五月蝿い世界の不器用な二人。

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□プロローグ

 どんな物語でも、その結末は必ずハッピーエンドへと向かう。少なくとも、私が読んできたお話は全てそうだった。
 だから私は、自分の物語も幸せな結末に向かうのだと信じていた。それは現実と幻想を混同している訳ではなく、実際にそうと思えるほどに幸せな日々を送る事が出来ていたからだ。
 彼と――ツクヨミと出逢い、恋をし、愛し合うようになったあの日常は、私にとって永遠に続く筈のものだった。
 それなのに、どうして私は独りになってしまったのだろう。
「……ツクヨミ」
 小さく響いたその声は、閑散とした城の廊下に反響する事無く消えていく。
 ツクヨミと暮らしていた頃にも広いと感じていたこの城は、今ではどこまでも続く迷宮のよう。彼と出逢う前まではこれが当たり前だったのに、その頃の感覚すら取り戻せない。
 辛い。苦しい。そんな言葉では言い表せないほどの痛みが心を締め付け、深過ぎる絶望は生きている事すらも苦痛に変える。ツクヨミから別れを告げられたようなものなのに、それでも私は彼の事が忘れられず、今も強く想い焦がれている。
 苦しいよ。淋しいよ。逢いたいよ。
 でも、もうその言葉はツクヨミには届かなくて、彼が優しく私を慰めてくれる事もない。不安と、心細さと、もうツクヨミに逢う事が出来ないのだという絶望に打ちひしがれながら、私はゆっくりと廊下を歩き出す。
 自室から一歩出ただけでこれなのだ。気分は落ち込み続け、ただ苦痛だけが私を支配する。
 それでも、こうして目覚めたあとは、自分なりに可愛いと思える服を選び、髪を整えていた。もし彼が戻ってきた時――例え強い怒りや憎しみと共にこの城に戻ってきたのだとしても――私は、大好きなあの人に汚い格好を曝したくなかった。
 そうして、私は広い廊下を独り歩いていく。
 城には使用人も料理人も誰一人居ない。それを望んだのは私で、今でもその判断は間違っていないと思っているけれど、それでもその静けさが孤独を強く感じさせるのは否めない。
 取り敢えず、水を飲もう。そのあとは、彼の好きだった林檎を採りに森へ向かおう……と、そう考えながら歩いていると、不意に廊下の向こうから足音が響いてきた。
 一瞬それに動揺し、強い期待をするものの、反響してくる足音は複数ある事に気付く。そして続くように響いてきたのは若い男女の声だった。それに失望しながらも、私は彼等が誰なのかを考える。
 城下にある村の住民ならば事前に手紙を送ってくるだろうし、もし急ぎの用事だったとしても『魔女の寝室』があるこのフロアには絶対に立ち入らない。それはこの城が建てられた当時からの契約だ。
 となると、悪戯心と共に忍び込んできた子供か――或いは、私を討伐しに現れた冒険者か。
「……最悪だわ」
 この城にはトラップと呼ばれるものは何一つ設置していない。このままでは、すぐに侵入者は私の前に現れるだろう。
 ほら、例えばこんな風に。
「見付けたぜ、古城の魔女!」
 曲がり角を曲がった先。大きく伸びる廊下の中ほどに、そう声を上げる少年の姿があった。その背後には二人の少女が立っており、彼等の手にはそれぞれ長剣、細身の剣、杖が握られていた。
 しかし、古城の魔女、などと呼ばれるのも久しぶりだった。ツクヨミと出逢ってからは王都に殆ど出向いていなかったから、自分がそう呼ばれている事を半ば忘れかけていた。まぁ、お母様は望んでそれを名乗っていたらしいけれど、私はそういった二つ名に興味がない。魔女とは本来表に出ない存在だろうと、そう考えているからだ。
 けれど、今更そんな事を言い出しても始まらない。目の前には明確な敵がいて、護ってくれる騎士は居らず、私はたった一人でこの身を、そして城を護らねばならない。
「……」
 ふと、雲が切れたのか、背後にある大窓から陽光が差し込んできた。
 その暖かな光とは対照的に、私の人生は酷く暗い。
 ならば、この城を護らねばならない理由は――必死に生きなければならない理由は何なのだろう。
 自暴自棄になるつもりはないけれど、そんな事を思ってしまうほどに、私にとってツクヨミの存在は大きかった。だから、
「私は――」
 その瞬間、少年が駆け出してきていた。その動きを封じる為に魔法を発動させようとするも、肝心の呪文が唱えられない。
 少年が迫る。
 切先が迫る。
 私の心に浮かぶのは、未来への恐怖と死への恐怖。
 平行を保つその天秤の重さを変えるには、一体何を載せれば良いのだろう?



 ――そして、剣が振り下ろされた。





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