五月蝿い世界の不器用な二人。

――――――――――――――――――――――――――――

□エピローグ

 とある山地を越えた先に、深い森に抱かれた古城がある。
 稀代の力を持つ魔女によって護られてきたその城は、一度その城主を失い――けれど今も、昔と変わらぬ姿で建ち続けていた。唯一変わった場所があるとするならば、周囲の森が少しだけ減ったくらいだろう。



 吹き抜けになっている中庭でまどろんでいた俺は、腹の辺りに小さな、けれどとても愛おしい重さを感じて目を開けた。
 城に戻ってから早一ヵ月。何かと慌ただしかったからか、昼間からこうしてのんびりしているのは久しぶりだった。とはいえ、不思議と懐かしさは少ない。それは恐らく、あの小屋での生活で得た『日常』があったからなのだろう。離れていた時間ば長かったが、あの数日間で俺達は自分達の空気を取り戻す事が出来ていたのだ。
 だからそう、この城に対する懐かしさは確かにあるが、そこに存在する日常の空気は以前と変わらない。それを喜びながら、俺達は一緒に居られる幸せを噛み締める。
「……暖かいな」
「私達を覆ってた冬が、ようやく終わったからね」
 そう言って嬉しげに微笑む白雪は、魔女らしいシックな黒いロングドレスに、少々大きめな三角帽を被っている。対する俺は、暖かな陽光の下で胴体や翼を暖めていた。
 静かな、もう二度と戻らないと思っていた時間がゆっくりと過ぎていく。
 と、不意に白雪が杖を握った右手を上げた。そして、何かを手繰り寄せるように杖を動かすと、
「よ……っと」
 杖先に魔法で作った糸を取り付けてあるのか、まるで釣りをしているかのように手首を返す。すると、廊下の先から何かが引っ張られてきて、彼女はそれを器用に掴み取ると、
「今日の新聞」
 そう俺に教えるように微笑み、早速その内容に目を通していく(因みに新聞の発行は不定期で、配られる度に村の誰かが城の玄関先へと配達してくれていた)。すると、最初は真剣だったその表情が少しずつ緩み、最後は大笑いを始めてしまった。そのまま、俺へと見えるように新聞の一面を拡げると、
「見てこれ。『若き勇者達の英姿』だって」
 そこには、実物よりも少し綺麗なリラと、実物通りなニアと、別人のように美化されたファイの肖像画が描かれていた。しかもその表情があまりにも真面目腐っているものだから、普段の彼とのギャップが酷すぎて思わず俺も噴出していた。
 途端、鼻息で新聞を吹き飛ばしてしまった。「わ、」と白雪が慌てて立ち上がり、それを追い掛ける。しかしバラバラになった新聞は四方八方へと飛んでいき……その一枚が俺の目の前へと舞い戻ってきた。
 それには、細かな文字でリラ達の事や、数週間前に行われた里の決断について記されていた。
 古城の魔女を、そしてドラゴンすらも倒したリラ達は、王都にて正式に勇者の称号を授かり……次に何かあった時、すぐに里の人々を救えるよう、あの里で暮らし始めたらしい。
 同時に、南の森の開拓は行われなくなったようだ。里長の意向で黒狼達モンスターの討伐が取り下げられ、国王にその旨が伝えられたらしい。当然反対意見は出たものの、里の近くにドラゴンまでもが現れてしまった以上、国王も別の方法を模索する事を決めたようだ。
 そうして南の森が荒らされなくなる事で、黒狼達にあった人間に対する負の感情は消えてき、いつかは北の森のような清浄さを取り戻すのだろう。そういった変化が更に人々に『この森は神聖なものだ』と意識させ、良い循環が出来上がっていく。それによって黒狼達が妥協せずに済む訳ではないが……白雪の提案した森を救う方法は成功し、彼等の為の時間が生まれたのは確かだった。
 そして、記事の最後には北の森についての事が書かれていた。今までは人々が立ち入る事すら稀だったそこに変化が訪れ、少量ではあるものの、その実りを獲られるようになったらしい。
 それはモンスターと人間が共存している、と言える状況だった。記事を見るに、『こうした事例は今までに存在せず、これも勇者の存在のなせる業』との事だ。まぁ、その切っ掛けには、古風な言い回しをする黒髪の少女の存在があるのだろう。
 実際のところ、ミツキがああして人間の姿になったのは、白雪にとってもイレギュラーだったようだ。だが、こうして北の森の変化が記事になっている以上、その存在は里の人々に受け入れられているに違いない。
 しかし、リラ達がここまで大きく取り上げられる事になるとは思わなかった。この調子だと、白雪から受け取った報酬を試す暇も無いだろう。もし彼等が聖剣や魔剣を所持していると記者に知られたら、更なる注目を受ける事になるのだろうから。
 と、新聞を集め終わった白雪が戻ってきた。その手には採っておいてあったのだろう真っ赤な林檎の実が二つ。形は悪いが、その赤は宝石のように鮮やかだ。
「はい、森の実り」
 そう言って、白雪が林檎の一つを俺の口の中へ。北の森の林檎とはまた違った味わいを持つそれを堪能しながら、俺は再びこの林檎を食す事の出来る幸せを感じ……そして、これを護ってくれた村人達の事を――この城に戻ってきた日の事を思い出す。
 白雪が――古城の魔女が倒されたのは、もう一年以上も前の事。森には確実に手が入り、下手をすれば城も取り壊されている可能性があった。もしそうなっていた場合、俺達は別の住処を探し、そこで新たな生活を始めようと考えていた。
 だが、実際に戻ってみれば、森の木々が少し切り倒されていたのみで(更に、魔力の供給不足でその異形化は収まっていた)、城はリラ達が去ってから誰の手も入っていなかった。
 一体どういう事なのかと訝しんだ白雪が、思い切って城下にある村の村長のところへ向かってみると……彼女は村人から驚きと喜びによって迎えられ、盛大な歓迎を受けた。
 村人からすれば、魔女が死んだなどという話はどうやっても信じられなかったものの、しかし実際に森に手が入り始めた時点で、それを信じざるを得なくなってしまっていたらしい。それでも彼等は一念発起し、森の開拓を村人全員で反対したのだという。
『私達はこの村が出来た当初から、古城の魔女に、そしてこの森の恵みに大いに助けられてきたのです。私達の王は王都に居られるお方では無く、貴女様方魔女なのですよ』
 そう笑顔で言う村長に白雪は涙を流し――けれど彼の言葉はとても危険なものでもあった。
 白雪曰く、国王というのは権力と同時に神意すらも勝手に操ってみせる存在なのだという。そんな相手に逆らえば逆賊として捕らえられ、下手をすれば村ごと焼かれる可能性もあった。けれど村人達はそれを恐れず、森にやって来た兵士達を追い返したのだ。
 とはいえ、それで捕らえられる可能性が消えた訳では無い。村人達は戦々恐々としながら日々を過ごし……しかし、何日経っても城から兵士がやって来る事は無かった。恐らく、リラ達が魔女を倒したという事実から、いつでも森を開拓出来ると踏んだのだろう。
 そうして時は過ぎ……三日前に王都で発行された新聞にて、この周囲一帯の開拓を諦めるとの旨が発表された。
 それはエリカ達の住む里で起こった一連の出来事を発端とする、自然との共生を見直そうという風潮から生まれたものだった。確実だと思われていた南の森の開拓が中止になった事で、人々の関心が集り、結果的に国王がその方針を変えざるを得ないほどに世論が変化したのだ。
 こうして、晴れて城は開拓の手を逃れ、俺達の生活は安泰となった。
 けれど、その安泰が永遠に続く訳ではない。
「そろそろ、古城の魔女も変化しなきゃいけないのかもね」
「そうだな。それが俺達の『少しの妥協』って奴なんだろう。まぁ、そのラインをどこに引くかで、これからの生き方も変わるんだろうが……そう焦る事でもないさ」
 そもそも俺達はドラゴンと人間で、本来ならば絶対に有り得ないのだろう恋をし、愛を語り合っているのだ。それは古城の魔女の変化よりも人々に受け入れられ難い事で、それを抱えながら生きていく俺達には沢山の壁が立ち塞がってくるに違いない。それは決して楽観出来るものでは無く、時には世界を呪いたくなるような日がやって来る可能性だってある。それでも、俺達ならばその壁を乗り越えていけると、そう思う。
 何せ俺達は、こうして再び出逢う事が出来たのだから。



 そうして今日も、俺は愛する人と暮らしていく。
「そういえば、俺は人間の姿に戻ったりしなくても良いのか?」
 人間に対する嫌悪感は消えていないが、白雪が改めてそれを望むというのなら、また人間になるのもやぶさかではない。そう思っての問いに、彼女は「大丈夫」と微笑み、
「人間のツクヨミも素敵だったけど、私は今のままの貴方が好きだから。……あ、それとも、私がドラゴンになろうか? 或いはまた猫に戻るとか」
「いや、今のままの白雪で居てくれ。猫の時も可愛らしかったが、俺も今のままのお前が好きだからな」
 未来は解らない。けれど世界はどんどんと騒がしさを増し、静かな生活を望む俺達には五月蝿く感じられる日々がやって来るのだろう。
 それでも、例えどんな風に世界が変わっていこうとも、俺達の想いは変わらない。
 一緒に笑い、一緒に泣いて、時には喧嘩をしたりしながらも、不器用な俺達は二人で一緒に歩いていく。


 絶えぬ笑顔と、幸せと共に。












end





――――――――――――――――――――――――――――
戻る

――――――――――――――――――――――――――――
目次

top