持つ。それは、自然そのものである妖精の行動理由をも網羅するモノだった。
 月光に照らされた夜の森の中、白沢の姿で慧音は妖精……チルノという名の少女の前へと姿を出した。
「またアンタ……って、何その角」
「私の事を人間だと思っていたのかもしれないが、私はワーハクタクなんだ。だから、満月の夜にはこうして白沢の姿になれる」
「ふぅん……」
 興味があるようで……しかし明後日の方向を向くと、チルノはいつもと同じように冷気を発し続けた。
 その動きを止めるように、慧音は言い放つ。
「夏を終わらせ、秋を呼ぼうとしていたのか」
「?!」
 慧音の言葉と同時に、チルノが弾かれるようにしてこちらを向いた。
 その顔には明らかな驚きの色。
「なんでその事を?!」
 飛び掛らん勢いで聞いてくるチルノを抑えつつ、慧音は答える。
「今の私は幻想郷に存在する全ての知識を持つ。それは妖精であるお前の事も例外じゃないんだ。だが、何故こんな事をしていたんだ?」
 例えチルノが行っていた行動の理由が解っても、その心情までは知る事が出来ない。
 とはいえ、氷の妖精が暑い夏を……まだ続くであろう残暑を嫌うのは解る。だが、時が経てば秋は勝手にやって来るのだ。一体何を考えての事なのか。
 誰にも話していないであろう事を言われたせいか、俯きながらチルノは悩み……そして、拗ねたように唇を尖らせながら小さく口を開いた。
「秋には温度が下がって寒くなる。そうするとこの辺りの森は、いつも紅葉に染まるから……だから、この森を紅葉させれば秋が来るんじゃないかって考えたの」
「それでこの森を冷やしていたのか?」
「そうよ」
 チルノの考えは常識とは逆のモノだった。本来なら、季節の変化による気温の低下によって引き起こされる紅葉を、紅葉を作り出せば気温が下がり季節が変化するモノだとして考えているのだ。
 まるで子供の考える事のようで……だからこそ彼女はこんなにも真剣になれるのだろう。
「つまり、アンタの監視なんて意味が無いの。あたいは秋を呼ぼうとしているだけなんだから」
 最後にそう言うと、チルノは再び冷気を発し始めた。
 その様子を眺めつつ……目の前の小さな妖精に、秋を呼ぶ事など出来ないと教えた方が良いかどうかを悩む。
 このまま勘違いをさせておくより、今の時点でチルノに真実を教えた方が良いのだろう。しかし……純粋に頑張るその姿に、真実という残酷な刃を向ける事が慧音には出来そうになかった。 
 溜め息を一つ吐き、
「解った。でも、時折様子を見に来るよ。私も早く秋が来て欲しいから」
 微笑みつつ言い、慧音はその場を後にする事にした。
 チルノに背を向けて歩き出し……背中から声が来た。
「見てなさいよ! もっともっと頑張って、あたいがすぐにでも秋を呼んでやるんだから!」
 振り向くと、慧音の事を指差しながら断言するチルノの姿があった。
 その姿を微笑ましく思いつつ……信じていると告げるように、慧音は確りと頷き返した。





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